政府の巨額累積債務をどうする?−歴史からの教訓−


 日本の政府と政府が債務保証をする借金は700兆円(GDP500兆円の140%)を超え、特殊法人などの官製法人が抱える借金も含めれば1000兆円をはるかに超える巨額の債務が累積されている。にも拘わらず政府は毎年30〜40兆円の新規の借金を殖やしつづけている。このつけは間違いなく増税などの形で国民に廻ってくるだろう。郵便貯金や簡保・年金の積立金は多くの部分が国家の債務に化けているので巨額債務が返済不能と判れば国民の財産を大幅に毀損することになる。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶというが日本の政府と国民は歴史からも経験からも学ぼうとせず破局への道を盲進しているようだ。

 日本政府の債務は巨額であっても外国からの借金ではなく、国内の金融資産が債務の原資になっているので、心配無用とする意見がある。しかし、これはいつか来た道だ。デフレ不況に陥った昭和恐慌をケインズ流の積極財政で克服した高橋是清は、暗殺される前年の昭和10年に次ぎのように述べている。

「昭和7年度以来毎年相当巨額の公債の発行にも拘らず、今日までの所幸いにその運用は理想的に行われ、いまだ公債に伴う実害を発生して居らぬ。かえって金利の低下や景気回復に資せるところが少なくない。世間の一部にはこの効果に着目し、公債は何ほど発行しても差し支えなきものであるかのごとき、漠然たる楽観説を懐いて居る者もあり、また今日政府の採って居る公債政策ごときはいまだ不十分であって、どしどし公債を増発して国家の経費を大いに膨張せしむべしと説く者もあるようである。しかしながら公債の過剰発行による財政、経済の破綻に付いては欧州大戦後多数の国家にその実例の存する所であって、公債は何ほど発行しても差し支えなしと論ずるがごときは、この最近の各国の高価なる経験を無視するものである。」(註参照)

 高橋是清の警告にも拘わらず、公債発行は終戦時まで続き、政府は累積債務の増大を阻止することができなかった。戦前の日本はこうして破局への道を歩み、欧州大戦後の多数の実例が示すように、ハイパーインフレーションの洗礼を受けた。戦後のハイパーインフレのお蔭でGNPの約2倍に達した累積債務(1519億円)は元利を含めて償却出来たが、国債と円の価値は1/200に暴落して、国民の蓄えは霧散し、国民はインフレの苦しみを味わうことになった。

 学ぶべきは米国の事例である。1929年の株価大暴落後のデフレスパイラルに苦しむ米国は、大統領がフーバーからルーズベルトに代わると高橋是清と類似のケインズ流政策により内需拡大による積極財政を採った。今日ニューディール・リベラリズムとして知られる財政政策である。第二次世界大戦への参戦で財政赤字は大幅に拡大し、終戦時に米国は日本同様、GDPに匹敵する2000億ドルを超える巨額の累積債務をつくってしまった。

 しかし、米国経済は巨額債務があっても破綻することなく、ハイパーインフレも起こさなかった。債務は今日になっても依然として残っているが、戦後の米国経済は世界に門戸を開放し経済規模を飛躍的に拡大させ、米ドルを世界の基軸通貨にすることが出来たため巨額債務があっても財政破綻の原因にはならなかったのである。今日米国のGDPは50倍の10兆ドルを超える規模に拡大している。現時点から振りかえるとドル通貨の増刷も寄与して、GDPに匹敵していた戦時の債務は相対的に1/50の規模に縮小したのだ。米国が通貨を増刷しハイパーインフレを起こすことなく経済規模を拡大出来た理由は1789年から1940年まで「小さな政府」を維持したお蔭で租税負担が少なく、経済成長率は高く、貿易収支、経常収支は黒字が続き、国内に富みが蓄積され巨大な債権国になっていたからである。第二次世界大戦後アメリカの世界工業生産に占める割合は45%に上昇し、海外にも積極的な融資を行い世界の政治と経済に責任と義務とを負うパックス・アメリカーナの盟主になった。

 残念なことに今日の米国は「大きな政府」への道を歩みはじめたため、財政と経常収支は双子の赤字となり、債権国から債務国に転落した。海外への投資収益もマイナスに転じ、ドル安傾向は阻止できず、パックス・アメリカーナは変質して終焉に向かいつつある。

 日本政府も米国同様、「小さな政府」を維持し、高い経済成長率を誇っていたが、政官業癒着による公共投資、官製ビジネスの肥大化で社会主義国家に勝るとも劣らない「大きな政府」を志向するようになって経済効率を著しく低下させた。GDPの7割を効率の悪い官製事業が占めるようになり、既得権による公的資金、税金の無駄遣いで、政府を借金漬けにしてしまったのだ。

 今日の日本で唯一評価できることは貿易収支が黒字基調で、円高傾向がつづき、海外への積極的投資ができる余力をもっていることである。日本は170兆円を超える対外純資産を持ち債権国としての有利な状況は戦前の米国に似ている。国内の金融資産もゼロ金利のまま放置せず、国外で有効活用すれば、経済規模を飛躍的に拡大できる可能性がある。実際に日本の優良企業は今後の発展が期待できる中国、ベトナムなどに積極的な投資をして業績を上げようとしており、経済活動を国内に止めてはいない。

 問題は産業の停滞と空洞化で縮小に向かう地方経済である。地方経済を飛躍的に拡大させる方策が求められるのだ。地方経済の中央依存を断ち、自立を促進することは当然のことで、海外からも積極的に人材を呼び込み、同時に世界へ雄飛できる地方企業を育成しなければならない。

 近年、中国とASEANが自由貿易協定の協議を始めたことは注目すべき動向である。ASEANは競合する中国との国境で関税をなくすことなど、とんでもないことと警戒していたが、人材交流や地域の特性を考慮すれば中国とは共存共栄の関係を構築することが可能と見るようになったのだろう。空洞化現象は日本だけの問題ではない。土地が公有でインフラコストが安い中国に製造業が移転することは経済原則に適っている。日本も負けずに近隣の中国、ASEANとの交流を促進し、高級市場と金融資産、人的資源の交換で、アジアの各地域との相互依存関係を深めれば、双方の地域経済の規模拡大と質的向上でGDPの拡大が期待できるだろう。

 道州制により「小さな政府」を実現し、日本を自立した州(地域国家)からなる連邦国家に再編成して、もろもろの中央政府からの規制を撤廃し、人為的な国境をなくせば、地域間の人、物、資金、情報の自由な交流を促進する有力な手段とすることができる。 

 日本とアジアの各地域間で多様な相互補完関係を構築して相互依存性を高め、日本経済の規模を飛躍的に拡大できれば、日本を破局から救済し、巨額債務の償却を可能にするために残された数少ない道の一つになるだろう。(巨額債務を返済するためには、現在のGDP500兆円を1000兆円以上、政府・地方自治体の歳入合計が少なくても100兆円以上になるまでに経済規模を拡大し、国民の担税能力を向上させる必要がある。)

 長期不況に苦しむ地方経済を救済できず、少子高齢化で縮小をつづける国内経済だけに囚われ、あの手この手の増税策で国家の債務を帳消しにしようとする方策は最低の愚策であり、巨額累積債務の償却は不可能だ。

文京区 松井孝司(tmatsui@jca.apc.org)

生活者通信第95号(2003年7月発行)より転載


(註)高橋是清の警告は昭和10年7月27日付東京朝日夕刊からの引用。当会の岡戸知裕代表が横浜開港資料館で発見した資料からの借用です。