尾崎行雄翁の「廃国置州論」


憲政の神様、尾崎行雄翁は若い時代には「尚武論」や「支那征服論」を唱える強硬論者であったが、第1次世界大戦後欧米諸国の実情をつぶさに視察し、「国家のためといわれてだまされて、結局、国家をも人類をも亡ぼすものであるのに、あんな破壊をやるというのは人間というものは実にあきれた馬鹿なものだ」と悟り、国家主義を排し「廃国置州論」を主張するようになった。

尾崎翁の廃国置州という考えは世界連邦構想である。敵対していた各藩が一体となってしまった廃藩置県と「同じことを世界に行いたい」というもので、米国合衆国を世界連邦成立の可能性を実証する絶好無類の事例としている。北米は国家を連合して1つにしたのに、南米は同じ白色人種の国でありながら政治組織が乱れ、北米と大変な格差が生じてしまった。今日もし尾崎翁が生きておればEUも成功事例に挙げることだろう。廃国置州論は国境を無くし地域統合の必要性を主張するもので、日本を1つの州とし他国と連合政府を作れという主張である。国体の存続を重視した戦前の日本人にとって廃国論はあまりにも非常識な空理空論と捉えられたためか、この尾崎翁の主張は殆ど無視されてきた。

尾崎翁の「自由主義者」としての業績は日本より米国で評価されていたようで、戦争が終盤に近づいた1945年の7、8月頃米軍は東京や名古屋の上空でB29から「日本の偉人よ何処に在りや」と題するビラをまいた。ビラには「日本は自由の何たるかを理解した人々によって強大を致したのである。『国家の独立はその国民の独立より。』と喝破した福沢諭吉氏。〜多年議会政治の闘士として令名を馳せた尾崎行雄氏。刺客に襲われた時『板垣死すとも自由は死せず。』と絶叫した板垣退助氏。この人達によって昔の日本には『自由の国家のみがその強大を致し得る。』と云う事実がよく理解されていた。」と書かれていたが、当時の警察は必死になってビラを集め、一般の人達は咎められるのを恐れて手元におくことをしなかったそうである。戦時日本に誕生した大政翼賛会は「自由は国を滅ぼす」と主張したが、歴史は逆に「自由が無い国は自滅する」ことを実証した。国民に規制を加え、自由を束縛するだけの政府なら無い方が良い。政府に求められる役割は何であろうか?

外交こそ国家に不可欠の機能とされてきたが、田中真紀子氏が火をつけ炙り出された外務官僚の無責任振りと外務省の税金無駄遣いの実態を知り、尾崎翁や民間人の外交実績を知ると改めて「廃国=外務省無用」論を検討する価値があると思うようになった。尾崎翁が米国ワシントンのポトマック河畔に桜の木を贈ったことは有名である。「日米友好のシンボル」とされているが、「日本の心を売った」と非難されることもあった。これは日露戦争の講和条約締結に際して米国が日本に示した厚意に謝意を表明するためであったが、日本政府が贈ったものではない。尾崎翁が中央政界から干され、東京市長をしていたときに米国在住の高峰譲吉氏から資金提供を受け実現したものである。日露戦争が勃発したとき金子堅太郎氏が米国に派遣されたが、高峰氏は「無冠の大使」として金子氏を支え、戦時公債を募るときは自費を投じて演説会を開いた。また、高峰氏はニューヨーク近郊に壮麗な邸宅を構え、自宅を領事館のように使って、米国の有力者を招いて日本に対する誤解を解き、日本から渡米する人を助けた。日米親善に尽力した高峰氏の逝去は多くの人に悲しみを与え、ニューヨーク・タイムス、ニューヨーク・ヘラルドなど有力紙は、その偉業をこぞって賞賛したが、同氏の死後、外交は政府の独占するところとなり、日米関係は急速に悪化し、戦争に突入してしまった。外交を一部の人間や国家に独占させることは弊害が大きいことがわかる。

尾崎翁の世界連邦構想は教育による人間性改革と国家主義の撲滅に主眼を置き、戦争防止のための制度と道義を確立しようとするものであった。「個人の生命と財産と自由」を尊重する世界中央政府を創設して権限を委任するが、同政府は国際紛争の予防と裁決だけを担当し、その権限は極めて限定されたものとしている。「学校では国民教育などと鎖国的になるような教育を施し、事実無根な神話的歴史などを根拠にして、この国は他の国とは大分ちがうものででもあるように、子供の頭に吹き込んでいたことはもっての外の誤り」であり、「どこまでも道理の通った物差し、そろばん、はかり、ます、これを根拠とした科学的合理主義の精神」が世界精神であると述べている。尾崎翁は慶応義塾を中退しているが、科学的合理性を尊重する点で福沢諭吉翁の精神を引き継いでいるようだ。

明治初期には国家主義にもとづく征韓論、征清論のような強硬論がある一方で、国家主義を否定する平和主義、国際主義の精神が厳然と存在しており、経済的には貧しかったが、精神的には豊かで、異説を受け入れる余裕があった。尊皇攘夷論者が開国論者に豹変したように、強硬論を主張した尾崎翁も自らを君子豹変させたのであろうか?

中江兆民は明治20年に出版した「三酔人経綸問答」の中で洋学紳士を登場させ「地球の各部分を切り裂き、居住民の心をたがいにわけへだてるのは、王制ののこした禍いです。」「世界人類の知恵と愛情とを一つにまぜ合わせて、一個の大きな完全体に仕上げるのが民主制です。」と語らせている。洋学紳士の「民主、平等の制度を確立して、人々の身体を人々に返し、要塞をつぶし、軍備を撤廃して、他国にたいして殺人を犯す意思がないことを示し、また、他国もそのような意思を持つものでないと信じることを示し、国全体を道徳の花園とし、学問の畑とするのです。」「保護関税を廃止して、経済的嫉妬の障壁をとり去り、風俗をみだしたり動乱を煽動するのでないかぎり、いっさいの言論、出版、結社にかんする法令を廃止して、議論するものには、舌の自由をあたえ、聞くものには鼓膜の自由をあたえ、書くものには手の自由をあたえ、読むものには眼の自由をあたえ、集まるものには足の自由をあたえる」との主張は現行憲法の精神そのものである。洋学紳士の発言内容は東洋のルソーと言われた中江兆民の思想の一部ではあるが、このような発想が明治の初期に存在したことに注目したい。

インターネットや交通手段の発展で、人、もの、金、情報は国境を越えて自由に飛び交い、21世紀の国境は殆ど意味のないものとなりつつある。日本同様、国家の保護規制に依存する社会主義的傾向が強いヨーロッパ諸国で狂牛病が拡大したこと、強大な軍備を誇る米国でテロ攻撃を防止できなかったこと、進行しつつある地球規模の環境破壊を阻止できないことなど、人々の生命財産を守る上で国家は無力である。人々の生命と財産を守るためには、国家の枠を超えた国際協力体制に基づく危険防止策と安全保障システムが不可欠だ。人類の生存権を保証するためには地域分権と自己責任による新たな世界秩序、経済秩序の構築が求められているのである。狂牛病の病原体プリオンの存在は脳、脊髄などの特定臓器に限定されるため、わが国の農林省は一貫して肉や牛乳は安全と主張してきたのに、族議員の言いなりにことを進め、何百億円もの税金を投入して事実上不良在庫となった肉を国が買い上げてしまった。しかし、この処置で安全が保障されたわけではない。英国では菜食主義者が発病しており、感染経路は肉以外のところに潜在していることは間違いない。

日本国家が管理する郵便貯金250兆円、簡易保険積立金112兆円、年金積立金140兆円の融資先も心配である。融資先の財政投融資対象機関には赤字法人や倒産状態の第3セクターがごろごろ転がっており、融資先には民間銀行を凌駕する不良資産、不良債権の山が累積されているのではないか?郵貯はお金を集めるだけで貸手責任を問われないから維持出来ているが、小泉総理が主張するように民営化し貸手責任を問われたら即破綻となることは間違いない。郵貯は税金で補填しながら目立たないようにこっそり貸出しを減らし、廃止することが最善の策だ。それが判らず国民の財産の保全を無責任な国家に託していると裏切られるだけではなく、郵貯と無関係な国民が政府の失策の尻拭いをさせられることになるだろう。1400兆円といわれる国民の貯蓄はすでに大幅に劣化している可能性があり、700兆円を超える政府と自治体の借金は増える一方で、この借金は近い将来実質貯蓄額を上回ることになる。「公」という名の寄生虫があまりにも大きくなったため、日本経済は税金では支えきれず沈没寸前だ。行政改革と称して中央省庁の数を減らしたのに寄生虫の頭ともいうべき官僚の住まい(霞ヶ関のビル群)には巨費が投じられ拡大の一途である。官僚や族議員が税金や公的資金を使う権限を手中にし、国民の義務に見合う権利が国民に与えられないような国家は無い方がよい。税金や公的資金に寄生する「公=国家」という名の巨大な寄生虫を退治するために、「廃国」とまで行かなくても国家機能を大幅に縮小し、永田町、霞が関、虎の門に集積する寄生虫の温床を遷都(首都機能移転)により一掃することは不可欠、緊急の課題ではなかろうか?東京は知事も議会も遷都に大反対だが、遷都に抵抗勢力は憑き物である。抵抗をそぐために明治維新では「遷都」ではなく、「奠都」と称し、改革を実現した。改革実現には「廃国」「遷都」に代わる新しい表現が必要かも知れない。

文京区 松井孝司(tmatsui@jca.apc.org

生活者通信第80号(2002年4月号)より転載


●私の「廃国置州論」

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