福沢諭吉の「分権論」


道州制、府県の廃止の考えは昭和32年頃から、東京への一極集中の是正、広域行政の必要性から主張されるようになりましたが、この主張も当初は地方分権を強調するものではなかったように思います。遡ること120年以上も前の明治10年11月に福沢諭吉が「分権論」を刊行し、地方への「権力の分散」を主張したことは注目すべきことです。
明治10年の西南戦争の後、失業した武士が日本全国にあふれていたことに心を砕き、明治政府も非常に困難な事態に置かれていたことから出てきた提案のようですが、卓見といわざるを得ません。

丸山真男氏は福沢諭吉の「分権論」はアレクシス・ドゥ・トクヴィルの「アメリカにおけるデモクラシー」から示唆を受け、中央政府の軍事力とか条約締結権からなる「政権」と庶民に直接関係する「治権」を区別し、「政権」の集中と「治権」の分散という考え方に到達したといっています。
廃藩置県により失業した武士は、首尾よく明治政府に参画できた人以外は自由民権運動に身を投じた人、旧習を硬く固守して世に出て来ない人、武士の商法を試みて失敗した人達であり、当然のことながら政府に参画できなかった人は抵抗勢力、不満分子となり、反動分子による西南戦争が勃発したのも当然の成り行きだったのです。
西南戦争という大事件に遭遇して、失業した人に職を与える必要性を痛感し、庶民にかかわる日常的な問題、道路建設、治山、治水といった問題は地方にまかせ、「地方の自立をはかる必要がある」という発想に到達したものと思われます。

福沢諭吉は明治7年刊行の「学問のすすめ四編」の中で「日本にはただ政府ありて未だ国民あらずと言うも可なり」と述べ、晩年の「福翁自伝」では「士族は勿論、百姓の子も町人の弟も、少しばかり文字でも分かる奴はみな役人になりたいと言う。仮令い役人にならぬでも、とかくに政府に近づいて何か金儲けでもしようという熱心で、その有様は臭い物に蠅のたかるようだ。全国の人民、政府に依らねば身を立てるところのないように思うて、一身独立という考えは少しもない。」と述べています。「独立不羈」「一身独立」の必要性を力説し、国民の自立が国家の独立に繋がることを主張しましたが、現実は福沢諭吉が望んだようには展開しませんでした。「政府に近づいて何か金儲けでもしよう」と政府事業にたかる蝿は今日においても族議員を筆頭に後を絶たず、政府の借金は殖えるばかりです。

経済的に自立することの必要性を主張した福沢諭吉は「拝金宗」と攻撃されました。この主張は言葉を換えれば「フィナンシャル・リテラシー(Financial Literacy)を持て」ということであり、経営感覚を欠く庶民、武士、政府官僚の問題点を的確に指摘していたわけです。政府と地方自治体の借金が700兆円を超えようとする今日の状況では、遅きに失した感もあり、失われた100年という感じがしますが、明治初期に提案されながら骨抜きにされ、黙殺された主張を再検討する価値は十分にあります。

福沢諭吉が軽蔑していた薩長の鎖国攘夷論者は政権をとると、豹変して果断な進取的開国主義者に変身し、維新後矢継ぎ早に革新的な政策を断行しました。特に明治4年に武士の既得権をばっさりと断ち切り、「廃藩置県」を実施したことは福沢諭吉にも予想外のことで「当時吾々同友は三五相会すれば則ち相祝し、新政府の此盛事を見たる上は死するも憾なしと絶叫したるものなり」と驚喜させました。今日この明治の大改革に匹敵する政策は中央集権体制を解体して、地方に権限を移行させる「道州制」であり、平成版「分権論」の具体化です。

平成2年に東京への一極集中を是正するため「首都機能移転」が国会で決議され、本年5月頃までに首都移転先が選定されることになっています。しかし、いまや高度成長は過去のものとなり、首都移転より首都機能そのものの見直しと、税制を含めた地方分権のありかたの方が問われており、福沢諭吉の「分権論」の具体化こそ、首都機能移転に際し考慮すべきでしょう。
東工大の原科幸彦教授は国土交通省のオンライン講演会のページで「首都機能移転は道州制の導入とセットで実現を」と提案され「首都機能移転の目的に一極集中の排除が唱われていますが、ただ今の東京が移動するだけであれば、あるいは現在のシステムの中での首都機能が移転するだけであれば、一極集中の排除にはあまり効果がないと思います。一極集中を排除するためには、まず、首都機能そのものを見直す必要があります。私は、分権化を本当の意味で進めた上で、純化した首都機能を移転させるべきだと考えています。直接的に申し上げると、道州制で社会のシステムを変えていくことが必要だと思います。道州制に変えていって、連邦政府に相当するような機能を首都機能とするのであれば、機能が随分シンプルになり軽くなるはずです。そうなれば立地条件も、都市の作り方も変わってきます。今考えているような規模ではなく、ずっと小さな規模の立地選定をすればいいわけです。」と述べています。
URL>http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/index.html参照

日本を人口500〜2000万人程度の8〜12個の州に分け、福沢諭吉のいう「治権」は州の権限とし、国家の権限は為替管理、危機管理、条約締結権のような「政権」のみに限定すれば、必要な首都機能は著しく縮小され、中央省庁と霞が関のような巨大官庁街は不要ということになります。石原都知事が試算する20兆円の予算は不要であり、原科教授も述べている通り、分権化を進めて道州制にすれば、1兆円も必要ないかもしれませんし、そのぐらいの規模の首都機能であれば、東京都も反対しないでしょう。
中央省庁の縮小で国家予算を大幅に削減し、中央省庁が所有する不要資産を売却すれば国家財政の再建に大きく寄与することが出来ます。「小さい首都」建設に併せて「道州制」を基礎にした税制改革を断行して人心を一新し、日本経済の再生を計ってこそ骨太の改革にふさわしいものです。年間50兆円程度の歳入しか期待できないのに放置すれば1000兆円を超えると予想される途方もない額の借金返済に目途をつけるには、少々予算を削減したり、既存の組織を組替える程度の改革では不十分です。
不要となった霞ヶ関の官庁街を民間に売却し、国家予算を大幅に縮小する場合の最大の問題点は中央省庁と関係する公的機関に在籍する人たちへの失業対策です。今日の公務員は江戸時代の武士に相当するので、公務員が抵抗勢力となって改革に反対するのは当然のことで、行政のリストラで大量の失業者が出ては、平成版西南戦争が起こりかねません。福沢諭吉に学ぶべきはこの点にあり、「独立不羈」「一身独立」のために真の「学問」の実践が必要です。「学問のすすめ」には「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず。」とし「自ら心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財に依らざる独立なり、人々この独立の心なくしてただ他人の力に依りすがらんとのみせば、全国の人は皆依りすがる人のみにて、これを引受くる者はなかるべし。これを譬えれば盲人の行列に手引きなきが如し、甚だ不都合ならずや。」「独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり。」と述べています。また、「誠実なる良民も、政府に接すれば忽ちその節を屈し、偽詐術策をもって官を欺き、かって恥ずるものなし。」「私に在っては智なり、官に在っては愚なり。」「維新以来、政府にて、学術、法律、商売等の道を興さんとして効験なきも、その病の原因は蓋しここに在るなり。」として、官業の愚かさを指摘していますが政府の行う公共事業に纏わる不正が後を絶たないことなど、この指摘は今日でもそのまま適用できます。政府はわが国のIT革命のためと称してパソコン教室や公的機関にお金をばらまいていますが、貴重な税金の無駄使いに終わることでしょう。

福沢諭吉が「一身独立」のためにすすめる「学問」は「実学(サイエンス)」であり物事の道理をわきまえることこそ真の学問とし、文字だけの「虚学」を排斥しました。「数年の辛苦を嘗め数百の執行金を費やして洋学は成就したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎き人なり。これらの人物は、ただこれを文字の問屋と言うべきのみ。」と述べていますが、文字を中心とする今日の大学受験のための学問は「虚学」であり、この「虚学」で大学受験と公務員試験を首尾よく通過した官僚が役に立たないのは当然のことです。心ある官僚、公務員は一刻も早くこのことに気づき「実学」を身に付けて転進を図るべきでしょう。

(註:恥ずかしいことですが、私は還暦を過ぎるまで「学問のすすめ」をはじめとする福沢諭吉の書籍は何一つ読んだことがなく、「フィナンシャル・リテラシー」が乏しいことを、大いに反省している次第です。)

文京区 松井孝司(tmatsui@jca.apc.org)

生活者通信第78号(2002年2月1日発行)から転載


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