――住宅を建てたい。でも工事のためのお金は、結局500万円くらいしかない
計画段階で話がこのような成り行きを見せたとき、僕は絶望のあまり卒倒しそうになった…というのはウソで、非常識な話だとなかばあきれていたのは確かだけれど、心の片隅で微笑んでいたように記憶している。「なんだかわくわくしそうな予感がするじゃないか、この話?」と。
――500万円だから、住みづらくたって文句は言わない。その代わり、面白い住宅をつくってほしい。できるかな?
面白い住宅がつくれるかと聞かれて、できないと答えるようなら建築家なんてやってられない。
できる。そう答えたばかりに、それから長いあいだ僕は苦労することになったわけだ。
僕がこの一見非常識な話を、わくわくしそうだと直感した根拠はたったひとつだけ。「非常識な条件を逆手にとって、こんな条件だからこそ可能になる住宅、というのがきっとあるはずだ」と、そう思ったからだった。根拠というにはあまりにあいまいに見えるかもしれないが、僕の自信の裏づけはそこにあった。
極限の低予算でやるからには、装飾はおろか仕上げ材さえろくに使わないだろう。建築の骨格がそのまま見えているような、力強い空間がつくれるに違いない。普段建築の常識で隠蔽されている部材や設備配管なども、あっけらかんと日常生活の風景に溶け込むような面白いものになるだろう。
高級な素材とか、デザイナーの自己満足でしかない凝ったディテールとか、一過性の流行のスタイルだとか、そんなものをすべて吹っ飛ばしてしまうような痛快な建築が、きっとできるはずだ。
僕はそう考えたからこそ、「できる」と答えたのだった。
それに藤井さんには、他の点でも施主として非常識なところがあった。普通の住宅の施主は、住宅を、「家」つまり「家族、家庭を入れるもの」という発想がする。しかし藤井さんにはそれがなかった。「住宅」はまず住むためのもの、つまり自らの「生活を入れるもの」だという認識しかなかった。
たまたま藤井さんが独り者だったからそう発想したのだ、ということにとどまらない。かりに家族がいたって、これか らの住居は、まず「生活そのもの」を入れるべきものであって、「家」だの「家庭」だのなんて、あとから考えればいい。仮に大家族で住む住宅だって、まずその「生活の容器」として考えることはできる。
そういう、いわば「新しい容器」としての住宅を、ここで提案することができるに違いない。これを建築家としてやりがいのある仕事と呼ばずして、ほかに何があるだろうか。
藤井さんと工事費の打ち合わせをする途中から、僕の頭のなかにはすでにイメージがいくつも浮かび始めていた。
太陽の光が一日の生活のリズムを作り出してくれるような住宅。
狭いけれどそこを歩き回っていると、ダイナミックな小説を読んでいるような感覚になる空間。
材料はめちゃめちゃチープでできているのに、なぜかおしゃれな部屋。
中に閉じこもっていても、世界と緩やかにつながっていることが実感できるような住宅…。
それもこれも、こんな条件だからこそできるはずだ、そう僕は考えていた。
この低予算で住宅をつくるからには、すべてを工務店に任せたのではできやしない。それはかなり早い段階からわかっていた。施主や僕自身、僕の事務所のスタッフや教えている大学の学生、知り合い知人友人、総動員で素人工事をこなして、やっとこの住宅は可能になる。
それもまた、わくわくすることのひとつだった。実際、旧知現在の仲を問わず、皆でわいわいがやがやと、ああでもなこうでもないと話しながらひとつの住宅をつくった数ヶ月間は、本当に楽しい時間だった。
肉体的には相当しんどい月日だったことは素直に認めよう。でも建築をやっていてこれほど無条件に楽しい時間を過ごせることは、ほかにそうそうあることではない。
素人工事で出来上がるものは、工場で生産されるもののようには美しくない。しかしそこには、つくったものの手の痕跡が、長く残る。この住宅にかかわったものたちの意思と、想いと、喜びが刻まれる。
この時代、ここでしかありえなった住宅が、姿を現すだろう。そしてこれもまた、建築の本来の力のひとつなのだ。