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エベレスト登頂に失敗し二人の仲間を失ったカメラマン深町誠は、カトマンズの裏町で1台のカメラをみつける。そのカメラがあのジョージ・マロリーのものであれば、「マロリーは死の前にエベレスト登頂を果たしていたのか」というエベレスト登頂史上の謎が明らかになるかもしれない。カメラに入っていたはずのフィルムを求めるうちに深町は消息を絶っていた孤高のクライマー羽生丈二に出会う。その生のすべてを登山にかけ、さらなる高みを目指す男、羽生。なにものかに牽かれるように羽生の軌跡を追う深町。ヒマラヤを舞台に男たちの壮絶なドラマが展開される。
ともかくも圧倒的な迫力のある山岳小説である。私は登山のとの字も知らない人間だが、それでも8000mを越すヒマラヤにおける苛烈な環境と山自体の荘厳なまでの存在感を感じ取ることができる。凄まじいまでの寒さと、その中でひたすら山に登ろうとする男たちの熱さの対比が素晴らしい。
小説の中では山に登る理由、人生ついての思索などがさまざまに語られるが、最後にはすべてのものが「山に登る」という行為に収斂していく。そこにはどのような理屈も存在せず、すべての思索は、より高いものを目指すという営みに渾然と一体化していく。文庫版上下巻1000Pを一気読みである。
物語としては当然★★★なのだが、あえて★★としたのは、せっかくの羽生丈二の造形が、あまりにも実在の登山家、森田勝に依り過ぎていると思われるところ。この点は著者自身が、羽生の人物造形に際しては、森田勝と加藤文太郎を念頭においたと明言しているので、作品の傷ということではないのかもしれないが、もう少し工夫してもよかったのではないかという気がする。あと長谷常雄のモデルも明らかに長谷川恒夫。著者の力量なら、実在の人物を参考にしつつ、換骨奪胎した別の人物を造形することが十分可能であったと思われる。
(参考)森田勝については「狼は帰らず(佐瀬稔:中公文庫)」、加藤文太郎については「孤高の人(新田次郎:新潮文庫)」が詳しい。
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世の健康ブームに疑念を呈する書。
著者(お医者さんです)は、検査の精度が高まることにより異常が「創り出される」という状況などを紹介しながら、人間ドックや健康診断は病気の早期発展に役に立つのか? スポーツは身体にいいのか? 肥満は早死ににつながるのか? 等々世間一般で常識とされていることについて疑問を提起していく。途中、要所要所に健康・医療に関するクイズが挿入されているが、正解の意外さに驚くことも多い。
イデアルな「健康」などはないのだから、そんなものにとらわれるなというメッセージはよく伝わってくるが、じゃあどうすればよいのかということについては本書はあまり教えてくれない。「どうすればよいか」という発想自体が悪しき健康指向にはまりこんでいるということなのかもしれない。
しかし、誰しも心身の状況が良いのにこしたことはないのだから、そうはいっても「健康」は気にならざるを得ない。まあ、あまり検査に頼りすぎず、年をとったら身体の衰えがでてくるのは自然の摂理とわきまえ、無自覚に鳴らない程度に「健康」に気をくばった生活をしましょうといったところなのだろう。毎週「発掘!あるある大事典」を見ているような人は読めばよいかもしれない。
なお、著者のサイトはこちら。こんなに多くの著作がある人とは知らなかった。
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○少年法を問い直す (黒沼克史 講談社現代新書)★★
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マスコミをにぎわせる少年犯罪の頻発(注)に伴い、少年法の改正論議が喧しい中で、時宜を得た好著である。著者はフリーのノンフィクションライター。「少年にわが子を殺された親たち」(草思社)という著書もあり、少年犯罪を追いかけてきた人。法律の専門家ではないが、逆に問題の本質を抑えた議論が読者にもわかりやすく展開されている。
著者は、少年法の歴史的な成立過程を踏まえ、現在の少年法には構造的な問題があると指摘する。真実の発見の重視と被害者側の視点という観点から少年法を抜本的に改正すべきと説きながら、一部にみられる安易な重罰化や刑事対象年齢の引き下げという議論には警鐘をならす。
著者の考え方に賛成するかどうかは別としても、刑罰主義と保護主義の関係に思想的な整理を行うべきという主張は、少年法議論の核心を突くものであり説得力がある。
なお、著者が強調する「被害者の権利」の重視という視点は、本来、すべての犯罪に共通であり少年犯罪に限られるものではない。ただ、加害者との関係でいえば、少年犯罪においては、応報主義的な思想が濃い被害者感情への配慮と少年保護思想との衝突が顕著に現れてくることは否定できない。思想的な方向性に抵触が生じる場合には、双方の要請を勘案しながらバランスのとれた妥協点を見いだしていくしかないのであるが、著者の提唱する真実を発見する体制の強化という観点からの対審構造の導入は対応策の一つとして真剣に検討すべき選択肢であると思う。
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(注)少年犯罪の絶対数自体は戦後顕著な減少傾向にある。この意味で、少年犯罪が近時多発しているとの認識は必ずしも正しくない。一方で、過去数年間という短期間を捉えた場合に増加傾向にあることも事実である。この増加傾向がいわば統計のブレの範囲なのか、継続的に続くものかは注目していく必要がある。
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○コンセント (田口ランディ 幻冬舎)★
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ネットコラムニストとして人気の高い田口ランディの処女小説。各種書評においても軒並み好評のようだ。
物語は、金融ライターをしている主人公の朝倉ユキが、アパートの一室で変死をとげたひきこもりの兄の死の理由を追い求めるうちに、「コンセント」をキーワードとして新しい自己を発見してゆくというもの。どこかの書評にもあったように先の読めない展開だが、途中からどんどんニューエイジ系に傾斜していく。この点をどうみるかが評価の分かれ目だろう。小説自体としては大変おもしろく読めたので★★でもよかったのだが、私は基本的にはニューエイジ系のものの考え方には疑問をもっているので★とした。
幻冬舎の「コンセント」の公式サイトをみると朝倉ユキ名で次のようなコメントが載っている。
「「コンセント」はとても強い感応力をもっています。他者と簡単に感応してしまいます。感応とは何なのか考えてみました。それは波長の共有のように思えます。相手の波長と共振することで自分を変質させてしまえるのです。(中略)ひとつ感じるのは、私たち「コンセント」は、その感応力によって「ひとつ」を共有する可能性があることです。ひとつの意志、ひとつの強い願い、ひとつの思い。そんなものに「コンセント」は感応し、共振することができます。もし「コンセント」が世界中に溢れたら、私たちは「ひとつの望み」を伝えあうことができる。」
私は、このような「ひとつ」のものを追い求めるという思想には強い疑念を有している。古くはアーサー・ケストラーのホロンやユングの共通無意識にも通じるこのような考え方の背景には、いわゆる要素還元主義的な科学観に対するアンチテーゼがあるのだが、このような全体論的な思想は、徹底的にものごとの解像度を高めようという努力を放棄した一種の逃避ではないかと思えてならない。
さらにいえば、他者は所詮別の個体であり、真に他者の考えていることはわからないという前提に立ちつつ、かつその限定性の中で社会的な関係性をいかに結んでいくかといういうことこそが重要ではないか。特殊なツール(感応力)により「他者」を理解することが可能になるという考え方は極めて安易な感じがする。
もう一つ、上記公式サイトの表現の中に、「私の友人が「100億という単位が次元のゲ−トだ」と言いました。脳細胞は100億を越えたところで意識を持ちました。なにかにつけて100億という数を越えると、そのもの自体がある質的変容を遂げるらしいのです。だとしたら、100億人を越えた時に、人類は質的変容を遂げるのかもしれません。」などという一文もあるが、これなどもニューエイジ御愛用の「100匹目の猿」そのままの考え方であり、ちょっと勘弁してよといいたくなる。
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○あやし(怪) (宮部みゆき 角川書店)★
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"江戸ホラー短編集"という謳い文句だが、ホラーというよりは奇談集だろう。江戸の商家の奉公人の身におこるさまざまな怪異を、人間の心の機微に分け入る描写でうまく描き出している。
決して悪い作品ではないのだが、好みの問題でいわせてもらうと少し食い足りない。本作のような趣向の場合、読んでいて"怪"の世界の雰囲気がもう少し濃厚に伝わってきてほしい。宮部作品は全般的に人物造形という面で、よく言えば品の良さ、悪くいえば弱さがあり、本作品の場合もそれが影響しているのではないかと思う。
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○お骨のゆくえ (横田睦 平凡社新書)★
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こういう表題の雑学本的要素を持つ本にはつい手をだしてしまう。
井上章一あたりだと、同じ主題でもう少しおもしろい書き方をするかもしれないなと思いつつも、あまり外連を狙わず、日本の火葬事情や墓地事情についてきちんと(かつ、やや不器用ながらできるだけ興味深く)解説論評しようとするスタイルは好感が持てる。葬式関係に関心がある人はどうぞ。、
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○防壁 (真保裕一 講談社文庫)★
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警視庁SP、海上保安庁特殊救難隊、自衛隊不発弾処理隊、消防士という生命の危険と隣り合わせの職業を持つ男を主人公とする4編からなる短編集。恋愛問題など人間であるがゆえにどうしても排除できない意識との葛藤に悩みつつ、プロ意識に徹して行動しようとする主人公の姿が描かれる。著者の短編集は「盗聴」についで2冊目。「盗聴」は長編を無理に短編に組み立て直したようなところがあったが、本作品では各短編の完成度はより高いものになっている。著者得意の綿密な調査に基づいて描かれる特殊な職業の描写も興味深い。
ただ、このようなスッキリとした短編は別に真保裕一がわざわざ書かなくてもよいという気がする。個人的好みからいえば、真保裕一には、もっといろいろな要素を沢山盛り込んで、力強いストーリーテリングでぐいぐい引っ張ていく「ホワイトアウト」や「奪取」のような長編を書いてもらいたい。
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牛丼屋で働くごく普通の青年シュンペイのもとに悩みを抱えた若い女性が訪ねてくる。お目当てはシュンペイの同居人である超能力者ヨーノスケ。ごく弱い超能力しか持たないヨーノスケが依頼に応えようと奮闘する横で、もう一人の同居人であるイッカクが事件について論理的な推理を展開する。さて事件の真相と顛末は....。という全く同じ構造の短編七編からなる連作短編集。
著者が物語の枠組みを決めてそのなかでさまざまな芸を披露しようとした趣向。ミステリ的側面は弱いが、優れて論理的なイッカクの推理がとぼけた真相でひっくりかえるのがミソか。ワンパターン構造も、本作のように調理の手際がよいと水戸黄門的楽しさが味わえる。そのうち続編もでるのではないか。
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週刊文春連載中のおなじみのテレビ時評の文庫化。安定したおもしろさは相変わらず。お好きな人はどうぞ。
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○朗読者 (ベルンハルト・シュリンク 新潮社)★★★
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各書評絶賛の世界的ベストセラー。
15歳の少年ミヒャエルは、ふとしたことで知り合った20歳も年上の市電の女性車掌ハンナと恋に落ちる。ミヒャエルはハンナに性のてほどきを受け、また、ハンナの求めに応じていろいろな本を朗読して聞かせる。そんな日々を過ごすうちにある日ハンナは忽然と姿を消し、そして数年後に二人は思いがけない場所で再開する。それは....。
ミヒャエルとハンナの出会いと別れが瑞々しく綴られる第一部、全く趣が代わり意外な場での出会いを通してハンナが背負っていた過去の秘密が明らかにされる第二部、ハンナとの関わりを通してミヒャエル自身の自己への対峙を描く第三部。少年と大人の女性の恋愛、国家と個人、戦争と贖罪、歴史認識と責任などの各種の要素が静謐でありながら緊張度の高い文章で構成され、さらにはミステリー的な要素をうまく盛り込みつつ、完成度の極めて高い物語になっている。読後、深く心に沁み入ってくるものがある。とにかく読んで欲しい一冊である。
作品の持つ雰囲気がどことなくマイケル・オンダーチェの「イギリス人の患者」を思わせるものがあるなと考えながら読んでいたところ、訳者あとがきによれば、映画化の計画があり、「イギリス人の患者」や「リプリー」のアンソニー・ミンゲラが監督するとのこと。納得できる人選である。映画も是非みてみたい。
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○Go (金城一紀 講談社)★★★
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在日の高校生を主人公にした青春小説。123回直木賞受賞作品。
まずもって主人公がカッコイイ。高校進学時にそれまでの朝鮮学校ではなく日本の普通制高校に進学したことで、以前の仲間からは疎外され、現在の高校においても孤立しているのであるが、その中で何らめげることなく、喧嘩をし、数少ないが心通い合う友人とつき合い、そして日本人の美少女と恋をする。主人公以外の登場人物も皆それぞれしっかりとした存在感があり魅力的。特に主人公の父親が際だってよい。主人公のカッコよさもこの父親には負ける。どう良いかというのは説明しにくいので、とにかく読んでもらうしかない。
強いて言えば恋人役の少女の描き方に違和感があるが、これは作者があえて他の人物とはずらした描き方を意図しているのかなとも思う。なお、ラストもやや通俗的なのだが、本作品にはこのラストがよく似合う。
「在日」という立場から、民族問題、差別問題をいう深刻なテーマに触れながら、類書にない疾走感と心地よい読後感のある青春小説の秀作に仕上げた著者の手腕は見事。お奨めの一冊である。
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「羊達の沈黙」「ハンニバル」に先立つレクター博士シリーズの第一作。読む前はレクターが捕まるまでの話と思いこんでいたのだが、実際にはレクターは物語が始まる時点で既に逮捕されて精神病院の厳重な監視病棟に収監されているという設定。
本作の主人公はそのレクターを逮捕した異常犯罪捜査の専門家ウィル・グレアム。満月の夜に繰り返される猟期犯罪を解決するためにクロフォード部長の要請によりFBIの捜査に協力するのだが、報道によりグレアムが自分を追っていることを知った犯人「赤い竜」に逆に狙われることになる。
「赤い竜」の造形が緻密に描かれており、サイコ趣味が横溢していてGood。ブレイクの引用も物語に見事にはまっている。また、盲目の女性と知り合う事による生じる犯人の心的葛藤なども読ませる。レクターは出番は必ずしも多くないが、グレアムの求めに応じ犯人像をアドバイスするその一方で犯人とも接触しグレアムの家族を狙わせるようし向けるなど要所を締める「活躍」振り。
物語の基本構造は「羊達の沈黙」とほぼ同じ。本作をさらに彫啄して洗練させたのが「羊」といったところか。その意味で「羊」を先に読んでしまうと、相対的にやや粗さがみられるという点はあるものの、本作はこれ自体として一級のサイコミステリー小説であることは間違いがない。
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エリゼ宮(フランスの大統領府)の饗宴がフランス外交に占める役割を論じた書。著者は毎日新聞の元パリ支局長。食文化と政治というまさにフランスという国ならではの取り合わせに着目した著者の目の付け所が秀逸。
ところで、「エリゼ宮の晩餐」といわれてどのようなものを想像されるだろうか。何となく2,3時間にわたる贅をつくしたフルコースといったものを想定されるのではないだろうか。本書によれば、実際の料理は、前菜、主菜、サラダ、チーズ、デザートの五品、ワインはシャンパン、白、赤の三種類。過密な外交日程をこなす賓客の負担にならないよう会食の長さは五十五分に決まっているとのこと。しかし、この限られた料理とワインの組合せのバリエーションからホストのフランスがその賓客に対してどのような政治的評価を行っているかが如実に示されているのであり、日本の首相を含め過去の様々な晩餐の実例を挙げながらの著者の分析は極めて興味深い。もちろん政治の話は抜きにしても、紹介される料理の種類、ワインの銘柄をみていくだけでも、フランス料理好き、ワイン好きにはたまらない一冊となっている。
なお、著者は現在、毎日新聞外信部長。新潮社の会員制月刊情報誌 Forsightで「饗宴外交の舞台裏」という一ページのコラムを連載している。
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パリのカルチェ・ラタンを舞台に、何とも頼りない若い夜警隊長ドニ・クルパンとクルパンの元家庭教師で皮肉屋で素行不良だが頭脳明晰・眉目秀麗、カルチェ・ラタンきっての俊才との声望が高い学僧マギステル・ミシェルのコンビが様々な事件を解決していく冒険譚。両者はいくつかの事件を解決するうちに、神学絡みの大規模な陰謀に巻き込まれてゆくことになる(陰謀部分の描写がオウム事件を意識したものになっているのはご愛敬)。時代は旧来のキリスト教が行き詰まり、宗教改革と反宗教改革の動きが勃興しようという16世紀初頭。クルパン、ミシェルの両者を取り巻く登場人物もカソリック改革派であるイエズス会の創始者イゴナ・デ・ロヨラとフランシスコ・ザビエル、さらにはプロテスタントの雄ジャン・カルヴァンと多彩である。
佐藤賢一のことであるから本書もひとまず読ませるのであるが、作品の出来としては同じ著者の作品の中ではやや低い評価としたい。本書全体がドニ・クルパンの回想録という体裁をとっているため短いエピソードを積み重ねるという構成をとっているが、必ずしも成功していない。全体のつながりがぎくしゃくとした印象を受ける。佐藤賢一の作品は描写の荒っぽいところはあるが、それを補うストーリー展開のダイナミズムがよいのであるが、本書ではそのようなダイナミズムが影を潜めてしまっている。また、主人公ドニ・クルパンの描き方が過度に戯画化されているのもマイナス。
本書は、ドニ・クルパンの回想録という仕立てといい、神学論争をふんだんに盛り込んだ内容といい、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を意識していると思われるが、それにしては中途半端。願わくは神学論争もっと踏み込んで書いて欲しかった(薔薇の名前のおもしろさの多くは、徹底した神学論争に部分に負っている)。なお、著者は後書きで、ドニ・クルパンをいかにも歴史上の実在の人物のように解説しているが、これは著者のお遊びであろう。
さらにもう一点、時代背景との関係でやむを得ないのかもしれないが、女性の描き方があまりにも通俗的。実は、この点は佐藤賢一の著作全般についていえることである。常に男性の視点で物事を描いており、それ自体は著者の作風ということでよいのだが、本書における女性描写はややいかがなものかという部分が散見される。もう少し工夫してもよいのではないかと思う。
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インターネット取引のセキュリティ対策を普通のユーザーにもわかるように解説した時宜を得た書。
現在、インターネット取引に使われている主要な暗号通信方式であるSSL(Secure Socket Layer)やクレジットカード決済に使われる通信プロトコルであるSET(Secure Electronic Transaction)についての素人向け解説としては、少なくとも私が読んだことのある範囲では最も正確でわかりやすい。私は、SSLについては、これまでの類書ではどうもよくわからない部分があったのだが、本書でようやくその仕組みの全体について納得のいくように把握することができた。
まあ、一般ユーザーとしては、技術的な仕組みがわからなくてもセキュリティ意識を持って情報通信ツールを使用すればそれでよいのではあるが、本書程度の背景知識があれば、よりセキュリティ意識が高まるのではないかと思う。技術には詳しくはないが、セキュリティには興味がある人は一読の価値がある。
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社会学者である著者が、世にあふれる様々な社会調査を実名を挙げて「ゴミ」と指摘し、統計調査の考え方の基本を解説しつつゴミを見分ける方法(リサーチ・リテラシー)の必要性を提言する刺激的かつ有益な書。本書を読めば、我々がいかに日常的にマスコミ等を通じて、客観性を装いつつ実はいい加減な調査に接しているかを痛感させられる。私は、本書読了後、新聞記事で統計調査を用いた記事を読む度に当該調査の妥当性を従来より一層意識するようになったが、そのような意識を持つようになるだけでも十分に目を通す意義のある書であると思う。
本書で取り上げられている不適当な調査の例を一つあげておく。対象となる記事は以下のようなものである。
- <暴力TV、子供に影響/なぐる・ける・・・と相関/小中学生を総務庁調査>
- テレビ番組で暴力シーンを見ることが多い子供ほど暴力行為や、万引き、喫煙など非行・問題行動に走りやすいことが、総務庁の調査結果で明らかになった。(後略)」(「朝日新聞」その他。1999.10.31)
これに対し、著者は「いつも不思議に思うのだが、このような調査を計画し、勝手な結論を出しては新聞社などのマスコミに流す人間というのは、いったい何を考えているのだろう。特定の意思(悪意)があってのことなのか、それとも単に頭が悪いだけなのか。ただ「相関があった」と言えば済むところを、「○○が××」に影響などと証明もできていないことを発表するのは、総務庁が調査に詳しい人間を何人も抱えていることを勘案すると、何らかの目的を持って民衆を騙すためではないかとも思われる。」と述べた後、[TVの暴力シーン→子供の非行]という因果モデル以外にも[親の育て方→子供の暴力的な性格→暴力的なTVをよく見る、暴力・万引きなどの非行]といったモデルや[すぐ、なぐる・けるような性格→暴力TVをよく見る]という別の因果モデルの可能性を提示し、[暴力TV]が[暴力や万引き]の原因であると結論づけることがいかに乱暴であるか指摘する。
この事例のように単なる相関関係から、恣意的に因果関係を導き出して説明する事例は、非常に多く見受けられるところであり、注意が必要である。
なお、本書と併せて、この分野の古典的名著であるダレル・ハフの「統計でウソをつく法」(講談社ブルーバックス)も未読の方にはお奨めしたい。
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キツネ目の男、宮崎学が、中坊公平型正義に疑問を呈する一冊。
話しの発端は、オウム事件の麻原の主任弁護人も努める安田好弘弁護士が、98年の12月に住専の不良債権絡みの強制執行妨害容疑で逮捕されたこと。債権者は中坊公平氏が社長を務める(当時)住宅金融債権管理機構(住管機構)。著者は、我が国最良の弁護士の一人と評価する安田弁護士の逮捕、及び警察の求めに応じた住管機構による安田弁護士の告発という一連の動きの中に弁護士が体制内に取り込まれる「白いファシズム」の動きを感じ取る。安田弁護士の救援に乗り出すとともに、一般には正義の士として評価されている中坊氏を「白いファシズム」の推進者として厳しく批判する。
本書の後半で、著者が住専機構に乗り込み、弁護士である住専の幹部と討論を交わす場面がある。私には幹部弁護士の発言は現実の社会に暮らしていく上でそれなりに自然に受け入れやすい考えのように思えるのであるが、著者はこの住専幹部の言動に対して徹底して否定的である。我々がただ当然のように正しいと思っている価値観に対するアンチテーゼを提示するのは著者の真骨頂である。私は、著者と同じ立場には立たないが、現代社会において一種のバランス感覚を維持していく上で、著者のような提言は重要であると思う。
安田問題及び本書に書かれている内容の大半は著者のサイトの「安田弁護士逮捕事件総目録」で読むことができる。また、詳細な経緯については、厳選館の安田弁護士を支援する社長日記が詳しい。
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○ターン (北村薫 新潮文庫)★★
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本作は、「スキップ」に続くいわゆる「時と人」三部作の二作目。前作は、17歳の高校生が一足飛びに25年も時をとぶ(スキップする)という設定であったが、本作は主人公が通常の時間の流れから取り残され、毎日、同じ時間を繰り返す(ターンする)ことになるという物語。
主人公、森真希は、7月のある日に交通事故に遭うが、次の瞬間自宅でうたた寝から目覚めたところである。交通事故の夢をみたものと思い通常の活動を始めるのだが、街には真希以外人っ子一人いない。人間のみならず動物や昆虫さえも...。異変にとまどううち、翌日の午後、事故に遭遇したのと同じ時間(午後3時15分)になると、前日と全く同じ状態でうたた寝からさめる自分に気付く。あらゆる事象が1日経てばすべてリセットされてしまうため、自らの記憶の他は記録もメモも残すことはできない世界で主人公の苦悩が深まる中、ある日、突然、電話が鳴る。通常の世界と偶然つながったその1本の電話を頼りに主人公の「闘い」が始まる。
北村薫の物語の主人公はいつも前向きである。本作においても主人公は何の変化もなく繰り返される日々の中であるからこそ「今」の大切さを徐々に認識していく。その姿は、力強く、心地良い。
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沖縄県知事を2期8年勤めた著者が、知事在職中に経験した普天間基地返還の経緯を踏まえて、現在、名護市辺野古地区に計画されている県内移設の不当性を述べ、沖縄を基地のない平和の島にするべきことを訴える平和希求の書。
私は、著者の書かれていることは一人の学者の意見としては首尾一貫していえう。また、知事としても、行政責任を担うという現実を踏まえつつ、最大限の努力をされたとも思う。ただ、あえていえば、著者の主張は運動論としては「正しい」と思うが、仮に現在計画されている県内移設を著者のいうように白紙に戻した場合、少なくとも相当長期にわたり普天間飛行場の返還は実現しないであろうことは間違いない。著者が唱えるように、ハワイ等国外への移設を追求していくことは一つの選択肢であるうし、運動論としても首肯できる。しかし、5年、10年かかる事項であり、仮にこの道を追い求めるのであればその間基地問題は進展しないと思う。
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○ES細胞 (大朏博善 文春新書)★
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ES細胞(胚性幹細胞)とは、動物の初期胚より分離された細胞で、体内のすべての細胞に分化する可能性(分化全能性)を備えているもの。1998年にヒトのES細胞が発見されたことにより、臓器移植治療などへの応用が期待されるとともに、生命発生の根元に関わるものとして倫理面での新たな問題を惹起している。国際的に大きな話題になったクローン羊よりも、産業面、社会面における今後の影響は格段に大きいと言われている。
本書は、一般には断片的なマスコミ報道しかされていないES細胞をめぐる問題について、これまでの経緯、研究の現状、産業面における応用の可能性、倫理面での問題などを要領よくまとめた概説書。記述がややめりはりにかけ、読み物としてのおもしろみにはかけるが、ES細胞についてひととおりの知識を得るには便利である。
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