【音楽と距離感】
色々な音楽があり,色々な聴き方がありますけど,個人的には音楽と自分との距離感ということを意識しています。
昔の多くの歌謡曲というのは,自分にとって,作り手との距離が遠く感じられ,身近に感じられませんでした。
これに対してロックとかフォークとか言われる音楽が流行してくると,その全てではないにしても,自分と音楽との距離がとても短くなったように感じました。
これはレコード(ディスク)だけではなく,ラジオやステージにおいても強く感じました。
聴き手に語りかける様に唄うシンガーや,専門的な教育を受けていないところがカッコよくて,ガチャガチャとうるさい演奏,ジーンズのままのファションなど,全てが自分に近しく感じられました。
作り手との一体感が生まれたのでした。
偉い先生が歌手を鍛錬させ,型にはめていったのではなく,自然に(そんなのありえないけど)唄ったり,演奏したりする感じが音楽と自分との距離を縮めてくれました。
音楽は国境を越えて,耳に飛び込んできました。いわゆるニューシネマと言われたロックやフォークを音楽に起用した映画は,欧米と日本の若者との距離を感じさせませんでした。
自分が壊したいと感じたものを壊せと唄い,自分が作りたい,スキだと感じたものを作りたい,スキだと代弁して唄ってくれる歌手に共感したものです。
そういう音楽を作ったり聴いたりして生じた価値観(巧いとか下手だとかを含めて)は,既存の音楽の価値観とは異なっていたと思います。
ステージにしても,秒刻みで訓練されたプロによるものではなく,楽譜もなく,演奏も曲目もその場の雰囲気で進行するようなスタイルが好ましく身近に感じられました。
歌謡曲よりも欧米のバンドや聴衆と自分との方がずっと近いと感じたものです。
今でもこういう感じは自分に残っていて,キチッと構成されたマドンナのステージよりも,ルーズなシンディー・ローパーのステージの方がずっとスキです。
超絶テクニックを駆使する演奏スタイルよりも,ノリで勝負する様なロックン・ロールのが好みです。
しかし,こうして成長していったロックなどの新しい音楽が巨大なビジネスになっていき,ミュージシャンは金持ちになり,唄っている内容に説得力がなくなっていき,新しい音楽は全然新しくなくなってしまい,ロックは自分とは離れていきました。
これは70年代の文化の崩壊と呼応しました。
90年代に入ってから,また積極的に音楽を聴き始めたワタシです。
もはや音楽と自分との距離は昔ほど縮まってきません。
でもきっと聴く人によってはそうでもないんだと思います。ワタシにとってはとても遠いんですが,クラブシーンは聴き手と作り手の距離がずいぶんと近い様に思います。
あるいはインターネットを通じて配信されているある種のデジタル・ミュージックは,作り手と聴き手が同一だったりするんでしょう。
ロックが大衆音楽の一種であり,大衆音楽が聴衆に寄り添う音楽であるとしたら,XTCやキングクリムゾンの様な音楽よりも,必死に観客に近づこうとするSPEEDの方がずっと大衆的であり,ずっとロックなのかもしれません。
でも大衆に媚びない大衆音楽がロックであるとしたら,XTCやクリムゾンの方がずっとロックなのでしょう。
優れた音楽と身近な音楽,好きな音楽とは異なります。
身近な音楽と好きな音楽は近いですが,微妙に異なります。昔ロックは自分に一番身近な音楽でした。
いまロックというジャンルだけが身近で,好きな音楽ではなくなりました。
そういう意味では,ワタシにとってはロックはとっくに死んでます。
しかし,そうは言っても,いまだにロックとかロック的な音楽をたくさん聴いています。
あまりにも巨大で大きく広がったロックの中に,未だに身近に感じられるものもあります。
かつて細野晴臣さんは,ロックとは何か?と訊かれて,「アメリカの民族音楽」と答えました。
この意見が正しいとすると,日本人やワタシにとっての民族音楽とは何?
※本文は,以前PC−VANのMUSIC*SIG・#3(ロック)に書き込んだものに加筆したものです。