SAN-SYOKU-TEI
 
 
 
 
 

 
 
驟雨

 
 
- 後編 -


 

「飲みに行くのよ。あたし」
「外にかあ? 雨降ってるぞ?」
ガウリイが自分の姿を示しながら言う。
「いいじゃない、別に。この宿の下にだってお店はあるわ」
あたしはふいっとガウリイから顔を背けた。
ガウリイが渋い顔をするのが、視界の端に映る。
「………やめとけよ。あんまり客層よくないぜ、ここ」
「いいじゃない、べつに。あんたには関係ないんだから」
「待てよ、オレも着替えたら一緒に行くから」
あたしはぐるっとガウリイを振り向いた。
………こいつ、喧嘩中だってのを忘れてるんじゃないだろうか………。
「なんでついてくるのよ。勝手にするんでしょ? ガウリイ。あたしも勝手にさせてもらうから。さっきの色っぽーいお姉さんのところにでもどこにでも行ってくれば?」
ガウリイはきょとんとした表情をしていた。
だが、やがてその顔に人の悪い笑みを浮かべた。
「ふーん」
顎に手を当て、何やら考え込んでいる。
にやにやとしたその笑いが気に入らない。
「さ、判ったらどいてよ」
あたしはガウリイに凄んでみせる。
でも、ガウリイは綺麗にあたしの台詞を無視してくれた。
「やだね」
腕組みをして、半ば開いているドアにもたれかかる。
「オレはここ以外に行く気はないし、お前さんをどこかに行かせるつもりもないからな」
あたしはガウリイを睨み付けた。
「色気なしの小娘に何の用があるのよ」
「色気?」
ガウリイが器用に眉を片方だけ上げた。
「まあ、確かにお前さんには普段から色気が足りん気がするが」
がしがしと自分の頭をかきながらガウリイが言う。
「………」
あたしはぎりっと奥歯を噛んだ。
そのまま無言で、つかつかと戸口の方へと向かう。
ガウリイの脇をすり抜けて、あたしは部屋の外へと出ようとした。
だが、すれ違いざま、ガウリイに腕を掴まれる。
「待てよ」
「何よ」
あたしは怒り込めてガウリイを見た。
あたしの側にガウリイの青い瞳がある。
「───いいんだよ。お前さんは。色気振りまいてなくったって」
今はその瞳を見ていたくなくて、近づいてくる顔から顔を背ける。
わずかに甘い香りがした。
「───ちょっと、酔ってるでしょ───あんた」
「───悪いか───?」
ガウリイの答えは悪びれない。
「いいだろ。少しくらい。今日は、リナが冷たかったかんだから」
ぐいっとガウリイがあたしの身体を引き寄せた。
顔を背けたあたしの肩に、身を折ったガウリイの髪がこぼれ落ちる。
癖のない髪が、湿った感触を残しながら、さらりとあたしの首筋を滑って行った。
「やめ………」
「色気があるのないのって───オレだけが知ってればいいんだよ、そんなものは………」
耳元すれすれ、触れるか触れないかの距離に、熱を持った響きが落とされる。
「ちょっ………」
あたしは両手でガウリイを押し返そうとした。
でも、ガウリイは力を込めてあたしを引き寄せる。
ぐらりと傾いだ身体をガウリイがその腕で抱き込んだ。
振りほどこうともがいてみるが、もとより力で敵うはずがない。
大きな手で背けた顎を持ち上げられ、そのまま唇を重ねられる。
「………やっ………」
ガウリイの手に手を掛けてみても、その唇は逸らせない。
せめてもの抵抗に、ガウリイの胸を拳で叩く。
何度も───何度も、繰り返し。
でも、ガウリイは貪欲なまでの執拗さであたしを求め───。
自分の抵抗がいつしか止まっているのを───あたしは意識の端にぼんやりと感じた。
───どうして、あたしは───。
泣きたいような気分に襲われる。
でも、その思考すら溶かされていき………。
やがて、余韻を楽しむかのようにゆっくりとガウリイはあたしから唇を放した。
ぐったりと崩れ落ちかける身体を、力強い手が引き寄せる。
濡れているガウリイの身体の冷たささえ、もう意識には登らなかった。
瞳を閉ざしてしまったあたしの頬を、ガウリイの指先がすっと撫でた。
ぼんやりとした意識の中に、ガウリイのささやきだけが焼き付けられる。
「………ほら………。今のお前さん、すごく色っぽいぜ………リナ………?」
その言葉がゆっくりと染みてくる。
それにつれ、あたしの頬も上気して来るのが判った。
開いた視界に、人の悪い笑みを浮かべたままのガウリイが映る。
あたしはきっと視線をあげた。
「からかわないでよ」
感じていたのは怒りではなかった。
それはむしろ、悲しみに近い。
「からかわないで………ガウリイ。お願いだから」
ガウリイが少し真面目な表情になってあたしを見る。
「からかってなんかいない」
頬に、その唇が落とされる。
「からかってなんかない───」
その声に、何か狂おしいような色が忍び込む。
「オレは本気だ。他のヤツになんて見せられるかよ。勿体ない」
「ガウ───」
ガウリイはそれ以上の言葉を継がせなかった。
ガウリイの腕の中、あたしの身体から再び力が抜け───。
やがて緩やかにガウリイの身体に絡みついた。
 
 

「ほら、こっち来いよリナ」
ガウリイがあたしをソファーの方へと引き寄せる。
あたしは緩く首を振った。
構わずガウリイがあたしを引き寄せる。
それを───強くふり払うだけの気力はもうあたしには残されていなかった。
引き寄せられたあたしの身体は、そのままガウリイの膝の上に横抱きにされる。
せめてもの抵抗に、あたしはガウリイから顔を背ける。
ガウリイの顔を───そこに浮かぶ表情を見ていたくはなかった。
ガウリイの手があたしの髪に伸ばされ、なだめるように何度も行き来する。
やがて、こつんとガウリイの頭が、あたしの頭に押し当てられた。
「………まさか、お前さんがオレに妬いてくれるなんてな」
「妬いてなんかいないわ」
あたしは素っ気なく返事を返す。
くっくっと、ガウリイが低く喉の奥で笑う。
それは触れている部分をとおして、不思議な響きをあたしに伝える。
「───嬉しいよ───」
あたしの髪を一房ガウリイがその指に搦めとった。
軽くそれに口づけながら、
「でも、できれば、素直に言ってほしいな。オレのことを心配してたって」
あたしはたまりかねてガウリイを睨み付けた。
「ちょっと───。誰が、何を心配してたって言うのよ」
視線の先でガウリイが小さく笑った。
それは思いのほか穏やかな笑みだった。
あたしの頬から顎にかけての線をガウリイが指先でつっと辿る。
「心配してたろ? オレが誰かにとられるんじゃないかって。だから言っちまえよ。ちょっと会っただけの女に妬いちゃうくらい、オレのことが好きだって」
あたしはガウリイを睨め付けた。
「───あのねえ、どうしてあたしがそんなこと───」
「あれ? だってそうだろ?」
ガウリイが至近距離からあたしの瞳を覗き込んだ。
晴れた日の空を映し込んだような、青い瞳と視線が合う。
あたしはどうしても………身動きすることができなかった。
自分を偽るには───この距離はあたしには近すぎた。
ガウリイが言葉を重ねてくる。
「お前───。オレが今夜、ここに帰って来なくてもよかったのか? 本当に?」
「………………」
あたしは無言でガウリイから顔を逸らした。
ガウリイがあたしを抱く腕に力がこもった。
「ほら、リナ」
ガウリイが、その腕で深くあたしを抱き込もうとする。
「なんで、あたしがそんなこと───」
あたしはガウリイに抗議した。
でも、身体はガウリイの動きに逆らわない。
ガウリイが耳元で促すように囁いた。
「だって、言わせてみたいじゃないか。なあ?」
その響きがぞくりとあたしの背筋を振るわせる。
あたしは自分の手元に視線を落とした。
ガウリイは静かにあたしの答えを待っている。
あたしはようやく口を開いた。
「───あのねえ───わかりなさいよ、そのくらい───。あたしがそんなことを言うかどうか」
ガウリイが笑う。
「そんな台詞、思ったって素直に口に出せる性格かどうかって?」
「………………」
「わからないな。オレってクラゲだし」
ガウリイがにやっと笑ったのが判った。
そのままあたしの首筋に顔を埋める。
触れる吐息がくすぐったい。
身を捩ったあたしの身体をガウリイは更に強く抱き寄せた。
「言ってくれよ、オレに。一度だけでもいいから」
低く甘いささやきが耳元に、口づけが首筋へと落とされる。
首を振って逃れようとしても、ガウリイの手は緩まない。
「なあ………リナ?」
蒼い瞳に間近から覗き込まれ、あたしの言葉は、唇の上で消えた。
押し返すように力を込めていた手が、やがてはたりと膝の上に落ちる。
たっぷりと時間をとった後、ガウリイが耳元で囁きかけた。
その手が、あたしの髪を梳き流す。
「これでも、まだ、言ってもらえない?」
「何をよ………」
胸に顔を埋めたまま、あたしは力のこもらない声で小さくガウリイに返す。
「少しでもいいから───オレのことが好きだって」
「あのねえ………」
ガウリイがにこっと笑ってあたしの瞳を覗き込んだ。
「ちょっとくらい怒っていてもキスされるのを許せちゃうくらいオレのことが好きだって」
「あのねえ───」
あたしがあげた手を、ガウリイは難なく片手で押さえ込んだ。
「素直じゃないな」
ガウリイが再び苦笑して、あたしの手のひらに唇で触れる。
ガウリイの瞳が下から見上げるようにあたしを覗き込む。
「オレの方は、こんなにリナに参ってるのにな。他の女になんて眼も行かないくらい。今日だって………リナ以外のヤツと過ごしたくなんてなかった。だから帰って来たんだぜ」
再び、ガウリイがあたしの唇に唇を落とした。
そのまま、背中をソファーに押しつけられる。
あたしはゆっくりと瞳を閉ざして、ガウリイの身体を引き寄せた。
波にさらわれる前の一瞬、ガウリイのささやきだけが耳に残った。
「ま、今でなくてもいいから………後でゆっくり聞かせてくれよな………」
 
 

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