「じゃ、勝手にさせてもらうぞ」
「勝手にすれば」
ぱたんと大きな音を立てて、部屋の扉が閉まった。
あたしはそれを見送ると乱暴に椅子に座り込む。
ただでさえが余計な装飾のない宿の部屋が急に広くなったように感じられた。
両足を目の前にどさっと投げ出し、深くため息をつく。
「本当にもう、あいつときたら───」
鬱陶しい前髪をばさりと掻き上げ、ドアの方へと視線をやる。
発端は、些細なことだったのだ。
普段だったら見過ごしてしまうような、ほんとうに些細なこと。
それが、本気の喧嘩になったのはどうしてだろう。
「何よ、ガウリイが悪いんだから」
言い訳でもするかのように呟くと窓の外に視線を流す。
そう───あれはガウリイが悪い。
休憩をとろうと入った店で、あたしは少し席を外した。
席を外してる間に、テーブルには人が増えていた。
長い艶やかな黒髪を背に流した、清楚な感じの美人。
すらりと伸びた肢体は、バランスが取れていて、女性のあたしから見ても───綺麗に見えた。
あたしがガウリイの隣に座ると、彼女はゆっくりとこちらに視線を向けた。
仕事の依頼だってことだったけど、話の内容からいって、あたし達向きのものではなかった。
だから、しかるべき筋に相談することを助言して、あたしは依頼を断った。
ただそれだけで終わるはずだったのだ。
『ああいうの女性を色っぽいって言うんだろうな』
ガウリイのその何気ない一言がなければ。
ガウリイはあの通りのクラゲだから、思ったことを思ったままに口に出す。
だけど、その言葉は───あたしの心に突き立った。
だから───だと思う。
いつもなら受け流せたはずの言葉に噛みついてしまったのは。
でも───なんとなくいやだったのだ。
ガウリイの視線がずっと、その女性に止まっていたように思えたことが。
ずっとその女性を目で追っていたような気がしたことが。
彼女は、昔いっしょに旅をした、神官の女性にとてもよく似ていたから───。
「あーあ」
あたしはため息をついて横座りに椅子の背もたれに体重を預けた。
ひんやりとした木の感触が頬に触れる。
それが、とても心地よく感じられた。
ガウリイが保護者であることをやめてから───もう大分経つ。
ガウリイがあたしを求めて来たとき、あたしはそれに逆らわなかった。
それで何が変わるとも思わなかったし………何よりも、それがすごく自然なことのような気がしていたから。
まさかあの時には、こんなぐちゃぐちゃした気持ちまで背負い込むことになるなんて思わなかった。
「どうしてあたしがこんな思いしなきゃなんないのよ」
心が落ち込んでしまうのは、相手に期待しているものがあるからだ。
あたしは───いつの間にか期待していたんだろうか。
スライムもどきののーみそしか持ってないようなしょうもない相手に。
あたしは再びため息をついた。
「やっぱ、ちょっと早まったかな………」
こんなことになるなんて思わなかったから───。
思いきり椅子に身体を預けて天井を眺める。
木の椅子がぎしっと小さな音をたてた。
「なんか、これじゃあたしだけ馬鹿みたいじゃない。あいつからちょっかいかけてきたのに」
床の上でバランスをとりながらぎしっと椅子を揺らしてみる。
「人のこと、色気がないのなんのって散々言ってくれるけど、じゃ、そんなお子様相手にしたい放題してるあんたは何だって言うのよ。単なる犯罪者の変態じゃじゃないの。全く。昨日だって人を散々………」
はたっとあたしは口を閉ざした。
慌てて辺りを見渡すが、部屋の中にはもともと誰もいるはずがない。
それでも、小さくため息をつくと、無難な台詞に切り替えた。
「犯罪者。野生どーぶつ。お子様趣味の変態。クラゲモドキ。案山子。のーみそタルタルソース。それからそれから」
あたしはふっと途中で息をついた。
脱力した身体を椅子に預ける。
「───ガウリイの馬鹿───」
一日の終わりを迎える町の喧噪が、部屋の外に遠く聞こえた。
夕飯の時刻になっても、ガウリイは帰って来なかった。
帰ってきたく───ないのかもしれなかった。
待っているのも悔しい気がして、一人だけで夕飯をとる。
なんとなくぼーっと食べ物を口に運びながら、あたしは声をかけてきた兄ちゃん達を軽く4〜5人叩きのめし、身体に手を掛けたおっちゃんを2人ほど呪文でふっとばした。
人の視線に触れるのが煩わしくて、そのまますぐに部屋へと戻る。
二人分の部屋の中は、妙にがらんとしているような気がした。
自然と部屋の隅に置いた荷物に視線が行く。
本当なら、今日は、おとといまでの仕事が無事片づいた、そのお祝いをするはずだったのだ。
せっかくだから二人だけで祝おうとガウリイが言うから、奮発してシャンパンまで買ってきたのに。
あたしはこつこつと足音を立てながら窓に近づいて行った。
カーテンを引き上げ、窓枠に身を寄せて外を眺める。
ぱたぱたと小さな音がし、すっかり暗くなった窓に、ぽつぽつと水滴があたっているのが判る。
いつの間にか外は雨が降っていた。
「さいってー」
あたしはぼやいた。
ただでさえ鬱陶しい気分が、倍増されたような気持ちになる。
「これじゃ外に出たら濡れちゃうじゃない」
別に外に出るつもりもなかったけれど───部屋に閉じこめられるのもいやだった。
ストレス解消をしようにも、これでは盗賊いじめに行く気にもならない。
曇りかけたガラスを指先で拭う。
かなり激しい降りのようだった。
「ガウリイ、傘持ってたっけ………」
思わず洩れた言葉にむっとする。
ガラスに映った自分の顔がくしゃりと歪んだ。
「ちょっと下に飲みにでも行ってこようかな───」
気を取り直すように首を振った。
と、ガラス窓に映った扉がかたかたと揺れる。
驚いて振り返ると、ノックもそこそこにがたんと扉が開かれた。
背の高い姿が、部屋の中に飛び込んでくる。
「ガウリイ?」
あたしはびっくりして飛び込んできた人影を見た。
「ちょっと、あんた一体何やってんのよ」
「あーひでー。全く」
ぼやきながらぶるんっとガウリイが犬のように身を震わせる。
「ちょっと、冷たいっ」
はねとばされたしぶきを受けて、あたしはガウリイに文句を言った。
「あ、わりぃ」
全然悪いと思っていないような口調でガウリイが答える。
びしょぬれという程ではないが、結構全身が濡れている。
そのまま戸口に居座るガウリイに思いきり顔をしかめてみせる。
「ちょっと、そこどいてよ。通れないじゃない」
「へ? 何しに行くんだ。こんな時間に」
ガウリイがきょとんとあたしを見る。
「何しにってねえ………」
あたしはがガウリイを睨み付けた。
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