MAY
あの試合の事が人々の口に登らなくなってしばらく経った頃。
ヘブロンとファンガムとの国境で、小競り合いから小規模な戦闘が起こった。
リーガルもレイヴも、共に小隊を率いて敵軍の討伐部隊に加わっていた。
その秀でた実力を買われ、遊撃部隊として動いていた彼等は、思いの外激しい敵軍の追撃に遇って窮地に立たされた。
敵軍の陣構えなどの情報を本隊まで持ち帰るには、犠牲を出さなければ不可能と思われた。
「俺が、敵を足止めしよう」
リーガルがそう言い出したのは、レイヴに対して抱いていた罪悪感と無関係ではなかった。
復帰してからも、レイヴは自分の傷の事について何も言わなかった。いや、逆にリーガルを気遣うような様子すら見せた。
変わらず『親友』として接してくれるレイヴの気遣いが嬉しくもあり、同時に心苦しくもあったのだ。
「そんな‥‥俺が行く!」
顔色を変えるレイヴに、リーガルは苦笑した。この反応は、十分予想出来たものだった。
「我々の任務は何だ?この情報を何を置いても持ち帰る事ではないのか?」
「‥それは‥そうだが‥‥‥」
「ならば、より確実な方法を取るべきだろう。俺の方がお前より強い。お前が囮になるよりも、俺が囮になった方が確実にチャンスは増える。‥‥違うか?」
「‥‥‥」
レイヴが、不満そうな顔になった。
しかし、リーガルにはレイヴが反論する程の理由を思いつかないであろう事は分かっていた。
「分かったな?それなら、さっさと出発するぞ」
それ以上何も言わせないように、リーガルは短い打ち合わせを切り上げた。
―――――――
『必ず戻る』レイヴにそう言ったものの、リーガルは自分の言葉を信じていなかった。
いかに腕が立とうと所詮は多勢に無勢、レイヴの部隊を逃がすための戦いは、最初から勝算のない戦いだったのだ。
敵軍の強力な攻撃に、リーガルの部隊は一人、また一人と力尽きて行く。
そして、最後まで残ったリーガルも、もう限界だった。
馬を失い、血に濡れた全身を引きずるようにして、それでもリーガルは剣を振るい続けた。
何人の兵士を道連れにしたろうか‥‥やがて、傷ついた体は戦うどころか立っている事も叶わなくなる。
剣を支えに膝を突いた時、敵の刃が背中に食い込んだ。
振り返ろうとした脇腹を、別の敵の剣が抉った。
膝が他愛なく崩れ、倒れ臥す。
後の攻撃は、もう痛みを感じなかった。
灼熱感だけが全身を覆い、そしてゆっくりと意識が遠のいて行く。
―――何故、自分がこんな目に会うのだろう‥‥。
ふと、浮かんだ思いに、リーガルは戸惑った。
この戦いは国のため、何より親友であるレイヴのためにリーガル自身が選んだ道ではなかったのか?
しかし心のどこかに、割り切れない思いが残っていた。
―――何故、自分だけが死ななければならない?
追い払おうとしても捨て切れない、そんな気持ちを抱えながら、リーガルは意識を失った。
暗くて、何も見えない。
酷く、苦しかった。
全身がズタズタに引き裂かれて行くような激痛が襲い、呼吸もうまく出来ない。
苦しさの中でもがいていると、声のようなものが聞こえて来た。
《救ってやろう、その苦しさから‥‥》
どこからともなく声がした。
目の前に漂って来た光のような物、彼は反射的にそれに手を伸ばした。
瞬間、嘘のように全身の痛みは消え失せた。
相変わらず漆黒の闇の中を、リーガルはゆっくりと漂っているようだった。
《私は、堕天使ラスエル。お前に、新たな体を授けてやろう》
あの声が言った。
―――新たな、体?
心の中のつぶやきは、全て相手に聞こえていたようだ。
《そう‥‥お前の体は戦いの中で引き裂かれ、失われた。お前は、一度死んだのだ。だが、お前はまだ死ぬべきではない。私が、再び戦えるように新たな体を造ってやろう》
―――再び‥‥戦う?
一体、誰と戦うと言うのだろう。
《お前が、命を懸けて逃がした男‥‥レイヴが、今どうしていると思う?》
聞き慣れた名前に、心の中がざわめく。
《奴はお前が死んだあの戦いの戦功によって副隊長の地位を得た。そしてこの前、とうとう騎士団長に任命された》
声は、怒りの響きを帯びていた。
その怒りが、何故かリーガルにも伝わる。
《奴は、お前を踏み台にして昇進し、騎士団長にまで登り詰めた。奴はお前が死んだ事など何も気にしていないのだ》
レイヴはそんな人間ではない、そう言おうとした。
しかし何故か、それは言葉にならなかった。
《奴は最初から、お前を見捨てるつもりだったのだ。お前が死ねば、騎士団の中では奴が最強となる‥‥だから奴は、お前が邪魔だったのだ》
―――違う‥‥!
その叫びは声にならなかった。
代わりに、自分の中に身を焼くような怒りとどす黒い憎悪が沸き上がって来る。
違う‥‥この感情は自分の物ではない‥‥!
だが、心の中に広がって来た感情は何かに引きずられるように膨れ上がり、際限なく増幅されて行く。
共にあの戦いに加わっていながら、自分は死に、レイヴは生きながらえて地位を得た。こんな不公平が許されるのか?
憎い‥‥何の痛みも感じる事なく生きているレイヴが。
憎い‥‥陽の当たる場所でのうのうと生きている人間達が。
《怒るがいい、憎むがいい。お前の憎悪を、インフォスの全てにぶつけるのだ!》
強大な『力』がリーガルの心をねじ曲げて行く。
抗う意志は一瞬の事で、暗い怒りと憎悪の波の中にリーガルの意識は飲み込まれて行った‥‥。