Darkness  (前編)

MAY



 
 

 
息が詰まる程緊張した空気の中、剣を打ち合う音だけが響いている。
国王、有力貴族、そして多くの騎士達が見守る剣武の競技会である。
武闘国家であるヘブロンの中でも、特にその勇猛さで知られていたヴォーラス。その国王は、自分もかつて名の知れた武人であった事もあり、良く競技会を催した。
競技会に出る事は大変な名誉である、騎士団に属する者は常に己の腕を磨き、日々修行に励んでいた。
その中で、抜きん出た実力を誇っていたのがリーガル、そしてレイヴだ。
幼い頃から友人として、また好敵手として互いに修行を重ねて来た彼等は、常に騎士団の中で最強の腕前を競い合っていた。
競技会の最後は、必ずリーガルとレイヴの試合で締めくくられた。
鋭い針のように敵の急所を確実に捕らえるリーガルの剣、対して堅実で力強いレイヴの剣。
正反対とも言うべき彼等の戦いは、今まで常にリーガルの圧倒的な勝利に終わっていた。
そう、今まではしばしの睨み合いの後、数合剣を交えるだけで勝負は決まっていたのだ。
しかし今日は、様子が違っていた。
共に高め合っていながら、常に一歩先に立っていたリーガルに追いつくため、レイヴは日々修行に励んでいた。その成果が現れて来たのか、レイヴの腕は全く侮れない物になっていた。
競技会では真剣を使うため寸止めをする事が決まっていたが、そんな余裕がない程に、レイヴの腕は上がっていた。
いつしか二人は、本気になって剣を交えていた。
試合と言うより最早本当の戦闘そのものの対戦に、その場にいる一同は息をする事も忘れたかのように見守っていた。
そして、緊張は唐突に破れた。
これが最後、と渾身の力で振り下ろしたレイヴの必殺の剣を、リーガルは前髪の数条を持って行かれながらかろうじてかわした。
反射的に、ガラ空きになった胴を切り伏せる。
全霊を込めた攻撃をかわされたため、レイヴはリーガルの攻撃を避けられなかった。
「―――っ!」
とっさにリーガルは剣を止めようとしたが、間に合わなかった。
リーガルの剣が、レイヴの背中から脇腹にかけて大きく切り裂いていた。
一呼吸置いて、磨き上げられた床に鮮血が飛び散る。
「レイヴっ!!」
リーガルが、血に濡れた剣を捨ててレイヴを支える。
剣武場は、騒然となった。
―――――――
神聖であるべき競技会を血で汚した、とリーガルの処罰を求める声は多かった。
しかし国王は、自分も武人であったため、剣士同士の戦いは実力が伯仲している程、手加減の入り込む余地などない事を十分承知していた。
二人を対戦させた自分にも責任がある、とリーガルへの処罰は何もなかった。
騎士団の者達も、誰ひとり、リーガルを責めるような事はしなかった。
しかし、心ない貴族達の中には、リーガルがレイヴへの妬みから敢えて手加減しなかった、と陰口を利く者がいた。
騎士団最強の男が平民であり、二位に甘んじているのが貴族の子弟である事に、貴族達の中には不満を持つ者が少なくなかったのだ。
そんな事はない、と唇を噛んだリーガルは、しかしふと、自分の心に問いかけてみる。
少なくともあの対戦の時にそんな余計な考えが入り込む余地はなかった。
だが本当に、自分の中にそんな感情は存在しないのだろうか。
自分は平民であり、レイヴは有力貴族の嫡男である、動かしようのない『身分の差』があるのは確かだった。
実力を示すしか認められる方法はないと腕を磨き続けて来た、その唯一の剣でさえレイヴに負けてしまったら、自分は果たして平然としていられるだろうか?
何もかも恵まれて育ったレイヴをうらやんだ事がないと、その『家柄』を妬んだ事がないと、言い切ることが出来るのか?
それは彼がずっと心の奥深くで感じ続けていた劣等感だったのか、あるいは『魔』の囁きだったのか。
リーガルは、自分がレイヴを心の底では妬んでいるのかも知れない、そんな自己嫌悪に陥っていた。
そして試合の日から三日後‥‥。
ずっと意識不明だったレイヴがようやく目を覚ましたと聞き、リーガルは取る物も取り合えずにレイヴの部屋へ向かった。
「レイヴ‥‥」
べッドに横たわるレイヴの顔色は蒼白だった。
手当が早かったために大事に至らずに済んだが、実際、命にかかわる程の怪我だったのだ。
布団の端からのぞく白い包帯が痛々しい。
「済まない、俺が剣を止められれば‥‥」
真剣試合とは言え、どう謝っても許されない、取り返しの付かないミスだった。
しかしレイヴは、逆に笑顔を作って見せた。
「いや‥‥お前のせいじゃない‥‥俺が、修行不足だったんだ‥‥」
むしろリーガルを気遣っている口調に、胸が詰まった。
「‥‥俺の腕が、未熟だったために‥‥お前に、かえって辛い思いを、させてるんじゃないのか‥‥?」
真直に見つめられ、リーガルは反射的に目をそらしていた。
レイヴは貴族達の陰口を知っているのだろうか。
「そう、なんだな‥‥」
レイヴの表情が曇る。
「俺がお前の剣を、受け切れなかったのが悪いんだ‥‥お前のせいじゃない‥‥何を言われても、気にするなよ‥‥」
命にかかわるような傷を負わされていながら、レイヴはリーガルの事を気遣っている‥‥その様子に、リーガルは酷い罪悪感に襲われる。
レイヴは、いつもそうだった。
有力貴族の嫡男と言う、上流階級の出でありながら、レイヴは貴族も平民も全く別け隔てせずに接していた。
いやむしろ、時として平民を差別しようとする上流階級の貴族達との間に立ってその緩衝材の役目すら果たしていた。
そんなレイヴに引き換え、自分のザマはどうだろう。
リーガルの表情に暗い影を読み取ったのか、レイヴが眉を寄せた。
しかしリーガルは、それ以上の言葉を断ち切るように立ち上がった。
「傷に障るから、もう眠った方がいい。皆、お前の復帰を心待ちにしているからな」
何か言いたげなレイヴの様子に強いて気付かないふりをして、リーガルは部屋を後にした。
 

あの試合の事が人々の口に登らなくなってしばらく経った頃。
ヘブロンとファンガムとの国境で、小競り合いから小規模な戦闘が起こった。
リーガルもレイヴも、共に小隊を率いて敵軍の討伐部隊に加わっていた。
その秀でた実力を買われ、遊撃部隊として動いていた彼等は、思いの外激しい敵軍の追撃に遇って窮地に立たされた。
敵軍の陣構えなどの情報を本隊まで持ち帰るには、犠牲を出さなければ不可能と思われた。
「俺が、敵を足止めしよう」
リーガルがそう言い出したのは、レイヴに対して抱いていた罪悪感と無関係ではなかった。
復帰してからも、レイヴは自分の傷の事について何も言わなかった。いや、逆にリーガルを気遣うような様子すら見せた。
変わらず『親友』として接してくれるレイヴの気遣いが嬉しくもあり、同時に心苦しくもあったのだ。
「そんな‥‥俺が行く!」
顔色を変えるレイヴに、リーガルは苦笑した。この反応は、十分予想出来たものだった。
「我々の任務は何だ?この情報を何を置いても持ち帰る事ではないのか?」
「‥それは‥そうだが‥‥‥」
「ならば、より確実な方法を取るべきだろう。俺の方がお前より強い。お前が囮になるよりも、俺が囮になった方が確実にチャンスは増える。‥‥違うか?」
「‥‥‥」
レイヴが、不満そうな顔になった。
しかし、リーガルにはレイヴが反論する程の理由を思いつかないであろう事は分かっていた。
「分かったな?それなら、さっさと出発するぞ」
それ以上何も言わせないように、リーガルは短い打ち合わせを切り上げた。
―――――――
『必ず戻る』レイヴにそう言ったものの、リーガルは自分の言葉を信じていなかった。
いかに腕が立とうと所詮は多勢に無勢、レイヴの部隊を逃がすための戦いは、最初から勝算のない戦いだったのだ。
敵軍の強力な攻撃に、リーガルの部隊は一人、また一人と力尽きて行く。
そして、最後まで残ったリーガルも、もう限界だった。
馬を失い、血に濡れた全身を引きずるようにして、それでもリーガルは剣を振るい続けた。
何人の兵士を道連れにしたろうか‥‥やがて、傷ついた体は戦うどころか立っている事も叶わなくなる。
剣を支えに膝を突いた時、敵の刃が背中に食い込んだ。
振り返ろうとした脇腹を、別の敵の剣が抉った。
膝が他愛なく崩れ、倒れ臥す。
後の攻撃は、もう痛みを感じなかった。
灼熱感だけが全身を覆い、そしてゆっくりと意識が遠のいて行く。
―――何故、自分がこんな目に会うのだろう‥‥。
ふと、浮かんだ思いに、リーガルは戸惑った。
この戦いは国のため、何より親友であるレイヴのためにリーガル自身が選んだ道ではなかったのか?
しかし心のどこかに、割り切れない思いが残っていた。
―――何故、自分だけが死ななければならない?
追い払おうとしても捨て切れない、そんな気持ちを抱えながら、リーガルは意識を失った。
 

暗くて、何も見えない。
酷く、苦しかった。
全身がズタズタに引き裂かれて行くような激痛が襲い、呼吸もうまく出来ない。
苦しさの中でもがいていると、声のようなものが聞こえて来た。
《救ってやろう、その苦しさから‥‥》
どこからともなく声がした。
目の前に漂って来た光のような物、彼は反射的にそれに手を伸ばした。
瞬間、嘘のように全身の痛みは消え失せた。
相変わらず漆黒の闇の中を、リーガルはゆっくりと漂っているようだった。
《私は、堕天使ラスエル。お前に、新たな体を授けてやろう》
あの声が言った。
―――新たな、体?
心の中のつぶやきは、全て相手に聞こえていたようだ。
《そう‥‥お前の体は戦いの中で引き裂かれ、失われた。お前は、一度死んだのだ。だが、お前はまだ死ぬべきではない。私が、再び戦えるように新たな体を造ってやろう》
―――再び‥‥戦う?
一体、誰と戦うと言うのだろう。
《お前が、命を懸けて逃がした男‥‥レイヴが、今どうしていると思う?》
聞き慣れた名前に、心の中がざわめく。
《奴はお前が死んだあの戦いの戦功によって副隊長の地位を得た。そしてこの前、とうとう騎士団長に任命された》
声は、怒りの響きを帯びていた。
その怒りが、何故かリーガルにも伝わる。
《奴は、お前を踏み台にして昇進し、騎士団長にまで登り詰めた。奴はお前が死んだ事など何も気にしていないのだ》
レイヴはそんな人間ではない、そう言おうとした。
しかし何故か、それは言葉にならなかった。
《奴は最初から、お前を見捨てるつもりだったのだ。お前が死ねば、騎士団の中では奴が最強となる‥‥だから奴は、お前が邪魔だったのだ》
―――違う‥‥!
その叫びは声にならなかった。
代わりに、自分の中に身を焼くような怒りとどす黒い憎悪が沸き上がって来る。
違う‥‥この感情は自分の物ではない‥‥!
だが、心の中に広がって来た感情は何かに引きずられるように膨れ上がり、際限なく増幅されて行く。
共にあの戦いに加わっていながら、自分は死に、レイヴは生きながらえて地位を得た。こんな不公平が許されるのか?
憎い‥‥何の痛みも感じる事なく生きているレイヴが。
憎い‥‥陽の当たる場所でのうのうと生きている人間達が。
《怒るがいい、憎むがいい。お前の憎悪を、インフォスの全てにぶつけるのだ!》
 強大な『力』がリーガルの心をねじ曲げて行く。
 抗う意志は一瞬の事で、暗い怒りと憎悪の波の中にリーガルの意識は飲み込まれて行った‥‥。
 

 

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