「ひとつの答え」=辰巳ダムにしがみつく石川県の頑迷な態度

1999年9月28日
碇山 洋(辰巳の会常任理事)

 県立金沢二水高校新聞部は、第150号記念の一環として辰巳ダム問題特集を企画し、私も文書のやりとりで取材を受けた。先日、刷り上がった「二水新聞」第150号(7月15日発行)が、新聞部部員の丁重なあいさつの手紙とともに送られてきた。プロの記者が絶賛(「朝日」石川県版7月20日付「ティータイム」欄)するだけあって、県河川開発課をはじめとする推進派、辰巳の会をはじめとする反対派の意見をバランスよく紹介し、辰巳用水についても解説するなど、高校生のつくった紙面とは思えないほど質の高い内容になっている。もちろん、未熟な点も少なからずあるが、その問題意識、課題に取り組む情熱と真摯さが十二分に読みとれる紙面は、この世代が担う未来に明るい希望をあたえるものである。


 いくつかの欠点は、彼〔女〕たちが今後の成長の過程で克服していくであろうことを確信している。二水高校新聞部の今後の取材、研究、紙面づくりを見守っていきたい。


 ただ、高校生たちのまじめな企画にたいして、記事中の県職員の発言は事実を歪曲した不誠実なもので、「反対派の方々」として言及されている当事者のひとりとして見過ごしに出来ないものである。以下、この発言にたいして、最小限の批判を加えておきたい。

 石川県土木部河川開発課の高野哲男課長補佐は、つぎのように語っている。
 「この計画は、全国で一般的だとされている考え方に基づいて立てたのです。また、自然に逆らう事業なので、完璧にできるわけではありません。その点を割り切って下さると幸いです。また、ものごとの考え方や分野の違いにより、意見がかみあわないのは当たり前です。しかし、反対派の方々の意見は、百点満点の結果が出る仕事でなければその仕事はだめな仕事だというふうにも聞こえます。その意見もわかりますが、答えは必ずしも一つではないということを理解してほしいです。」(「百点満点の結果が出る仕事」は原文では「百点満点の結果が出ない仕事」になっているが、明らかな誤植なので改めた。)

(1)「全国で一般的だとされている考え方」はウソ


 高野氏は、辰巳ダム計画を「全国で一般的だとされている考え方に基づいて立てた」と説明しているが、これは控えめにいって誤解、直截にいえばウソである。


 辰巳ダムの治水計画は、つきつめれば、「昭和27年6月30日型降雨」にもとづいている。これは、1952(昭和27)年6月30日の犀川ダム地点の降雨データをもとにつくられたことになっている百年確率の大雨≠ナあるが、犀川ダムの完成は1966(昭和41)年であり、1952年当時には犀川ダム地点では雨量の観測は行っていなかったのである。石川県は、犀川ダム地点からおよそ20キロもはなれた金沢地点(金沢市弥生町にあった旧金沢地方気象台)のデータをそのまま流用して犀川ダム地点の実測データであるかのようにあつかい、金沢では有史以来降ったこともないような極端に過大な大雨を想定したのである。


 この点は、一連の意見交換会でももっとも重要な論点となり、県側は高野氏を中心にあれこれ言い逃れを試みたが、ことごとく市民側に批判・論破され、最後には高野氏自身、「辰巳ダムの治水計画は科学的・技術的に説明しきれるものではなく、行政判断、『割り切り』によるもの」と認めざるをえなかったのである。


 このようなデータの流用にもとづくでたらめな雨量予測を「全国で一般的だとされている考え方」だというのであれば、高野氏には、同じようなデータの流用、ありもしないデータの捏造をやっている全国のダム計画についてくわしく紹介してほしいものである。

(2)辰巳ダムは「百点満点をとれない」どころではない


 高野氏は、辰巳ダムについて「自然に逆らう事業なので、完璧にできるわけではありません」と述べている。「完璧な事業」などあるはずはなく、それを自覚すること自体は必要であり正当なことである。しかし、高野氏は、そのあと、「反対派の方々の意見は、百点満点の結果が出る仕事でなければその仕事はだめな仕事だというふうにも聞こえます」と述べている。


 少しでも欠点のある事業は実施するべきではないといったような主張を、私たちは一度もしたことはない。高野氏のこの発言は、辰巳ダムに批判や疑問をもつ市民を頑迷で偏狭な人びとであるかのように描くとともに、辰巳ダム計画を「百点満点ではないにしても80点、90点程度はとれる計画」と印象づけようとする、きわめて意図的なものである。


 データの流用は治水計画をつくるうえでまったく論外な誤りであるし、それ以外にも、少なすぎる雨量データ、過大な引き延ばし率2.5倍、浅野川の治水との整合性の欠如などなど、辰巳ダムの治水計画はどこをとっても問題だらけである。それは、データの捏造ひとつをとっただけでも、試験にたとえれば、「百点満点をとれない」どころではなく、「採点の対象外」「受験資格なし」であり、0点さえとれないものといわざるをえない。


 実際、一連の意見交換会では、治水計画のデタラメぶりを具体的に指摘した市民側の追求にたいして、県側は「行政判断」「割り切り」というだけで、科学的・技術的にはまったく説明できなかったのである。
 「完璧ではない」と謙虚さを装いつつ、「満点ではないが十分合格点をとれる計画」であるかのように印象づけ、反対派市民を頑迷・偏狭な人びとに仕立て上げようとする高野氏の発言は、まじめに取材している高校生たちを欺く不誠実なものといわざるをえない。

(3)「ひとつの答え」に固執しているのは誰か


 高野氏は、「答えは必ずしも一つではないということを理解してほしい」とも述べている。一般的にいって、治水を行うための方法、「答え」は、高野氏の言うとおり、一つではなく、さまざまな方法が考えられる。それらのいくつかの代替案のなかから、自然環境・社会環境への影響やコスト・ベネフィットなどを考慮し、住民が合意できる案を選ぶべきである。


 私たちは、いくつもの「答え」をこれまでにも提示してきた。たとえば、百歩譲ってデータの捏造を不問にしても、34年間の雨量データで県が予測した92ミリよりも、59年間のデータをつかった84ミリのほうがより正確な数字であり、この84ミリにもとづいて犀川の治水計画を検討し直してはどうかという「答え」もそのひとつである。県側は、意見交換会でも、84ミリのほうがより正確な数字であることを認めながら、辰巳ダム計画を見直す考えはないと、「ひとつの答え」に固執しつづけた。さらにもう百歩ゆずって、県が拠って立つ「92ミリ」を前提としてさえ、犀川大橋地点における犀川の断面の拡大、森林の保水力の増強、河川情報システムの活用による既存ダムの弾力的運用などなど、金沢市を犀川の洪水から守ることのできる「答え」を、私たちはいくつも県にたいして提案してきたのである。


 それらの「答え」をすべて切り捨て、辰巳ダムという「ひとつの答え」(前述したように、ほんとうは「答え」になっていないのだが)にどこまでも固執しているのは石川県のほうであり、事態を逆さまに描く高野氏の発言は、文字どおり天に唾するものである。


 石川県は、「採点対象外」の辰巳ダム計画に固執するのではなく、百点満点はとれないまでもせめて50点でも60点でもとれる答案を用意するべきである。私たちは、その答案を、80点、90点と、よりよいものにするための協力を惜しむものではない。


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