“だまし討ち”に重ねて市民の善意を踏みにじる「弁明」
−−石川県はどのように県民の理解を得るつもりなのか?−−

1999年10月14日
辰巳の会事務局長・碇山 洋


 既報のように、辰巳の会をはじめとする6団体は、10月13日、『市民運動にたいする石川県の背信行為に関する抗議文』を谷本正憲知事あてに提出した。
 この抗議文が問題にしている県の背信行為とは、要約すれば以下のようなものである。

 (1)公共事業評価監視委員会に新たな資料を提出する場合には事前に市民グループにも提供すると約束することによって、市民グループが反対していた監視委の8月17日開催への協力をとりつけておきながら、『犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見』なる文書を市民グループや報道関係者に隠して提出した。

 (2)市民グループと県の間で辰巳ダムに関する一連の意見交換会が開かれているまさにその時に、並行して秘密裡に『所見』による“だまし討ち”が着々と準備されていた。

1.背信行為を反省せずに県が求める「理解」とは?

 この抗議文にたいして、県土木部の坂口紘一次長は、つぎのように弁明している。

 「ダム建設についてはいろいろな考えがある。県としては7回にわたる意見交換会も開いており、背信行為という意識はない。今後もダムについて理解が得られるよう努力していきたい」(「北陸中日」10月14日付)

 「30時間以上にわたり意見交換を重ねてきており、県に背信という意識はない(「朝日」10月14日付)

 「ダム建設についてはいろいろな考えがある」というのはまったくそのとおりだが、抗議文に関するコメントのなかでこれを言うことにどんな意味があるのかは不明である。
 「7回にわたる意見交換会を開いており」とか「30時間以上にわたり意見交換を重ねてきており」が、「背信〔行為〕という意識はない」にどうつながるのかも不明である。新聞記事のまとめ方がよくないのかもしれないが、もしこのとおりに発言したとすると、論理性を甚だしく欠いた発言ではある。

 私たちが問題にしているのは、7回・30数時間にわたって意見交換を重ねているまさにそのときに、県が秘密文書を着々と準備し、市民グループをだまし討ちにしたことである。意見交換会に建設的にとりくんできた市民グループの善意を考えれば、「7回…開いており」「30時間以上…重ねてきており」は、県の背信行為、“だまし討ち”の罪の重さをこそしめしていることを、坂口次長は知るべきである。

 ところで、これら坂口発言で明らかになった最も重大な問題は、今回の一連の行為について、県は悪いことをしたとはまったく思っていないということだ。
 『抗議文』でもしめしたように、8月10日と14日の2回にわたって、河川開発課・米田課長、山本担当課長、高野課長補佐、監理課・竹腰氏らは、「監視委員会に追加資料を提出することがあれば事前に市民側にも提供する」と約束しているのである。この約束をやぶって『所見』なる秘密文書を監視委員会に提出したこと、しかも意見交換会で市民グループとの“建設的な対話”を演出しながらその裏で秘密裡にその準備をすすめていたことについて、坂口次長は何の反省もしめしていないのである。

 反省していないということは、同じことをまたくりかえす可能性がきわめて高いということである。
 このように無反省な県が「今後もダムについて理解が得られるよう努力していきたい」と述べても、「今後もダムについて理解が得られるよう努力しているふりをして、だまし討ちを成功させるように努力していきたい」としか聞こえないと言えば、言い過ぎだろうか?

 監視委員会は、その結論で辰巳ダムの継続を認めつつも、「事業全般について、県民の理解を得るよう最大限の努力をすること」を付帯意見として県に求めている。
 中島土木部長は、この付帯意見にこたえるかたちで、辰巳ダムの説明会を開催する考えを県議会でしめした。しかし、“だまし討ち”をしたうえにそのことを認めもしなければ反省もしない県が開く説明会なるものが、なにかまた新手のだまし討ち作戦の一環ではないかと県民に警戒されたとしても仕方がないだろう。

 抗議文を提出した13日の夕方に放送されたテレビ金沢のニュースでは、『所見』について、「市民グループに提供する義務はない」とする県のコメントが紹介されていた。「追加資料があれば事前に提供する」と2回も約束しておいて「提供する義務はない」というのだから、石川県は「市民グループとの約束を守る義務はない」と考えているということである。
 そのような考え方だから「県に背信という意識はない」(坂口土木部次長)ということになるのだろうが、自らの約束の履行に義務を感じない人たちが「県民の理解を得る」ために行う「最大限の努力」とはどのようなものなのか、興味深いところである。

 『抗議文』がいうように、今回の経緯の全容と責任の所在の解明と公表、今後ふたたびこのようなことを起こさないための徹底的な措置をとることが、説明会の準備に着手する前に、谷本知事には求められている。

2.無反省なだけでなく市民グループを中傷

 県河川開発課は、『所見』を市民グループに提供しなかったのは「教授に対する個人攻撃などを避けるため」と言っている(「毎日」石川県版、10月14日付)

 市民グループと約束を交わしそして反故にした当事者の河川開発課だけに、さすがに約束を破ったこと自体は否定できなかったようだ。
 しかし、反省の弁がないということは、「約束を守って『所見』を市民グループに提供すれば、執筆者のF教授が個人攻撃にさらされる」「だから約束を守らないのは当然のことだ」という主張ととるべきであろう。

 辰巳の会をはじめ市民グループは、一連の意見交換会においても辰巳ダム計画の不合理さ、誤り、ずさんさには仮借なく徹底的な批判をくわえてきたが、その批判の方法は一貫して論理的で節度をわきまえたものであった。まして、個人攻撃に類するようなことは一度もやったことはない。このことは、7回すべての意見交換会に出席してきた米田課長をはじめとする河川開発課職員諸君がいちばんよく知っているはずである。

 もし、辰巳の会など市民グループがこれまでに個人攻撃を行ったことがあるというのなら、あるいは今後行うであろうことを予測するに足る十分な根拠があるというのなら、それを具体的にしめしてもらいたい。
 石川県庁内ではどうかは知らないが、根拠もなくこのような発言をすることを、世間では一般に“中傷”という。

 私たちは、独自の情報源から、F教授の氏名、所属大学名とも把握している。しかし、F教授が市民グループとの約束を県から知らされずに、自分では気づかないうちに“だまし討ち”に荷担させられていた可能性をも配慮して、『抗議文』ではあえて「G大学・F教授」と表記しているのである。
 私は、情報公開制度を利用して『所見』を入手する前に、河川開発課・尾崎課長補佐と、『所見』執筆者の氏名・所属大学を実名であげながら電話で議論をしたことがある。したがって、「毎日」のインタビューに答えた河川開発課職員は、私たちが実名を知っていながら公開の『抗議文』ではそれを伏せるという配慮をはらっていることを承知しているはずである。
 それにも関わらず、市民グループが個人攻撃を仕掛けかねない人々であるかのような印象を与える発言をしているのだから、これは意図的な中傷以外のなにものでもない

 “だまし討ち”を反省するどころか、市民グループを中傷して責任を転嫁するとは、あまりこういう言葉はつかいたくはないが、「盗人猛々しい」にもほどがあると言わざるをえない。

 市民の善意を踏みにじる“だまし討ち”をしたうえに、重ねて善意を踏みにじる「弁明」をするような石川県が、今後どのようにして監視委の求めた「事業全般について、県民の理解を得るよう最大限の努力をする」つもりなのか、私たちはつよい関心をもって注目していきたいと思う。

3.県の理屈でも「個人攻撃」を防ぎつつ約束を守ることはできる

 この『所見』の存在は、辰巳の会独自の情報収集によって明らかになったのであり、県は辰巳の会から指摘を受けるまでその存在を隠していた。今回の河川開発課の「個人攻撃を避けるため」という発言により、うっかり提供し忘れたといったことではなく、意図的に隠していたことが明白になった。

 情報公開制度によって辰巳の会が入手した『所見』は、執筆者の氏名と所属大学名が黒く塗りつぶされていた。10月7日に県情報公開総合窓口でこれを受け取ったとき、私は、応対した河川開発課・尾崎課長補佐にたいして、「監視委員会という公の場に出された文書であり、公共の財政資金から謝金や調査旅費を支給されて執筆したもので、執筆者名を非公開にするのはおかしい」と指摘した。
 尾崎氏が「氏名が明らかになると個人攻撃の心配がある」と言うので、私は「辰巳の会をはじめ辰巳ダム問題にかかわってきた市民グループは、これまでも、これからも、個人攻撃などとはまったく無縁だ」と述べた。
 尾崎氏はそれを認めつつも、「碇山先生たちはそうでも、この文書がどこで誰の目に触れるかも知れず、別の人が個人攻撃をするかも知れない」と、執筆者名などの公開にはとうとう応じなかった。

 これは納得できない話である。
 尾崎氏は個人攻撃の具体例として、無言電話をかけるとか、誹謗中傷を行うとか、身体に危害を加えるとかいったことを挙げた。しかし、このようなことをした者は、社会的に、また場合によっては法的に制裁を受けるべきなのであって、公的資金をつかって書かれた公的文書の内容に責任をもつ人が誰であるかを公的に明らかにするということは、これとはまったく別次元の問題である。

 そもそもこの『所見』は、しかるべき専門家が書いたというところに監視委員会の資料として採用されるべき意味があるはずなのであって、誰が書いたかも分からない状態では、その作成のために公金が支出されたことが正当かどうかを判断しようがなく、情報公開制度の趣旨に反するのである。

 以上のように、執筆者名が黒塗りされていたことはまったく不当なのであるが、いずれにしても、県が執筆者名などを黒塗りすれば個人攻撃を防ぐことはできると判断していることはたしかである。
 それならば、かりに百歩譲って河川開発課が言うように「教授に対する個人攻撃などを避ける」必要があったとしても、情報公開総合窓口での尾崎氏の説明と同様の説明を付して、執筆者名などを黒塗りした『所見』を約束どおり市民グループに事前に提供できたのである。

 『所見』の存在自体を隠し、「執筆者名などを黒塗りしてよければ約束どおり『所見』を資料として市民グループに提供する」といった相談もせずにおいて、すべてことが終わってから、市民グループの抗議を受けてはじめて「個人攻撃」云々を引き合いに出して言い訳しても、約束違反を合理化することなどできないのである。

4.言い逃れ発言で新たな問題が明らかに

 河川開発課は、『所見』について「専門家の意見が必要というあくまで委員の要望で教授に現地視察してもらった客観的な資料」と述べている(前出「毎日」)

 辰巳の会など6団体は、『抗議文』を知事あてに提出した同じ日、『監視委員会の運営、辰巳ダム再評価に関する公開質問状』を監視委員会・川島良治委員長あてに提出した。

 『質問状』の論点は多岐にわたっているが、とくに重要な問題のひとつとして、以下のようなことがある。

 昨年秋の15団体の監視委あて「申し入れ」のなかに、「委員以外の専門家、学識経験者の意見を聞く場を…公開で開催してください」という項目があったが、委員長の回答は「事業主体が検討するべきものと考えており、その方向で事業主体から依頼があれば聞く場は設けたい」というものだった。
 『質問状』は、「その方向で」というのであれば「公開で」ということになるはずなのに、『所見』(未定稿)がはじめて監視委員会に提出された「事業説明会」(8月3日)が非公開であったことは、「透明性の確保」という監視委の建前に反するだけでなく、委員長自身の回答にも反するのではないかということを問題にしたのであった。

 ところが、今回の河川開発課の発言によると、『所見』の提出は監視委の側からの要望で行われていたのであり、委員長回答の「事業主体から依頼があれば」という部分も、守られていなかったことになるのである。

 『質問状』は、15団体の「申し入れ」への自身の回答に反する委員長の言動のいくつかを問題にし、委員長の責任を質しているが、今回の河川開発課の発言によって、もうひとつの重大問題が明らかになった。今回と同じ6団体で追加の公開質問状を川島委員長に提出することも検討したい。

 河川開発課は自らの“だまし討ち”を言い逃れようとこのような発言をしたのだろうが、その発言が川島委員長をいっそう苦しい立場に追いやる結果になってしまった。
 責任逃れの発言も、全体状況をよく考えて慎重にやらないと、かえって困ったことになるようだ。


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