清田政信著『渚に立つ』
沖縄・私領域からの衝迫 清田政信は、沖縄現代詩の歴史で一時代を画した詩人だと言われます。 松田潤さんの解説「清田政信とは誰か」を読むと、その意味がよく分かり ます。山之口貘は「沖縄社会の下層民衆の屈折した情念を生活の底にまで降りて抽出し」、生活の底に根を張った近代に侵食されない情念と言葉を自分の詩の基底に置きました。 一方、清田政信は「「近代性」に極めて自覚的でした。清田は貘の対極に 自らを位置付け、「民衆の中の個の特殊性を究極まできわめ、沈黙の受態による真の対話を発見」していく方法を追求しました。「すなわち「無名性」の追求によって孤独な人間を結びつける詩のことばの創出を目指した詩人であった」。「個としての自立」を何よりも要請したところが、沖縄の敗戦後の新世代に「事件」といわしめるほどの衝撃を与えたのです。 私は、この新世代への「衝撃」はモダニズムに普遍的な特徴と思えます。 日本詩人や朝鮮詩人が近代化の過程で欧米からモダニズムを移入し、個人としての「創作」を開始するのです。ここには、近代の外圧と内発の矛盾が存在しているでしょう。 沖縄の近代の内発性の言葉について考えさせられました。清田は「近代性」を積極的に追求し、主体性、内面性を表現の核としたことは、「沖縄の戦後詩のターニングポイント」となり、「大きな表現方法の転換」をもたら したことを再認識しました。 沖縄において「近代」とは、外圧であると同時に内発としても生じ、それらが矛盾し屈折し合いながら複雑な過程をへて文学として成立していったことに目を凝らす必要があると思いました。朝鮮文学においてもモダニズムは、外圧と内発、近代と伝統、個と民族が絡み合う問題として、さまざまに論じられるのです。 清田の詩論は、今薄れかけた現代詩の根本を呼び起こしてくれます。 「近代の明晰に向って出自の暗域を衝突させ、音をあげるとき私は詩の ことばをはらむのだ」。「近代の明晰」と「出自の暗域」を衝突させる、 一時期、黒田喜夫や在日朝鮮人詩人たちも葛藤して優れた詩的成果を 残した詩論が清田にも共有され独自の達成をなしたことが分かります。 「風土の兇情」はすばらしい言葉で、現在、それを感じる感覚が鈍麻したとつくづく思います。飯島耕一の『宮古』は、戦後詩史の一つの焦点でしたが、予定調和の円環への安易な回帰が改めて問われています。 「形而上への飢え」は詩の根源ですが、伝統の沖縄の神々に通じながら、さらに普遍的で個的な形而上性を求めることと思われ、この切迫性も 薄れてしまったと自省します。 清田政信は、1937年に沖縄県久米島町で生まれ、56年に琉球大学文理学部国文科に入学し、『琉大文学』に参加し、活発な執筆活動を続けます。米国占領下の時代は「日常のあらゆる次元が米軍占領という支配に覆い尽くされ」反米と反植民地の意志を表現する社会主義リアリズムが主流でした。後に、清田は文学の自律を計り、個人の深層を掘り進むことによる普遍性の獲得を考えるようになります。1966年に黒田喜夫に知遇を得、清水昶、北川透、藤井貞和などと交流し詩と論を広げていきます。ある意味、これらの交流は、本土詩人との共通性を示しています。戦後第一世代が戦争と革命という外部を手放せなかったのに対し、吉本隆明以降の世代は安保闘争の挫折とスターリン批判により一層内部への傾斜を強めたのです。 しかし、清田は、沖縄の本土復帰とさらなる本土からの差別と収奪という 矛盾を抱え込まざるをえない外部にも挟撃されていたでしょう。 この本の巻頭の洗練された繊細な文体の「微私的な前史」の純粋すぎる 美しさに驚くとともに、その後の危うさを予感してしまいます。 沖縄詩史に傑出した詩人のひとりとして記される清田政信は今読み返されるべき豊かな内実を差し出しています。 「共生を説くすべての思想を対象化せよ。一言で尽すとすぐれて個を 造型し得る思想のみが他者の心を動かす言葉をももち得るということだ。」 (「微私的な前史」より) (共和国 2600円+税 2018年8月15日発行) 安里英子著『新しいアジアの予感』 琉球から世界へ 書評 佐川亜紀 未来に向けた文明史的構想 沖縄の基地反対の声はアジアで沸きおこっているうねりにつなが っている。安里英子さんは、その胎動を敏感に受け取り、思想と して練り上げてきた。 本書の初めに記された「民族を超えた共同体を――国家からの解 放」という提言にハッとした。沖縄独立論にさえ「ナショナリズム」 を感じる批評精神は鋭い。もちろん独立を否定はしないが、国家や 民族を超えた共同体、「シマ(地域)連合社会における自治の可能 性」こそ真に求めるべきだという。 本島が宮古・八重山諸島を差別し搾取した歴史もあった。支配では なく、連合が望まれる理由だ。 琉球が侵略支配された過程は、朝鮮や台湾やアイヌが支配された 経緯と密接に関わっている。大国に帰属するのではなく、互いの固 有の文化や暮らし方を尊重する鎖状のシマ連合は、資本の消費シス テムに操られた人間の自治力を回復させる文明史的変革論だ。 安里さんは、アジアの文化の個性と共通性をゆたかに感受してき た。朝鮮から強制連行された「軍夫」を悼む「恨(ハン)之碑」を 建立する共同代表となり碑文の詩を書いた。 沖縄が被害と加害の重なる地であることは胸が痛む。安里さんは、 金時鐘の訳した『朝鮮詩集』を読み、自らの日本語を省みる。 アイヌのチカップ美恵子や萱野茂と対話し、心を通わせる。台湾 原住民文学にも共鳴する。 女性の立場から生命を展望の中心にすえたのも重要な観点だ。琉 球の祭祀文化は、もともと女性主体であった。ユタは霊能力を発揮 し、人々の苦しみを癒した。 こうした琉球固有の文化が、侵略と大開発でズタズタにされた。名護市が一九七三年に宣言した「逆格差論」の本質的批判性は消えない。 村落の独創的な自治自然との調和こそ最高位に価値付けされるべきだ。 安里さんは、一九七七年には「地域の目」というミニコミ誌を 一人で出した。二〇〇一年にイスラエル・パレスチナを訪問、二〇 一二年にウィーン大学での沖縄国際学会に参加など、実際に世界の 地に行き、島々を巡り、人々と交わり、調査し、発言する行動力と 大胆な思考力に驚く。沖縄の根源的思想と未来を考えるために必読 の書である。 (藤原書店 2800円+税) (沖縄タイムス掲載) 『崔龍源詩集 遠い日の夢のかたちは』 地図 水の音を聞きなさい この星の はじめの母の 声を聞くために 風の音を聞きなさい いまも漂泊をつづける 人間の種族の はじめの父の声をさがして そして ひとつしかない 地図を書き上げなさい 人間はアフリカの たったひとりの母から 生まれたのだから 三百七十万年前の タンザニア・ラエトリの 大地に刻まれている アウストラロピテクス・ アファレンシスの 父と子の足跡から 旅ははじまり 人類は 地上のいたるところに 足跡をしるしていったのだから 国境もない 色分けもしない 地図を どう書くか 水や風に 聞いてごらん さあ 耳を澄まして ※崔龍源さんは、父が韓国人、母が日本人の詩人です。 「母は父を殺したいと言った/ 殺したいほど愛していると言うかわりに/ 人生が夢だとすれば 夢のあとに/ さやさやと水だけ流れ」 (「わがティアーズ・イン・ヘブン」) 家族の愛憎、民族の違いによる傷つけ合いを体験し、 心を痛めながら、この世界を愛すること、 詩を思うこと、書くことを求めてやみません。 2019年3月26日〜29日のラジオ文化放送 「アーサー・ビナード 午後の三枚おろし」で 崔龍源さんへのインタビューを含めて、詩が紹介されました。 日本で居場所がないような絶望感を中原中也の「冬の海」を 読んで慰められ、詩によって生きようと思いました。 韓国民主化運動に共鳴して韓国留学しましたが、 国外退去させられてしまいます。 韓国人でも日本人でもない自己の存在に悩みます。 絶望と漂泊の定めをかかえながら、人類の普遍的な 愛と根源の道を捜す旅が続くのです。 ※さいりゅうげん1952年生まれ。 詩集『宇宙開花』『鳥はうたった』『遊行』『人間の種族』 (コールサック社 1500円+税 2017年12月刊) 『検閲という空気』 書評『検閲という空気 自由を奪うNG社会』 アライ=ヒロユキ著 相互検閲・自己検閲の恐怖 佐川亜紀(詩人) 今、社会の底が抜けていくような不気味さが漂っている。 自由を生む文化の基盤が失われかけている。 著者は、美術批評を中心にアニメやおたく文化にも詳し い斬新な評論家だ。本書では、社会全体の分析に及び、第1 章が「保育所はなぜ地域社会から否定されるのか」という 身近な問いかけから始まっているのに引かれる。注目する べきは、権力による明白な検閲だけではなく、庶民自らが 以前は当り前だった事にダメと言う「検閲という空気」を 醸し出しているとの指摘だ。 第2章では、自治体から「平和・戦争」「憲法」をテー マにした催しが避けられること、第3章では、日本軍「慰 安婦」の作品が撤去された美術展の萎縮、第4章では、放 射能被害に沈黙したメディア、第5章では、封印される歴史、 第6章では、朝鮮学校と教育の自由など、時代の本質をあ らわにする問題に果敢に切り込んでいる。 図書館から広島原爆が主題のマンガ「はだしのゲン」が 排除され、表面的な美と快楽を求め、幼児化が進む。歴史 の歪曲とヘイトスピーチは、戦後モラルの一線を越えた。 その現状について、新聞の電子版や関係者の話などの情報 を丹念に集め、賛否両意見によく耳を傾けた綿密な取材に 感心した。 また、安倍長期政権が検閲の主因だが、現代社会が抱え る構造的な面や、形式的な自由論に内在する矛盾も探る多 角的な視座も優れている。経済の悪化で不安に陥り、 目先の利害に囚われ、弱者の口が封じられる。庶民が相互 検閲、自己検閲をする怖さを本書は伝え、自由を支える大 切さを知らせてくれる。 ※アライ=ヒロユキ 65年生まれ。美術・文化社会批評。 『アート・検閲、そして天皇』ほか。 (「しんぶん赤旗」2018年11月11日掲載) 井上輝夫著『聖シメオンの木菟 シリア・レバノン紀行』 故・井上輝夫さんは、かつて有名な詩誌「ドラムカン」の同人 として注目されましたが、その後、詩集『旅の薔薇窓』などを 出され、晩年の『青い水の哀歌』(2015年、ミッドナイトプレス) は美しく澄んだ詩情が染みるものでした。また、随想、論考も優れ、 『詩想の泉をもとめて』が近年では思い浮かぶでしょう。 本書『聖シメオンの木菟』の初版は、1977年に刊行されたのですが、 まったく色褪せないどころか、今にこそ響く内容に満ちています。 <第四次中東戦争、いわゆる「キプールの戦い」が勃発するちょうど 一ヶ月前、一九七三年夏フランスからの帰途、私はシリア、レバノン を旅行する機会をもった。はじめて接する非ヨーロッパ的文明は 私に強い印象とある反省のきっかけを与えた。> <詩人たちが宗教の原型をたしかめたいという願いをもっていた ためであろう。そこには異国趣味や砂漠への憧憬があったに相違 ないが、フランス社会が産業化してゆくうちに芸術家が居場所を 失っていったこととも無縁ではないだろう。> <次第にその街(引用者註ダマスカス)が日本が敗戦した直後の 雰囲気とよくにているように思われてきた。ある意味では戦後 日本が恥とし、捨てさろうとした貧しさと後進性のイメージが そこに全部あると云ってもよいだろう> 今は、中東も石油開発で金持ちになった国もあり、ハイテクが 先端を行く地域も現れ、1970年代とは異なる面も見られます。 しかし、日本が「貧しさと後進性」を「恥」とした感覚は自己 を見る視線でもあったでしょう。 フランスで研究したヨーロッパ的な深い知性と、日本人である 自己を省みる視線が複雑にからみ、開発や侵略や戦争を世界史的 に考えています。日本とシリア・レバノンの後進性、非西洋の部 分を重ね合わせているところも目を開かされました。日本の 近代を客観視する心の奥行となっているのです。 シリアは今日、混迷を深めていますが、決してよそごとではあり ません。宗教や美についても根源的に思いめぐらせ、詩人とは これほど豊かな人なのだと驚嘆しました。 元夫人がアレッポ出身で、シリアへの特別な親しい情もある でしょうが、へんに賛美もせず、シニカルな目も持ち、 人間的な共感も抱き、感心します。 73年で、文中に出てくるように赤軍事件の記憶が新しいときで、 日本から見た赤軍と異なる感じ方に驚きます。 紀行文に留まらず、内面を紀行するような想像力、シリアと自己が 対話するような思索性が魅力です。 (ミッドナイト・プレス 2018年1月25日発行) 『大城貞俊著 椎の川』 戦中の沖縄で、ハンセン病に侵された家族の苦しみと 尽きない愛情を描いた感動的な小説です。 冒頭は、「山は、揺れると波のようであった」と始まり、 子供たちの川遊びも「水は、やはり、きらきらと光って 美代の足元で、美しく跳ねて輝いた」と自然の描写の伸びやかさ、 人間と自然が一体となった暮らしの豊かさがまず心に染みます。 それだけに、母であり妻である「静江」がハンセン病にかかり、 村八分のような扱いを受ける残酷が辛いです。日本で貧し さと抑圧下に置かれていた沖縄の人々がさらに弱者の病者を 嫌うのはむごいですが、村社会では通常のことでしょう。 実際に、昭和七年に沖縄県がハンセン病診療所を羽地村の 嵐山に建設する計画を住民に相談せず立てたことに対し、 二万人に達する大規模な住民反対運動が起ったそうです。 差別の中の差別を書いた点で、本書は異彩を放っています。 一方で、家族は最後まで静江をかばい、夫はおぶって遠く の医者に連れていく行為には胸打たれます。 その夫も容赦なく兵隊にとられ、戦争の虚しさを知り ながら、友人を失い、戦死してしまいます。 家族も地上戦が迫り、疎開し、幼子は死んでしまいます。 静江が最後に、まるで病が癒えたように美しくなり、幼子の 霊と共に蛍となって光り、空に昇っていく様子は印象深い です。残された子供たちへの光であり、作者のこめた戦争 と死を超えて生きる希望が静かに感じられます。 本書は、具志川市文学賞受賞作で、朝日新聞社から刊行。 文庫版は、2018年8月にコールサック社から刊行。 900円+税。 『金時鐘詩集 背中の地図』 渡る 小止みになったところだった。 行きずりの私に 西成はどこかと聞いた男がいた。 暮れなずむ歳末の四叉路で 濡れた頭の初老の男と 集会に急ぐ私とが 長い坂の下のその先を右へ折れる 大阪迷路の釜ケ崎を指で追っていた。 私にもわかる東北なまりだった。 ふくらんだ手下げのビニール袋のへりで まだ落ちきらないしずくがつらなっていた。 震災災禍の名ばかりの救済からさえ すっかり見放されてしまった男のようだった。 前こごみにリュックの背を丸めて だんだら坂を下りていっていた。 思い当たったのだ。 ジングルベルの喧騒がたなびいて 急ごしらえの飾り付けがさざめいていた日、 旭町通りの狭い商店街を抜けたところで 私は見たのだ。 彼とは従兄弟どうしの誰かだったに違いない。 ワンカップ大関の空きびんころがして 垢じみた男が競馬新聞片手にへたりこんでいた。 線量計も身につけず 福島原発で作業をしていた派遣労務者の あの用済みとなった白髪まじりの男だ。 そういえばあのうら若い労務者も 彼のはぐれた息子ではなかったろうか。 建築現場で腰を打ち 早朝立(あさだ)ちばかりがつづいている まだらな髭の男のことだ。 深く垂れ込んでいる寒冷前線の底で なお低い底辺の地へと下りていった男がいた。 いく層もの雲の裏で列島の太陽は傾き いく筋かの堀をにじませて 冬の汗がにぶく湿地の額で光っていた。 私はこの日 こんにちの詩についての話をしに 交叉点を渡っていた。 建て替えられる超高層ビルの覆いをよじらせて 詩ははたはたと空っ風に散るばかりだった。 伝えるべき何物ももはや私にはなかった。 小さい囲いでただ歯がみして 日々かっさらわれるばかりの私だった。 スクランブル交叉点で 私に道を聞いた人がいた。 離れていても 目見える人は そこにいた。 ※金時鐘『背中の地図』は、東日本大震災と福島原発事故を テーマとした詩集です。原発事故を無かったことにしようとする 日本で、一九四八年の四・三済州島虐殺事件で故郷を離れなけれ ばならなかった辛さと、福島避難民の苦しみを重ねています。 さらに、金時鐘が凝視しているのは、原発の処理作業の闇です。 詩「渡る」は、東北なまりの男が「西成はどこか」と聞いきます。 除染・廃炉作業に数万人の家無き派遣労働者、外国人労働者、 難民が携わり、被曝と搾取の過酷な状態に陥っていると国連人権 理事会からも警告されています。底辺ほど声もあげらず、使い捨て られるのです。 「ノアの洪水を思わせた東日本大震災はそのまま、現代詩と言われて きた日本のこれまでの詩の在りようをも、破綻させずにはおかなかった。 観念的な思念の言語、他者とはあくまで兼ね合うことがない、至って ワタクシ的な自己の内部言語、そのような詩が書かれるいわれが根底 からひっくり返ってしまったと実感した。」と金時鐘さんは同書で記して います。原発事故は日本の現代詩についても根源的な問いを突き付けた ことを忘れてはならないでしょう。 (河出書房新社 2500円+税) 『金時鐘コレクション』書評 植民地支配と在日を生きぬく詩 佐川亜紀 一言ずつ聞き手の胸に刻み込むように、詩の本質を 語りかける。虐殺された人々の無念を自分の肉体を通 して絞り出す。原発事故で奪われた福島の地に、かつ て朝鮮を離れた時のつらさを重ねる。金時鐘の切切と した自作詩朗読が満席のホールに響く。直前に大病で 入院していたとは思えない凜とした立ち姿だった。 『金時鐘コレクション』(全十二巻、藤原書店)刊 行を記念して開かれた四月十三日東京と五月二十六日 大阪の講演朗読と討論の会は聴衆があふれた。 人々の心を強く引きつける詩は甘い抒情ではない。 金時鐘は、むしろ厳しく日本と朝鮮の歴史や在り方、 経済合理主義の社会を問うて来た。自己の復元、人間 の復元を目指す詩はうわべの優しさではない。表面の 美をひきはがし、醜の中に潜んでいる美を見出す。自 分の過ちや逃げもさらけ出す苦しさを伴った。 このコレクションは、一九五〇年代の初期から最近 の詩集や未刊詩篇、評論や講演録まで収録している。 金時鐘は一九二九年に釜山で生まれ、日本の植民地 支配時は皇国少年だった。支配に従わなかった父親に もどかしさすら抱いた。感性の柔らかい時期に日本語 と日本文化に染められた悔しさ、日本語で詩を書く葛 藤はつきまとった。「日本語に対する報復」として流 暢な日本語を使わず、「訥々(とつとつ)しい日本語」 で批判精神に富んだ新しい詩を創造した意義は大きい。 朝鮮解放後は、共産主義運動に入り、一九四八年に 島民が大虐殺された済州島四・三事件に遭い、日本の 猪飼野にたどり着いた。 詩を書き始めた頃に、朝鮮戦争が起こる。大阪の詩 人・小野十三郎から励ましと影響を受けた。在日詩人 の同人誌「ヂンダレ」を創刊して活躍し注目される。 第一詩集『地平線』の「自序」の一部を挙げよう。 (コレクション第一巻収録) 自分だけの 朝を/おまえは 欲してはならない。 /照るところがあれば くもるところがあるもの だ。/(略)/行きつけないところに 地平があ るのではない。/おまえの立っている その地点 が地平だ。 「自分だけの 朝を/おまえは 欲してはならない」 は、金時鐘の詩の根本にある他者への思いやりを示し ている。私的な内部の言葉に留まる日本の詩へ異議を 唱えた。隠された在日朝鮮人の歴史と存在を明らかに し、自分にも南北朝鮮の困難を受け止める責務を課し、 在日を生きることを思想に高めた努力は貴重だ。 小国や弱者の苦しみを感じ取り、東日本大震災と原 発事故を自分の痛みとする詩を表した。日本の植民地 支配から現在までを地球的な視野を持って深く批評し 続けたのだ。 今、アジアは未来に向かって動いている。南北に裂 かれた朝鮮半島の融和を図り、新しい「朝鮮」とアジ アを構想する金時鐘の詩と評論等は重要な指針だ。世 界の共生を考えるためにぜひ読みたい業績である。 (「赤旗」2018年7月22日掲載) 『在日総合誌 抗路』5号 特集は、<「在日」の1948年>です。 1948年には、済州島の4・3虐殺事件に象徴される第二 次大戦後の新しい帝国主義分割が始まりました。1945年 の日本の敗戦でいったんは平和と自由の幻想がもたらされま したが、49年の中華人民共和国の成立など、アジアの共産主 義化に対しアメリカは反共体制の強化に転じます。朝鮮半島 の南と日本は反共防波堤としての国家に作り上げられて行っ たのです。 在日朝鮮人は、済州島出身者が多く、4・3事件と密接に 関わっていましたが、事件を口にだすことはタブーであり、 親族に危険がおよぶかもしれず、長く伏せられて来ました。 さらに、今号の優れた点は、イスラエルの建国が1948年で あり、世界史的に見て、西と東の大災難(ナクバ)が始まった 年と捉えているところです。これは、現在の朝鮮半島の変化が 中東情勢と連動していることを裏付けています。4・3を生き 延びた人々の証言、4・24阪神教育闘争、さらに、明治15 0年を問い、アイヌ、沖縄、部落の問題をも当事者が論じ、考 えているのも本号の注目すべき点です。 日本では、敗戦直後は、戦争中の苦難と被害のむごさに厭戦気 分が濃厚で、<平和憲法>を希望の理念と思う人々は多かった ですが、朝鮮人の参政権や教育権、生存権を保障するという 発想も行動もほとんどありませんでした。 「焼肉ドラゴン」の主人公のホルモン焼き店のおじさんは、 日本支配時は徴用・徴兵され、腕を失い、解放後は正式に 住む場所もなく、店も大阪万博の後に強制立ち退きを執行 されてしまいます。娘たちは北と南と日本に別れて巣立ちます。 朝鮮半島の南北分断は日本経済の高度成長に都合が良かった のです。朝鮮戦争で特需が生じ、復興の大きなばねとなり、 64年に東京オリンピックを開催できました。もし、南北が 統一し、人口も8000万人規模の国ができ、日本と経済競争 したら、大きな脅威になるでしょう。国際的な発言力ももっと 増すでしょう。1950年代は帰国事業のために北を良く言い、 南と日韓条約を結んだ後は、北敵視政策をとった理由をよく 考える必要があります。 「抗路」5号では、「南北首脳会談歓迎声明」(公益財団法人 ワンコリアフェスティバル)と「朝米会談に関する声明」 (特定非営利活動法人コリアNGOセンター)を発表して、 両会談を東アジアの冷戦体制の終結と平和共存に向け、 前進であり、努力すべきと評価しているのも特記されます。 丁章さんと崔真碩さんの詩にも教えられます。 <丁章「戦後の起点 1948年」より> そして解放されたはずの戦後の起点 独立を取り戻そうとして虐殺されたチェヂュ 民族を取り戻そうとして閉鎖されたハッキョ 取り戻すための建国が大災厄のはじまりを生んだ ウリナラも イスラエルも 戦後のはずが開戦の起点 世界は戦争まみれになった (略) そこに暗黒を破る融和の握手 奇跡の対話2018 戦後の起点よ 平和の起点よ ふたたび起これ あんなにも遠ざかっていた解放されたはずの光が 吹き返す息のように瞬きはじめている <崔真碩「サ・サム ひと」より> 済州島とパレスチナは、この世のどん底。 だから、これからの世界の中心だ。 この世の愛と平和が、かの島、かの地に降り注がんことを。 サラム ひと サラン ひと サラムは朝鮮語で人の意 サランは愛の意。 サラム ひと サラーム ひと サラームはアラビア語で 平和の意。 サラム サラン サラーム サラムは 愛と平和の意が込められている アジア語だ。 (「抗路」5号。発売クレイン 1500円+税) 『柴田三吉詩集 旅の文法』 沖縄 老婆の影のなかに 死者がひしめいている 影から這い出そうとする 濡れた手や足 そのたび 鎌のような日差しが カッと照りつけては はみ出たものを 刈り取っていく 死者たちはしかたなく 老婆の暗いホト しおれた乳房のなかに戻り なくした膝をかかえて眠る しかたなく いつだって しかたなく デイゴの道をとぼとぼ歩く老婆 ひどく痩せたかかとに 重い影が結ばれて 白くまばゆいサンゴの浜にも 死者はひしめいているが 日差しはなお激しく だれも 地上に 這い出すことができない 日が落ちて 吐息をつくものたちよ 千年の闇につつまれ 老婆の腹は蛭のようにふくらみ あかく火照っている 股のあいだから のろのろ這い出してくるのは 胞衣を引きずった島 沖縄だ ※社会批評性を持ちながら、詩を読むのがおもしろく、新しい発見が あるのは、なかなか難しいことです。柴田三吉さんは、 社会派の中でも優れた抒情性や寓話性を創り出す稀有な詩人。 詩「沖縄」でも老婆が沖縄を生むという幻想には深い想像力が 示されています。北朝鮮の「脅威」が薄らいでも、辺野古新基地 建設を止めないのをおかしいとも思わないヤマトの人々に対し、 沖縄の人々は最近の独立論のように、新しい島の姿をすでに 思い描いているかもしれません。 作品「禁裏」は、「(いま憲法をいちばん守りたいのは天皇家 なんですよ、と傍らに座る人が言った)」という鋭い指摘から 始まっています。生前退位が天皇自身から発せられ、「象徴 天皇制とは何か」が国民に提起されたわけですが、十分に論議 されていません。柴田さんは仕事で宮殿を修理するために禁裏 に出入りする体験をしています。そこで天皇のために果てしなく 降る落ち葉を掃く「奉仕の一団」を見ます。私たちはこの「奉仕」 の心性について今よく考える必要があります。 (白井聡著『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)では、 戦後も「国体」が続き、天皇制というピラミッドの頂点に アメリカを鎮座させたものだと説いています。) 詩「旅の文法」は韓国を「はじめて訪れるとき」「トイレ はどこですか」「〜はどこですか」の文法をただひとつ覚 えていった話で興味深いです。 詩「ソウルの地下鉄」では、ソウルの人々が「地の底から ゆっくりと/地上に戻っていくのだ」とあり、ほんとうに、 平和の希望が地上に戻ってきてほしいです。 (ジャンクション・ハーベスト 2018年5月20日 2000円) 『金時鐘コレクション T』解説 <解説>在日詩の原点と世界詩の地平線 ――詩集『地平線』ほか初期詩篇について 佐川亜紀 1 裂かれた自己からの創造 本書第一巻は、金時鐘が日本で詩を書き始めた頃の作 品を収録しているが、激動する朝鮮半島、日本、在日朝 鮮人社会の政治状況を背景としながら、早くも詩人の個 性がくっきりと現れていて驚かされる。 特に、第一詩集『地平線』(一九五五年十二月刊)の 巻頭の「自序」には思想と表現の根幹が鮮明に刻み込 まれている。 自分だけの 朝を おまえは 欲してはならない。 照るところがあれば くもるところがあるものだ。 崩れ去らぬ 地球の廻転をこそ おまえは 信じていればいい。 陽は おまえの 足下から昇つている。 それが 大きな 弧を描いて その うらはらの おまえの足下から没してゆくのだ。 行きつけないところに 地平があるのではない。 おまえの立つている その地点が地平だ。 まさに 地平だ。 遠く影をのばして 傾いた夕日には サヨナラをいわねばならない。 ま新らしい 夜が待つている。 (「自序」全文) 「自分だけの 朝を/おまえは 欲してはならない。」 と、自己の垂直的な掘り下げを中心とする日本現代詩の 閉鎖的な在り方とは異なる立場であることを宣言している。 モダニズム詩は、近代国家の個人が標準国語によっ て知性を主とした表現をする文学様式である。日本では 明治の開国以来、欧米の文学を移入することによって自 己を欧米人に偽装することに邁進してきた。帝国主義の アジア侵略も欧米に倣った面もある。その際に、内部で はさまざまな矛盾が起っていた。特に、日本的なアイデ ンティティーの消失にどう対処するかは切実な問題だった。 「和魂洋才」が喧伝され、天皇制というマジックで 矛盾を隠蔽する装置が上から強圧的に押し付けられた。 日本人は、日本の詩人も戦後も象徴天皇制を維持してい る自己と米国的な自己があいまいに混在していることに 不快も不思議も感じない。自己を対象化して自己批判す ることさえ<時代おくれ>として、ますます収奪のシステ ムに陶酔していく。それは、アジアの戦争の歴史責任を 回避してきた経緯と重なる。 文学形式においても短歌と俳句と自由詩が並存し、 昨今は多数の形式が交じる詩作品が流行っている。 表現の根底にある思想は考えない。 というか、無いのである。だが、現代詩において「自己」 が基点だとくり返し主張される。「自己」は「他者」が いて成り立つ。「自己」だけで世界ができているような自 国ファーストは未発達の精神にすぎない。 在日朝鮮人が「他者」として認識されることは日本社 会ではほとんどない。韓国併合によって土地を収奪され 飢餓に追い込まれ、言語と氏名と文化を抑圧され、独立 を目指した者たちは獄死させられ、解放後も支配の残滓 が南北分断につながったが、在日朝鮮人が日本で暮さな ければならなかった歴史は今日ほぼ消されている。 消されているどころか、歪曲した言説がヘイトスピーチとし て連呼され、インターネットで流布しさえしているので ある。敗戦後も同化政策を取り、そのうえ日本国憲法で 選挙権も剥奪した。本書収録の詩「開票」には金時鐘が 求める参政権への熱い思いが凝縮している。 日本では、在日朝鮮人を「自己」とは異なる来歴、文化、思想、 感性を持ち、人権を守るべき対象とは考えない。被支配者 ほど「自己」が損なわれた「他者」になるのである。支 配によって人間としての、ある民族としての主体を破壊 させられるほど「自己が裂かれた他者」になっていくの だ。だが、金時鐘は、被害者としてのみ日本を糾弾する ことをよしとしない。そこから創造が始まる。 「照るところがあれば くもるところがあるものだ。」 と絶えず、「他者」、社会の影となった他者を意識した詩 を目指す金時鐘の意志は、単なる社会主義に留まらない 根本的な思想なのだ。「照るところ」のきらびやかな幻 想に惑わされず、「くもるところ」にうずくまる人々を いつも見据え、影や夜こそが未来の創造の母胎だと思うのだ。 破壊された「他者」こそが支配者の正統性を相対 化でき、新しい文化や言葉を生み出す。『地平線』の第 一部が「夜を希うもののうた」であるのは意味深い。真 の希望は世界の夜から明るみ始めるからである。 しかし、一方で、まず「自分」という言葉が発せられ るのは、画期的だ。日本の支配から脱し民族性の回復が 第一義であった一九五〇年頃に「自分」という言葉を使 う事自体がまれな行為である。先達在日詩人の許南麒の 有名な詩「これが おれたちの学校だ」のように「おれ たち」「私たち」「ウリ ナラ(私たちの国)」、「ウリ( 我々)」の朝鮮文化が根底に流れる中で「自分」という 言葉と意識を生きるのは新しい隘路だった。 さらに、「おまえ」とは自分への呼びかけであり、読者への 呼びかけも含むだろうが、自己の客観的対象化が行われて いる。この客観化された自己、他者とともにある自己、理想( 当為)の自己が、複数に分裂し矛盾し葛藤し創造し合う のが金時鐘の表現主体である。分裂し矛盾し葛藤する自 己を常に、意識化し、方法的に詩作品や評論に表したの は、非常に貴重で偉業だとあらためて特記したい。それ は政治社会に真摯に向き合い、日常生活においても思想 の炯眼を通して考え続けているからにほかならない。 日常でも引き裂かれる意識をみつめている。「飢えと失業 /性情と飢えと 虚栄と自己と――/ぼんやり 心の中 で落書をして/すべてのものに、自己は二つだと悟らさ れて」(「飢えた日の記」)。 社会的な事態において自分だけのことを考える自己と、 他者とともにあろうとする自己は引き裂かれる。 金時鐘は、日本支配時に皇国臣民で あった自分のくやしさ、四・三事件後に済州島から逃れ たうしろめたさ、朝鮮戦争に日本で加担する苦しさ、韓 国の民主化闘争に参加できないもどかしさ、朝鮮半島の 分断と危機を和らげられない無力さを詩で厳しく自己に 問うてきた。理想も冷静に客観視されてきた。 日本詩人は、社会や歴史と真摯に向き合わず、分裂し 矛盾する自己自身を省みて来なかった。政治に踏み込む ことを社会主義者とレッテルを貼って避け、美や無でぼ かしてきたのである。根本の批評を好まず、一元的な美 にのめり込む。 だが、現代世界を鋭く感受する世界詩人とは分裂し葛 藤する自我の持ち主である。ナチスに両親を殺されたパ ウル・ツェランやカリブ海セント・ルーシャ島の詩人デ レック・ウォルコットのように支配言語と被支配言語の はざま、錯綜する文化や宗教のはざまで生きざるをえな いのが現代世界だ。 複数の言語と文化が混入し、国家は溶解し崩壊している。 支配言語によって被支配言語が抑圧され、 支配を受けると同時に反抗復讐し、さらに高次 の支配なき世界を望むとき、自我は分割されるのだ。世 界詩人とは分割した自我を表現する者に他ならない。自 我は裂け続け、複数の意識にまたがったまま存在を得る。 同一化すべき集団は常に壊れてまた生じる。 金時鐘は、日本が支配したとき、日本と同一化しよう としたが、父親のふるまいはどこかでまったき同一化を なしえなくさせただろう。解放後、共産主義運動に同一 化しようとしたが、現実の指導部への懐疑はまったき同 一化を阻んだ。国家や民族などの集団にまったくは安住 できない。複数の批評的自己が世界化の必然として現わ れるのだ。世界的な帝国主義支配が安住する故郷を持て ない批評的な自己を生じさせた。 皇国臣民化が強制された時代に朝鮮語詩集を書いて日 本の福岡刑務所で獄死させられた尹東柱)も絶えず自らに 厳しく、詩「自画像」のように自己を心の井戸に映して 愛憎をこめてみつめた。抜きんでた朝鮮モダニスト・李 箱)は朝鮮語と日本語で創作し、「詩第一号」で十三人の 子供を疾走させ、激変する世界で十三に分裂する自己を 描いたのかもしれない。 『地平線』のあとがきで金時鐘がふれた許南麒の『朝 鮮冬物語』が朝鮮のことが大半であったのに対し、金時 鐘が在日の暮しを詩表現にしたのは画期的だった。「行 きつけないところに 地平があるのではない。/おまえ の立つている その地点が地平だ。」は、自己の足下の 現実を踏まえてこそ理想の陽は上り、世界への地平が開 けてくるというリアリズムの本質を端的に表している。 この思考と覚悟こそが、在日朝鮮人自身の暮らしを意義 付け、在日朝鮮人の歴史と言葉と感性を独創的な思想に 練り上げていった。朝鮮民主主義人民共和国の在外公民 という観念性の方が当時有力であり、「足下から」を主張 するのは勇気が要ることだったろう。表現も、明確で重 過ぎない。民族主体を述べるのに過剰で定形的な言葉が 使われやすかったが、「地球の廻転」「大きな 弧を描い て」など科学的で図形的である。(以下略) ※『金時鐘コレクションT』の解説を書かせて頂きました。 『金時鐘コレクション U』『金時鐘詩選集 祈り』 しゃりっこ むかしはあかを喰った。 今は白を喰っている。 喰って 生きる。 生きる。 しゃりっこじゃ 間に合わねえから 硬貨を喰う。 喰う。 喰うんだ。 威勢よくはいかねえんだ。 丹念に 奥の歯ぐきをゆききして 青ずっぱい唾が 飴になるまで ころがしとおすんだ。 がりっこ しゅるっこ がりっこ しゅるっこ こくっ じゅるっこ 飴が延びる 下りる じゅるっ るーと たまってくる。 おれのからだは ゼニっこで 一ぱい。 今に 頭までも つまるだろう。 それで からだは お金そのもの。 お金までが 暮し そのもの。 しゃりっこ しゃりっこ 横へ振っても しゃりっこ 地べたへかがんでも しゃりっこ 前後左右が しゃりっこ しゃりっこ。 りんー と 鈴には いつなるの? まだ。 まだ。 お前のお前が お前を 生んで 父が死んで 固められて お前の母が おりかさなって おれらが 一つの 山になったとき 誰かが掘って いうだろうよ。 あ。 これはアルミの 山だ。 金のにするんだ。 金のにするんだ。 あたしは 銀のよ。 一日の稼ぎは 三枚。 保ちのいいのは ゼニっこです。 わざわざ変えた 三百個。 親子四人で がりっこ しゅるっこ がりっこ しゅるっこ かあちゃん。 あたしはやわらかいのでいいの。 ほしい。 ほしい。 ねえ。 だめ。 ペラペラは よごれているから。 この世で 一番 ババチイモノ。 やだーい。 だから ぼくは 金になるんだ! かくて 息子 その価値を 追う。 行きつけそうで 追いつけそうで ほうけた体が 錫になる。 これが あたしの?! 靴をくれる 男には 娘。 娘。 今の今でも 行ってしまう。 年とって 稼ぎのゼニっこが なくなって 頭だけが はっちゃって しゃりっこ しゃりっこ もぐもぐだけじゃ 通らない。 四十年越しの 便秘に 妻は今も しゃがんだなりです。 ばあさん まだかい? いや 今に出ますよ。 出ますよ。 化石しかけた おなかを おさえて 妻は じっと こらえている。 胃ぶくろで こってり ねられたものが 大腸を通り 肛門口を抜け出る間。 黄金になります。 きっとなります。 妻は 信じて 待っている。 出るとも。 出るとも。 廃坑では ない。 まだ誰にも 掘られた 穴では まだ ない 二人 くろくろ 横に なる。 『金時鐘コレクション U』には、1960年代に組版の段階まで 進みながら、在日組織から弾圧を受けて出版できず散逸した 『日本風土記U』が収録されています。この復元には若い研究者・ 浅見洋子さんの努力が大きいのです。 「しゃりっこ」を2巻の解説でも、浅見さんは取り上げています。 <「しゃり」、すなわち白米の隠語から造語された「しゃりっこ」 は、独特のリズムのなかで、硬貨が腹のなかで擦れ合う音へと変換 されていく。ここでは、いくつかの隠語が軽妙なリズムによって 揺れ動き、その意味が徐々にずらされていくのである。> オノマトペがこれほど駆使された詩もめずらしく、2018年のシンポ ジウム「今、なぜ金時鐘か」で鵜飼哲さんも注目されていました。 隠語により在日朝鮮人の暮らしが生理的に伝わってきます。 しかも、硬貨を喰うとは、最近のマネーゲームに明け暮れる日常 にも通じ、今も非常にリアリティを感じさせます。 『金時鐘詩選集 祈り』を編纂した丁海玉さんも「自序」の次に、 一番目の詩として「しゃりっこ」を入れています。「金時鐘の詩の 朗読を初めて聞いた時、熱いものが頬を伝ったことを覚えている。 詩人の日本語に見えない鎖が何重にもかかっていた」「その詩を、 絡み合ったふたつの言葉で紡いだ詩という視点で読めないだろうか」 との思いで、若い人にも親しめる詩選集を意図したそうです。 金時鐘の詩は、言葉と社会に対し、さまざまな生きた批評に満ち、 ぜひ多くの人に手に取ってほしい本です。 (『金時鐘コレクション U』藤原書店 2800円+税) (『金時鐘詩選集 祈り』港の人 1800円+税) 『細見和之著「投壜通信」の詩人たち』 詩を書く営みの本質は、「難破船の水夫が、渾身の思いで壜に詰めて 放ったたぐいの最後の通信である」とし、ポーの「壜の中の手紙」や 「ユリイカ」の象徴的な構成から始めて、ツェランに至るまで歴史の 過酷な暴風と荒波の中で、絶望と未知の暗闇に向かって投げられた 詩篇を鋭く分析し、真にせまる解釈をした本です。 まず、注目したのは、「第四章 T・S・エリオットと反ユダヤ主義」 の内容です。というのは、私は「社会文学」47号(2018年2月刊) に「戦後詩を再考する―鮎川信夫と黒田喜夫をめぐって」を書いていて、 そこで、エリオットについても触れているからです。私が取りあげたのは、 1939年3月から1940年5月に出された第一次「荒地」に金炳文、 金景熹という朝鮮人同人がいたことです。金景熹は鮎川らと一緒にエリ オットの長詩「荒地」第五部の共訳をしています。鮎川は「現代は荒地で ある」という知性を抱くことによって、日本帝国の滅亡を予測し、心底で はファシズムに組みこまれなかったと『樋口良澄著 鮎川信夫、橋上の 詩学』で述べられています。韓国の英米文学研究者で詩人の金宗吉さんもエリオットのコスモポリタン性を讃えています。そのエリオットが反ユダ ヤ主義で、有名な「荒地」冒頭部分の詩句「生粋のドイツ人です」の裏に ホロコーストの残酷な選別とユダヤ人決めつけの歴史が潜んでいるという 細見さんの指摘に目を開かされました。 しかも、複雑なことに、エリオットがかろうじて市民性を発揮して反対し たニュルンベルク法(ユダヤ人選別法)を断行したヴィシー政権のフラ ンスに対して、鮎川信夫は詩「サイゴンにて」で西欧的市民国家への憧れ をこめて書いているのです。この点については高良留美子さんが、鮎川のフランスへの無批判的憧憬を評論集『女性・戦争・アジア』で批判しています。 細見さんも詩「荒地」そのものの素晴らしさは否定しないものの 米国研究ではむしろ既知のエリオットの反ユダヤ主義が日本で ほとんど問題とされていないことに一石を投じたのです。 「第七章 パウル・ツェランとホロコースト(下) ―「エングフュールング」をめぐって」で驚いたのは、 従来、飯吉光夫さんの訳では「ストレッタ」と題された詩は 「原爆投下という問題までも組み込んだ世界の再創造という ような形で」理解することができる作品だということです。 ホロコーストばかりではなく、原爆により「石」にまで下降し、 もはや人間の痕跡が失われてしまった「世界」から はじめてツェランは再創造を想像します。 ツェランの現代認識の重層性に感嘆します。 人間の痕跡がないほど破壊された世界で、なお言葉を、 詩を投げるごくわずかな可能性に賭けるのです。 現在は、ネットの荒海もあります。記号化と数字化、 管理された商品と廃棄処分の暴風のなかで、 それでも言葉を発し、時空を超えた受信者を信じることは 失いつつある人間文化の基盤を回復することにもなるでしょう。 他に、マラルメと「絶対の書」、ヴァレリーとドレフュス事件、 カツェネルソンとワルシャワ・ゲットーなど、詩と歴史的現実が 問い合い、創造し合うような関係を世界的詩人の生涯と仕事を 通して探究した豊かな意義が汲み取れる本です。 (岩波書店・3100円+税。2018年3月14日) 禁止条約の前文では、「ヒバクシャにもたらされた苦痛」との 一節を入れ、「核なき世界」を長年訴え続けてきた被爆者や 条約推進国の関係者は苦労の成果を称えあいました。にもかかわらず、 日本政府は米国など核保有国に同調してボイコットまでしました。 福島第一原発の廃炉の見通しさえ立っていない中、日本の戦後平和 思想の根幹だった「核なき世界」がほとんど崩れています。 世界も核の小型化により核拡散が止まらなくなっています。 峠三吉は原民喜に比べると、近年知られることが少なくなっていたかも しれませんが、2016年に大江健三郎さんとアーサー・ビナードさんの 解説が付いて『原爆詩集』が岩波文庫に収録されました。 「序」という巻頭詩は改めて考えさせられます 序 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 全文ひらがなで一見よみやすく、それゆえ有名になった詩ですが、 ふくんでいることは多いです。 一連は、原爆で殺された家族のひとりひとりの顔が浮んできます。 「ちちがしんだ」でもなく「ちちがころされた」でもなく、 「ちちをかえせ」と強く求めることが印象深いです。 さらに、二連で「わたしにつながる/にんげんをかえせ」と根本 的な思想性に高めています。原爆が単なる殺人兵器ではなく、 今まで人間を形作っていた文化や倫理や家族や社会を破壊する 異次元の兵器であると告発しています。 三連の「にんげんのよのあるかぎり」は人間に対する絶望と信頼が 二重に感じられます。原爆は人間が作り出したもので、戦争、大量 虐殺も人間が起こします。でも、核兵器を撤廃し「くずれぬへいわ」を 築くのも人間のほかになりません。「かえせ」と迫られているのは原爆を 投下した米国ばかりではなく、日本の、世界の人間たちだと思います。 これは告発の詩だと言わますが、「かえせ」とは峠が自分自身に 求めたことだったのでしょう。 大江健三郎さんは峠三吉の「自己批評の徹底ぶり」に着目しています。 「この異形(いぎょう)のまえに自分を立たせ この酷烈のまえに自分の歩みを曝(さら)させよう その自己批評の徹底ぶりは、峠三吉に私の見出す特質です。」 「むらがる裸像の無数の悶えが 心にまといつくおののきのなかで 焔の向うによこたわったままじっと私を凝視するのは たしかわたし自身の眼! ここに私は人間がなしうる、見る眼と見られる眼の劇的な 転換のきわみに立ち合う思いを持ちます。私らが『原爆詩集』 に感じとって来た峠三吉の巨大さはこのような仕方であます ところなく私らに示されています。」と従来、<告発の詩人>の 印象が強かった峠三吉を<自己批評><私を凝視するわたし自身 の眼>として大江健三郎さんは再評価しています。 アーサー・ビナードさんの解説は「日本語をヒバクさせた人」と 言葉の表現そのものに照明を当てたのが新しいです。 「<あ にげら れる> どうしてこのように改行して三行にまたがらせるのか?それは、 このセリフを吐いた人間の声帯の細胞が放射能にズタズタにされ、 唇も熱線に焼かれる中で、発する日本語が無傷で済むはずがない からだ。被爆は詩の改行にも影響し、極度の混乱状態において 連を分ける余裕すらない。「死」の八十六行は、メリハリはあ るものの一度も息をつける一行空きはなく、必死に生きようと する主人公の息が、この独り言とともに絶えるまでつづく。」 「序」が全文ひらがなのように、峠三吉は何か通常のやり方では 表せない異様な声を残したかったのでしょう。日本語そのものが 被爆し、被曝したとはたいへん鋭い指摘です。この観点から読み 直すことの大切さを教えられます。 また、2016年春に行われた「オバマ米大統領広島演説」が 歴史認識も大統領としての思いもこもっていない「既製品スピーチ」 にすぎず「ブラッド・ピット広島演説」として上演してもいい薄っ ぺらなパフォーマンスだったと見抜いたのは、感激しておおさわぎ した日本の多くの人々への警鐘として響きます。 (岩波文庫 480円+税) 中村 純詩集『女たちへ Dear Women』 ちいさな手 雨につぎつぎに落ちた花を ひとつひとつ ひろう あなたの ちいさな手 あなたはそれを わたしにひとつずつ もってきて たいせつに てわたすのです あなたは わたしの手をとって わたしは ちいさな手をかんじながら あなたとふたり あるきます あなたの手は 色とりどりのクレヨンや チョークや 色鉛筆で マレーシアで見たブルーモスク 恐竜や 船や 家を描きます あなたの手は 青虫の籠に みかんの葉を入れ 死なせないように 大切にアゲハにします だから あなたの手は 武器をとっては いけません だから あなたの手は 人を ころしては いけません あなたを産んだ日 わたしは あなたを生かすために 産みました あなたが 殺されるために 産んだのでは ありません あなたを産んだ日 わたしは いのちをあげました あなたは 病にたおれません わたしの いのちをあげました あなたは ころされません わたしの いのちをあげました あなたは ころしません わたしが ころされても あなたは わたしが産んだ 赤ちゃんです 兵士は だれかが産んだ 赤ちゃんです ころされるのは だれかが産んだ 赤ちゃんです 陽の光に驚き 目をみはった 赤ちゃんです ※「ちいさな手」は、平和のために活動する女性団体の新聞に 掲載されたそうです。「わたしの いのちをあげました/ あなたは ころしません/わたしが ころされても」は平和 への意志において意味深いものを含んでいます。 現在、「自衛」のための軍備と改憲が進んでいますが、「自衛」 とは何か、報復をしないとはどういうことか、もっと考える ことが必要です。 この詩集は、「私の原点を女たちへの対話(ダイアローグ)と して」編んだものだそうです。「今でも坂から転げ落ちてくる 女たち、土くれの中に棄てられた女、ネットカフェのトイレ に産み落とされた胎児がいます。それはいつかの私で、いつか のあなたです」との「あとがき」の言葉は女性たちに切実に 響くでしょう。(土曜美術社出版販売 1000円+税) 『在日総合誌 抗路』4号 特集は<「在日>のクニ>です。クニとカタカナで記した所に意味があります。「在日」は朝鮮が日本によって「韓国併合」されたことに由来し、 解放後も朝鮮半島が二つの国に引き裂かれ、国家の不条理を現在も生活の端々にまで被っています。しかし、この特集では既成の国家観に囚われずに自由な発想を試みています。 「クニとカタカナにしたのは、既存の国家とその体制、あるいは既成概念としての国家にとらわれずに自由な発想をしてみたいという願いからだ」と編集委員の趙博さんは述べ以下の可能性を考えます。 「クニ」の「仮定・夢想」には様々あることを気付かされます。 「一、南北朝鮮が統一して、我々「在日」は、その統一国家の国民となる。 二、日本が民主化され、我々「在日」も、その主権者となる。 三、沖縄(琉球)が独立し、我々「在日」にも、その国籍選択権が与えられる。 四、アイヌモシリが復活し、我々「在日」にも、その優先的居住権が与えられる。 五、日本が解体し、我々「在日」は、自治居住区(nation)を確立する。」 琉球の独立やアイヌモシリの復活まで思いを巡らせているのは卓見。 スコットランドなど世界の動きを見れば夢想とは言い切れません。 岡本朝也さんの「国境線のこちら側で」に、移民反対論を最近展開する上野千鶴子氏への批判が書かれています。移民は必然です。というか、移民に来てくれる?と心配すべきなのが現実ではないでしょうか? 在米韓国人、在加韓国人が急速にふえているのが事実です。 地震、原発事故、経済の将来性低下、米国の傭兵国家の 日本にやすやすと人が来てくれる とは思えません。 韓国に行って以前「円」を使えた所で、今は使えません。 「ウォン」か 「ドル」か「元」です。 日本の地位の低下をひしひしと感じます。 それに、インターネットと金融資本主義、タックスヘイブンによる国家を 超越した富の集中保有と非常に不平等な分配が 行われているのですから、 世界的に国家が変わっていくでしょう。 その隠蔽でナショナリズムが強化 されているのかもしれません。 一方、内海愛子さんの<戦後日本の「平和主義」と朝鮮>の 論考のように日本が植民地支配の責任を取らず、 敗戦後に在日を排除した歴史的な調査と記録も大切です。 尹健次さんの<「在日」にとって普遍性とは何か>は 重要な問いかけです。戦後の日本の「平和主義」「普遍主義」に 欠落していたものが今議論になっています。 「在日」や女性の問題提起を受けて「民主主義」も豊かになる 必要性がある、これは1990年代から言われて来ましたが、 上記の上野千鶴子氏のような言説も出て、さらに議論を深めるべきでしょう。 朴銀姫さんの「ミサイルとサードの狭間 尹東柱とその後裔たち」 では、「目下危機に瀕した朝鮮族が生き残る」には、 「中国では、朝鮮族研究者や文学者が尹東柱の詩を もっぱら抵抗詩として、甚だしくは愛国詩として 読まなければならない」という報告に驚きます。 柳時京さんの「詩人尹東柱の100歳を記憶する」の キリスト者として、世界の詩人として読む姿勢を思い合わせます。 柳さんや楊原泰子さんたちの「立教の会」は2017年11月23日 立教大学で、記念のシンポジウムや朗読、演劇を盛大に行いました。 現在の立教大生が積極的に取り組んでいたのは素晴らしいことです。 上野都さんの「翻訳余話」は、詩集翻訳に真摯に向かい、 尹東柱の心を追い求めた気持ちが伝わります。 巻頭の金時鐘先生の詩「ゆらめいて八月」「うすれる日々」に 深く共感します。日本の八月の願いや祈りはゆらめき、 うすれていくばかりです。戦争を体験したこの記憶こそ 「クニ」を構想するときの基軸になるはずでした。 八月の夢、とどろいた歌、 こぞる思いもつのるまま 氷晶をかかえた黒雲になり にわかに下界を誌の篠突(しのつ)かせては またも蒸れてぎらついて 悲嘆も喊声も気化した日々も 白い日差しのかげろうになり、 物のあわいでゆらめきたぎって 願いも祈りもつかえた言葉も からから乾いたかげろうになり、 (「ゆらめいて八月」部分) 丁章さんの詩「このクニのかたち」の日本国憲法の改悪は 人類の祈りへの背信という指摘も鋭いです。 このクニの平和の条に自衛隊を加えるとき このクニはふたたび歴史への罪を犯す すべての人類から託された祈りへの背信! このクニのかたちは コクミンのためだけのものではないのに このクニのかたちはまだ サラムのゆるせるものからは遠い (「このクニのかたち」部分) 石川逸子さんの詩「風がきいた」は隠蔽された この国の歴史を知らしめます。 知っていますか 風がきいた 昼の月に 一九一九年三月一日 国旗をもって「独立万歳」叫んだ朝鮮人少女が 右手 左手 を 次々 切り落とされ なお 万歳を連呼して 日本兵に殺されたことを (「風がきいた」部分) ほかにも、刺激的な文章がいっぱいあります。 安易なナショナリズムに流されそうな今日、<「在日」のクニ> を考えることは、日本が排除し喪失したものを想起し、 未来への想像力を高めることになると思いました。 (クレイン・2017年11月10日/1500円+税) 『高良留美子詩集 その声はいまも』 失われた声を、今もその人が生きているように聞き、語りたいという難しい願いを詩人は抱く。願いは詩の源から発し、詩人は生命の循環する光を受け取り、言葉を体で共鳴させる。 本書は、高良留美子の十冊目の詩集で、作者の人生や社会歴史の重要な場面が登場するが、単なる過去の記録ではなく、夢や幻想が生き生きとしたイメージとして出現している。「あとがき」で「ことばが体のなかを回流して脳髄に達するように、夢や幻想は岩石という体をめぐって麓に達する」と述べ、現在の「思考する体、感じる体、働く体」を通しているため、 新鮮で、臨場感が伝わるのだ。 表題作「その声はいまも」は、二〇一一年三月一一日に南三陸町役場で 避難を呼び掛け続けて自らは津波に呑み込まれてしまった女性の記憶を 深めている。自然の人智を超えた大きさを思い知り、最後まで人々 のために尽力した女性を抱き取り、死がいのちの甦りに転ずるよう切望する。高良の体には彼女を呑み込んだ海が満ちている。 だから「いまもその声は/わたしの底に響いている」のだ。 「希望という名の」という作品は、戦後まもなく「広島の原爆を意識的契機として、かつて河本英三が創刊した若者の文化運動誌」である「希望(エスポワール)」の最初の編集会議の様子を記しているが、説明ではなく、風が吹き抜けていく気配がし、場面が交錯している。過去、現在、未来が 論理ではなく、イメージの自由な混合できらめき合い、迫って来る。 こんなに戦後の「希望」は輝かしかったのだと驚く。 共に文学活動をした亡き夫についても、詩「物語の真ん中」など自分の感情より、長編作家であった彼の本質を浮き彫りにしている。 「幾本もの電線のように、レールのように、物語の筋が伸びている」。 茨木のり子が亡き夫への慕情を綴った詩集『歳月』は、 茨木が抒情詩人であったことを示すが、 高良はやはり良い意味でモダニストだ。 客観的な物質で他者の本質を明確にする方法 がモダニストを超えたモダニストである。 作品「月女神を探せ」は、男性支配の文明によって殺された 月女神の復活を祈る。「月への信仰とともに、死と再生の思想が 深く根づいていました」という日本の深層から現代文明の出口を探る。 詩「海の色の眼をしたひとへ」など女性解放のためにた たかった女友達への追悼詩も心打たれる。 「戦争のなかで生まれて」の終連の言葉は透徹した知性による問いが鋭い。「それとも二つの戦争のあいだの、束の間の平和 に過ぎなかったのだろうか。」 また、詩「Yデーの記録」は、昭和天皇の死が近い日々の自粛と 緊張の様子を記し、「清浄な原稿」まで要求する抑圧は恐い。 巻末の詩「おびんずる様」は幼い頃から作者に葛藤と反抗心を かき立てた「母」が生の支えともなっていたことを理解させ、 幾千の葉が重なる樹のごとく人生の意味が 豊かに感じられる詩集である。 (「神奈川大学評論」掲載。) (思潮社刊。2500円) 『河津聖恵詩集 夏の花』 月下美人(一) 闇の奥で眼窩たちは息を呑む 一輪の花がいまひらきはじめる なおも咲くのか なぜ咲くか 無数の黒い穴は問いもだえる 死ぬことも生きることも滅んだのに 宇宙の一点をいま花の気配が叛乱する 穴はいっしんに嫉妬する 月下美人 幻想の名の匂やかな花芯が 死者たちの無を乳のように吸いよせる ゲッカビジン 重い鈴のような音の裏側で 死んだ子どもたちが 飛沫のような声をあげる 花のうつくしさに恐れつつこがれ ついに誰が撃ったのか 太陽は草はらに墜落し 世界はきりきり昼夜をねじらせ落ちた たった一輪の花のもとへ供犠し、かがやき、 太陽の眼窩から 古代の月光がこぼれ夜の葉脈を伝い降りていく 蕾を締める死の紐はゆるみ 闇の真芯は軋み たった一輪の内奥から 夜の深みを引き裂き立ちあらわれる氷の純白 はばたこうと蠢く蕊の黄金 歓喜だろうか あるいは苦悩だとしてもそれは すでに陶然と立ち尽くす私のものだ 自らの外で蝙蝠の瞳をつぶらに輝かせ 花の閃きを浴び 花の蝕に呑み込まれてしまいたい 一輪の花がひらく大いなる夜に 命を生きられるために ※「あとがき」で河津さんは「本詩集は原発事故後書きついだ、 花をモチーフとする詩をまとめています」と記しています。 「花ならばなぜ原発の根元に咲いたのか―――。希望とも 絶望とも言えない不思議な光景でした」とも語っています。 原発事故後に予感したすべての人間、動物、植物も滅亡する 風景。「夏の花」は原民喜の小説の題名であり、花の死と生は、 原爆投下後の世界でもあるでしょう。「なおも咲くのか」 「なぜ咲くか」を問わずにはいられない、アウシュビッツ後 の詩への問い「なおも書くのか」「なぜ書くか」を連想します。 韓国の写真家鄭周河さんの被災地を撮影した写真集『奪われた 野にも春は来るか』にも触発されたと述べ、奪い奪われた土地 に「死ぬことも生きることも滅んだのに/宇宙の一点をいま花 の気配が叛乱する」詩の可能性を問うのです。 朝鮮の詩人・尹東柱の故郷を訪ねた作品「詩人の故郷」 では「まだ魂があるというひとすじの希望」を手繰り寄せるように 「詩人の魂の中へ歩み入る」のです。闇を落ちながら「新たな詩の 力を考え感じる」一輪の花の内奥から発せられた詩集です。 (思潮社2300円。2017年5月1日刊) 『八重洋一郎詩集 日毒』 日毒 ある小さなグループでひそかにささやかれていた 言葉 たった一言で全てを表象する物凄い言葉 ひとはせっぱつまれば いや 己れの意志を確実に 相手に伝えようと思えば 思いがけなく いやいや身体のずっとずっと深くから そのものズバリである言葉を吐き出す 「日毒」 己れの位置を正確に測り対象の正体を底まで見破り一語で表す これぞ シンボル 慶長の薩摩の侵入時にはさすがになかったが 明治の 琉球処分の前後からは確実にひそかにひそかに ささやかれていた 言葉 私は 高祖父の書簡でそれを発見する そして 曽祖父の書簡でまたそれを発見する 大東亜戦争 太平洋戦争 三百万の日本人を死に追いやり 二千万のアジア人をなぶり殺し それを みな忘れるという 意志 意識的記憶喪失 そのおぞましさ えげつなさ そのどす黒い 狂気の恐怖 そして私は 確認する まさしくこれこそ今の日本の闇黒をまるごと表象する一語 「日毒」 ※八重洋一郎さんが2016年2月の「日本現代詩人会 西日本ゼミナールIN沖縄」の講演で「日毒」という言葉を 述べられて、衝撃を受けました。 まさに「己れの位置を正確に測り対象の正体を底まで見破り一語で表す」 強烈な言葉です。 明治の「琉球処分」から日本支配の毒は急激に強まりました。 琉球王国を滅亡させ、日本に併合し、収奪を厳しくし、 アジアの戦争に突き進む基地とし、沖縄戦の残酷をもたらしたのです。 今も、過剰な基地負担が覆いかぶさるばかりでなく、辺野古に新設されようとしています。抗議した平和運動家を不当に逮捕長期拘束し、 国連から国際人権法上問題があると指摘されました。 「日毒」が恐ろしいのは、民衆にもだんだん染み入ることです。 国家の横暴にも、毒が回ると、鈍感になって慣れてしまいます。 それどころか、国家に同調することに快感を得て、共依存になります。 ほんとうに中毒症状を現在呈しています。 戦争の惨たらしさや加害被害の歴史も意識的に消去しています。 アジアの近代は、基本的人権などの権利がないまま開発独裁に 陥りがちですが、日本も開発独裁である己れの位置を見るべきです。 長詩「山桜」では、日本を操るアメリカの毒も露にしています。 日本と中国の貧乏人階級を戦わせて兵器を大量に買わせて 利益をもくろむ軍事ビジネスマン。北朝鮮の脅威を煽って 使い物にならないオスプレイや迎撃システムを購入させ、 沖縄を軍事的標的にする魂胆です。 こんな意図も分からず、小さなミサイル実験で騒ぐ日本民衆は アメリカの笑いものとなっています。 今の真髄を見るにぜひ読みたい一冊です。 (コールサック社 1500円+税) 『高良留美子評論集 女性・戦争・アジア』 隠蔽された現代詩のテーマを追究した評論の集大成 高良留美子は、初期から女性・戦争・アジアのテーマ を一貫して意識し、詩の本質的課題として実作と批評を 展開してきた。自選評論集は一九九二〜九三年に既に刊 行しているが、一九五九年から現在の書き下ろしに至る 評論と発言の中心分を発展させたのが本書である。これ らの主題は、極めて重要であり相互に関連しているが、 敗戦後の日本の詩、日本社会では決して主流にならず、 むしろ排除と隠蔽が繰返されてきた。高良が世界に目を 開き、粘り強く詩の運動にも労力を注ぎ、知性と感性を 駆使し優れた批評を重ねてきた稀有の業績に驚嘆する。 「T 女性詩人」では、石垣りんの女性の老いを書い た先見性と家への嫌悪、茨木のり子の生を捉えるみずみ ずしさ、新川和江の幻想と日常の二重性の恋歌、滝口雅 子の朝鮮体験と他者性の発見などが新鮮だ。在日女性詩 人のさきがけの宗秋月の詩のリズムと渾身の賛歌を称え ている。女性学の先駆者である水田宗子の著書もふまえ フェミニズム批評の多層を感じた。高良が「あとがき」 で書いた「女性詩の時間スパンの長さと生命や自然との 関わりの深さ」について今後一層評価されるべきだ。 「U 追悼」では、茨木のり子が吉本隆明に『戦後詩 史論』で「最近小言ばあさんになってきた」と評された ことに怒り、傷ついていたことを明かしている。 「V アジア、戦争、植民地支配」は現代詩史の論点として 最も注目した。敗戦後の現代詩の主流は、「荒地」 の鮎川信夫、吉本隆明の詩論にもとづいた道を歩んでき た。〔鮎川信夫「サイゴンにて」からベトナム戦争へ〕 の項で詳しく分析されているように、「アジアの民衆へ の共感の弱さ、自由主義国家の理想化、そして社会主義 陣営の全体主義への嫌悪」は、長く詩壇のテーゼとなってきた。 〔清岡卓行と『アカシヤの大連』――日本のモダニズムの 精神的態度としての<白紙還元(タブラ・ラーサ)〕の項では、 <白紙還元(タブラ・ラーサ)>が文学でも現実でも政治 でも過去忘却の役割をいかに果たしてきたかを喝破している。 植民地に対して望郷に浸る主人公に読者は共感する。 侵略の反省を迫られることなく、ただ美的情緒に包まれたい との願望が読者共同体を形成していった。吉本隆明は、敗戦後は 詩人の戦争責任問題を突いたが、後に大衆迎合に陥った。 昨今は商業資本によって「大衆」も「読者共同体」も偽 造される時代で、自省が必要だ。また、金時鐘の長編詩集 『新潟』を一九七一年に早くも本格的に論考し、「死者た ちさえもが語る」と理解し卓見である。〔『辻詩集』への 道〕は詩人にとって今日の問題で、以倉紘平の故郷と国家 を同一視した作品への疑問は鋭い。永瀬清子の『辻詩集』 収録詩の分裂は軍国主義一元化への移行の実例だ。 「W 人ともの」では、「荒地」と並ぶ戦後詩誌「列 島」の方法を物質性に置き、自らも物質性を重視してき たと述べている。抒情を物に仮託するのではなく、物そ のものから語るのは日本文化では困難な課題だった。さ らに、ポストモダンの金融資本主義時代は言語が物から 遊離し、金融のように自己増殖する詩が流行っている。 「X 詩と会い、世界と出会う旅」では、度々触れ られるタゴールの詩の豊かさ、東欧、アラブ世界、ソ連・ ロシア、アフリカ、韓国、アジアなど、地球的つながり に目を見張る。これほど積極的に世界を巡り、詩人と交 流し、詩の紹介に努めた軌跡は、日本の詩の宝物だ。 「Y 詩誌と詩人会、詩運動へ参加」は、「詩組織」 「現代詩の会」「詩と思想」など、苦労と心痛を負うこ ともたくさん起きたのに責任感に敬意を抱く。 「[ 現代詩の地平」の詩壇時評では、もてはやされ た女性差別詩をきちんと批判した勇気は尊い。 本書中の「この前の戦争のときは詩から崩れた」との 花田清輝の言葉は恐ろしい記憶であり予言だ。隠蔽され た真の主題について高良留美子が取り組んだ貴重な仕事 は時代に対峙し、実に多くの光線を発している。 (「週刊 読書人」2017年3月24日掲載。 土曜美術社出版販売 2700円+税) 『うら いちら詩集 日々割れ』 私たちの日常は今深くひび割れている。しかし、支配層はひ た隠し、巧妙に分裂を利用し対立させ、国家主義の幻想で埋め 尽くそうとしている。 うら いちらの新詩集『日々割れ』は、優しい言葉でユーモ アもこめて現実の割れ目を鋭く表し、批評と抒情が心に響く。 Tは、エジプトでの体験を「眼」「血」「足」「髪の毛」「手」 と肉体を通して描いたのに注目した。魚の眼だけ凍らせて鮮度 を偽装するしたたかさ、ほふられた牛の血、砂漠を生き抜く蟻 の足の長さ、女子学生のスカーフに押し込められた髪などから、 生身のエジプト人と生活の苦しさが伝わる。人を押しのけず軽 く触る握手は異文化ではあるが、共感を抱かせる風習だ。 Uは、東日本大震災と福島原発事故、熊本地震について書き、 危機意識が乏しくなる現在、重要な作品群だ。「波に/浚われ たくない」「失いたくない/家族の/快楽を」と、家族を失っ た人々の無念に感情移入して胸を打つ。だが、「関東地域特産 の芋」を送られながら「そこ」の空間線量が怖くて残りの甘藷 を捨て、罪悪感にかられる姿も率直に記す。被害者同士の裂け 目は一番難しい問題だ。 「地球のお腹のマントル」「ゲップも出る」と、地球も体と して想像するのはおもしろい。 Vでは、脅威に軍事面からさらに迫る。詩「鼻」では「玄海 で原爆を仕込み/有明基地でひと儲け」という企みを暴く。 Wでは、家族への慈しみを情愛ゆたかに語っている。母の凝 りを揉みほぐそうとする詩「マッサージ」は感動的だ。「その 痛みの中心/生き永らえさせたその凝りの中心」と、凝りは生 の芯だろう。痛みは「九十年の苦労」の証である。 うら氏が、家族の「絆」ではなく、「家族の/快楽」と表現 する詩句に、国家的な家族ではなく、生命の喜びとしての人の つながりを思うのだ。沖縄の「命どぅ宝」は現在の文明社会に 一番必要な言葉である。地球も体だ。日々の体と心のひび割れ を命の中心から感じる大切さを本詩集は知らせてくれる。 (「琉球新報」2017年3月5日掲載) (あすら舎 1500円+税) 『岡 隆夫詩集 馬ぁ出せぃ』 馬ぁ出せぃ 「馬ぁ出せぃ 馬だ 鉄馬だ この厩(うまや)なら五頭出せぃ!」*1 主は駿馬十頭ひきいて 裏木戸よりそっと消える <ご勘弁くだせぃ 兵隊(へいてい)さん 馬ぁ人より大事ですけぇ> 「ほんなら じゃがいも 南京 南京豆 出せぃ」 <兵隊さん そりゃぁ酷です 穀類芋類 命の糧です> 「じゃ 豚ぁ出せぃ 豚だ ブタ 親豚九匹出せぃ」 <コムギ粉 砂糖 小豆なら さし上げますけぇ トウモロコシの粉 高粱(こうりゃん)の粉も さし上げますけぇ 豚ぁご勘弁くだせぃ 豚ぁ真珠より 貴重ですけぇ> 「おゝ 砂糖三十貫徴発でけた 在る所にゃ在るもんじゃ コムギ粉ねって 善哉(ぜんざい)こせーたら そりゃうまかった―― <ヤイ 乳房出せぃ>とは言わん 乳牛(ちちうし)三頭特牛(こってい)五頭出せぃ」 <牛ゃぁ 田畑ぁ鋤かにゃいけんし 乳もくれますけぇ 代わりに 甘藍 干瓢 大根(でーこん)も さし上げますけぇ 牛ゃぁ ご勘弁くだせぃ 牛ゃぁ あっしの魂ですけぇ> 「つべこべ放(こ)くな この頓馬 あひると鶏 百羽出せぃ アヒルの卵と鶏卵五百個じゃ 出さんとみなゴロシじゃ いつか天罰受けようが 今は神馬だ 神馬五頭出せぃ!」 <ご勘弁くだせぃ 兵隊さん おらが馬ぁ 龍神ですけぇ> *1 英仏、十八、九世紀のこの詩型ヴィラネルは、各連3行、 終連4行の、19行二韻詩。各連末は、第1行と第3行が交互に くりかえされる(著者注) 岡 隆夫詩集は、叙事を定型詩で表すという独自の方法が成功し、 重量感をもって迫ってくる優れた詩集だ。叙事は散文的になり がちだが、あえて英仏の古風な詩型を用い、韻律も重視した。 「ひとつのテーマをふたつの強力なイメージで補強する、といった 構造」と作者は解説していて、韻律だけではなくイメージの二層化 も意図している。 地方の言葉も生かし、詩集名は権力者があらゆる命を軍事化の ために収奪する現在の暗喩だと思った。 「一 馬ぁ出せぃ」は、アジアに対する侵略の歴史に対して人々の 実際の生活や戦争の現場から発した声をすくい上げリアリティを 感じさせる。 「二 夏日千秋」は、「ナンブコムギをまく」など農業に携った 体験から、生命の伝承と危機の現在を豊かに興味深く表す。 「三 三春の夕べ」は、老いの体や人生について深い味わいがある。 広い博識と知性を持ちながら、地に足のついた視点からの表現が 力のこもった作品を産みだしています。 2017年の「日本詩人クラブ賞」に決定。 私も選考委員でした。 『細見和之著 石原吉郎』 神話化されがちな石原吉郎の詩と人生を綿密に探究し、資料を広く集、作品を本質的に感受し、出色の評論となっている。 石原吉郎の詩を<シベリア体験から切り離して作品を理解する>とともに、<詩の根源をシベリア体験に置く>という「二重の手続き」を要する読み方は、体験と詩の本質的関係について考えさせる。 石原の詩をすべてシベリア体験の反映として解釈する素朴な反映論では石原の詩が限定され、広い普遍性に思いを巡らすことができないことを 教えてくれる。 石原の詩は抽象度が高く、難解である。それゆえかえってシベリア体験で 読み解こうとする傾向が出てくるのも当然かもしれない。しかし、詩を 読むとは一つの体験や思想にのみ還元できないことである。 詩は有機物のように、様々な体験、文学体験、時代の要素、言語感性などいろいろなものが混合し、作者の意図も超えて生まれるのである。 だが、「キリスト教体験とシベリア体験という二筋の傷――。どちらがより深く石原の肉体=精神に食い入っていたか、必ずしも断定することのできない二筋の傷――。おそらく私たちがいま石原吉郎を読む場合、この二筋の傷を軸に据えなければならないだろう。」という細見和之の指摘は石原の詩が日本の枠を超えるためにも必要だろう。 石原の詩が「言葉の独特の図像として自らを提示している」し、 読み手の鏡となっているとの指摘は鋭い。 <「条件」「納得」「事実」といったそっけないタイトルを付された石原の代表作は、このような記憶としての言葉の、ほとんど無意識的(非意図的)な内在的展開>で保存されたとは卓見だ。つまり、石原にとって記憶とは、例えば鳴海英吉のような他者と「共有した」外部ではなく、外部が内部に喰い込んだ歯型、切り刻んだ爪痕、変形させた指痕のようなものなのだろうか。私が石原吉郎の詩から感じるのは、権力の刃触り、人間の条件の過酷さだ。 再発見したのは、石原吉郎がシベリア体験を戦争(満洲侵略も含めて)の償いと考え、「いずれは誰かが背負わされる順番になっていた<戦争の責任>をとも角も自分が背負ったのだという意識でした」と自らを被害者ばかりではなく加害者と考えていた点だ。 私は以前にも「肉親にあてた手紙」を読んでいた。けれど、なぜかシベリア帰りが<赤>とされた部分が強烈に印象づけられた。 石原の肉親にも受け入れられない孤絶に驚いた。その後の「学生の集会」での質問がシベリア体験をつづるきっかけになっていくように、石原の詩が全共闘の後の時代の文脈で読まれていったのは確かだ。石原吉郎の抽象の鏡に一体なにを映したいと読者が望んだのか、「断念」「条件」「納得」「事実」に何を重ねたかったのかは振り返るべきことだ。 「告発しない意志」とは、シベリアでは被害者だが、アジアでは加害者なら 二重の意味になるはずだ。フランクルの本には告発と人間肯定が あるのに対し、石原は告発もしないし人間肯定もしない。 満洲体験への言及がなぜ少ないのか。鹿野を「最後には開拓農民団に役立ったという慰めを付与し」たが、開拓農民それじたいには十分洞察が及ばないのはなぜか。 他者性や満洲体験への考察不足が、のちの日本美意識への傾斜に つながっていったのだろうか。 鹿野武一の実像に迫ったところも衝撃だった。石原のシベリア生活における倫理性の根拠とも考えられた「ひとつの象徴」を 妹や妻の視点から見ると「不可解なヒロイズム」と感じざるを えない矛盾に打たれ、そこまで踏み込んだ細見の多面的追究が この本の厚みにもたらしている。 安西冬衛のモダニズムが中国から始まったように、ソ連やエスペラントという体験も石原の詩に画期的なモダニズム的要素をもたらしたように見えるのは、実にふしぎなことだ。強い緊張感と明るい歌が絶妙に混合している初期の詩には奇蹟を感じる。 自身が優れた詩人ならではの、内部への幾層もの思考、詩作品への鋭い感受性、外部への綿密な調査が合体した貴重な労作である。 また、細見和之の批評の新鮮さと創造性は、テキストを重視しながらも、 体験性と社会歴史性をも考えていくところにあると思う。 さらに、世代の若さを感じるのは「自転車にのるクラリモンド」を好み、 「世間の常識」について観念的に批判しないで醒めて見ていることだ。 テキスト主義と社会歴史性をいか合体させていくかは、 現在の世界的な批評の 課題と重なっていると思う。 (中央公論新社 2800円+税) 『在日総合誌 抗路』3号 特集は<「在日」の記憶>です。巻頭の文京洙さんの論「埋もれた記憶を辿る」では「私たち在日朝鮮人は、いま、記憶をめぐる戦争ともいうべき時代を生きている」と書き始めています。2000年ぐらいまでは日本経済も余力が残っていたせいで、反省と共生をめざそうという姿勢が見られ、細川、村山談話、河野談話などが発せられたのですが、3・11、民主党の失政と第二次安倍政権以降、急激に戦中回帰が強まりました。記憶の隠蔽と歪曲がまかり通り、世界的に排他主義と極右が台頭するなかで、在日朝鮮人は記憶の戦争の<前線に立たされている>という認識は、ヘイトスピーチや人権弾圧や支援の打ち切りが起る生活に密着した切実な実感でしょう。 しかも、さらに、抵抗する側のナショナリズムを自問し、「男性中心、主流派中心の権威主義的な組織論や人間観に根ざす抑圧や差別を免れていたわけではないし、“抵抗”のそれだからといって無条件に善だとするような論理の破綻が明らかになって久しいといえる」とまで言い及んでいます。大変誠実な自己切開であり、特に女性の歴史を知る事、活動と発言の尊重はとても大切だと思います。けれども、新自由主義の経済と価値観に支配されている現在は、他者の解放をともに担おうとする女性が主流とはいえず、在日女性の困難は増しています。「モラルやコードから外れた女性たちの声や思いがあらためて掘り起こされ共有されねばならない」のは今後の課題です。 鄭暎恵さんの「意見書 李信恵裁判に関わって」は、「エスニック・マイノリティ女性への差別」は民族差別とジェンダー差別の両者が合体することで「差別の質量ともに別次元のものとなり、その被害の深刻度も増大する複合差別となる」と指摘しています。 ヘイトスピーチは、複合的差別に耐え、非人間的労働でも奮闘してきた 在日女性を「全部台無しにするような破壊力をもっている」。 そのうえ韓国朝鮮と日本にルーツを持つ若い人は、帰属感も不安定で 心身共に緊張恐怖を強いられ、「ある程度生活できるようになった 三世だからこそ、自殺率が高くなった」という報告まで出ています。 日本と朝鮮半島の架橋になるという未来志向がまったく逆の方向に 行き、エスニック・マイノリティーを追い詰める社会に変貌しているのです。 多様化を存在の豊かさにつなげるのではなく、複雑化し、分断する システムにしようと恐ろしい力が働いています。 これは、世界的な問題として考えるべきことです。 姜信子さん、高遠菜穂子さん、北原みのりさん、辛淑玉さんの 座談会「記憶は弱者に残る」は、済州島四・三事件にまつわる 暴力と犠牲の問題を女性たちの視点で語り鋭い洞察に満ちています。 金時鐘さんの講演をまとめた「戦前回帰の時代に抗う詩人の魂」は いきなり「北朝鮮の核問題」から始まっていて驚きますが、 詩人こそ「炭鉱のカナリヤ」であり、真実を見抜く存在だと思う からこその質問でしょう。金時鐘さんは北朝鮮と米国が 「休戦協定」を「平和協定」に締結し直せば核装備の理由は なくなると考えています。米国、日本、韓国が軍事同盟を強化 している事実を見逃してはならないのです。詩人は、「大勢が 雪崩れるところで一人ソッポを向いている」存在でなければ ならない、という教示は今いっそうかみしめたいです。 金水善さんの詩「ハンプリ(恨を解く)」は、従軍慰安婦の女性が 二度「別世界をさ迷った」ことを表しています。 一度目は従軍慰安婦にさせられ、地獄に落とされ、 二度目は、従軍慰安婦だったと公表し蔑視されたときです。 この恨みを解くには日本国の総理大臣が直接対面して 謝罪しなければなりません。国の責任を明確にしてほしいのです。 丁章さんの詩「平和の条」は、憲法第九条の普遍的な意義に ついて語っています。「すべての国が/平和の条でキラキラ と輝くのはイツカ?」日本は世界でまれにみる第九条の精神を 実現していくことが列島で暮らす人々が生き延びる道です。 他にも多数の充実し、興味深く知り、考えさせてくれる 論や作品がいっぱい掲載されています。 (クレイン 1500円+税) 『尾花仙朔詩集 晩鐘』 罪なき人々を犠牲にして アラブの春が嵐になり イスラーム!イスラーム!イスラーム! おお 神への帰依を意味するその国々で 貧困と差別と抑圧の桎梏に民族・宗派の相剋が錯綜する 血の自由の戦いが限りなく連鎖する最中(さなか) 神の子が十字架を背負ってあるいたかの聖地で 迫害に抗(あらが)う自爆のテロルがあり 亦その報復で罪なき人々が災禍に遭った 読誦(コーラン)と旧約(トーラー)の神の大義を誤った この 干戈の絶えない星に住み ≪むなしい≫と呟けば ≪むなしい≫と心の虚(うろ)に谺する 生きて在ることの拠(よりどころ)なきこの夕べ 静寂のなかに佇めば わが周りに悍(おぞま)しい気配にわかに立ち籠めて 口の裂けた鬼面の群れや悪霊あまた跳梁し 火の玉がおどろしく飛び交って わが身を脅し嘲り取り囲む ああ このいまわしい光景は 戦国の世も今の世も変わらぬ相(さが)よと瞑目し 五うん*皆空 非有非空とひたすら誦ずれば 悍しい鬼面の群れや火の玉が雲散霧消し いつしか闇に掻き消えて 寂寞としたこの夕べ 罪なき人々を犠牲にして 水惑星の一隅に今日も平穏に生き長らえ なす術もなく生き長らえ おまえは何をしているのか? おまえに何かできるのか? と世界の闇に耳開き 心の虚に言問えば 罪人の罪ひとつ噛むに似た ほろ苦い 心の悔いを夕べのそらに映すよう 宙に吊られたほおづきいろ(原詩は漢字)の月がでる *うん・・・草かんむり+糸へん+温のつくりに似た字 2016年の現代詩人賞に決まった尾花仙朔さんの詩集『晩鐘』。 「詩人とは/言葉の在り処をひたすら探し求めてゆく/ 孤独な漕役囚なのかもしれない」という詩句にも表現されて いるように現代世界の苦難と絶望をみつめながら、 孤独の中で詩を探しています。 20ページに及ぶ長詩「百鬼夜行の世界の闇に冥府の雨が 降っている―国家論詩説鈔録」は圧巻の作品。 パレスチナ、イスラエル、中国、中東、ヨーロッパと 非常に幅広く、現代歴史と向き合いながら、 「国家とは何か」を問いかけています。 個人の内部の感性や感覚をもっぱらとする今の現代詩に あって、歴史政治を正面からテーマとすることは 稀少なことです。 ただ叙事詩として表すだけではなく、 「おまえは何をしているのか?」 「おまえに何かできるのか?」と 自問し続けることは、その無力さの自覚とともに 詩の核心となるのです。 (思潮社・2800円+税) 沖縄ゼミナールから 2016年2月20日(土)那覇市で「日本現代詩人会 西日本ゼミナール in沖縄」が開催され、私も参加しました。約160名が集まり熱気ある会でした。講演と朗読は日本・本土の現状に対する批判性に富み、時代に対峙していました。 平敷武蕉氏の講演「時代と向き合う文学」では、現在はどのような時代かと問い、ファシズムが完成しようとしていて、階級矛盾の激化に対し、労働・学生運動が解体され、危機的状況になっている、と述べました。沖縄では大城立裕氏が「普天間よ」を書き、県民大会の呼びかけ人となり、目取真俊や又吉栄喜などの小説家も基地反対運動に積極的にかかわっている。しかし、自粛=表現規制の動きは沖縄でも生じているそうだ。 「もっと怖いのは弾圧を恐れて弾圧があるわけでもないのに、表現者が自己規制し萎縮し、果ては権力に媚びる作品を発表するに至ることである。 戦前、日本の文学者は(ほぼ)全員、戦争に協力する作品を書いた。 その禍根を忘れるべきではない。」と警鐘を鳴らされました。 与勝高校3年の知念捷さんが2015年沖縄全戦没者追悼式で読んだ自作品「みるく世(ゆ)がやゆら」は現代詩の新たな可能性を提示した。タイトルの意味は「今はほんとに穏やかで平和な世の中と言えるでしょか」と問いかけていて、ウチナーグチ(沖縄口)を用いていると評価しました。 八重洋一郎氏の講演「詩の方法と詩の未来」では、 現代はかつてない武器、核兵器に囲まれ、人類滅亡の危機が 常に具体的に感じられるようになっている。 このような事態に詩はいかに対応するか。 A、歴史、自然へのやわらかい感受性、他者への想像力、 B,対象の構造解析力と自己省察力。 C,感受性や解析によって促される意志の形成とその実践力。 が求められ、 「それを書くことによって自己に責任が生ずるような詩を書くこと」 「我々の眼前に出来する様々な問題に己れの全感覚、 全言語能力を挙げて詩を書き、その問題の多様さと深刻さによって 明晰な発狂状態にまで至ること」と語りました。 八重氏の詩「人々」には、 「光緒二年(明治九年・西暦一八七六年)さよう 日国 明治政府が軍隊何百人かを派遣して琉球国を 劫奪しようとしていた」とき、書かれた 「只いま島の役人が 君民日毒に遭い困窮の様を目撃」の <日毒>の歴史的重さに言及し、会場からも反響がありました。 日本帝国主義の毒、軍事的制圧と支配政策の暴力性を 如実に表現した言葉です。琉球処分後の韓国併合も<日毒>に 遭った歴史です。 詩の朗読は、高良勉氏「老樹騒乱」、 トーマ・ヒロコ氏「パスタを巻く」「わたしたちの10年」 伊良波盛男氏「何もない島の話」 中里友豪氏「カラス」が読まれました。 エイサー(沖縄高専エイサー同好会) おもろ詠唱 おもろ謡きゅる保存会 古典音楽独唱 沖縄県立芸大音楽学部 古典女踊り 高嶺久枝 雑踊り 高嶺美和子 伊波瑠依 仲宗根杏樹 などの鑑賞も意義深く行なわれました。 こたきこなみエッセイ集 『岩肌と人肌のあいだ 詩論・エッセイ集』 こたきこなみさんは、小熊秀雄賞や更科源蔵賞を受賞し、小気味よい風刺が効いた知性すぐれた社会派詩人として知られています。この度初めて詩論・エッセイをまとめた、おもしろい題名の本が刊行されました。題名は鎗田清太郎詩集への書評から取られています。 「諾い難い現実と人々との間に存在して、人間性の表現を示すのが詩人というものではあるまいか」「私などの世代、きびしい世界の岩肌が人間の柔肌にこすれてくる不安と恐怖の越し方だったが、それでもこの間に一枚の柔らかい肌着で包まれていた気がした。」 「現実派、社会派は事柄に忠実でありたいのでそれに引き摺られがちだ。客観的な正しさ、真理を求めるあまり、個人としての内心の偽らざる実感よりも一般の通念につい敏感になる」。つまり、きびしい現実世界の岩肌と、生身の人肌の間にこそ詩が存在するという 詩論で、「肌」の感触で表現したところが独特で、読者によく伝わってきます。また、「世界はいつも新しい傷で痛んでいるが、私には為す術がない。 そういう自分の 心を鎮めるためのせめてもの精神安定剤が、 いつしか社会、現実、文明批判詩となった。 悪天に向ける紙ヒコーキの頼りなさだが、思い切り滑稽化して笑い捨てるしかない 批判方法である」。日本では批判的ユーモアがなかなか通じない所もあるようですが、思い切りよく言い切って爽快です。 「慈愛と理知の詩精神―佐川亜紀小論」として韓国詩誌に寄稿して下さった文章も収められ、恐縮します。私の作品を「1 自らの女性性からの感性による社会意識 2 韓国などアジアら世界への視点 3 言葉への愛」の観点から読解して頂きました。 詩論では「諷刺という粋な反骨」「飢餓と比喩」、評文では「エスプリとグローバル思想の―辻井 喬氏 追悼」、原子修詩集、尾花仙朔詩集、辺見庸詩集、丸地守詩集、嶋岡晨詩集、吉原幸子論、新川和江詩集など豪華で多彩な対象が並んでいます。 どの文章も切れ味が見事なうえに、対象への愛情と尊敬がこめられていることが引き込まれる美点です。岩肌で研いだ刀と、人肌で温めた手がともに成した味わい深い本だと思いました。 (土曜美術社出版販売 2300円+税) 河津聖恵著『パルレシア』 副題に「震災以後、詩とは何か」と付けられているように、東日本大震災以後の日本社会と詩の現状に深いまなざしを注ぎながら、詩の可能性をめぐって熱く語りかけている本です。 「パルレシア」とは、辺見庸氏のエッセイ「おいしい水」(『水の透視画法』所収)から取られています。<古代ギリシャにおいて、自由という単語には二通りの表現があった。まず一つは身体の自由である「エレウテリア」。そしてもう一つは思想・表現の自由である「パルレシア」。樽の中に住んだ等の奇行で知られる哲学者ディオゲネスは、「世の中で最も素晴らしいものは何か」と問われ、「それはパルレシアだ」と答えたという。パルレシア、何についてでも率直に真実を語ること。 脅迫をも、迫害をも、殺されることをも恐れず、自由に語ること>。 現在は、政治的にも、社会的にも<率直に真実を語ること>はたいへん困難になっているでしょう。外部から抑圧があると同時に、ネットや情報技術の発達により<真実>が開示されつつ歪曲され、さらに錯綜する事実を話者がどう選択評価するか相対化せざるをえないからです。著者もその困難を十分受け止めています。 <現実に向き合えばそれは、様々に翳らされていく。透明だと信じる真実も、じつは汚れた虚像かもしれない。汚れた虚像を糾弾する自分もまた、十分汚れているはずだ。耳を澄ませばふたたび、自分のものか他人のものか分からない声が聞こえる> しかし、河津さんは<詩の無力>論議を批判し、詩の比喩の持つ<突き抜ける非現実的な力>を渇望します。<今、新しい比喩こそが待たれている。一気に別な現実の輝きに触れることで、水の濁りを突き抜け、他者との共感の通路を創造しうる比喩が。その結果、この汚れていくばかりの絶望的な現実が、別の意味合いを帯びてくるような神話的な、宇宙的な比喩が。> この<新しい比喩>とは、現代詩で特に詩誌「荒地」で重要な方法だった「暗喩」の発展とも言えるのではと考えます。もちろん、従来の暗喩を超えた「宇宙的」でもある比喩が想像されています。<比喩>は、詩の根幹的方法ですが、ポストモダンの多様な混合の方法では、<比喩>のもとになる経験性や意志性は脱色されていたと思います。特に<暗喩>では、共同体験、人類の普遍的な体験が根底に必要でしょう。 東日本大震災や原発事故、格差社会とテロなど、危機の時代こそ暗喩が求められているのかもしれません。 『尹東柱評伝』(愛沢革訳)、『再訳 朝鮮詩集』(金時鐘訳)などアジアの詩への関心も広く、旺盛です。 吉本隆明に対する評言「時代に抗うリアリティ」には私は違和感を抱きますが、停滞しがちな詩の世界にエネルギーを吹き込む一冊でしょう。 (思潮社 2400円+税) 『女たちの在日』 「鳳仙花」22年間の珠玉文集 呉文子・趙栄順 編 <同人誌「鳳仙花」創刊は1991年の早春でした。(略)文字を持たない一世のオモニたちのハン(恨)多い人生を、その背中を見て育った娘たちの文章が誌面を飾り、読者からの熱いエールが寄せられ、どんなに励まされ力を得たことか>と編者の呉文子さんは振り返っています。1991年から2013年27号まで発刊した「鳳仙花」の中から選んだ珠玉の40編をまとめたのが本書です。 韓流ブームがさかんだった時期を挟んだせいもあり、また二世、三世もふえ、国際的な視野も広がる中、生き生きと活動している女性たちの姿が印象的です。 一世オモニの辛い人生について触れた貴重な文章もありますが、次の世代が積極的に大学で学んだり、障害児教育に携わったり、しっかり各自の生き方で歩んでいて感心します。子育てをしながら学業や仕事に取り組む様子に共感します。 留学や民族学習を通して韓国語、民族文化と触れ合うなかで、自己の誇りを取り戻し、さらに在米韓国人や在ロシア韓国人の歴史を知り地球規模で考えています。韓国留学でのとまどいや違和感を率直に表現し、自分が「日本人化」している面も正直に捉えています。 結婚も日本人との結婚が10組中7組にのぼるなか、「ダブル」1+1=2の意識がナショナリズムの既成観念まで変えるようで積極的に響きます。 しかし、ニューカマーも増加するなかで、単なる国際結婚や「外国人」では なく「かつて日本臣民とされた朝鮮人」という歴史を忘れたくないという思いも述べています。 「従軍慰安婦」「韓国女子挺身隊問題」「BC級戦犯だった義父」 「少女の見た済州島四・三事件」「許すまじ原爆を」などの証言は 在日女性が受け取ってきた大変重い歴史です。 けれども、差別や社会的な困難について日本人を一方的に糾弾するのではなく、実際に生きて来て感じたところから自分の言葉で語っていて胸を打ちます。 編者の趙栄順さんは<人生を振り返り ペンを持つ人/親子 きょうだい 夫婦 友人/大切な人に思いを届けたいと 原稿用紙に向かう人 新しい体験や知識を知って欲しいと キーをたたく人//誰もが愚直なまでに真剣である/悲しいほどに切実である//世に名をなした人ではない/平凡な妻であり 母であり 娘である女たちの声/読む人の心に小さな足跡を残す/時代をあぶり出す/我らが朝鮮半島は 今なお 深い傷を抱えたまま/朝鮮半島と日本は 近くて遠いまま//だが 私たちはあきらめない/女の手仕事は根気が要る/からまった糸をほぐすように/わたしたちは言葉をつむぐ>と詩で書いています。 新鮮な証言と充実した22年間の軌跡が詰まった本です。 (新幹社 1600円+税) 『丁海玉著 法廷通訳人』 <言葉には、それを使う人の人となりや個人史、生き様が反映される。 日本語であれ韓国語であれ、放たれる言葉によってその人の〈生〉が鮮やかに浮かび上がることがある。もちろん法廷通訳人の仕事も例外ではありえない。 裁判所という公開の場で自分をさらけだす場に立つ覚悟を試されながら、 私はふたつの言葉のあいだを行き来している。> 法廷通訳人とは、裁判所の法廷で通訳する人です。丁海玉さんは韓国語の通訳に携わっています。法廷では誤訳が許されず、正確さが一番に求められます。 丁さんは裁判の資料を丁寧に読み込み、被告人や証人らの言葉を一言ももらさず通訳する作業に取り組んでおられ、心身のさまざまな苦労は想像に余りあります。 たいへん誠実で自分の仕事に厳しい凛とした人柄が伝わってきます。 彼女は詩人でもあり、表現が見事で、それぞれの被告の人生の片鱗や 心理も細やかに描写し、言葉への思いも深くしています。 <語感、という、目には見えない壁がちらつく。/ ざらざらした言葉の手触りは、それを触る人によって変わってくる。 <そこ>の土地で、<そこ>の水と空気を吸って育っていく、 生きている言葉。どんなに立派な辞書をたくさんそろえても、 おさまりきらない言葉たちは辞書から外の世界へぽんぽん飛んでいく。 その先へ、私はたどりつけるのだろうか。> 土木工事現場で創られた韓国語と日本語が混合した言葉、 名前の漢字の読みかたが中国語・韓国語・日本語で異なる 不思議さなど、海を越えながら生活する言葉は興味深く、 人々の来し方も如実に表しています。 また、法廷通訳人になった動機が父が大阪で法廷通訳の先駆者だった こととともに、韓国に留学していた時代は軍事政権下で学生運動や スパイ事件により学生が理不尽に逮捕されるさまを身近に感じた 体験にも関係するそうです。 通訳が被告人の人生にも影響を及ぼすのではないか、 法廷通訳人とは何かいう真摯な自省を繰り返しながら 仕事に励む著者に向って 被告人がつぶやいた「カムサハムニダ」(ありがとう)の言葉は 役割の大切さと意義を知らせてくれます。 (「港の人」刊 1800円+税 ) 『田原詩集 夢の蛇』 呪術 私は二つの呪術のあいだで成長した 一つは世間の呪術 合法のもので 全国が一斉に靡いた 一つは家の中の呪術 違法なもので 秘密の漏れるのを恐れた お婆さんは呪術師だった 私が小さい頃 彼女はよくドアを閉めきって神になり 当時の迷信打破の運動に挑戦して 病人の身体に取り付いた悪霊を追い払った 世間の呪術師はまるで俗世間に下った神 彼のバッヂは人民の胸元に付けられ 国を挙げて万歳の掛け声で気合いを入れた 彼の威力は限りがなく 一言でソ連アメリカに追いつき追い越し 手の一振りで山を押しのけ海をひっくり返した 逆らう者は地獄へ突き落とされるか断頭台へ送られた 従順な者は急に偉くなるか法の制裁からすり抜けた 彼に比べたら お婆さんは芥子粒ほどにも小さかった 纏足の小さな足で 簡単な文字も知らず 呪術師だということは親戚近所の者しか知らなかった 世間の呪術は千万単位で数えられる人を殺害した お婆さんの呪術は数人の病人を治療しただけ ※優れた翻訳者でもある中国詩人・田原さんの3冊目の詩集 『夢の蛇』が刊行されました。漢語はもちろん日本語にもあり、 田原さんの日本語詩はひらがなとのバランスもよく表現されて いますが、同じ「呪術」でも中国の長い歴史を背景に感じ、 独特の美とリズムを形作っていると思います。 詩「呪術」は批評と皮肉とユーモアに優れていて、対句のような リズムがしまった印象を与えます。 現状から考えるとかなり思い切った社会批評であり、同時に 近代文明への懐疑にも至っています。 詩「夢の蛇」では、無意識の深い穴の口から這い出て <私の夢に這ってきた>エロスを蛇で具象化しています。 漢語の端正さとエロスの奔放さが共生しているのも 田原さんの特徴です。 「尋ね人」「フフフ」など、女性の人生を「少なからぬ悲しみ」も 含めて活写した作品も生き生きして魅力的です。 感傷的ではなく、むしろ即物的な描写です。 「浮浪者」は、この言葉を<オーロラのように>きらめかせる作品。 「かならず」「一夜」など畳みかけるように繰り返されるリズムは 秘めている情熱がリフレインや反復で表出されています。 <あとがきに代えて>の「創作と翻訳のはざまに」は、 二つの表現活動の本質をとてもよく捉えていて共感します。 「漢語」について、日中で意味が縮小したり拡大したりして、 ズレが生じていることは、韓国語も同じでしょう。 翻訳に関して厳復が言う「信、達、雅」も心に刻みたい言葉です。 (思潮社・2200円+税) 『在日総合誌 抗路』 「韓国併合」から105年、日本敗戦・朝鮮解放から70年、日韓国交から50年といった節目に、さらに日本の排外主義が強まり「戦争ができる国」になろうとする今、2015年9月1日に在日総合誌『抗路』が創刊された。 創刊のことばで、<国際化、グローバル化が語られながら、他方で今までにない孤立と閉塞を強いられる矛盾した状況のなか、連帯とか、友好とか、共生・共存が謳われはするが、それらはややもすれば空虚な、中味のないことばに堕しがちである。民主主義とか、人権、平和といった言葉も重要であるが、「在日」にとってはなお抽象的なものに聞こえる。 ジェンダーの問題を含めて、「ともに生きる」とは「ともに闘う」ことが前提であり、そのためには外の世界を知るとともに、内なる矛盾を凝視する勇気と知恵が求められる。 何よりも、透徹した歴史認識を確保することが欠かせない。 雑誌『抗路』はこうした状況のなかで、諸先輩の遺志を引き継ぎながら、 「在日」をとりまく一切の仕組みを糾す力学をはぐくんでいき、「ともに生きる」未来を模索しようとするものである。『抗路』は抗いつつ、明るい未来を信じて生きる路である。 それは「在日」の歴史的使命であり、それは多くの人たちと手を携えていくときに初めて可能なことである。気負いたつことなく、しなやかに、微笑みを忘れずに、歩んでいきたい。 二〇一五年八月一五日>と記されています。 <特集>は<「在日」の現住所>で、歴史を見つめながらも現在の姿を浮き彫りにしています。目次は「七〇年と五〇年、歴史の節目で 尹健次」、「対談 在日の体たらくをえぐれ辛淑玉×趙博」「詩 迷鳥 李美子」「詩 北の詩人は 丁章」「〈在日〉文学二〇一五、そしてゆくえ 磯貝治良」、「尹東柱。詩による抵抗の充実と苦悩 愛沢革」、「反ヘイトスピーチ提訴」、「『慰安婦」問題と日本の民主主義」、「朝鮮高校無償化裁判」、「最近の韓国映画について思うこと」「インタビュー 『かぞくのくに』その後」、 「小説たまゆら 金由汀」など、現在の焦点を多方面から鋭く批評した読み応えのある論考、作品がぎっしり詰まっています。 <「在日」を歴史として残す><部分的にではなく、全一的に、しかも学術的な作品でありながらも、「物語」として>という豊かな視野を持っていることに注目します。「在日のアイデンティティ」が三世、四世となるに従い揺らぎ、あらたな模索をせざるをえないときに「ルーツ」にこだわることから世界的な被抑圧民族との共感、共闘へ至ろうとする教示は重要な示唆と思います。 「在日」の困難な経路から見ると、日本に対して自らを歴史的に考えて、さまざまな角度から闘う意志とともに、内部の矛盾や対立にも目をふさいでいない点が新鮮に感じられます。 辛淑玉さんと趙博さんの対談で、ドイツとの比較は、現在のシリア難民受け入れとも考えあわせ、日本のなかのマイノリティとどうかかわって来たかという批評は鋭いです。 朝鮮民主主義人民共和国についても詩人が二人とも触れています。李美子さん「迷鳥」は「キムねえさん」という個人の人生と歴史を血肉化、題名も暗示的です。丁章さんの詩「北の詩人は」もタブーを破って書いていて、詩人の困難について共苦し、<半島のひとつの地平に立って/北や南の政府にも自由に抗い/この列島から世界をめざして闊歩する/在日朝鮮人の詩>をすべての在日が書けることを願っています。 金石範氏の文章には在日文学の非常に難しい問題が存在していると思います。映画、演劇人の才能の豊富さ、とても興味深い人間的な話にも感心しました。これだけ問題意識にあふれていて、しかも、記録の確かさと思想的な深まりを持っていることに驚嘆し、編集委員の方々の熱意に打たれ、継続を期待します。 (クレイン 1500円+税) 『細田傳造詩集 水たまり』 水たまり 雨あがりの どろみちを帰る かつとしが兵隊の話をしている 校門を出て ずうーと兵隊の話をしている かつとしがお父さんの話をしている おまえの父ちゃんは戦争に行ったのか かつとしがきく 首をふる ばかもーんさんごくじん たたんだ唐傘でかつとしが突いてくる おれは頭突き そのまま組みついて ぬかるみにたおれ おおきな水たまりで戦った どろんこになって首をしめあう ちょうせんじんのこどもがふたりけんかをしている まわりでおとなたちの声がした かつとしの力がぬける おれの力がぬける かつとしがすすりなく あしたの二部授業は遅番で またかつとしといっしょだ 子供時代のけんかを回想したような読みやすい詩ですが、 歴史的にいろいろなことを考えさせられます。 細田傳造さんは、1943年生まれですから、日本敗戦後の体験として 児童急増による、午前午後の二部授業の学校に通ったことでしょう。 二部授業は、朝鮮学校ではなく、日本の学校と思われます。 「さんごくじん」(三国人)とは、日本が朝鮮人のことを差別した呼称です。 「かつとし」が兵隊に行った父親を自慢し、行かなかった「おれ」の父親を 侮蔑するのですが、かつとしの父は「日本兵」として出兵したと 推察されます。日本が朝鮮を支配し、朝鮮に徴兵制をしいていたからです。 日本兵として出兵した父親を、朝鮮解放後も自慢するのは 倒錯的な感情に思えますが、子供たちの間では継続したのでしょう。 名前も「かつとし」のままが日本敗戦後も続いたのです。 そのような倒錯した感情や背後の日本人の大人によりけんかが 起るのは現在の分断された朝鮮半島や在日の存在の暗喩とも 想像されます。 親しみやすい口調や身近に感じられる人物を登場させながら、 歴史に対する深い洞察と鋭い人間観察がこめられています。 韓国語やほかの言語もリズムをとって入れながら、 独自の詩世界を創りだしています。 65歳を過ぎてから書き出し、第一詩集『谷間の百合』で注目され、 本詩集も今年度の第22回丸山薫賞を受賞されました。 (書肆山田 2500円+税) 『木島始詩集 復刻版』 起点 ― 一九四五年― 手にふれるものは みな熱い ねじまがった 真鋳の ボタンと 帽子の 校章だけが これだ これが彼の 屍骸だと 生きのこった ぼくらに わからせた あのときの 火傷するような 恐怖の焔と 濛々の煙と 熱気と 屍臭とに みちみちた 街 (中略) そして あの日 突如として 歴史の姿は あかるみにでた だがああ 目隠しされていたことさえ わからなかったほど いまいましい過去はない 一九四五年の夏。 敗戦後まもなく出版された貴重な『木島始詩集』が日本社会の危機が深まる今日に復刻出版され、大変意義あることです。 本書は、戦争中の悲惨さと恐怖、幼い心を蝕んだ学童疎開、飢えと希望と反動政治を生きた戦後を力強い筆致で表わしています。冒頭の詩「起点」の「熱気と/腐臭とに/みちみちた/街」の記憶は、平和を目指す熱意の起点として胸に刻まれます。 小島光子さん(木島始夫人)は「起点」が書かれたのは「当時十七歳であった木島始少年が原爆投下当日、岡山の旧制・第六高等学校生(理科甲類)として現・東広島市内の疎開工場の屋内で光を受け、屋外で茸雲を見たこと、そして広島から担がれてきた人たちに赤チンをつけるしかなく、家族を呼んだり徹夜で看病した体験からである。ただならない状況 の中にいた少年からほとばしり出た詩であり、読むたびに息づかいも聞こえてくる」と述べられています。 「歴史の姿は/あかるみにでた//だがああ/目隠しされていたことさえ/わからなかったほど/いまいましい過去はない」という詩句は、現在に通じます。インターネットの普及で、情報は比較できないほど豊富になったとはいえ、情報操作や詐術も増えているのです。 長詩「蚤の跳梁」は中国で細菌兵器工場を開発した「かれ」を明確に描き出し、天皇制権力・軍部の意のもと、医学・科学を知能犯的に戦争の殺戮に利用する姿を表現し、近年一層残酷な戦争に突き進もうとする日本および世界に鋭い警鐘を鳴らしています。 木島始氏は晩年に四行連詩を多くの方々と行なわれましたが、リズムや形式の多彩さと巧みさは初期からの特徴と気づきます。 木島始(1928年−2004年)詩人、英米文学者、作家、翻訳家。 戦後の詩誌「列島」の中心的存在として活動。ホイットマン、ラングストン・ヒューズ、ジャズの翻訳でも知られる。現代詩、小説、絵本、童話、作詞、評論、随筆、連詩など多方面にわたって活躍した。詩選集『木島始詩集』(思潮社)、『新 木島始詩集』 (土曜美術社出版販売)、『新々 木島始詩集』(土曜美術社出版販売)他、多数。 (コールサック社・2000円+税) 『崔華国特集』 崔華国は世界に語りかける ―対話表現とディアスポラ性 T、魅力的な「談義」・ダイアローグ性 崔華国の詩には思わず引き込まれてしまう。日本批判の刃をひらめかせ、底に深い悲哀が込められているのだが、ユーモアあふれ、日本語や韓国語、英語まで駆使して生の声音が聞こえる言葉は心情に強く訴えかける力を持っている。言葉の優れた点については荒川洋治氏が日本語・漢語・韓国語の「アジア・アンサンブル」としてたいへん詳しく分析解説している。(『崔華国詩全集』解説) また、翻訳もして親しく付き合われた茨木のり子氏が「崔さんの詩には、どうもこの五味(苦・辛・塩・酸・甘)があるようなのだ」と自在に見える表現の中に潜む複雑な味わいを指摘している。(日本現代詩文庫『崔華国詩集』解説) さらに、崔華国の詩にはダイアローグ=対話の魅力が大きいし、個のモノローグが主流の現代詩にここまで対話を持ち込んだ詩人は日本でも韓国でもいないだろう。第三五回H氏賞を受けた詩集が『猫談義』であったのは象徴的である。次の詩は、日本語第一詩集『驢馬の鼻唄』(一九八〇年刊)に収録されている作品で、テーマは朝鮮人差別と重いが、い きいきした啖呵が印象的だ。詩の年代は一九七一年で、早くから国際性を獲得しているのにも驚かされる。 ボンヤリあれはたしかに/故郷の方角に流れてゆく/白い雲のきれっぱしを追っていたら/ずんぐりした誠に人のよさそうな/白人巡査がよってきた/ハロー ユーチャイニーズ?/ノオ!/オオ エキスキューズミー ユージャパニーズ/ノオ!//あとは きこうともしやがらない/にこやかに 笑顔をつくって去っていくではないか//ジョ ジョ ジョ ジョウダンジャナイ/べらぼうめ やい やい やい/この唐変木の 白豚野郎/ひとをからかいやがって逃げようたって/そうはさせねえ 俺を何だと/思っていやがる バッキャローメ//何もチャイニーズ ジャパニーズ ばかりが/黄色い人種かよう/亜細亜にはなあ もっとも亜細亜らしく/踏みにじられても 踏みにじられても いじけない/悲しくても 悲しくても泣かない/殺しても 殺しても 死なない/煮ても焼いても喰えたもんじゃない/「コーリ パンズ」という種族がある/ことをしっちゃいねえ な おい//おお突然の 俺の失語症/急性言語障害症の併発/雲も去り巡査も去り残ったのは俺と/俺の影と―一九七一年秋 フィラデルフィアの公園にて?コーリ・バンズ―中国人が韓国人を蔑視する時に使う言葉。(「コーリ・パンズ」全文) 「おお突然の 俺の失語症/急性言語障害症の併発」と終連に出てくるように、これは言いたかったのに言えなかった会話である。崔華国の場合、言語能力的に言い返せなかったというより、社会の抑圧で言えなかった言葉・「俺の影」が詩を書き出す前の約六〇年間にたまりにたまっていたと思われる。茨木のり子が韓国語第一詩集『輪廻の江』から翻訳 した詩「喧嘩酒」は、「言い争うのはやめてね/喧嘩はしないでね/いい子でいてちょうだいね」「テンノウヘイカ……天皇陛下(チョンファンペエハ)……/その話が出てきたらそのままにっこり笑えばいいのよ/いっさいノーコメントで」と「テンノウヘイカ」をめぐっての激しい談義論争を推察する。崔華国は親しいなかでも批判をはっきり面と向かって述べ、そのことで物議をかもしたことも一度や二度ではなかったらしいが、ことに植民 地支配の「テンノウヘイカ」や差別の視線には憤懣やるかたない気持ちが積っていたにちがいない。日本の暮らしで表立って発せなかった言葉は妻の金善慶さんには話していただろう。それで、詩の中に破格なほど夫人が登場している。金善慶さんがたしなめたり、意見したりすることも作品に堂々と書いているのが夫婦対等で非常に好ましく微笑ましく感 じられる。 崔華国が話しかけるのは、日本の詩人、退役アメリカ軍人など人間に限らず、「肥えた鳩」とまで互角にやりあうのだから楽しい。語りかけている対象を挙げると、詩集『猫談義』では、「猫談義」(娘)、「メイド・イン考」(プエルト・リコの人々、義妹・淑慶)、「相似性」(アフガニスタン出身のドクター)、「舞」(エリオット、プーシキン・光太郎)、「愁訴」(中国国民)、「夜半の客」(魯迅)、「諺」(妻)、高校野球を十倍愉しく見る方法(在日韓僑一世達)、「シリコーンの指」(荒川洋治)、「同人善哉」(同人編集部)、 「哭金素雲」(金素雲)、「亜米利加駆け歩記」(森田進)、「エア・メール」(会田綱雄)などなど。 現代詩は、個人を主体とするからモノローグ・独白が通常である。だから、閉鎖性や孤立性が生じがちなのだが、崔華国の詩はダイアローグ・対話性のほうが多く、国籍人種を問わないばかりか、人間以外の生き物とも対等にやりあっているのが傑作である。異議申し立てもイデオロギーに基づいてではなく、「生命の限りに燃えよう」(「歳月」)とするためだった。 また、言語的にも作品のなかで日本語と韓国語が談義している詩も多いのだ。「この青臭い可憐な草を/日本(ここ)では猫じゃらしといい/私(ウリ)の里(マウル)では小犬(カンアジ)じゃらしという」「阿呆で結構好好(すきずき)だもん」(「好好」)。言語の序列を固定化せず、好き好きに転換する柔軟さが、悲嘆や恨みの歌より、談義の風刺滑稽に昇華したのか もしれない。 U、ユーモアとペーソス 崔華国が趙炳華に自作の韓国語訳を勧められたときに、日本語と韓国語の個性の違いによりすぐには翻訳できないと述べた理由の大きな要因に駄洒落が直訳できないことを挙げているのは興味深い。「なんの変哲もない、一種の語呂(ごろ)合わせのような、駄洒落(だじゃれ)に過ぎないのだが、だらだらと退屈な、一編の詩という、小宇宙を読者とともに、旅行をす るに当たっては、この語呂合わせと、駄洒落が意外な役割をする。食欲のない時に、ピリッと辛い味付けになったり、緊張をほぐす効力もあり、それを抜いたら、作品がいきいきとしない」。(「詩は祈りと愛―韓国語と日本語のはざまで」)それくらい崔華国は駄洒落やユーモアの効用を重んじていた。詩「すさび」の中で「矛盾的事象が絶えたら/ユーモアの 終焉を意味する」と奥深いことを語っている。 崔華國のユーモアを分析すると次のようになる。 1、同音のシャレと社会的アイロニー 同音によるシャレだけにとどまらず多くは社会風刺的なアイロニーをこめている。「正露丸」→「征露丸」→「征米丸」(「昆虫記」)、「関東のインバとかインパールとかの」(「高校野球を十倍愉しく見る方法」) 2、権威を庶民化する 「T・S・エリオットの旦那」(「舞い」)、「バーナード・ショーが見たら/ショウがねえと嘯くか」(「メイド・イン考」) 3、けんか言葉・べらんめい調 「シャラクセイ」(「出窓」)、「てめえ達負けたらチンボコちょん切るかんなあ(「高校野球を十倍愉しく見る方法」)、「バッキャロウめ」(「嫁三人」) 4、擬人化 「空は不承不承平衡を保っているのだ」(「カンタータ」)。 「甕の水(ムル)キムチは白菜(ペチュ)キムチ大根(カク)角切(テキ)りキムチをそそのかし」(「偶成二篇 キムチ」) 5、抒情と現実との落差 「ボケ」(抒情)と「ツッコミ」(現実)の妙味。 「その木綿の肌ざわり/忘れられないその感触/そういう作品でありたいが どっこい/それがそううまくはいかないのです」(「作品考」) ユーモアばかりでなく、ペーソスとアイロニーが深いのも崔華国の特徴である。これも次のように挙げてみよう。 1、日本に対する皮肉・批判 「ここはかつての/悪夢の製造現場だった大和の国なるぞ/あの破廉恥極まる侵略戦争を/聖戦だと感泣した詩人もいなくはなかった」(「不安」) 2、人間全般に対する皮肉・批判 「二十のおまえには どろどろの/人間について わからない」(「美しい仇」)、「人間の餓鬼どもはな/グルタミン酸の強度の中毒患者でさあ」(「阿呆」) 3、被圧迫民の悲哀 「私達には今何もありません」(「相似性」)、「亜細亜はまず貧しさから立ち直るべきです」(メイド・イン考)) 4、自分に対する皮肉・悲哀 「出来損ないのやくざな私にだって」(「系図」)、「猫背でしょぼくれて幽霊のような/老人の姿」(「ショーウインドー」) 自分をも皮肉り笑うところが幅広い共感を呼び起こす。 V、「愛と祈り」の思想とディアスポラの先駆性 崔華国の思想は、「愛と祈り」であるとエッセイで述べている。「私にとって詩とは、一口にいって、祈りであり、愛である。愛と祈りの前では、人間どもの、既定概念とか、けちな先入観などは、 芥子粒(けしつぶ)より小さく小さい」(「詩は祈りと愛」)。愛と祈りがユーモアとペーソスの源だろう。日本の文化に傾倒しているという批判に対しても「日本を積極的に理解しようということです」と応えている。(「第35回H氏賞を受賞して」)しかし、これを単純に読めないところが崔 華国の深みでもある。「天衣無縫 融通無碍が異邦人の生きる術よ」(「偶成二首 冷麺」)。 韓国では近年、在日文学研究が進んでいる。全北大学の李漢昌氏の『同胞文学とディアスポラ性』、現在は東国大学の金煥基氏の『在日ディアスポラ文学選集』(崔華国の詩篇も収録される)、とい ずれも国際性という意味でのディアスポラという言葉を重視している。在米韓国人が百万人、在カナダ韓国人、など地球規模で居住している韓国人の生活が当り前になっている。今でこそディアスポラという言葉は一般化したが、在日文学史では最近のことである。崔華国は、在日詩史のなかでも早くから世界性を示していた。「私こそ難民 難民のさきがけでした 暗闇と朔風と多発(タバル)銃(チョン)に蹴ちらされた五百万の中の一人だったのです」(「難民有感」)韓国、日本、アメリカと生活の場を移していることは着目される。金時鐘、許南麒ら在日一世の詩人が、日本と朝鮮半島の政治社会にかかわり、日本および在日社会で苦闘した経歴とも異なり、詩を通して日本詩人と知り合い、人生の後年に肉声が響く個性的な詩作を始めるという行き方は独特であった。曽根ヨシさんと盛りあげた<「あすなろ」は私の精神道場であり、書堂でした>と述べている。 (「第35回H氏賞を受賞して」) それゆえか、崔華国がユーモアに包んで飲み込んだ苦さに思いを及ぼすことが日本人総体に少なかったように感じられる。日韓国交正常化五〇年の年に崔華国の詩を読み返すのはたいへん意義深い。 だが、日本のこの間の動きについて「べらぼうめ やい やい やい」と怒り心頭に発している崔さんの細面の顔が浮かぶ。ヒューマニティに満ちた啖呵に耳を傾けたい。 *引用は『崔華国詩全集』(土曜美術社出版販売・一九九八年)から。 (「詩と思想」2015年8月号) 『高良留美子詩集 場所』 詩集『場所』(一九六二年刊・第十三回H氏賞受賞)は、さまざまな意味で実に画期的な作品だ。日本の表現、日本の思想、女性の詩という面で新しい領域を切り開いている。 「あとがき」で、これらの詩に「直接的な感動を求めるひとは、あるいは失望するかもしれない。自分が物になる危険をおかして、物と自分とが入れ替る瞬間、対象が物になり、物がイメージになる瞬間をとらえようとしたこれらの試みは、この現実と、現代の詩に固有の課題がわたしに課 した危険な試み」であると述べている。なぜ、「感動」を避けて、「危険な試み」をしなければならなかったのか。そこには、戦争と敗戦後の安保闘争を経た日本の現実と感性に対する根本的懐疑、世界性に至ろうとする張りつめた切望がうかがえる。既成の秩序に束縛された女性、人間、 ものの自由を求める強い意志を感じるのだ。 冒頭の詩「場所 一九六〇年六月に」は、樺美智子が殺された日米安保条約反対闘争を踏まえた作品だが、「年老いた皮膚のように横たわる」「土地」を冷静に見つめ、地名を出さず、情緒や観念の中に押し込めずに対象化している。従来の詩歌において自然風土は美と共同体精神の源泉だった。対象化ではなく、一体化するときに「感動」が生じるのだ。後年、高良留美子は民衆と自然の中の美を再発見していくが、まず抑圧的に権力構造化した土地への視線を変革しなければならなかった。「われわれは定着されたガラス張りの複眼を通して見る/起ったこと 起ってい ることすべてを見る/死んだ少女からも集めてきた視線の束/それはいくつにも別れているものを一つに見る」。物を単一の概念や用途に限定せず、複眼で多面的に見ることにより、既成秩序から解放し、物の存在を回復させる。それは現実を固定した感覚や美の階層から抜け出させ、解 体させ、可変性を呼び起こす。「生きようとした人間は声もなく解体した/うごめく繊毛や人工の爪がかれのうちに侵入して/かれを裏返した かれが生きていた空間といっしょに/そしてかれを死人たちの土地 悔恨の空地に置いた」。ここで注意したいのは、「解体」が二重性をもっていることだ。自覚的に「生きようとした人間」は既存の社会の中で生きられないから、封建的な繊毛や文明の爪が侵入して解体させられる。しかし、自ら解体しなければ何かを起こすことはできない。「もし何かが起るとしたら この場所だ/たれさがってくる樹葉と 互いにはりついている土のあいだ/もし何かが行われるとしたら この不定形の空間だ(略)支配する過去がそれらの日々をぬりかため/われわれの自由に手渡してよこすまでは」。土地は養分で生の場所だが、それを「不定形の空間」に「自由」の場所に、地球の生の場所になるように思考し感覚していく試みこそ高良留美子の求めた詩の行為だろう。わたしたちの欠如を自覚し、宇宙の動的な虚無を感じることが変化に繋がる。 高良留美子にあって、芸術の革命は社会政治の革命とともに考えられていた。芸術だけ分離するのではなく絶えず詩の活動や社会行動的にも歴史現実とかかわった。だから、比喩を駆使しようとも意味の完全な脱構築には行かなかった。<既成 の感情や論理から自分をひき離すことを通し て、人間と物を、人間と人間をむすびつける新しい感情と論理の創造にむかう>(「言葉ともの」)。社会現実にも関係の創出を目指したのだ。 詩「魚」は観察記録のようだが、何かのための観察ではなく、魚の体と動きを無償で見続け、対象化しつつ存在の本質を想像させるところに新しい詩が生れている。現在、金融資本主義で、人も物もないのに記号と情報があふれる社会への移行が加速している。 記号化し、一層人間も物も断片化し疎外に陥る社会に高良留美子の達成した方法と問題提起は重要性を帯びてくる。 詩「月と三人の男たち」は簡潔な乾いたリズムで女性への暴力と怒りを表現している。洗練されたリズムで、従来の歌ではない歌の要素をもつ詩も際立つ個性である。 土地の中に隠された女性や被抑圧民の歴史を掘り起こす作品や仕事は、次々に大きな成果に結実して行った。そうした多数の種が撒かれた詩集である。 月と三人の男たち 三人の若い男がやってくる 油にきしる車輪の坂道 (いれずみした月は雑草の 鋼鉄のばねでとびはねる) 坂をおりてくる娘の胸から 模造真珠の灰がこぼれ落ちると 男たちの咽喉のらせんのベルトが 硫黄と鉄槌を風にばらまく 断たれた電光の夜のふち 皮膚の金色の摩擦音をたてて かれらの腕が娘にふれる 北斗星のドラムにのって 呼子をならし手錠をひびかせ 月が泡だつ舌をかくしてやってくる 鉄屑と紙の工場街を 男たちは娘をさらって逃げていく 怒りくるった月は傾く空から 長い倦怠の鞭を振りおろす (詩集『場所』より) (「詩と思想」「名詩集発掘」2015年7月号) 『八重洋一郎詩集 木洩陽日蝕』 底の底の底から見る永遠 八重洋一郎氏は、まれにみる詩論家であるとともに身体性を持つ詩の言葉を豊かに表現する力にも優れている。理知と感情の並立、混合が魅力的な世界を出現させている。とりわけ注目されるのは、普遍性と固有性の往還という詩の動態だ。八重氏が生まれ現在住む沖縄・石垣島は、独特の風土文化を抱き、語るべき叙事詩に満ち、近現代史も書きつくせない詩の故郷であろう。しかし、八重氏は、もっと巨視的な宇宙や遙かな時間から、また「私」の内部から考え、新たな相貌を映し出している。 冒頭の作品「通信」は、本詩集の一つの核となる二万年前の人骨が石垣島で発見されたことを題材にしている。「あの世よりも遙かな遠い二万年!//石垣島の白保・竿(さお)根(ね)田原(たばる)に埋まっていた頭蓋骨は/二万年前の人骨だという/歴史(とき)のはて 列島(ち)の果てからの何という大発見/この小さな島の頼りない海岸線の泥土まじりの洞穴のなかで/いったい どんな暮らしがあったのだろう/何をよすがに日々をすごしていたのだろう/寂しかったにちがいない」二万年前となれば「日本」という国家も存在しないし、遠い時を一気に甦らせてくれるが、八重氏の感性の独自さは、「寂しかったにちがいない」とまず想像する点である。当時の狩猟採集生活などより感情の本質について共感を及ぼす。人類の人類である所以は、社会性と自意識を併せ持ち、孤独を受苦する「寂しい」という心情を抱くことで、そこに二万年を経た詩の共有がある。 ただ、詩集後半の作品「解明」では驚くべきことに竿根田原洞穴が「約一万五千年間/人間が使用した可能性がある」と分かり、小さな島の洞穴が長期間使用されたのには「特別の生きる仕組」があったと推測されることになる。現代の文明社会が軽視している「いのちの自覚」を維持したからこそ生き伸びたというのは卓見だ。 感情ばかりではなく、若き日からの弥勒菩薩への憧れを記した詩「太(うず)秦(まさ)再訪」など、宇宙の思索的理解、哲学的問いの追究が八重氏の個性として特記される。長詩「うらら」では、ひと晩で海岸にできた砂山とガラス戸に激突する小鳥を題材として、宇宙の姿に思いをはせる。 「『宇宙には形なんかありません』/『宇宙にはただ深さがあるばかり』/強(し)いて その/形を言えば その深さのどん底の底の底から見上げる/空です 見上げる/希望があるばかり はかない/星が流れるばかり」「道元禅師の『正法眼蔵』に玄沙和尚の/「尽十方世界は一顆の明珠」 というのがあるでしょう/あれは宇宙の外から宇宙を眺めて言っているんじゃないのよ/だってあたし達どんなことすれば宇宙の外に出られるの/あれは内部から 内部からの冒険 手探り 眼力/それは 首をひんまげ上むいて内部から激しく描いた/天井図 システィナ聖堂の/ミケランジェロの渾身込めた 天地創造の/天井図 だって/宇宙には外というのはないのですから そうです/どんな星雲もどんな奇蹟もどんな不可能も/みんな内部/どんな微塵のチリアクタにも深い深い内部があって/その内部にも深い内部があって それぞれがそれぞれの方向に/思いっきり泡立っているから そしてそれはたちまち/宇宙大に大爆発するから」。〈世界は一つの明珠〉という禅師の教えを西洋の聖堂天井画と重ね合わせながら、なんと深く多方面から想像しているのだろう。宇宙は透明でくもりのない珠であり、「底の底の底から宇宙を見る」とは普遍的な真理であるとともに、石垣島で暮らした生の実感から出た見方だろう。「歴史の海へと沈んでいって沈んでいって/もう一つの歴史がその上に重ねられ そしてもう一つの/歴史が重ねられ」「その圧縮に圧縮された激しい重みで歴史は固い沈黙の海」(「息吹き」)上部の重みを一身に受ける底、激しい重みと痛みの場所である底からのみ、首をひんまげ体を捻じ曲げて聖堂の天井画はやっと望めるのである。 詩「うらら」では、小鳥がお姫様となり、小鳥=女性に憑依されて、また憑依して「あたし」として書いているのだが、本詩集中には女性の人生を味わい深く描いているものが目立つ。「盆ミサ」「鏡」「灯台 ル・ファール」「洞窟(ガマ)堀人(フヤー)」等。作品「布」は、過酷な人頭税を十五歳の時 から負わされ、「布を織り 一生納税機械として生きてきた」老婆が死の間際に、家族親族のために上布を織り上げていて贈りながら「きょうはおいわい おいわい わたしはうれしい」と喜ぶ様子は感動的だ。詩「福木」では、日照り続きの時、下の葉から水を含ませる「一本の福の木のいのちを捨てたいのちの輝き!」の営みが心を打ち、厳しい自然環境と歴史の中で子供たちを育てた母たちへの感謝と命をはぐくむ光輝への敬愛が感じられる。 表題詩の「木洩(こもれ)陽(び)日蝕(にっしょく)」は、現在沖縄で「こなごなにくだけた/枝サンゴの欠片(かけら)」「からからにかわいた榎(えのき)やガジュマルの落葉」になって日も蝕まれる荒れた自然にも、「三十八万キロのかなたから/天体がこころをそろえておくりとどける/微笑(えまい) のようなひかりの/さざ波」が送られ、影とひかりがともに揺れている像が美しい。 「あとがき」で「永遠が眼前に転がっているような詩を書きたいといつも思っている。それはなかなか困難なことではあるが、こちらが己れを常に飢餓状態におき全感覚を開いてあれこれ試み、その失敗にひたすら耐えることができるならば、あるいはそれが何かの機会に訪れることがあるのではないか。/考えてみれば、歴史のどん底で生きてきた人たちは現実の厳しさや理不尽さに埋もれながらも深い鋭い数々の歌をうたってきた。それによって人々は現実とは全く異なった位相において生命(いのち)の意味に触れ、生きる喜びを味わってきたのだ。そしてそれは現実への徹底的批判の源泉ともなる」と述べている。宇宙の底の底からしか知り得ない生命の意味と喜びが存在するのだ。 また、詩が投壜通信というだけではなく、自らの中心へ届くことだとも語っている。「どこへ届かなくても自らの中心へだけは必ず届いているのではないか」(「骨」)。近年、内部や自らの中心がかすんで来たが、そこへの探求と通信こそ詩の豊かな源であり、外部への根本的批判の基だと改めて教えてくれた秀でた詩集である。(「イリプスUnd 14号掲載) (土曜美術社出版販売・2300円+税) 『原田勇男著 東日本大震災以後の海辺を歩く』 みちのくからの声 以前、このコーナーで詩集『かけがえのない魂の声を』をご紹介した原田勇男さんが大震災以後に被災地をめぐり書き続けたエッセイをまとめた本が3月に出版されました。初めの「大自然の脅威と人間の英知」では、あの想像を絶した大震災を経ても「大自然の脅威」を忘れがちな私たちに、「地獄」かと思った当時の悲惨な事態を甦らせています。 今年4月に起きたネパール大地震でも地球自然に対する畏怖を覚えずにはいられません。俳人・照井翠さんの「双子なら同じ死顔桃の花」「喪へばうしなふほどに降る雪よ」「黒々と津波は翼広げけり」「つばくらめ日に日に死臭濃くなりぬ」など文学表現ならではの鮮烈な映像は今も突き刺さってきます。 詩人・清岳こうさんの詩集『マグニチュード9・0』の中で「乙女にならぬまま海に抱きとられてしまって」と女子生徒の死を悼んでいます。 こうした震災や原発に関する詩歌や絵画・映画にひろく目を届かせているのが本書の特徴です。 さらに、原田さんはインドや台湾の詩人たちとの国際交流にも参加して共感を抱き合いました。 私も「詩と思想」のインド詩特集でお世話になったウニタ・サチダナンドさんがアンソロジーを企画発行されたことをありがたく思いました。 台湾の白霊さんの死者と生者がそれぞれ海と陸から手を振り合っているという魂が行きかう幻想は感動的です。 「みちのくからの声」の章では、「オリンピックどころではない」「消えていく震災遺構」など現在の声が発信されています。<五輪開催をはしゃぐ前に、被災者の生活を救済するのが先ではないか>は多くの被災者たちの当然の気持でしょう。資材・人手不足が一層強まり救済がおろそかになっていきます。巨大防潮堤建設の政策にも見られるように<経済・物質 至上主義>がまったく変化していないのに暗澹とします。また、難しいのは国が補助しないため「震災遺構」などの保存ができず、所有者にも負担が大きく、震災の記憶物が消えていくことです。地元にもさまざまな感情と意見があることを文中で丁寧に説いています。 原発汚染水や放射能廃棄物の処理もできない中でオリンピックで目くらまししてもつけは次代により大きくなります。 原田さんは、最後に女川原発への懸念を表しています。「原発の安全神話が崩壊した現在、日本は被爆国としての原点に戻り、再度原発のあり方そのものを見直す必要があると思う」 原田さんの反核の思いの元には、広島で被爆した叔母で女優の園井恵子の無念の死があります。どんどん軍事化していく日本で、東日本大震災は、危機と崩壊から転換すべきおびただしい死による警鐘であったことを知らしめてくれる一冊です。 (未来社 本体2000円+税) 『水田宗子詩集 アムステルダムの結婚式』 世界の記憶を詩集に昇華した美しい本 水田宗子氏は、近年立て続けに詩集や評論集を出版し感嘆するばかりだが、その根源に、国境を超えた人々との出会いにより培われた豊かな詩の海があることを感じる。 特に、新詩集『アムステルダムの結婚式』は、魅力的な吟遊詩人が語る長詩で、日本という枠を超えて、ボーダレスになる地球と交錯する世界史の記憶をシンプルでリズムのある詩とすることに見事に成功している。 日本現代詩の水準を凌駕した世界文学的テーマと手法は大変貴重だ。 日本の伝統形式のほうに戻りがちな詩の現在に、現代詩は世界文学を 目指していた原点を思い出させる。 しかも、結婚式は「生と死を繋ぐ円環の流れの中の一つの節目を祝う祭り」であるという把握は、生命観において重要な認識であり、前詩集が死を背景に抱いていたことを考えると、生命の円環を詩の思想と構成にすえた水田ワールドのさらなる大きな展開に瞠目する。生命の円環も旧来の家族や国家ではなく、結婚式を執り行うのが「バックパックと楽器」しか持たない「知り合いとも言えない知り合い」の「ただの物語り人」であるとは、風習を超越している。「文無しのナレーター/だが袋には物語がいっぱい詰まっている」という設定は、物語る者とは常に既成の集団や利害から外れた存在だと教えてくれる。この詩集の扉には「To Vivian and Takuro」と記されているが、花嫁花婿は母国と母語が異なる。「結婚するのは/若い男/スパニッシュハーレムの道向こうに住んでいた/日本語を話す男」、「連れの彼女はカメラを担いでいた/中国系だそうだ」。人々は「アホウドリに導かれて」「ドリームランド」を求め地球をさすらい続け、出会い、愛し、家族を作り、引き裂かれ、別れ、また再会する。自らを縛る名前ではなく、美しい名「レーゲンボーゲン」と名乗る七人の娘たちは、「特別居住地区」に行かなければならない。「一番上のお姉さんは/小学校も行かないで/縫製工場でミシンを踏んだ/六人の妹たちの晴れ着は/すべて縫った」レインボー娘たちの苛酷な運命も現代の象徴だ。言葉と人種が混合し、戦闘と殺戮、アウシュヴィッツ・ヒロシマ・フクシマも存在する「廃墟だらけの/地球」。アンネ・フランクが潜んでいたアムステルダム。「望郷の/さまよえる/ドリーマーたち」が増え続ける地球。「みな旅立っていきました」そしてまた生命の円環の中へ。「いつか/次の物語聞 かせて/魂が追っていくから」魂は物語によって生じるのだ。 「あとがき」には次のように書かれている。「ナレーターはそのものたちに語らせることを通して鎮魂を執り仕切ろうとする。ナレーターと花婿・花嫁が一体化することで、ナレーターの物語=記憶は結婚式に世界の国々から集まって来た人々の記憶と重なっていくだろう」との構想も素晴らしい。生命の円環の巨大な流れに入っているのは世界中の多種多様な人々なのだ。世界の人々の記憶は日本語の記憶とも重なり、鎮魂を多義的に深めてゆくことになるだろう。 「私は一九六〇年代の初めに、ニューヨークや東部都市に大勢いるナチス強制収容所を生き残った人たち、親族や家族を失った人たちと知り合った。まわりにいる知人や友人が何も語らず、しかし記憶を消すことができないまま日常を生きていく姿に深い衝撃を覚えた。その沈黙は原爆の犠牲者や東日本大震災での原子力発電所事故の被害者たちにそのまま繋がるものであり、他人事でないばかりか、記憶を考えるときの根底にあると感じた」。私たちは三・一一以後、文明と生命をどう考えればよいか、問われ続けている。大量虐殺、大量犠牲、多くの人々が故郷を失くし離散する時代に、言葉が経済化し、本質的な事柄についての沈黙が増す時代に、詩は何ができるだろうか?世界の記憶を他人事ではなく自己の、人間の記憶とするためには豊かな想像力が必要だ。既成のラインを自由に抜け出て、さまざまな物語をバックパックに詰め込み、世界各種の楽器をかき鳴らし、父母が異なるポエジーを婚姻させることが求められている。 本書は現在の詩に対して非常に大切な示唆に富んでいる。森洋子さんのファンタスティックでモダンな絵は今回も詩とすてきなハーモニーを形成しており、開くたびに新しい世界が始まる詩集である。 (「カルヨン通り」10号掲載) 『齋藤貢詩集 汝は、塵なれば』 汝は、塵なれば 父母(ちちはは)のように いのちの息を吹き込まれて わたしとあなたは 死ぬまでこの土地を耕すのだろう。 たとえ そこが呪われた土地であったとしても 耕しながら 日々の糧を得るのだろう。 茨(いばら)とあざみよ。 苦しみとは分かち合うものなのですか。 堪(こら)えきれない痛みは分かち合えるものなのですか。 いいえ。 あなたとわたしは 地に撒かれた一粒の種子。 土地の痛みが発芽させる いのちの苦しみそのものですから。 喜びを遠ざけて。 悦楽を遠ざけて。 野の草を摘みながら つつましき日々に感謝をしよう。 「汝は、塵なれば塵に帰るべきなり。」* かつての父母のように わたしとあなたは 楽園を夢見ながら ひとつの睦まじき種子となって地に眠るのです。 空中を浮遊する塵のままに わたしも。あなたも。 わたしたちは塵なれば。塵にすぎなきものなれば。 父母がそうであったように やがていつかは 土へと帰っていくのですから。 楽園はとうの昔に失われていて あやまちは決して許されない。 野に雪は降り こころにも雪は降り積もる。 地の果てまで浮遊するしかないあなたとわたしなれば この渇きは いつになったら癒されるのですか。 *旧約聖書『創世記 第三章「楽園追放」』より 齋藤貢さんは、南相馬市小高に住んでいらっしゃいました。地震、津波、原発事故を只中で、体験し、今も故郷に帰れない流浪の暮しを強いられている地区の方です。が、この詩集は、体験者の記録にとどまらず深い問いと形而上的思索に導く表現が際立っています。 詩は「フクシマ」をどう捉えるかという難問に貴重な示唆を与えてくれます。 上記の詩は、題名になった作品で、もとの引用は旧約聖書からです。 栞で粟津則雄さんは「現在への問いかけと現在をこえたものへの問いかけが、人間への問いかけと人間をこえたものへの問いかけが、濃密でのびやかな劇を作りあげていると言っていい。」 と述べています。詩は、人間・現世社会的なものと人間を超えたもの・神的な形而上的存在、此岸と彼岸の両方にまたがって照らすことが求められているのでしょう。現代に生きる我々はだれも無垢ではなく、しかも、形而上的存在により人間の罪が解消されるのでもありません。作品「断つ」にみられる安易な希望や共感を断ってこそほんとうの希望や共感が 生れるという思いに教えられます。作品「野に春は」は、鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』へのオマージュとして創作され、植民地時代に書かれた李相和の同名の詩に表わされた「奪われた土地」への思いに言及しています。 作品「かさね、とは」や「後朝の、あかぬ別れの」など古典と重奏する詩は極限の美を感じさせます。 (思潮社・2500円+税) 『中村純詩集 はだかんぼ』 海の中の死者 ―汚染水の流され続ける東北の海に― 被曝しつづける 海の中のあなたたちよ さまよいつづける 海の中の死者よ なぜあなたたちは こんなに凪いで穏やかなのか? 明るい電飾の中にいる私の前に ふと立ちのぼる死者たちよ 風化とから騒ぎの人々の 胸の中に押し寄せる津波 あれから幾度も三月十一日は私に訪れ 私は蚕の糸のような詩を吐く 私は幾度も津波にさらわれ 幾度も被曝し 幾度も大地の揺れの中 子どもたちの手を引いてまどう 海の中に沈んだままの命の意味と 被曝しつづける死者と生者の命の意味と わからないことだらけの国の形に 疑問符と怒りを投げ続け 詩を吐き出す 私は繭をやぶる 死者とともに在るため 忘れない 忘れさせない死者たちと つめたい海の底にいる 夜 第一詩集『草の家』で朝鮮にルーツを持つ祖父、難しい時代を強く生き抜いた祖母、激しい愛憎を表す母などの作品で鮮烈にデビューした中村純さんの第三詩集『はだかんぼ』。東電福島原発事故の後、小さいお子さんを被曝から守るため東京から京都に移住し、命と社会の問題を発信しておられます。表題詩の「はだかんぼ」はおふろあがりにはだかんぼではしゃぐ子供を温かくみつめた作品です。のびやかに生きる命を阻む原発事故の影響は大きく長いですが、隠蔽しようとするさまざまな圧力が 働いています。それを勇気を持ってはねのけ、果敢に行動し、表現する姿は時代の光と感じます。軍事性暴力で殺された女性、ネットカフェのトイレで子供を出産した女性を共感をこめて表わし、殺した日本社会に怒りと問いを投げかけています。瑞々しくやわらかい感性と鋭敏な批評精神の共存が中村純さんの特性で貴重な詩人です。 (コールサック社・1500円) 『甲田四郎詩集 送信』 換気扇 換気扇の羽根が重たそうに回りだして ギイギイギイギイうなりだす 抗議のようである ヒモ引っ張って止めて、また引っ張って動かす 羽根がこんどはうならずに回っている あきらめたようである 短い平安の時にいる 手をうつべきなのだ 今日一日がかりで掃除した(女房が) 床を流し台を仕事台を腰板をボイラーを ゴシゴシゴシゴシ、ゴシゴシゴシゴシ このように私たち(女房)ガンバルのであり 抗議に応えるごとくではあるが 応えていない 換気扇に手がとどかない 人がやってきてそれを見る だけど気がつかないふりをする やさしい他人もいるのさ それなのに換気扇がまたうなりだす ギイギイギイギイ手をうてうたないと 手おくれになるぞギイギイギイギイ 私も他人も見上げて確認してしまう 私たち(女房)の頑張りの 手のとどかない上空の 孤独な換気扇 その短い未来 甲田四郎さんは、詩誌「いのちの籠」の編集人で小熊秀雄賞、小野十三郎賞を受けています。戦争と強者に抵抗する思いはとても熱いのですが、単なる告発ではなく、作品は非常に巧みです。自営業者の日常を丁寧に描いていますが、「私は具体で生きている」という詩の通り、具体的な毎日の営みを真摯に生きることこそ人間の基本だという信念があるのです。しかし、「生活」はしばしば「理念」と背反するのです。今も「経済優先」が原発を再稼動させようとしています。その困難な生活の中でなんとか「私たち(女房)ガンバル」、「換気扇に手がとどかない」が「ガンバル」懸命な姿をユーモアを込めて描いているところにたいへん感動します。散文的なようで語り口に個性的なリズムや効果的な擬態語があるのも印象深いゆえんでしょう。 (ワニ・プロダクション 2000円+税) 『金堀則夫詩集 畦放(あはなち)』 水田は一面雑草に覆われている 農作業をするものはだれもいない 米作りを放棄してしまった 米作りをしなくても 田んぼは放置できない 畦だけは受け継いでいかねばならない 畦の放棄は 神代からのおきて破り 何度も くりかえし 草を刈る 田と田の境界を侵さないように お互い 草を刈る 生えては 草を刈る 草の根は保持しなければならない 根が畦の崩れを防護している 土をのせ 土をかため 草を生やし 草を刈る 水を囲う畦を壊さないように護ってきた 計り知れない年月 幾世代がつながっている 水路を埋めてもならない 樋を壊してもならない 水のながれを わが田の畦で邪魔をしてはならない 耕作するものの畦 狭い畦は道路ではない 耕作者同士で管理する道なのだ 稲作の始まる頃から壊してはならない 守りごと やぶれば村を放り出される 田んぼでしてはならないことなど もう だれも知らない 語らない 時がきた(後略) (「畦放(あはなち)」より) 金堀則夫さんは、大阪府交野市にお住いで、2003年には『かななのほいさ』という詩集も出され、土地にまつわる言葉と人の営みを一貫して表現してこられました。 新詩集の『畦放(あはなち)』は一層衰退していく日本の農業をみすえ、 鉄器時代や神話にさかのぼりながら、「もの」が変容していく様を鋭く描出しています。 「鬼は云う/わたしの魂は/どのようなものになっても/ものをいう/ものとものが/おきてをやぶれば/わたしは黒縄に縛られ/火あぶりの刑」(「鉄則」)もののおきてを破って火あぶりの刑にあっている人間たち。 TPP参加でいよいよ幾世代の稲作の形も途切れようとしています。 ひからびた田に水を流すようにひたひたと迫ってくる詩集です。 金堀さんは、詩誌「交野が原」を発行され、私もお世話になっています。 (思潮社 2200円+税) 『水島英己詩集 小さなものの眠り』 デイゴの並木が岬のその先まで続いている。 真夏の日射しを大きな葉が受けとめ、 やさしい翳りをつくっていた。 やはり入江だった、島々の襞の <深く奥へ切れこんだ入り江>は死の匂いがした。 追いつめられた生の痕跡が 穿たれた穴のなかに格納された自殺艇(スーサイド・ボート)として 六十七年目の夏の草いきれのなか 今年も封印された出発の瞬間を夢見ている。(略) 小高町!相馬!「相馬に行こう! と私はふと思った。どうしてもっと 早く気がつかなかったろう」(「死の棘」第四章)。この言葉と作家の顔写真が 印刷された小高の文学資料館の「しおり」を私は持っている。 (「二〇一二・夏・加計呂麻 島尾敏雄の場所へ」) 島尾敏雄が特攻隊隊長として出発を待っていた奄美の加計呂麻島と作家の故郷の小高町。琉球弧と福島の場所に作家の発生の源が存在します。水島さんは、作家や詩人にとっての「場所」に注目しています。<私が言いたいのは、我々の今、ここの場所性(それは我々の「主体」性とは違う)を具体化すること、それを大切に考えることからはじめようということだ。沖縄を考えることはここでいう場所を大切にすることの意味と同じである。沖縄という場所は様々な問題に絡まれて傷つけられているように見えるし、実際もそうである。しかし、その場所性は常にそれらの問題 を明白にし、批判しうるほどの具体性と強さを持とうとしている。問題の困難さに負けない場所というのがある>と「ノート3」で語っています。 人間の「主体」性ということとは違う、「場所」が持つ力。近現代において場所に負荷されられたさまざまな困難を明白化し、かえって批判し、転換させる磁場として捉えなおすことを構想しています。それは、作家や詩人の創造の根元となり、たとえ移動しても場所の記憶は蘇ります。そうした場所は「小さなものの眠り」の中に入ることができる所でもある でしょう。<歌をかきあつめて/小さな斧に研ぎあげる/ときどき己を切り倒す/それが正しいとき、悪夢から出てゆく道が/はるか遠くに敷かれている>(「小さなものの眠り」) (思潮社・2200円+税) 『青い花』 辺見庸の小説『青い花』は、3・11後の作品として卓抜の成果だと思う。 私が漠然と求めていたことを超え、思い至らないほど鮮明に構造的に挑発的に描いている。 辺見庸は、2011年、詩集『生首』で中原中也賞、12年詩集『眼の海』で 高見順賞を受けた。(ちなみに、高見順賞贈呈式は、前年の金時鐘氏の授賞式が3・11に重なり中止となったため、二人の授賞式と変り、私も末席に参加した)辺見庸において際立っているのは、批評性、批判性である。昨今の詩の世界で著しく衰退した批判性が、ハンパなく、縦横に、他者も自己も切り刻むように鋭利に振るわれている。 詩集『生首』の巻頭の詩「剥がれて」は、「言は剥がれ。はがれ。剥がれ。 神から言が剥がされ。神が言から剥がれ。言は抜かれ。死から言が剥がされて。(略)・・・広告代理店のパソコン画面で遊ばれ。弄ばれ。(略)・・・・在日朝鮮人の恨を消しさり。言から恨が抜け。(略)・・・・」とえんえんと続く。 冒頭の「言は剥がれ」は、「ヨハネによる福音書」の「万物は言(ことば)によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」という、謂わばキリスト教文化、ひいては西洋文明の根幹である「言(ことば)」が、あらゆるものから剥がれ落ちている現在を表わしている。 詩集『生首』は、3・11前に出版されている。大崩壊を予言し、 文化の根幹の危機に気付いていた先見性も出色である。 『生首』にも「青い花」が出てくる。「善魔論」という作品である。「すべての事後に、神が死んだのではない。すべての事後の虚に、悪魔がついに死にたえたのだ。/(略) 夕まし、浜辺でますます青む一輪の花。もう暗れまどうことはない。あれがクレマチスというならクレマチス。いや、テッセンというならテッセンでもよい。問題は、夕まぐれにほのかに揺れて、青をしたたらせるあの花のために、ただそれだけのために、他を殺せるか、みずからを殺せるか、だ。」ここで「青む一輪の花」は「詩」と言ってもいい。そもそも「青い花」といえば思い出すのはノヴァーリスの詩物語である。 『生首』では、まだ「詩」がかすかに信じられている。 しかし、小説『青い花』では、「青い花」とはクスリ、幻覚剤「ポラノン」のことだ。「争わない青い花」。「いまを生きることに各人が『適正な幸福感』、『淡い満足感』、『ほのかな充足感』、『他者との一定の連帯感』をえられる」薬効があるクスリ。詩や歌は幻覚剤の面がある。そこまで行くのはそれなりのリズムや魅力に優れた詩や歌ではあるが。小説にも出てくる、今よく流れている「花」という歌は共感的叙情性に富んでいる。 現在、詩はこれだけの危機でありながら、むしろ平穏な叙情性や、円環的調和性のほうが多数派である。 小説『青い花』は未来的でもあるので、アジアでは内戦が起きているという想定である。「ソックリさん」としながら実名で政治家や知識人、有名人をなで切っている。また、注意すべきは、敗戦前後の日本で覚せい剤「ヒロポン」が盛んに使われていたという指摘である。 今、零戦が人気だが、戦場で死や攻撃の恐怖を忘れるためにクスリを使うのはよく行われることである。ところで、「青い花」は「きょうこ」というかつての恋人も意味している。生きているか死んでいるか分からない恋人をかなり男性特有の身勝手さで慕っているのだが、この幻覚の二重性も身体的な説得力を増している。俗語や方言、専門用語など混合して言葉を使っているのもエネルギーの元に感じられる。 ますます「幻覚」が深まる日本。その中で詩とは何か。現実をおおう何枚ものブルーシートを剥ぎ取り、私達がどのような在り様をしていうのか鋭く問う小説である。 (2013年5月31日 角川書店 1600円) 『ベトナム独立・自由・鎮魂詩集175篇』 バン・ヴィェット(1941年生れ。) ヴィンクアン(Vinh Quang)の地下壕で 地下壕の中から出てきた 子どもたちの目の輝きがまぶしい 突然私の心に光があふれる この地、ヴィンクアンで! 私はすべての道を忘れてしまうだろう しかしこの地下壕だけは忘れない 太陽草やヒルガオが繁るこの地下壕 3歳になる子供たちが 初めて広い海を見て驚いた 初めて澄んだ空を見て驚いた そして自分自身に驚いた この地球で28年も過ごしてきたが それでも想像つかなかった 生と死の距離が数メートルもないなんて 深い地下壕から太陽の元へ飛び出す、たったそれだけの距離だなんて 信じられないほどに短い距離だ そして、戦争と平和の間はと言えば こんなに長くて果てしない 子供の期待の心の中には (1970年) ※ 今年は、ベトナムが日本と国交を樹立して40年になります。 国交樹立と枯葉剤被害者支援のために、ベトナム詩人105名と 日本の詩人70名による日本語・ベトナム語・英語の詩選集が出版されました。私も「龍の爪」で参加しました。 ベトナムの詩で再認識したのは、ベトナムも中国文化圏だったということです。初めの詩は漢詩です。朝鮮も日本も同じですね。しかし、翻訳者の清水政明さんによると、日本が助詞を入れ書き下し文とする独自の形式を編み出したように、ベトナムでも独自の定型詩に仕上げる「演音」という形式を作り上げたそうです。テンニンカの花やヤシの実、山や川、雨や土などベトナム特有の美しい自然を描写しながら国や同胞への愛を歌う作品も心惹かれます。ベトナム戦争の詩で改めて気付いたのは最大の敵は米軍で、北爆で殺された子供たちへの詩など非道への抵抗が主ですが、国民が南北に分かれて戦ったことも作品化されています。 これは朝鮮戦争と同じです。「僕が彼を撃った」(「愛する昔」)、「僕の村は敵の姿で一杯」(「故郷」)。アメリカに勝利した国としての面を旅行者には強く印象づけますが、内部に抱えた傷が表現となったと思います。現在のシリアやエジプトに通じる悲劇を感じます。今まで日本で知られていないベトナムの詩が分かる労作です。 (コールサック社 2500円+税)
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