『神奈川大学評論74』 「神奈川大学評論74」の特集は「歴史と思想―20世紀再考から未来へ」 です。 松浦寿輝さんと大澤真幸さんの対談「歴史と思想」は日本の<波打ち際の民として>の 思想の特性を語っていて興味深いです。「波打ち際の民というのは、心底から絶望する という能力を欠いているんじゃないのかな」「日本の文学や思想の伝統というのは、圧倒的に 優れた外来のものがやってきて、それがそのつど以前の蓄積を一掃してしまう」(松浦) 現在は、進行中の原発事故をふくめ、日本はかなり絶望的状態です。内患を外への空威張りに そらしても何の解決にもなりません。しかし、そうした日本人の現世楽天主義的な考え方の癖は 容易に変わらないようです。 また、大澤さんが「原発の問題もほんとうは宗教の問題だ」と指摘しているのも鋭い点です。 原子力は二〇世紀の神であり、キリスト教的な終末論を含むものですが、何か日本では新しい お天道様的に崇拝してきたところが見られます。天皇とマッカサーを二つのお日様にして不可解 を感じない。「ぼくらは、原子力がユダヤ‐キリスト教の一神教の神と同じ構成を持っているのだと いうことを、はっきりさせながらこの問題に対処していく必要がある」という示唆はかなり重要と 思います。アニミズム的な自然観とはまったく違う自然観が原子力にあるでしょう。 文学のことで言うと、松浦さんの「一度内面の深みに潜らせて、そのうえで出てくる言葉が文学に なる」「大震災と原発事故というのは、ある意味で文学にとっての好機なんですね」「ただ愚直に 直接にそれを描くというのではなくて、いったん個性的な想像力に潜らせたうえでそれを取りこんだ」 という教示も大切です。 高良留美子さんの「原爆の死者たちと既成の宗教思想・政治文化 ―『希望(エスポワール)』創刊者・河本英三の原爆小説を読む―」は1952年6月号の「希望」に 掲載された河本英三の原爆小説「青空は死んでしまった」を再評価しています。原爆の被害は 「物と等価になった人間」つまり、人間が物体になり、大量虐殺された状態だと表現しています。 しかし、こうした河本の見方は主流ではありませんでした。よく知られた永井隆や小倉豊文の 手記は、キリスト教徒として原爆を聖化し、原子力さえ聖化しました。もちろん、GHQの検閲、 米国の占領政策が強く働いていたことは間違いありません。しかし、アジアへの侵略の果てに 原爆投下に至ったことも忘却され、今改めて、河本英三や「希望」の意義が見直されています。 ユンコンチャさんの「『歴史と思想』を語ることは可能か」は、語ることが不可能になっている日本 への鋭い批判を展開しています。多くの書物で朝鮮支配や在日朝鮮人の歴史について説いてきた 歴史家として苦い認識に満ちています。しかも、日本だけではなく、「いま在日はこの醜悪な日本 社会にほとんど呑み込まれてしまったかのようであり、北の共和国は息も詰まる閉鎖社会の典型 に、南の韓国は弱者見下しの競争社会の見本になったかのようである」という現状が未来をくもら せています。未来への提言として、自然と生活を基盤とすること、少数者が持つ視点を大切にする ことを述べておられ考えさせられました。 岡島弘子さんのカワウの詩「未来への地図」も印象的です。 『石川逸子詩集 たった一度の物語』 アジア・太平洋戦争幻視片 出ておいで たくさんの<わたし>たち <わたし>であり<わたし>でない<わたし>たち 海の彼方から 大地の果てから 変わり果てた顔を上げて たった一度の物語を 見てしまったものを 風に語っておくれ 3 聖戦 一九四四年晩秋 上海 東亜同文書院大学予科二年の<私>たちは 軍米の買い付けをする商社員の護衛に徴用されました 階級章の付かない軍服を着せられ 張り切って 軍人たちに付いて行きます 軍用トラックの行った先は 朱家角という農村 買い付けではなく 根こそぎの略奪でした 片端から家宅捜索 寝台の下 土間 柩のなか までも 種籾用の米袋を抱いて 「どうか これだけは・・・・」 哀願し 号泣する 老いた農夫を 地面に引き据え 腕に発電機の端子を付け 電流を流します すでに何もかも奪われた 農民たちが 背後で そのありさまを 凝視していました 成果喜び 農村を廻りながら 略奪品で 豪華な宴会を連夜おこなう 軍人たちと 商社員 <聖戦>の二文字が このとき 崩れ落ちました ※最近、憲法改正や「国防軍」など急速に軍事的な動きが高まっています。4月28日は沖縄の 憤りを考えずに「主権回復の日」として行事が強行されました。かなり危険な状態ですが、 戦争をゲームやアニメでしか知らない世代もふえ、反戦の声は抑えられています。 しかし、一見威勢のよい「聖戦」「国防軍」などの意味をよく考えることが今こそ必要です。 「戦争体験者が次第に消えていくのをよいことに、平和憲法がいよいよ根こそぎ奪われかけ ようとしている今、そのとき子どもだったものとして戦争の実相を少しでも遺しておきたいと、 このようなものを編みました」 石川逸子さんはミニコミ誌「ヒロシマ・ナガサキを考える」を百号まで発行し続け、『ヒロシマ連祷』 『千鳥ケ淵へ行きましたか』『ゆれる木槿花』『砕かれた花たちへのレクイエム』など戦争の被害 だけでなく、加害の歴史を詩集や証言集として書きまとめて来られました。 日本は<聖戦>の二文字が崩れ落ちても、他者に止められるまで止められない傾向があり、 今もそうなのです。渦中にいる者は本当に自己がわからないもの。過去を現在に重ねながら 考えるためにも読みたい詩集です。(花神社・2000円+税) 『与那覇幹夫詩集 ワイドー沖縄』 音信 巻き貝を、耳に当てると 遥か遠い ‐ 生命(いのち)の渚(ふるさと)から ボボゥ ボボゥ ボボゥ ―音信が、届いた。 疲れた躯が、忽(たちま)ち ‐ ほぐれたが 後の世の ‐ 恙(つつが)なきを乞う 遠い妣(はは)たちの ‐ 祈りであろうか。 ボボゥ ボボゥ ボボゥ 海原とおく、白砂(ますな) ‐ 踏む 汀(みぎわ)の妣(はは)たちが、偲ばれる。 「ワイドー」とは、「耐えろ、しのげ、頑張れ、という意味合いの宮古ことば」 で、ヤマトや米国に侵され・犯され続けている沖縄にがんばれと念じている言葉です。 作品「叫び」は11人の米兵に沖縄の主婦が犯され、縛られた夫が「ワイドー」と叫んだ 事件を元にしています。オスプレイが配備され、基地を押し付けられ続ける沖縄の怒りや 悲しみが島の言葉とともに印象深く書かれています。上記の巻頭の詩のように生命の ふるさとを感じさせる詩も魅力的です。一方、作品「一人称」では、「私という一人称は、 恐ろしい。/私が私というと、数え切れない私が/私の血の中で、不意にざわめくのだ」 というように個と父祖の関係を言語的に考えています。作品「神様、ルビを振ってもいい ですか」では「<団欒>と書いて<ひとりごと>/<家族>と書いて<ちぎれぐも>/ <魂>と書いて<ひるのつき>」と孤独と希薄化の現代を浮き彫りにしています。 「あすら舎 1500円+税) 『八重洋一郎詩集 沖縄料理考』 カサブタ めったやたらに 人を鞭打ち その赤い傷口にできるカサブタを食べる 王 好きで 好きで こんどは背なか こんどは胸 こんどはシリ と こんどは女 こんどは男 (牛や豚などとても駄目だ) (人肌にかぎる) こんどは少年 こんどは赤んぼ こんどは母親 こんどは美人 一枚ちぎっては・・・・・ 少しむしっては・・・・・・・ バリリリとはがしては・・・・・・ 食う 食う 食う 食う 権力は 食う 八重洋一郎さんは詩論集『詩学・解析ノート』を2012年に刊行され、宇宙論や数学論も 包含した緻密で雄大な詩論に感嘆しましたが、同年出版の詩集『沖縄料理考』では人間の 欲望をもっともよく表わした料理について非常によく切れる包丁を駆使しながら、血が したたる鮮度を保持した見事な書きっぷりに驚きました。食において権力が密接に関係し、 作品「カサブタ」は、拷問でできたかさぶたさえ美味として食う人間の底知れぬ食欲に あぜんとするばかり。作品「平和」では、「いつも平和を食べているのだ」「みせかけの 経済繁栄というカマの中/二重奴隷は微笑みつつ骨の髄まで煮られ煮られ//やがて 文明的な平和な食卓が準備され/キラキラ光る/銀の大皿」に盛られ、平和さえ 食べている日常を抉り出しています。「耳ガー」「チラガー」「ラフテー」 「舌(タン)」「ソーキ汁」…いずれも強烈な毒とスパイスが効いているのですが、 読むうちに沖縄料理店に行きたくなるのは、ほんとうに恐ろしい欲望! (出版舎「Mugen」、1714円+税) 『現代生活語詩集2012』 「図書新聞」書評『現代生活語詩集2012 空と海と大地と』 佐川亜紀 「生活語詩集」と聞くと、 現代詩は口語表現のはずではと思う方もいるだろう。 確か に、明治に言文一致になったのだが、それは「標準語」に よる「地方語」 (方言)の排除という側面を持っていた。 本書の編集は「全国生活語詩の会」で、 編集委員会代表 の有馬敲は生活語詩の提唱者として既にアンソロジーを多数 出している。有馬は七〇年 代から「オーラル派&」と呼ばれ、音声を重視する 親しみやすい詩を創作して、朗読や歌唱を通じ開かれた詩の普及に努めて来た。 「いよいよ、生活語による詩の時代がやってきた。今後は全国各地で、生活語の 詩朗読会が展開されていくだろう。さらにその現場がDVDに収 められ、自宅の 茶の間でゆっくり鑑賞できるようになって いくにちがいない」と本書の 帯に有馬は記している。方言だけではなく、今実際に使われている言葉による作品を 「 生活語詩」と見なしている。 現代詩は視覚を重んじ、個 人的に黙読するスタイルを成立させたが、生活語は話す 言葉であるから、DVD収録を併用するのは画期的だ。 DVD制作に尽力している永井ますみは「万葉集のように国家的規模ではないが、私 はいま、生きてある庶民の歴 史を撮っているのだ」と述べている。北海道・東北・ 関東・ 中部・関西・中国・四国・ 九州・沖縄の九つの地域から 一五三人の詩人が 参加した大冊である。 収録作品の斎藤彰吾の「詩の声を、活字の詩よりも一番に」では、「東日本大震災あとの/ 五月四日 日本現代詩歌文学館が見える/詩歌の森 公園にかけつけてくだはった / ほいほい えっさか 凶の けよう」と有馬、永井らが朗読きゃらばんを組んでいち早く 被災地・岩手の声をDVDに記録した様子が描かれる。 東電福島原発事故が隠蔽される社会に、関西の上村多恵子は「なんでやの なんで やのこの結末/わからへん わからへんことがいっぱいで/腑に落ちひん 腑に落ちひんことだらけ」(「メランコリー」)と憂いを抱く。 本書の各地の編集委員によって「生活語」の定義も深め られている。北海道の原子修 は「“暮らし人”としての 己の深部を支える“母源語”か」とし「国語」の枠を超え、 感動の原点に根を下した優れた詩が生活語詩になると示唆する。標準語を超え、国語と いう制度も相対化する視座が 顕著に感じられ大切な点である。言葉の源を感じさせて くれるのは、やはり沖縄語やアイヌ語や方言による作品だ。 「遠い昔 言葉(イタク)は渦巻き/臍(ふす・中央)から輪(ごー)巻き/ 端 (はんた・辺境)へと拡まって/食(ク)イ、食(は)む、はぶ/縄文、邪馬台、 記紀万葉/山奥で半島で離島で生き続ける//アイヌ語と 大和語の昔から/古モンゴロ イドと新モンゴロイドは/戦 い、棲み別れ、混ざり合って /現在、この地に住む我々/ 新旧のモンゴロイド」(「ゆな木と青鳩(おーばと)」ムイ・フユキ・ 沖縄) 「カンナカムイのウポポを 母たちはうたった/うらら しゅうえ えーかむい しんたー」 (斉藤征義「燃えるチキサニ―チカップ美恵子 さんに」・北海道)。 「空がこぎゃん汚かた鳥の せいじゃろうか/いや海は魚 のせいかも知れんばい/ 陸は まず間違いなく人間共に違いなか」(「知恵と理性と環境 破壊」秋田高敏・九州) また、永井ますみが「おわりに」で指摘しているように若い人は「標準語」や「ネッ ト語」 のほうが日常的になっている。さらに、グローバル 化で多様な言語が混ざり合う場面も 出現している。 「ごちゃ混ぜの/日本語が飛び交っている」「バイリン ガルなことばが雑ぜまぜで」 (「佐藤勝太「ひろがる言葉」 中国) 今後、情報技術の進展がさらに言語変化を促すだろう。 以前、水村美苗の著書『日本語が亡びるとき』が話題に なったが、世界の言語や現代詩は滅びの危機に さらされている。そのような時代に生活語詩を広め、記録する本書の 意義は大きい。 (竹林館 本体2500円+税) 若松丈太郎著『福島核災棄民』 このコーナーでもご紹介しましたが、若松さんの前著の題名は『福島原発難民』でした。 故郷を追われ、住居を度々変えさせられる「難民」となった福島県民は、いまはさらに 「棄民」にまで捨て置かれる状態になっています。 「当初伏せられていた事実があきらかになるにつれ、わたしは確信を抱くようになりました。 日本国は国民の安全や健康は二の次にして国家と企業の保全を優先し、原発周辺住民は 過去も未来もいっさいを奪われ棄民されたのだと。」 東電福島原発事故がなかったかのごとく処遇され、原発事故から何も学ばず忘却が 加速されている現状を本著は明確に表しています。昨年末の衆議院選挙で自民党が 圧勝し、再稼動どころが新設もOKという驚くべき政策が実行されようとしています。 トモダチ作戦で救助活動にたずさわったアメリカ軍人が被曝したと東京電力と日本政府を 訴えていますが、当然、日本人も被曝しています。 「<核>を制御可能と過信し、十全な対策を講じないまま、平和利用であるとか、環境にやさしいとか、 安価であるなどと偽って、核抑止力を保持する目的を隠して、国策として推進し、その権益に群がり、 事故を隠蔽し、住民を欺いてきた結果として招いた事態を客観的に検証もせず、そのため、 住民のいのちと尊厳と未来を奪い、さらには地球的規模で、しかもながい将来にわたって影響を 及ぼす重大な犯罪であることを認識できず、したがって、ましてや責任を取ろうとは考えもせず、 権益と地位を守ることのみに汲々としている原因者たちの犯罪には、過失致死罪にとどまらない 重大な「人道に対する罪」「人類に対する罪」「全生物に対する罪」というべきものが認められる べきだと、わたしは判断する。」 若松さんは誠実な筆致で、平和憲法の改憲もふくむ危機の社会を抉り出します。 <1章 町がメルトダウンしてしまった(原発難民ノート2 2011年3月15日から4月30日まで)、 2章 キエフ モスクワ 1994年 3章 福島核災棄民 (福島から見える大飯) 4章 戦後民主主義について 5章 ここから踏みだすために 6章 海辺からのたより> の6章からなっています。1994年にチェルノブイリとアドルノのアウシュビッツを重ねる思考は 今、いっそう私たちに問われていると思います。 詩人の柴田三吉さんの写真も印象的です。 加藤登紀子さんが歌う「神隠しされた街」のCDも付いています。 (コールサック社 1800円+税) 季村敏夫詩集『日々の、すみか』 前回の季村さんの詩集紹介で、東日本大震災により阪神大震災の体験を 深められたと書きましたが、2012年12月に2刷になった『日々の、すみか』を拝見し、 私が誤解していたことが分かりました。『日々の、すみか』は初版が1996年4月30日です。 阪神淡路大震災後まもなくして、これらの優れた作品が書かれたことを知りました。 <■いえない、ということ。いいたいことの、いわねばならぬことの過剰が確かに在る、ということ。 だがうまく伝えられない。そのことはすでに明らかにさせてきた。>(「再び、はじまりへ」) 言わねばならないことが過剰にあるが「うまく伝えられない」とは、技術のことではなく、 何か次元の異なる体験の質であり、喉に人々の声が殺到するが、発すれば無言になってしまう、 過剰と無言の共存こそ震災後の言語だと思います。著しく矛盾した、そうとしか言い表しようのない 感覚と思考を非常によく捉えていると思います。 この詩集では、「旅」が一つの重要な言葉となっていますが、私はシーシュポスの神話を思い出しました。 シーシュポスは大きい岩を山頂まで運ぶ刑罰を神に科せられます。山頂まで辿り着いては、岩の重さで 下に転がり落ち、再び岩を山頂に運び上げる苦しい旅を果てしなく続けるのです。フランスの文学者・ カミュはシーシュポスの意識の明晰さに神無き時代の人間の尊厳を見出しました。 <私達の生きるこれも旅だという、目をそむけたくもなる日々のなか、私達はまたたくまに躓き、 そのことを笑い、ここから始まりだと倒れこむ。>(「はじめに恥辱ありき」)「ここから始まりだと 倒れ込む」は奇異な表現と言えましょう。ふつうなら始まりだと歩き出すなどでしょう。しかし、 この矛盾にこそ現実があり、「刻み付ける」と「始める」を同時になしたい思いを感じます。 また、祝祭に変わる視点にも感嘆しました。<「糞をほうり投げるのは、この家なのか」 顰蹙をかう行為と、眉をひそめる言葉がいきなり舞いあがり、失うばかりのこの半年も、一度に 祝祭になるであろう。><未知を歩むことは、罵倒される点、糞のごとき存在となって他人の胸の なかに荒々しく踏みこむことだと、とある朝、復旧初日の電車を待ちながら、笑っている。> (「とある朝」) 震災を共有する言葉とは生臭い腐臭や排泄物を共有する言葉でもあります。 テレビ映像やネット映像でも見られない生々しい眉をひそめる言葉が舞い上がるときに、 悲劇と喜劇があらわになるとき初めて私たちは生と死を両手で受けとめるのです。 題名の読点は意味深いです。<私達の所属からほどかれたものに、ひとつひとつの読点を、 ひきつりとともに打ちこまねばならない。>(「のちのこころ」)「日々の」も「すみか」も崩れた その時を原点のように打ち込むこと。「空、地、」という同人誌を発行していたことの予言性、 <モノそのものとして聳えたった。>言葉がモノを予言し、モノが言葉を超え、言葉がモノを 捉えようとするその裏切りのような胎生のような関係を見事に表現しています。 季村敏夫さんは『ノミトビヒヨシマルの独言』というボルネオに従軍した亡父を描いた貴重な詩集も 出版されています。叙事と芸術性がまれにみる高度さで結合した作品集です。ここにも阪神淡路 大震災のことが出てきます。<大地にたたきつけられ/父たることを知り/子であることを知らされ /ともに立ちあがったことが/ふしぎ、である><その歓声が北ボルネオの森からよみがえり/ 孫であるおまえを救出したこと>(「生かされる場所」) (『日々の、すみか』2500円+税、『ノミトビヒヨシマルの独言』2600円+税。ともに書肆山田) 『地に舟をこげ 7号』 在日女性文芸誌「地に舟をこげ」が7号をもって終刊になってしまいます。 たいへん残念なことですが、本誌が果たした功績は大きなものです。 編集者たちの座談会「記憶、記録そして希望へ」で語られているように、在日女性自身が 在日女性の歴史、生活、知性と感覚を文学として形成し残したことは画期的でした。 私財を投げ打って尽力された高英梨さんの高い志と知性、将来への遠望には敬服します。 すでに作家として活躍している在日女性もいますが、文芸協会として集まり、 若い世代から先輩世代まで、いろいろな立場を超えて、幅広い視野で展開したのは稀有なことです。 賞も設け、新たな書き手を発掘したのも大切な成果です。この文芸誌でなくては発表の機会が なかった人もいるでしょう。5号はちょうど「韓国併合百年」にあたりアンケートを実施し、 現在に「併合」の意味を改めて認識し、率直な意見も出ていたのには驚きました。 創刊の2006年はちょうど韓流ブームに沸き、「韓流スターの魅力」のエッセイもあります。 宗秋月さんも創刊号に登場し、今進行している『宗秋月全集』刊行の強い契機となったのです。 7号は、文芸誌にふさわしく「在日女性作家作品集」で力作が寄せられています。 金由汀さんの歴史と女性の異なる個性が交錯する長篇小説「夢の淵」完結編、 李優蘭さんの「愛宕山」は留学したときに心に傷を負い、苦しみながら早世した息子の物語。 金蒼生さんのシナリオ「果ての月」は現在の在日と済州島4・3事件が鋭く描かれています。 深沢夏衣さんの「秘密」は今も続く民族差別とアイデンティティの揺らぎが細やかに書かれています。 詩の李承淳さんは日本の隠微な危険さを暗示しています。 中村純さんは原発事故でデイアスポラとなった「自分」を基点にすることを表しています。 (中村純さんは詩集『3・11後の新しい人たちへ』を出版されました) 李美子さんの「ムルオリ」は真鴨の姿に父と自分を重ね、李明淑さんの「記憶からの回生」は学ぶことも できなかった在日の苦難の生活をたどり、たくましく生きるよう同胞に呼びかけています。 朴和美さんの「『東アジア批判的雑誌会議」で考えたこと」は原発事故や沖縄のことを韓国・中国でも 真剣に考えていることが分かり、日本の方が隠蔽していることを自覚します。 このように終刊号まで充実した作品と重要な視点を差し出して下さったことに感謝し、 今後もそれぞれの活動を続けて頂きたいと願います。(社会評論社 1200円+税) 『季村敏夫著 災厄と身体』 副題に「破局と破局のあいだから」とあります。季村さんは阪神淡路大震災で 神戸市長田区のご自分の本社事務所が全壊する大きな被害に会われました。しかし、2012年6月に 刊行された詩集『豆手帖から』(書肆山田)の「あとがき」に「ここというとき、逃げていた」と書かれています。 この自己認識の厳しさに圧倒されます。阪神大震災の被災者の方々から東日本大震災の被災者の方々への 物心ともの支援がなされたことは聞きました。けれど、季村さんは、「今ここ、あらわになった過去に、ひき ずりこまれた。他者の出来事があって、やっときっかけをつかむとは、この遅れはおぞましい」と自己の体験を 内面化する重みを持って東北に出会い、引き受けているのです。そこには、出来事を自己の経験にまで深める とはどんなことか、個と社会の歴史のかかわりとは、など大切な問いかけが含まれています。 『豆手帖から』は短い詩句から成り立っていますが、それは東北のことでもあり、神戸のことでもあり、 異国のことでもあり、ずっと前のことでもあるというように複数の場面をダブって喚起させます。 ごく私的な出来事と社会的な記憶の交錯。「うなだれる 男よ/ここへ 来て/おおいかぶさればよい」 (「しじま」)は東北への共感とともに、自己が自己に重なることを意味しているのかもしれません。 そして、エッセイ集『災厄と身体』では、体験と記憶についてさらに語られています。 「体験したことのほんとうの意味、記憶のほんとうの意味は、遅れてわかる。」「気づきという事態を想定すると、 それは突如、時間を切断して訪れる。あるとき不意に、向こう側から、襲って来るようにもたらされる」。 また、石牟礼道子さんとの対談も非常に内容の濃いものですが、その中で「命懸けの体験だったのに人間の経験 にまで深まらない。」とも指摘されています。 「文化というか、人間の生き方として考えてみたとき、一瞬確かに垣間見られ ていたはずのものが、 すっと潮が退くようにどこかに消滅していく、生きる姿勢として、根づかない。」も重要です。 私たちは一体何を垣間見たいのでしょう。災害の事実を綿密に記録することはもちろん肝要です。二度と同じ災害を 起さないために対策を立てることも必要です。ですが、私たちが本当に知りたいのは普段の生活では覆い隠されて いる人間の赤裸々な姿かもしれません。私たちは続く破局と破局のあいだに生きているにすぎません。 途方も無い時間の中で、暴力と豊饒のあいだに生まれ、季村さんの言われるようにカタストロフィーを、 「無意識のどこかで」「決定的到来を待って」いる存在なのです。浅い心理学では解釈できない人間の深い矛盾を 宗教的情熱のようなものを感じます。人間の底の姿まで見ながら生きる姿勢を考えるとはどういうことか。 このような思索的深さで、東日本大震災、阪神淡路大震災を語られることに 強く心を打たれ、渇望していた言葉に出会ったと思いました。 (『災厄と身体』1800円+税、『豆手帖から』2000円+税 ともに書肆山田) 『瀬崎祐詩集 窓都市、水の在りか』 「あなたの顔が映った水鏡の裏側には 向うからあなたを凝視しているもう一つの顔が隠れている」 (「水鏡についての断片」)という詩句のように、視点の反転と、異界の暗示が魅力的な詩集です。 鏡とは通常、自己認識をもたらすものです。それが「水鏡の向こうに広がる世界はこちらの世界を映して いながら 微妙にずれている」、微妙にずれていく展開に瀬崎さんの妙技があります。 作品「窓都市」でも「この都市では 人々は 自らの肉体を家の外へ残し 魂だけを家の中へ入れるのだった」 と肉体と魂が分裂し、「窓は 家の外部と内部を視線でつなぐものであって 身体を交流させるための ものではなかったのである」と述べられ、視線によってしかつながりえない都市生活を思います。 また、らせん状に想像が展開していくのも特徴です。「身体がねじれて 挨拶の言葉もねじれていく おかえりなさい もう昨日の約束には間にあいませんねと 注ぎこまれていたものがあふれて あたりの隙間をもとめてはいりこんでいく やわらかく 約束がかたちをうしなっていく」(「五月雨」) 通常の言葉がわずかずつねじれ、ねじれることにより、既成概念の形がくずれ、異質な世界を 現出させます。しばしば血なまぐさい表現も見られ、意表を突きます。 「言葉を失うということは こんなにも見ることや嗅ぐことに耐えることだったのか」(「市場にて」)も 印象に残ります。 この詩集には「身体」や「肉体」という言葉がよく出てきますが、「あとがき」で興味深い理由が 述べられています。「現実世界に対峙しうるもうひとつの世界の構築を夢想してきた。 しかし、言葉がどこまでも言葉である以上は、言葉はなにかしらの切羽詰まったものを必要とした。 それは言葉を発する者を危うくするものあったが、言葉がそれを身にまとわないかぎりは 本当の嘘はつけないのだった。やはり言葉は肉体から出発して、ふたたび肉体へ還っていく のだった。」この文章は、言葉の本質をついていると思います。記号ではなく、言葉であるのは 肉体を通過しているか、否かが、成立の鍵を握り、虚構のリアルさも支えるものだとの認識に 共感しました。(思潮社 2200円+税) ※瀬崎さんのブログで私の詩集『押し花』をご紹介頂きました。 <3・11フクシマ>以後のフェミニズム 福島第一原発事故以後、特に母親たちは子供の健康管理・避難か否かに悩んだ。 脱原発活動で初めて声をあげた若い女性も多い。原発事故は女性たちに切実な 問いかけの意味を持っていた。 本書は、以前からフェミニズム批評を手がけてきた25名の筆者がさまざまな角度から <3・11フクシマ>以後を語っている。 高良留美子の論は「生と死と再生・循環する文明へ―文明史の転換」という題にふさわしく アニミズム、ソクラテス、仏教、マルクスなど古今東西の思想をかえりみながら、 「循環する自然に学ぶ」ことを基点に新たな社会像、人間関係を作ろうとする力作である。 日本に限らず、世界文明の視野でフクシマを語らなければ、経済・軍拡競争の功利主義に 飲み込まれてしまうだろう。 脱原発デモの呼びかけに「いのちが大事」という言葉がよく使われる。 今こそ経済や国家よりいのちを優先しようという考えかたである。 女性は「産む性」であるから、この訴えとなじみやすいと考えられるが、 長谷川啓が述べるように「母性神話の解体は女性解放の要であった」のであり、 「神話」や「規範」ではなく、「身体」や「創造的発想」が今後求められだろう。 いきなり「自然へ」という前に、フェミニズム論争の歴史を検討する必要もあるだろう。 私の感想では、70年代にエコロジカル・フェミニズムはあったがそれほど注目されなかった。 自己権利運動とマルクス主義的な社会的運動のほうか主流だった。 つまり、<欲望の拡大>を女性も享受する方向に行ったのである。 さらに、80年代にはいり、ポストモダンのエクリチュール主義になると、 そうした「女性」なるものは単なる社会文化言説にすぎないと言われだす。 「自然」も「エクリチュール」にすぎない。<言語の拡散>に入る。 「言語の拡散、濫用」は、原発事故報道にも顕著である。 この本にも「メディアへの視点」が鋭く追及されている。 原爆文学を書いてこられた林京子の講演、自己体験を交えながら津島佑子の小説を語る矢澤美佐紀、 3・11以後の女性文学を考察する北田幸恵、「東北」の女性を国内植民地のさらなる被植民者と とらえる岡野幸江、黒澤明の映画「夢」の先見性を語る金子幸代など興味深い様々な観点からの 論文が集まった貴重な本である。(1800円+税、御茶の水書房) 『佐々木薫詩集 ディープ・サマー』 書評・怒り 官能 「コザ」への愛 叩きつけるリズム、あふれる言葉、噴き出す怒り、豊かな官能な どがカオスとなって渦巻き、迫力に満ちた詩集である。昨今の現代 詩は、時代と人生がじかに関わらず希薄化したが、鮮烈な存在感を 持つ二章から成る物語風の詩だ。佐々木薫の位置は独特である。 略歴に「東京に出生。1964年沖縄に移住」と記す。一章の「1. コザという街があった 1964・沖縄」は心を鷲掴みにされた街 と時代を活き活きと再現している。移住の理由には、日本への嫌悪が あった。「私は亡命のパスポートを携えて/リュウキュウ・アイラ ンド行きのタラップを駆け登る」皇国日本は父母兄弟を死に追いや り、国家を捨てたかったのに、沖縄の「祖国復帰運動」に戸惑う。 今年は「祖国復帰」して四〇年目で、「復帰」して良かったのか、 疑問を抱く人も多いだろう。佐々木薫は国家の幻想性と強圧性を感 じていた。本詩集の発行日が今年の5月15日なのは意味深い。 「夏の記憶」として胸底に残り続けるのは「舞うれよ舞うれ、カ チャーシー/この世をみんなで掻き回し、カチャーして変えるのさ」 という民衆の猥雑で革命的なエネルギーが沸き立つコザだ。 アメリカ軍政下のベトナム戦争時、ジャズやロックがなだれ込み、沖縄語 と英語とヤマト語が、女と男が、黄色人と白人と黒人が混ざり合った。 詩集にも自作品や他者からの引用がちりばめられ、過去と現在、 自己と他者が交錯する。性をむさぼられながら、たくましく生きて 来た女たちの声が強く響く。 しかし、沖縄で四〇年以上暮らしても「ナイチャー」と言われる。 そこに生ずる孤独とうろ虚は詩の発生源だろう。「2.プライベート・ レッスン」では、新たな個と共同体を希求する。「美しいのはニホ ンではなく、このアタシ」という小気味好い気概を持ちつつ。 一夜で燃え尽き、「復帰」後に名を変えたコザ。だが、大蛇は何 度も激痛を耐えて脱皮する。過去だけではなく、現在に対して作者 の熱い思いがこめられた詩集だ。 (「沖縄タイムス」8月25日掲載) (『佐々木薫詩集 デープ・サマー』定価1200円+税 あすら舎刊 〒900−0005 那覇市天久1090−1・B301) 『高畑耕治詩集 さようなら』 かずよちゃんのはっさく おかあさん ぼく 夜こわい おかあさん じしんで死んでもてから 夜こわい おばあちゃん ここはだいじょうぶや ゆうてるけど こわいねん ともだちできたで かずよちゃんてゆうねん かわいいで おかあさんにあわせたいわ ここにきてからみんな じしんのことばっかりきいて かわいそうやばっかりゆうて いややったけど かずよちゃん なんもゆわんと これあげるて はっさくくれた かずよちゃんに はっさくもろた かずよちゃんちの畑になってんて すごいなあ 木になってんのみたことないわゆうたら こんどみせてくれるて あそびにおいでて おおきいのやらちいさいのやら きれいやて かずよちゃん はっさくの花 咲いてんの 好きやねんて おんなの子やなあ おもた ぼくは食べるほうが好きやゆうたら 食べたら元気でるんや ビタミンCがあるからな ゆうてくれた すっぱいけどあまいねん かずよちゃん はっさく 月みたいやゆうねん じっとみてると でこぼこが クレーターみたいやて ほんまやな そやけど月よりも かずよちゃんににてるゆうたら おこってもた ほめたのに おんなの子て わからんなあ まだゆわれへんけど かずよちゃん 好きやねん ええやろ おかあさん かずよちゃんにもろた はっさくいっこ わけたるからだまっといてや おかあさんのことはなしたら かずよちゃん 泣いてもてん 泣かんとおもたけどぼくも 泣いてもてん おかあさん ぼく 夜こわいねんけど おかあさんが好きやった月みたらぼくも はっさくおもうて かずよちゃんおもうて がまんしてる ぼくにみんな がんばれゆうけどなんでがんばらなあかんねん でも ぼく まけへんから おかあさん また はっさくあげるからな もうねるわ ※1995年出版の詩集です。阪神淡路大震災のあった年ですが、上記の詩は東日本大震災後の今にも 通じるものを感じます。「がんばれゆうけどなんでがんばらなあかんねん」は被災した子供が感じること でしょう。突然、家族を失った悲しみ、見知らぬ環境に移り住むつらさは抱えきれないほど大きなもので しょう。でも、その中でも優しい思いやりを示してくれる友人との出会いは生きる勇気を与えてくれます。 この人間の悲しさと愛情が高畑耕治さんの中心テーマです。死と愛です。 「どうして生きものは死ぬのでしょうか」と根本的問いを発しながら、「戦争にも震災にも壊されない、こころ ってあるのですね」と信じることが、柔らかい抒情をつむぎ出しています。物語性のある展開、語りかける 文体、まろやかな言葉遣いなど独特の詩世界を創っています。抒情詩のホープとしてさかんに活躍中です。 「愛のうたの絵ほん・高畑耕治の詩と詩集」 『ひとのあかし What Makes Us』 福島県南相馬市在住の詩人・若松丈太郎さんが書いた詩を詩人のアーサー・ビナードさんが 英訳した日英対訳詩集です。「ひとのあかし」は2011年5月、「みなみ風吹く日1」は 1992年11月、「みなみ風吹く日2」は2008年8月、「神隠しされた街」は1994年 8月に書かれた作品ですが、ほんとうにアーサーさんの言うとおり「鳥肌が立つ」くらい予言性 に満ちています。「確かな観察眼で実態をとらえ、声なき植物に耳をすまし、生態系から 発せられる情報を収集して作品で生かしている者は、決して多くはない」日本の詩にあって 進行する危機をとらえていた鋭敏な知性に改めて驚嘆します。しかも、原発についての詩は 生活に関わるタブーにおおわれ、社会的な詩の中でも孤立する存在だったと思います。 若松さんは「今回のフクシマ原発事故に意味があるとするなら、それはわたしたちが 変わってゆくためのまたとない機会を得たことです」と後書きに書かれています。 そのためにどうすべきか、一人一人に問われていると思います。 アーサーさんの訳は、表題の訳のように私でも分かる易しい単語を使いながら、本質を 的確に表わし、リズムも感じます。 また、齋藤さだむさんの写真は圧倒的迫力で怒り、悲しみ、福島への愛を伝えています。 (清流出版 1700円+税) 『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』 金時鐘の初期の発表誌「ヂンダレ」「カリオン」復刻に携わった著者・細見和之が 詳細な資料分析と豊富な文学的知識のもとに新たな金時鐘像を浮かび上がらせた力作です。 「はじめに」では、金時鐘が奪われた朝鮮語を回復する契機となった「クレメンタインの歌」が、 原曲の意味との比較も交えながら、祖父から孫にいたる三代に「母=母国・母語をもとめる 哀切な歌として読み替えられ」、<脱植民地化の想像力>を体現した歌であると明かされます。 また、<「ヂンダレ」における「流民の記憶」論争>では、社会的な詩についての根本問題を 若き在日朝鮮詩人たちが鋭く突きつけられ、議論していたことが分かります。 当時、新しい人民の国として力強く前進していると言われた朝鮮民主主義人民共和国が あるにもかかわらず、「流民の記憶」を引きずっているのは「ブルジョワ的」だという 批判がありました。これに対し、金時鐘は<「流民の記憶」こそを自分の創作の根本に あるものとしてあらためて確認し、かつそれを「日本的現実」のなかで問い直してゆく ことを、自分の文学の方向としてここで強く打ち出しているのである>と細見は説いています。 すばらしい祖国や未来を称揚するのではなく、現実の中で苦悩し痛む、切実な自己存在の 根底を初期から捉え、幾多の批判にもかかわらず手放さなかったことが詩的生涯を貫く 源になっていると納得させられます。 復元された『日本風土記U』にも瞠目しました。「わが性わが命」の肉体性、生理性と殺戮の 記憶の見事な交錯には圧倒されます。生き物のモチィーフとメタモルフォーゼの重要性、 カフカとの比較も興味深いです。 また、長篇詩「新潟」に、四・三事件や浮島丸事件がこれほど暗示されているとは私もまったく 分からず歴史を自己を通して凝縮した卓抜さに改めて感心しました。。構造体として把握したのも 画期的ですが、「『新潟』というテクストの抱える難解さのひとつはこののたうちの切実さにあると言っ てよい」とは、詩の本質を直観的に捉えた詩人ならではの理解と考えます。多様な同胞の姿を <「ぼく」のひとつのありかた>として記述したことは歴史と個人の多角的なありかた、 自己とは何かを単純な「民族一体性」に還元しない極めて斬新な認識と思います。 「ハイネ、ツェラン、金時鐘というトライアングル」のリズムと翻訳の項は、たいへんすばらしく、 境界を超えて心底で共振する「世界文学」のリズムの発見に感嘆します。 吉本隆明との比較を通して、日本の戦後の欠落、二重構造を明らかにしたのも注目しました。 激動する朝鮮半島と日本、世界の中で、芯を確立し、外部にも敏感に受苦しながら 詩を発展させた詩人の営みが生き生きと伝わってきます。 (岩波書店・2700円+税) 『海を越える100年の記憶』 副題に「日韓朝の過去清算と争いのない明日のために」とあるように 「韓国併合」100年目だった2010年に図書新聞がシリーズとして企画した証言集をまとめた ものです。日韓朝の歴史を日本軍「慰安婦」被害者、強制連行・強制労働被害者、在日一世の オモニたちの証言で辿っていることが貴重です。ご高齢のため、ぎりぎりの時点の刊行であった とも書かれています。特に、元「慰安婦」として、つらい過去を話された姜日出さん、宋神道さんの 勇気ある行動、尊厳回復への思いを日本は真摯に受け止めるべきです。1993年に河野洋平 官房長官談話が出て、強制と軍関与を認めたにもかかわらず、そこから後退して行き、2011年 に韓国で駐韓大使館前に抗議の記念碑が建てられる事態に陥っています。 第W章の「在日朝鮮人三世は発信する」で、1990年代から帰化者数が年1万人レベルになって いること、韓国・朝鮮籍保持者以外との結婚が約8割に増えた現在をふまえながら、それがフェア な選択で行われているかと問うています。植民地時代の「同化政策」が続いているのではないか、 特に就職や結婚に不利との意識が帰化増加につながっているのではないか、ということです。 これは、日本の現実社会で、中国、ブラジル、フィリピン、ペルーなどから来る人々がふえ、介護職 にも就く昨今で、国籍が他国の人々とどう生活していくかにもかかわる重要な問題です。 韓国ドラマやKポップ人気と、朝鮮半島や歴史への理解を切断せずに読むべき本です。 (李修京編。株式会社図書新聞 2000円+税) 「千年紀文学」95号 パンと原発 佐川亜紀 私の父は、零細事務所で原発の作業ロボットの一部を設計開発していた。 たぶん浜岡原発用らしい。父は大企業東芝の下請けで、金銭的儲けがあまり ないにもかかわらず、技術が認められ得意になって朝早くから車で静岡に何 度も行っていた。私は「ふうん」くらいで、ほとんど関心と危機感を抱かな かったのは、ぼんくらで情けない。 いや、少しはうしろめたさやあぶなさを感じていたから、手前味噌だが、 第一詩集にも「UFO形パン焼き器」を書いて、文明批判的に捉えてはいた。 この詩は、父が仙台工業高校卒業後、山形から東京に出て来て、最初に設計 し売れたのがパン焼き器で、京浜工業地帯の東京大田区の零細設計事務所が 最後は原発ロボット設計までして癌で死んだことを描いたのだが、典型的な 東北次男坊の人生でもあった。山形の実家は米作をしていたが、規模が小さ く、長男が復員すると口減らしのように東京に出されたそうだ。 農家の次男・三男については川村湊著『原発と原爆「核」の戦後精神史』 (河出ブックス)の「第四章『原発』の文学史」で水上勉の長編小説『故郷』 に触れている箇所に注目した。「貧しくても、人々が懸命に生きてきた故郷・ 若狭に、そんな化け物のような原発は似つかわしくなく、必要のないものだ った。それらが若狭地方に数多く作られた要因の一つとして、作者の水上勉 は、狭隘な農地を兄弟間で『田分け』せず、長男が一人田畑全部を相続し、 次・三男は都市へ出てゆくという近代日本の田舎の慣習が遠因であると語っ ている」と述べており父と同じ事情を感じた。さらに、「地元に残った長男 たちが、原発を誘致し、田舎に都会よりももっと豊かで現代的な暮らしを実 現しようとしたという」と記しているが、都会に出た次男三男も因習的な田 舎を忌避し、こめ保護政策を妬むという近親憎悪の関係が潜んでいた。 小規模農地の問題には、GHQの政策が原因という意見も見られる。GH Qは寄生地主が軍部の基盤であり民主化するよう小作に農地解放したと言わ れるが、零細化することで農業の将来性や競争力を奪い、日本を農産物の市 場にする目的だったそうで、TPP問 題にまでつながっている。農地改革も 日本が独力で行えず、アジア侵略戦争を無謀に広げるだけ広げ、停止終結も できなかった社会的脆弱さが今日まで甚大な禍根を残している。 開沼博が『「フクシマ」論』(青土社)で指摘した通り日本国民には服従の心 性が根深い。原発立地は国内被植民地であり、一方で東京は出稼ぎに来た人 々が半分くらいの根無し草の幻の地だ。この本に引用されている草野比佐男の 詩「中央はここ」でも「まぼろしの中央に唾して/本来の中央に住め」と書 いている。けれど、草野比佐男や若松丈太郎らリアリズムで震災以前から福 島県および原発に警鐘を鳴らしていた詩人は知られていない。東日本大震災 後ツイッター詩で有名になった福島県の詩人は前からポストモダニズムの新 鋭として評価されていた。後発国が超速度で近代化するように地方がより都 会的になる面も出てくる。 石もて故郷を追われ、故郷に石を投げる不届き者の文学がモダニズム文学 だ。川村湊は「いくばくかの金と引き替えに失ったのは、まさに『魂のふる さと』にほかならなかった」と指摘しており、その通りと思うが、近現代詩 は「魂のふるさと」を破壊する不埒な試みでもあった。山形県出身の詩人・ 黒田喜夫は「飢餓と貪婪といううつくしい言葉/うつくしい言葉におもねて /肯定の種を蒔きつづけるこの肉の鎖を断つときだ」(「原点破壊」)と革 命詩のテーゼを謳った。日本最初のシュルレアリスト詩人・西脇順三郎は雪 多き新潟県出身で、薄暗く湿った抒情詩なんか大嫌いで、「ギリシャ(現在 EUを揺るがしている国だが)的抒情詩」で「(覆された宝石)のような朝」 (まったく覆された金融ではあろう)というピッカピカの天気を好んでいる。 この明るさは二〇世紀のものだ。水分を含んで粘っこく丸く固まる「こめ言 葉」(米語になっていくが)ではなく、乾いて軽く切れのいい「パン言葉」が モダンの言葉になって行った。「ムラ」を破壊するには「肉の鎖を断つ」言葉 が必要でもあった。 それにしても、なぜ、原発への危機感がこんなに鈍かったのか。本誌「千 年紀文学」第93号で高良留美子氏が吉本隆明の『「反核」異論』を批判し ている。『思想としての3・11』(河出書房新社)でも吉本隆明は人間による 核コントロール論を変えていない。華々しい統御ではなく「これから人類は 危ない橋をとぼとぼ渡っていくことになる」とトーンは落ちているが。もち ろん、今、全原発を廃炉にしても、管理や高濃度放射性廃棄物の処理に世界 の科学的努力が必要なことは明らかだ。が、もう核開発の科学は止めるべきだ。 前掲書の中で、加藤典洋は「未来からの不意打ち」として、従来は「敗戦後」 という角度からしか考えなかったが、未来への責任から吉本の科学論に疑問 を感じ始めていると言う。吉本隆明は埴谷豊高とのコム・デ・ギャルソン論 争と別離以降、大衆消費文化肯定論になったと思う。吉本に見られる科学信 仰、もっと言えば経済絶対性が原発を支える思想なのだ。『「反核」異論』 は82年刊でバブル期に重なり、吉本ばかりではなく、文学も経済性が言わ れ出した。東電福島第一原発過酷事故後の現在でも、経済神話を守ろうと政 財界・原子力ムラ・マスコミが必死になっている。「平和利用」ではなく、 日本庶民が飲み込まれたのは「原発の経済利用」である。私も父が設計して きたのが「工業機械」であったため「工業の紋所」の前には泣く子も黙らな ければならない。原爆と原発は同じではあるが、原爆を作り、アメリカのよ うにイラクで劣化ウラン弾を撃ちまくれば経済的に疲弊する。原爆を作れる 可能性で威圧しながら産業利用を一番にした日本のやり方はこすい。 さらに、脱原発デモに行ってへこむのは、過酷事故当事国なのに参加人数 が少ないというばかりではなく、過去の左翼の混迷ぶりを見せ付けられるか らだ。4月に高円寺でユニークな運動を展開している松本哉が中心の1万5 千人のデモがあったが、「内ゲバはしないでください」みたいな紙が貼って あった。昨今は、コスプレ仮装でにぎやかにサウンドデモするのはいいこと だ。9月19日脱原発デモは6万人になり、大江健三郎ら有名知識人が呼び かけ、共産党と社民党が共闘したが、冷戦時代の革新派の紆余曲折と離反の 歴史により共闘さえ難しい。 もちろん最大の責任者は、東電、原子力ムラ、自民党、民主党政権、マス コミであり、あらゆる手段で責任追及、補償請求をしていかなければならない が、庶民の反応が鈍い。「強まった家族の絆」を国家主義にねじ込み、沖縄 にまで反動的教科書を使用させようとする企ては恐ろしい。 しかも、ベトナムに原発を輸出しようとする厚顔無恥ぶりにはあきれかえ る。フランスパンの露店が並んだベトナムを思い出す。支配された国々の文 化をしたたかに吸収しながら生き抜いてきたベトナム。しかし、原発廃棄物 は人間には処理不可能であり、こめの源流、メコン河も汚そうというのか。 開沼博のいう「特需幻想」を捨て、「経済神話」病から回復したい。矛盾 極まりない現代人は文化的にも「高濃度放射性廃棄物」のようなものを抱え 続けなければならないだろうが。 「地に舟をこげ」6号 在日女性文芸誌「地に舟をこげ」6号を紹介します。 第五回「賞・地に舟をこげ」受賞作「アリョン打令」(梁裕河・作)を発表しています。 この作品は、作者が近隣の在日女性に聞き書きする会に参加するなかでつむがれ、 母娘二代にわたる人生をたどり日本による植民地支配から現在までを表わしています。 植民地時代の行政、米収奪の仕方など生活を通しわかりやすく書いてあります。 優等生だった学校時代に受けた差別、嫁としての苦労など女性ならではの視点も貴重です。 「お前も貞女だの、烈女だのといった言葉に鼻面を掴まれ、いいように小突き回されて しまった。もう、そんな言葉は、クソ食らえさ」とは多くの女たちの叫びでしょう。 「夢よりも深い覚醒」(深沢夏衣)は老年期の在日を書いた落ち着いた小説ですが、 「誰かがおまえの生活を、人生をもぎ取ったんじゃない、おまえが生きてきた道だぞ」 「生きて前へ進め」という静かな情熱に心を揺さぶられます。 「宗秋月さんを悼む」は急逝した代表的女性詩人への追悼文。すさまじい修羅を生き、 肉体と暮らしから出た言葉で書いた宗秋月さんの詩はもっと評価されるべきです。 金蒼生「在日の修羅を生きた詩人」、朴才暎「『猪飼野』という神話のミューズ」、 李美子「おおぎいちゃあらん、朝鮮女の子守唄がきこえる」などどれも作品と人となり を伝える熱情がこもっています。李美子さんは私が詩誌「PO」の特集 <後世に伝えたい昭和の名詩>に宗さんの作品「にんご」を推薦したことに触れて下さいました。 「東学農民軍の戦跡地を訪ねて」(辛澄恵)で、今も「ハンサリム」運動の若い主婦が思想を 受けついで活動しているのは『日韓環境詩選集』とも関係し興味深かったです。 李光江、趙栄順の俳句、高英梨の短歌は東日本大震災を詠み、揺れ動く地に生きる魂の ふるえを伝えます。李正子の短歌の大胆な構図と官能的魔力はさすがです。 「教育と人権運動を両立させた女性研究者―鄭早苗さんの遺志」(呉文子)では、在日女性の 人権問題に取り組んだ優れた研究者を知り、「在日コリアン女性史」実現が期待されます。 「もうひとつの写真との出会い」(金文子)はほんの子供にすぎない少年に、朝鮮少年にも 特攻をさせた日本軍部のむごさを伝える写真との出会いを語っています。 「宋神道さんと東日本大震災」(梁澄子)は、元日本軍「慰安婦」だった宋神道さんが宮城県で 被災されたが、運よく助かり、支える会の救出で新居に至るまでの記録。 「未到の故郷」(李素玲)幼い頃、光州で過ごし、56年ぶりに行った抵抗の地。なつかしさと 遠さ。2011年に光州事件はユネスコの「世界記録遺産」に登録されたそうです。 童話「帰れない」(尹正淑)男の子のトッケビ(おばけ)と出会ったキム・ウナ。でも、森は開発 され、トッケビもいられない所になっていたのです。想像力が生き生きしています。 朴民宜さんの画は柔らかい筆使いに優しさと躍動感が満ちています。 詩作品では、「ミトコンドリアDNAの旅」(夏山なおみ)は、在日の「わたし」を「名前」と遺伝子 から考える。「赤いカバン」(キム・リジャ)記憶が衰えていく母に甦る韓国の言葉。 「迷路の入り口で」(李美子)朝鮮市場の横丁で石蹴り遊びをした友達の遠い思い出。 「女と家族と仕事」(朴和美)は、自覚的に自分の人生を選択し、作り、切り開く意志と実行力に 圧倒されます。日本の高度成長期だから可能だった部分もあるでしょうが、パワハラ上司を 追い出したり、働きすぎず人生を豊かで目的のあるものにする知性は見事です。 「夢の淵(ワダ)」(金由汀)この小説のおもしろさは、3人姉妹が、娼婦、海女、巫女と女性の 多面性を象徴し、それと歴史がうまく絡まっているところです。海女だった次女は解放後、 日本でパンツ売りをします。その子供は強制徴用で北海道の炭鉱で死んでしまうのです。 他にも貴重な記録や紹介があり、多彩で充実した内容です。(社会評論社 1200円+税) 李承雨著『生の裏面』 韓国文学がついにここまで来たか、と畏れを抱きながら、レベルの高い知的文章の魅力に引き込 まれて李承雨著『生の裏面』を読んだ。もっとも原作の刊行は一九九二年である。韓国でも優れた ポストモダニズム小説が書かれていたのだが、日本への紹介が少なく待望の出版だ。 本書は、小説家である「私」が、別の小説家「パク・プギル」の生と作品を辿る五編の連作形 式で成り立っている。「パク」は狂死した父に罪の意識を持ち、不幸な幼年時代を過ごす。後に、教 会で暮らす女性に出会い光を与えられる。李承雨の自伝ではないかと言われるが、この小説の特徴 は人生より表現方法にある。以前は、作家の実人生と作品の一致が尊ばれた。しかし、欧米現代文 学はそのような一致を疑って来た。李承雨も繰り返し述べているように小説は虚構である。生の裏 面を表しても「彼は隠すために表に出す」。本作は、虚構の中にさらに「パク」の虚構を引用してい る。私が最も感銘を受けたのは、李承雨が内奥の欲求から複雑な形式と緻密な文体を要したことだ。 欧米の移植文学の水準を超え、実存的真実を追求する仮借なき自己批評が、深い洞察への願望が自己 と向き合う虚構を創り出している。分析的思考と鋭い感性は卓抜だ。 作中「年譜を完成するために1・2」として記された一九六〇年代から七〇年代は政治の時代だ。 けれども社会は前面に現れない。神学校のデモが出てくるが、宗教を根底的に考える展開になって いる。 従来の「信」「情」「歴史」ではなく、「疑」 「知」「内面」が中心である。だが、二分法は不 当だろう。監禁された父 は韓国現代史の暗喩とも 読める。苦悩は極めて個的だが韓国の精神のドラ マでもあろう。作家ル・クレジオは 「韓国を、い や人間を知るには、李承雨の小説を読めばよい。」 と讃えた。 李承雨の作品は韓国に息づきつつ普遍性において世界文学なのだ。 「東京新聞9月25日掲載」(金順姫訳・藤原書店2800円+税) 開沼博著『「フクシマ」論 』 副題は「原子力ムラはなぜ生まれたのか」です。著者が大学院の修士論文として書いた 新鋭の文章ですが、「フクシマ」について地方論、近代史論として綿密な調査と多角的な 視野から読み応えがあります。 私も日本の「地方」のことについてはよく考えてきませんでした。夕張破綻などの経済逼迫、 合併や道州制の提案など制度改革も少し取りざたされましたが、内部まで分析し、多くの 人々が関心を持つことはまれでした。地方は中央経済や文化が波及していく裾野の部分と いう認識が近代に一般化しましたが、今回の原発事故で分かったのは地方が動脈血液を 送っていたという事実です。 原発のみならず水力ダム、火力石炭採掘の時から、消費地と発電地の分離が始まります。 福島県も只見川ダム、常磐炭鉱、福島第一第二原発と首都圏へ電力を送り続けました。 しかし、この本の特徴は、<首都圏の犠牲者>としてだけではなく、<成長を欲望するムラ> の観点より内側からも分析していることです。著者は福島県いわき市生まれで、原発立地が いかに財政や就業でも原発に依存しているか語っています。原発を抱擁し続ける「幸福感」 とまで言っていますが、これを日本全体に当てはめて日米同盟を抱擁し続ける「幸福感」と 言い換えることも可能です。(「抱擁」はジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』から来ている でしょう)実際、原発建設が敗戦直後から米国の強力な影響下で進んだことは『私たちはこ うして「原発大国」を選んだ』(武田徹・中公新書ラクレ)などでも指摘されています。 文学でも欧米文学を抱擁し続ける幸福感、あがめ続ける崇拝は顕著です。 日本だけではなく、アジアでも「欧米のように豊かになりたい欲望」は増大しています。 もちろん倒錯した幸福感ですが、この感覚は日本全体の保守志向、大事故が起こっても、 新しい政治勢力を創出するより、保守に回帰しようとする現在に現れているのです。 朝鮮半島と福島県のかかわりについても述べられています。 常磐炭鉱では1941年ごろから徴兵による労働力不足を「朝鮮人労働者」、徴用労務者、 中国人捕虜、女子鉱員によって補う形で増産が進められました。 第六章2では、「排除と固定化による隠蔽ー常磐炭田における朝鮮人労働者の声から」 として、聞き書きを載せています。わずかな食料、長い労働時間、上下の差別、逃亡の禁止 とリンチなど過酷な扱いを受けた様子が分かります。高学歴で日本語がよくできる植民地 エリートに朝鮮人労働者を管理させることで日本の統治の暴力性を隠蔽したと解明されて います。 このようにこの本は「コロナイゼーション」植民地化を重要な視座に据えていることが特徴です。 日本近代史についても以下のように3区分しています。( )内は佐川の追記。 (1)1895〜1945年 外へのコロナイゼーション (アジアの植民地化) (2)1945〜1995年 内へのコロナイゼーション (アジアの失敗を受け、国内地方に機能移転) (3)1995〜 自動化・自発化されたコロナイゼーション (支配服従の固定化) (2)の定義は私には目からうろこでした。著者も書いているように(1)の体質やシステムが 敗戦後も根強く残っていることが「ムラ」を温存させていて、国内で在日外国人に対する 差別的な処遇になっています。だが、国内の「地方」にも高度経済成長ゆえに激しい格差と 過疎を招き、さらに被植民地的性格を持たせたとははっきり認識できませんでした。 この視点の欠如が原発を見えにくくしていた一つの要素かもしれません。 (3)については、異論も出るところでしょう。自動化なのか、破綻しているから強化なのか。 原発の輸出のように、固定した植民地というより、先進/中進工業国が競争してランダムに 東南アジアやアフリカにビジネスをしかける場面もあり、流動化と固定化が表裏になって いる場面もあります。例えば、今、電力が不足しているから企業は海外移転して日本の産業が 空洞化すると言われています。企業が海外移転する流動性は事実です。一方それが、国内の ナショナリズムの強化や原発電力を確保せよ、という内部固定化の強制に繋がる皮肉が生じます。 そして、これは個々の収入、雇用の問題にかかわります。 グローバリゼーションがナショナリズムをかえって強めるのは昨今の世界で見られることです。 もうかる企業は世界化するが、底辺に落とされた者は今のところ国家に保障を求めるしかない、 国家が保障しない場合もあるという矛盾が発生します。 著者がいう前近代的な「ムラ」を超えた、新しい生存形態、共同体が出来るのか、 エネルギー問題は思いがけないほど深いものを問いかけていると感じました。 本書中に掲載された草野比佐男(1927年〜2005年)の詩を引用させて頂きます。 (『「フクシマ」論』 青土社2200円) 中央はここ 草野比佐男 東京を中央とよぶな 中央はまんなか 世界のたなそこをくぼませておれたちがいるところ すなわち阿武隈山地南部東縁の 山あいのこの村 そうさ 村がまさしくおれたちの中央 そもそも東京が中央なら そこはなんの中央 そこはだれの中央 そこで謀られるたくらみが おれたちをますます生きにくくする そんな東京を きみはなぜあがめる そんな東京に きみはなぜ出かける 葉のない鉄骨になぜヘルメットの黄の花を咲かせる 所詮は捨て苗のかぼちゃに如かない 花のあとにはうらなりの実も残らない まぼろしの中央に唾して 本来の中央に住め (後略) 毎日新聞・朝鮮学校被災支援記事 ニュースUP:東日本大震災 大規模半壊、東北の朝鮮学校は今=学芸部・手塚さや香 <おおさか発・プラスアルファ> ◇関心低く存続に不安 東日本大震災の被災地にある朝鮮学校の様子は、4カ月を過ぎても日本のメディアで ほとんど伝えられていない。今月9日、詩と音楽による「復興支援コンサート」を開くため 大阪や京都などから東北朝鮮初中級学校(仙台市太白区)を訪れる人々に同行し、 学校と生徒の様子を取材した。 (2011年7月27日) ■「一杯のクッパッ」 JR仙台駅から西南に車で約30分。緑に囲まれた約10万平方 メートルの敷地には古い校舎や寄宿舎などが点在する。現在は初級部12人と中級部 13人が日々学んでいる。 9日昼、激励コンサートの14人とともに学校に着いた。 メンバーは日本人や在日コリアンの混成。私が日本人だとわかると、朝鮮語でわいわいと 雑談していた女子生徒たちは「こんにちは」と大きな声の日本語で迎えてくれた。 コンサート会場は損傷をまぬがれた食堂。全国の朝鮮学校や韓国の子どもたちから 贈られた寄せ書きがあちこちに張られている。尹鐘哲(ユンジョンチョル)校長(50)は 「震災から3カ月間、ここが物資供給や炊き出しの拠点でした」と振り返った。 初級部1年生になったばかりの2人による朝鮮語の歌「1年生になったよ」で幕が開き、 会場は一挙に明るい雰囲気に包まれた。保護者や卒業生たちが目元をハンカチで 押さえる場面もあった。大阪市在住の詩人で在日本朝鮮文学芸術家同盟顧問の許玉汝 (ホオンニョ)さん(62)が自作の詩「一杯のクッパッ」を朗読した時だ。 愛しい 卒業生達よ とびきりの御馳走では ないけれど 一杯のクッパッに 込められた想いを 忘れることなく 胸に刻んでおくれ (冒頭のみ抜粋) 震災が起きた時は授業中だった。校舎3階の教室でコンピューターの授業を受けていた 中級部3年の金怜華(キムリョンファ)さん(14)は「歩けないほど揺れて怖かった。 校舎が古くて危ないので先生と一緒に逃げた」。寒がる小さな子どもたちに、 中級部の生徒たちが自分の上着を脱いでかけた。学校再開は3月27日。卒業式の日だった。 まだガスは復旧せず、外で火をたきクッパ(スープをかけたごはん)を作って卒業生の門出を祝った。 震災直後に下級生をいたわった生徒たちのエピソードに感銘を受けた許さんは、 この時の光景に重ねて詩に詠んだ。「これからも思いやりと感謝の気持ちを忘れないで」との 思いを込め、卒業祝いのメッセージとした。 ■財政見通し立たず 幸い、児童生徒に負傷者はなかった。だが、4階建ての鉄筋コンクリート 校舎は16センチほど傾いた。入口の階段は崩れ、コンクリートがぼろぼろだ。校舎奥は肉眼でも 垂直に建っていないことがわかる。授業は寄宿舎として使われていた建物で行われているが、 8畳ほどにベッド2台が置かれた部屋は決して広くない。 宮城県は震災後、学校を大規模半壊と 認定するとともに、北朝鮮による延坪島(韓国)砲撃を受けて凍結していた昨年度分の補助金 152万1840円を「人道的な見地」から支給した。一方で、今年度予算化していた 補助金162万4000円については不交付を決めた。学校側は建て替えのための申請額の 算定作業を急いでいるが、尹校長は「財務的な見通しはまったく立たない」とため息をつく。 文部科学省は今回、阪神大震災などと同様に激甚災害法などを適用した。朝鮮学校を含む 学校教育法上の「各種学校」の災害復旧事業には事業費の2分の1を補助するという。 しかし、制度上、実際にかかる費用の半分が確実に支給されるとはいえない。 現在の授業料は月約5万円。阪神大震災後、寄付金が激減したことなどから兵庫県内の 朝鮮学校の閉校が相次いだ。そもそも東北に2校しかない朝鮮学校の存続は、 保護者にとっても死活問題に違いない。 ■「新しい形」模索も 在日コリアンの死者・行方不明者は16人、建物の全半壊は 100棟以上にのぼった。原発事故の影響で、福島朝鮮初中級学校(福島県郡山市)の 子どもたちは新潟朝鮮初中級学校(新潟市東区)に“避難”し合同授業を続けている。 被災地には韓国、北朝鮮の両国政府や民間団体、在日コリアン団体などから物資や 義援金が続々と届いているが、「日本人の関心は高くない」(学校関係者)という。 阪神大震災では、炊き出しなど地域住民が垣根を越えて助け合う動きが生まれた。 大阪府は在日コリアンの人口比(入国管理局など調べ・10年末時点)が1・42%(12万6511人)、 兵庫県は0・91%(5万1991人)と極めて高い。だからこそ関心も高まったのだろう。 宮城県はわずかに0・18%(4407人)。東北で、彼らが忘れられた存在にならないか不安に感じる。 それでも尹校長は前向きに語った。「震災を機に、韓国ではこれまでにないほど日本の朝鮮学校への 関心が高まった。近隣学校との合同行事など地域交流を深めながら、 新しい学校の形を考えていきたい」。東北の民族教育が目指すのは、単なる「再建」ではなく「再生」。 それは日本にとっても同じだ。 コンサートの最後に全員で校歌を合唱した。その歌声は保護者や教員、 遠方から来た大人たちを逆に勇気づけるたくましいものだった。 震災後、東北朝鮮学校は「大地は揺れても笑っていこう」を合言葉に決めた。その言葉通り、 子どもたちの笑顔は明るく、狭い寄宿舎での授業に不満をもらす生徒もいなかった。 被災地の子どもたちに国境があってはならない。私は東北で実感した。 ◇東北朝鮮初中級学校 65年に東北朝鮮初中級学校として創立。70年に高級部を併設、 全盛期の74年ごろには900人以上が在籍したが、北海道に高級部ができたことなどにより 児童生徒数は減少傾向にある。09年に高級部は休校したため、卒業生の多くは 茨城朝鮮初中高級学校(水戸市)で寄宿舎生活を送っている。 「ニュースUP」は毎週水曜日掲載です。 ご意見、ご感想は〒530−8251 毎日新聞「プラスα面ニュースUP」係。 郵便、ファクス(06・6346・8104)、メール(o.talk-news@mainichi.co.jp)へ。 若松丈太郎著『福島原発難民』 若松丈太郎さんの詩集は以前から読ませて頂いていました。 冷静に事物を見て、非常に鋭く批評される詩人だと思いました。特に、昨年出された 詩集『北緯37度25分の風とカナリア』(弦書房)にはまさに福島原発のことも書かれていたのです。 しかし、昨年の時点で私はどこかよそごとに感じていました。 私もやはり「安全神話」を信じ、首都圏民として福島県民の危険と葛藤に思い至らなかったのです。 詩「みなみ風吹く日」には東電の事故隠蔽が並べられ、無音の未来への予言が痛烈です。 2の部分を以下に引用します。 2 一九七八年十一月二日 チェルノブイリ事故の八年まえ 福島第一原子力発電所三号炉 圧力容器の水圧試験中に制御棒五本脱落 日本最初の臨界状態が七時間三十分もつづく 東京電力は二十九年を経た二〇〇七年三月に事故の隠蔽をようやく 認める あるいは 一九八四年十月二十一日 福島第一原子力発電所二号炉 原子炉の圧力負荷試験中に臨界状態のため緊急停止 東京電力は二十三年を経た二〇〇七年三月に事故の隠蔽をようやく 認める 制御棒脱落事故はほかにも 一九七九年二月十二日 福島第一原子力発電所五号炉 一九八〇年九月十日 福島第一原子力発電所二号炉 一九九三年六月十五日 福島第二原子力発電所三号炉 一九九八年二月二十二日 福島第一原子力発電所四号炉 などなど二〇〇七年三月まで隠蔽ののち 福島第一原子力発電所から南南西へはるか二百キロ余 東京都千代田区大手町 経団連ビル内の電気事業連合会ではじめてあかす 二〇〇七年十一月 福島第一原子力発電所から北へ二十五キロ 福島県南相馬市北泉海岸 サーファーの姿もフェリーの影もない 世界の音は消え 南からの風が肌にまとう われわれが視ているものはなにか 2011年5月10日刊の『福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告 1971年〜2011年』 (コールサック社・1428円)は、原発工事前から現在までの証言と詩が収められています。 「河北新報」に1971年11月に発表された工事直後の危惧を書いた記事にも注目しました。 近代化に取り残されたように厳しい農業の中で暮らす人々「それらの人びとにとって弥生的生活様 式はいかに屈辱に満ちたものであり、また、あったことか」とは、地方の真の声でしょう。 確かに、原発は近代の先端であり、今その崩壊が始まったのですが、原発を受け入れた土地の困難は、 原発前にも存在していたのです。安易な前近代礼賛ができない点もあります。 「原発も怪物だが、 巨大なエネルギーを食う人間はそれに輪をかけた怪物である」と71年に批評して おられたのは 卓見です。 チェルノブイリにも行かれて『連詩 かなしみの土地』を表わされていますが、 あまりに今の福島と似ていて、特に「三日たてば帰れると思って」いたのに何年も故郷が 失われたとは、 先日もテレビで、25年間時が止まったような家に帰った人々を映して いましたが、なんとも無念なことです。 若松さんは、原発事故で大量の人々が強制移住させられ、 生活が破壊されることが、最悪の事態であり、 原発難民化と考えています。 首都圏も他人ごとではありません。 日本中が原発難民になる可能性があるのです。現在進行形で。 チェルノブイリやスリーマイル島事故も起こったのに、まったく危機感がなかった東電、政府、 日本、自分にあきれます。 また、原発を書いた詩人の天城南海子、吉田真琴、こんおさむ、みうらひろこ、 佐々木勝雄、箱崎満寿雄、 歌人の東海正史、遠藤たか子などの作品は臨場感と予言性に 満ちていますが、 今まで光が当てられなかったのはほんとうに残念です。 「ヒロシマ・ナガサキを考える」100号 詩人の石川逸子さんがお一人で発行されてきた証言記録・詩誌「ヒロシマ・ナガサキを考える」 が100号をもって終刊されました。たいへん残念ですが、偉業に敬服しています。 今回の福島第一原発事故でヒロシマ・ナガサキが改めて問われたと思います。 戦後思想との関連でいうと、「核の被害者」という海外へのメッセージ力が低下しました。 ワシントン・ポスト紙は「『唯一の被爆国』として世界に核廃絶を訴えてきた日本が、 狭い国土に55もの原発を林立させた核大国になった」と嘲笑しています。 (それがアメリカの戦略だったという指摘もあります。だが、日本が積極的に推進した事実は変わりません) もともと、「ヒロシマ・ナガサキ」は、韓国・朝鮮人被爆者の存在から被害者の立場だけではなく、 日本は加害者だという意見があったが、少数派でした。 反原爆で、植民地被害を補償せよで、反原発という立場もあったが、より少数でした。 それを長年にわたって追求されたのが石川逸子さんであり、この誌です。 つらい証言を受けるには、相当の信頼関係と理解がないとできません。 まして、長い間続けるのは精神的にも非常な強さと柔らかさがないとできないでしょう。 それを達成されたのは感嘆するばかりです。 「ヒロシマ・ナガサキを考える」100号で村上啓子さんが 「私は被爆体験も語るが、核廃絶、原発の危険性、地球上の紛争についても言及したいと申し出る。 主催者の殆どは被爆体験だけでいいと要望される。私は、未来を拓くために語りたいと固執するが、 同意して下さる主催者は稀である」と述べておられます。日本は被害者という意識が強いです。 今回の事態も海洋汚染まで至り、韓国にも放射能パニックを引き起こし、 特に乳幼児をかかえたお母さんに精神的負担を与えていることが日本で知られていません。 同誌には、原発で働き被爆して死去された平井憲夫氏が「原発は働く人を絶対に被爆させなければ 動かないものだ」と証言されたと載っています。平井憲夫氏は福島第二原発3号機運転差し止め 訴訟原告証人です。今、福島第一で作業されている方たちが心配です。 今後、海外は「ヒロシマとフクシマ」をセットで見るでしょう。石川逸子さんの先見性と 歴史への細やかで鋭い理解は繰り返し読み継がれるでしょう。 以下は「図書新聞」7月2日掲載の書評 書評 被爆の証言や詩の貴重な記録集が百号を迎え終刊 石川逸子の視点はヒロシマ・ナガサキからフクシマを見通す 佐川亜紀 海外では、フクシマの原発 事故が起こるとすぐヒロシマ ・ ナガサキと重ねる報道が 出た。 米ワシントン・ポスト は「『唯一の被爆国』として 世界に核廃絶を訴えてきた日 本が、 狭い国土に五十五もの 原発を林立させた核大国にな っていた」と皮肉った。 原発 を売りつけた米国に言われた くはないが、日本政府が原爆 と原発事故は違うと 抗議した事例もある。だが、原爆=戦 争=危険で、原発=平和=安 全という図式を 私も含め日本 人が安易に信じていたことが今回の大人災を生み出したの ではないだろうか。 ヒロシマ ・ ナガサキの内部被曝の資料 が、福島や東北や首都圏の子 供、大人の 病変時に参照され るという恐ろしい事態が起こ るかもしれないが、同時に問 題なのは、 フクシマを引き起 こした構造とヒロシマ・ナガ サキに至った構造がほとんど 同じだという点だ。 しかも、 破綻したプルサーマル計画を 強行し続けていては核武装の 意志を疑わせる。 長期自民党 政権下及び民主党政権下で国 策として原発を推進し、大事 故でアジアや 世界の海と空気 を汚染し、ベトナムなど新興 国に原発を売りこみ、日米で モンゴルに 核廃棄物処分場建 設を目論むのに被害者意識だ けでよいのだろうか。被災し ながら 原発事故処理に携わっ ている方々の過酷さには胸が 痛むが、特に首都圏民は考え な ければならないのではない か。「戦後の平和思想」の要 であったヒロシマ・ナガサキ は 根本から問われている。 そこで、フクシマを捉える 視点を深化するためにも読み たい ミニコミ誌が存在する。 詩人の石川逸子さんが一九八 二年から発行し、本年五月で 百号を 迎え終刊した「ヒロシ マ・ナガサキを考える」であ る。 百号は、表紙にカンミョンスク康明淑の 詩「リムジン江のコスモス」、 証言として「弟とピカドン」 (武田恵美子)、「東京大空 襲そして原爆」(前田敦子)、 「在韓被爆者への支援」(金信煥・ 在韓大韓基督教会広島 教会名誉牧師)、「祖国の歴 史を直視して・・」(村岡崇 光)、 「沖縄の空の下で」 (石川逸子)、「日本軍性暴 力被害者の証言」(フィリピ ンのナルシサ・クラベリア、 中国の韋紹蘭・羅善学親子)、 石川逸子の詩「ある母子」な ど貴重な記録と詩で 五十ペー ジに及んでいる。さらに、大 震災と原発事故を受け二十六 ページの特集冊子を付けた。 目次だけ見ても分かるよう に、ヒロシマ・ナガサキの被 害を記録するだけではなく、 軍国主義国家、天皇制、韓国 ・ 朝鮮人被爆者、性暴力被害 者、強制連行、アジア、沖縄 など、 日本の加害の面につい て明らかにし追及している。 特に、被爆韓国・朝鮮人の問 題は、福島、 東北、関東で被 災、被曝した在日や外国人の 治療・補償問題につながるこ とである。 韓国のネット求人 サイトに給料五十万円で福島 仮設住宅技術者の募集が載り、 韓国で非難された。日本の作 業員もだまされて原発で働か された事件もあり、 作業員確 保がますます難しくなる今後 も注意を払うべきだ。 石川逸子は原発関係者の被曝や 核廃棄物投棄についても 創刊当時から書籍や証言を紹 介し警告してきた。原発作業 員の 外国人問題も指摘してい る。この姿勢は日本では少数 派である。付録冊子で、村上 啓子さんが 「私は被爆体験も 語るが、核廃絶、原発の危険 性、地球上の紛争についても 言及したいと申し出る。 主催 者の殆どは被爆体験だけでい いと要望される」と述べてい ることは、戦後の詩文学制度 にも当てはまるだろう。戦争 体験をアジアへの侵略として 書いたのは非主流派であり、 原発批判はさらに少なかった。 ヒロシマ・ナガサキについ ては証言すること、 聞き取る ことがまず難しかった。現在、 福島県から避難した人々が差 別に会う、 日本人が海外旅行 中に忌避される事件も報告さ れている。 ヒロシマ・ナガサ キでは被爆者だと告げると結 婚や就職にも支障をきたした。 また、被爆当時のことはあま りに苦痛で想起するだけでも つらい。だから、高齢になっ てやっと 語り出した人も少な くない。聴く方も相当の理解 力と配慮が必要であり、信頼 を受けないと できないだろう。 さらに、原爆表現では、GH Qの検閲が厳しく、創刊号で 取り上げた歌人・正田篠枝は、 身の危険を覚悟して敗戦の翌 年三月に原爆歌集を出版した。 今、原発を告発した歌手や俳優に 圧力がかかっているが、 表現の自由を守らなければな らない。 隠された貴重な証言を記録 し続け、詩や短歌も広く集め、 関連図書や碑も丁寧に紹介し 続けた石川逸子の粘り強く、 柔らかい精神に感嘆する。百 号の最後を「原発の安全神話 が、 モロに崩れた今、エライ 人やマスメディアがときに放 つデマを疑い、自然と共生で きる生き方を 探っていかねば、 と思うこのごろです」と結ん でいる。七十一号〜百号まで の合本が八月頃に 発行予定だ そうだ。じっくり読み返した い誌である。 (合本は送料込 三五〇〇円・「合本希望」と 記し 申込先〒124―001 2 東京都葛飾区奥戸6― 18―17石川逸子。FAX 03―3694―4369) 再生文化について 基層からの思想基軸――「原発大震災」に提言する 川元祥一 高良留美子 東京電力福島第一原発の事故の報道によって、原子力エネルギーが危険なのを知りながら 原発建設を推進してきた研究者、専門家たちの思想レベルがわかってきた。報道では原子炉 の構造や技術、原発の機構などに焦点が注がれ勝ちで、それも事態の性質から仕方ないが、 その建設に携わった人々の、あまり人目に触れない思想性や心理というものが、危険で複雑 な文明装置である原発を建設するうえで、いかに決定的な意味をもっていたか、しかもそれが、 装置の複雑さや事故の重大性に比べていかにも軽々しくあっけないものだったか、失望感とと もに知ることになる。そうした軽々しさを知るにつけ、かえってそうした思想性の重大性を痛感し、 彼らに何が欠落していたのか、悔しい思いをもつとともに、本来あるべき思想、価値観を考える。 現代から未来に向けて、人類史に決定的な影響をもつと思われる原子力発電所であれば なおのこと、その建設についてnoかyesかの分岐点にあるそうした思想性は、もう少し、人の良心 や善意の輝き、精神性豊かなものとして未来に繋がるものであってほしいと痛感する昨今である。 読売新聞(四月二日朝刊)によると、福島第一原発の事故に際して四月一日、この国の原子力 推進を担った専門家が会合を開き、事故について「状況は深刻で、広範な放射能汚染の可能性を 排除できない」との声明をだした。そこに参加した元日本原子力学会の会長・田中俊一氏は同原発 の一〜三号機を取り上げ「燃料の一部が溶けて、原子炉圧力容器の下部にたまっている。現在の 応急的な冷却では、圧力容器の壁を熱で溶かし、突き破ってしまう」と、圧力容器の爆発による多 大な放射性物質の拡散を心配している(四月十三日現在一号機で壁が溶け、圧力容器に窒素を 注入して水素爆発を防いでいる。筆者)。 同じく会合に出席していた元原子力安全委員長・ 松浦祥次郎氏は「原子力工学を最初に専攻した世代として、利益が多いと思って、原子力利用を 推進してきた。(今回のような事故について。ママ)考えを突き詰め、問題解決の方法を考えなかった」 とし、陳謝したと書かれている。松浦氏はテレビの取材でも原子力利用が危険なのを知りながら、 事故について「隕石はいつ落ちてくるかわからない」と喩えて考え、自然災害に対する備えが甘く 「間違いだった」と語っている。 松浦氏は自然と原発(人為)との関係をみており、人間の文明的装置 に対して自然が破壊的作用を及ぼすことのある現象について思慮、配慮が行き届いていなかったのを 反省している。とはいえ、原発が、人が作りながら人のコントロールの外にある危険な装置であるのを 専門家として十分認識していたはずであり、そのことを考えれば、「利益が多い」といった発想で原発を 推進したことに、正直いって驚いた。<こんな軽い発想で事故が始まっているのだ>と。 ☆ そうした記事がでる前であるが、三月三十日、詩人・高良留美子と私・川元祥一の連名で友人、 知人を手始めに、多くの人に転送されているEメールによる緊急メッセージ「福島原発事故から 再生文化社会へ」は、ひとたび起こった原発事故が、短くて数十年、悪くすれば数百年、物資に よっては数千年の単位で死の予感をともなった「負の世界」に陥ることを指摘し、そうした原発を 脱却する価値基軸を「再生文化」として発信した。それは、福島原発事故を目の当たりにして緊急に 発信したが、その価値基軸「再生文化」は、本来、原子力だけでなく、人間社会、生活のさまざまな 局面で、自然に還元しない科学物質を利用しないこと、事業化しないことを訴える。地球温暖化の 主な原因である多量の二酸化炭素、同じ意味としての「開発」の名による森林伐採などの抑制 ・規制など。二酸化炭素に代わって原子力エネルギーが「クリーン」とする宣伝がさかんだったが、 それが間違いなのは今度の事故が証明した。チェルノブイリもスリーマイル島の原発事故も 同じ教訓を示していたのだ。原子力はクリーンではないし、自然への還元を考えれば、人類が 作った最も危険で、自然から遠いエネルギーだ。 こうした事例を前に、文明の行き過ぎが指摘され、 自然との調和が二十一世紀の人類的課題になっている。そうした現代的課題として、人類をはじめ 生物の生存を害し、自然に還元しないものは活用しない価値観、言い換えれば、再生可能な科学や 技術を最高の価値とする再生の文化、その基軸を主張するものである。 ☆ 私たちの緊急メッセージは四月十四日現在、まだ転送が続いているようで、多くの共感を得ている。 三百人の友人知人に転送したという人もいた。そうした中で、二三の異論が寄せられている。 それを二つの特徴に分けることが出来る。一つは、緊急メッセージが、福島原発事故の特徴を 自然現象の地震と津波が直接的原因としたことに違和感を持ったらしく、「これは人災」です、 と主張するものだった。私たちも、そこに人災が多いことに異論はない。ただメッセージでは 「人災」という言葉を使わずに、「死滅の文明装置」とした。慣用的に使われ勝ちな言葉をできるだけ 避けたかった。そしてまたこの災害、事故は、自然と文明の衝突といえるもので、今後自然との調和を 考えるうえで自立して動く自然の力を無視してはならないことも主張すべきと考えた。 もう一つは、世界で三十ケ国以上が原発を持っている現在、その廃止を訴えるよりも規制をより厳格にし、 大きな地震にもびくともしない施設にするのが現実的、というもの。これは、いわばよくある発想、 といえるかも知れない。しかし、核分裂を原理にした原子力エネルギーは、人間が作りながら、いまだ 人間がコントロールできない文明装置だ。仮に大きな地震をクリアし発電所の機能をまっとうしたとしても、 使用済み核燃料は、可能な限り地下深く埋めたとしても何百年、何千年と水質汚染の心配をし、 福島の使用済み核燃料格納庫と同じ水素爆発を起こす悲劇の心配を続けなくてはならない。 そんな使用済み核燃料が世界中に広がったら、悲劇の可能性が増大するだけで、地球そのものが 後戻りのできない「負の世界」に陥るのを想像すべきではないか。そうしたなかで、彼がいう厳しい 規制が唯一安心できる可能性をもつとしたら、私たちが「再生文化」で主張した「再生可能な科学、 技術が確立するまで研究室に閉じ込める」、そうした規制であり、価値観ではないか。 ☆ 先にいった広い意味での「再生文化」について、 概要を示したい。 「再生文化」について高良留美子は、その基層にあたるものとして月の文化をあげる。 月は旧石器時代から多くの民族、地域で生命の誕生、生殖、成長、死の象徴であり、生命の再生、復活 の象徴でもあった。月の満ち欠け、新月(暗い月)、三日月(上弦、下弦の月)、半月、満月と変わる姿と、 満月から再び姿のない新月に戻りながらも、すぐ西の空に新しく蘇る。そうした循環が再生の象徴であり、 再生文化の意味あいだ。その月は、生命を宿し産む女神でもある。高良はそうした象徴的女神について、 日本的神話としてのイザナミを代表的とする。つまりイザナミは後の人格神とは全く違うもので、 あらゆる幸・富を生み出す豊かな大地の体現者としての「大地母神」であり、出産の神、再生の神なのだ。 こうした月の文化と女神は、農耕の始まりによって太陽文化に変り、家父長的ヤマト政権によって日陰に 追われる。そしてさらに、近・現代の行き過ぎた文明社会が追い打ちをかける。高良はそうした家父長的 政権や近・現代の再生不能な行き過ぎた文明を超克し、自然との調和、循環と再生を取り戻するために、 その基層文化して月の文化をみている。川元は、行き過ぎた近代文明、その文化や社会の超克を考えるため、 この国の前近代を足場にしながら内部にある新しい芽、文化基軸を指摘する。その基軸は、人間の側の 文明の見直しを、自然との最初の接点にあるアニミズム(自然の生命力を神とする。女神、大地母神も このカテゴリーにある) の発見と、それを原点にしながらエコシステムという自然の再生循環に 対応した 文明システムを構想しようとする。この文明システムの思想は「科学的、技術的に自然に回帰・再生 できないものは社会的、事業的に利用しない」というもの。こうした再生文化の思想は、その基軸として この国の歴史の中に育まれてきた。だが、ヤマト政権や中央政権からではない。高良が見ている日陰に 置かれた部分、軽視され差別された人々の生活、仕事や文化にあった。この国の和人社会の政治や 文化の歴史の中に「清め」というイデオロギーがある。祝詞の「罪・穢を祓清め」が典型だ。祝詞の場合、 権力の座にあるシャーマン、あるいはそれに準じる各地のシャーマンたちが宗教儀礼として唱える。 しかしそうした儀礼とは別に民衆の間に「清めの塩」などがある。「清めの塩」そのものは宗教的であるが、 その原点は、塩が持つ自然の生命力、味噌、醤油、塩サバのように、腐食を防ぐ生命力を生活文化に 利用したものだ。宗教的清めも、こうした具体的生活文化を基盤に発生、維持されていると私は考える。 このような具体的生活文化の「清め」は、この国の歴史、その生活文化にたくさんあった。たとえば古代の 警察機関の検非違使は、天皇直属の機関であり、その現場で警備や刑吏の具体的仕事をした人を「清め」 と呼んだ。これは天皇が唱える「罪・穢を祓清め」に対応し具体化したものといえるが、その現場で働く放免、 下部、非人と呼ばれた「清め」は、天皇に会うことができなかった。「聖」なる人格神天皇は罪・穢に触れない からだ。ここに祝詞のイデオロギー構造があり限界がある。しかし人々の生活は具体的「清め」によって 成り立ち、当時さまざまな意味で「罪・穢」とみられた危機からの再生を図ることができた。民衆の生活と しての農耕や漁労、狩猟生活は、最初から自然との調和、再生を図ってきたが、もう一つほとんど無視された 再生文化がある。高良が重視する月の文化では、狩猟・肉食文化が旺盛だったが、ヤマト政権、ことに天武期 に屠畜・肉食が禁止された。その原因は祝詞のイデオロギー構造に関連するが、民間では、そして権力の座の 者も、陰で肉食をしていた。健康によかったからだ。しかしその生産者、動物の屠畜解体をする者は「あっては ならない者」として無視、差別された。また、屠畜で得られる皮革も、鎧や馬具、太鼓などとして社会の必需品 だった。そしてそれは、腐る「皮」から腐らない「革」への変化、再生文化の典型でもあった。しかしその技術者、 生産者も無視、差別された。こうしたイデオロギー構造とその限界は明治時代初期まで続くが、その後は欧米 のそれらの技術を導入、その「欧米」の技術ばかりが評価され、現代では、この国に無視・差別のイデオロギー 構造などなかったかのように思われている。しかし、自分の歴史を直視できない文化状況に、生活や文化の 真実を見る力はないと考える。私は、ここで無視、差別された文化を「部落文化」と呼んでいるが、それは 動物の生命力、その特性に依拠した文化であり、欠くことのできない再生文化だったのだ。このような歴史 を正視、直視し、この国の文化を足元の基層から見直し、変革することが大切と考えている。現代的知識と 科学の集積ともいえる原子力発電所と、歴史の日陰でつづいた文化、価値観を並べると、後者がいかにも古く、 歴史的遺産のように見えるかも知れない。しかし、権力から日陰に置かれながらも、具体的に民衆の生活を支え、 今もそれを認識できる文化は、それを直視することで大きな意味を持ち、深いところで共感が広がる可能性をもつ。 原発が再生不能なエネルギーであり、危険きわまりないのを知りながら「利益になると思って」推進してきた思想性 を知るにおよんで、長い間人々の生活を支え、いまもその具体性を認識できる、自然との調和を図ってきた文化を 対置し、それを現代的に表象、体系化することも考えて、人々の社会的関係、その思考、議論の基軸に すべきと痛感する。 ☆このような「再生文化」の認識が広がり、異なった言葉で表される同質の文化をも含めて共感が集まるなら、 それぞれの地域の自然や歴史を生かし、そこでのアニミズム的神々を集め、現代的表象も含めた祭り、 「再生の祭り」とでもいえるものを構想することが可能ではないか。そうした新しいエネルギーが再生、広がるのを 大いに期待する。 丁海玉詩集『こくごのきまり』 法廷通訳から新たな在日詩へ 丁海玉(チョンヘオク)さんは十八年間にわたって関西の裁判所で法廷通訳人を務めて来た。 日常生活や文学書の中の言葉とも 違う、法廷という場での言葉は「こくご」の相貌を露わに する面があるだろう。共感や気遣いといった感情をそ ぎ落とし、国の法律体系の文脈に合 わせて日本語を選ん でいく。しかし、法廷通訳人は感情を持つ人間であり、 丁海玉さんは とりわけ感受性に富み、自省的知性を持っ た誠実な人柄であるゆえにもどかしさが残り続け、 溜ま った思いが貴重な詩集『こくごのきまり』(土曜美術社 出版販売・二〇一〇)として結晶した。 しかし、丁海玉さんの詩は在日韓国人二世として二つ の「こくご」を意識せざるをえない存在 として生きたと きから始まっていたと言えよう。詩集帯文で在日の先達詩人・金時鐘(キム・シジョン)氏も 次のように述べている。「丁海玉は言 葉の断裂を、法廷を通して簗ではねる鮎のように描き取った。 日本語とアイデンティティーのはざまで自ら悩ん で母国語を身につけた在日世代の詩人でなければ、 とう てい詩にはならない詩の、詩集である」。 特に、新しいのは、被告席に立つニューカマーの韓国 人の立場になって想像している点である。 「ぼくは舌が こわばって/言いたいことの半分も言えないのに/なん とかつっかえ話したら/ あんなにもためらいなくぼくを 日本語で演じて見せた」(「ここではみんなことばは」)。 従来の在日詩では、被植民地時代からのルーツや在日社 会を描くのが一般的だった。 けれども、近年は新ビジネ スのために韓国から日本に来て犯罪に手を染める若者も いる。 抵抗としての犯罪者であった金嬉老(キム・ヒロ)の時代とは異 なる事情が起きている。 それを「こくご」という言語の 問題に焦点を絞って詩にした所が独創的である。 丁海玉さんとは、韓国のベストセラー詩人チェヨンミ崔泳美さんを 通して知り合った。 私が〇九年に崔泳美さんの新詩集の 解説を書いたときソウル大学の同窓生が大阪にいるから 助けてもらってと教えられた。丁海玉さんが留学したと きはちょうど一九八〇年の軍事政権による 光州民衆運動 の弾圧のただなかだった。留学した在日が政治犯にでっ ち上げられることもあった 時代だ。そうした体験も法廷 通訳人になった動機だそうで、また詩に向かわせた要因 だろう。 国家の権力を身に迫るように感じる経歴をへな がらも、理念に囚われず独自の感性で人や事象を よく見 て、柔軟かつ的確に表現する力量は今後ますます期待を 抱かせる。 (「詩と思想」2011年4月号・「現代詩の新鋭」) 韓龍茂恋愛詩集『命ある限り』 韓国詩といえば「恨」(ハ ン)が中心的感情であり、思想だったが、近年では「愛」 (サラン)という 言葉が目立 つようになった。ドラマや歌 でさかんにささやかれたり、 歌われたりするばかりでは な く、現代詩の分野でもベスト セラーになるのはそのテーマ が多い。鄭浩承(チョン・ホスン)も ベストセラ ー詩人で詩集『愛して死んで しまえ』が名高く、詩選集の 邦訳も刊行されている。 (『ソ ウルのイエス』韓成禮訳/本 多企画)。長らく詩集の売り 上げランキングトップだった リュ・シファの詩集も『君が そばにいても 僕は君が恋し い』(蓮池薫訳/綜合社・集 英社) として邦訳が出ている。 両者に共通するのは、恋愛詩 の意味だけではなく、生命愛 や宗教的 慈愛に広がっている ことである。悲しみや傷を愛 に昇華させていると評され、 恨と愛が別々ではなく 繋がっ ていると言う。 さらに遡れば、独立運動家 で詩人の韓龍雲(ハンヨンウン)の「ニムの沈 黙」や、 金素月(キム・ソウオル)の近代詩の名作「つつじの花」も恋愛詩の 顔を持っており、そこに社会 的意味も こめるのが韓国詩の 特色であった。 韓龍茂(ハンヨンム)恋愛詩集『命ある限り』 は、そうした韓国詩の 伝統の流れも汲んでいよう。初初し い恋愛感情と人間への信頼が まっすぐに書かれている。 在 日二世詩人で、既にハングル 詩集『母なる胸よ』(芸文書 林)、『星』(創造文学社)等 を出し、 朝鮮作家同盟新人賞 や韓国・創造文学新人賞を受 賞している。 日本語で詩を書いたのは初 めてだ そうだが、対句的な表 現やリフレインを使い整った 印象を与える。人と人が出会 う始原の感動を伝え、 永遠な る思慕を抱いている。 川のほとりを歩く 二人で 川辺の草木も風も 共に流れる 二人の思いも ゆっくり流れる 静かな林の中 音もなく流れる川よ 昔からたゆまなく 流れてきた川よ 二人の恋を乗せて 流れろ 限りなく 永遠に (「川」全文) 恋愛詩というのは、日本で は失恋の詩が多い。みんな失恋する確率の方が高いからだ ろう。 中原中也など涙ぐまし い。しかし、韓龍茂の恋愛詩 は成就した恋、命ある限り続 く愛を堂々と 書いている。い かに「君」がすてきか、「足 音」「横顔」「後ろ姿」「脚」 に至るまで美しく描いている。 「チマチョゴリも艶やかな君」 に民族伝統を、「メール」で の愛の会話に現在を思う。 自分の心を 書くだけでなく、 「君」という他者を表し、そ のうえ「君がいなければ/こ の地球も/意味がない」と 一 回性の個の実存を何よりも大 切にしているのは在日の詩と しても新しい。 また、自然と共鳴した詩は よりイメージがふくらむ。表 現が率直すぎて、やや個性的 な比喩など に欠ける点もあり 形象の広がりも必要だろう。 でも僕は 君の名前を 木に彫る 木は太く育ち 生い茂り 君の名前も大きくなる (「木」部分)) 「あとがき」で「恋愛が男 女のいる世界において普遍性 を持っているということ、十 代の前から 始まって二十代、 三十代……七十代、八十代… …までずっと人は恋愛感情を 持つことが出来る」 という所 に能動的ロマン主義を感じる。 日本の現代詩では、昨年、 大江麻衣さんの「昭和以降に 恋愛はない」というフレーズ を含む詩集が 反響を呼んだ。 (「新潮」二〇一〇年七月号 に抄録)「昭和」という時代 区分を入れ込んだ所が おもし ろい。モダンに追いつこうと したからか、偽モダンに空洞 化したから恋愛がないのか。 現在は、デフレで性的関係も 回避する草食系男子がふえて いるようだ。一方で、韓国ド ラマや Kポップの人気は高い。 韓国哲学研究者の小倉紀藏氏 が指摘するように軽くて冷た いポストモダンに 飽きた日本 が、重くて熱い文化を求めて いるのかもしれない。(『韓 流インパクト』講談社) 韓国 は前近代、近代、超近代が混 在しているが日本もそうだ。 韓龍茂氏は、『金洙暎(キムスヨン)全詩集』(彩流社)などの翻訳も あり、韓国語に精通し、 何事 にも真摯な精神が流れている。 「恋をすると/すべてが新し く見える」(「恋をすると」) と 歌っているが、新鮮な感情 を思い出させてくれる詩集で ある。 (彩流社・1600円) (「図書新聞」3月12日号) |
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