いよいよ南京櫨が散りはて 原始の匂いのする
異民族の匂いのする 牡蠣の うまい季節になった なんといっても 牡蠣は”寂しい”を発光させ 殻の中によこたわっているのがいい 海の手のひら 両の手を合わせたカルシウム質に守られ なんといっても 牡蠣は”はかない”湿気に包まれ 殻の中によこたわっているのがいい 波の手のひら 両の手を祈りの形に合わせたパール質に守られ 喉元をいさぎよくすべり落ちる波がしら 舌先によせては返す潮のたゆたい ”寂しい”の発光や”はかない”の湿気に レモンをしぼり 塩をふり その寝姿にフォークを鳴らし たちまちに 牡蠣の殻がかさ高くなり かさ高く積みあげられた隙間からのぞけば 女が一人 あちこちと飛び跳ねている 吹きつのる風に髪を逆立て あの岩かげこの岩かげとのぞきこみ けっきょく 呆けたこの入り江には喰いものひとつ転がっていないのに腹をた てている 海草の切れっぱしさえ漂っていないのだ 群青色に包囲された堤防に 男の子が一人 地平線の方角にむかい座っている 蒼穹にかけあがる海鳴りのもと 女はあの岩かげこの岩かげとわたり歩き やっと 牡蠣がひとかけ岩根にへばりついているのを見つける 小石を打ちつけ打ちつけして 牡蠣をひき剥がし 堤防のほうへ駆けて行く 岩のぬねりに足をとられたりしながら 男の子は 牡蠣をすする 海をすする 光のさんざめく方角に座って 女と男の子はこんなふうに ひとつぶひとつぶと日曜日をつぶすしか他に方法がなかったのだ やがて 男の子も男の子の父親同様 海を脱ぎ捨てて遠くの町へ出ていった 出ていったきり 便りも寄越さない しょせん 女の部族とはまったく異なる血の末裔なのだ いよいよ南京櫨が散りはて 原始の匂いのする 異民族の匂いのする 牡蠣の うまい季節になった かさ高く積みあげられた牡蠣の殻を前に 女はやはり牡蠣を食べつづけている ”寂しい”の発光や”はかない”の湿気に レモンをしぼり 塩をふり その寝姿にフォークを鳴らし |
*H氏賞候補にもなった清岳こうさんの詩集『天南星の食卓から』(土曜美術社出版販売・
1900円) 収録の一篇が受賞しました。選考委員は新川和江さん、辻井喬さん、松永伍一 さんです。清岳さん は、96年の『浮気町・車輌進入禁止』(詩学社)で注目されました。 今回は、食を素材とし、生きの いい女っぷりが小気味よいです。解説の小松弘愛さんは、「これは男を食材とした料理の詩集であ る」と評されています。それで少々辛口・刺激的 ですが、ユーモアとあけっぴろげの所が親しみやす さを作り出しています。 |
たこ ふたり 霧雨をさけ 吸いこまれた 店内に 骨壷のような しろい コーヒーカップを あげさげ する たちのぼるものが 男の顎を くらくする あるいは あかるく はじめての町に よるが 注がれる うるんでいく頬をこぼさぬように はしら のようなものを ささえ直した ら 男の背負う ガラス張りのよるに その頭の ひだりわきに タコ焼きの屋台が あって おおきく染め抜いた字が 「たこ」 と よめるのだった 「たこ」 は 風にめくれて ときどき、 男の頭の みぎわきにも 現れるのだった 男は 中野重治などについて かたるが もう だめなのだった 男のひだりの闇の袖から あおいネクタイのような ちぎれた鎖を垂らす サラリイマンがつかつかと あゆみ出て ひかりの中で タコ焼きを買っていく 男はなにひとつ 知らないのだった ふたつ 骨壷のようなものが ながれて からに なるのだった *独得のリズムがあります。これ、デート場面かもしれませんが、コーヒー カップを骨壷とか、醒めてる目が鋭いんです。中原中也賞の選考委員の詩 人・中村稔さんは「リズム感や身体的な伸びやかさに、既存の詩とはちが う新しさを感じた」と評価しました。(朝日新聞・2000年・2/22) ●中原中也賞の傾向と対策 賞を目指すにも、とにかく無心に詩を一生懸命書くこと。これにつきます。 これなくして、どんなものも出てきませんが、各賞の個性があるので、応募 の時は、いちおー傾向を考えてみるのもよいでしょう。 中原中也賞は、特に若い個性の発掘を目的としているようです。第一回は、 1977年生まれの豊原清明さんの『夜の人工の木』。彼は、新しい抒情詩 を書いています。『脳天パラダイス大詩集』(平居謙編集/星雲社)にも収 録されている「ポロシャツ姿」は「ぼくのうしろの方で/自転車が/ころが っていた/青い大根の/その片隅に/イグアナがいた/ぼくは指をさした/ 自転車が/こけている/あおいなつは/ぼくのうしろの方で/気を失ってい る/ぼくの体がおいしいのなら/チュッ、チュッ、チュッと/なめて下さい」 (全文)というもので、自転車やあおいなつなど素材的には、抒情なのですが 接続で全部ズッコケさせています。歯切れが良く、そのくせ甘いですね。 第二回の長谷部奈美江さんは、九州の先鋭な詩誌『九』(北川透・山本哲也 編集)で読むことができます。「ゆうべ殺した十九歳の女は/歌詞のわから ない /小笠原の民謡など歌い出し/」と殺意をスリリングに書いています。 第三回の宋敏鎬(そんみんほ)さんの『ブルックリン』は、多言語と多様な 文法が交錯する実験的な作品。多人種のるつぼ・アメリカを舞台に今日的問 題に取り組んでいます。第四回は和合亮一詩集『AFTER』でした。 というわけで、中原中也賞は、新鮮な感性・若々しい冒険的詩集を求め います。続けて、蜂飼耳さんの詩をお読み下さい。 壹岐の嶋の記に とこよのほこらあり ひとつのえのき あり しかのつののえだ おいたり 時と場所の流れを分けあうことなく 骨とくずれた 人間たちの かつては たしかにあった頭上で なん度でも ねじ 巻かれ モリの植生 継がれ じぶんを養分と吸いあげながら 眠りと覚醒を際限なく繰り返す ものたちの あいだ ゆるゆると固まり かたちをとった とってしまった 二本歩行が 移動する それはあたしだ なまえを付けて 捕獲しかけて もうすこし 一歩手前で 半透明の なにか 巨大な 手指のあいだ みすみす ほらほら 逃がしてしまう たましいの飛び去った女 モリをぬけ 灼熱 アスファルトの 吐き捨てられたガムを踏んでも わからず むかいのモリに しろいすあしで身をなげる 根もとに臥す 彼女のうえを 途にまよう男たちが すばやく 重ね うせる むこうの木のしたでは ちちとははとが なにか している 獲物をさばいて いるのか 粉にひいて いるのか あるいは ヒ でも 起こしているのだろうか さっきから 行きつく先はわからない 臥したまま 視線のつかむ かれらの影は とにかく 全裸で 男と女のうえに ひとつのえのき あり しかのつののえだ おいたり やあね お願い はやくして *蜂飼耳さんは1974年生まれ。神奈川県在住の新鋭詩人で本書は第一詩集。 (紫陽社・1800円)古典の文語体と今の口語を自由に行き交う不思議な文体。 そこは、紫陽社の荒川洋治さんの文体を連想しますが(影響力おそるべし)、 蜂飼さんの場合は、日本の闇にいきづく官能の実体をより感じます。それは、 湿度に溶けるモリの植生、骨とくずれていく人間など輪郭が定かでないゆえの ぶきみさと魅力のようなものです。「水際にあってこの家は植物になりかける もはやその類の」など、「陣地」がありながら、容易にうるおってしまう、家が 植物などに変容してしまうその弱みと強み。それにしても、芥川賞の平野啓一郎 の古文体といい、そろそろダレた口語にあきてきたのでしょうか? |
詩人・荒川洋治さんは、今、現代詩作家として詩だけでなくおもしろ書評を新聞などに書き
まくっています。(なぜ、現代詩作家というのでしょう?いつも物議をかもす話題を提供
なさいますね。詩人は日本では食えない人アマチュアなので、プロとして生きるなら作家なの
でしょうか。よく分かりません。) 最近、その書評を集めた本『読書の階段』が毎日新聞社から(2400円)、詩をふくめた現在の言葉 についての辛口かつ笑いが満載の本『本を読む前に』(1800円)が新書館から出ました。荒川洋治 さんは、韓国詩紹介の先輩なのですが、文章のうまさ・ユニークさ・意外なツッコミと ボケには感心します。しかも、隣りの詩人にこれ読んで見てというのもはばかれるほ ど毒があり、毒が世情のど真ん中を刺しているのは痛快。 『本を読む前に』では、「フイクションの敗北」で村上春樹の『アンダーグラウンド』の書評 をしています。そこで、注目したのは、村上春樹が地下鉄サリン事件をなぜフイクションで 書かず、被害者62人の人達の直接面談によって追求するノンフイクションの形態をとった かという問いです。「作者はみずからの想像力と言語で(それがたとえ不格好で、事実性を そこなう危険があるにしても)この事件の意味に向き合うべきだがそれを避けた。その背景 にはノンフイクションへの期待感があったと思われる。今日のノンフイクションの隆盛は フイクションの敗北感と強く結びつく。」確かに、現在、小説も読まれず、ノンフイクション の情報の方が求められています。事実に意味をもとめず、想像力で全体を再構築するという めんどうくさいことをしなくなってきました。しかし、もともと文学とはめんどうくさいこと を楽しむ、ばかげた虚構にもノッテみるものなので、生きがたい昨今です。 「一発屋」は、彗星のごとく文壇に登場し、瞬く間に消えた人達のお話。でも、これこそ詩人 らしい、とも思います。一発屋の特徴は、@「デビューが早い」十代のこともしばしば。A 「大当たり」B「没落も早い」爆発的人気と廃人同様の晩年。こわいですね。才能無いとアンノン ですが。C「才におぼれる」無くてもおぼれる人います。D「とりちがえる」社会的成功が自分 の才能や実力だと思い上がる。E「もう一度、浮上する」伝説や尾ひれがついて浮上することも ありますが、これはかなり知名度が高い場合。ほとんどは復活しません。 「文章が見えてこない」では、一発屋になってしまうかどうか今後問われる芥川賞作家・ 平野啓一郎の文章について。現役京大生で神童、三島由紀夫の再来と宣伝されていますが、 豊富な言葉の知識はあっても、独自の文章がないと批評しています。あの擬古文 にくらくらして、わあ若いのにすごいとは思っても、本当の評価はなかなか決められません。 『読書の階段』では、「習慣詩人」で武者小路実篤の人生バンザイ!のような単純な詩が新しい と述べています。どうかな?私のように疑問を抱く人は詩的な固定観念にとらわれているそう です。「それぞれが自分の詩を書けばいいということを実篤の詩は伝える。それはこれからの 時代の詩をつくるためにもたいせつなことであり、ひとつの指標である」荒川洋治さんの意見は 多面的で、一見単純そうで複雑怪奇なので、本全体を読むとよりおもしろいでしょう。何か一つ の理念・理想に熱くならず、だめなものもけっこういいじゃんと言いつつ、だめなとこもしっかり 見ているクールな距離感が当世に合っているのかもしれません。 「詩と思想」9月号特集“アメリカ詩の新発見” アメリカ詩というとどんな詩を思われますか?「アメリカ詩なんて知らん。」 という方もいらっしゃるでしょうが、戦後の日本の文学いや言葉には、アメリカの影響がめちゃ多いです。 例えば、この頃、文章も会話体になっていますが、これなんかカジュアルな英語と関係してますね。 ビート詩人は日本でも受けたし、アル中のろくでなし詩人から高尚なエリオット、パウンドまで、 フェミニズムとホモとレズ、差別まるだし白人詩人から黒人のブルース・ヒスパニック詩人まで、 ハイテク最先端から反文明最先端まで、アメリカつおい・バンザイ!からくたばれアメリカまで、 このごちゃごちゃの多様性がアメリカ詩の魅力かもしれません。 “アメリカ詩の新発見”というは、実は、日本人の言葉の中のアメリカを認識することかも しれません。また、日本人が思っているアメリカとその実像の違いを発見することかもしれません。 まあ、わたしがくだくだ言うより、アメリカ詩に精通している方々のおもしろい評論をぜひ お読み下さい。 目次をご紹介すると、 @小アンソロジー(この後にご紹介) A「ジョン・アッシュベリー精読」飯野友幸氏 *難解でならすアッシュベリー。「不確定性の詩学」とか、「曖昧な詩学」とか、確固たる 理念がなくなった現代を表現している、いや自己満足の言葉遊びなど評価の高低激しい 詩を精密に読解してためになります。 A「大地を意識する詩人たち」矢口以文氏 *開拓者がアメリカ人のイメージですが、自然を征服するのではなく、自然と共生しようと する詩人も多いです。環境破壊の危機を描く詩人もD・レバトフなどいます。 B「辺境の詩の風光 さかい目すれすれ歩き」木島始氏 *日本で光をあてられない日系アメリカ人・デビット・ムラやアメリカで活躍の日本人 ナナオ・サカキの紹介は貴重。世界中の文化のさかい目を歩いている詩人がいます。 C「エリザベス・ビショップの家 五つの故郷」小口未散氏 *「失うということは むつかしいわざじゃない。 多くのものには 失われる意図が備わっているから、 失うことは わざわいじゃない。」(”One Art")魅力的な女性詩人論。 D「アメリカの女性詩人と表現」青山みゆき氏 *オーブンに頭をつっこんで自殺したシルヴィア・プラスは封印されてきた アメリカ女性の声を鮮明に表しました。性や育児の負の面も大胆に言い、 フェミニズム批評も始まりました。 E「マイノリテイの女性詩人たち−アフリカ系とアジア系を中心に」水崎野里子氏 *アジア系、アフリカ系など少数民族の女性詩人の活躍が最近目立つそうです。 このHPでも紹介しているマヤ・アンジェロウなど個性的詩人がいます。 F「ジャック・ケルアックの夢を紡いでージャック・ミシュリーンの詩と真実」 経田佑介氏 *ビート文学のカリスマ・ケルアック。「かれらはダイアローグの精神を 詩の根底に据え現実の変革をめざした」サンフランシスコのストリート詩人 で、口語駆使の詩を書いたミシュリーン。 G「詩人はなぜ自殺するのか?−ルー・ウエルチの場合」中上哲夫氏 *うーん。すごい題。アメリカ詩人は自殺した人が多いそうだ。「生涯、 文学と生活のはざまで悩み続けたルー」ビートは生き方でもありました。 H「シーコウ・サンデイアータ」野坂政司氏 *このハーレム生まれのアフリカ系アメリカ人の詩人は詩集も定かでない が、朗読が非常に魅力的だそうです。黒人の話し言葉や音楽を生かして 詩作しているそうです。 |
特集は私が編集担当させて頂きました。女性とアジアって私の原点みたいなものです
からね。その昔(学生の頃)、朝日新聞の松井やよりさん主宰の“アジアの女たちの会”に入っていた
くらいアジアおたくです。(松井やよりさんはすてきな女性で、アジアのかなりシビアな所に取材に
出かけられたり、主張のある記事を書かれるのですが、ふだんはとても穏やかで若いもんの
わがままにもお怒りにならないのです。) 前置きが長くなりましたが、とにかく21世紀は女性詩とアジアだと思い込み激しくやってみました。 副題が「21世紀の風穴」すごいですね。(編集の住友葉里さんの案。さわやかで元気な方。若い新鋭詩人。 詩は落ち着いて、神話性のあるイメージの豊かな作品です。) @巻頭座談会は「女の詩が変える,アジアが変わる」気合入ってます。 新川和江さん、高良留美子さん、麻生 直子さん、そして司会が私です。 新川和江さんは教科書にも登場する有名な詩人ですし、このHPでもご紹介 しています。 高良留美子さんもこのHPでご紹介していますし、毎週日曜日8時TBSの『神々の詩』で 巻頭詩を書かれています。この番組大きな自然が出てきていいですよ。見てみて下さい。 御茶ノ水書房から自選評論集の分厚いのを全8巻出されています。 麻生直子さんは地震のあった北海道 の奥尻島ご出身で、北を原点として日本を見直すような社会的視点の詩を主に書かれ『現代女性詩人論』 (土曜美術社出版販売)で戦後女性詩人を論じていらっしゃいます。 新川和江さんが冒頭でおっしゃっていましたが、戦後すぐは本当に女性詩人は少なかったです。 どこの国でも同じですが、女が発言すること自体ゆゆしいことでした。今みたいにHPを 使ってなんでも言えるなんてごく最近できるようになったんですね。アジアでは、まだ検閲が あったり、紙も無いとか、因習にはばまれて自己主張できないなど、詩を書くことができる人が ごく少数の知識人に限られた所がまだ多いです。 でも、高良さんがおっしゃっているように、詩が稀少だと詩人がとても尊敬されカリスマ性を 持つようです。詩の内容も形而上的で予言性があります。かたや、日本の詩人はみんなフツーの 人になったので、尊敬されるどころが身の置き所もなくなりつつあります。詩も身辺や個人的な ことが多くなり、あまり予言性はありません。どーしてあまりにもフツーになってしまったのか その訳はなんとなく分かりますし、経済が発展してくると大衆化社会になるんですね。でも、 いつも型は固定化しますから、フツーが型になっちゃうとおもしろくありません。大衆化社会 って大量生産社会でもあるので、画一化や均一化も起りやすいです。最後の結論は、「女性よ、 詩の大志を抱け!遠い夢を見よう!志は高く持とう!」なんですが、今こういうでっかい思い が大切じゃないかと思います。作家の椎名誠も日本人はなぜ遠くでっかい世界を見なくなった のかと言っています。 Aみもとけいこさんの「『リカちゃん』を通して見たアジアの現在」も興味ぶかいです。 みもとさんは、「リカちゃん遊び」という詩集を出されていて、子供の時、または自分の子供 に遊ばせていたあのリカちゃんがどういう意味を秘めていたか多方面から分析しています。 B徳弘康代さんの「中国現代女性の詩」は文化大革命以後の最近90年代に活躍している女性 詩人を紹介。中国文学の「Olive Tree」というHPも出ています。ただし、中国語のソフト が必要。 C李美子さんの「在日の女性詩人たち」は、日本語で表現せざるえなかった在日の女性詩人たち の葛藤を描いています。韓国に行けば日本人と見られ、日本では韓国、朝鮮人といわれる自我の 分裂。近ごろの若い詩人には、祖国という言葉も遠く感じます。在日の女性詩人たちを論ずる機会 も少なかったので貴重。 D田中真由美さんの「インドネシアの詩と人権運動」は、この6月に初めての総選挙が行われ 野党「闘争民主党」のメガワラテイ党首が勝利宣言したインドネシアのホットな情報。 インドネシアは不況とアチェなどの独立で揺れ動いています。政治の季節にどんな詩が書かれて いるでしょう。 E「開花する韓国女性詩」はわたくしめが書いております。フェミニズムの小説、映画、詩を 紹介しまくってます。 Fタイ文学のご専門吉岡みね子さん訳のタイ女性詩・ウッチエーニーの「より高く」もいい詩 です。ちょこっとだけ。 きらきら輝くガラスの糸のように しなやかな優雅な曲線は黎明の光を歓び受けて 噴水は湧き上がる暁の水を 一瞬一瞬天空に向かって放ちまき散らす まるで虹が姿を変えて空から大地におりてくるように Fインド女性詩は荒木のりさんにこのHPでもご紹介していますカマラー・ダースの 「序奏」を訳して頂きました。三つの言語のはざまで書き、階級制度と白人優位文化 の中で、どう自己表現していったかを詩にしています。 Gめずらしいネパールの女性詩「病める恋人から兵士への手紙」パーリジャートの詩をネパール 文学ご専門の佐伯和彦さんが訳されています。文明や戦争の現代に愛がいかに困難かラブレター の形で表した異色の詩。 ***お読み下されば幸です。土曜美術社出版販売・定価1260円 ***なお、同誌5月号は、「リンクの交差点」に参加して頂いている一色真理さん編集の 「夢 もう一つの現実」です。水野るり子さん発信の“夢送りの試み”などユニークで楽しく 詩をシゲキします。 ***同誌の投稿欄の選者は、日原正彦さんと柳生じゅん子さんです。いい詩をお書きになる お二人が詩の基本とコツを解説しながらコメントして下さいます。興味のある方投稿してみて 下さい。 |
自然と生命への奥深いまなざし。「木霊、小動物、子ども
とおとなの風景の中を、戦火の中へ駆られていった父が
、ふいに横切っていく。深くてあたたかな成熟した世界へと突きぬけた新詩集。1999年3月。土曜美術社出版販売
2500円) 木霊 "Kotoba Kotodama Kodama Kodama Kotodama Kotoba" 静かに唱えれば これは呪文 ことばには木霊の性質があるので やさしいことばを届ければ やさしいことばが返ってくる すぐに返ることばもあれば 遥かな道のりを行き 時を経てから返ってくる ことばもある きょう わたしは ひどいことばに傷ついて うちのめされて呪文を唱える これは わたしがいつ発したことばの 木霊なのでしょう |
円熟の豊饒な世界。やわらかく美しい日本語でえがく深い生と死と詩。
一詩集ごとに新鮮さと成熟があるのは驚異です。(花神社
2300円) 詩作 新川和江 はじめに混沌があった それから光がきた 古い書物は世のはじまりをそう記している 光がくるまで どれほどの闇が必要であったか 混沌は混沌であることのせつなさに どれほど耐えねばならなかったか そのようにして詩の第一行が わたくしの中の混沌にも 射してくる一瞬がある それからは 風がきた 小鳥がきた 川が流れ出し 銀鱗がはねた 刳り舟がきた ひげ男がきた はだしの女が きた 木が生えてみるまに照葉樹林ができた 犬が走ってきた 驟雨がきた 修行僧がきた 砂糖壷がきた スズメバチがきた オルガン がきた 室内履がきた 白黒まだらのホルスタインがきた 急行電車がきた・・・ 脈絡もなくやってくるそのものたちを 牧人のように角笛を吹き 時にネコヤナギの枝の鞭をするどく鳴らして 選別し 喩の荷を負わせ 柵の中に追い込んで整列させる 一日の労役 それが済むと またしても天と地は けじめもなく闇の中に溶け込み はじまりの混沌にもどる だから 光がやってくる最初の日のものがたりは 千度繙いても 詩を書くわたくしに 日々あたらしい |
たてつづけに大冊の詩選集を出した著者が待望の
ご自身の新詩集を刊行。古今東西の詩の精との交感と痛烈な現代批評。
「痛快な風刺とユーモア美術、演劇、音楽と密接に関わりながら、
時代の精神環境を色濃く滲ませ、身近な深いうねりを捉える新詩集」 土曜美術社出版販売・2800円 ありふれた難問 木島始 幼いころ毎日毎晩ありふれていたものを 無いものと想定するのは 難しい バスはあった 電話も トンネルも ラジオや トーキー映画も始まっていた しかし無かった テレビや洗濯機や冷蔵庫 それに隣の家の空地に自動車だなんて! くりかえさされた「朕オモウニ」の丸暗記 のかわりに今はやたら多い答また答 また答から正しいのを選べだってさ いつも戦争があったので(大多数の人類どうしよう) いくさが無いのが続くと想定しにくいとはー いったい人間のどういう貧しさのおかげなんだ ほんとの宿題は この難問にむきあって 答をとことん考えつくすことじゃないか |
すごいですね、またまた木島始さんの連作体四行詩の集大成がでました! 尽きることなく創作エネルギーと多様な詩形式が生まれ、圧倒されます。遊び心も楽しめます。 1999年5月・土曜美術社出版販売・2800円) 木のうた 1 きこえるかしら だれかが 時を うごかしているんだよ きこえるかしら なにかが 鳥を よびよせているんだよ 2 地のなかから 吸とられたものは もういちどまた 地のもどっていく そのとき 木は かならず ふるえる みのった実を 木が 地にかえす そのとき 詩のビビッに感電しよう! 日英対訳現代詩集・木島始編 『楽しい稲妻・AZIGZ−AG JOY The Bilingual Anthology of Contemporary Japanese Poetry』 日本語と英語で現代詩のおおよそが分かっちゃう三倍お得な 対訳詩集が出ました。英語の勉強にも、戦後詩の理解にも、詩 にお近付きになるのにも最適なすぐれもの。 編者は、木島始さんです。木島さんは『平凡な恋人の歌』, 『地球に生きるうた』、『異邦のふるさと』『やさしいうた』、 『列島詩人集』(1997年に出版されたこれも大冊のアンソロジ ー。社会的詩の記念碑。不況の嵐の中、身に染みる詩が多くあ ります。)などなど、たくさんの訳詩集、詩選集を編んでこら れました。 この『楽しい稲妻』は、57人の世界の女性詩人の詩選集『IT’S WOMAN’S WORLD』に3人の日本女性詩 人の詩を収録したいとイギリスの編集者から早速申し入れがあったほど、世界的に反響を呼んでいます。 今まで、日本の詩といえば、俳句・短歌しか知られていませんでしたが、この本により日本現代詩が理解されはじめるでしょう。いくつか紹介します。(土曜美術社出版販売・定価3500円+税) The unprecedented bilingual collection of contempora- ry poems is fresh and vividly appealing. Under the econ- omic overgrowth of free, delicate and striking poetry, can be found in this epoch-making publication. The bilingual collection of contemporary Japanese po- etry-the first of its kind-presents over 70 poets-and a host of translaters."The best selection of poems is what one chooses for oneself"(Paul Eluard);see some of the most socially -engaged works in this active,epoch- making publication, edited by Kijima Hajime, himself a translator of Walt Whitman and Langston Hughes into Japanese. (Taylor Mignon) ヒロシマ神話 嵯峨信之 失われた時の頂きにかけのぼって 何を見ようというのか 一瞬に透明な気体になって消えた数百人の人間が 空中を歩いている (死はぼくたちに来なかった) (一気に死を飛び越えて魂になった) (われわれにもういちど人間のほんとうの死を与えよ) そのなかのひとりの影が石段に焼きつけられている (わたしは何のために石に縛られているのか) (影をひき放されたわたしの肉体はどこに消えたのか) (わたしは何を待たねばならぬのか) それは火で封印された20世紀の神話だ いつになったら誰が来てその影を石から解き放つのだ The Myth of Hiroshima Saga Nobuyuki What are they looking for, running to the summit of lost time? Hundreds of people vaporized instantly are walking in mid-air. "We didn't die." "We skipped over death in a flash and became spirits." "Give us a real,human death." One man's shadow among hundreds is branded on stone steps. "Why am I imprisoned in stone?" "Where did my flesh go,separated from its shadow?" "What must I wait for?" The 20th century myth is stamped with fire. Who will free this shadow from the stone? translated by Kijima Hajime 木 高良留美子 一本の木のなかに まだない一本の木があって その梢がいま 風にふるえている。 一枚の青空のなかに まだない一枚の青空があって その地平をいま 一羽の鳥が突っ切っていく。 一つの肉体のなかに まだない一つの肉体があって その宮がいま 新しい血を溜めている。 一つの街のなかに まだない一つの街があって その広場がいま わたしの行く手で揺れている。 The Tree Kora Rumiko Within a tree there is a tree which does not yet exist. Now its twigs tremble in the wind. Within a blue sky there is a blue sky which does not yet exist. Now a bird cuts across its horizon. Within a body there is a body which does not yet exist. Now its sanctuary accumulates fresh blood. Within a city there is a city which does not yet exist. Now its plazas sway before me. translated by Kora Tomi 歌 新川和江 はじめての子を持ったとき 女のくちびるから ひとりでに洩れだす歌は この世でいちばん優しい歌だ それは 遠くで 荒れて逆立っている 海のたてがみをも おだやかに宥めてしまう 星々を うなずかせ 旅びとを 振りかえらせ 風にも忘れられた さびしい谷間の 痩せたリンゴの木の枝にも あかい 灯をともす おお そうでなくて なんで子どもが育つだろう この いたいけな 無防備なものが Song Shinkawa Kazue The song that slips from the lips of a woman after giving birth to her first child is the sweetest song in the world. It tames the wild mane of the distant raging sea it makes the stars blink it makes wanderes look back on their journeys it lights red lamps from the branches of spindly apple trees in desolate valleys even the wind has forgotten. Oh,if not so, how does a baby grow? This fragile,unprotected being if not so? translated by Aoyama Miyuki& Leza Lowitz |
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