ウォーター


女の名詩集


青木はるみ詩集『火薬』

水野るり子詩集『はしばみ色の目のいもうと』

紫野京子詩集『火の滴』

島田陽子詩集『大阪ことばあそびうた』『ほんまにほんま』

野田寿子詩集『母の耳』本年度丸山豊賞受賞

塔 和子詩集『記憶の川で』第29回高見順賞受賞

江島その美詩集・日本現代詩文庫第二期O』



青木はるみ詩集『火薬』


壁のない家

おいで
あのひとが私にいう
おいで
私は犬にそういって抱きあげる

犬は私を批評しない
でも もし
犬のことを書いて 犬に
いいねといわれたなら
どんなに頬があからむだろう

傘がひらくような
わずかなことば
すぐに閉じるかすかな官能
私は ただ ちょっと
壁のない家で眠りたいだけ

さて眠ってしまえば
だれもかれもが聞き分けがない
有頂天で
行ったり来たりする

闇のなかにリンゴの芯が
突き立っているところが目じるし
そんな看板の下着屋さんで
黙って
あのひとが私をたしなめる
たしなめるからには
連れて戻らなければいけないのに
家具や棚や抽斗のいっさいが
透けている
さらに有頂天で
行ったり来たりする

好都合のはずなのだが
なぜか体じゅうが熱をもち
ひりひりする
擦り傷だらけなのだ
じつは
壁のない家の玄関には 数個の
アオキの鉢が置かれていて
どの葉の先端も黒く焼け焦げている

おいで
ようやく あのひとが私にいう



*青木はるみさんは、1982年に『鯨のアタマが立っていた』で
H氏賞を受賞され、小野十三郎のリアリズムの方法を受け継
ぐ方ですが、たいへん個性の強い表現で、新しいリアリズム
について考えさせられます。リアリズムとは、感情メロメロ
の抒情を排し、事物を冷たく客観的にモノとして捉える手法
です。このクールな方法はモダニズム、現代詩の要素です。
現代詩はメロメロ短歌より、クール俳句に近いといわれ、小
野十三郎は、「短歌的抒情の否定」をテーゼにしました。でも、
客観にゼンゼン主観が入っていないわけはなく、むしろ強い主
観が普遍的客観を表すこともあります。青木はるみさんの目も
とても鋭く、事物の本質を射抜くのですが、それは非常にオリ
ジナルなものです。

この詩集の第一番目の「憑く」では、「詩の神はいま死んだば
かりだ」とし「果肉は脳天から鳥の鋭い嘴で喰いつくされ/芯
宇宙を失い/あやうい表皮の円環だけを辛うじて/とどめてい
る」と詩の内部から解体して、しかし詩という型が残る現在を
鮮やかにあらわしています。
(沖積舎・定価2800円+税)




水野るり子詩集『はしばみ色の目のいもうと』








ゆぐれになると
山高帽子をかぶった
きつねたちの行列が
すすきの丘をのぼっていきます

(・・・先頭の
お棺のなかは
いわしぐも〜)と
うたう声が遠ざかるころ

ふもとの村で
くりかえし
発熱する
ちいさいいもうとがいて

秋ふかく
すすきの穂を分けて いったきり・・・
その名も 今は空に消えた
わたしの 素足のいもうとよ



いもうとの木


そのころ庭は生きものたちの青く太い匂いをこもらせ、土地は木々
の影を深い帽子のように被ってうつむいていた。だれもその土地の
素顔を見たものはいなかった。木たちもまたそれぞれの出生を隠す
もう一つの名前をもっていた。ちいさないもうとがいくたびも呼ん
だ名だった。

ある木は笑い上戸で、ある木はきまじめだった。ある木はなくて七
癖をもち、ある木はせっかちで、ある木ははにかみやだった。木た
ちの名前は今も月の光のように、私の耳の底に溜まっている。ある
木は《くすくす笑いのチェシャ猫》といった。ある木は《自縄自縛》
だった。ある木は《急がば回れ》と呼ばれてた。その響きの向こう
から、春ごとに全身をのぼる樹液にくすぐられてひとり笑いをして
いた(ハナミズキ)の姿や、隣の土地からはるばると蔓をくねらし
てやってくる(美男かずら)のせわしない呼吸がきこえてくる。
(後略)



*ちいさいいもうとのシリーズは、葉書詩の「丘」から生れたそうです。 水野さんの葉書詩は、
水橋晋さんのかわいいイラストつきで私も頂き 毎月楽しみにしていました。ファンタジーの
本来の意味「生の深みに 見えかくれするこのような存在への憧れ」として「はしばみ色の目
の いもうと」が創造されたようです。(おんなこども)(永遠の少女性) というかつては否定的
に見られたものを呼び戻しています。それは、 ヒトと木の交感、生きている私と別の私、うつつ
と夢などの境を自由に越え られる存在だからでしょう。そこには、近代的合理性への批判も
あるでしょう。 でも、この詩集の最大の魅力は柔軟な言葉が次々に開いていくような言葉の
豊かな森であることです。その点では、「レタス宇宙」のような行分け詩にも 引かれます。
(2000円+税・現代企画室)





紫野京子詩集『火の滴』






形骸(むくろ)の街


地表の裂け目にあらわれる
黒い蛇

かつて ひとりの女の
踝を噛み
頭(こうべ)を砕かれたー

ゆきどまりの橋を渡って
奈落の果てに
陥ちてゆく 春

燃えあがる 家々
崩れ果てた 樹々のかけら
地に満ちる ヨブの叫び

夢を見たかったら
こんなところへ来てはいけない
ここは 地の涯

行方知れずのひとを探して
幾千もの日々を経てきた

いのちのぬくもりを
再び 感じるまでに
幾夜の不眠と 涙がいるか

街の形骸に 風が渡る 煤けた壁を震わせて




その前夜

ー三年目の一月十七日未明に

神戸の街を
「きれいすぎる」と言った人がある

あなたは知らない
「あの日」が 薄汚れた街を
根こそぎ持ち去ったことを

整った取り澄ました表情の
底に隠されている
土埃と 猛火
幾千ものひとびとの
呻きと 叫び

生きている街は
立ち続けなければならない
通り過ぎてゆく時を乗り超えて

鱗雲がたなびく空に
一羽の鳥が舞っている

瓦礫と 夢が
二つながらに埋まった
道の果てに

鳥の名は知らなくても
私たちにはわかる
それが 天と地の
はざまにいることを

今 見えるものは
すべて見えなくなり
今 触れるものは
すべて儚くなりー

それでもなお残るものを求めて
歩き続けることが
生きることだと知った日から
私たちは皆
はざまに生きている

逝ったひとと 遺されたひと
消えた家と 脳裏に灼きついた思い出
在ることと 無いこと−

誰かが 空の裂け目から
白いハンカチーフを振っている



*紫野京子さんは阪神淡路大地震を経験され、「すべてが儚くな」って、「なお 残るもの」
として詩を書くことを自覚されたそうです。そのように切実に詩が 求められることは、現在
では稀有のことでしょう。この詩集は震災の外的記録 であるより、内面の記録です。精神的
にも深い傷を負うなかで生の意味を問う 真摯さが感動的です。挿画は、為金義勝さんで
「どこまでもあたたかく澄んだ 色彩に魅かれ」たそうです。生と死の裂け目に射す色彩を感じ
ます。麻生秀顕さん のHPにも書評があります。紫野さんは、芸術文化団体半どんの会
文化賞「現代芸術賞」 を受賞されました。(月草舎・定価2,100円)



島田陽子詩集『大阪ことばあそびうた』『ほんまにほんま』





日本万国博覧会のテーマソング「世界の国からこんにちは」の作詞者としても広く 知られている島田陽子さんはことば、特に大阪ことばを生かす名人です。ことばあそびが おもしろく、また、辛口の批評やあったかいヒューマニテイー・ユーモアが効いていて 笑いながらしんみりさせる作品も多いです。

いうやんか

いうやんか
やさしい かおして
いうやんか
やんわり きついこと
いうやんか

いうやんか
やきもち かくして
いうやんか
やたらにべんちゃら
いうやんか

いうやんか
やつしの くせして
いうやんか
やらしい いけずを
いうやんか
*べんちゃら・・・・おべっか。おせじ
*やつし・・・・おめかしや。おしゃれ
*やらしい・・・・いやらしい *いけず・・・・いじわる


だいじない

きんの
あたま きってん
あ だいじない
きったんは あたまのけ

ゆんべ
あし おれてん
あ だいじない
おれたんは いすのあし

さいぜん かわに はまってん
あ だいじない
はまったんは よそのこや

いんま
いえ ながれてん
あ だいじない
うちもいっしょに ながれてる
*だいじない・・・・大事ない・しんぱいない
*きんの・・・・きのう
*ゆんべ・・・・ゆうべ
*さいぜん・・・・さっき
*はまってん・・・・落ちこんだのよ
*いんま・・・・いま


あかんたれ(回文)

あかんたれほれたんかあ
あかんたれがこがれたんかあ
あかんたれふられたんかあ
あかんたれあれたんかあ
*回文・・・上からよんでも下からよんでも同じことば
*あかんたれ・・・だめなやつ。よわむし


おんなの子のマーチ

きかいに つようて
げんきが ようて
スピードずきな おんなの子やで
うちのゆめは パイロットや
ジャンボジェット機 うごかしたいねん
おんなの子かて やれるねん
やったら なんでも やれるねん

しんぼう づようて
あいそが ようて
しゃべるん すきな おんなの子やで
うちのゆめは 外交官や
せかいのひとと あくしゅをするねん
おんなの子かて やれるねん
おかあさんになったかて やれるねん

ちからが つようて
どきょうが ようて
スリルのすきな おんなの子やで
うちのゆめは レンジャーや
災害おきたら たすけにいくねん
おんなの子かて やれるねん
そやけど せんそう いややねん
へいたいさんには ならへんねん



野田寿子詩集『母の耳』本年度丸山豊賞受賞





家族や身辺を穏やかにみつめながら、
内部から立ち上がる生を透視し、
沖縄、朝鮮、中国など世界の過去・現在を自分の問いと
している誠実な詩集。(土曜美術社出版販売 2000円)

母の耳

この病室にやってきて
日がな一日語りかける私に

合槌を打つでもなく
たしなめるでもなく
朽ちた木彫のように
うごかぬ母

その腹を膨らませ
はらわたをねじり
血ぐるみひきずり去ろうとする力に
耐えている母

意識は白々とほとび
もはやただよいはじめ
ときどき見開く眼の行方を
知るすべもない

その顔に
わたしはなおも話しつづけ
さて帰ろうとするうしろから
かすかな声が追ってきた
“またおいで なんでも聞いてあげるから”
一瞬うしろ手にドアを閉じ
恥じて立つ私の行手に

耳だけなった母が
じっと佇んでいた



待つ

“祈るってどういうことかな?”
夫がふと娘に訊いている
娘はしばらく考えて言う
“そうね 待つということかしら”
それっきり二人はだまっている

その夜 海の向こうのカーネギーホールでは
女性歌手バトルとノーマンが
黒人霊歌を唱いあげていた
体をしぼり 両手を捧げ
ことばは一つ
くり返しくりかえし神を呼ぶ

鎖 鞭 侮蔑 飢え・・・・・・・
地上に立つところもなく
神だけをみつめ
神しかなく
神を待つ力で生きている
黒人たちの歌

その時夫は
娘の中の荒野を
見た



洗う
−シルクロードの旅

旅の帽子を洗う
砂漠を三日も歩いてきたというのに
白いタイルの底にゆらめく
砂金ほどの砂

なおもわたしは洗う
死ねば墓標もなく砂漠に埋められてきた
無数の民の
朽ちた体の微塵を

地下八米も根をとどかせ
灼熱の地表にただそれだけ生えている
ラクダ草を食んでは
黙々と往き来した駱駝たちの
糞のにおいを

魂の渇きに耐えかねて
莫高窟の仏に祈り
砂漠の彼岸に踏み入った僧たちの
衣の屑を

なにごともなかったかのような
空々漠々の砂を浴びてきた
この帽子は
こうしてかぎりなく
私を洗う




和子詩集『記憶の川で』第29回高見順賞受賞





「半世紀を超える私の療養所暮らしの中で、たった一つの喜びは
詩をつくることでした。どう生きたらいいか、なにを考えたかということを
詩という表現形式にぶつけ、そして私の魂は癒されました。」ハンセン病を
超え、生のはなやぎとみずみずしさに満ちた感動の第15詩集。(編集工房ノア 1785円)


さわらないで

私は
はじける前の木の実
咲く前の蕾
孵化する前の卵
さわらないで下さい
どこへさわっても
なにかが始まってしまうのです
はじまる前のぼうちょう感の中で
いつまでも
夢を見ていたい
始まってしまったら
あとは
とめどなく
上昇し華やぎ溢れ
終わるだけ
その命の果てを思うとき
うっすらと涙さえにじむのです


青い炎のように


あの声は
去年の虫の子供だよ
そして
ずっとずっと太古からつづいているものの流れだよ
私達がいまこうしているのと同じに
幼虫

そして
あんな美しい声の主になる
いま虫は
虫である証しに鳴いて産んで
ただひたすらに虫であろうとするだけ
何代も何代も虫であった
何代も何代も虫である虫が
何も言わずにすごした時間をになって
いま青い炎のように鳴いている



『江島その美詩集・日本現代詩文庫第二期O』
第二回日本詩人クラブ新人賞受賞詩集『水の残像』含む。






長年、水をテーマとして書き続けた詩活動の集大成。
深い抒情と遠い憧れがたゆたい、どこまでも流れる。
(土曜美術社出版販売 1400円)


水の残像


放課後の教室へ
忘れ物を取りに引き返すと

黒板の中央に大きく
一字

「愛」と
水で 書かれていた
「愛」の文字からは幾筋かの水が
なみだのように流れていた
後ろの席からみとれているうちに
文字は 乾いて跡形もなく消えてしまった

愛の意味さえ まだ
なにひとつ知らなかった幼い夕方
水の文字の残像だけを
小さな胸にしまって帰ったけれど

ひきかえに なにを忘れてきたのだろう
記憶がある限り
なんどでも 引き返さねばならない

行き暮れた駅の伝言板のように遠い黒板へ

「愛」は
飢えるものと知ってしまっても なお
忘れ物を手に取るまでは



無限の水

大きな数詞は
兆 京 垓・・・・・・ 恒河沙 阿僧祇 那由他 不可思議
無量大数と続くことを識った

恒河沙はガンジス河の砂の意味
不可思議は考えても奥底までは知り尽くせない
異様なこと 怪しいこと
無量大数は十の八十八乗とか十の六十八条という解釈があるらしいが
そのゆくえは宇宙なのだろう
そこにはどのような川が流れているのか
一説によると純粋なアルコールの川が流れているともいう
はたちの頃に訪ねたガンジス川を思い出してみる

小さな数詞は
厘 毛 糸 忽 微 繊 沙 塵 埃 模糊 虚空 清 浄

虚や空は大小に関係のない精神範囲だろうが
水が静かにおさまってにごりのない
浄という数詞でおわることに
私は感動する
無限の大きさも
無限の小ささも
その極みは水に尽きるように思えて

水仕事に濡れる日々を
嘆くのはもうよそう
水の反射を感じるかぎり
無限の中に生かされているのだから




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