ウォーター


女の名詩集


『麻生直子詩集・アイアイ・コンテーラ』

茨木のり子の自然と社会

高良留美子の詩における生命と原発

『新井高子詩集 おしらこさま綺聞』

パレスチナ女性亡命詩人

石川逸子の詩

『甘里君香詩集 卵権』

アフガニスタン女性詩人の詩

『徳弘康代詩集 彙戯igi』

『姜湖宙詩集 湖へ』

『杉本真維子詩集 皆神山』

『麻生直子詩集 足形のレリーフ』

『香山末子の詩』

『チベット女性詩集』

『高良留美子全詩』書評・交野が原94号

『高良留美子全詩』書評・現代手帖3月号

阿部はるみ詩集『からすのえんどう』

「高良留美子の詩における女性と戦争」

『真っ赤な口紅をぬって』

『現代詩文庫 水田宗子詩集』

財部鳥子詩集『氷菓とカンタータ』

水田宗子詩集『東京のサバス』

『石川逸子詩集』

高良留美子著『わが二十歳のエチュード」』

水田宗子詩集『青い藻の海』

新井高子詩集『ベットと織機』

こたきこなみ詩集『第四間氷期』

峯澤典子詩集『ひかりの途上で』

『堀場清子全詩集』

青木はるみ詩集『火薬』

水野るり子詩集『はしばみ色の目のいもうと』

紫野京子詩集『火の滴』

島田陽子詩集『大阪ことばあそびうた』『ほんまにほんま』

野田寿子詩集『母の耳』本年度丸山豊賞受賞

塔 和子詩集『記憶の川で』第29回高見順賞受賞

江島その美詩集・日本現代詩文庫第二期O』


『麻生直子詩集 アイアイ・コンテーラ』

アイアイ・コンテーラ

銀河の岬の白い浜辺で
少年たちは短い夏の海と戯れる
蒼いからだを焚火であたためる
ひとりの悪戯っ子が火のついた薪を振り回した
レラ レラ レラ つむじ風が吹いて
火の粉が わたしの顔と肌着に降りかかった

アイアイ・コンテーラ*
アイアイ・コンテーラ
その夜 わたしの窓辺に鳥舟があらわれて
一弦のトンクルを持ったニヴフの娘たちがきて唄う

私たちの生まれるはるかむかし
太陽は三つ並んでくっついていた
世界は熱く熱く熱く
魚が跳ねて 水の上にとび出しても火傷をした
陸獣も火傷をしてたくさん死んだ
それゆえ 最高神は太陽を二つ消して一つだけにした

消えた二つの太陽は わたしの眸に燃え移った
月夜の森から
モシリバの娘たちがやってきて
口琴を響かせ 五弦のトンコリを鳴らす

世界の水辺で いま何が起きている
世界の地上で いま何が起きている
火の女神が山々の頂に呼びかけた
海を煮立たせ 山を燃え立たせ 森の湖沼は力尽きた

燃える麒麟が火の粉を散らして中空を駆け回る
天地の水神は風神雷神と 右往左往に落ちてくる

アイアイ・コンテーラ
アイアイ・コンテーラ

ガタピシの桐箪笥の奥裏に匿した
焼焦げの夏服 黒い哄笑 呪詛の風
十二の窓を持つわたしの家・ジャッカ・ドフニ

銀河の岬で メニアスの群像が崩落する
スパークする 赤い眸 炎の刺青
鳥舟を待つ魔除けの娘たち

*それは困ったね(ギリヤーク=ニヴフの言葉)

※ギリヤーク=ニブフは、アムール川河口付近と
樺太(サハリン)に住む先住民族で、歴史的にアイヌと
密接なかかわりを持ち、文化的な共通性もあるそうです。


「アイアイ・コンテーラ」という呪文のような言葉が響く麻生直子の
詩集は、現在の危機と神話的な物語を重ね、雄大な想像を繰り広げる。
「世界の水辺で いま何が起きている」
「海を煮立たせ 山を燃え立たせ 森の湖沼は力尽きた」に
環境破壊が進む現在を批評し、先住民族が暮らしていた文化様式を
再考する必要も感じる。

詩「鬼怒川」は、「父親は戦死したと聞かされて育った私」に
意外な父親の消息を聞かされた驚きが伝わってくる。「内地」
から来た父親が母親と相性が悪く、別れた悲しみがにじみ、
「外地」であった北海道の置かれた歴史もうかがえる。

詩「行路人・龍生氏のモスコーは」では、詩人・長谷川龍生が
訪ねたロシアの詩人マヤコフスキーの家の思い出を振り返る。
「〈詩作品によってのみ解決の可能な問題が社会の中には存在する〉」
と書いたマヤコフスキーの言葉は、現在のロシアでいかなる意味
を持つのか。「秘密の詩の一行も投獄されてしま」うロシアで詩人が
生きる困難に思いを馳せた。

詩「物置小屋にて」は、森の木が伐採され、山の人から海の人に
なった母子がさらに収奪され、母は物置小屋に隔離される悲劇。
土地の収奪が家族の破壊へ及ぶ近代の残酷を明かす。

「多彩な叙法で、悠遠の詩境を開く19篇」
(紫陽社 2200円+税)






茨木のり子の自然と社会

茨木のり子も詩の中でみずみずしい自然を表現してい
るが、一方で、自然とは異なる社会的活動の豊かさと危
機を表していた。詩「見えない配達夫」は典型的な作品
である。「T」では自然の季節の推移を描き、「U」では
人間社会の営みを列記している。


見えない配達夫

  T

三月 桃の花はひらき
五月 藤の花々はいっせいに乱れ
九月 葡萄の棚に葡萄は重く
十一月 青い蜜柑は熟れはじめる

地の下には少しまぬけな配達夫がいて
帽子をあみだにペタルをふんでいるのだろう
かれらは伝える 根から根へ
逝きやすい季節のこころを

世界中の桃の木に 世界中のレモンの木に
すべての植物たちのもとに
どっさりの手紙 どっさりの指令
かれらもまごつく とりわけ春と秋には

えんどうの花の咲くときや
どんぐりの実の落ちるときが
北と南で少しづつずれたりするのも
きっとそのせいにちがいない

秋のしだいに深まってゆく朝
いちじくをもいでいると
古参の配達夫に叱られている
へまなアルバイト達の気配があった


  U

三月 雛のあられを切り
五月 メーデーのうた巷にながれ
九月 稲と台風とをやぶにらみ
十一月 あまたの若者があまたの娘と盃を交す

地の上にも国籍不明の郵便局があって
見えない配達夫がとても律義に走っている
かれらは伝える ひとびとへ
逝きやすい時代のこころを

世界中の窓々に 世界中の扉々に
すべての民族の朝と夜とに
どっさりの暗示 どっさりの警告
かれらもまごつく 大戦の後や荒廃の地では

ルネッサンスの花咲くときや
革命の実のみのるときが
北と南で少しづつずれたりするのも
きっとそのせいにちがいない

未知の年があける朝
じっとまぶたをあわせると
虚無を肥料に咲き出ようとする
人間たちの花々もあった
(『茨木のり子詩集』岩波文庫から)


茨木特有のユーモアもちりばめられ、「T」には「古
参の配達夫に叱られている/へまなアルバイト達の気配
があった」など、季節の不順について軽妙に言及してい
る。詩集『見えない配達夫』は初版一九五八年であるか
ら、気象への危機感は薄く、むしろ「U」の「逝きやす
い時代のこころ」「大戦の後や荒廃の地」のほうが主題
であろう。茨木は、一九五五年初版刊行の『対話』所収
の詩「内部からくさる桃」などにおいて、敗戦後の改革
の意志が消え「世界は/壊滅の夢にさらされてやまな
い」ことを憂いていた。

「U」では、「虚無を肥料に咲き出ようとする/人間
たちの花々」と人間独自の行為を励ましている。「T」
だけだと、季節の彩りの変化を述べるだけであるが、
Uは、叙事で、「国籍不明の郵便局」「見えない配達夫」
と、詩の「投壜通信」の考え方にも似た詩想に展開して
いる。日本人は無常観など、人間の行いも自然の推移と
の思いが伝統的に強い。代表的な叙事詩である「平家物
語」や「徒然草」でも無常観が前提になっている。福島
原発事故の汚染水も水に流される。

だが、茨木のり子も高良留美子も、自然における人間
の責任、「環境正義的責任」を自覚した。茨木のり子は、
「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」と自
分に言い聞かせ、「わずかに光る尊厳の放棄」を拒んだ。

新しいリズムと思想

「歌」と「思想」をどう合体させるかは、戦後詩人の
大きなテーマであった。戦意高揚など、陶酔や自己無化
につながる「歌」ではなく、覚醒や自己確立につながる
「歌」はあるのか、小野十三郎の「歌とは逆に歌に」の
テーマは、重要な課題だった。

大岡信は高良留美子のリズムについて次のように指摘
している。「作者が日本の現代詩によって、五七や七五
の調子とも、民謡やわらべうたの調子とも別の調子、つ
まり観察的なまなざしや思弁的・内省的な物言いを不自
然でなく包みこんだ上で開放的でありうるうたの調子を
つくりだそうとしている。」(『続・高良留美子詩集』思潮
社 二〇一六年 解説「高良留美子の詩」)

「産む」は、叙事と韻律を両立させている作品だ。高
良留美子が自然を重んじながら、胎動のような安定的な
リズムが破壊され、その分裂をふまえた批評と合体した
詩を生み出したことに注目したい。
また、高良留美子は、茨木のり子の詩の形式を「詩行
対応」と名づけて注目していた。高良も茨木も吉岡しげ
美によって作曲され歌われた作品も多い。
エコフェミニズムは、自然と人間との関係において一
層の自己省察を必要とし、それゆえ、叙事や批評と、リ
ズムの結合を新しい形で求めたと言えよう。

女性の可能性と課題

高良留美子は自然を回復することは、女性の自己回復
につながると考えていた。「女性が権威をもち、平等性
を重んじて格差と国家と戦争への道を抑制していた縄文
時代の母系制社会から、わたしたちは多くを学ぶことが
できる」。(『見出された縄文の母系制と月の文化』)
茨木のり子も女性の復権と新しい世界認識を唱えてい
た。詩「女の子のマーチ」で男女平等の戦後民主主義を
奏でたが、戦争体験は作品形成の母体だった。茨木の韓
国詩翻訳・尹東柱紹介にも戦中体験が基底にあった。
共に、女性の自己回復、植民地主義や環境破壊を行わ
ない社会システム、国際交流の広がり、平等な人間関係
を求めた。現在の侵略と分断、自然破壊の時代に学び直
したい魅力的な詩と評論、随想の宝庫である。


(「詩と思想」2024年5月号掲載)






高良留美子の詩における生命と原発

高良留美子が、二〇一一年三月一一日の東日本大震災
の時に南三陸町の防災マイクで避難を呼びかけ続けた女
性を書いた詩「その声はいまも」は朝日新聞の天声人語
でも紹介され、反響を呼んだ。二〇二四年一月一日の能
登半島地震でも避難を告げる声にこの詩が想起された。
さらに、一九八七年刊の詩集『仮面の声』に収録され
た詩「産む」は、北陸の地震を考えるうえで、重要な視
点をはらんでいる。日本海側の「原子力発電所が建った
村」におけるお産に思いを巡らす。かつて、お産は「ケ
ガレ」とされ、「産小屋」で出産し、死の世界からの甦
りとも言われた。医療の援助もなく、江戸時代まで、
「座産」が一般的で、女性は縄をつかんで座っていきんだ。
その姿は漢字「産」にこめられているという。


産む 

     産むという漢字は
女が座産(ざさん)*をする姿をあらわしたものだ と
聞いたことがあったかなかったか
原子力発電所が建った村に
わずかにのこされた産小屋で
年老いた女が
繰り返してきたお産を語る
天井からたれさがる一本の力綱
砂のうえに向きあうように積みあげられた
二十四個のわらの小束
女はそこにもたれかかり
綱をつかんで からだを浮かした
日本海の鈍(にび)色(いろ)の波が岸辺を打ち
降りかかる雪が海に消える
産道に似た道が 村を横切る
女たちはそうやって産み
産みつづけてきたのに
道はいつもあらぬ方角につづいていた
人は道に行き暮れ
分かれ分かれにされ 迷い
暗い渦に巻きこまれる
人は帰るところを失い
立ちつくす

産むという漢字のなかにある生の字は
生まれてきた赤ん坊をあらわしたものだ と
聞いたことがあったかなかったか
肛門のところをかかとで押すと
赤ん坊がうしろへ行きたがるのを
防げるんだよ と
海からだけ光のはいる産小屋で
四人の子を産んできた女は語る
小屋の前には細い川が流れ
女はそこで米をとぎ ご飯を炊く
かつては産小屋を出る日
日本海の夜明けのなぎさで
波をかぶり 波をくぐった
死の世界から甦るために
女はそうやって産み
産みつづけてきたのに その産道は
ついに原子力発電所までつづいていたのか
道の行方を見きわめてこなかったために
道は産む者と産まれる者を分かち
人は日暮れた道を一人たどらねばならない
女の産む姿を 一個の漢字のなかに
凝固したまま
* 座った姿勢での伝統的なお産
(引用は『高良留美子全詩 下』から。土曜美術社出版販売)


日本海側で、原発が建っているのは、北陸地方では、
志賀原発(石川県)、柏崎刈羽原発(新潟県)、敦賀原
発(福井県)、美浜原発(福井県)、大飯原発(福井県)、
高浜原発(福井県)等で集まっていて、本作品の認識の
鋭さを感じさせる。高良留美子は、東京大空襲で父が営
む高良興生院の一部が焼失した後、一九四五年六月から
敗戦直後まで、疎開先として新潟県南魚沼郡塩沢町に行
ったことも、日本海の村に意識が向く一因だっただろう。
『高良留美子全詩上』の冒頭作品「梨」は「東北の畑か
ら生まれてきた/クリーム色に熟れた西洋梨よ」と始ま
り、初期より関心が東北・北陸に及んでいた。

高良が早くから翻訳に取り組んだアジア・アフリカは
国際的な帝国資本主義の植民地・被収奪地であるが、東
北・北陸は国内植民地である。沖縄南西諸島も国内植民
地である。原発が海ちかくの村にあることは、日本の犠
牲を強いる社会構造を象徴している。

「産む者と産まれる者を分かち」とは、「産まれる者」
つまり未来世代が原発の脅威を受けることをも暗示して
いるだろう。原発をはじめとする環境破壊は未来にこそ
負担が大きくなる。「人は日暮れた道を一人たどらねばな
らない」とは、文明の黄昏を孤独に歩く人の姿だ。
高橋綾子は、著書『アンビエンス―人新世の環境詩学』
(思潮社 二〇二二年)で、詩「産む」を取り上げ、世
界的主題だと、次のように述べる。


チェルノブイリ原発事故が一九八六年に発生、原子力
発電所の持つ危険性が討議されていた事故の翌年に『
仮面の声』は刊行されている。したがって、ここでの
「原子力発電所」は、日本海側の村で原子力発電所が
稼働する中、チェルノブイリ原発事故に続く災禍がす
ぐ前まで迫っているという明確な危機意識を含む寓意
である。つまり、「産む」の舞台となった日本海側の
村にある原発だけを指すのではなく、世界中にある
原子力発電所をも意図している。
(略)高良は「今、地球破壊、人類滅亡の危機を
象徴するかのように原発の建つ丘へ、かの「産道」=
古き母親共同体の道は続いている。」と述べ、産小屋と
原子力発電所がつながる矛盾を突き、「道の行方を見
きわめてこなかったため」であると厳しい批判がな
される。その背景にある「産む者」である女性をな
いがしろにしてきた世界との関わりを描いた詩とも
言えるだろう。つまり地球の危機と女性の抑圧の問
題が交差する。(『アンビエンス―人新世の環境詩学』)


「地球の危機と女性の抑圧の問題が交差する」との
指摘は、作品の方法にも関係している。高良は、詩集
『場所』で、叙物詩に画期的な成果を見せ、詩集『し
らかしの森』では、地域の歴史や歌から新たな叙事詩
を構築した。詩集『仮面の声』全体では、詩「カリフ
ォルニア砂漠で」「マジシ・クネーネの家」などと世界
性が増し、叙物、叙事、歌の要素を重層的に織り込ん
でいる。詩「産む」は、「産むという漢字は」「聞いた
ことがあったかなかったか」というつぶやきのような
自問が二回繰り返されるが、完全なリフレインではな
く、胎動が途切れ途切れのような感覚さえ受ける。近
代文明の落し子である原子力発電所が、産小屋の残る
村に存在しているのは、奇異なコラージュのようだが、
危機と抑圧の恐ろしさを印象付けるのだ。
高橋綾子は、高良を、エコフェミニズムの先駆者と
して「人間が地球全体に対して背負うべき環境正義的
責任を果たしていくために不可欠となる新しい世界に
対する認識」を提示したと評価した。(後略)

(※「詩と思想」2024年5月号掲載)






『新井高子詩集 おしらこさま綺聞』

おーしらさまは、身代(みが)ァりどお、あんだァの
おーしらさまは、身代(みが)ァりどぉ、山神(やまがみ)さァまの

(※ 引用の( )内は、詩集ではルビになっています)
既刊詩集『タマシイ・ダンス』(未知谷・小熊秀雄賞)、『ベットと織機』
(未知谷)においても、標準日本語から排除された地方言葉のリズムと
声を意識的に自分の詩に生かして来た新井高子が、一層、本格的に、
奔放に、根源的な肉声を汲み上げ、死者の声を復活させる世界を築き
上げました。

新詩集『おしらこさま綺聞』の圧倒的な迫力に、目を見張ります。
地方語や伝承を採録するという水準ではなく、自己の詩に言葉の深奥
の道、生死のみちゆきを彫り付け、肉声の底から、重層的に、大ボ
リュームで響き渡わたらせています。

「声(こィ)よりも深(ふが)い音(おど)っこ、生類(しょうるい)
は抱(かが)えておるんじゃねぇのすか。」

まさに、新井高子弁となった言葉で、新井高子の世界を確立したのです。
詩人も次のように語っています。「この本は、東北弁や北関東弁を思わ
せるような、ちょっとふしぎなことばで綴られています。かねてより
わたしは、いわゆる「日本語」という近代言語の外側にある文体や声に
興味をもち、そのリズムや制度で捉え切れない事象を、土地ことば的な
センスで掘り下げられないかと探ってきました。」

さらに、東日本大震災後に、岩手県大船渡市の仮設住宅集会室でことば
の催しを立ち上げ、おんば言葉、東北弁を学び、『東北おんば訳 石川
啄木のうた』(未来社 2017年)と映画制作企画を実現した体験は
大きな収穫となったそうです。

そうするうちに、群馬県桐生市で織物工場を営む家に生まれ培った
桐生弁と東北弁、新井弁が混じり、「それらの雑種、クレオールである
ような地べたを這う響きの文体」が生まれたのは驚くべきことです。

冒頭に引用した「身代わり」は、東北や北陸が東京の身代わりになっ
て原発被害を受けている意味もあるでしょう。近現代人の身代わりと
なった、いやむしろ復権されるべき全身像である「おしらこさま」
の月の匂いが、存在の臭いが鮮烈に伝わってきます。
(幻戯書房 2200円+税)









パレスチナ女性亡命詩人

オリヴィア・エリアス

逃れゆく星々

川崎康介訳

その国で安住できなかった星たちは

ひとっ飛びに飛び去って、もっとまともな
幸せのある国に逃げていくこともできた

事実、そうなったのだ

すべてが、人生そのものさえ飛び去って、
水は流れを止め、家も畑も消え去った、
かわりに壁が地平を覆った

コンクリートの家が一軒、顔を出したと思ったら、
あっという間に同じような家が何千も、
あとをついてきた

その近くに住むのは、噴火寸前の火口に
テントを張るようなもの、
蛆虫が湧いた夜、唇のめくれた狼が、うろつき歩く

女たちは徒らに石を投げ、忘れはしまいと
ハンカチに結び目をつくり、
子どもの首に青い真珠や小さな十字架をかけ、
それが日ごとに数を増しているのだ

聞いたことがあるか、根をむき出して
オリーブが倒れる音を
銃弾がひとりの人間の額を撃ち抜く音を?


※「人生そのものさえ飛び去って、」
「かわりに壁が地平を覆った」とは、パレスチナの人びとの人生が、
イスラエル人の入植侵略により、破壊され、亡命せざるをえない事態が
以前より起っていたことを表しています。





やけどの火

川崎康介訳

噴火のときに
わたしは生まれた
祖国がその名を
かえたとき

地震のときに
わたしは生まれた
地震が父の名も
父のそのまた父の名さえも
呑み込んだとき

大地は今も
揺れつづけ
監獄の陰が
広がっている

燃えさかる茂みから飛び出た
神が選んだ
罪滅ぼしの大地、
その火山の上で
血の間欠泉が
荒涼とした照らす夜
わたしは育った、

またどれほどの
年月を
心も体も
やけどの火に
晒されるのだろう



※オリヴィア・エリアス 詩人。パレスチナ難民。パレスチナのハイファに生まれ、
幼くして難民生活を余儀なくされる。家族とともに亡命したレバノンで高校を
卒業後、カナダで経済学を学び、1980年代初めにフランスに移住するまで
同地で教鞭をとった。2013年に上梓した第一詩集『この砂地帯に生まれて』
を皮切りに、長年書き溜めていた原稿を発表し、これまでに三冊の詩集を刊行
している。『希望だけに守られて』(2015年)、『汝の名はパレスチナ』
(2017年)、『カオスと渡河』(2019年)。


※川崎康介 翻訳家。これまでに共訳で石井光太『遺体』(新潮社刊)の
フランス語訳など手掛ける。また、フランス語圏で俳句の普及をしている。
(『遺体』は、東日本大震災で多数のご遺体に出会った釜石市の、
市職員、民生委員、消防隊員、医師会会長、歯科医師会会長などの
証言と取材をもとに、大災害の中、死者の尊厳を守るために、
みずからも被災者でありながら、力を尽くした様子を記した迫真の書。)

(「いのちの籠」48号掲載)






石川逸子の詩

のっぺらぼうの地から

石川逸子


のっぺらぼうにされた 土地 が
夜更け 
かすかに唸り声をあげるというのだ

聴いたのは
樹々たち

つい少し前まで
そこには しずかに
碑が立ち ひとびとが祈っていた

碑には
たった 8文字
「記憶 反省 そして友好」

たった8文字に
怯えあがったものたちが
行政を動かし 碑を壊した

彼らは なにに怯えたのだろう
不思議だねえ
首をかしげる 樹々たち

雲がうなずき
夜空を走っていく
唸り声は 日々 増していくようだ

「記憶 反省 そして友好」
やがて 諳んじた 樹々が
清らかな合唱をはじめる


―2024・2・18

※群馬県高崎市「群馬の森」に、建立されていた「朝鮮人追悼碑」が
2024年1月29日に撤去されてしまいました。
2004年に群馬県議会の全会一致で建立が決定し、
碑には「記憶 反省 そして友好」と刻まれていました。
10年ごとに申請が必要でしたが、不可となり、
撤去費用3千万円も「追悼碑を守る会」に請求する!という非道さ!
この事態に石川逸子さんが抗議の詩を書かれました。(佐川記)









『甘里君香詩集 卵権』

卵権

ママ
目の前の人はつまらない
暇だからつき合うって
熱心に口説くからつき合うって
お金があるからつき合うって
私はずっと退屈だ

細胞は波乱なくおとなしい
ホルモンはまったく不活発
私の部屋には色がない
ランたちは口を開けば
何か面白いことない?
って溜め息をつく

地殻からリズムが突き上げる
宙からメロディが降りそそぐ
私たちは満面の笑みで踊りだし
部屋の景色は一変する
亜熱帯の植物が一斉に繁り
甘い香りを放って
何万羽の原色の鳥が囀る楽園になる
色は地平線まで広がり
満々と水を湛え
数えきれないゲストがすいっと泳ぐ
好みのゲストにウインクを送ると
始祖鳥が現われ
時空を遡る旅に出る
そんな遊びがしたいの

ママ 私の部屋に手をあてて
ノックしてほらその気持ち
私のために選んではいけない
私が選ぶ万物のセオリー
思い出して
合図を送る
その気持ち




※「卵権」とはおもしろい言葉ですね。「人権」「女権」という
言葉は在りますが、「卵」の権利まで極めているのに目を開
かされます。「地殻からリズムが突き上げる/宙からメロデ
ィが降りそそぐ/私たちは満面の笑みで踊りだし」と、
原初からの卵の権利が楽しくイメージできます。

「あとがき」で、「物質が細胞という進化段階に到達した時
から、生命体はすべてメスである。ヒトの胎児も初期設定は
メスであり、Y染色体の指令でホルモンシャワーを浴びて
ようやくオス化することから、私は生き物はすべからく女性
性を内包し、そこからどれだけ男性に振れるのか、その振れ
幅の違い、そこに環境要因と遺伝子が作用して多様性をもた
らしているのだと考えている」と説き明かしています。

生命体はすべてメスであるのに、男性中心の文明を作り上げ、
いつまでの男性論理でがんばって支配しようという企てが
人類の破滅を招いていると、爽快に訴えています。

巻末詩の「ヒト科ヒト属消滅の真相」も痛快な批評のパンチが
効いています。「妊娠出産は生産性に劣るから/三六五日働ける
男に任せろと/メインステージどころか/観客席からも女を追い
出し/奈落に追いやった男たちは/実は生産よりも破壊が得意だ
と/自覚はなかったのだろうか」と今の少子化に至る破滅への
道を皮肉っています。

まだまだ自覚が足りない日本社会に、アイロニーとユーモアが効いた
詩のパンチがリズミカルに響きます。

(幻戯書房 2200円+税)





アフガニスタン女性詩人の詩

(書け、とあなたは言った)
ソマイア・ラミシュ


(木暮純訳・校訂 岡和田晃)

書け、とあなたは言った
あなたは、奇跡を教えてくれ、と言った
言葉の奇跡を教えてくれと
私は絶え間なく発言し出した
あなたのために    はじめからあった言葉を。
つまり、はじめに言葉ありき。
言葉なくして始まりもなかったということ
でも、私は何も知らなかった
終末を
何にも なれず
何であることも かなわないのを
私は言った、あなたの不在をどう書けばいいの?

私はページの上に自分を吐き出す
ある絵が追いやった
文字たちを死に
かように何者にもなれない
千にして無の先祖たちが
破滅に対峙する
あなたの不祥事?
それとも私の?
はじめからあらゆるものが在る
私の肖像画だ その絵は
その肖像画は 私が描いた
でももう何も書けなかった。

零という言葉も
塵芥という言葉も
余計者という言葉も。
(詩誌「フラジャイル」第19号)


Farkhunda Shula の詩
(あの事件の怒りと血のせいで私は心が塞ぐ)
中村菜穂訳

あの事件の怒りと血のせいで私は心が塞ぐ
私がガラスでいる限り、あらゆる石に直面する
私は冷たい沈黙のよう、不安と怒りのなかで
自らの詩によって私は戦いそのものになる
誰もいない迷路のような狭い路地で
私は旅人のように心が塞ぐ
憔悴した時代が私から色を奪った
こうして私は暗鬱になり、色を失う
攪乱者と女嫌いのおのれの国で
私は悔し涙と罵声と恥辱に踏み躙られる
私は自由、私は自由、私の叫びは自由
私の全存在、私の礎は自由
私は愛の語り部、街で有名になった
私の悲しみはシーリーンのよう、自由こそ私のファルハード*
差別、不正義、戦争の不和を消し去るため
私の慣習、信仰、私を導くものは自由
私を縛ろうとする鎖が私の周りで待ち構えているが
私は叫びに満ちている、自由は私を覚えている
私は気高く生気に満ちている 愛の道の追随者
私が口ずさむのは誠実さの歌、私が求める師は自由
私の土地もあなたの土地も自由が礎となった
あなたの礎は自由、私を創造したものは自由
私は女、傷だらけの、傷だらけの体をした女
どこを見渡しても、焼け焦げた死体が何千とある、
それが私だ
私は女、反抗的で、燃え盛る反逆的な女
血はわが国の血管に流れる解放の炎ではない
私は女、私はおのれの感情に我を忘れた女
私の歌が意味するのは優しさの痛み
アフラ―・マズダの末裔、アーリアの春の生まれ
ミトラ、ミフル、アナ―ヒターの地が私の祖国
私は女、私の身体の隅々まで神の偉大な創造物
私は神々の顔、英雄アーラシュ、ロスタムの魂
自由よ!
自由よ!
私の全存在はあなた
私はあなたを愛している
私はあなたに叫ぶ
あなたは神聖なるもの
愛すべきもの
自由よ!
自由よ!
私の生きるすべての瞬間はあなたと混じり合う
パミールの崇高な月よ
ヒンドゥークシュの勇敢な息子よ
誇り高き世代の気高さよ
クールカーンの緑なす岡の栄光よ
私の今日への、明日への希望よ

繰り返し言おう、私はあなたを愛している
自由よ!
自由よ!
あなたの名は美しいから
自由よ!
自由よ!



*ペルシア文学に古くから伝わる、アルメニアの王女シーリ
ーンと、彼女のために献身的な愛を注いだ石工ファルハード
の悲恋物語への暗示。

※ファルフンダ・シュウラ
1991年 アフガニスタン北東部タハール州
チャハーブ出身。詩人・作家。
文学者・知識人の家庭に生まれ育つ。
2012年カブール大学卒業後、新聞等のメディアで
執筆活動を行う。(略霊・中村菜穂)
※「フラジャイル」第19号に掲載 制作・編集 柴田望
発行所 フラジャイル党 tao81nozomushibata@gmail.com
同誌第19号では、2023年8月24日に『詩の檻はない』
出版記念が北海道旭川まちなかぶんか小屋で開催された様子
も記録されています。ソマイアさんの呼びかけに真摯に応えた
柴田望さんが、アフガニスタン女性詩人たちの自由を求める
切実な叫びを伝えてくださいました。






『徳弘康代詩集 彙戯igi』

出入口管理所

何列も長い行列ができていて
後ろのほうは列もわからないほどの
人だかりになっていた
少しだけ人が少なそうなところの
後ろに並んで少しずつ進んでいくと
隣の列と自分の列が前で一つになっていて
二列が一列になるのでなかなか進まない
前のほうに窓口がやっと見えてきて
自分の番が来て窓口に行くと
整理券を見せてくださいと言われ
ないというと  整理券がない人は隣の窓口です
と言われたので 隣の窓口の長い列の一番後ろに
並びなおした 列の一番前まできて 窓口に行くと
記入した申込書を見せてくださいと言われ
ないというと 申込書は入口にありますと言われ
入口に行くと赤と青と黒と緑の申込書があったので
とりあえず全部持って並びなおしたところで
受付時間が終わった
出入口管理所の外に出ると通りに店が並んでいて
「代筆」「代行」の看板がいくつもあった
どの紙にどう書いたらいいのか分からなかったので
「代筆屋」へ行くと入口に「代筆一件一万円」
と書いてあった 高いけれど何とか払えるので相談すると
青い紙だという 青い紙に記入してもらって一万円払って
次の日 また並んで青い紙を窓口に見せると
ここに書いてあることが事実だと証明するものが
必要だと言われた 書いてあること全部の証明を
どうすればいいか分からなくて困っていると
窓口の人が外の「代行屋」に頼んだらどうかと言ったので
「代行屋」へ行った 「代筆屋」も「代行屋」も
出入口管理所を退職した元職員がやっているらしい
「代行屋」へ行くと入口に「代行一件三万円」とあった
ここまで来たのだからと思い クレジットカードで支払うと
全部事実だと一括証明する証明書が発行された
証明書を持って窓口に行くと
申込みを受け付けましたと言われた
結果はいつ分かりますかと聞くと
混んでいるのでいつになるか分かりませんと言われた
平均でどのぐらいですかと聞くと
早い人で三か月 遅ければ一年以上かかる場合もある
と言われた ただ、それは結果が出るということだけで
向こう側に出られるということではないと言われた
ふと 奥を見るとドアがあって今まさに
そこに入っていった人がいた
あのドアは何ですかと窓口の人に聞くと
あそこは結果が出た人の待合室ですと答えた
あの待合室の向うに出入口がありますかと聞くと
待合室の出入口はその扉だけですと言われた


まるでカフカの「城」のような不条理性に満ちた「出入口管理所」です。
永遠に出入口にたどりつけない管理所。これは、カフカのような現代の
不条理性を表しているともいえますが、日本の「出入国管理局」の非人
道性を強烈に風刺していると考えられます。
名古屋の入管管理局で、ウシュマ・サンダマリさんが死に追いやられた
事件もこうして入管管理局の内部でたらいまわしされた挙句のむごい
事態だったのでしょう。日本は難民受け入れが非常に厳しく排他的です。
その結果、移民を含めた総人口も減り、衰退するばかり。
このような日本社会の問題点を普遍的な詩にした徳弘さんの力量に
敬服しました。

詩「Iクリニックのこと」では、「伊勢佐木町のはずれにあった Iクリニック
は 半年に百二十もの中絶胎児を 一般ごみとして捨てたことから 院長
は逮捕され クリニックは廃業になり 看板も外されて 今は もうあとかた
もない」と伊勢佐木町で暮らす保険加入もできずに生活した人々が置かれた
状況を記録しています。

全体は三部に分かれ、二部には「ダーウィンのための復習」など思考の原理
を深め、三部は、「会話」など家族や家の思い出が書かれています。
それらは相互に関わり合い、浸透し、作者の濃密な人生を表しています。
(金雀枝舎2000円+税)






『姜湖宙詩集 湖へ』

瞬き


秋への移行は着実に進んで行くのに、
私の胸痛は消失の気配を見せない。
ポール・オースターの『Ghosts(幽霊たち)』を読み終えて、
夜の冷たい食卓で一人歌を聴く。
子供の咳の音、鼻水を啜る音、
突如止まる激しい鼾。
その歌を聴きながら、
私は今日怒り過ぎたと思う。
彼が二回怒ったのに対して、私は七回も怒ったのだ。
どれもこれも・・・・

尹東柱(ユンドンジュ)や金素月(キムソウォル)のような詩は、私には書けない。
それは、時代や第一言語の違いのせいだけじゃなく。

ポール・オースターが偉大な作家だと思ったのは、
昨晩の湯船の中でだった。
その日の内に、本棚から埃を被った『Ghosts(幽霊たち)』を取り出した。

今朝、
ささやかな集まりがあって、
私は眠剤の抜けきらない身体で自転車を漕いだ。
パキパキ、どんぐりがタイヤに踏まれて音を出す。
竣(ジュン)に知らせてやらないとな、と思った。
もう中央公園にはどんぐりがいっぱい落ちているよ。
ひろいに行こうよ。

いつから、彼は喜んでどんぐりを拾わなくなるだろうか?

きゅうっと胸が締め付けられて、
私は一時停止を余儀なくされる。
早く時間が経つことを祈る。
すうーっと息を吸って。

◆作者の姜湖宙さんは、1996年ソウル生まれで、2003年に日本に
来て、現在、日本で暮らしています。自己認識に多くの面から光が
当てられていて、既成概念をゆるがす豊富な内容に驚きます。
しかも、若者の持ついらだちや悩みが率直に表出されています。

詩「ベルリン」では、「私は韓国人だが、六歳から日本で育ったと説明した」
「この説明はいちいち面倒だったし、くだらないように思えて来たので」
「私は韓国人だ、とだけ言うようにした」という自己をめぐる他者の認識
や外部の規定とのずれが描かれています。しかも、「ベルリン」でという
多国籍、多民族の学生が集う街でのできごとです。「スペイン人のホア
ンと、セネガル人のジミーとフレディが居た」と、地球的に人々は出会い
ますが、それぞれの困難や理解しづらい違いを抱えています。

「尹東柱や金素月のような詩は、私には書けない」私に書けるものを渇望
する姿勢。その率直さや自己の複層性への鋭い眼差しはたいへん貴重です。
オースターのような複層性、入れ子状の物語の創作も向いているかもしれません。
詩「坂と歌」はロックのように、かっこよく、歌になっています。

詩「約束」の「母親になんて、なりたくなかった」「子供にどのような教育を受け
させたいか/あるいは/どのように育てたいか/今でもやっぱり、このような
問いは嫌いだ」とのすなおな気持ちは学歴社会の日韓では切実なものでしょう。

「私は知っていた。/越境の意味を、故国でないところで死ぬ私達を。」
「白雲湖水/余呉湖/帰りたいと思うところ/いつも根底にあるイメージ」
(「湖へ」)は、根底にあるイメージを求め続けるのは詩です。

現代の自己存在への問い、朝鮮と日本の歴史と文学への思い、
母であることの違和感と愛、テーマがたいへん刺激的で世界性があります。
方法的にも今後期待される芽が多数見られ、期待される新人です。

(書肆ブン 本体2000円+税)








『杉本真維子詩集 皆神山』

書評・詩でしか表せない本質


本詩集の「詩でしか在りえないもの」(帯文)は、抒情で
はなく、きわめて哲学的だ。しかも、直観と身体でとらえた
なまなましい本質なのだ。
冒頭の詩「しじみ」から度肝を抜く。

しじみ、と思ったら、/自分の目が映っていた、/具のな
いみそしるを一口のんで、/両目を綴る、あじは、おれの
刑期にふさわしく、/ざりり、と音までしやがった、

「おれの刑期にふさわしく」で、私はカミュの「シーシュ
ポスの神話」を不意に連想した。神に背いて、永遠の刑罰を
受ける人間。果てしなく続く無意味な労働と刑罰。「しじみ、
と思ったら、/自分の目が映っていた」というわびしさと滑
稽さに通じる。「ざりり、と音までしやがった」との聴覚的把
握が秀逸である。視線にさえおそろしいものを感じる自覚が
聖性につながる。「こうやって気ままに眺めているわたした
ちの視線が、/おそろしいものの視線なんだよ。)」。

また、「壁越しに、小便の音だけがしみている」の詩句は、
情緒ではなく、実存の音なのだ。身体からの言葉、それも
「亡霊はわたしにむかって放屁して」(「黄色くなった」)な
どの卓抜な詩句を書ける詩人がほかにいるだろうか。官能の
次元ではなく、生理が此岸彼岸を超える想像力に至っている。
ユーモアも漂わせて。

「しじみ」といえば、石垣りんの詩「シジミ」が有名だが、
杉本真維子の詩「しじみ」は、さらに奥深い。詩「シジミ」br
も人間の欲深さ、罪深さをえぐる。皆食い、皆殺しを犯し、
「鬼ババの笑い」を笑うしかない業の逃れ難さが刻まれる。
だが、石垣りんが庶民の暮らしの視線だとすると、杉本の視
座はもっと底にある。はずれものの視座だ。「侮辱され、/全
うする、」「便器にぶつけてあとかたもない」は反語ではない。
私たちの存在認識だ。

人間そのものも生き物のはずれものである。毛のものであ
る。毛のもののはずれものだ。詩集名は「皆神山」だが、各
詩の題名には、「肉屋」、「どうぶつビスケット」、「毛のもの」
など肉と毛をもつ身からの言葉が並ぶ。人間も異様な存在だ。

撫でている空気のはしをつまんで/縦にゆっくりと飲んで
いく/棒になれ、竿になれ、/縄になれ、/無理難題をい
われ/生まれ出てきた/わたしは、にんげん、といいます
/仲良くできますか           (「えにし」)

昨今の流行語「親ガチャ」ではないが、人間は自己認識が
あるが、あらかじめ「棒になれ、竿になれ」と社会的に既定
される。その不条理性は現代文明が崩壊しつつある現在、ま
すますあらわになっている。宇宙を見ても無理難題を押し付
けられた生き物の鳴き声が聞こえる。「耳を澄ますと、聞こ
えてくる/うまれたての精子のような/天の川の攻防の点滅
が、/びりびりとおのれの口をやぶって、/血まみれで鳴く
声がする」。天の川に攻防を繰り返す精子たちを透視するの
は実に鮮烈な認識だ。宇宙の根源にある原罪まで思わせる。

本詩集には、社会的な側面も表されている。詩「皆神山の
こと」では、長野県の皆神山に敗戦まえ設営された「松代大
本営跡」を見学し、「強制労働のころ、一本の丸太を枕に、並
んで眠らされた/朝は、丸太の端を、一度打たれて/一斉に
叩き起こされた/やはり、片手落ち、と言われた」と終連で
述べられている。一連では、「近親の死を/片手落ち、と言わ
れたことがある」と書く。朝鮮人も強制労働させられた歴史
を踏まえながら、「近親の死」に対する確執を描くことで、社
会と自分を複数の面から洞察させる。

詩「FUKUSHIMA、イバルナ」では、第一行目に「故郷な
し、わたくしは祖国なし、」と宣言する。「ばらけた束を、撫で
る手が汚い」と、絆への不信感をつのらせる。福島の殴打され
た歴史と現在を見ずに、愚かな糸でつなごうとする無自覚な者
たちへの怒りをかくさない。「死の筋肉でねじふせる庇護のく
らさ/そんな死者のあなたがどうして/弱い者の/はずがあろ
うか」と、死者を絶対視することへの抵抗をあきらかにする。
勇気が要る認識だ。死者を奉り、威厳を持たせることにより、
国家や自分の威厳を引き出す作為への鋭い問いだ。最後に「イ
バルナ、/わたくし」と戒めは自分に還ってくる。

二〇二二年十二月二日に開かれた第七回日韓詩人交流会に
おいて、杉本は、随想「気候変動と詩――川崎洋の詩に導か
れて」を発表し、「詩の力とは理屈や感情を超越して物事の本
質のようなものを心に届けることだ、と私は信じています」
と詩への信念を語った。理屈や感情をも超越した「物事の本
質のようなもの」をつかもうとする熱情はどこから来るのか。
神山の獣臭が立ちこめる本詩集が、詩を生きるとは、深く生
きることだと知らしめる。底知れぬ生をたどり、完璧に死の
うとする熱意が詩を激しく求めさせる。「わたしに未来はない
と/ぼけ、に伝言し、/命がけの玉を、夜空にうつした、」
(「ぼけ」)魅力的な飛躍と言葉の研磨が独特の美を放つ。
神なき時代の「皆神山」である。皆神であり、皆毛のものな
のである。驚くべきは、杉本真維子が発見した「神」だという
ことだ。単なるアニミズムや汎神論ではない。

現代詩は、神が死んだ時代に、自分の神を求める行為であ
ったとも言えよう。現代詩が成立する根本にこの矛盾と葛藤
の情熱が潜在する。孤独な問い「わたしが何かしたか。」を
抱き、杉本真維子は現代詩の未到の領域を歩む。

(思潮社2400円+税 装幀・水戸部 功)
(金堀則夫氏編集発行「交野が原」95号掲載)










『麻生直子詩集 足形のレリーフ』

「いのちの足跡」を表す詩集

南茅部の大船遺跡から発掘された
四、五歳児サイズの足形のレリーフ
息絶えたおさな児を抱いて
まめつぶほどの足指をくぼませ 涙をたたえ
やわらかな踵をくぼませ 頬を伝う涙

早逝の児の足形見を萱草の柱に結わえ
祈りとともに暮らした家族たち
縄文の屋根の下の仄かないろり火
父や母の死の旅路にはそのレリーフが添えられたという

きのう
わたしはベッドに横たわる母の足をさすっていた
踵から膝まで 赤紫に鬱血して腫れあがり
医師が告げる九十五歳の静脈のもろさ
患う母を置き去りにして帰途の旅は冥く
ぬけられない時空の部屋から
おびただしく
おびただしくこぼれていくいのちの足跡
(「足形のレリーフ」部分)





詩集『足形のレリーフ』は、第40回(2
007年)日本詩人クラブ賞を受賞している。
それまでの詩集を踏まえながら、一段と普遍
的に高められ、いのちと鎮魂の形を鮮やかに
表現した作品集となっている。

「T レリーフ」では、死者たちの肉体と
魂の跡を刻みつけ、伝えることの大切さが染
みてくる。「おびただしくこぼれていくいの
ちの足跡」を記そうとする行為は麻生直子の
詩的営為の根本をなしている。縄文時代から
自然の脅威に見舞われ、家族を失う悲しみに
遭い、亡くした子の足形をいとおしみ、死出
の旅路に一緒に伴う。いのちの此岸彼岸をこ
えた循環的な歩みを想起させる。
母の足をさすることは、その人のぬくみと
労苦を手のひらに刻むことであろう。

「U 津波忌」では、麻生直子の生まれた
北海道・奥尻島が受けた甚大な地震津波被災
の傷を思いやり、後の東日本大震災への予言
ともなっている。地震国・日本の悲しみは尽きない。

「V 漂流期」では、津波で漂流し続ける
者、南に漂流する者、また北に漂流してきた
者たちと、人々がただよい行き交う現代の生
のありようを多角的にみつめ、未来を探す。
「聴きたかったのは/海辺で発見されたわた
しの未来の係累/リストに該当しない水死体
なのではなく/あなたたちの行方だ」(「漂流
記 青い苗」部分)。

詩「水守りの毒矢」では、魚を追う男たち
がやってきて、赤ん坊が生まれた歴史を鋭く
描く。「むかしこの北の浜街道一帯は/春に
なると魚を追う男衆がわんさとやってきて/
かれらが国に帰ってしまうと/やがて雪に覆
われた村のあちこちで出産ブームが起きたそ
うです」漂流による女性たちの受難と出産の
歴史は現在も続いている。「トリカブトの鮮
烈な蒼紫が毒矢のように群生している」と
は、女性たちの毒矢のような言葉が群生して
いるとも解読できる。麻生直子は重要な評論
集『現代女性詩人論―時代を駆ける女性たち』
を刊行し、労作『女性たちの現代詩―日本1
00人選詩集』も編集執筆した。
詩「円空を抱くひと」の次の詩句は未来に
むけて人々を励まし続けるだろう。



祈りとは何か
祈りとは 救済の言葉にあらず
声をあげよ 声をあげよ つむじ風

(「潮流詩派」掲載)








『香山末子の詩』

二〇二三年二月から五月に、国立ハンセン病資料館で企画展
『ハンセン病文学の新生面『いのちの芽』の詩人たち』が
開催された。

ハンセン病詩の発展に大きな貢献を果たした大江満雄が
編んだ詩選集『いのちの芽』も復刊された。戦後のハンセン
病詩人が開花する契機となった。だが、女性の詩人が少な
いのが気になる。どんな理由が潜んでいるのだろう。
谺雄二の自伝を読むと母親が罹患したことが書かれている
から、女性でも発病したが、全世界的に男性の方が罹患率は
高いらしい。

ハンセン病の発覚が徴兵検査によっていて、国民健民、健兵の
観点から男性が識別、隔離収容されたという面もある。
「そもそも徴兵検査は、明治新政府の健民・健兵思想に基づ
いて、ハンセン病など疾病を発見することを目的として始まった」
(田中綾『非国民文学論』)という。

また、一般的に戦後でさえ、すぐには女性の表現活動が
できなかったという事情もある。

韓国生まれの香山末子(かやま・すえこ)本名・金マルチャも
五十歳近くになってから詩作を始めた。九二二年韓国に生まれ、
四一年三月渡日。四四年発病。四五年十二月群馬
栗生楽泉園入園。楽泉園の高野桑子医師に勧められ詩を作り、
講師の村松武司と出会い、詩集を数冊出すなどハンセン病在日
韓国女性詩人として稀有な存在になった。九六年死去。

純朴な気持ちを簡潔な言葉で表し、鮮やかなイメージに
結晶させた才能は今でも注目される。詩「手に太陽」は、
病で眼を失い、手足が不自由になったがゆえに、いとおしい
日光を繊細に描いた名作である。


手に太陽

手に太陽をいっぱい
光ってまぶしい
指の間から膝に落ち座布団に落ち畳に落ちて
上からだんだん落ちていった太陽
畳の目の間から太陽が光って
細かく壊れて
また光る

そんな太陽
いつ見たか忘れたな


韓国への望郷を生涯持ち続け、子どもたち
とも離され、日本で生きる寂しさと違和感を
吐露している。病で視力を失っても韓国の田
舎の風景が「いい想い出」としていつも浮か
んできたのだろう。


油のように

私の国 韓国にはいい想い出がいっぱい
私の育った田舎の風景が広がっている
好きで 好きで
愛して愛しつづけても
想い出の国 韓国

一瞬 忘れて
日本人と一緒になって
笑って怒ってすましていて
ときどき韓国人に戻る
水の上の油のように
丸く固くなっている
(詩集『エプロンのうた』二〇〇二年皓星社より引用)










『チベット女性詩集』

チベット女性詩集
現代チベットを代表する7人・27選
海老原志穂 編訳 段々社発行

私に近寄るな
  ホワモ  海老原志穂訳



私に近寄るな
私は甘露ではない
私は欲望ではない
光り輝く真珠 それは私ではない
甘やかな唇 それは私ではない

私に近寄るな
私は春の輝きではない
私は享楽ではない 
いきいきとした青春 それは私ではない
甘く酔いしれる愛情 それは私ではない

私に近寄るな
私は黒炭だ
私は毒ガスだ
熱を失った仮面 それは私だ
涙あふれるひとりぼっちの部屋 それは私だ

私に近寄るな
病は私だ
罪は私だ
愛のない冷たい石 それは私だ
憐みのない殺人者 それは私だ

私に近寄るな
私は棘だ
私は誘惑だ
苦しみに向かう生活 それは私だ
傷をつけるナイフ それは私だ

私に近寄るな
私は束縛だ
私は監獄だ
罠にかかった小鳥 それは私だ
方角を見失った凧 それは私だ

私に近寄ることは金輪際ゆるさない
私は誰のものでもない

*甘露、欲望、甘やかな唇……これらの文言はいずれも、チベット詩の中で
女性に対する比喩とした語られてきたものである。男性の視点から理想の女性
を形容したこれらの表現を否定することにより、作者は自身が受け身の存在で
あることを拒絶し、最後には「私は誰にも属していない」と宣言している。
(翻訳者注記)



本書は、現代チベットを代表する女性詩人たち7名による27篇の詩を、
チベット語から翻訳した、本邦初の日本語訳詩選集です。
訳者の海老原志穂さんが2009年にインドの亡命チベット人たちが
暮らす拠点ダラムサラで、ゾンシュクキ詩人とその夫に出会い、彼女の
詩「やむことのない流れ」を知りました。亡命チベット人とは、1959年
以来、中華人民共和国と自治権や独立性で対立し、インドに亡命
したダライ・ラマ14世が創設したチベット亡命政府を中心として、亡命
生活を送る人々と考えられます。つまり、女性としてだけではなく、
社会文化や言語においても自立性を獲得し、保持することが大変な
状況でしょう。

その困難な歴史においても、ホワモが詩の創作を通してフェミニズム
運動を開始し、文学作品出版によりチベットの女性の地位が向上し、
女性の身体を直接的に救う運動にまで発展したのです。コラムには
「フェミニズム運動は詩からはじまった」という驚くべき事実も
明かされています。

ホワモの詩は、女性に押し付けられた価値観を見事に浮き彫りにして、
いかに女性が生きにくくさせられているか、はっきり示しています。
男性の欲望の対象であり、下位に置かれ、言葉もいえず、仮面を付
けさせられ、家の監獄に閉じこめられていました。
男性と伝統社会の束縛と抑圧をきっぱり拒絶し、「私に近寄るな」とまで
言い切ります。勇気ある詩は、世界的に普遍性をもつすばらしい作品です。

詩「やむことのない流れ」を書いたゾンシュクキは、「この世の平穏と日々
の暮らしのため/大地の潤いと輝きのため/私は遠くへ旅立つことに名乗り
をあげ/この赤い血さえもためらうことなく差し出し/流れていく
たった 一秒すらも惜しんで/私は 持てるすべてをもみなに捧げよう」
とインドに亡命する前の故郷への感謝と、亡命への強い意志を歌い上げました。
ゾンシュクキは、1974年、中国青海省貴南県生まれで、十代の終わりから
百編以上の詩を発表し、2002年に家族と共にインドに亡命し、現在は
オーストラリアに在住しています

デキ・ドルマの連作詩「妊婦の記録」は、妊娠から誕生までの九カ月の
自分の心身の変化、胎児の成長、夫の様子などを赤裸々に描いています。
「母の記録」も子どもが産声をあげてから、一年目にひとりで何歩か
歩き出すまでの記録で、著しい成長ぶりへのうれしさを率直に書き、
広い共感を得るでしょう。「草原の愛」では、「化学物質に汚染され、
よどんだ大気」など現代文明への批判も見られます。

オジュクキの詩「輪廻の穴の底」の「外で風が吹き荒れていても/
心の内に向かっていくチベット人たちは/ゆっくりと安定を取り戻す」
には仏教的な伝統詩想も感じられます。

三浦順子さん(チベット関連の翻訳家)のコラムでは、「チベット仏教界と
女性」が説かれ、男性僧侶に比べ、劣悪な地位に置かれてきた女性僧侶も
声をあげ始め、新たな一歩を踏み出したそうです。

他の詩人たちトクセー・ラモ、カワ・ラモ、チメも
それぞれの個性を打ち出し、魅力的です。
とにかくホワモさんの詩「私に近づくな」海老原志穂さんのコラム
「フェミニズム運動は詩からはじまった」には驚きました。
海老原さんの伸びやかで力強く明確な訳が感動を倍化させています。

世界中で、MeToo運動が広がり、女性が不当に下位に置かれ、
心身も脅かされ、不自由であることが明らかになっています。
さらに、現在は、政治的軍事的な対立が増し、表現の自由が
狭めれていく圧力が生じています。
そのような中で、勇気と生命力を独特の表現で発信している
チベット女性詩人たちの詩をぜひ読んでほしいです。

藏西さんの美しい表紙カバー絵と挿画も華やかさを加えています。
長い間、「現代アジアの女性作家秀作シリーズ」、アジア作家の
翻訳出版を続けてこられた段々社の坂井正子さんにも敬意を
表します。

※編訳者・海老原志穂 1979年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修了。
博士(文学)。現在、チベット文学、チベット語方言を研究。共訳著に『チベット幻想奇譚』
(春陽堂書店)、『ダライ・ラマ六世恋愛詩集』(岩波書店)、著書に
『アムド・チベット語文法』(ひつじ書房)など。


(発行段々社 2200円)







『高良留美子全詩』書評・交野が原94号

危機の時代に希望を求めて

かれらは自分たちの未来に
近づいてくる危機を予感していた。
そのときにこそ否というために
かれらはこの時代の無を生きたのだ
かれらは陽気な廃墟から生まれた
はじめての人間だったから。
(「新しい時代」部分)

二〇二一年十二月十二日に高良留美子さんは惜しくも八十八
歳で亡くなった。一周忌の四日後に『高良留美子全詩 上・下』
(土曜美術社出版販売)が刊行された。高良さん自身が、痛み
や病気に耐えながら、全作品を再編集し、改訂を重ねた二巻は
詩史的に重要な作品がぎっしり詰まって壮観である。『全詩』の
構想と進捗具合を電話などでたびたび伺っていた私は、突然の
逝去で、刊行できるか心配していたが、画家である長女の竹内
美穂子氏が遺志を継ぎ、美しい装画を施し、苦労を経て成し遂
げた。三四ページにわたる自筆年譜を書き残していたことを美
穂子氏が発見したことも、『全詩』刊行の意義を一層高めた。

二三歳の時、東南アジア経由でフランスに留学したことは、
アジア人としての自己認識を強め、初期未刊詩篇からすでに明
らかにされていて驚く。

わたしは左へ行きたいのに、ひとはわたしを右へ連れてい
く、車でひと思いに。だから何も見るひまなんかない。わた
しが見たいのは果物の腐った匂いと鬼の子みたいな裸の子ど
もたちなのに、ひとがわたしを連れて行くのは広い並木道と
刈りこんだ芝生のある立派な館だ。(中略) 
わたしが見たかったものはまるでなかったことになってし
まう。船室の窓から離れていく港を眺めながら、わたしは考
えてしまう。それはほんとうになかったのだろうか。
(「コロンボにて」部分)

詩「コロンボにて」は、『全詩』が初出である。現在は、破綻し
た国家となっているスリランカの苦境を早くも知ろうとした。さ
らに、アフリカの「ジブチにて」を書いている。終行は「植民地、
それは言葉以上のなにものかだ。」で、世界的な批評性を持って
いた。

第13回H氏賞受賞詩集『場所』は、叙物詩の極北ともいえる
作品集だ。特に、詩「場所」は、六〇年日米安保闘争の挫折を
悲嘆の抒情ではなく、また観念の羅列でもなく、本質を理知的
に問う方法で描いた名作だ。「そしてわれわれの存在の欠如だ/
この空間を見よ それを注意してしらべよ」と欠如の自覚と、
歴史の省察を目指す。サルトルの実存主義の存在論、ポンジュ
の物の言葉を受容しながら、日本の抒情的風土にいかに新しい叙
物詩、叙事詩を創り出すかは大きな課題だった。

詩集『しらかしの森』は、歴史を発掘する転換点であり、部
落を表した「浅香讃歌の」は特に記念すべき作品だ。「わたしは
この部落を訪れた一人の旅人にすぎない/だがいま 大和川の
岸辺に立つとき/なにかがわたしに 語れとうながす/おまえ
の存在はここにある」(「浅香讃歌の」部分)

高良のもう一つの方法的特徴は、新しいリズムと形式の採用
である。第6回現代詩人賞受賞詩集『仮面の声』の巻頭詩、「海
のなかにいる母のように」などリフレインを活用した詩法も多く、
歌唱された場合もたくさん見られる。

海のなかに 母はいるのか
母のなかに 海はあるのか
わたしの心が
もっと広くて 深いといい……
(「海のなかにいる母のように」部分)

女性の解放、母との相克を含めた女性の生き方の問題も主要な
テーマだった。第9回丸山豊記念現代詩賞受賞詩集『風の夜』は、
母・高良とみの死が色濃く反映されている。「骨壺を抱いたとき
/母を抱いた とわたしは思った}(「母を抱く」部分)

高良留美子の母、高良とみは、最初の女性参議院議員であり、
米国で博士号を取った教育心理学者で、業績の偉大さは言うまでもない。
とみは、国交のないソ連や新中国に行き、超人的活躍を果たした。
留美子の自筆年譜にも記載されている。誇りを持つ一方で、母への不満
と葛藤を抱えていた。戦争に巻き込まれたとみへの批判と擁護
もあろう。しかし、単なる母娘の葛藤にとどまらず、現代日本
の女性が抱えざるをえなかった困難でもある。困難は、男性中
心の文明社会の行き詰まりとして今、顕在化している。

最後の第十詩集『その声はいまも』では、「月女神を探せ」と
いう詩が収められた。「ゼウスのような殺し屋でないことはたし
かです。月女神が雷鳴と交わり、大地が天空とまぐわって童子
姿の植物神・穀霊を産む・・・湛は月の女神殺しが起こる前の、
原初の神話的時間を再現する舞台なのです。」と月女神を渇望
する。生前最後に五三四頁の大冊評論集『見出された縄文の母
系制と月の文化』(言叢社)を著した偉業にも圧倒される。

高橋綾子氏は『アンビエンス―人新世の環境詩学』(思潮社)
で女性解放だけではなく、地球環境全体へのエコフェミニズム
の先駆者として評価している。「高良の確立したかった「自然
と人間を通底する思想」は、人間が地球全体に対して背負うべ
き環境正義的責任を果たしていくために不可欠となる新しい世
界に対する認識と言えるのではないだろうか」。

本稿冒頭に引用した詩は、「初期詩編」にふくまれている。
「近づいてくる危機を予感し」「そのときにこそ否というため
に」とは、まさに今が「そのとき」ではないだろうか。戦争と
環境危機への先見性と、希望を追求した全過程を具現した『全
詩』は未来への道標として世界的に読み継がれるだろう。




『高良留美子全詩』書評・現代詩手帖3月号

歴史と世界への長い旅 『高良留美子全詩 上・下』

   佐川亜紀


わたしは 長旅をおもわせる
その疵あとをじっと見つめる
するとおまえが育った
果樹園の様子がよみがえる
(「梨」部分 一九五二年九月作)


二〇二二年十二月十六日、高良留美子の一周忌に合わせて『高良留美子全詩 上・
下』(土曜美術社出版販売)が刊行された。長女で画家の竹内栄美子氏の尽力もあり、
美穂子氏の手による装画も美しい二巻全集だ。

痛みや病気に耐えながら高良自ら全作品を編集し、改訂を施した本書の存在感に圧倒
的される。『場所』(第十三回H氏賞)、『仮面の声』(第六回現代詩人賞)、『風の夜』(
第九回丸山豊記念現代詩賞)など単行詩集全十冊と未刊詩篇を収録する。三十四ペー
ジにわたる自筆年譜では、二十三歳でフランスに留学し、世界を回ってアジア人とし
ての自己認識を深めながら、旺盛な創作・批評活動を展開し、文学運動にも積極的に
参加した稀有な人生が詳らかにされている。

冒頭の引用詩は、『全詩 上』巻頭、十九歳時の未刊詩編だ。傷ついた梨を凝視し、
想像を馳せ、「ひとりの妊婦」の孤立を表す。中期の代表作「産む」や「コインロッカー
の闇」の萌芽を感じさせる。女性の苦難からの解放は生涯の主題だった。八年後に書
かれた詩「場所」では、旧来の抒情を超えて直観を深める独自の方法を獲得している。
六〇年日米安保闘争の挫折を描きながら、存在の本質に迫る画期的な名作だ。「そし
てわれわれの存在の欠如だ/この空間を見よ それを注意してしらべよ」と歴史認識
の欠如を自覚するよう促した。

歴史の掘り起こしは、部落を書いた力作「浅香讃歌の」といった作品に結実してい
る。方法としてシュルレアリスムとドキュメンタリーの融合を発展させ続けた。自然
の回復、母系制の文化の復権についての論考も多い。縄文から未来まで見渡す時間の
旅、地球をめぐる旅が合わさり豊穣な詩業を成し遂げた。また、インドのタゴール、
アフリカのマジシ・クネーネ、在日女性詩人・宗秋月など、アジア・アラブ・アフリ
カの文化を受容し、紹介した先見性も計り知れない。

高橋綾子『アンビエンスー人新世の環境詩学』(思潮社)では、エコフェミニストの
先駆者として評価されている。『全詩』を読むと、敗戦後、著者が詩人
として、女性として何を克服しようとし、何を希望としたかが伝わってくる。第十詩
集『その声はいまも』の中に「戦争のなかで生まれて」という作品がある。
戦争の危機が高まる現在、高良留美子が求めた「いのちの旅」、
希望への長い旅は終わらない。
(土曜美術社出版販売 各5500円)








阿部はるみ詩集『からすのえんどう』

リンデンバウム

般若心経を唱えるのが
このごろの朝の習慣(ならい)
考えないこと
いっとき 空(から)の器になることが心地よい
唱えながら意味を追おうとすると
つっかえる
菩提樹の木の下で
お釈迦様は悟りをひらいたといわれるが
ヨーロッパの街路樹
菩提樹(リンデンバウム)は
インドの菩提樹とは違うらしい
六月には
うす黄色の小さな花房が
びっしり垂れるという

土曜の朝
ドイツ ヴェルニゲローデ少年少女合唱団の
澄みわたる声の
ボリュームを少し上げる

泉のほとりに
菩提樹は茂って――
重い荷を下ろして木の下で憩う
いっときの永遠
すると
シューベルトの旋律は明るくおわる
どこであろうと
わたしのいない場所はなつかしい


※第29回丸山薫賞を受賞された阿部はるみ詩集『からすのえんどう』は、
時間と空間が自由に入り混じり、思わぬ場所に連れて行ってくれるのが
魅力的です。毎朝の日課になっている般若心経から、釈迦が悟りをひらいた
インドの菩提樹、さらにヨーロッパの街路樹へ、ドイツの少年少女合唱団
へ、シューベルトの旋律と般若心経の取り合わせが意外でおもしろいです。

読経は重く厳かな韻律ですが、シューベルトの旋律が明るく、二重の旋律
が響きます。「どこであろうと/わたしのいない場所はなつかしい」は、
終わり方の見事さが光ります。空間的な不在と、死をむかえる不在の
二重性。空間と時間の二重の不在。「なつかしい」という達観が、自己を
客観的に見て、ユーモアすら感じさせます。霊魂になった自分が見下ろして
いるような場面ともとれます。軽みにひそむユーモアが非常に巧みです。

「輪ゴムが/路上に落ちている/三日前と同じところに/輪ゴムは/可燃物
として分別される/同じなかまだ/人もまた」(「からすのえんどう」)の即物
性と、「死は二人称とか」の興味深い発見が際立ちます。死や別れもどこか
自分をつきはなして、客観的に見る、そこに生まれる軽み、軽やかな笑いが
とても粋な詩集です。

豊橋市は、「文化のまち」づくりとして丸山薫顕彰事業を実施し続け、敬服
いたします。私も授賞式に参加し、お祝いの言葉を申し上げました。
その後、愛知大学のご厚意で、丸山薫ゆかりの記念展示と詩碑をめぐり、
安智史先生にいろいろご教示いただきました。





「高良留美子の詩における女性と戦争」

日本社会文学会・関東甲信越ブロックオンライン9月例会(2022年9月17日)
「高良留美子さんを偲ぶ会」
「高良留美子の詩における女性と戦争」       発表者 佐川亜紀

1,女性と「海」の表象

・高良留美子の中心的テーマは女性であり、生命であり、「海」による表象化が多い。
生命を産む「海」「女性」。エコフェミニズムの象徴として、月と海と女性の関係を
表現している。しかし、予定調和的な一体化ではなく、現代の分裂と破壊を認識し、
未来に再生を望む。
・表現方法として、@イメージ形式(モダニズム、シュルレアリスム的)例・作品「海鳴り」、
A歌形式(詩行対応、「歌と逆に歌へ」)例・作品「海のなかにいる母のように」
B叙事詩形式(歴史と現代文明への批評)例・作品「産む」が特徴として挙げられる。
初期に@が多くみられ、モダニズムの克服として中期からBを重視した。だが、@から
Bの要素が、複合的に全期にわたって展開された。


海鳴り
(詩集『見えない地面の上で』1970年刊)

ふたつの乳房に
静かに漲(みなぎ)ってくるものがあるとき
わたしは遠くに
かすかな海鳴りの音を聴く

月の力に引き寄せられて
地球の裏側から満ちてくる海
その繰り返す波に
わたしの砂地は洗われつづける

そうやって いつまでも
わたしは待つ
夫や子どもたちが駈けてきて
世界の夢の渚で遊ぶのを


※女性を母、自然、宇宙の中に調和的に位置づけたいとする代表作。
「母」である肉体、特に(授乳中の)乳房に「海鳴りの音を聞く」。
自然のうちに生きる命。海は月の力に引き寄せられて、満潮干潮をくりかえす。
そのリズムは、女性の生理につながり、宇宙のリズムによって、
「わたしの砂地は洗われつづける」。「砂地」は、乾いた文明の比喩とも捉えられる。
「いつまでも/わたしは待つ」未来に向かう詩である。現実は、汚れ渇いた世界で、
「世界の夢の渚で」「夫も子どもたち」もまだ遊んではいない。
ここに世界に対する批評性があり、現実の困難を暗示して、現代詩となっている。
「乳房」「海」「月」「地球」「夫」「子ども」「砂地」などイメージ性、
映像を重視した作品である。
次の「海のなかにいる母のように」は、リズム豊かに展開した代表作である。



海のなかにいる母のように
(詩集『仮面の声』1987年。第6回現代詩人賞)

わたしの心が
もっと広くて 深いといい
海のように 海のなかにいる母のように
そうすれば 苦しんでいる子どもの
苦しみの ひとかけらが
容れられるかもしれない
苦しんでいる子どもの 苦しみは
この世にあってはいけないもの
そっと抱きとって 抱きしめてやりたい

わたしの心が
もっとゆたかで 柔らかだといい
海のように 海のなかにいる母のように
そうすれば 傷ついている子どもの
凍りついた涙の ひとしずくが
溶かせるかもしれない
傷ついている子どもの 凍りついたなみだは
この世にあってはいけないもの
そっとすくいとって 溶かしてやりたい

わたしの心が
もっとはげしく 荒れくるえるといい
海のように 海のなかにいる母のように
そうすれば 苦しんでいる子どもの
怒りといっしょに
荒れくるえるかもしれない
苦しんでいる子どもの つめたい怒りは
この世にあってはいけないもの
どこまでも 荒れくるわせてやりたい

海のなかに 母はいるのか
母のなかに 海はあるのか
わたしの心が
もっと広くて 深いといい……

※9行が3連のリフレインになっているが、内容が少しずつ変化している。
うち、後半3行は2字下げとフォルムにも工夫が加えられている。
リフレインは、極端になると意味をなくし、歌や呪文、念仏のように、リズムと
響きだけになるが意味を少しずつずらすことによって、リズムと意味を合体している。
高良留美子はこのような形式を「詩行対応」と名付け、茨木のり子の詩にも多い形式だと
指摘している。(評論集『女性・戦争・アジア』)
予定調和的な母子関係ではない。懐疑と期待。自分・母への??咤と期待「わたしの心が/
もっと広くて 深いといい」「わたしの心が/もっとゆたかで 柔らかだといい」
「わたしの心が/もっとはげしく 荒れくるえるといい」と現在の自己、
現在の母たちの狭量さ、浅薄さ、貧しさ、硬さ、無抵抗ことなかれ主義を問うている。
それにより苦しみ傷ついている子どもたちを見出し、救いたいと願う作品である。
母がすべてを吸収する母文化ではない。矛盾をみつめ、乗り越えようとする。
さらに、現代文明が、産む営みを破壊していることを考察した作品が「産む」である。


産む
(詩集『仮面の声』1987年刊より)

産むという漢字は
女が座産(ざさん)*をする姿をあらわしたものだ と
聞いたことがあったかなかったか
原子力発電所が建った村に
わずかにのこされた産小屋で
年老いた女が
繰り返してきたお産を語る
天井からたれさがる一本の力綱
砂のうえに向きあうように積みあげられた
二十四個のわらの小束
女はそこにもたれかかり
綱をつかんで からだを浮かした
日本海の鈍(にび)色(いろ)の波が岸辺を打ち
降りかかる雪が海に消える
産道に似た道が 村を横切る
女たちはそうやって産み
産みつづけてきたのに
道はいつもあらぬ方角につづいていた
人は道に行き暮れ
分かれ分かれにされ 迷い
暗い渦に巻きこまれる
人は帰るところを失い
立ちつくす

産むという漢字のなかにある生の字は
生まれてきた赤ん坊をあらわしたものだ と
聞いたことがあったかなかったか
肛門のところをかかとで押すと
赤ん坊がうしろの方へ行きたがるのを
防げるんだよ と
海からだけ光のはいる産小屋で
四人の子を産んできた女は語る
小屋の前には細い川が流れ
女はそこで米をとぎ ご飯を炊く
かつては産小屋を出る日
日本海の夜明けのなぎさで
波をかぶり 波をくぐった
死の世界から甦るために
女はそうやって産み
産みつづけてきたのに その産道は
ついに原子力発電所までつづいていたのか
道の行方を見きわめてこなかったために
道は産む者と産まれる者を分かち
人は日暮れた道を一人たどらねばならない
女の産む姿を 一個の漢字のなかに
凝固したまま

*座った姿勢での伝統的なお産

※叙事詩的な代表作。座産の歴史と、原発の非人間性を解き明かしている。
「産む」が破壊される「道の行方」「その産道は/ついに原子力発電所まで
つづいていたのか」。生命を破壊する文明は、世界戦争につながっている。
原発と原爆はともに危険だ。
漢字から着想した詩がある。高良留美子は英語英文学やフランス語フランス文学
などに通じていたが、詩の中で欧米の知識を直接書くことは少なかった。
詩「創」「芽」など、漢字からの発想があるのは、高良留美子の中国、
アジア文化への畏敬であろう。



2,戦争と女性

・「産む」「生命」を「殺す」「殺される」戦争。
・文明、資本主義が、戦争を引き起こすことへの強い抵抗。アジア・アフリカへの
初期から続いた関心と詩や文化の紹介。
・高良留美子の戦争体験は、学童疎開の飢えといじめ体験から始まる。
・アジアに対する戦争責任の問題 モダニズム詩人や清岡卓行の「白紙還元」行為への
批判。中国、韓国・朝鮮への加害を自覚。加害の記憶を明らかにしなければならない。
・タゴールの言葉を尊重した。「一九一六年、タゴールは軍国主義に向かいつつあった日本を
深く憂慮し、西洋の毒をとりいれてきたその自己優越的ナショナリズムと「他民族への侮蔑」
をきびしく批判」した。(『女性・戦争・アジア』P.56)
・母・高良とみの戦争責任への批判と擁護、とみへの生涯にわたる葛藤と重なる。
「わたし自身は、戦争を起こした大人たちすべてに対して怒っていた。そのなかには政治家
として戦争に協力した母親の高良とみもいた(インドのタゴールやガンジーと親交の
あった彼女の戦争協力の過程は複雑で、他の女性指導者と一律に論じられないことが次第に
わかってきたが……」(「女性・戦争・アジア」P,77)
・女性の戦争加担にも反省→資本主義社会の限界→根本的な文明の転換・生命論へ
・体験、感情に留まらない、世界的生命論の展望を構築した。『見出された縄文の母系制と
月の文化』などに結晶。
・「平和憲法」は、「アジアに道徳的に敗北したことを忘れずに生まれ変わるための」
憲法という認識は重要である。


春の来訪者
(詩集『仮面の声』1987年より)
中国残留孤児を迎えて

ある人は 右手の人さし指の傷痕(きずあと)から肉親に見出された
別の人は 両眼の大きさのちがいから
またある人は たったひと言覚えていた
モチという日本語から
肉親はかれらを娘や息子と確認した

親やきょうだいの膝の上で
故郷(ふるさと)に建つ父親の墓の前で
すでに子どもではなくなった
孤児(みなしご)は泣く
出会い ふたたび別れていく肉体のあいだを
長すぎた歳月がきしみながら流れる

わたしたちが見すててきた 子どもたち
わたしたちが産み そして見すててきた子どもたち
かれらの姿をとおして
死んだ子どもらの顔が見えてくる
母親の手で井戸に投げこまれた幼な児
泣き声をたてないように 首をしめられた赤んぼう
この世に生れてきて 幸(さち)うすかった小さな生命(いのち)
栄養失調で はしかで チブスで
零下数十度の冬にかけて
かれらは死んだ
その身体は 凍りついた地面を浅く掘って埋められ
わずかな野の草だけが その墓に供えられた
わずかな人の涙だけが その墓に注がれた

わたしたちが見すててきた 子どもたち
わたしが預け 売り払ってきた子どもたち
かれらを育ててくれたのは その土地の人びとだ
大陸の大地に生き その土地を
肉親を 奪われてきた人びと
(わたしたちはかれらの死者を
悼(いた)んだことがあったか
かれらの孤児(みなしご)を
はぐくんだことがあっただろうか)

豊穣をもたらす まれびととしてではなく
禍いをもたらす 悪霊(あくりょう)として
わたしたちの軍隊は大陸を蹂躙(じゅうりん)した
焼きつくし 殺しつくし
犯しつくした
それがわたしたちの父や夫
叔父やいとこや兄弟だ
くにに帰れば善良な父になり
勤勉な働き手となる 男たちだ
桜にはまだ早い
このくにの早春のかすみにつつまれて
すでに子どもではなくなった
孤児(みなしご)は泣く
かれらの魂と肉体は 二つの家族
二つのくにのあいだに引き裂かれる
そのかたわらには
肉親にめぐり会えなかった人びとの
声もなく立ちつくす姿がある



わたしたちが武器をすて
大陸や島々の死者をいたむとき
その手でかれらの孤児(みなしご)をはぐくむとき
凍った大地の下で頭をもたげる
草の芽のように
いつか 子どもらは目覚めるだろうか
花咲く春の大地に躍り出て
国境をこえ 海をこえて
わたしたちの方へ走ってくるだろうか
笑いながら 叫びながら
わたしたちの名を 呼びながら
諸民族の子どもらと 手をつないで

※日本軍の中国に対する侵略戦争の三光作戦「殺しつくし、焼きつくし、
奪いつくす」、の残虐性。「焼きつくし 殺しつくし 犯しつくした」
加害を忘れてはならない。
戦争と侵略によって、孤児となった子どもたちの過酷な人生と、育てて
くれた中国の人々。
「かれらを育ててくれたのは その土地の人びとだ/大陸の大地に生き
  その土地を/肉親を 奪われてきた人びと」。日本がバブル経済に浮か
れていたころ、歴史の真相を背負って来日した孤児たちを私たちは
忘れている。「引き揚げ」もできなかった孤児たちを高良留美子は
書き残した。


韓国旅情 
(詩集『風の夜』1999年刊)
宗秋月さんに

眼の下に 光る海峡をこえていく
行きたかった人
行くべきだった人が行けないで
わたしが行く

漢(はん)江(がん)の流れは雨に溶けていた
郷愁のように 岸をなめ
恨みのように
土を?んでいた

わたしは街で
ひとりのタクシー運転手に声をかけられた
日本の教育勅語を覚えていると
かれはいった

凍りついた時間のむこうから
かれはことばの橋をかけてきた
ちょうどわたしの覚えていた
キョーイクノエンゲンというところまで

夢幻能のシテのように
かれはソウルの雑音のなかへ消えていった
韓国語(・・・)はむずかしかった
ということばをのこして

行きたかった人
その人が見たであろうものを
わたしは見なかった
その人が聞いたであろうことを
わたしは聞かなかった

失われたものを 押し流すように
漢江は流れる
また戻ってくると つぶやきながら
漢江は流れる

※高良留美子は『宗秋月全集―在日女性詩人のさきがけ』(高良留美子、
佐川亜紀、清水澄子、朴和美編2016年、土曜美術社出版販売)を
共同編集した。佐賀県で在日韓国人二世として1944年に生まれた
宗秋月は、大阪の洋服縫製工場などで働きながら、トイレで詩を書き、
1970年に『宗秋月詩集』を出版し、在日女性詩人の先駆者となった。
朝鮮半島では、植民地支配時に朝鮮語を禁止され、朝鮮文化を否定され、
「教育勅語」、日本語を強制された。
高良留美子は、戦争のなかで生まれ、戦争によってもたらされた深い傷、
長く続く自他の被害、甚大な影響について考え続けた。


戦争のなかで生まれて
(第十詩集『その声はいまも』から)

わたしは生まれた、太陽は天頂を過ぎ、火星と海王星は同じ星座
にあった。
その日銀座の白木屋デパートで、火はクリスマスの飾りから燃え
ひろがり、十人をこえる若い男女の店員が死んだ。火事がわたしを
呼び寄せたのか、母の胎内から、この火薬と幻滅の支配する世界へ。

「皇軍」はすでにハイラルを占領し、マンチューリに入城していた。
日本はジュネーブの軍縮会議に「満州国否認条項」の削除を要求し、
その要求がほぼ通った日、株式は新高値をつけた。

「不景気で明け 自殺で暮れた」といわれた一九三二年、幻滅が火
薬を呼び、火薬が幻滅を呼んだ。リットン調査団の報告は「満州
国」に広汎な自治を与えることを勧告し、年が明けた三月、日本は
国際連盟を脱退した。

夜の街のおとなたちは一様に下を向いて、暗く、みな同じ方向へ
歩いていた。アセチレンガスの灯火の下に茣蓙(ござ)一枚の夜店が並び、
人びとはその前で立ちどまってはまた同じ方角へ流れていった。

一九三七年夏、おもちゃ屋の店先は剣や戦車に占領され、写し絵
やままごと道具は片隅に追いやられた。わたしは棒切れを振りまわ
し隣の男の子と戦争ごっこをして遊んだ。戦争のなかで、わたし
は大きくなった。

毎月の大詔奉戴日、わたしたちは教師に連れられて近くの神社で
柏手(かしわで)を打ち、「紀元は二千六百年」の歌声をうつろに空に
響かせた。
シンガポール陥落の提灯行列のなかで、わたしは子ども時代に別れ
を告げた。

やがてわたしは生まれた土地から根こそぎにされ、見知らぬところ
へ連れていかれた。そこでわたしたちはどんなにいがみあい、わず
かな食べ物をめぐってお互いをさげすみ、憐れみあったことだろう。

街に帰ってきたわたしを待っていたのは、焼夷弾と猛火と欠乏と、
そして死だった。頭上から襲う巨大な鉄の暴力の下で、わたしは自
分の無力を知り、人間を打ちのめすものの存在を知った。

夏は耐えがたく暑く、縁故疎開先の穀倉地帯で、人びとは萎えて
いた。わたしはブラウスを蓬(よもぎ)でカーキー色に染め、竹槍をもって女
学校に通った。「新型爆弾」のうわさとソ連の参戦のあと、遅すぎ
た敗戦がきた。

旧のお盆は、川に灯籠を流す女と子どもの姿だけが目についた。
男たちのいない夏、わたしはひとり貧血の田をさまよい、発熱の午
後の蝗(いなご)をとった。

ふたたび帰京したとき、焼け跡にはタケニグサが白っぽい粉を吹
いた背丈をのばし、人びとはトタン板のバラックで暮らしていた。
流された血の色をしたヒガンバナの細い花びらが、庭に咲き乱れて
いた。

冬が近づいていた、食糧不足と発疹チフスの冬が。上野の地下道
では毎日二十人以上の凍死者が出た。超満員の電車のドアや連結器
から、落ちて死ぬ若者もいた。十七歳、十九歳……今日は七人、昨
日は八人。死はわたしたちをとらえて離さず、生はその道を探しあ
ぐねていた。

わたしたちが新しい時代に何を求めたか、人びとがどんな時代を
つくろうとしていたか。それは名づけられないもの、名づけようの
ないものだった。新しい源泉であり、たたかいと混沌だった。わた
したちはそのときに備えて鋭く目覚め、身構えていた。

だが占領軍は反共のスローガンを街に溢れさせ、焼け跡には東京
音頭のむなしい明るさが響き渡った。開封された手紙にはOPENED
BY US ARMY のセロテープが貼られ、子どもたちはジープのあと
を追いかけていた。

一九四七年一月三十一日、ラジオから流れる男の泣き声は、占領
軍の禁止命令によるゼネスト中止を伝えた。束の間の希望と、たた
かわずして敗北した壊走の時。そのなかから古い支配層がふたたび
頭をもたげた。

あれは何だったのか、古い建造物がことごとく灰となり、物は裸
にされて物そのものとなり、人びとが自由だった時代、どんな未来
でも可能に見えた、あの時。

いま 高層ビルディングの立ち並ぶ街で、人びとは何ものかの走
狗となって走りまわっている。わたしたちはかけがえのない自由、
死と引きかえに得た自由を、誰に売り渡してしまったのだろう。

ふたたび、仕掛け人の足跡をくらます砂埃のなかから、戦争の足
音が聞こえてくる。皆殺しの歌が響いてくる。武器を売りつけ
資本の帝国をひろげる戦争の足音が。

わたしたちが生きたのは二つの平和のあいだの戦争だったのか。
それとも二つの戦争のあいだの、束の間の平和に過ぎなかったのだ
ろうか。

※最後の問い「束の間の平和に過ぎなかったのだろうか」は今に鋭く響く。
一方で、現行の「日本国憲法」は押し付けではなく、民衆の力でアジアに
「敗北したこと」を忘れないために「二度とふたたび敗者にも勝者にもな
らないために/戦争放棄の理念が/日本から生まれ出たことを/覚えている
ために/この敗北のしるしをつけた平和憲法を」保ちたいと述べている。
この憲法への考え方は非常に大切であり、高良留美子の遺訓として
胸に刻みたい。



「見えざる力」部分(詩集『風の夜』1999年刊から)

いまこの憲法を国民投票で選び直そうという人がいる
敗北と強制の痕跡をぬぐい去ろうというのだ
しかしわたしは思う
敗北と強制の刻印をしるしたまま
この憲法を保っていきたい
日本が道徳的に敗れ去っていたこと
(アメリカにではなく アジアに)敗北したことを忘れたくない
復讐するためではなく
自分のしたことを認め
人間として生まれ変わるために
二度とふたたび敗者にも勝者にもならないために
戦争放棄の理念が
日本から生まれ出たことを
覚えているために
この敗北のしるしをつけた平和憲法を
保っていきたいのだ
世界平和のために
なぜなら見えざる力”とは
わたしたちのちからなのだから



【参考資料】
『高良留美子詩集』1971年 思潮社・現代詩文庫43
『しらかしの森』1981年 土曜美術社
『仮面の声』(第6回現代詩人賞受賞)1987年 土曜美術社
『高良留美子詩集』1989年 土曜美術社・日本現代詩文庫34
『風の夜』(第9回丸山豊記念現代詩賞受賞)1999年 思潮社
『神々の詩(うた)』1999年 毎日新聞社
『崖下の道』2006年 思潮社
『続・高良留美子詩集』2016年 思潮社・現代詩文庫224
評論集『女性・戦争・アジア』土曜美術社出版販売 2017年
『世界現代詩文庫1 アジア・アフリカ詩集』土曜美術社 1982年
『宗秋月全集―在日女性詩人のさきがけ』土曜美術社出版販売 2016年









『真っ赤な口紅をぬって』

ペリーヌ・ル・ケレック
相川千尋訳

女らしさ

それは彼の価値を高める
私の女らしさ
彼を喜ばせたかった
彼の妻であること
欲望は 無くしてしまった
私の抑圧された女らしさ
消えてしまいたかった
女でもなく何者でもない
モノでしかない
食器洗い機 家具 機械

彼の所有物



男女平等

おなじ不幸を男と女に与えてみたらいい
女のほうがうまく切り抜ける
同じ武器を男と女に与えてみたらいい
女のほうがうまく戦う
子供がいてもいなくても同じ
同じ生業を男と女に与えてみたらいい
「男の」と言われる生業を
女には立派な職業はみつからない
そこが私たちにふさわしい場所だと証明し続けなくてはならない
同じ暴力を男と女に与えてみたらいい
疑わしきは罰せず?
私たちは被害者だと証明し続けなくてはならない


※著者のペリーヌ・ル・ケレックは、1968年パリ生まれの
女性詩人・小説家・コラージュ作家。パリ第1大学で現代文学の
学士号と美術史の修士号を取得後、フリーランスのリサーチ担当者
としてテレビ局や出版社で仕事をしつつ、作品を発表してきました。

本書は、DVや性暴力サバイバーの女性たちの声なき声を聴き取り、
書いた詩を集めた詩集です。2カ月間にわたって9人の女性たちの
言葉を集めました。
DV被害をテーマにした「生きのびた女たち」、性暴力被害をテーマ
にした「彼女たちを讃える」の2部から成り立っています。
どれを読んでも、フランスでも日本でも、ほんとうによく似た差別の
境遇で、驚いてしまいます。

女性をおとしめ、傷つけ、不利な立場に押しやる社会構造は、世界的
に共通しています。おかしい、痛い、死んでしまう、と気づくことは
とても大切で、本書はシンプルな言葉で抑圧の本質を語り、知らせて
くれます。「悪いのは私じゃない」「真っ赤な口紅をぬって歩こう」
「私の自由よ」と叫んでもOKなことを告げ、回復の勇気と激励を
送ってくれる心強い本です。
(新泉社 1800円+税)










『現代詩文庫 水田宗子詩集』

終りから始まる
―初期の水田宗子詩集を読む

   この度、『日本現代詩文庫 水田宗子詩集』(思潮社)が刊行され、収録された初期詩集
を読み、すでに質が高いことに驚くとともに、女性についての根源的認識や世界的な視野な
ど後年の詩作につながる優れた特徴を感じた。第一詩集『春の終りに』は、一九七六年発
行で、イエール大学に留学後、アメリカの大学で教えている時期だろう。確かに、青春期
の終りだが、個人の生ばかりではなく、時代や文明の春の終りを感じさせる。

もう春は終ったので/春は終ったので そ
れから/残酷な春も/反ユダヤ主義の春も
/春は終ったのでそれから/陶酔の苦悩は
いたらなかったので/パーティも酒不足だ
ったので/それから/小人が好みのサイキ
アトリストも/二人を一緒にして置くこと
が出来なかったので/それから/人間の限
界は何遍も受け入れて/限界だらけになり
/限界そのものになり/限界の只中にかく
まってもらう事になったので
(「春の終りに」部分)

「反ユダヤ主義」のナチズムだけではなく、エリオットが書いた近代文明の「残酷な春も」
終り、人間の限界だらけになり、限界の只中にかくまわれるという洞察は当時としても先
見的な視座だろう。
文庫の裏表紙の略歴に「大学在学中に、現代詩の会としてのちに多くの詩人・作家を輩
出する「詩組織」(ぶうめらんぐの会)に参加」と記されている。「詩組織」は高良留美
子やしまようこ等が参加した先端的な知性の同人誌だった。水田宗子が一九六一年に留学
するまでの日本は激動期であり、また大きな政治の季節の終焉を迎える時でもあった。日
本では六〇年安保反対運動の挫折のあと、むしろアメリカ文化への愛好と憧憬が強まって
いくが、水田宗子は実際にアメリカに行って、「曠野」を感じた。「わたし自身みずからの足
で/この曠野の石となること/それは高らかな復讐だ」(「冬」)。巻末の大庭みな子との対
話「やわらかいフェミニズムへ」の中でも「私がいた、リバーサイドというのは、何もな
いところでした。初めて行ったとき、地の果てかと思ったくらい。砂漠の始まりのところ
なのです」と語っている。アメリカの始まりであり終りの「砂漠」「曠野」に自分自身の意
志で行くことが「高らかな復讐」になるという逆説的知性に予言性が潜む。
アメリカだけではなく、世界と歴史への広い視野は当時の女性詩人のなかでもずば抜け
ている。故郷から、根から離れて、世界を見るという感覚はなかなか持てるものではない。
特に、日本女性の場合、稀少な感性である。
水田は日本望郷を歌ったりしない。だが、「季節」への言及が多いのに注目する。アメ
リカにも四季は巡るだろうが、日本は俳句に季語があるように四季を文化にまでして楽し
む。近代史観とは異なる循環史観が底に横たわっているだろう。
初期の詩篇で印象深いのは、肉体感覚の生々しさだ。それはエロチックであり、病んだ
り、傷ついた肉体だ。「女は苔の生えた胃腸なのだ/そしてその茂る苔である/無償に咀
嚼する粘膜であり」(「女の欲望」部分)女性についての主題と表現には始原的で奥深いも
のがある。

小枝のように真すぐで細い
太古のペニスが
想像の小窗を貫くとき
両翼を押しあてて
かがみこんだわたしの脳裡から
何滴の血が
底無しの大地へ滴り落ちたであろうか

やがて季節が変わり
嘴も神話も生まぬ
わたしの暗闇のなかへ
雄鳥の叫びの記憶にかわる
何をむかえ入れるのだろうか
(「鳥叫にこたえて」部分)

女性は太古のペニスに想像力を貫かれ、子宮だけではなく、「脳裡」から血を底無しの
大地に滴り落とす。それは、男性とは異なる二重の知性と感性である。「何事も二面性を
持っているし、その根は重層みたいなものだということを、女性は分かっている」(大庭
みな子との対話より)女性の中に存在し続ける「暗闇」「沈黙」。そこに男性の叫びの記憶
にかわる何を迎え入れるのかという問いは永遠の問いだ。「今日こそ雄鳥を仕留めねばなら
ぬ/この古い鉄砲で。/ブルドーザーを美事に手操る/復讐の女たちの/慰みものになら
ぬうちに/憧れる雌鳥たちが/太古のペニスに群がらぬうちに」「老女の無意識へ/到達
するために」男女の争闘や復讐とも違う、常に無意識や沈黙に還る思考は、社会事象的な
フェミニズムではなく女性の根源へ遡る営みで、固定的な観念ではない死と誕生へ深く根
差す女性学の大成を予感させるのである。「老女の無意識」や「挽歌」など早くも知性の
透徹と成熟を感じさせる。
終りから始まり、沈黙から表現へ、女性の暗闇から未知の叫びに、その循環から豊饒に
いたる底無しの大地の言葉が初期詩篇に息づいている。

※「カリヨン通り」15号掲載





財部鳥子詩集『氷菓とカンタータ』

引揚者の十月



夕陽は落ちて たそがれり
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば
トラックの荷台に乗った女子学生たちは
揺られながら悲しい歌を繰り返し唄っていた


なんと悲しいエッセンスだろう
なんと透明な
乳房だろう
教育だろう


海を越えて大陸から逃げ帰った 私は
歌のなかに消えそうだ
私の故郷はもう消えたから
合唱する友だちも消えたから


仕方なく猫 猫 好きよ と
つぶやき歌ってみた
まぁるいまぁるい深い穴
猫よ 胡弓を糸が切れるほどに弾いてくれ
――もうすぐ戦争が来るのだもの


泥炭地は母の故郷への乗り換え地である
母の生まれ故郷への道
何に乗り換えれば母に会えるだろう


時間はどこまでも深くて底がない


女子学生たちは
メロディの中に住んでいる


楽しくて荷台から降りられないのだ
停留所の後の大岩の上には灰色のコウノトリ
巣があるのか鳴くでもなく丸くうずくまる
 

 コウノトリに訊く 道はここで終わりですか?
トラックから降りた運転手は
煙草に湿気たマッチで火を点けようとしている
喫煙は楽しいから彼は答えないだろう



※財部さんは満州からの引き揚げ体験者。
多くの子供たちが死んだすさまじい体験ですが、
「氷菓」のようにはかない美しさ、
悲しみを透明な光を通して見る表現が特徴的です。
故郷が侵略した土地であったという悔恨と喪失感は
長い痛みとなって詩人の中に響き続けたと思います。
叙事的でありながら、軽やかなリズムが印象的です。
「なんと悲しいエッセンスだろう」と悲しみの記憶を
凝縮させ結晶させています。
長詩「大江のゆくえ」は、記憶と現在を交錯させ、初めに
「衰耗する女詩人は福島原子力発電所がメルトダウン
したあと涙が零れてならなかった」とも記しています。
「雪と北風が囲んでいる大過去」「沢山の水死体や
凍死体/春に大江が生き返ると同じように生き返る
かれら」「分解して大江になるばかりなのだから」
大江に向かって引揚時の子供のまま呼びかけずにはいられない
あふれる思い出。凍った死体たちが積み重なった大江は
記憶の中に、さらに生命の源流に遡って行くことでしょう。
今、読んでほしい一冊です。
(書肆山田・2600円+税)









水田宗子詩集『東京のサバス』


世界の安息を求めて


水田宗子は、まれにみるほど広い世界的視野と高い構想力を備えた詩人である。日本の
詩は閉鎖的な美に傾きがちで、特に、他者や現代的問題を地球的観点でとらえる力量に乏
しい。水田宗子の想像力は、アメリカ、ヨーロッパ、中東、アジアと縦横に駆け巡り、時
間さえも千年億年の単位で行き来する。

新詩集『東京のサバス』は、三部作の完結編で、どれも森洋子の挿画が美しい。第一番目
の詩集『サンタバーバラの夏休み』では、死と山火事災害が背景にあり、動物と幼い者た
ちのファンタジー性が印象的だった。第二番目の『アムステルダムの結婚式』は、さまざ
まな人種が結合し、移民や戦争の記憶が入り混じながら、生を営む姿が鮮やかに描かれて
いた。そして、最後に「東京」である。東京も世界へ続いている。物語が続いていくよう
に。「いつも還ってくるんだ/大潮に流されても/大渦巻きの底からも/終わったはずの
物語/長引いている物語」。詩集全体が一編の長詩のように語られ、詩集同士が重なり、
文学作品と響き合う。生と死、意識と無意識を往還する言葉は、繊細でかつ跳躍力を持つ
不思議な魅力を発している。「目覚めの瞬間/二〇〇〇年続く予兆の一瞬の時」。「虹の悲
鳴/胸の独房から/今も発信している」。

東京に、世界に、安息はやってくるのか。サバスとは、安息日であり、詩集の最後は
「明日はサバス/蝋燭を灯さなければ/燭台はどこだ/ベツレヘムで買った/という/あの
燭台は」と終っている。ベツレヘムはパレスチナの地、イエスの生誕の地だが、現在、中
東戦争で苛酷な犠牲を強いられている。「イスラエルは幻の国/最強の幻/記憶の美学」
という批評は鋭い。

また、日本とアジアの戦争の記憶も多く組み込まれている。「娘たちのお内裏様だけ/
疎開先に持っていった」「四十歳で召集/満州から南海へ/高雄から来たポストカード」。
東京から送り出した傷、東京が受けた傷もまだ癒えていない。

そうした国家、民族、人種を超えようとする思いの元には、水田宗子の家から出たいと
いう原初的な望みが感じられる。「産まれた家からも/炎からも/空腹からも/平和から
も/満腹からも/家は出るものだと思っている」。一つの国家や単一の意識にとどまらない、
常に脱出と越境と混合を繰り返す創造的精神が脈打っているのだ。

しかも、根底は、「究極の空っぽ」を見据えている。ただ歩き、ただ詩を書く。「詩は
<孤児への贈り物>なのだ。「大河もただの放浪詩人」、「みな歩き続ける/魂になるまで」。
光と影が織り成す循環する物語は、無であり有である宇宙の根源に感応するリズムだ。

鋭敏で西洋的な知性と、無常観や輪廻の思想に通じる東洋性との合体も独特の成
果で二十一世紀にふさわしい。世界詩人としてチカダ賞を受けた豊かな歩みが一層確かに
記された詩集である。
(思潮社刊。2500円+税)
(「現代詩手帖」2015年10月号掲載)







『石川逸子詩集』


書評 日本現代史の闇を照らす清らかな光    佐川亜紀


こころに 澄んだ楽器をかかえるのは
どうしてらくじゃないさ

強いって
あの子のことさ
りんりんと鳴っている
あの子の楽器さ
     (「あの子」)部分


一九四五年の日本の敗戦から六九年たった今日、戦後
民主主義と平和憲法が揺らいでいる現在、石川逸子の詩
業は大きな意味と深い認識としてますます透徹した澄ん
だ光を放ち、かけがえのない道標になっている。
日清戦争から帝国主義化した日本が、どのような植民地
政策と侵略戦争を行ったか、その実態さえよく調査研
究されないばかりか隠蔽歪曲が進む中、虐殺され、埋も
れた一人一人の生に目を注いだ。バブル経済に浮かれ欲
望に混濁した世相にあっても、ひとすじの清い流れは、
戦中から続く利権漬けの政治の非道さを浮かび上がらせ、
阻む逆流に抗しながら、アジアの広く青い穏やかな海を
目指して進み続けた。軍事強国ではなく、文化的共鳴器
を自らのうちに創ることで地球平和に貢献しようとする
凛とした志を貫いている。
初期の詩集『日に三度の誓い』の表題詩に次のような詩
句がある。

私は流れない 日に三度いってみる
白いスカアトはほしくありません
日に三度いった 私をとりまく商人に
それからひとつひとつ確かめた
食卓の上のレモン これに嘘はないか
誕生日のラッパ卒 これに嘘はないか
私が選ぶのは
しあわせよりも自由 きれいな
墓石よりでこぼこな帽子 忍従よりも
アザミ
でも日に六度 私は顔をおおい
うしろを向いて泣いた
泣かなくなる日がいまに来るだろうか
晴れやかな笑顔で
スメドレーが朱徳に手を振っていた

日本が戦前戦中の帝国主義的な、かつ家父長制の社会から
自ら抜け出るには、政治や日常のできごとに対して
「ひとつひとつ確かめ」「これに嘘はないか」と疑問を抱き、
「自由」な世界を作ろうと誓い努力し続けることが必
要だったはずだ。その行為は前近代性が残る社会で「日
に六度 私は顔をおおい/うしろを向いて泣いた」とい
う内部葛藤を生ずる孤独な闘いを伴うものだった。
だが、日本は、戦後まもなく勃発した朝鮮戦争の戦争特
需に便乗し資本家商人の売る「しあわせ」の方向にま
たたくまに雪崩れて行ったのである。日本が侵略した朝
鮮や中国を、中国共産党の闘いを描いた米国女性のアグ
ネス・スメドレーほども関心を持たずに済ませてきた。
昨今、特に、中国が台頭したことにより、アジアの構図
は変化している。日本軍撤退後に、アジアは独立戦争
や内戦や貧困にあえぎ、日本の謝罪や賠償を十分に得る
ことなく、国交を結び、経済協力だけで支配層は乗り切
ってきたが、人々の傷は癒えず、今、強制連行や「慰安婦」
問題解決の声が大きくなり、日本の戦中戦後のゆが
みがむしろ露わになっている。(中略)
詩集ばかりではなく、ミニコミ誌「ヒロシマ・ナガサキ
を考える」を一〇〇号発行し続けた。女性文化賞の主
宰者で二〇一二年に石川逸子に同賞を贈った詩人の高
良留美子は〈原爆に関わる詩歌・証言・記録・手紙・評論
など、執筆者は日本人だけでなく韓国人の被害者にも及び、
さらに日本の侵略戦争の被害者の証言など、国籍を
超えて広がっています。この通信がなかったら、永遠に
埋もれてしまった経験が実に多いと思います。「歴史か
ら冷厳に学ばないことが、今回のフクシマ原発事故にも
つながるのでは?」(「あとがきに代えて」)という石
川さんの言葉に深く共感します〉と称えた。
核実験については詩集『ロンゲラップの海』で水爆実験
の非人間性を明らかにした。東京電力福島原発事故後
を生きている私達に、表題詩の言葉が迫ってくる。「おれ
たちは人間モルモットにされていたのだ/いや 三年
後/「安全宣言」されての帰還も/その一環だったとは!」」。
チェルノブイリやイラク戦争の劣化ウラン等
でも核の恐ろしさを伝えた。
石川逸子の詩表現の特徴として、@寓話性 A記録性B叙
事と抒情の結合 C批評的「歌」の達成などが挙
げられよう。寓話性は、内面性をも表すことであるが、
麻生直子は「外なる暴力と内なる暴力のもつ意味とそう
した力学の根源的な自省をふくみながら、石川逸子は人
間社会における〈惨劇のディテール〉」を優れた詩にして
きたと評している。(一九八九年版『石川逸子詩集』解説・
土曜美術社)戦争中だけではなく、日常のなかに潜むいじ
めや非人間化を抉り出した詩も秀でている。寓話には動物
が登場することが多く、鋭い人間批判をふくんでいる。
一方、「駅と狐」では善をなす恥かしさが語られている。
善を行うにも非力と羞恥を感じるような気高さについて
飯岡亨は石川逸子の詩を「宮沢賢治の詩や童話のように
宗教的な天体を展いてくれる」と指摘した。(前述同解
説)内省の厳しさ、祈りの一途さは即物的リアリズムだ
けではなく形而上性がある。
記録性については先述したように、その広さと細やかさ
は卓抜である。しかも、時代に生きた一人一人を書く
ことを大切にしている。詩集『たった一度の物語』に
示されたように、たった一度の物語を生きる〈わたし〉と
いう個人から始めている。国や人種、民族を超えて〈わたし〉
たちが存在する。二〇一三年の日本現代詩人会の
講演では〈戦争は数と番号の世界です。強制連行された朝鮮
人たち、人間爆弾にされた農家の若者も番号で呼ば
れました〉〈のっぺらぼうの数ではなく顔の見える個人を
書くことが大切です〉と話した。
その個人、個々の生命への思いやりは、優しい情緒を醸し、
抒情と叙事の結合という稀有の作品となったので
ある。植物も多く登場し、美しさと残酷、優しさと鋭さの
合体が読者に浸透する力を発揮している。〈桃のはな
びら/やわらかく/やわらかく/胸のなかの川を/いび
つな道のゆくてを〉(「桃のはな」部分)。
石川逸子の作品は、社会活動や教育実践の場で朗読、上
演されることも多く、リフレインの「歌」の要素も見
られる。小野十三郎が提起した「歌と逆に歌へ」、歌
の中に批評を入れるという現代詩の課題を達成した。
歴史の暗部を見つめることは、創造的未来を作り出すことだ。
日本が平和思想を堅持し豊かな文化を築き、アジアおよび世
界と友好を結び、多くの生命が生きていくために、石川逸子
の詩は地球の傷と水脈を巡り続ける。
(土曜美術社出版販売・1400円+税)




高良留美子著『わが二十歳のエチュード』

<書評>戦後精神史の原点を瑞々しく表現
高良留美子著『わが二十歳のエチュード』(「千年紀文学」107号)

来年は戦後七〇年にあたるが、現在の日本は、各方面で戦中にもどったような
有様だ。憲法を骨抜きにして戦争ができる国に変えようと、女性にも「産めよ、
ふやせよ」の大号令を臆面もなく公的な場で叫んでいる。都議会のセクハラ野次
問題は海外から女性差別を指弾されてやっと一部が謝罪するおそまつさだ。
「世界経済フォーラム報告書2013年」で各国における男女格差を測るジェ
ンダーギャップ指数が示されているが、調査対象の世界136カ国の中で日本の
順位は105位である。「政治的エンパワーメント」は136カ国中11
8位という下位だった。「戦後」、女性は強くなったと言われてきたが、
実態は相変わらず低い地位に貶められていることをひしひしと感じた。
今年三月に刊行された高良留美子著『わが二十歳のエチュード 愛すること、
生きること、女であること』(學藝書林)は、戦後の女性が真剣に悩み、考え抜い
た貴重な記録である。類まれな感受性、思索力、知識が今に通じる深く広い認識
を示し、多くの優れた示唆に富んでいる。高良氏は最近たてつづけに女性文学者を
丁寧に評価する精密な評論集を出し、旺盛な筆力に圧倒される。

このたびの本は一九五一年十九歳後半から一九五五年二十三歳までに書いた日
記、詩、断章を編んだもので高良氏の原点が率直に生々しく明かされている。あ
とがきで「この本にはわたしの思考と創作の出発点のすべてがある」と述べられ
ているが、同時に戦後精神史の起点を明瞭に浮かび上がらせている。論理力に驚
くと共に初期詩篇が豊かな詩的可能性を表し、自らの鋭利な感性をどんな言葉で
言語化するか、模索の軌跡も魅力的だ。
二〇一四年の今日からみると、戦後すぐはアメリカから入った民主主義が華々
しく喧伝されたように思えるが、高良氏は早くもそれが矛盾と空洞を抱えるもの
であることを見抜いていた。「流行りの男女同権論を当り前のこととして受け入
れていたが、女子だけの中学と高校で「女」について観察した結果は、決定的に
女性に不利だった」「女は価値と関わりのないたんなる存在、たんなる肉であると
いう女性観に打撃を受け、自分の意欲や希望が女であるために完全に否定され、
自分の生命が正当化される権利をもたないことを宣言されたように思った」。〈
たんなる肉であるという女性観〉は、高良氏が嫌った日本の自然主義文学にも色
濃く浸透している。日本の自然主義文学は、現象としての事実を抉り出し「本性
」として固定させる。高良氏が把握した〈自然と社会〉は、内部の自然が社会に
働きかけ、創造した社会が自然を変化させる、相互作用的で可変的なものだ。闘
い、変革できるものだ。「自然であること≠ニ自由であること≠ェ分裂しな
い社会を求める」という願いは、生涯を貫く主題だ。ボーヴォワールに対する批
判も女性の特殊性、受身性を超えて普遍性への道筋が見えない所を突いている。
しかし、日本の根底に変革を沈める沼のような闇を感じる。この困難な内部を見
つめる知覚なしには詩が不十分になることも高良氏はすでに理解していた。
恋人(後に結婚する竹内泰宏氏)を得ても、そこで充足するのではなく、むし
ろ女性の虚偽的な様相を自覚するに及ぶ点が卓越した知性だ。「あなたとのほん
とうに人間と人間としての交わりが私に、女性一般がこの社会で置かれ、また自ら
を置いている位置がいかに虚偽の、全くいつわりに貫かれたものであるかを一層
強く教えるのです」。女性でここまで明晰な人はいない。通常の女性作家なら性
を感覚的に、情緒的に描くだろう。だが、高良氏は自らが「物」になること、誰で
も交代できる物になる瞬間が訪れることに違和感を抱く。もう一人の男性との人
間関係についても自己分析的に省察している。

竹内氏とは文化運動誌「希望(エスポワール)」を通して出会った。最近復刻された同誌の底流
に創刊者・河本英三の原爆体験、世界苦≠フ思想があり、高良氏も強く影響を
受け、詩作でも結実している。日本における恋愛の「どんづまりの闇」をよく表
現しているのは、五四年十二月二十一日に書かれた詩「沼の底の女の歌T」で、
竹内氏との間にも肉体や個の意識、生活の問題などで「この国の地底をなしてよ
どんでいる沼」に落ちる時も見られる。
また、竹内氏らと研究したマルクス/エンゲルスの著作は高良氏が思考を発展
させるうえで重要な役割を果たした。だが、今日若者にマルクスの本はどれだけ
読まているだろうか。若者はより収奪されながら社会全体を見渡す構造的理論が
欠けている。資本の開発するソーシャルネットワークから外れまい、最新テクノ
ロジーに遅れまいとし、根源的に考えることから遠ざけられている。

高良氏の苦悩は先取りした苦悩≠ニも感じられる。それは、母・高良とみが
日本女性史において傑出した存在だったことによる。本書「T発端一九五二年」
では、高良とみが国交のないソ連のモスクワの国際経済会議と北京のアジア・太平
洋地域平和会議の準備会に出席した後帰国し、多くの人々の出迎えと注目を受けたと
記されている。この年は朝鮮戦争の最中で、「今の日本はますます弾圧がはげしく、ち
ょっとした発言でも平和というだけで圧迫されるようになってきた」と逆コースで日
本の民主主義の限界が見え始めたようだ。
とみは宗教的平和主義者として世界的に活動し、母の生涯と行動自体が戦後の女性の
社会・政治進出のシンボルであったが、母と日本社会が持つ矛盾を娘たちが被ること
になった。

高良氏は連作長篇『発つ時はいま』の中の「火柱 一九五〇年六月」という作
品で初潮を迎えたときの憂鬱について語っている。「栄子は、自分が女として生
きるすべをほとんど心得ていないことに気がついていた」「家にいる母親をほとん
ど知らない栄子は、母親を通して見る女というものを知らなかった」。欧米がブル
ジョワ革命を経て、女性の権利や地位を獲得していったのに対し、日本には女性
の社会進出を支える基盤がなく、日常と肉体の具体において壁にぶつからざるを
えない。生理は祝福ではなく、出産さえ自分を抑圧する。「火柱」には米兵に襲
われそうになる場面も出てくる。高良氏の苦痛は、一九五五年に妹が死んだ一因
である「あまりにも近代的な」家族関係にもあった。つまり、超越的に飛躍した
母は、子供に安定した愛情を注ぐ余裕や支えてくれる社会関係もなかった。戦
争は母の思想と行動を引き裂き、強い緊張を与えた。高良氏は大作の長編小
説『百年の跫音』を執筆することによって母を対象化できたが、仕事と家族
の両立は女性にとって今も解決できない問題として残っている。

書中、多くの初期の詩編が読めるのもうれしい。最初の一九五二年九月十二日
の作品「梨」は、果物をよく観察し、来歴を想像し、妊婦や女性の心身の傷にも
重ね合わせ、抒情に溺れず、独自の作品世界を予想させる。一九五四年の「友へ」
は、結婚し家庭に入ることで「あなたの希望を 家族の生存と/とり替えねばな
らない/厳しい法則だ」と女性の希望を押し殺す社会を書いている。昨今は経済
の逼迫で結婚も難しくなった。他に自動記述で書いた詩など詩作においても新し
い方法を求めている。

戦後の日本の問題、原点の本質が、個人の生きた痛みと煩悶を正直に書き付け
ることによって記録され、さらに、ランボー、リルケ、サルトル、ホイットマン、
ヴァレリー、エリュアール、スタンダール、ヘーゲル、ルソー、ヘッセ、ダンテ
など世界的知性の著作と共に考えて発展させた苦闘の跡が刻まれた貴重な書物で
ある。高良留美子の優れているところは、女性の問題を単なる権利拡大にとどまら
せず、文明の問題として総体的に解明したことだ。本書には、意味深い種が多様
な形で豊富に撒かれていて、たくさんの人々に読み継がれていくだろう。





水田宗子詩集『青い藻の海』


<書評>内面深く生と死を揺らす言葉

青が鋭敏な感受性の筆で幾重にも描き分けられ、イメ
ージ豊かな詩の海に引き込まれる。言葉が沈み、新たな
相貌で浮かぶ波音が響いてくる。水田宗子氏の新詩集『
青い藻の海』は魅惑的な作品に満ちている。前詩集『ア
ムステルダムの結婚式』で今日の地球的生存について様
々な結合の祝祭的な場を広げた水田宗子氏は、今回の詩
集で無意識の海に深く潜って新しい領域を発掘していて、
詩的才能の多彩さに驚かされる。
特に、表題の長詩「青い藻の海」は、形もなく、生と
死の区別もないような、未生であり終末であるような世
界を、その内面を精密な認識とかつ大胆な想像力で創作
し出色である。「あとがき」に「時間が存在しない喪の
海に漂っていた」時期に書いたと述べているが、「藻の海」
とは、「喪の海」つまり死者と一体化しながら別れる魂の
旅であり、また、伝統的な共同体の儀式が衰退するなか
で根を無くして漂う現代人の内面を象徴したものであり、
さらには、生命の原初に遡る無意識の流れの記述とも読
め、イメージが混交して刺激的だ。時間が存在しないゆえ
に時間を溶かし込んだ原初の海に生きる生命の姿、時代性
と永遠性を、問いと沈黙を背反するように併せ持つ人間の
姿をとらえた高度な長詩である。「藻の海」は「こころの中
の」「異界」、「遠いと近いは逆さま」「いいと悪いもあべこ
べ」「忘却と谺が/混ぜこぜ」の異界を表わす。異界には、
白雪姫などの民話的原型や「あの夏の/異国」の記憶や
「アカシアの並木」など、現在と過去、大過去が混ぜこぜ
になって浮遊している。他者との同一化へ誘われ、「わた
しの分だけではなく/ついでにあの人の分」の自己と他者
の悲しみの記憶は「どんどん重くなる」。それが「割れる」
ことは、破壊であり誕生だ。割れた心を抱いて「時間も他
者も/何もない/無重力の/色のない孤独」の中に沈んで
いる映像は鮮烈だ。
水田宗子氏は優れた著書『モダニズムと〈戦後女性詩〉
の展開』の中で「詩人が詩表現に求めるものは、分裂し
た孤独な心象風景の可視化の中でしか確かめられない自
己の存在感覚なのである」と述べているが、この詩集で
詩論を自ら実践したと言えよう。(後略)(思潮社刊)
(「カリヨン通り」11号掲載)





新井高子詩集『ベットと織機』

ベットと織機

呼びだしが仕事だったんです、青リン坊のあたしの、
受話器おいて、工場(コーバ)サ駆けって
ジャンガンジャンガン、力職機(りきしょっき)が騒(ぞめ)くなか、
耳もとへ背伸びして
「サッちゃん!電話!」

あれは、ヤイちゃんへでありました
紋切(モンキ)り場(バ)をツッ切って
整経場(セーケーバ)をカッ切って
糸繰り場には、カレンダーのポルノ写真が、目ェ流しておりました
機械なおしの二人のほかは、みィんな女の工場(こうじょう)に
銭湯のよう、
丸出しおっぱいは
こぼれます、ホンモンも
泣きじゃくれば、飲まサァなんねェ
赤んぼオブって、通っておったんです、女工さんらは
ベビーベットさ持ち込んで、稼(かせ)ェでおったんです
機械油と髪油と乳臭さが、工場(コーバ)のにおい
吸いたかねェ、そんなモン
ベビーベットと力織機、ベビーベットに力織機、ベビーベットが力織機、
ジャンガンジャンガン、ジャンガンジャンガン
(後略)

*( )内はルビ

※「富岡製糸工場」が日本の近代工業を代表する工場をよく保存しているとして
世界遺産に登録されました。しかし、「近代化」がどんな労働と収奪のうえに成
立したかこそ忘れてはならないことです。「紡績」「織機業」は特に女性労働者
が多数たずさわり、過酷な現場であったことは「女工哀史」の著作で知られてい
ます。『女工哀史』は細井和喜蔵の著作で、1925年に出版され、貧困と虐待、
辛い労働に苦しむ女性労働者の実態を伝えて世に衝撃を与えました。
そうして生きた女性労働者を肉体ごと今日に呼び出しているのが新井高子さんの詩
集『ベットと織機』です。ベットとは、ベッド(bed)の意で、桐生の町工場ことばだ
そうです。赤ん坊を育て、またダブルベッドで交わり続け、一家の生計を
支えるたくましい女たちの様子が奔放なリズムと豊かな言葉が織り成す金襴緞子と
して表現されています。
また、「グロテスクなグローバリズムの 胎内で/溺れそう/リーマンに、/サラリ
ーマン/欲しがりません/申しません/もう しません、やりません/女子も、男子も、
中性子/生殖しない  ユニセックス」「東電が、/ユニクロ着込んで/防御する、/
津波//コンドームで/発電する、/半減期/で いいのか?//わたしたち」
(「ガラパゴス」)など現在の日本への鋭くおもしろい批評に満ちています。
(未知谷2000円+税)
新井高子さんは『タマシイ・ダンス』で第41回小熊秀雄賞受賞。








こたきこなみ詩集『第四間氷期』
迷想ディベロッパー


「おもしろきこともなき世をおもしろく・・・・・・」(高杉晋作)

日に日に怖いものが飛びこんでくる
居間のブラックボックスから 手を代え品を代え
メビウスの帯のようによじれ裏返り
遠くからトゲトゲと 近くてもチクチクと当たり
目鼻の粘膜に幻痛擦過傷をのこして居据わる

怖さは怒りと悲しみをつれてきて
あたりは闇鍋みたいな乱気のあじ
ひねくれ者の私が煮詰めると
苦い笑いが焦げ付いている
臨終の息が 辞世の上の句で絶えて
皆までは発声が叶わなかった若き革命児は
どのように歌い了えたかったのだろう
枕辺の一人がとっさに下の句を代詠したというが
現代の私ならどうつけるか
「・・・・・笑い捨てるに捨て場もなくて」とか

そうだった 求めているのは捨て場だった 私は
笑いに括って捨てたいのだ 怖いもの全部

人非人(ひとでなし)も血臭も硝煙も悲鳴も凶器も放射能汚染核兵器毒風も閉じ込めて
二度と漏れ出ない 新ブラックホール
素敵な捨て場を開発するディベロッパーはないか

美しい天体を燻すことなく
大地母神様の裳裾を気づかいつつ帯にすがって地を這うと
いつのまにか裏返って自分の足許に戻ってしまう
笑いも煙って咽ぶばかり

※次々と文明による脅威と恐怖がおそいかかる昨今。地球は難破する船で
「あまりにも堕落した人類を一掃された神罰」が再びくだりそうな現在を
鋭い知性と軽やかな皮肉でつづったこたきこなみさんの第六詩集です。
「笑いに括って捨てたいのだ」というユーモアは生きる力です。
「あとがき」に<フローベールの「この下らぬ世の中で笑いほど真面目なものはない」
というフレーズが私の潜在意識に居据わってしまったようです。諧謔とはエネルギーなの
でしょう>と述べられています。諧謔だけでなく、題名も「火焔光背」など漢字の工夫が
おもしろく、構成も意識的です。「サーベルと日本刀」という詩はアメリカ系石油会社で
働き、戦争中にスマトラ島に配属されマラリヤ熱病にかかって帰国した父親を描いて注目
しました。サーベルに象徴される当時の警察権力と、銃器の時代に時代遅れの日本刀。
それでも、インドネシア独立運動の一助にと現地に置いてきた日本刀。当時の意外な武
器の移り変わりが父の思い出と共に興味深く書かれています。
今また、武器輸出に踏み切った日本ですが、アルカイダが米国の武器で勢力を拡大
したように、武器はブーメランのように自らの咽元に戻ってきます。
『星の灰』(00年)で小熊秀雄賞、『夢化け』(06年)で更科源蔵賞を受賞した詩人
の批評精神あふれる新詩集です。
(土曜美術社出版販売 1800円+税)




峯澤典子詩集『ひかりの途上で』


はつ、ゆき

赤ん坊のわたしの目が
窓のそばで
はじめてみひらき とらえた
わずかなこゆきさえ記憶になく
何万回繰り返されても
この身の転生は
ひとと別れるために
小さな冬から冬を渡る
寒い道ゆきでしかなかった

町はずれの焼場から
血のつながらないひとの
耳と薬指の骨を分けてもらい
時刻表が消えかかる停留所で
バスが来るはずの方角を
もう長いこと見続けているのも
生まれる前からの約束だったのだろうか

いまにも降りだしそうな
はつ、ゆきに耳を澄ます
ひとつ
また ひとつ
どこかでいきものが
息をひきとる 純粋なおとが
聞こえてくる

そのゆきおとを追い
てん、てん、てん、
納屋から森のほうへ
兎か 狐だろうか
南天の実のような
真新しい血が続いている

森のけものは思う
ことしのゆきが降れば
あとは
何も聞こえなくていい
何も見えなくていい

ふかく めしいて
みみはなは落ち
くちは月のための
花入れとなり
やっと
誰にも読まれない
冬の暦になるのだ と

てん、てん、てん、
ゆきとともに
南天の実は
とめどもなく落ちる
けれど バスはまだ来ない

いのち乞いをするように
凍えた指先を擦り合わせると
一瞬、狐の目のような
狂暴な血の高まりが
熱のなかをすばやく過ぎ
ゆきの底で ひとの耳と薬指の骨が
からん、と鳴り
またしずかになった

このしずけさは
いま息をひきとろうとする
けものたちの問いかけのようで
ほんとうは ひともまた
ゆきおとのなか
しずかに ほこらしく
ひとりきり、になって
いのちを いのちとして
だいじに 終わらせたいのだ
と わたしは
けものたちにやさしく伝えた

バスはまだ来ない
しろくなり始めた道のうえ
南天の実だけが
わたしの帰る方向へ
点々と続いている


※峯澤典子さんの第二詩集です。出産体験等を通し、生命について
深く考え、丁寧に言葉を選んで表し、美しい詩に創り上げています。
「何万回繰り返されても/この身の転生は/ひとと別れるために」と
転生する生命観でありながら、むしろ死にたいして奥深い意味を見出
しているところが独自性と思います。「ひともまた」「しずかに ほこらしく
/ひとりきり、になって/いのちを いのちとして/だいじに 終わらせ
たいのだ」と死ですら軽んじられる時代に死の側から生の大事さを感じ
させます。「てん、てん、てん、」と句読点を効果的に使い、南天の実と
真新しい血が重なって鮮明に浮かんできます。「やっと/誰にも読まれ
ない/冬の暦になるのだ」も、詩は誰にでも読んでほしいと書くわけで
すが、沈黙に還るのも詩の転生であると考えさせます。
第64回H氏賞受賞詩集です。(七月堂 定価 本体1200円+税)






『堀場清子全詩集」


創造の女神が歴史を正す(「図書新聞」書評・佐川亜紀2014年3月22日号)

堀場清子の作品は日本現代詩史において出色の業績として記される。命の尊厳を求める
熱い感性と透徹した知性の結合はたぐいまれな個性を生み出した。

このたび、『堀場清子全詩集』が上梓され、改めて批評の鋭さと詩的豊饒さに圧倒さ
れた。社会派はしばしば芸術性がおろそかになると指弾されるが、粘り強く事の本質を
究め、かつ美しく情がこもった言葉は見事な達成である。凛としたリズムが確かに響く。
詩集一冊ごとに扉の和紙や題字の書にも自分の美的感覚で心酔した人に頼み丁寧に作ってきた。

初期1956年刊の『狐の眸』はやわらかい抒情も特徴だが、「空虚を孕んで/二十世紀は
悪阻です」(「悪阻」)と女性の身体性で現代の暗部を象徴する詩句も現れ、「眸」は優れて光る。

1962年刊の『空』では、堀場清子の生涯の原点となった広島原爆投下時の体験が鮮明に描かれ
ている。「すべての人につたえたい//百万の眼窩が雨にうたれ 陽にやかれ/しらじらと
見あげていた/その空がどんなに青かったかを」(「その空が・・・・・・」。現代詩は伝達性や
意味から離れていく傾向が強いが、<すべての人につたえたい>という意志は、常に権力によって
事実や叫びが隠蔽される弱者には普遍的な切望である。まして、日米政府が長きにわたって隠匿した
核被害にあっては伝達に困難を極める。堀場清子は、共同通信社の記者だった経験、アメリカの
図書館に通いつめ膨大な資料から著書にした努力を基に史実を肉体化して内からの声にした。

1971年刊の『ズボンにかんする長い物語』は、64年から66年のアメリカ滞在を経て書かれた
作品集だが、表題詩は女性解放が伸びやかに語られた時代を表している。
全詩集の別冊として収められた中島美幸著『堀場清子のフェミニズムー女と戦争と』は、実に詳細に
奥深く堀場清子の詩の本質と魅力を説き明かしている。「反原爆、反女性差別、反権力」と中島が
示す堀場の視程は次々に大きなひろがりへと進む。アメリカ都市文明への批判も現在ますますリアル
に感じる。
堀場清子の名を鮮明に印象づけたのは1974年刊『じじい百態』である。西脇順三郎、羽仁五郎、
高村光太郎ら錚々たる詩人・知識人のじじいたちを皮肉とユーモアをこめて俎上に載せた。当時は、
たいへんなバッシングを受けたそうで、男性中心の詩壇の権力志向を蹴り飛ばす勇気にはただただ
敬服する。しかも、表層的揶揄ではなく相手を熟知した高度なアイロニーには舌を巻く。

未刊詩集『エジプト詩篇』で文明の原初に行き、未収録作品『女神(にょじん)たち』では、
世界の女神が詩で集う。1982年に「詩と女性学の接点≠めざし」て創刊し主要な女性詩人が
寄稿した個人誌「いしゅたる」はたくさんの豊饒の女神イシュタルが稔りを並べた。
現代詩人賞を受けた1992年刊の『首里』は作品として卓抜の成果である。冒頭の詩「文字」に
見られるように帝国に支配された琉球弧で、さらに下に置かれた「尾類(じゅり)とよばれる」
女たちを照らし出した。琉球の被支配を綴った詩は多いが、琉球女性をこれほど生命と歴史の視点
から表出した詩集は稀少だろう。琉球言葉の美しさ、豊かさが際立っている。女性史青山なを賞を
受けた『イナグヤ ナナバチ/沖縄女性史を探る』を執筆した労苦が共感の言葉としてあふれでた
のだろう。

2003年刊『延年』では、1937年、日中戦争に突入した時代の家族が描かれている。
「何度も和平の機会があった/どれであれ結実すれば/中国 日本 太平洋にまたがる国々の/
どれほど多くの人々が 殺されなかったか 殺さなかったか」(「水盃」)は、今日に差し出された詩句だ。
また、女性蔑視だった父との確執は反女性差別の信念を持ち続ける動機になったろう。
堀場の私性が社会性へと発展する過程が説得力を持って伝わる。日本の文学では、私性に留まる
ことを美徳とし、社会性に繋がることを避ける文化がある。堀場がフクシマ以後に書いた詩
「「一億総懺悔」の国に生きて」に通底する問題である。
全詩集の函に一緒に収められた562ページに及ぶ評論集『鱗片 ヒロシマとフクシマと』
にも感嘆した。ヒロシマとフクシマを貫く日本・米国の非人間性、被害者軽視、棄民の事実を
告発し、記録しようとする、まさに「鬼が憑いた」書きぶりである。
原初の創造の女神の声を甦らせ、歴史を正そうとする全詩集を繰り返し読みたい。

(ドメス出版 『堀場清子全詩集』12000円+税、『鱗片』6000円+税
『堀場清子のフェミニズム』2000円+税)



青木はるみ詩集『火薬』


壁のない家

おいで
あのひとが私にいう
おいで
私は犬にそういって抱きあげる

犬は私を批評しない
でも もし
犬のことを書いて 犬に
いいねといわれたなら
どんなに頬があからむだろう

傘がひらくような
わずかなことば
すぐに閉じるかすかな官能
私は ただ ちょっと
壁のない家で眠りたいだけ

さて眠ってしまえば
だれもかれもが聞き分けがない
有頂天で
行ったり来たりする

闇のなかにリンゴの芯が
突き立っているところが目じるし
そんな看板の下着屋さんで
黙って
あのひとが私をたしなめる
たしなめるからには
連れて戻らなければいけないのに
家具や棚や抽斗のいっさいが
透けている
さらに有頂天で
行ったり来たりする

好都合のはずなのだが
なぜか体じゅうが熱をもち
ひりひりする
擦り傷だらけなのだ
じつは
壁のない家の玄関には 数個の
アオキの鉢が置かれていて
どの葉の先端も黒く焼け焦げている

おいで
ようやく あのひとが私にいう



*青木はるみさんは、1982年に『鯨のアタマが立っていた』で
H氏賞を受賞され、小野十三郎のリアリズムの方法を受け継
ぐ方ですが、たいへん個性の強い表現で、新しいリアリズム
について考えさせられます。リアリズムとは、感情メロメロ
の抒情を排し、事物を冷たく客観的にモノとして捉える手法
です。このクールな方法はモダニズム、現代詩の要素です。
現代詩はメロメロ短歌より、クール俳句に近いといわれ、小
野十三郎は、「短歌的抒情の否定」をテーゼにしました。でも、
客観にまったく主観が入っていないわけはなく、むしろ強い主
観が普遍的客観を表すこともあります。青木はるみさんの目も
とても鋭く、事物の本質を射抜くのですが、それは非常にオリ
ジナルな力強いものです。

この詩集の第一番目の「憑く」では、「詩の神はいま死んだば
かりだ」とし「果肉は脳天から鳥の鋭い嘴で喰いつくされ/芯
宇宙を失い/あやうい表皮の円環だけを辛うじて/とどめてい
る」と詩の内部から解体して、しかし詩という型が残る現在を
鮮やかにあらわしています。
(沖積舎・定価2800円+税)




水野るり子詩集『はしばみ色の目のいもうと』








ゆぐれになると
山高帽子をかぶった
きつねたちの行列が
すすきの丘をのぼっていきます

(・・・先頭の
お棺のなかは
いわしぐも〜)と
うたう声が遠ざかるころ

ふもとの村で
くりかえし
発熱する
ちいさいいもうとがいて

秋ふかく
すすきの穂を分けて いったきり・・・
その名も 今は空に消えた
わたしの 素足のいもうとよ



いもうとの木


そのころ庭は生きものたちの青く太い匂いをこもらせ、土地は木々
の影を深い帽子のように被ってうつむいていた。だれもその土地の
素顔を見たものはいなかった。木たちもまたそれぞれの出生を隠す
もう一つの名前をもっていた。ちいさないもうとがいくたびも呼ん
だ名だった。

ある木は笑い上戸で、ある木はきまじめだった。ある木はなくて七
癖をもち、ある木はせっかちで、ある木ははにかみやだった。木た
ちの名前は今も月の光のように、私の耳の底に溜まっている。ある
木は《くすくす笑いのチェシャ猫》といった。ある木は《自縄自縛》
だった。ある木は《急がば回れ》と呼ばれてた。その響きの向こう
から、春ごとに全身をのぼる樹液にくすぐられてひとり笑いをして
いた(ハナミズキ)の姿や、隣の土地からはるばると蔓をくねらし
てやってくる(美男かずら)のせわしない呼吸がきこえてくる。
(後略)



*ちいさいいもうとのシリーズは、葉書詩の「丘」から生れたそうです。 水野さんの葉書詩は、
水橋晋さんのかわいいイラストつきで私も頂き 毎月楽しみにしていました。ファンタジーの
本来の意味「生の深みに 見えかくれするこのような存在への憧れ」として「はしばみ色の目
の いもうと」が創造されたようです。(おんなこども)(永遠の少女性) というかつては否定的
に見られたものを呼び戻しています。それは、 ヒトと木の交感、生きている私と別の私、うつつ
と夢などの境を自由に越え られる存在だからでしょう。そこには、近代的合理性への批判も
あるでしょう。 でも、この詩集の最大の魅力は柔軟な言葉が次々に開いていくような言葉の
豊かな森であることです。その点では、「レタス宇宙」のような行分け詩にも 引かれます。
(2000円+税・現代企画室)





紫野京子詩集『火の滴』






形骸(むくろ)の街


地表の裂け目にあらわれる
黒い蛇

かつて ひとりの女の
踝を噛み
頭(こうべ)を砕かれたー

ゆきどまりの橋を渡って
奈落の果てに
陥ちてゆく 春

燃えあがる 家々
崩れ果てた 樹々のかけら
地に満ちる ヨブの叫び

夢を見たかったら
こんなところへ来てはいけない
ここは 地の涯

行方知れずのひとを探して
幾千もの日々を経てきた

いのちのぬくもりを
再び 感じるまでに
幾夜の不眠と 涙がいるか

街の形骸に 風が渡る 煤けた壁を震わせて




その前夜

ー三年目の一月十七日未明に

神戸の街を
「きれいすぎる」と言った人がある

あなたは知らない
「あの日」が 薄汚れた街を
根こそぎ持ち去ったことを

整った取り澄ました表情の
底に隠されている
土埃と 猛火
幾千ものひとびとの
呻きと 叫び

生きている街は
立ち続けなければならない
通り過ぎてゆく時を乗り超えて

鱗雲がたなびく空に
一羽の鳥が舞っている

瓦礫と 夢が
二つながらに埋まった
道の果てに

鳥の名は知らなくても
私たちにはわかる
それが 天と地の
はざまにいることを

今 見えるものは
すべて見えなくなり
今 触れるものは
すべて儚くなりー

それでもなお残るものを求めて
歩き続けることが
生きることだと知った日から
私たちは皆
はざまに生きている

逝ったひとと 遺されたひと
消えた家と 脳裏に灼きついた思い出
在ることと 無いこと−

誰かが 空の裂け目から
白いハンカチーフを振っている



*紫野京子さんは阪神淡路大地震を経験され、「すべてが儚くな」って、「なお 残るもの」
として詩を書くことを自覚されたそうです。そのように切実に詩が 求められることは、現在
では稀有のことでしょう。この詩集は震災の外的記録 であるより、内面の記録です。精神的
にも深い傷を負うなかで生の意味を問う 真摯さが感動的です。挿画は、為金義勝さんで
「どこまでもあたたかく澄んだ 色彩に魅かれ」たそうです。生と死の裂け目に射す色彩を感じ
ます。麻生秀顕さん のHPにも書評があります。紫野さんは、芸術文化団体半どんの会
文化賞「現代芸術賞」 を受賞されました。(月草舎・定価2,100円)



島田陽子詩集『大阪ことばあそびうた』『ほんまにほんま』





日本万国博覧会のテーマソング「世界の国からこんにちは」の作詞者としても広く 知られている島田陽子さんはことば、特に大阪ことばを生かす名人です。ことばあそびが おもしろく、また、辛口の批評やあったかいヒューマニテイー・ユーモアが効いていて 笑いながらしんみりさせる作品も多いです。

いうやんか

いうやんか
やさしい かおして
いうやんか
やんわり きついこと
いうやんか

いうやんか
やきもち かくして
いうやんか
やたらにべんちゃら
いうやんか

いうやんか
やつしの くせして
いうやんか
やらしい いけずを
いうやんか
*べんちゃら・・・・おべっか。おせじ
*やつし・・・・おめかしや。おしゃれ
*やらしい・・・・いやらしい *いけず・・・・いじわる


だいじない

きんの
あたま きってん
あ だいじない
きったんは あたまのけ

ゆんべ
あし おれてん
あ だいじない
おれたんは いすのあし

さいぜん かわに はまってん
あ だいじない
はまったんは よそのこや

いんま
いえ ながれてん
あ だいじない
うちもいっしょに ながれてる
*だいじない・・・・大事ない・しんぱいない
*きんの・・・・きのう
*ゆんべ・・・・ゆうべ
*さいぜん・・・・さっき
*はまってん・・・・落ちこんだのよ
*いんま・・・・いま


あかんたれ(回文)

あかんたれほれたんかあ
あかんたれがこがれたんかあ
あかんたれふられたんかあ
あかんたれあれたんかあ
*回文・・・上からよんでも下からよんでも同じことば
*あかんたれ・・・だめなやつ。よわむし


おんなの子のマーチ

きかいに つようて
げんきが ようて
スピードずきな おんなの子やで
うちのゆめは パイロットや
ジャンボジェット機 うごかしたいねん
おんなの子かて やれるねん
やったら なんでも やれるねん

しんぼう づようて
あいそが ようて
しゃべるん すきな おんなの子やで
うちのゆめは 外交官や
せかいのひとと あくしゅをするねん
おんなの子かて やれるねん
おかあさんになったかて やれるねん

ちからが つようて
どきょうが ようて
スリルのすきな おんなの子やで
うちのゆめは レンジャーや
災害おきたら たすけにいくねん
おんなの子かて やれるねん
そやけど せんそう いややねん
へいたいさんには ならへんねん



野田寿子詩集『母の耳』本年度丸山豊賞受賞





家族や身辺を穏やかにみつめながら、
内部から立ち上がる生を透視し、
沖縄、朝鮮、中国など世界の過去・現在を自分の問いと
している誠実な詩集。(土曜美術社出版販売 2000円)

母の耳

この病室にやってきて
日がな一日語りかける私に

合槌を打つでもなく
たしなめるでもなく
朽ちた木彫のように
うごかぬ母

その腹を膨らませ
はらわたをねじり
血ぐるみひきずり去ろうとする力に
耐えている母

意識は白々とほとび
もはやただよいはじめ
ときどき見開く眼の行方を
知るすべもない

その顔に
わたしはなおも話しつづけ
さて帰ろうとするうしろから
かすかな声が追ってきた
“またおいで なんでも聞いてあげるから”
一瞬うしろ手にドアを閉じ
恥じて立つ私の行手に

耳だけなった母が
じっと佇んでいた



待つ

“祈るってどういうことかな?”
夫がふと娘に訊いている
娘はしばらく考えて言う
“そうね 待つということかしら”
それっきり二人はだまっている

その夜 海の向こうのカーネギーホールでは
女性歌手バトルとノーマンが
黒人霊歌を唱いあげていた
体をしぼり 両手を捧げ
ことばは一つ
くり返しくりかえし神を呼ぶ

鎖 鞭 侮蔑 飢え・・・・・・・
地上に立つところもなく
神だけをみつめ
神しかなく
神を待つ力で生きている
黒人たちの歌

その時夫は
娘の中の荒野を
見た



洗う
−シルクロードの旅

旅の帽子を洗う
砂漠を三日も歩いてきたというのに
白いタイルの底にゆらめく
砂金ほどの砂

なおもわたしは洗う
死ねば墓標もなく砂漠に埋められてきた
無数の民の
朽ちた体の微塵を

地下八米も根をとどかせ
灼熱の地表にただそれだけ生えている
ラクダ草を食んでは
黙々と往き来した駱駝たちの
糞のにおいを

魂の渇きに耐えかねて
莫高窟の仏に祈り
砂漠の彼岸に踏み入った僧たちの
衣の屑を

なにごともなかったかのような
空々漠々の砂を浴びてきた
この帽子は
こうしてかぎりなく
私を洗う




和子詩集『記憶の川で』第29回高見順賞受賞





「半世紀を超える私の療養所暮らしの中で、たった一つの喜びは
詩をつくることでした。どう生きたらいいか、なにを考えたかということを
詩という表現形式にぶつけ、そして私の魂は癒されました。」ハンセン病を
超え、生のはなやぎとみずみずしさに満ちた感動の第15詩集。(編集工房ノア 1785円)


さわらないで

私は
はじける前の木の実
咲く前の蕾
孵化する前の卵
さわらないで下さい
どこへさわっても
なにかが始まってしまうのです
はじまる前のぼうちょう感の中で
いつまでも
夢を見ていたい
始まってしまったら
あとは
とめどなく
上昇し華やぎ溢れ
終わるだけ
その命の果てを思うとき
うっすらと涙さえにじむのです


青い炎のように


あの声は
去年の虫の子供だよ
そして
ずっとずっと太古からつづいているものの流れだよ
私達がいまこうしているのと同じに
幼虫

そして
あんな美しい声の主になる
いま虫は
虫である証しに鳴いて産んで
ただひたすらに虫であろうとするだけ
何代も何代も虫であった
何代も何代も虫である虫が
何も言わずにすごした時間をになって
いま青い炎のように鳴いている



『江島その美詩集・日本現代詩文庫第二期O』
第二回日本詩人クラブ新人賞受賞詩集『水の残像』含む。






長年、水をテーマとして書き続けた詩活動の集大成。
深い抒情と遠い憧れがたゆたい、どこまでも流れる。
(土曜美術社出版販売 1400円)


水の残像


放課後の教室へ
忘れ物を取りに引き返すと

黒板の中央に大きく
一字

「愛」と
水で 書かれていた
「愛」の文字からは幾筋かの水が
なみだのように流れていた
後ろの席からみとれているうちに
文字は 乾いて跡形もなく消えてしまった

愛の意味さえ まだ
なにひとつ知らなかった幼い夕方
水の文字の残像だけを
小さな胸にしまって帰ったけれど

ひきかえに なにを忘れてきたのだろう
記憶がある限り
なんどでも 引き返さねばならない

行き暮れた駅の伝言板のように遠い黒板へ

「愛」は
飢えるものと知ってしまっても なお
忘れ物を手に取るまでは



無限の水

大きな数詞は
兆 京 垓・・・・・・ 恒河沙 阿僧祇 那由他 不可思議
無量大数と続くことを識った

恒河沙はガンジス河の砂の意味
不可思議は考えても奥底までは知り尽くせない
異様なこと 怪しいこと
無量大数は十の八十八乗とか十の六十八条という解釈があるらしいが
そのゆくえは宇宙なのだろう
そこにはどのような川が流れているのか
一説によると純粋なアルコールの川が流れているともいう
はたちの頃に訪ねたガンジス川を思い出してみる

小さな数詞は
厘 毛 糸 忽 微 繊 沙 塵 埃 模糊 虚空 清 浄

虚や空は大小に関係のない精神範囲だろうが
水が静かにおさまってにごりのない
浄という数詞でおわることに
私は感動する
無限の大きさも
無限の小ささも
その極みは水に尽きるように思えて

水仕事に濡れる日々を
嘆くのはもうよそう
水の反射を感じるかぎり
無限の中に生かされているのだから




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