ウォーター


「小熊秀雄」のコーナー



柴田望さんの新詩集『帯』が刊行!

アフガニスタン詩人支援活動で大奮闘されている最中、
柴田望さんが、新しい詩集『帯』を出版しました。

冒頭の詩「移住者たち」から、亡命詩人や難民がふえる
今世紀を鋭く表現しています。
「全人類を経験する一人/こがねむし科の甲虫の暗喩」
また、次の「風景」では、街じたいも消滅や変転をする
不確かな存在にますますなっていることが明かされます。
経済や政治状況により、根底から暮らしが脅かされます。
「街は消えるかもしれないという/前提で話しかけてください」

特にVは、炭鉱や鉄道工事、ダム建設水力発電工事などで
非人道的な苦役を強いられた徴用工朝鮮人らのことを
詳しく実態を調べ、事故の内容や無情な死の様子も具体的
に描いていて、驚きます。「士別から旭川の周旋屋上居へ/
昭和10年、十勝上士幌鉄道工事/100人以上の大部屋
の/管理者兼幹部頭は傷害前科三犯」「前のめりで倒れた鬼を
/三人の幹部が血まみれにする/山本は突然、アイゴウ、
アイゴウと叫ぶ」。
産業「慰安婦」の実態にも触れていて洞察が深いです。「旭川、
帯広、馴染み女郎の遊郭/その先の周旋屋へ/名前を憶い出せ
ない子持ちの酌婦」。

Uの、「昭和天皇大喪の礼―谷口雅彦氏の写真「昭和天皇大喪の礼」
へ」の詩「反宇宙の声の決意にもえながら」「正続の悪夢が
打ち寄せる」まさに反天皇制の決意とは反宇宙の決意にも
等しいでしょう。埴谷雄高を思い出します。
「幻駅」の「箒が粛清する」という鋭い批評はさすがです。
「書いてはならない」は、中国女性との暮らしを、中国のひ
とりっこ政策や日本での就職や居住の難しさを、書き、それを
「書いてはならない」とする詩人の倫理と、「書かなければな
らない」使命、の間で葛藤しながら書く奥深さが伝わります。

丹念な調査と抽象に高める思索力、飛躍する表現に感嘆しました。
(発行所 フラジャイル党。デザインエッグ版は、8月9日発行)







  菊名ご近所文化祭 第6回 小熊秀雄に出会う

入江勝通さんのご尽力で、「菊名ご近所文化祭 サロン 小熊秀雄に出合う」も第6回目を迎えました。
続けてご参加くださる皆様に感謝いたします。

今回は、小熊秀雄の根底にある私生児の悲しみと、放浪性から、
親子関係の詩を読みました。「親と子の夜」(遺稿)、「母親は
息子の手を」などに、母親の愛情を求める気持ちと、なお、子ども
たちへの希望を信じる気持ちを失わなかったことが分かります。
「夜は、ほんとうに子供の/若い生命のために残されている、と」。

また、「マヤコオフスキイの舌にかわって」についても考えました。
自殺したマヤコフスキーを惜しみながら、「君は労働者のための
詩人であったが、/労働者の悪い部分を/ののしる力がなかった
のは惜しい」と、今のロシアの言論弾圧や官僚統制に対する批判
につながるところが見られます。当時、このような批判は勇気がいる
ことだったろうとの感想を頂きました。

さらに、今年度小熊秀雄賞を受賞した詩集『持ち重り』の表題詩と
「耳鳴り」も朗読して頂きました。皆さん、「持ち重り」について関心が
高くうれしい評価です。死刑制度や、コロナ対策、ペットブームなどが
維持するとだんだん重くなり、どれが本当に人間にとって持つべきもの
かを問いかける作品です。

最後に、アフガニスタン詩人の呼びかけ、『詩の檻はない』と横浜の
イベントをお知らせしました。港北区でも中村哲氏のドキュメンタリー
を上映し、たくさんの人が鑑賞したそうです。
来年も上映されるそうで、アフガニスタンへの関心をつなげたいです。

ほかにも、槇村浩と小熊秀雄と関東大震災について、満州国の歴史など,
今後も考えてゆきたい意見を出して頂き、意義深い会でした。









第56回小熊秀雄賞選評

物が表すグロテスクな現実    佐川亜紀

ポケットの中に入れていた最中を包む透明フィルムが、
コロナ禍の消毒で荒れた手指を突き、死刑囚が言った「
さいちゅう」という発語と交錯する詩「持ち重り」。五百円
コインロッカーの中に自ら身を折り曲げて入る作品「スチ
ール」。特攻機の信号音と重なる「耳鳴」。ごく日常的な物、
バッグ、自転車、銀歯、浄水器の水などを独自の視点で鋭
くみつめ、豊富な知識により自在な想像局面に広げること
で、グロテスクな現代社会を切開する。大胆な皮肉と笑い
に凄味がある。鎌田尚美詩集『持ち重り』は小熊秀雄の自
由な批判精神にもっともよく通じると思われた。


北村真詩集『朝の耳』は、作品「共同井戸」「夢底」
「月が谷」など重層的な散文詩の魅力が光っていた。
東電福島原発事故後の尽きない苦しみに耳を傾ける努
力を伺わせる「朝の耳」、「ゆびさし」など胸に刺さる。
作品「てのひら」「しごと」など生活語を活かしつつ子
どもを温かく見守る詩も心に染みてくるものだった。


木村孝夫詩集『十年鍋』は、東日本大震災と東電福
島原発事故を十年以上語り続ける作者の粘り強い意志
に打たれた。「被災地にはたくさんの名前が落ちている」、
「指の感触を電話の数字は覚えている」など体験と身体
でとらえた認識は独特だ。


石下典子詩集『ナラティブ/もしもの街で』は、物語
る詩で、題材と展開が見事だ。詩「八月のおむすび」、
「舟の痕跡」など戦争体験者の証言と現在を巧みに結
んで考えさせる。詩「母生み」など子育て親育ての作
品も磨かれた言葉によって感慨が伝わってくる。


青木由弥子詩集『空を、押し返す』は、ロシアによ
るウクライナ軍事侵攻、安倍元首相の「国葬」が強行
されるなかで、歴史を振り返り、切迫する危機に抗す
る意欲的な作品集だ。「祖父の話」「うりずん」など印
象深い詩篇もあるが、詩集としての熟成を期待したい。


苗村吉昭詩集『神さまのノート』は、「T 左遷ノ
ート」など勤め人の悲哀を洗練されたタッチとヒュー
マニティに満ちた優しさで軽妙に表現している。「あと
がき」にフランスの詩人・プレヴェールの眼を通して詩
作したと書かれ、小熊秀雄の詩との違いを少し感じた。


高細玄一詩集『声をあげずに泣く人よ』は、バス停の
ベンチで頭を殴られ亡くなった女性など、現在、悲惨な
状況に置かれている人たちに思いを寄せ、その声を聴き
取ろうとしている。真摯な姿勢と広い視野に注目したが、
他者や事実への個性的な視点がやや不足していて、今後
に期待したい。





■柴田望詩集『4分33秒』刊行!

どの街にも街の歴史を歌う交響詩があるわけではない どの街にも
歌う交響詩があるわけではない どの街にも街の歴史を演じる劇団
があるわけではない 小熊秀雄「青年の美しさ」を群読 太陽の
ホール 音を自由に、それ自身として存在させる 全体と細部を
妨害することなく囲む 文字は彩り 逆光を彷徨う狼藉 生と死
を同格にする世界図書館 脈拍の自己をつきとめ 猜疑に満ちた
道義 彫刻の棲む文化会館ロビー 日時計の人類最古のセコンド
が始まる! 川のうねりの十六部音符の前奏 水に形はなく
水は変幻自在 土を掘る黒い群れ 苦しみのあとの安らぎ 混声
四部の<沈黙> たった一語で海が割れる 実体のない 序章、
「川は流れる・・・」第三章、「黎明の光・・・」


・・・ある日の、たった4分33秒の詩想。

(「星(水のエスキスを辿ろう)」より)

小熊秀雄賞市民実行委員会の運営委員・柴田望さんが、
新詩集を刊行されました。三十一年ぶりに上演された
歴史市民劇『旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ』
の経験をふまえつつ、ジョン・ケージ「4分33秒」の三つ
の楽章に指示された沈黙に詩想を重ねるというユニークな
構成です。「どの街にも街の歴史を歌う交響詩があるわけでは
ない」とは、小熊秀雄や鈴木正輝が活躍した旭川の熱気あふれる
文化の歩みが誇らしく伝わり、時をこえて響いていることを
物語っています。
北海道新聞文学賞詩部門候補にあがり、選考委員の阿部嘉昭氏は、
「ジョン・ケージの沈黙曲の三部構成に倣って全体を枠づけ、
旭川の往年の詩人たちの活劇が資料に基づいて幻想されているが、
彼らの語り残したことが豊かな沈黙へ反転する。この点を軸に
意欲的な「私」詩の拡張もあり、フレーズは切れ味を増した。」
と的確に評価されています。

(発行所 フラジャイル党、デザインエッグ)
小説部門の受賞者は、今年の小熊秀雄賞受賞者・津川エリコさんの
「オニ」でした。


■2022年11月29日菊名ご近所文化祭
サロン 小熊秀雄に出合う 第5回開催

――今、ここで時代を見据える――
 日時 2022年11月29(火)午後4時半〜6時半 
会場 ギャラリー&スペース弥平 
  〇お話 佐川亜紀
〇参加者による詩の朗読
 
 2月24日の、ロシアによるウクライナ侵攻は私たちに大きな衝撃を受けました。この暴挙を、私たちは1930年代の大日本帝国の中国侵攻と重ねて見てきました。
そしてこの1930年代は、詩人で童話作家小熊秀雄が、生き、悪戦し窮死した時期でした。
小熊秀雄の命の躍動に響き合う詩の共感を共にしたいと思います。
旭川市における「小熊秀雄賞」選考委員の佐川亜紀さんから、
第55回の小熊秀雄賞選考の周辺についてお話していただき、
佐川さんご自身の『佐川亜紀詩集』(土曜美術出版販売刊)に込めた思いもお聞きしたいと思います。
皆さんの詩の朗読を期待しています。(入江勝通氏から)

 *佐川亜紀からのメッセージ
毎年、小熊秀雄の詩に親しむ会にお集まり頂きありがとうございます。
軍事侵攻や自然破壊の危機に、時代の本質を小熊秀雄は教えてくれます。第55回小熊秀雄賞は、北海道生まれで、アイルランドに在住している津川エリコさんの日英語による詩集『雨の合間 Lull In The Rain』が受賞しました。やさしい表現で現代の生死をみつめています。
小熊の童話「焼かれた魚」や『佐川亜紀詩集』についてもお話ししたいです。皆様の朗読を楽しみにしています。

※当日は、『雨の合間』から「カタツムリ」「ページをめくる人」
「アタカマ砂漠で骨を捜す女たち」を参加者の皆さんと読みました。
「カタツムリ」は「沈黙の春」を詩で的確に表したようだ、
「ページをめくる人」はしみじみ共感する、
「アタカマ砂漠で骨を捜す女たち」は今のウクライナの事態と同じ
で胸に迫るなど感想を頂きました。


小熊秀雄の童話「焼かれた魚」を入江勝通さんに朗読して頂きました。
「焼かれた魚」は小熊秀雄賞選考委員の松井晶彦さんが
韓国で人形劇にして上演されました。
焼かれても海に帰りたい、自分の肉や目玉を食べられても
海に行きたい、という強い自由と故郷への魚の思いが
鮮明な表現で伝わってきます。


その後、参加者の皆さんで、ウクライナ民謡の歌詞、
サン・テグジュペリの戦争中のエッセイ、
槇村浩が小熊秀雄について書いた詩や、
沖縄、韓国・朝鮮の貴重な体験、
谷川俊太郎の「折り鶴」など、
心打つ内容を伺いました。
「いのちの籠」の私の文章もご紹介頂きました。
それぞれの方の貴重な人生に驚き、得る所多い会でした。






第55回賞選評 加害・被害の歴史をどう表すか
佐川亜紀

市民実行委員会の方々の献身的な努力にはいつも敬服している。運営委員会が応募詩集約百冊を読み込み、二〇冊ほどを第一次選考通過作品とし、会としても独自に最終選考会推薦詩集を二冊ほど挙げている。今回心打たれたのは、運営委員会として推薦したのは、林美脉子詩集『レゴリス/北緯四十三度』ただ一作だったことだ。

私も最終選考会で一番推したのは林詩集だった。祖父が屯田兵として北海道に移住した経歴をふまえ、アイヌ民族にとって自らを「加害者の末裔」と考える。日本で加害性を明確にするのは容易なことではない。北海道旭川市の運営委員会が、この詩集の価値を認めたことは、とても重要だと思う。そのうえ、作者は女性としての被害者性にも言及している。「誰しもが加害者にも被害者にもなりうるという自覚と、あらゆる存在に対する尊厳を尊重する意志」を自分の根元から説いている。しかも、思想性だけが注目されるわけではない。詩集としての構築性、詩語の抽象と飛躍、詩法の多様さ、普遍化にいたる広い視野などずばぬけた才力を発揮している。祖父の人生の肉付けがやや不足し、選考委員全員の賛意を得られず、残念だった。

受賞した津川エリコ詩集『雨の合間』は、静かに染みてくる作品集だった。冒頭の詩「カタツムリ」は駆除剤で苦しむ生物を軽いタッチで描きながら現代の死を鋭く見つめる。「アウシュヴィッツの死体運搬人」は、物のように死体が山積みされる現場を冷静に記してゆく。過度に主観や理念を入れないことが美点であるが、深まりに物足りなさも感じた。

うえじょう晶詩集『ハンタ(崖)』も最終選考会で推した作品だ。沖縄戦で追い詰められて身投げした女性たちの慟哭が響く。若くして死んだ息子への尽きない愛情もせつない。沖縄の悲しみと怒りと希望が伝わってくる。

橋爪さち子詩集『糸むすび』は、介護に携わりながら、戦中に一致団結した怖さ、戦後に文学を熱っぽく語った時代を振り返りつつ、命のむすびつきと尊さを示し、しみじみ味わった。

佐藤モニカ詩集『一本の樹木のように』は、言葉が洗練され、
日常に詩の扉を開く技量が卓抜だ。「辞世の句」
などブラジル移民だった祖父母の人生を伝える詩も優れている。

紫衣詩集『旋律になる前 の』は、旋律や名になる前の詩をとらえよう
と秀でた感覚を研ぎ澄ませている。「名もなき池」「無縫塔」など
未だないものを求める姿勢に期待を抱いた。









甦る小熊秀雄

    佐川亜紀(「思想運動」2022.1.1号)

アジアと日本の多大な死者と犠牲のうえに築かれた平和
憲法は、生命を軽んじる安易な政治主義で改悪されようと
している。これが、小熊秀雄生誕120年の日本の現実だ。
それに抗するように、コロナ禍の中、小熊を敬愛する皆さ
んの尽力で記念事業が実施され、うれしく、励まされる。
2021年11月28日に「第39回長長忌」(主催・小
熊秀雄協会)が東京・文京区民センターで90名近くが参
加して開かれ、大盛況だった。

第1部は「時代に抗い しゃべりまくれ〜小熊秀雄を唄い、
語り、唸る〜」で、「憲法寄席」創作集団による映像、講
談、朗読、合唱が、にぎやかに繰り広げられた。コロナ禍
で全体稽古も1度きりという困難な状況で、高橋織丸(高
橋省二)さんは脚本を書き、力強いリズムの講談で、小熊
の人生と作品を情熱的にいきいきと語り、唸った。舞台エ
リアもマダン劇風に設定され、代表的な詩「馬車の出発の歌」
の群読と合唱で一気に小熊ワールドに引き込む。高橋さん
によれば、今回の舞台は「小熊たちが試みようとした「サ
ンチョ・クラブ」のジャンルの垣根を超えた(風刺と笑い
を武器にした)芸術総合化の試み・「芸術総合工房」の実
現にむけた現代的な試みの一つ」だそうだ。映像は、「家族
と映った少年時代の小熊秀雄」に続き「3・1朝鮮独立運動」
が出てきて、世界的に人生を捉えている。姉ハツやつね子
夫人など、視覚的に家族と背景を目に焼き付けた。歌と踊
りは小熊の詩をより愉快にダイナミックにアレンジした。
企画構想のとおり、多彩な表現が重層的に相乗効果を発揮し
ながら、楽しく時代と本質を描き出した。「長長秋夜」の場
面では、金春江による朝鮮舞踊「サルプリ」が被支配の悲
憤を華麗に伝える。観客を巻き込んだ最後の「池袋モンパ
ルナス」の歌など、小熊秀雄の詩の息吹を今の時代に呼び
おこす意欲に満ちていた。

第二部は、小熊秀雄協会の佐相憲一さんの司会で、小熊
秀雄賞受賞者の長田典子さん、浜江順子さん、網谷厚子さん
が自作詩と小熊の詩を朗読した。小熊の詩精神を今に生か
す女性詩人たちの独創的な朗読が印象深い。第39回長長忌
はYouTube「なにぬねノンちゃんねる」で視聴可能。

小熊秀雄賞は北海道旭川市の市民実行委員会(橋爪弘敬
会長、工藤稔事務局長)が主催している。貴重な市民の自
発的な顕彰事業として注目を集め、私も選考委員を務めさ
せて頂き、第54回に至った。

その旭川では、「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデン
エイジ」が那須敦志さんの脚本・演出により、3月に市民
劇公演が行われた。大正期から昭和期にかけて旭川は飛躍
的に発展し、新しい文化活動がさかんとなり、革新的中心
人物が小熊秀雄であったことが市民劇を通してよく分かる。
詩の群読が旭川市民劇の特徴だそうだ。詩誌「フラジャイ
ル」代表の柴田望さんが詩人・鈴木政輝を、同人の沓澤章俊
さんも今野大力を演じた。YouTubeでも見られ、記録の
書籍も刊行された。

10月19日には、「印牧真一郎メモリアルコンサート 飛
ぶ橇を歌う〜アイヌ民族の為に」が企画・制作「歌のあつ
まり 風」、企画協力・竹田恵子よって上演され、三鷹市
芸術文化センター風のホールは熱気に包まれた。故・印牧
真一郎氏が強い共感を抱いて委嘱初演した「飛ぶ橇」は、
港大尋の台本・作曲、杉浦久幸の構成・演出により新鮮な
様相で上演された。竹田恵子さんもパンフレットに「「飛
ぶ橇」はかなりの長文詩で、作曲家も心して取りかかる必
要があり」と述べているように、小熊は、日本的な端正な
リズムや省略など度外視して書いている。テーマは重いが、
どんなときにも明るさが射す詩の本質と人々の痛みを語り
続ける意志がひたむきな歌声で鮮烈に迫って来た。湊さん
の曲は、ジャズやアフリカの民族的なリズムを取り入れた
そうで、小熊秀雄の発掘と詩集普及に努めた故・木島始さ
んの黒人文学翻訳につながるようだ。深い生命力にあふれ
た音楽が響き渡った。

私が住む横浜市でも長年、小熊に親しんできた入江勝通
さんを中心に「サロン 小熊秀雄に出会う」が開かれ、今
年で4回目を迎えた。映画学校の先生や世界を回り詩歌に
興味を持つ方や、韓流ドラマにはまっている方など、小規
模だが親しく集まる。今年度の小熊秀雄賞受賞の冨岡悦子
詩集『反暴力考』についても語り合った。サハリンを研究
している若い方も参加した。

詩誌「詩と思想」7月号では画期的で充実した特集が組
まれ多方面から注目を高めた。

小熊秀雄賞五〇回記念で、ソウルで韓日語の小熊秀雄
詩集『長長秋夜』を刊行し、翻訳者の権宅明さんはアイヌ
民族についても長編詩を書いた先見性に驚き、釜山の金哲
さんは、雑誌『文学都市』に29頁も紹介してくれた。
日本の詩の枠組みを超えた小熊秀雄の表現と思想は、軍
事化と憲法改悪がすすむ社会に大きな英知と勇気を与え、
今にこそ甦る詩人なのだ。












第54回小熊秀雄賞受賞
冨岡悦子詩集『反暴力考』、高岡修詩集『蟻』

選評・他者との交響        佐川亜紀

最近、つくづく小熊秀雄が一九三〇年代に中国、朝鮮、アイヌ民族についての長編叙事詩を表した先見性を感じる。他者の言葉を自分のリズムに共鳴させてつむぐのはやはり稀有な才能だ。

冨岡悦子詩集『反暴力考』は日常や世界の中で暴力を受けた声に耳を澄ませ、自分の内に響かせ、語った。ともすれば一元論に傾く昨今の社会にたいし、多面的に幅広く考えた点は貴重だ。反暴力としての詩を希求しつづける態度に打たれ、推した。

高岡修詩集『蟻』は、装幀から詩の全体のスタイルまで〈創る〉という意識が抜きんでていた。時空を超える想像力のひろがりと着地も見事で、完成度が高い。

高良勉詩集『群島から』は、沖縄群島だけではなく、奄美群島などから日本全体を群島ととらえて、支配の歴史の逆転を発想し、文化の捉え方の豊かさを感じた。推したが、受賞を逃し残念だった。思想のダイナミズムは小熊の世界に通じ、より発展されるよう祈りたい。

木村孝夫詩集『福島の涙』も心に残る作品だった。特に、「泣いて吐く」「海を背負う」など、なまなましい身体感覚を通して東日本大震災と原発事故の苦しみを訴えた。

中村明美詩集『目覚めたら草を』は、「二階堂さんが咲いた」など、命のめぐりが詩的なおもしろさによって巧みにみずみずしく切なく表した。

南雲和代詩集『たぶん書いてはいけない』。高度経済成長によって汚染された川、公害運動に身をささげた人々など重要な記憶だ。書き方がエッセイ的で、凝縮と飛躍に欠けるのが惜しい。

熊井三郎詩集『ベンツ 風にのって』。ユ―モアと風刺の力は出色で、とにかく楽しい。くすりと笑いながら、ちくりと批評され、深く考えさせる。

北村岳人詩集『逆立』。反抗的情熱は詩の原動力で、初々しい破壊力が魅力的だった。詩「小川」の空虚と天皇への視座に注目した。まだ荒削りだが、「谷底から」の言葉におおいに期待したい。

宮内喜美子詩集『神歌(テイルル)とさえずり』は、沖縄の神歌から生命力とエロスが感じられた。鳥たちが神歌をうたう情景が美しい。

森れい詩集「かえしうた」。特に一部「旅の途中」は、幻を追う中国などへの旅を内省的な表現で記し、印象深い。 

市民実行委員会の皆様にはコロナ禍の中で、いろいろお世話頂き、選考会を実施して下さり、感謝申し上げます。





第53回小熊秀雄賞
長田典子詩集『ニューヨーク・ディグ・ダグ』(思潮社)が受賞。

声の切実さ       佐川亜紀

今回、最終選考会に挙げられた候補詩集はす
べて女性詩人の作品だった。もちろん偶然で、
優れた詩集がそろっただけだが、小熊夫人のつ
ね子さんのご遺志にも思いをはせてしまった。
それで、選考にはいっそう悩むことになった。

長田典子詩集は、ニューヨークに語学留学して
いたときちょうど3・11に重なり、海外から
原発事故を見る、客観性と主観性と傍観者性が
錯綜する複雑な視座にリアリティを感じた。ダ
ムに沈んだ生家と、「水没者」と呼ばれて精神
の均衡を失い家族への暴力にのめりこむ父の姿が、
近代資本主義の共同体破壊を肌身で感じさせて
くれた。異国の留学生たちの文化の違いからの
ズレや、南京大虐殺を一人の日本人として受け
止めなければならないことなど、日本と日本語
を外から考えていた。詩の声を発する切実さを
もっとも感じた。ただ、米国自体の差別や欠落
への批評が薄いようにも思う。

宮尾節子詩集『女に聞け』も、推したのだが、
推しきれなかった。難解だと敬遠される現代詩
に読者の入口をひらいた。わかりやすく、とて
もうまい。「女に聞け」まさにその通り。女性
国会議員数も世界下位レベル。でも、うまいだけに、
言葉が少々うわすべりになる傾向が目についた。
もっと女性たちの封じ込められた声を響かせて
ほしかった。
産む姿は少しも恥ではなく(私も産んだが)、姿
自体が誇りだし、平和憲法は恥ではなく犠牲と
反省のうえに成り立っている。社会派のセンス
のよい詩は望ましいが、評価となると一考を要
してしまう。

谷口ちかえ詩集『木の遍歴』は、引き揚げ体験
を書いた貴重な詩集。「昭和二十年/三十八度線を
南下して一ヶ月かけて着いた日本」で死んだ義兄弟
義姉妹たち。後世に残したい記録だが、詩のテーマ
と素材にばらつきがあり、詩集としての深まりに欠
けるのが残念だった。

渡辺めぐみ詩集『昼の月』は、正統派の現代詩らしい
繊細な感性と綿密な思考に満ち、充実した詩集だった。
「魂の僻地」など魅力的な表現にあふれている。けれど、
「U ルネ・マグリットを書く」も見事だが、Tとの
関係性がやや離れているように感じた。

番場早苗詩集『一瞬の、永遠の、波打ち際』は、「呼人
を過ぎる」「内側の虹」「毬藻 Mに」など、風土と歴
史を感じさせるすばらしい詩集だ。ただ、文学者の登
場が多すぎて、詩意識が拡散してしまう。風土の感性
と現在をより一層自分の言葉で深めてゆかれることを
切に願う。

与那覇恵子詩集『沖縄から 見えるもの』、さびしく、
自滅し、沖縄を苦しめる日本がよく見えるという主張
にはまったく同感し、打たれる。しかし、表現の面で、
与那覇恵子さんの独自性がもう少し出てほしい。

佐藤モニカ詩集『世界は朝の』は、表現が分かりや
すく、さわやかで、現代詩になじみのない人にも薦
めたい。ブラジル移民の苦労を語る祖父のインタビ
ューや多民族国家の墓地も、前半と合わせ、命のつ
ながりを感じさせる構成だった。








第52回受賞『柴田三吉詩集 旅の文法』

<選評>小熊の「言葉の自由」に通じる 佐川亜紀

現代詩は読者が少ないと言われるが、少数者にしか見
えないこと、語れないことがあるのではないだろうか。
小熊秀雄が「馬の胴体の中で考えていたい」と書かずに
はいられなかったのと同様に自由が追いつめられ、忖度
ばかりの社会になっているのではないだろうか。
『旅の文法』は、神社仏閣の建築業を父から受け継い
だ体験から、天皇制を維持する私たちを映し出した詩
「禁裏」をはじめ、時代への対峙の姿勢が光っていた。皇
居の小道に絶えず降る落ち葉を尽きることなく掃き清め
る奉仕の人々の姿は、沖縄や福島や朝鮮半島の言葉を除
き、封じ、改元をことほぐ私たちそのものではないか。
柔らかい口調、比喩の巧みさ、無駄のない表現はすでに
練達だ。一部分にもの足りなさを感じる所もあったが、
最終的にこの一冊を推した。

『サラム ひと』は、ヘイトスピーチを浴び、世界
の崩壊を予感しながら、「憲法9条は東アジアのもの」
「サラムとひとは 運命共同体/共生のための名前」
と未来を展望する視野の広さと知性の鋭さに共鳴した。
詩の血肉化が不十分なのが惜しく、今後に期待したい。

『雨の巨人』は、長編詩を構築する新鮮な意欲と力
量に注目した。アニメキャラクターと採炭唄「ゴット
ン節」などの混合で「雨の歴史」を繰り広げる奇抜さ、
黒田喜夫「毒虫飼育」へのオマージュ作品の独創的な
展開に魅かれた。ただ、書法の多様さ、紙面の使い方
の実験性等に盛り込み過ぎの印象がぬぐえなかった。

『無刻塔』は、豊後訛り(大分弁)が実にいきいき
と響いている。福岡大空襲の記憶の「火炎忌」や「二
十一世紀の紐」など叙事と批評にも人生の多色の味わ
いが込められている。地球上の女が産むのをやめる「
誓いの休暇」など痛烈だ。「無刻塔」の彼岸と此岸を往
還する声もしみじみ伝わる。

『刀利』は、亡き夫への恋歌をおおらかに表現して
いた。トウリはアイヌ語で、夫は「縄文人」であり、文
明以前の人類への思慕とも読むことができる。ダムに消
えた村への洞察など歴史をもう少し書き込んでもらいた
かった。

『芭露小景』は、人間をよくみつめ、ユーモアを交え
て等身大に描き、ぬくもりと認識の奥行と胆力が伝わる
好ましい詩集であった。

『枇杷の葉風土記』は、「枇杷の葉舟」が時を渡り、
戦禍の記憶が美しく悲しく染み入る。飛躍や転調によ
る深まりが欲しかった。

※門田照子さんの詩集『無刻塔』の「火炎忌」が
2019年4月29日ラジオ文化放送
「アーサー・ビナード 午後の三枚おろし」で
紹介されました。





第51回小熊秀雄賞選評 
(残念ですが、受賞作品はありません。)
あと一歩の惜しさ  佐川亜紀

  今回は受賞詩集を選びきることができず、残念だった。
崔龍源詩集『遠い日の夢のかたちは』は、朝鮮人の父と
日本人の息子、二つの民族の血脈を生きる葛藤と愛憎を
根本テーマにしながら、人類の罪と命の祈りへの普遍性に
至っている。長崎の原爆、青春の友情と光州民衆運動、
抗日朝鮮詩人への共感と自分の無力さを表した作品など
胸に迫る。ただ、普遍性により視野が広がり柔軟性が
増したが、主題が薄まり拡散した面も生じたのは否めなかった。

佐々木薫詩集『島―パイパテローマ』は、沖縄を「誰もが
自分の内部にひとつの島を抱えている」と外部叙事だけではなく、
内面の思想寓話に高め、注目した。沖縄独立論も議論される今、
「大女・イソバ」の民俗伝承などをふまえ、ユーモアと
自己批評をこめた抵抗精神はたいせつなものだ。朝鮮と
のつながり、集団自決の記録も心に残った。「T」の「島」
の連作の書法に特に引かれた。

以上二冊を最終候補詩集として推したが、どちらも受
賞まであと一歩及ばず惜しい結果となった。

藤本哲明詩集『ディオニソスの居場所』は、新鮮で繊細な感性と、
先鋭的な方法実験意識が際立つ作品集だった。だが、ナイーブさと
表現の奇抜さがかみ合っていない所も感じてしまい、その
アンバランスは現在的だろうが、やや納得できなかった。
「九月一匹」「明石市太寺にある、」などは印象深い。

佐藤モニカ詩集『サントス港』は、子供の誕生を自然と一体に
なったみずみずしい感性で捉え、いきいきした比喩で表現した
のは好ましかった。前半は、移民の歴史を平易な言葉で
書いて分かりやすいが、歴史の掘り下げが物足りず、も
う少し叙事的な要素を盛り込んでほしかった。

林美脉子詩集『タエ・恩寵の道行』は、冒頭「喪幕の村」の
通常の「世界認識の位相を断つ」惑乱と深遠への透視は
とても魅力的だった。このように根源を思考する詩は貴重だ。
散文詩のほうが言葉に緊張感が満ち、行分け詩はかえって探究力
が弱まったように思い、もどかしさがあった。

どの詩人も力量は十分なので、今後のさらなる発展に
期待したい。





小熊秀雄の『長長秋夜』を読んで 
  金哲
(詩人。翻訳家(英語・仏語)1941年生まれ。ソウル大卒。)

小熊秀雄についての感想

小熊秀雄の写真を見た瞬間、私はロシアの詩人セルゲイ・エセーニンと我が国の詩人・白石が思い出され、彼の作品を読んだ瞬間、
私の師だった詩人・金洙暎が浮んできた。
それほど彼は美男であって性格も垢抜けていると感じ、彼の作品は
社会参与的であったために金洙暎と類似点があると考えられる。
ここで私が言う社会参与的だという単語はまさに純粋な抒情詩とは
違うすべての意図的な詩、つまり批判的だったり、扇動的だったり、
教育的だったり、愛国的だったり、ユーモアのある詩などに当たる
言葉と理解すればよいだろう。

そして権宅明詩人が韓国語訳した「長長秋夜」の<訳者の言葉>の中、
私も1969年に「大韓日報」新春文芸当選作「復活」を評しながら、
「金洙暎の分身を見るようだ」と述べたことがある我が国の詩人・金光林が、
小熊秀雄を指して「芸術上の暗殺者」と言ったが、詩についての解釈と、
芸術についての定義が多様であっても、私はその言葉の意味が何なのか
小熊秀雄の作品を読んではっきりさせたいと感じた。

<韓国文芸誌『文学都市』2017年11月 176号>
(釜山広域市文人協会) 

※韓国文芸誌『文学都市』176号に金哲詩人が小熊秀雄について
29ページにわたって紹介と感想の文章を書いて下さいました。
一部を上に訳しました。


韓国「創造文芸」2017年7月246号

長詩「長長秋夜」と純粋な人間愛の詩人 小熊秀雄
―暗鬱な時代を本当の詩人として生きた短い生涯   権宅明

小熊秀雄(1901〜1940)の長詩「長長秋夜」は当時日本の植民地だった朝鮮の民衆とその痛みに対する理解をよく表している作品だ。当時、日本の大部分の知識人と文人たちまでも日本の朝鮮に対する植民地支配を当然だと思っていた社会の雰囲気で、このような作品がそれも長編叙事詩として書かれたことはとても珍しく貴重な事例だ。日本語の原詩のタイトル自体にわざわざ「長長(じゃんじゃん)秋(ちゅう)夜(や)」という韓国語の発音をつけるくらい詩人は国権喪失の過酷な状況に置かれた朝鮮と朝鮮民衆に対する同情と愛情を表現している。

長い長い秋の夜、田舎の村に響く女たちの砧を打つ音、そして川辺の平たい石の上で砧を打ちながら洗濯するおっかさんたちの姿を平和的朝鮮の中心イメージとして、白衣を黒色にかえようとする企みを通し、白衣民族の精神を抹殺しようとする逼迫する状況を実感が湧くように描写する。詩人が一度も訪ねたことがない朝鮮の実状をこのように生き生きと表すことができたことは、朝鮮に対する深い理解と愛情なしには考えられないことだ。

根本的に小熊詩人は当時、植民地朝鮮だけでなく、白人移住者たちに追い出されたアメリカインディアンのように、日本本土に暮らしながら北の果ての島北海道に追放されて種族が消え失せていった日本の原住民アイヌ族に対しても「アイヌ民族の為めに」という副題をつけた長編叙事詩「飛ぶ橇」を発表するなど、根本的に弱者を抱きしめて慰める、詩人としての根源的ヒューマニズムの視角を表している。

小熊秀雄は「ほとんど初めて、あるいはほとんど初めての仕方で、彼は日本の詩に哲学を引き入れたのであった。彼は、それを、北海道でのあらゆる流浪のなかで、手あしをはたらかせて飯を食うという生活のなかでえた人間と風景とをとおして引き入れたのであった」(中野重治の言葉、徐京植著『過ぎ去らない人々』日本版2001年、韓国版2009年より)との評価を受けたこともあるが、俳句や短歌など定型詩が優勢な日本詩歌文学の伝統の中で、このように息が長い長編叙事詩を
書いたこと自体が日本の近・現代詩でたいへん独特な位相を占めているという評価を受けている。

合わせて長詩でありながら、「会話体と音とリフレインを効果的に使い、長さを感じさせないで読ませるのは優れた能力だ」(韓国版『小熊秀雄詩集 長長秋夜』解説。佐川亜紀の言葉)という評価も受けている。「長長秋夜」という作品で、同様に「トクタラ、トクタラ」という砧打ちの音、洗濯する石を打つ音を節節に反復的に使用することでもって、聴覚的なイメージとともにやや飽きやすい詩の流れにリズム感と詩を読み進める力を与えている。

日帝支配期の日本詩人の作品として韓国(朝鮮)と関わった作品のためもあって、「長長秋夜」は元老詩人・金光林をはじめとし多数の研究者たちが国内に紹介もしたが、金光林詩人は小熊秀雄の特徴を諷刺性と批判精神として圧縮したことがあり、李仁福教授は「民族的エゴイズムを克服した純粋な人間愛の詩人」(「日本、その悲しい悪縁」)
と表現したことがある。詩人も当然民族があって国籍があって愛国と民族愛の精神が必要だろうが、文学と芸術がそうであるように詩もまた国家と民族の限られた地平を超えて、人類普遍の根源的愛と基本的価値を志向することなら、日本が軍国主義として駆けて行った
否定的歴史の時期に、父親の内縁の妻から私生児として生まれ、赤貧の生の中で、そして自由な表現を妨げる当局の過酷な検閲と弾圧の中で芸術に生命を掛けて取り組みながらほんの三九年の短い生涯を熾烈に生きた小熊秀雄、これこそ本当の詩人、芸術家としての一つの鑑と言っても言い過ぎではない。

そのような意味でも毎日のように急変する国際情勢の中でそして依然として今なお上手く解かれない韓・日関係の拮抗の中で小熊秀雄詩人の「長長秋夜」をもう一度読み返すことは、どうやらさまざまな面で諭しを与えられることだという思いを抱く。





第50回小熊秀雄賞受賞詩集
『山田亮太詩集 オバマ・グーグル』


小熊秀雄賞が第五〇回目を迎えたことは詩の世界でも特筆される記録です。詩壇の芥川賞と呼ばれるH氏賞は二〇一七年度で六七回になり、それに次ぐほどの実績の一つだと思います。余談ですが、私はH氏賞の第五〇回目(龍秀美詩集『TAIWAN』)のときも選考委員で、
日本詩人クラブ賞の第五〇回(岡隆夫詩集『馬ぁ出せぃ』のときも
選考委員だったのです。偶然ですが、光栄です。
五〇回続けるのはたいへんなことで、他の候補詩集も力作がありましたが、未来に発展させる新鮮なエネルギーを備えた詩集として
『オバマ・グーグル』が選ばれました。詳しい選考経過は小熊秀雄賞の
ホームページをご覧ください。

詩集名になっている作品『オバマ・グーグル』は、グーグルで「オバマ」
を検索した結果表示された上位100件のウェブページの記事から引用された文ですべて構成され、引用元表示も入れると三七ページにも渡ってえんえんと続きます。「これが詩なの??」と首をかしげる人もいるでしょう。しかし、ここにはネットの言語空間に対する非常に鋭く客観
的な批評が存在します。ネットはいかがわしい、ネットは便利だ、など
一言で片づけるのは簡単ですが、塊として見た時に複雑な様相を呈しています。ネットは瞬間性、現場性の方が重んじられるので、このような構成自体が異化であり、作品化であると考えます。

また、以前のリアリズムは、カメラや映画という近代の発明によって大
きく影響され、成立しました。時代や社会を象徴する映像を切り取る
手法は、昔の固定した美意識を揺るがし、新しい現実を切り開いたのです。そして、現在は、ネットや情報技術が言語や現実や詩を揺るがしています。文学の手法であったウソや偽物がニュースやネットでどんどん出回る時代です。
本詩集には引用だけで成り立っている作品が多く、外部だけでできているようですが、作者の多層的な批評眼が逆に際立つのです。

逆説や風刺の大胆さも特徴です。安倍政権がちょうど戦意昂揚していますが、「戦意昂揚詩」では「これはこの国と自信を取り戻すための言葉や命令ではなく/きみひとりの復活のための夢」「きみは決断する/
絶対に正しいものも絶対に/信じられる悪もないからこれは/きみひとりの苦しみのためでなく世界中のひとびと/未来のひとびとそして死んでしまったひとびとの/苦しみのための/これは/きみひとりの戦争だから」という言葉で対峙しています。詩は究極的に「ひとりの戦争」
でしょう。小熊秀雄もひとりで時代や既成文学と闘いました。
さらに、行分け詩で書かれている「ひとりの戦争」は理想であり、
この理想なくして詩はないのですが、引用で構成された猥雑とも言え
る言語空間と拮抗しているように感じられます。
冒頭の「登山」の「いちばんたかいやまのいちばんうえに/
いちばんさいごにいるために/いちばんうしろをあるくぼく」も
理想で、格差社会で「いちばんさいごにいる」という立ち位置は
詩でしかもはや存在しないかもしれませんが、ここからしか次の
文学は始まらないと思います。
私が推したもう一つの詩集『詩碑」の丁章さんの「ステートレス
のままでも幸福に生きられる世界/そんな未来をめざして/ぽつ
んと地球の上に/独り立っている/わたしは無国籍者」
(「無国籍者」より)に通じるかもしれません。
(『詩碑』についてはこのHPでご紹介しています。)

さらなる活躍が期待される詩人です。

(思潮社 2200円+税)









金倉義慧著『北の詩人 小熊秀雄と今野大力』

ふたりとも北海道旭川で暮らし文学的出発をし、東京に出ても革新的な文学活動に熱心に取り組み、弾圧の時代に若くして死んだ小熊秀雄と今野大力。詩人として深い所で理解し合い、切磋琢磨した仲であったことが豊富な資料と、丁寧な読解によってよく伝わる本です。

今野大力は、現在あまり知られていないでしょう。1904年宮城県に生まれ、幼時に北海道旭川市に移りました。1927年に小熊秀雄らと詩誌「円筒帽」を発刊。その後、上京し、「婦人戦旗」等の編集に携わり、1931年日本プロレタリア文化連盟の結成に参加し、「プロレタリア文学」に反戦詩を発表しました。1932年、駒込署に検挙され、その時の拷問がもとで入院。1933年日本共産党入党。1935年に結核で死去しました。宮本百合子と親交があり、宮本の小説「小祝の一家」は今野がモデルです。(ウキペディアを参照)

今野大力は、小熊秀雄とは違って貧しいながら、愛情を受けて育ち、優しく謙虚な性格です。「トンカトントンカッタカッタ」で描かれた過酷な労働に携わる女工は母を含む当時の女性労働者たちの姿を象徴しているでしょう。貧しさ、弟二人を失ったショックが今野大力の共産主義運動への献身に向かわせたと思います。

根本的には、抒情詩人で、詩「北海の夜」の「海辺の街の病める友」
の気持を想像する性格が美点と感じます。
今野大力親子が宮城県から旭川に移住し、小熊秀雄と共に「典型的な北海道二世世代」であったという指摘に注目しました。
初期の「古典の幻影」は、「ああ自由のために/かくは一人の勇士と馬は倒れたるを」と自分の最期を予想したような格調の高い詩です。
「旭川新聞」初出の今野の詩「土の上で」を小熊秀雄が採用し、<土の上で>の詩人、農民であることへのこだわりを一貫して見抜いていたという意見に共感します。
今野大力にアイヌ民族への差別意識がなかったことは印象深いです。「アイヌ人種の生み成せる まことに尊い芸術である」
小熊つね子さんが書く晩年の今野大力との互いの思い遣りの深さに胸打たれます。

北村順一郎ら、当時のプロレタリア文学の公式主義的な批判との論争に今野はよく太刀打ちできず、小熊は実に堂々と<人間の情緒や個性>を認めよ、社会変革は容易ではないと反論し、文学者としての器の大きさを小熊に感じます。

今野の小熊に対する「秩序紊乱の作家」という評価はむしろ小熊讃歌と考えます。後年の小熊についての批判「小ブル詩人の彼」は、時代的背景として「日本の左翼運動に巣くう思想的宿痾ともいうべき内部対立」、公式主義の純粋性を競い合うという弊害があったという推察に
うなずき、二人の根本的な背離ではないでしょう。

宮本百合子や壺井栄の小説から、今野大力・久子夫妻をモデルにし、極貧と危険のなか「戦旗社」での編集活動に誠心誠意取り組んだ様子がよく伝わります。
詩「奪われてなるものか」は、拷問で聴覚が奪われ、耳が聞こえなくなったことによる孤独感、肉体における人間の孤独に注目しました。「音響の全く失われたおれの世界/自分の言葉すら聞えず忘れてゆこうとしている」。もちろん、権力の弾圧が原因であり、権力悪で、「手足まで」「奪われてなるものか」「君の文字が伝えてくるおれたちプロレタリアの側の熱意が」とプロレタリア運動の熱意へ合流していくのですが、妻子に不遇を八つ当たりしたこともあったようで、この人間の根源的な孤独についての自覚が名作「一疋の昆虫」を創出できた由縁でしょう。


一疋の昆虫


一疋の足の細長い昆虫が明るい南の窓から入ってきた
昆虫の目指すは北 薄暗い北
病室のよごれたひびわれたコンクリートの分厚い壁、
この病室には北側にドアーがありいつも南よりはずっと暗い

昆虫は北方へ出口を見出そうとする
天井と北側の壁の白土を叩いて
あゝ幾度往復しても見出されぬ出口
もう三尺下ってドアーの開いている時だけが
昆虫が北へぬける唯一の機会だが、

昆虫には機会がわからず
三尺下ればということもわからぬ
一日、二日、三日まだ北へ出口を求める昆虫は羽ばたき
日を暮らす
南の方へ帰ることを忘れたか
それともいかに寒く薄暗い北であろうと
あるのぞみをかけた方向は捨てられぬのか、

私は病室に想ふ一疋の昆虫の
たゆまぬ努力、或は無智
(一九三五・五・七)
(原本の「虫」は旧字。「白土」の「土」は亞の下に土)


詩「一疋の昆虫」は、対象(昆虫)にたいする冷静で客観的な描写と、主体の内部への透徹した自省が見事に合体した優れた作品です。<小熊秀雄は「一疋の昆虫」を読み、「(農民)の無智の自覚の上に立って闘ふ彼の農民的な苦悶」を直感した。「一疋の昆虫」に農民の家に生まれ育った今野大力の生涯を見た>は本質をとらえています。さらに、貧農の末裔である現在の私たちの姿が如実に表現されていると思います。私たちも「ああ幾度往復しても見出されぬ出口」を求めて無智のなかをたゆまぬ努力を続けているのです。特に詩人は、「いかに寒
く薄暗い北であろうと/あるのぞみをかけた方向は捨てられぬ」のです。
それは「一疋」となったときに見えてくる民衆の根源的な原型でしょう。死を目前にして大力がそこに到達したことに感銘します。
小熊秀雄の「馬の胴体の中で考へていたい」に通じる所を感じます。
この馬は理想の馬ではなく、「北海道の農耕馬」。農村の中から出て、東京でたくさんの言葉を覚えたが、「自由」の二文字も言えなくなった、そのとき故郷の馬の中で考えていたいとはもう一度「農民的な苦悶」の中で考えるということではないでしょうか。「考へていたい」に小熊の知性を思います。
小熊秀雄については、あらためて家庭の愛情に飢えていたこと、「黒さんご」「黒い瞳」の美貌で女性の人気を集めていたことが分かりました。小熊の旺盛な創作情熱と自己表現の強烈さは愛情飢餓から生じているのでしょう。小林葉子あての書簡はつね子さんのことを考えると複雑な思いです。私は、日本近代文学館につね子さんが寄贈した小熊秀雄の書簡などを見に行きましたが、つね子さんへの手紙が多かったと記憶しています。つね子さんは小熊の愛情を一番受けたのは自分だと確かめ、後世に残したかったでしょう。
「焼かれた魚」のような「直接的で切実な生活的な現実からのモティーフ」(土方定一)を童話として書いた独創性にあらためて気づきます。
「飛ぶ橇」の素晴しさにも納得し、「小熊秀雄という詩人の途方もない読書量、想像力・構想力のなせる業」は、さまざまな作品で本当に驚嘆するばかりです。新聞記者時代のこと、新ロシア文学との出会いなども興味深く、多方面で発見することがたくさんある労作です。
(高文研 3200円+税)







特別講演「長長秋夜と韓国の詩人」
(2015年5月16日小熊秀雄賞受賞式で)

 小熊秀雄の「長長秋夜」が発表されたのは『詩精神』という詩誌。『詩精神』は1934年に発行されました。プロレタリア文学が弾圧されていった時代です。『詩精神』の主宰者の新井徹、後藤郁子は、朝鮮に住んでいたことがあります。新井徹は学校の先生でした。
彼は朝鮮にいて、朝鮮の人々が日本の支配を喜んではいないということを感じます。朝鮮の人々の冷たい視線を感じた彼は、こういうことではいけないっていう内容の詩を書きました。それで、内地に送り返されてしまいました。

日本に帰ってきて『詩精神』という詩誌を出し始めます。そこには小熊秀雄もどんどん寄稿しますし、中国の詩人・雷石揄も寄稿します。朝鮮の詩人も盛んに投稿します。小林多喜二が殺されたのは1933年ですが、1935年ぐらいまでは、朝鮮の人が本名で発表し、朝鮮の風物を一部は朝鮮の読み方で表わすことが出来ました。ところが、1939年の創氏改名で、ペンネームも全部日本名になりました。1940年頃からは、今の集団的自衛権じゃないですけど、徴兵制を肯定する詩を朝鮮の詩人たちが書かなくちゃいけなくなります。もちろん、日本詩人も同様で、翼賛的な詩を書きました。そういう時代が、あっという間に訪れるわけです。40年代の総力戦というのは、すごかったんだと思います。全ての新聞が同じことを書く。戦争を遂行するために発行されました。今と40年代とは、同じようには考えられないんですが、人々の考えや精神の持っていかれ方には、似たようなものがあると感じます。

私は、小熊が詩を書いていた時代の朝鮮の詩人の活動を調べて『在日コリアン詩選集』という本に収録しました。1916年から2004年までに書かれた詩が対象です。この本は、亡くなられた加藤周一さんが、朝日新聞の「夕陽妄語」で紹介して下さったんですが、小熊が書いたのが稀なくらいで、当時、朝鮮を支配していたにも拘わらず、日本人は朝鮮に対して関心が薄かったんですね。

「長長秋夜」が発表されたのは1935年ですが、当時の『詩精神』には、朱ヨンソプが朝鮮の本名で詩を発表しています。朱ヨンソプは平壌生まれ。創氏改名で松村永渉となりました。演出家・詩人。彼は東京芸術座を結成し、また同人誌『創作』を発刊。『詩精神』に盛んに投稿しました。朝鮮に帰り、プロレタリア演劇分野で活躍。植民地時代末期には平壌で総力平安南道連盟文化部に属し、平壌詩話会などで作品活動をして、解放後も北朝鮮体制下で演劇サークルなどに従事しました。

1935年に「長長秋夜」が発表されたことは貴重ですし、あんな詩がよく書けたなぁって感心するんですが、小熊の詩によって、朝鮮の詩人たちは励まされたのではないでしょうか。「日本の詩人が、こういうふうに
朝鮮のことを書いてくれたんだ!」って思ったに違いありません。小熊秀雄が書いたように、「すべての朝鮮が泣いている」っていうことです。嘆きとか憤りを抱えつつ、あからさまには抵抗できないで暮らしていた人たちは、すごく多かったんじゃないでしょうか。「長長秋夜」で小熊秀雄が書いた植民地下の朝鮮人像は、現実に近いでしょう。小熊は、朝鮮の人たちの生活に近づくように書いたと思います。

 金光林という韓国詩人が小熊の「長長秋夜」の韓国語訳を発表して下さいました。金さんは北朝鮮生まれ。しかし、家族を置いて一人で南の方に来られました。ですから、金さんには離散家族をテーマにした詩も非常に多い。ただ、それをユーモアの混じった形で書かれるのが特徴で、モダニズムの系統の詩人です。

この間、日本では「侵略の歴史を無かったことにしよう」とか、「朝鮮支配は無かったことにしよう」などという動きが出てきています。そうなってくると、韓国の人たちは大変抵抗を感じるわけです。実際、日本が朝鮮を植民地支配していた時代に、お爺さんやお婆さんで、つらい思いをした人がいっぱいいるわけですから、「そういう負の歴史は無い」などと言われると、韓国の人たちの憤りも非常に激しくなってくるわけです。金光林さんは、小熊秀雄を韓国に紹介された時、「これからは韓国について書いてくれたり、時代に対して抵抗した詩人たちを積極的に韓国に紹介したい」と言われました。

 最後に、手前味噌になりますが、私、去年の11月に韓国の昌原(チャンウォン)市で実施されている昌原KC国際詩文学賞を戴きました。昌原市の詩祭は非常に盛んで、一般市民もたくさん参加します。
日本では詩祭というと詩人しか来ないんですが、韓国は違います。第5回昌原KC国際詩文学賞の授賞式の時受賞者の私の前に高校生ぐらいの若い人たちが「サインして下さい」って並びました。ズーッと列を作って並んでいて中々終わらない。日本では全く考えられない状態でした。それぐらい、韓国では詩が愛好されているし、詩人が尊敬されています。韓国には、詩を文化力として発信していこうっていう意欲があります。昌原市は首都じゃないし、さほど大きくもない地方都市なのに、世界の詩人に賞をあげようと発想するところがすごいと思います。世界的文学賞を一地方都市がやっていこうという気持ち、姿勢がある。それに
私は大変驚きました。 私のどういうところを韓国の人たちが評価して下さったか。韓成禮さんが書かれた文章の一部を読んでみます。

「昌原KC国際詩文学賞の選考委員たちは『佐川亜紀さんの詩には日本の歴史と東アジア諸国への深い考察と人間についての洞察が投影されている。詩語は知的でありながらも叙事的であり、重みがある。思索的でヒューマニズム的な表現も魅力的である』と評価。さらに、『冷却した日韓関係の中で、政治家たちには期待できない働きを詩人が
行っている』と言いながら、『微弱であったとしても詩が架け橋となって日韓の友好を深めることができるという希望を与えているとして、ある面では、詩が民間外交官の役割をも担えることを示したという点で、
満場一致で佐川亜紀さんに決定した』と審査評で明らかにした。佐川亜紀さんはこれに対し、『今の日本で、日韓の平和と友好に反するような言動が見られるのは日本人として大変恥ずかしく残念に思う。日本には歴史を見つめ平和を追求し、韓国との友好を深めたいと努力している人々は私の他にもたくさんおり、私が受賞者として選ばれたこと
は、そうした人々への励ましと思って、とても勇気づけられた』と感想を述べた。
佐川亜紀さんが日本で受賞した〈小熊秀雄賞〉の小熊秀雄詩人は、戦争中に朝鮮支配を批判した『長長秋夜』という長詩を書き、権力を風刺する作品をたくさん残している。佐川亜紀さんは〈小熊秀雄賞〉を受賞したように、反帝国主義を貫く詩人である。」
 小熊賞が私の国際詩文学賞受賞の際にも大きい意味を持っていた訳で、非常に有難く感じています。今後も韓国との交流を深めつつ、小熊についても、北海道の詩人についても、小熊賞を受賞した詩人についても韓国に紹介していきたいと思います。

『しゃべり捲くれ』第14号 小熊秀雄賞市民実行委員会会報より






第48回受賞詩集『中島悦子詩集 藁の服』


※第48回贈呈式では、橋爪弘敬会長、高田庸介事務局長はじめ
小熊秀雄賞市民実行委員会、旭川の皆様に大変ご尽力頂きました。皆様の詩への高い見識と温かい思いが伝わる式でした。
受賞者の中島悦子さんを囲んで親しく話す会も行われました。
私は「長長秋夜と韓国の詩人」というテーマで講演しました。
今後ともよろしくご支援、ご応募のほどお願い申し上げます。


以下は私が「交野が原」に書かせて頂いた書評です。


汚染され続ける魂を洗う果敢な言葉


中島悦子は二〇〇八年刊行の前詩集『マッチ売りの偽書』によりH氏賞を受けた。この本は表現の実験性にあふれ、テーマも言葉と火が緊密に関連づけられ、人間文明の根幹にかかわるものであった。
「受賞のことば」(「2009 現代詩」日本現代詩人会発行)で彼女は「社会の混迷、市場原理主義の蔓延などでどこかおかしくなっている時代に」「時代の呼吸を先端で感じ」「何か新しい自由の通路を見つけるてがかり」となるような「潜水訓練」としての詩作について述べている。物語が崩壊し、詩さえも「偽書」となっていく現代に対して鋭い自己洞察と批判力を持った作品集だった。その三年後、東日本大震災と原発事故が起こり、私達の文明と言葉の偽りが露呈したのだった。しかも、
偽書に偽書を重ね、一層歪んだ虚偽が堂々と流布し共有される事態に陥っているのである。

そうした状況のなか、二〇一四年十月に中島悦子は新詩集『藁の服』を差し出した。日本の、世界の危機的状況に真っ向から対峙しながら、詩で対峙するとはどういうことか非常に深く考え抜かれた画期的作物である。原発事故について優れた芸術性の構造を備えた詩集が登場したことに注目したい。
各編の題名も「〜をめぐる」で統一され、対象の周りをめぐることしかできないのか、めぐる物語の断片の数々なのか、繰り返される事象なのか、「その輪廻のめぐりを反省する」のか、と様々思わせ、周到に破壊し、構築している。一篇の中の各連も飛躍し、無関係かのような断片が並んでいる。
詩「黒をめぐる」では、喪に服す人に対しても感情移入を避けて異化し、フォルム化している。「ごとんというのは、それぞれの黒い頭の重さであり、血の重さである。慰めの手は出てこない」。
大震災、大事故に遭い、くり返される日本人の神話や復興の物語に回収されるのではなく、分裂し、汚染され、混濁した自己を鮮明に見、表現するには、客観と加工が必要だ。現実はまとまりもなく、断片化し、複雑に重層化し、交錯していく。安全地帯にいると幻想していた自分も被災し、欲望が爆発したごとく生活も猥雑なままだ。「きらきら市」という架空の街がベースになるが、福島県や原発立地市だけではなく日本のどこにでも存在する街だ。
「藁の服」は、声を上げて泣く子や悪い子を相互監視する身も凍る制服なのか、東北の鬼の衣装か、放射能をたっぷり吸い込んだ藁で仕立てた毒の服か、それとも無力な防護服か。幻想維持か、鬼か、
毒か、無力か。詩はそのどれにも当てはまろう。記録や祈りでもなく、ここでは本質を露にする行為なのだ。「俺は、安全地帯に逃げたいわけじゃない。現にここで働いている。正気でいたいだけ」。現在、「正気」でいることはどんなに困難なことか。孤立を招き、非国民とレッテルを貼られ、狂人呼ばわりされかねない。「大きな音は、無事だと思っていた魂そのものを支配していきます。魂の形は、守るのに難しい。心は、犯されやすい」という詩句が、迫って来る。

毒の雨は降る。堂々と。今となって隠すことは何もない。こんな雨の日には、ショッキングピンクの長靴を膝まで履いた女が無言でバスに乗ってきて、つかまるところもなく立っている。この抗議のスタイルを内閣総理大臣が見ることはない。だって、大衆のバスだよ、ここは。大衆は、ある場所でバスごと棄てられたのだよ。すでに。(中略)お茶にも毒。今までだって入っていたんだから安心せよと少しくらい多くても気にするなと全部あとから通達。静かに静かに茶葉に降り注ぐ雨音。季語もさぞ変質しただろう。変質しなければならない。これからの雨は、喜雨も白雨も村時雨も、雨鷽も横時雨も過去とまるで違う。命のあとから降る。
(「屋根をめぐる」部分)

季語も変質する事態だと私達も知っている。生きながら柩に入っている状態だと分かっている。バスごと棄てられ、列島ごと棄てられたのを勘付いている。「家のない人を気の毒に思っていたのに、自分も屋根のない家に住んでいたと気付いて。雨に濡れながら、汚い言葉を捜しているだけとは」。しかし、認めたくない。虚偽の栄光の過去に回帰し、「日本を取り戻す」という訳のわからない標語に酔う。閉鎖的な美の王国に立て籠もるのか。命を生かす汚い言葉を捜すのか。汚染水をたれながし、毎日、私達は洗われなければならない。過酷事故進行中を忘れている者に冷水を浴びせる。直接の被害者でないと、原発事故は書けないなどという議論は放射能被害についての認識が甘い。「毒は、放
っておくと小さな島国全部に広がってしまい、安心な場所はひとつもない」のだ。「小さな島がある。骸骨で埋め尽くされた島だ」。作者は高みから批評しているのではない。大衆の只中にいて、くずれた言葉にまみれ美も汚す雨に濡れている。「高いところから見ているつもりになってグルになるなよ」。元空中ブランコ乗りの彼が出てくるが、足から亡くなるのは「あの毒の処理のために、すでに五百人が神様になった」と語られる作業員と同様で、原発作業は曲芸のように危険だ。詩で現実を切り裂けば切り裂くほど、詩の行く手は隘路になるという非常に困難なところにいるのが実際なのだ。中島悦子にとって、私達にとって、生きるための呼吸訓練のように「憲兵が来る前に」「低音部や言葉にならないパーカッションで、粘り強く思いを支え」る詩の潜水訓練が必要だ。

巻末の詩「奇術をめぐる」で「この胸を割って青い鳥でも出せるなら/奇術を習いたいと思っていた」と書いている。詩は魔法であることが無理なら、せめて奇術でありたいが、奇術さえもできないのか。
詩集が偽書であり、詩が奇声や奇術であると自覚することによって新しい詩の領域を切り開いているのだ。「世界の果ては金属になり/誰ひとり観客はいないと」いう未来は真実味を増している。深い思索を促す刺激に満ちた本詩集の重要さは今後ますます明らかになるだろう。

(「交野が原」78号掲載。)(思潮社 2400円+税)







宮川達二著『海を越える翼―詩人小熊秀雄論―』
をご紹介します。


宮川さんは、旭川で高校生だった時、ある教育実習生より小熊の詩「青年の美しさ」を書き写した手紙をもらったことから、その世界に引かれ始めました。
以来、小熊の示した「旋律的な場所」を探し、2009年7月には、詩人の少年時代の足跡を辿って、ロシア・サハリン州を訪ねています。小熊は樺太で少年時代を過ごし、東京ではロシア文学者の昇曙夢、湯浅芳子と交友し、ロシア詩人に対する憧憬が強く、プーシキン、レールモントフ、マヤコフスキーらに親しみました。1971年にはロシア人翻訳者アナトーリー・マーモノフが翻訳したロシア語の小熊秀雄詩集が出版されています。 小熊の遺稿「親と子の夜」に出てくる「黒い鋲」が、自殺したマヤコフスキーがはいていた大きな大きなすり減った靴に打たれてい た「三角形の鋲」のイメージだという発見にも着目しました。
小熊の故郷が<樺太の「泊居」であること>、そこでアイヌや少数民族、強制連行されてきた朝鮮民族、ロシア人など多民族社会で生き、育てられた感性が詩作品に色濃く反映しています。
生い立ちも暮らしもどん底の不遇でしたが、かえって強烈な反逆精神や新しい世界を切り開く強さが培われました。妻のつね子さんは、苦しい中で、小熊の創作を守り続け、長男・焔を失っても生き続け、小熊の全集出版まで達成しました。
有名な文学者・宮本百合子、湯浅芳子、さらに歌人の斎藤史との出会いも意味深いです。彼女らに強烈な印象を残しました。
アメリカ人の翻訳者・デイヴィッド・グッドマン(1946〜2011)は1989年に『長長秋夜』をアメリカで刊行しました。これには、養子とした韓国生まれの息子・カイが大人になった時、育ての母(グッドマンさんの妻は日本人翻訳者の藤本和子さん)の祖国日本と、自分の生地韓国との不幸な歴史を思ったとき、連帯を訴えた「長長秋夜」を書いた詩人が日本にいたことを分かってもらいたいという想いがあったそうです。
綿密に文献を調べ、丁寧に分析し、また実地にも旅をして、想像力を働かせながら、小熊の世界を的確に豊かに描き出している労作です。交友した詩人、芸術家の群像も興味深いものです。「資料」「小熊秀雄辞典」「年譜」も貴重な研究成果です。
(コールサック社、2000円+税)



小熊秀雄は、海外アメリカ、タイなどでも、詩や童話が紹介され、 関心を呼んでいます。中でも、アメリカのDavid G. Goodmanさんは小熊秀雄の英訳詩選集
『Long,Long Autumn Nights』(『長長秋夜』)を1989年にアメリカで出版されました。 しかも、すばらしいことに、ハードカバーが売れたので、 普及版の柔らかいペーパーバックになるそうです。 世界も注目する小熊秀雄の詩をグッドマンさんの英訳とともにを少し ずつ紹介します。



●漫画『火星探険』の復刻がついに出ました!!




小熊秀雄が台本を書いた日本初のSFストリーマンガ『火星探険』が透土社より、
復刻出版されました。(本体2000円)手塚治虫、松本零士、小松左京らの対談も
収録されています。
 小熊は旭太郎という筆名で少年漫画の台本を書きました。解説の木島始さんが
おっしゃるように晩年病苦と闘いながら、死の直前まで心血を注いだのがこれらの
台本です。松本零士氏、小松左京氏は、科学的知識がしっかりしていて、それまでのおもちゃのようなマンガから質の高い本格的なマンガに変わる母胎となった作品
と評しています。<科学の研究に無駄はない><夢と科学はどちらも大事>など、
今年話題となったノーベル化学賞受賞の田中さんの言葉のような本質的な議論も出てきます。また、想像の火星と火星人はユニークで、火星人は頭が大きな人は考えてばかりいて、小さな人は作ってばかりいて、食べ物はトマトだけで、種は食べないなど、おもしろいです。主人公の星野テン太郎、ねこのニャン子、いぬのピチクン
はかわいらしく、ちょっと生意気なところも愛らしいです。小熊秀雄の才能の豊富さに圧倒され、別の面を見て、またまた感心します。ぜひ、ご覧ください。

★『ぼくの尺度 木島始エッセイ集』今を考えるヒントがいっぱい。

 小熊秀雄の評価・紹介を戦後から続けていらっしゃる木島始さんのエッセイ集が
同じ透土社から発行されました。(1600円)漢字、翻訳、ジャズ、映画、演劇、戦争、
京町家など、多彩な話題にいろいろな考えが広がります。「からだが魂の言葉だった」というフレーズもすてきです。


TV放映「池袋モンパルナス」 *1999年12月18日のNHK教育TV・ETVカルチャースペシャル 「池袋モンパルナス」(芸術家が集ったアトリエ村)をご覧頂き、ご感想 お問い合わせが多数届き、驚いております。ありがとうございました。 早速、小熊秀雄の詩集・全集・名作童話の出版社をご紹介します。

★小熊秀雄の作品集
・ ハンデイでお求めやすいのは、
思潮社・現代詩文庫『小熊秀雄詩集』
岩波文庫(岩田宏編)『小熊秀雄詩集』
・全集・創樹社刊『小熊秀雄全集』
・絵本・英語対訳(アーサー・ビナード訳)『焼かれた魚』透土社刊
(下の写真)
もっとあります。

★小熊関連
・『池袋モンパルナス』宇佐美承著(集英社)(下に説明)
だんだんふやしますので、ご了承ください。

22歳で発表した名作童話「焼かれた魚」




「白い皿の上にのった焼かれた秋刀魚は、たまらなく海
が恋しくなりました。
あのひろびろと拡がった水面に、たくさんの同類たち
と、さまざまな愉快なあそびをしたことを思い出しまし
た,いつか水底の海草のしげみに発見(みつけ)ておいた、
それは、きれいな紅色の珊瑚は、あの頃は小さかったけ
れども、いまではかなり伸びているだろう、それとも誰
か他の魚に発見(みつけ)られてしまったかもしれない、」
という書き出しで始まる、焼かれた魚が自分の身を食べさ
せながら懸命に海に帰るお話。猫のミケには頬の肉を、ど
ぶねずみに半身を、野良犬にもう半身を、カラスに目玉を
与えて運んでもらい、骨をなった身をアリたちにかついで
もらって、やっと海にたどりつきます。しかし、泳いでは
塩水がしみ、目が見えず、最後には砂浜にうずもれてしま
います。自由への憧れと現実の重さを表わしたようなシリ
アスな童話。



日本のパリを夢見た『池袋モンパルナス』




今、池袋といえば、繁華街のイメージが強いですが
以前は田舎でした。「池袋モンパルナスとは、昭和のはじめから、
敗戦まで、東京池袋周辺にあった若く貧しい芸術家たちの集落の
呼称である。
かれらは芸術至上主義的な自由と前衛のむらを形成し、謳歌した。
大正期の起源から、空襲によって壊滅するまでの集落の全貌とそ
こに住まった絵かき、彫刻家、詩人たちの鮮烈な生き方をヴイヴイ
ットに描いた渾身の長篇ノンフィクション」と帯にある宇佐美承さ
んの熱い思いと丁寧な調査に基づいた500余ページの大冊。伝説
的画家・あい(難しい漢字です)光、長谷川利行らとともに小熊秀雄
もここで重要なメンバーとして活躍しました。激動の時代をドラマチ
ックに、ハチャメチャに、真剣に、生きた若き芸術家たちをとても魅
力的に描いています。日本のルネッサンスを夢見て、奔放に、かつ求
道的に創作した彼ら。国家の抑圧と人々の戦時体制へのなだれこみに
より孤立し、破滅した芸術家が多いですが、その破滅も輝いて見えます。
(集英社・1990年刊)


文壇諷刺詩篇(小熊の諷刺の真骨頂)

谷崎潤一郎へ

人生の
クロスワード
人生の
迷路を綿々と語る
大谷崎の作品は
はばたく蛾
鉛を呑んだ蟇
重い、
重い、
寝転んで読むには
勿体ないし
本屋の立ち読みには
長過ぎるし
読者にとっては
手探りで読む
盲目物語だ
作者の肩の凝り方に
読者が御相伴するのも
よかろうが
書籍代より
按摩賃が高くつきそうだ
先生の御作は
そやさかいに
ほんまに
しんどいわ。


しゃべり捲くれ

小熊秀雄

私は君に抗議しようというのではない、
−私の詩が、おしゃべりだと
いうことに就いてだ。
私は、いま幸福なのだ
舌が廻るということが!
沈黙が卑屈の一種だということを
私は、よっく知っているし、
沈黙が、何の意見を
表明したことにも
ならない事も知っているから−。
私はしゃべる、
若い詩人よ、君もしゃべり捲くれ、
我々は、だまっているものを
どんどん黙殺して行進していい、
気取った詩人よ、
また見当ちがいの批評家よ、
私がおしゃべりなら
君はなんだー、
君は舌足らずではないか、
私は同じことを
二度繰り返すことを怖れる、
おしゃべりとは、それを二度三度
四度と繰り返すことを言うのだ、
私の詩は読者に何の強制する権利ももたない、
私は読者に素直に
うなずいて貰えばそれで、
私の詩の仕事の目的は終った、

私が誰のために調子づきー、
君が誰のために舌がもつれているのかー、
もし君がプロレタリア階級のために
舌がもつれているとすれば問題だ、
レーニンは、うまいことを云った
ー集会で、だまっている者、
それは意見のない者だと思え、と
誰も君の口を割ってまで
君に階級的な事柄を
しゃべって貰おうとするものはないだろう。
我々は、いま多忙なんだ
ー発言はありませんか
ーそれでは意見がないとみて
決議をいたします、だ
同志よ、この調子で仕事をすすめたらよい、
私は私の発言権の為に、しゃべる
読者よ、
薔薇は口をもたないから
匂いをもって君の鼻へ語る、
月は、口をもたないから
光をもって君の眼に語っている、
ところで詩人は何をもって語るべきか?
四人の女は、優に一人の男を
だまりこませる程に
仲間の力をもって、しゃべり捲くるものだ、
プロレタリア詩人よ、
我々は大いに、しゃべったらよい、
仲間の結束をもって
仲間の力をもって
敵を沈黙させるほどに
壮烈にー。


Talk Up a Storm
(Shaberimakure)


I do'nt want to argue with you
As to whether my poems are just so much talk.
I am happy now.
My tongue wags freely in my mouth.
I know well enough
That silence is a form of cowardice,
That silence
Does not constitute an expression of opinion.
I talk.
Young poet, you,too, talk up a storm.
We can march on,contemptuous
Of those who say nothing.
You self-important poets,
You wrong-headed critics,
While I am holding forth,
What about you?
Has the car got your tongue?
I fear
Saying the same thing twice.
A real talker is someone
Who repeats himself two,three,four times over.
My poems have no right of coercion over those who read
them.
If my readers
Simply nod in assent,
Then my poetic work has been accomplished.

For whom do I wax eloquent?
On whose account are you inarticulate?

If you are being incoherent for the sake of the proletariat,
Then that presents a problem.
Lenin put it well;
Consider those who keep silent at a meeting
To have no opinion.
No one is going to force you
To talk about aspects of class.
We have better things to say?
Have you anything to say?
If not, we shall assume you have no opinion.
Motion adopted!
Comrades, this is the way to proceed.
I speak in defense of my right to speak.

Readers;
Roses have no mouth,
So they address your nose with their scent.
The moon has no mouth,
So it speaks to your eyes with its light.
Then with what should a poet speak?
Together,four women
Can easily muster enough verbosity
To talk a man into silence.
Proletarian poets;
Talk and keep talking
In solidarity with our comrades,
With the power of our peers,
Talk furiously!
Until our enemies fall silent.



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