ウォーター


翻訳詩のコーナー



目次


タゴールの歌

オルトナスト(モンゴル詩人)

『カンボジア花のゆくえ』

ナーズム・ヒクメット

タゴール寓話と短編

『東南アジア文学への招待』

オクタビオ・パス

モンゴル詩

アレス・デベリアク

カマラー・ダース

マヤ・アンジェロウ


タゴールの歌

「わたしの心は 今日 孔雀のように躍っている」


わたしの心は 今日 孔雀のように躍っている
かぎりない さまざまな思いや希望が 孔雀の尾のように広がっている
切ない心は 空を見つめ 喜びに満ちて 誰かを求めている。
ああ 今日誰が こっそりと ボクルの梢を 揺らしているのだろう。
ボクルの花がふりしきり、サリーの端が空へ舞いあがる、
巻き毛がなびいて、まぶたに覆いかぶさり――― 編んだ髪がほどける
激しい雨が新芽に打ちつけ、森はコオロギの鳴き声で ふるえている――
川は波立ち 堤からあふれ 森の近くまでやってきた

※序文で日野原重明さんが「宇宙との一体感、自然との一体感からうまれた
タゴール歌曲の詩が、読者の心の琴線に響くものと思います」とおっしゃら
れていますが、インド独特のゆったりと大きな自然はたいへん魅力的です。
抒情というものが風土から生まれてきたことがよく分かります。
さらに、CDで聴く歌曲がインドのリズムの本質を教えてくれます。
訳者の神戸朋子さんがご自身で歌っているので、訳も美しい音楽性に
あふれ、大河の流れやひろびろした平原をわたる風を思わせます。
今、経済成長とIT化がめざましいインドですが、根底にある豊かな
生命感覚をもっとよく知りたいものです。
(段々社・2000円+税)



オルトナスト(モンゴル詩人)

夢のモンゴル

2 神曲

モンゴルとは
 口にする時
 美味なる
 ことば

 耳にする時
 青く濁る
 こだま

モンゴルとは
 十三世紀の
 嵐

 二十一世紀の
 霧

モンゴルとは
 海に溶けぬ
 月

 心に沈まぬ
 太陽

モンゴルとは
 季節はずれの
 流れ星

 謎のぐし縫いの
 地図

モンゴルとは
 馬のたてがみに生き残りたいと願う
 風

 心の花びらにこぼれ染みたいと祈る
 光

モンゴルとは
 あなたの夢を酔わせる
 たそがれの
 雨

 わたしの胸を踊らせる
 あけぼのの
 虹

モンゴルとは
 野を駆け息絶えた
 最初のいなずまのような
 馬

 蜃気楼にひそみ命が助かった
 最後のかみなりのような
 狼

モンゴルとは
 毒蛇にまるごと飲み込まれている
 蛙

 悪夢にうなされやせほそっている
 虎

モンゴルとは
 石にしたたる
 涙
 
 火に燃える
 笑顔

モンゴルとは
 既知の方程式
 X=血

 未知の方程式
 Y=乳

モンゴルとは
 昼と夜との無限に続く
 矛盾

 火と水との巧妙に和える
 調和

モンゴルとは
 天の翼を舞い翔ける
 物語

 地の掌をたぎり流れる
 悲劇

モンゴルとは
 常しえにたて沸く
 思想

 永久にはためく
 蒼い旗

モンゴルとは
 奏でやすい
 調べ

 読みにくい
 文字

(詩集『夢に燃える風のたてがみ』竹林館より)

*大阪外国語大学の学生の方のご紹介で、モンゴルの詩人・
ボルジギン・N・オルトナスさんの詩を載せました。翻訳詩では
なくオルトナスさん自身が日本語で書かれた作品です。
略歴は中国、内モンゴル、シリンゴル盟、西ウジムチン旗にて
遊牧民家庭に生まれ、幼少時代、遊牧生活を送る。
1990年シリンゴル盟師範学校を卒業。小学校教諭。
1992-1995年北京外国語大学英語科に学ぶ。
1995-1997年大阪YWCA日本語専門学校修了。
1997年-2001年大阪外国語大学卒業。
内モンゴルの現代詩人。関西詩人協会会員。
詩・散文の創作・翻訳多数。
日本語詩集は上記の他、『風に燃える夢のたてがみ』竹林館
竹林館  E-mail:BZX00335@nifty.ne.jp
URL:http//homepage2.nifty.com/TIKURINKAN/PAGE.html

アジアにもいろいろな詩風があり、オルトナスさんの大陸を吹
き抜ける風の詩はまさに天の翼のように豊かなポエジーに満
ちています。また、哲学的な深遠な思索も魅力的。水口洋治
さんが解説で「モンゴル民族に対して強い誇りがある」と指摘
されていますが、モンゴルを近代国家の枠を越え、宇宙生命
のように多彩に捉えているのに圧倒されます。ぜひご一読く
ださい。
 



『カンボジア花のゆくえ』





1975年からの暗黒のポル・ポト政権時代を奇跡的に生き抜いた著者
パル・ヴァンナリーレアクが自らの体験をもとに、政治に人生を支配翻弄
された人々の悲劇と、その中でも人間的に成長する女性をみずみずしく
描いた力作長編。
カンボジアは1953年にフランスから独立してわずか半世紀の間に六つ
の異なった体性がしかれたというから、日本人がとても想像できないよう
な史実に満ちている。でも、本書は美貌の少女・高校生ミアルダイを主人
公することによって、恋愛・自己成長・家族などに大きな比重を置き、政治
だけでなく、普遍的人間性の物語が彩りある魅力になっている。特に、前
半は1975年以前のプノンペンのかなり裕福な資産家の暮しが表され、
ポンダとヤマハのバイクを乗り回しナンパする若者たちは日本と似ていた
んだと驚く。ただ、これは首都のことでポルポトが発生した原因である農村
部の悲惨さはあまり出てこない。ベトナムに後押しされた解放政権讃美な
のも政治的制約のせいでカンボジアの作家が本当に自由に創作するのが
いかに困難だったかを伝えている。
私が一番興味を持ったのはカンボジアの人々の恋愛感情。やや優等生的
だが、その隙間からこぼれるものがおもしろい。主人公の前半の思いっきり
のわがままぶりも生身さがある。
たいへん読みやすく自然な日本語の訳者は岡田知子氏。
著者パル・ヴァンナリーレアクは、1954年生まれ。ポルポト政権下で両親を
亡くし、集団強制結婚させられる。1985年発表の本書で文学コンクール第
一位入賞。95年長編『忘れ得ず』でシハヌーク国王文学賞。詩集『クメール
の月』など。2003年11月来日。13日国際交流基金フォーラムで講演。
下の詩は、本書より引用。(発行 段々社/発売 星雲社 1900円)


寝ころんで見る空のなんて高くて遠いこと
胸にわだかまる悔は
よるべのない私の淋しさは
転々として心をめぐり懸命に生きるこの人生

提げても背負っても重い過ち
昔したことが胸を裂く
貧しいあなたを蔑すんだ私
なんて間違いをしたのでしょう

ああ、あなたにお詫びします
どうか愛しいあなた、私をもう一度許して
いまでは天涯孤独の娘
それは酷いポル・ポトが父を亡き者としたから

人生の空は広くて大きいが
見通しはまだおぼろげ
運命を決めた黒い心の裏切り者たち
希望であるあなたから返事はない





ナーズム・ヒクメット

死んだ少女
峰俊夫訳

T 雲が人間を殺さないように

ぼくたちを人間にする母おやたち
いつも前を進む光
きみたちを生んだ母おやたち
人びとよ 母たちの生命をまもれ
   雲が人間を殺さないように!

庭を走ってゆく少年たち
凧が木の間をとんでゆく かつて
おなじように走ったきみたち
人びとよ 子どもたちを殺さないで
   雲が人間を殺さないように!

鏡の中にだれかを探すのか
黒い櫛を髪に沈めた花嫁たち かつて
おなじように待たれたことのある きみたち
人びとよ 花嫁たちを殺さないで
   雲が人間を殺さないように!

老年に近づいた人たち
過ぎてきた甘い日々を思いだす
老人は哀れ!かれらを生きさせよ
人びとよ きみたちも老いるのだから
   雲が人間を殺さないように!

U死んだ少女

扉を開けて 叩くのはわたし
どの家の扉も わたしは叩くの
あなた方の目に わたしは見えない
死んだ人は見えないのだから

わたしが死んだのは ヒロシマ
たくさんの年がすぎてゆきます
いつまでもわたしは七つ
死んだ子は年をとらないから
炎は わたしの髪の毛を やき
炎は わたしの目に かぶさり
ひとにぎりの 灰に わたしはなり
灰に 風に 運び さられ・・・・

おねがい!けれどわたしのためでなく
わたしには パンもお米もいらないの
アメだって食べられないの
木の葉みたいにもえてしまったから

署名してください おねがい
地球のうえのすべての人に
子どもが 炎に やかれないために
子どもが アメを たべられるために


「死んだ少女」(国文社刊)56・11
*ナーズム ヒクメットは、1902年生まれのトルコの
詩人。17年にわたる獄中生活を送り、反戦平和を訴
え、「戦争の世紀」20世紀を体現する詩人。ヒロシマ
の原爆や核実験を告発する詩は日本でも知られてい
る。2002年は生誕100年にあたり、記念集会が催さ
れる。


タゴール寓話と短編
『もっとほんとうのこと』





アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩人タゴール。
その神秘的抒情詩は今も新鮮であり、現代に意義深いです。
タゴールは詩だけでなく、小説、戯曲、寓話も書き、音楽家であり、
思想家・教育者でした。その根本には、詩人の心があり、この寓話
短編集もポエジーにあふれています。「おまえはクシュミという子だって、
みんな知っているね。これは、まぎれもないほんとうのことで、
証拠は数えきれないくらいたくさんある。だがね、わたしはひそかに
知ってしまったのさ、おまえは妖精の国からきた妖精だって、これが、
もっとほんとうのことだ」(「もっとほんとうのこと」)人間存在の本質を
外面でなく、内面の精神に置き、魂の自由さを想像させます。
「そういう力は、わたしにそなわっているよ、目には見えないような
ことが、とつぜん見えてしまうという力だ」その力は、詩人だけでなく
あらゆる子供に備わっているという信念が豊かな教育を創造しています。
タゴール国際大学においてタゴールの思想を学んだ内山眞理子さんの
訳による日本初の10篇。(段々社・1800円+税)






『東南アジア文学への招待』




東南アジア文学を知るのに最適な入門書が段々社より
発売されました。タイ文学、ビルマ文学、ベトナム文学、
インドネシア文学、マレーシア文学、シンガポール文学
の各特長の解説、作品、近現代文学史年表が高レベ
ルな内容で簡潔にまとめられており、たいへん分りやす
いです。同じアジアでも日本の近現代文学と違う多様性
にあふれ、また共通の問題点も見出せて興味深いです。
(本体3500円+税)

シンガポール文学より・幸節みゆき解説・訳
エドウィン・タンブー(1933年〜)



時代は緊張と疑惑に満ちている。
自信をなくして、空気は
褐色の奇形の花を咲かせる。
僕の木々は緑になるが安らぎはない。
しなやかで黒々と、君の髪は
いま街の色。
部屋の中では人々が社会悪を論じて
夜更けにおよび、
現代の平穏のうわべの下で
偏見が動かない。

夕暮れが光の針に
乗り、凝縮する。




オクタビオ・パス





マドリガル
真辺博章訳

昼顔の花の指の間を通り抜けて
落ちるあの水滴よりも
もっと透明な
橋をぼくの思念は架ける
きみ自身からきみ自身へと
ぼくの額の
中心に住みついて動かないきみの
肉体よりも現実的なきみ自身を見よ

きみは生れたのだ ひとつの島に住むために


来客たち
真辺博章訳

石と旱魃(かんばつ)の都市の暗闇を越えて
野原がぼくの部屋へ入り込んで来る。
小鳥のブレスレットを、木の葉のブレスレットを、
はめた緑色の腕を差しのべる。
その手が小川を引く。
摘みたての宝石の入った籠をさげて、
野原の空もまた入り込んで来る。
そして海がぼくと並んで座り、
その純白の尾を床に広げる。
樹から鈴生りの美しい言葉が
輝き、熟して、落ちる。
ぼくの額の、稲妻が住む洞窟・・・・・・
しかし部屋全体が翼で溢れんばかりだ。


*『世界現代詩文庫23・オクタビオ・パス詩集』
(土曜美術社出版販売・1300円)から

*オクタビオ・パスは、ラテンアメリカで最も優れた詩人の一人
です。1990年には、ノーベル文学賞を受賞し、20世紀の世界的詩
人として評価されています。1914年メキシコ・シテイで生まれ、
1933年19歳で第一詩集『野生の月』を出版。1937年内戦中のスペ
インへ行き、<反ファシスト作家会議>に出席。1945年シュルレ
アリストのアンドレ・ブルトンと親交を結び、シュルレアリズム
の新しい局面を開きました。外交官としてインド大使にもなり、
東洋思想にも造詣が深く、東西の詩想を合わせ持つ豊かな詩世界
です。『続・オクタビオ・パス詩集』が真辺博章氏訳で出版され
ています。(土曜美術社出版販売・1300円)


●遥かな源流と草原・モンゴル詩をどうぞ

モンゴルの美しき白馬に寄せる悲歌

S・ハダー/石原武訳

深い悲しみに耐えて
一昨日死んだものの墓に立つ
それぞれ思いにふけり

モンゴルの大地の実り豊かな夕暮れに
初めてのキスを待つ少女のように
きみはカーレン河にきらめく眼を閉じた

オオタカが空に舞い
愛しいモンゴルの男に唇を寄せるには
もう遅すぎた

月光が冷やかにカールカ草原に輝いていた
私は涙の最後の一滴を飲み込んだ



日本海を渡る風
−なぜ日本で涙がこみ上げてきたのか
S・ハダー/石原武訳

新幹線は疾走している
客席は静かだ
新聞を読むもの そっと夜食のスナックを食べるもの

新大阪そして名古屋と闇に列車は出て行く
長い海岸線に沿って
一人の日本人から濃いコフイーを手渡されたとき
ふいに私は深い孤独に襲われた
私はいま異国を旅していると承知しながら
モンゴルの
大草原に新幹線が敷かれている幻想を見ている
新幹線は東京の繁栄の中に私を連れていこうとしているのに
なぜ涙がこみ上げてくるのだろうか


*S・ハダー 1961年、内蒙古自治区の良家の息子として
生まれる。モンゴル国立大学卒業後、世界詩人会議を中心
に活躍。 モンゴル作家同盟会員。かれの詩にはモンゴルの
大草原の匂いが 溢れている。(石原武)

*ご紹介する詩はすべて詩誌「地球」125号・1999.12月号から、主宰者
・秋谷豊氏、訳者・石原武氏のご厚意で転載させていただいたものです。
果てしない広がりを持つ自然とゆったりした抒情は今の日本にはなく、私たち
モンゴロイドの郷愁をさそいます。日本の文明にさらされた詩「日本海を渡る
風」は繁栄の虚しさと近代化の破壊力を鋭敏に感じとっています。(佐川 )



私の秘密

G・メンドーオヨオ/石原武訳

今日、私は解読されない謎、困惑した十字架、
大部分を海に沈めた氷山。
私の思いは胸の底に隠れているー
私のこころを奮い立たせる国の言葉で隠されている。

私は自然の美の中に存在する。
その豊かなメロデイーだけが私を開く。
遠い星々や無数の樹木だけが私を見つける。
訪れそして去り行く時間が私を開く。

砂粒の九色が私を開く。
天体につながる信号が私を開く。

涙を流したあの懐かしい日々が私を開く。
神秘なままの夜の闇が私を開く。

みんなの中のたった一人の眼差しが私を開く。
その人への密やかな態度が自分を開く。
妬みの苦い言葉が私を開く。
憎しみの激しい風が私を開く。
偉大なるナツアグドリの詩が私を開く。
学深き老師たちの教えが私を開く。
子どもたち、この肉と血が私を開く。
未来、未見、未知なるものが私を開く。

今までの世界の歴史が私を造り、私を開く。

今日の私の生活や苦労が私を決め、私を開く。
私の声や詩が私を開く。
民衆の心に触れることができれば、
私もまた開かれる。
私の人生は最後に至って意味あるものとして
私を開くだろう。
その日私に敬意を払う人々が私を開くだろう。
私の周りに育つ花々が私を開く。
過去の事物の思い出が私を開く。

世界は私の中に適度に隠され
私の思いはこころの底に密やかにある。
すべてのものが、すべての瞬間が私を開き、
宇宙は私の中から姿を開いていく。


*メンドーオヨオ 1952年、遊牧民の息子として生まれる。
1980年頃から詩を書き始め、四冊の詩集がある。(石原武)
*メンドーオヨオの詩は、現代詩としてかなりの技術力と知性
に満ちた詩です。素朴な抒情ではなく、「私は解読されない
謎」と知性の分析があるところが西洋現代詩に近く、響きあ
う多面的な自然・宇宙・歴史の言葉が優れた世界的レベルの
詩にしています。(佐川 )


セレンゲ河

D・ウリアンカイ/石原武訳

私のセレンゲ河は遥に遥に流れる・・・
やがて北極海に
北極熊のかわいい子どもたちにとどく
こころのように真っ白い子熊たちは
セレンゲ河の氷の上を歩き始める・・・
セレンゲ河は雪になり
雪片はヒマラヤ山脈の頂に降る
それはゴビ砂漠を潤し
駱駝の鼻面を湿らせる
セレンゲ河はアフリカのジャングルに雨を降らせ
小さな雲雀の翼を濡らす
セレンゲ河は世界中を流れ
私の周りを流れ
遥に遥に流れ
私の視野から消えることはない
セレンゲ河は私のこころの青い極
セレンゲ河は私のこころの青い赤道
私のこころはセレンゲ河の周りを回る
世界が太陽の周りを回るように
セレンゲ河は世界の河
私の河

*D・ウリアンカイ 1940年、遊牧民の息子として生まれる。
1964年、モスクワのブカレスト経済大学を卒業。『君へ』と
いうスケッチ短編小説集がある。(石原武)
*この詩は、アメリカインデアン系の詩人・レスリー・マーモン・
シルコーの詩を思い出させます。自然の地球的循環、生命の円環
を感じ、いのちの大きさを体を通して味わわせてくれます。
インデイアンもモンゴロイドで自然観で似たところがあるようです。(佐川 )




秋谷豊

人間は影のなかをまわる
ぼくは影の中からいま出ていく
どこへ行くのか
行かねばならぬ理由を
ぼくは知らない
しかし ざわめく群衆や
ランプの光りにも
ぼくはひとつの影をみつける
神には影がないときみは言う
それならあれは何なのだろう
きみとの荒々しい接吻
やさしく充ちた火薬のような
あの見たことのない愛は
ぼくらはきっと
母の黒い木のあいだに
父が落としていった影なのだ

*「地球」125号では、主宰者秋谷豊さんの詩がモンゴル語訳されています。







コソボ近くの詩人・アレス・デベリアク

ボスニア悲歌
ミリエンコ・ジェルゴヴィックのために

石原武訳









歌ってくれ、若い詩人よ。ぼくの燃える皮膚に触ってごらん。 世界の果てまでも道なき山々を歩き回って真っ黒に日焼けした。今は、諦める ときではない。射手たちは残酷な時代の記憶を思い出させる宮殿や図書館の湿 った染みに照準を合わせているけれど。

今は残されたものを挙げてみるといい。古いアーチや鐘楼の下で、囀っているツバメの 群れ、防空壕で読んだフランスの小説の永遠の知恵、突然消えてしまった赤ちゃん たちの金色の羽毛の耳覆い、パノニア平原から聞こえてくる鈍い爆発音。

火薬の匂いが肺を苛立たせる。ぼくらはまだ戸口から出てはいかない。決して澄む ことのない深い池の水が波立つ今、口を開くがいい。波紋が水底に輝く。

過ぎされば、物事は楽しい、きっと。ぼくには覚悟ができている。だから、愛の嵐に ついて、女たちの影の妖しさについて、大理石の階段について、歌ってくれ。君が灰 色に変わる前に歌ったように。




北からの悲歌

石原武訳

大地。赤い大地。見渡す限り伸び放題の草。君は人目につかないよ うに地面に這いつくばっている。静かだ。耳もとに一羽のウズラ。 君は石になるのか。いや、トウモロコシ畑に落ちる影影に君は耳を すましている。汗の玉とも、涙ともつかないものが、頬を滑り落ち る。遠くに険しい山が聳えている。木も花もない。鋭く切り立った 地平線に刻印された裸の山。頂きで雲に迷った鹿狩りの猟師が何世代 も彷徨い続けているだろう。入り口のきらめき。小春日和の天気はも う終わる。僕の耳は確かなはずだが、君の唇から何も聞こえない。 君は口がきけない、目が見えない?君はきっと記憶の中のすべての 痕跡を探しているのだ。雪の中の足跡、懐かしい唄、それに夕暮れの コニャック。城と尖塔のある小さい白い町々、日曜日の午後の匂い、 花崗岩の橋の下を流れる河など。みんな君を避けているようだ。ここで、 昔ながらの種族の虚ろな空のしたで、君の道は終わるだろう。僕は もちろんいつも帰っていく。君は帰らない。そこが違うのだ。

(中略)

今、苦しげな低い声に、いつまで続く悲しみのメロデイーに、漲り 砕けた鏡に、兵士たちの凶暴さや彷徨う動物たちの衝動的な子孫が、 君の現実感をかき乱す。現実は、南洋の移りいく多島海のように 変わる。穀物の滝のように、重傷を負うたイルカの青白い血のように 下水溝に向かって流れる。恐怖の瞬間にも。君が眠りに沈む前に。 眠りは亡命の記憶から君を解放しないだろう。今、無限に続くリズム をこっそり真似た悲しい歌で、君が雪も何もかも同じままだと言っても。 今、望みなく、情熱的に、性急に、ここでは、ドアは半開き、そこから 水が漏れる。今、壁が包囲する。蝸牛の殻が足裏で砕ける。今、雹が 群れになって、君を大地に釘づけにする。今、道の終りと始めの締めくくり。 今、君のように行き暮れた人と、夜からやってくる暗い声を分けようとする。 この詩にいる自分が分かるか?

この瞬間にも、寒い部屋のうすら明かりに、遠くから雷鳴が近づく。 遅い午後、嵐の窓や汚れた窓ガラスから。鍋のお湯が湧かない。 魚が氷の下で喘ぐとき。君が半眠りで、絶望したかのように震える とき。震える牝鹿の群れが、林の奥に干上がった沼を残し、町の 庭園にやってくる、この儚い瞬間。寒気が君の脊髄を切りすすむとき。 固まった蜂蜜が瓶の中で割れるとき。死にゆくものの額に置かれた 女の手への思いが近くにやってくるとき。君が忘れたかった村を潰された 記憶の闇から、立ち上がろうとするとき。罪と真実が君の胃を焼くとき。 怯えた雉が壁に吊るしたコブラン織りから飛び立つとき。持ち場を離れた 看守らが大気を突き刺すような笛の合図をし合うとき。鋭い石が 君の頭蓋を砕くとき。僕は、今、君の傷ついた肉体は、淋しい薮が、 エデンの東の踏み荒らされた土地に落とす影そのものだと、君に 気づかせるべきだろうか。



* 今、コソボに空爆が行われています。ソ連、旧ユーゴスラビア崩壊後、民族自立の 動きが活発化し、旧支配体制との抗争が始まりました。これに、NATOも介入し、 空爆で一般市民が多数死傷しているのは、ご存じの通りです。人権と軍事の矛盾も あらわになり、複雑な状況です。バルカン半島は、第一次世界大戦の引き金であり、 ヨーロッパの火薬庫と言われています。朝鮮半島と同様、民族問題に大国の利益が からみ、傷ついた地です。
アレス・デベリアクは、1961年にユーゴスラビアの最北 スロベニアに生まれました。スロベニアは、1991年、所謂十日戦争によって、国民 投票と独立宣言に従いユーゴスラビアから独立しました。
「デベリアクの散文詩『不安な時刻』はこの十日戦争の一年前に書かれたらしい。 にもかかわらず、ここには追放と流浪と焼かれた村々、その旧ユーゴに口を開けた 地獄の相貌が、未来への予見として描かれている。」(石原武)詩の本来の機能で ある予言性を優れた詩人は持っています。旧ユーゴの人々の 複雑な思いを抒情性と想像力豊かに描いています。訳者の石原武さんのご厚意で 紹介させて頂きました。(『不安な時刻』アレス・デベリアク著 石原武訳 花神社。1800円) アレス・デベリアクは、若手詩人ですが、抒情と思索性に富んだ詩で、 中央ヨーロッパでは、もう十分天才詩人と認められています。解説のチャールス・ シミックはこう言っています。「私たちが生きる歴史の複雑さ、非道さ、知的 な逆境に、鈍感な詩人など、この詩集を読む価値はない。デベリアクはこの困難な 仕事を果たす。」「多くの沈黙に囲まれた幾つかの言葉、詩とはそういうもので あるだろう。デベリアクを読みながら、私が感じたのは、この去り行く世紀に、 人生とはどういうものか黙考すること、そのことだ。」この美しい悲歌は、 二十世紀のむごさとそれでもなお人に精神の光があることを告げています。








インドのノーベル賞候補女性詩人
カマラー・ダース












インドには、タゴールというノーベル賞を受賞したすばらしい詩人がいましたが、女性詩人でも1984年に候補となったカマラー・ダースが豊かな文学活動をしています。自分で英訳もしているので、英語で読むことができます。
最近、日本でも彼女の告白自叙伝が出版されました。上の写真がその本『解放の女神・・・女流詩人カマラーの告白』(辛島貴子訳・平河出版社刊2000円)と詩人のポートレートです。この著作はショッキングな内容でインド社会での女性について性や表現の自由もふくめて赤裸々
に語られています。目次だけ見ても、「第一章ヨーロッパ
人の学校で受けた褐色の肌の子供の屈辱」(カマラーは
自分の詩を白人の子が書いたことにさせられた)「第三章 結婚初夜・・・何度も何度も彼は私を傷つけ、その間
中、カタカリのドラムが物憂く鳴っていた」(カマラーは15歳で結婚させられました)など傷ついた結婚生活の代償
なのか奔放な男性遍歴を重ね、愛の詩も多いです。
彼女が最初に詩を書いたのは6歳で、活字にされたのは14歳という早熟ぶりです。インドの数々の文学賞を受け、小説、エッセイ、童話、シナリオも書いています。



願い

カマラー・ダース


私が死んだら
肉と骨を
捨ててしまわないで
肉と骨を
積み重ねて
そのにおいで
言わせてちょうだい
この地上で
人生にどんな価値があったか
つまるところ
愛にどんな価値があったかを

(佐川 亜紀・木島始訳)


言葉たちは鳥また鳥

カマラー・ダース

言葉たちは鳥また鳥
言葉たちは
飛んで、疲れて
夕闇から隠れて
どこの止まり木に行ってしまったの?
夕闇は私の黒髪の上に
夕闇は私の黒い皮膚の上に
横たわって眠るとき
私には分からない
祝福された夜明けをもう一度また見るのかどうか.
(佐川 亜紀・木島 始訳)




囚われ人

カマラー・ダース


囚人が
彼の牢獄の地形を
学ぶように
私は美しい飾りを学ぶ
あなたの体の、愛する人よ
いつの日にか肉体という罠から
逃れる道を見つけなきゃならないから
(佐川 亜紀・木島始訳)


『解放の女神』から

私は今、
裏返しにされた生き物。
あなたの思考のハイウエーに
けばけばしいポスターのようにそぐわぬものとして
この身を横たえることが、
いつも私の望みだったのだ。
けれども私にできるのは、
ただ二つの瞳を覗かせながら
行き止まりの道にひそむだけ。
かまいはしない。
私はながいこと
自分の心を置こうとしてきたのだ。
皮膚の下に、
肉の下に、
そして骨の下にと。
私はこの二次元の裸身を、
週刊誌や月刊誌や季刊誌の紙の上に
長々と張り付ける悲しき供物。
私は自分の声を追いやって
タイプライターのカタカタという音を選びとった。
それが私の唯一のおしゃべり。
カタカタ、カタカタと、
私はあなたの耳に
そぐわぬ音をくりかえし響かせよう。
貴方はわたしのことなど必要ないのだろうけれど、
それでも私はキイを叩いて生きて行く。
なぜだか自分でも分からぬままに。
(辛島貴子訳)





自分のこと考えるとね

マヤ・アンジェロウ

木島 始・佐川 亜紀訳

わたし自身のこと考えるとね
ほとんど死ぬほど笑っちゃう
わたしの人生 でっかい一つの冗談だったよ
踊ったんだけど歩いてて
歌ったんだけどしゃべってた
ひどく笑いすぎて息がつまりそうさ
わたしが自分のこと考えるとさ

身内の中での六十年
つくしてる子に女の子って言われ
"はい マーム”と働くために言うの
自尊心がありすぎて おじぎもできず
貧しすぎるんで へなへなにもなれず
胃が痛くなるまで笑っちゃうよ
わたしが自分のことを考えるとね

身内の連中ったらわたしの横っ腹ひきさきそう
ひどく笑いすぎてもう死にそうだったよ
みんなの話ったらまるで嘘みたいさ
果物を育てていて
皮だけ食べてるんだもの
泣けてくるまで笑っちゃうよ
わたしの身内のこと考えるとさ



マヤ・アンジェロウは、詩人、ベストセラー作家、演出家
シナリオライターなど、多彩にアメリカで活躍している黒人女性。クリントン大統領の就任式で自作詩を朗読。
先輩の黒人詩人ポール・ローレンス・ダンバーの詩の一節をとって題名とした“I Know Why the Caged Bird Sings”などの小説がベストセラーとなり、“Just Give Me a Cool Drink of Water fore I Diiie”などの詩集があり劇、映画、テレビの制作、演出、主演にも取り組み、アメリカ生活の中の黒人の伝統についてのTVシリーズ等を作成した。また、多くの名誉学位を受け、国際婦人年の祭典では、カーター大統領により、国民委員に任命された。





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