戦争に反対する詩のページ6



億年つづく放射能
―― 劣化ウラン T―
御庄博実

鋭く冷たいものを背に
僕は身動きができない
痛みに曲がった僕の指
ちり とでも動けば
ぐずり と心臓を刺す
コレハナンダ
バスラ大 腫瘍学の
アルアリ教授と話している

チグリス ユーフラテス
人類文明発祥の地の葦原で
一九九一年の湾岸戦争
戦車に撃ち込まれた
劣化ウラン弾九十五万発
三百二十トンの約半分が微粒子となった
半減期四十五億年という
α放射線が撒き散らされた
砂嵐は何処まで飛んでゆくか

ふれるもの凡てを焼き尽す
肺胞に入り 血液に取り込まれ
その日から α線を吐きつづける
じりじり増えつづける「がん」
異形の細胞と ゆがむいのち
右肩上がりに昇りつづける
バラス地区の「がん死亡率」
肺がん 乳がん 子どもの皮膚がんと奇形

 十二才の少女の乳がんを診たことがありますか?
 イラク南部におけるがん発生率は八九年から九四年に
 かけて七倍に増加 と 国連がん統計は言う
 市内の病院のベッドは白血病やがんに冒された子ども
 たちであふれているのです

アッシリア バビロニアの古代遺跡は
いま砂に埋まっているか
深い迷路に僕は落ちる
文字が生まれ 紙が発明され
文明が育ったメソポタミアの大地
炎に灼かれ 劣化ウランに穢された暗渠に
陥る アラブの母たち子どもたち
陥る 僕の心 あなたの心
億年つづく放射線に曝されて











慈悲引き
―6月25日逝去のフィリップ禅心ウェ―ルン、あるいは無辜の死者たちに
経田佑介

目玉ぐらッ、ぐらッ、と
斜面で目覚め
めざましく下方に
だらりとサラマンダー
の驚愕の日
ナンマンダー!

ぶつ、ぶつ、ぶつ
苔むす肉袋、ちぢかむ慈悲引き
国引き、てと、てと、…と、と、と
雷雲分けて神輿がすすむ
空掃く幼児らの悪しき声

夏は海の匂い、燃える炎、穂のゆらぎ、湯葉の波
ああ、軍港に行進する水底幽霊たち
塩錆びの草薙の棒剣にすがり、つつッ

ゆ―らゆら、
旅人老いて故郷ヘ
老松にキジバトの巣食う夏
駅前に戦車が待機してました
死者たち踊り、塵々
幼児らの無垢の涙
滂沱と炎天へ

涙涸れ
波に抱かれ
魂消えの
死者と寝よ
空蝉の 淫れば乱れ
死者と寝よ










重い地球が回る日
―自由戦争ヘ
中谷 順子

また残酷な四月を迎えるのか
もう止められない秒針
ぐるぐる回る地球
くるくる回る命
重い命が軽く
軽い命令が重い

最も卑劣な戦いとなるだろう
武器が進歩すればするほど
卑劣さで対戦するしかない
文明は卑劣さのみを巧みにさせ
爆破 爆破 爆破 ・・・
生地獄 だまし合い
全ては砂の中で行なわれるだろう
砂嵐だけが写る「開かれた報道」のなかで

正義は掌からこぼれ落ちるだろう
そのとき人類はまたも失うだろう
大戦のごとに失った人間の証を
真実を 愛を 尊厳を
  (神の愛も 人への愛も )
チグリス・ユーフラテス川はその流れを変え
歴史は更に曲がりくねるだろう
こんなことになるだなんて

ああ 自由が 正義が
こんな使われ方をするだなんて
自由は自由の道を離れ
正義は正義の意味を無くして
一人歩きを始めるだろう
そして 空は人類を嘲笑うだろう
赤子や幼児や子供達の亡霊の声が
いつまでも啜り泣きながら廃墟をさすらい
兵士の霊魂は逆さまのまま
(2003.3.19)

※1948年生。『八葉の鏡』『白熱』









ひと であることを
山崎夏代

権力をもつひとよ
あなたはみたことがありますか
ひきちぎられた おさないこどもの手足 首
焼け焦げた父 傷口がウジムシに食べられている母
六十年も経たないのです
日本のこどもがそれを見てから
いま イラクのこどもは
どんな気持ちでなにをみているのでしょう
そしてつぎには どこの国のこどもがみるのでしょう
その現実を

そうして あなたによって戦場に送られた兵士たちは
殺されることに脅えつつ 殺す

権力とは ひとという種を代表するちからなら
ひとには 殺しあう遺伝子が組み込まれている
殺すために文明を発祥させて

そうなのでしょうか それではあまりにみじめな
ひと と いう種!

ひとの救いは それは 創造力でなく 想像力
権力のあるひとには 想像してほしいのです
戦場のありさまを そこにくらすひとの悲しみを
殺された兵士が あなただったら あなたの母の思いを

もしも 権力あるものは想像力がないならば そして
政府や政治には権力者がなくてはならないものならば
もう 政府や政治を否定するしか
わたしが ひと という種に属することを
わたし自身でゆるせなくなる

今朝は わたしの庭に一輪の椿が咲きました
花は花であることを喜んでいるようです
完結した宇宙を内在させて笑っている
この花のように わたしも
ひと であることを 喜んでいたいのです
それだけなのに わたしの願いは

※『この盃を』










泣き声は止まない
山田由紀乃

少年が父親と国境を越える
体に纏う衣服が旗のようになびいている
命からがらの走法は
まるで水上を渉る賢者のようだ

ぎりぎりの家財道具
指一本入る隙問もなく積まれた荷車
重いその荷を牽くのは一頭のロパ
切迫した人の姿を伝える報道写真は後を絶たない

写真は砂塵に煙っているが
威嚇発砲に揺らぎ散らばる集団がいる
その背後に延々と続く難民の行列
恐れ 怯え 不安に泣き叫ぶ子供がいる

私が座る耳鼻科の待合室にも
火が付いたような泣き声がある
診察台にねじ伏せ押さえつける大人の手から
あるったけの力で抵抗する幼き者
おかあさん ママ ママ ママ

だがここには抱きしめてくれる暖かい手がある
水が大地に吸われるように
涙の壷が枯れるまで
顔を埋める乳房がある

身を投げ出す野原
その母の場所を奪われてはいないか
恐れ怯えるあの子らの涙を
今誰が救っているのだろう

※1947年生。『マーマレードを作る日』









戦争を殺せ
比暮 寥

仮面かぶりの 神と神との戦い
独善が独裁を襲う 怨念の殺し合い
これ見よがしに
悪夢の咆哮が交叉する ハイテク兵器の復讐の閃光
砂漠の闇に噴きあげる アラブゲリラの憎悪の血煙――

あの摩天楼の崩壊から 狂乱が始まり
果てもなく暗転し続ける風景の中で
二つの巨大な幻影が
終末のない無限地獄の絶望を歌っている

”正義”はとうに 迷妄の落日に赤々と染まり
”聖戦”はすでに 自爆の祭壇に投棄された  流血の幟(のぼり)――

そんな風景に もう騙されはしない
互いに心に秘めたひとすじの道を
直結し 連帯し 呼応し合い
戦乱劫火の消滅する日まで
”人間怒濤”となって 呼びゆこう

若者らを 無限地獄へと突き落とす
戦争を 殺せ
子供らから 歓喜の夢を強奪する
戦争を 殺せ
妊婦の腹を 血みどろに切り裂く
戦争を 殺せ
愛の絆を 放下無惨とぼろぼろにする
戦争を 殺せ
憎しみが 新たな敵意を生み出しゆく
戦争を 殺せ
神々の名を 独断専行で冒涜する
戦争を 殺せ
地球の尊厳を 問答無用と焼き尽す
戦争を 殺せ

人間の理想を 執念の刃に変じて
戦争を殺せ
人類の熱望を 憤怒の雷光と化して
戦争を 殺せ
この世に 不動の平和が甦りくるまで
戦争を 殺しに殺せ

人間を 殺さずに
戦争を 殺せ

※1924年生。『骨かげろう』『日本憂歌』 










ぼんぼりともして
清岳こう

こぢやんと風吹く冬がすぎ
桃のつぼみにぽっちり紅がにじんだら
千代紙を折ります

すおう さわらび もえぎいろ
日々の思いをとりどりに重ね
花車 青海波 匹田絞り
浮き立つ心をさまざまに折り込み
酒ぶね一番汲み「生の酒」をささげます
「君知るや南の国」のひしもちを供えます

今年十八になる娘響子が
パレスチナに弟のいるキャルが
夫を戦場に取られるかもしれないモニカが
そして 一度も逢ったことのないイラクの少女達娘達母
たちが
幸せでありますようにと

幸せというても
いつの時代もどの国も似たりよったり
まっとうな別れの日が二人を引き離すまで
恋人同士は未来を語り合いたいもの
夫婦は犬も喰わぬ喧嘩をくりかえしたいもの
親子はきまぐれなプレゼントをしたいもの

雛の節句にぼんぼりともし
代々うけつがれてきた
女の願いを願います

※1950年生。『天南星の食卓から』『創業天明元年ゆきやなぎ』












潮時
有邑空玖

ヒトは誰でも仕合はせに成りたいと思つているのだもの
「其の為には他人を蹴り落としても後悔等致しませぬ」
けれど心に空虚は募るばかり・・・・・・・何故なのでせう?

醜きものはヒトの本音
嘘ばかり並べ立てヽも脆く崩れ去るのが条理
戒めに壹つ滅ぼして差し上げませうか?
泣いたりしてもまう遅いのです
其れは疾つくに壊れてしまつた

「誰よりも早く先へ行かう」
しかし何れだけ壹等賞を手に入れたとしても
辿り着く場所は同じである
即ち、天國
或ひは、地獄
早く氣附き給へ
境界線等何處にも無いのだ

本當は誰もが仕合はせに成れる筈なのだもの
奪ひ取つたりしないで下さいませ
其れでも足りぬと云ふのならば
何が慾しいの?何をしたいの?
誤魔化しの無い答へを頂戴

ねえ、
本當は貴方が壹番怖がりなのでせう?
此處いらが潮時なのでは御座いませぬ亊?

※1975年生。『氷点下』











地球が泣いている
李 承淳(イ スンスン)

地球がしくしく泣く
泣き声が聞こえる

涙は
燃え上がる油田の火の手で
乾き果てている

もう
泣き続けられなく
こっそりとユーフラテス川深く
涙を隠す

息切れ耐えた胸に打ち込まれる
ピンポイント空爆の火柱を抱きかかえ
蛇の抜け殻のように
ぐちゃぐちゃと剥がれる

管理された映像が流れ出る

野次馬達は
既に殺生に麻痺して
ゲームを見るように
その日の戦略と成果を覗き見て
戦利品を狙いあちこち卓上では
終わってもいない
戦後復興の闇取引の真っ盛り

悲しみは常に弱い者の割り前
愛する人さえも亡くした喪失の
廃墟を眼の前に置き
気骨稜稜の為政者達は勝利を唱える

狂気じみた悪態に引っ張られ
盾となり犬死した
千秋の恨みが凝る霊魂達は伝える

迫ってくる恐怖のプラカードで
喉頚(のどくび)が締め付けられる
私の息の根に
ねちねちと付き纏いながら
骨まで潰される傷みで苦しむ地球の
泣き声を伝える

※『過ぎた月日を脱ぎ捨て』『耳をすまして聞いてみて』












戦火の眼
亀田道昭

白い服の女の子が
目を見開いて横たわっている

その目に何が映っているのか
爆撃で壊された家
父と母の遺体
戦火で燃え尽きた美しい私の町

ありったけの涙と血を流して
砂漠の果てに沈むひかりが
私の最後のために祈っている
そして
その後には
私を包む死の闇が
広がっている

どうして私が死ななければならないの
幼い私にはわからない
どうして私が殺されなければならないの
なぜ私たちをこんな目にあわせるの
私たちが何をしたの
あなたたちすべての人に問いたい

つめたくなってゆく
黒い瞳はもう
何も求めはしない
信じて来たこの世界に絶望し
私の死を受け入れてくれる彼方へと旅立つ
今それだけが唯一の救い
死ぬことでしか私は救われない

愛するものを破壊し奪う
愚かな人間どもの世界よ
私の魂を砂漠の果てに追放するがいい
私はそこで
大きな目を見開いて
戦火に焼かれるこの世の果てまで
見続けていよう

今日も砂漠の青空に
黒煙が
死者の苦悶の姿で
立ち上る










帝国の復活
賀須井 秀寿

まさかそんな思考が蘇る時代がくるとは
その指導者たちは、自らの権益を図る
彼らを支えるマスコミ、市民
彼らの心にはミサイルの下の姿はない
地上で働くアリや糞転がしの姿はない
あるのは善と悪の戦い
グローバル化した社会を勝ち抜くことだけ
おなじ命を持った兄弟姉妹のことではない
神よ!
我らにもっと想像力を与えたまえ
それがあなたの御心です。 








微笑
増岡敏和

あなたたちの まだ
まばたきもしないうちに 彼らは
勝手に 攻めてきて
戦争の事後承認を強いている

岩の割目に 木もなく土挨のたつ斜面に
へばりついている民家を
ミサイルにぶら下げられた「正義」が 空から
住民は標的ではないと弁解しながら

テロを撲滅するという世界の同意が
いつか別の意図にすり替えられ
勝手に復仇し成敗する権限をほしいままに
精緻に「誤爆」くりかえされて

あなたたちは雪崩れて難民となる
むかし埋められた地雷原を踏み あたふたと
子どもを腹にくくりつけて だが
殺されるのも殺すのも嫌だという論理を背中に

水もなく食べ物もなく
電気ガスも断たれて 寒気に追われ
激しくわななく己が心にも追われ
日に夜に追われ追われながらも

痩せてささくれた裸の足を晒し
顔を覆う薄布を上げて覗かせた婦人の
俯き加減にだが大きな黒目のいまを
写されている危機の中のなんという微笑

そこにひろげられた写真の
僅かな輝きを私は 私の希望のように
アフガンの記事を切り抜きし始めていた帳面の
一番最初のページにしっかりと貼り付けた
*アフガニスタンの猛爆される日に・・・

※1928年生。『花なき薔薇の傍で』『茜』
















われらの名を語るな
祖父江拓史

あの9・11のあと
「テロリストを血祭りにあげろ」
「世界最強の国をなめるな」
陳腐で安っぽい言葉と
大仰なジェスチャアで
ブッシュが喚き散らしたかと思うと
アフガニスタンの人々の頭の上に
容赦なく↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↓↓↓↓↓↓鉛の雨が↓↓↓↓↓↓
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓注がれた

だが それは
心ある人々の魂まで焼きつくすことは
できなかったのだ

薄っぺらなナショナリズムに乗って
油の染みた大鉄屑に火がついたように
憎悪と怨嗟が煽りたてられ
「ゴッド・プレス・アメリカ」とともに
アメリカ全土を覆い尽くそうとしたしたそのとき
そう、まさにそのとき
もう一つの歌(イマジン)が
マンハッタンの片隅から 湧き起こった

初めのうちこそ弱々しかったが
次第にはっきりと聞き取れるようになり
やがて数万、数十万の大きなうねりとなり
偏狭な叫びを圧倒し 殺人予告者を孤立させ
海を超え ヨーロッパにアジアに
全世界に 歌声が響き渡っていったのだ

「石油のために血を流すな」
「戦争は解決にならない」
そして今日、ニューヨークの反戦デモのなかに
こう叫びながら行進する人々の姿を見た
胸には肉親の遺影 そう、あの9・11の遺族たちだ!
”NOT IN OUR NAME!!” (われらの名を語るな)

わたしの手と足は  彼らの腕の中にあり
わたしの心と精神は 彼らとともにある

※1958年生。







武器より薔薇を
栗原貞子

いくさとは川のように血が流れ
流れた血が砂に吸いこまれる
むなしい いとなみ

砂漠でいくさが始まったなら
砂漠は血で赤く染まるだろう
屍は烈日に照らされて
腐臭は全世界へ向かって
流れ出るだろう

アメリカでは家族が
無事を祈っているのに
父や子や夫や恋人たちが
死体袋に入れられて帰ってくるだろう
ベトナムの涙がまだ乾いていないのに

アメリカの若者が死体袋に
入れられて帰っている時
日本の若者も血を流せ
ペルシャ湾に日の丸をひるがえせ
金だせ 物だせ 命だせ
グレナダやパナマは不問にし
パレスチナは過去の非現実で
クウェートは現実の問題だと
アラブに立ちはだかるアメリカ
黒い機体の
ハイテク兵器が交差し
黒煙をあげて奔騰するアラブの空
鳴りひびくサイレン
四十五年前 私たちも
夜も昼も 防空壕に出たり入ったりした
赤ん坊や病人をつれておろおろしていた

あげくの果てに
閃光で焼き殺されたヒロシマ
砂漠の国の人々を
核と生物化学兵器で絶滅させまい

武力によって平和はうまれはしない
神をも恐れぬ真昼間の大殺戮をやめさせよう
日本は世界にさきがけた
良心的兵役拒否の国
好戦主義者たちが
空想的一国平和主義者と非難しようと
死体を死体袋にいれることを
拒否しよう
再び日の丸をひるがえすまい

武器より薔薇を
制裁より話し合いを
血に汚れていない手は
どこにもない 



















楝の木のかなしみ
相馬大

ほろほろと 白い実が かなしみをこめて
獄門の屋根の かわらを ころげ落ちていった
また実は その木の頸からも 落ちてきた

血ぬられたものが 楝の木に かけられているのは
保元元年七月 父をも敵にし
弟たちをも 船岡の露にと したからか

獄門の蝉の鳴く木に この国で はじめてかけられた
父の思い かけたものの頸を 右獄の木にかけ
いまは みずからが 左獄の木にかけられている

平治元年一月 ひとびとは
ほろほろと落ちる 獄門の 楝の木をみあげて
  しもつけは きのかみにこそ
  なりにけれ よしともみえぬ
  かけつかさかな

寿永三年一月 楝の木は
木曾谷の 若き武将にも つめたい実を
ほろほろと こぼさなければ ならなかった
  たけきものも つひには
  ほろびぬ ひとへに
  かぜのまへの ちりにおなじ

壇の浦の波は おだやかになり
文治元年六月 左獄の楝の 花のちる日
うちつづいた戦乱は しずかになっても なお
楝の木が 花を頸に ちらしつづけていた

※1926年生。『西陣』『ものに影』














戦争と私
篠田味喜夫

戦争とは 何か
憎しみと 恨みだけである
そこから 何が うまれるか
憎しみと 恨みのみである
感謝を 忘れた
愚かな 人間の業で ある

欲と権力を 握り
世界の富を 一人占め しようとする
アメリカの陰謀である
最新兵器の 核実験場として
他国を 侵略して
殺りくを くり返す
己の欲と 権力のために
人を 殺して いいということが とおるのか
アメリカのヒトラーに 鉄槌を
人間の楯として
身を挺して
アメリカの 陰謀を 止めよう

この子の 生命を 守ろう
生命こそ 宝である
この子が 何を したのか
虫ケラの ように
一瞬の 火の海に ほおりこみ
この子の 心を傷を だれが すくうのか
親・兄弟を 返せ
生活を 返せ
火の海となった 焦土に
花が 咲くのか
人々の 笑顔が くるのか

バカな 人間が
女・子供を 殺して
何が 復興か
生命より とおといものが あるのか
”ありがとう”と みんなが 笑える日を
祈る
欲と権力で
他国を 侵略する
アメリカの ヒトラーに鉄槌を
広島・長崎を 忘れたのか 日本よ!!
『ノー ウォー』を!!

※1947年生。  














記憶
坂本法子

夜中目がさめて 窓の外を見ると
月がこうこうと庭を照らしている
家や木々が黒く立っている
消防所のサイレンが鳴る
誰かがB・29がやってくると叫んでいる
はだか電球のコードがゆらゆらゆれている

おばあさんは家の中の襤褸を大きな風呂敷にくるんで
肩にかついで 裏山の防空壕へ走って行く
三歳のわたしも妹の手を引いて
防空壕へ行く
父も母もどこへ行ったのか見あたらない
防空壕は茣蓙がしいてあり
三・四人入れる位の横穴だ

防空壕の前には先祖の墓地がある
月光に照らされた墓が大きくそびえ立っている
竹藪の竹がざわざわと鳴っている

ある夜父が家の中に走りこんできて
兄をおぶりわたしを抱いて山を登り始めた
父はずるずるとすべりおちながら
木々の枝をつかまえて山を登った

山の頂上に立つと
福山駅前あたりが一面火の海だ
空も真っ赤
地上も真っ赤
父は兄とわたしに言った
 「よく見ておきなさい 決して忘れてはいけないよ」

※1940年『水面に浮く影』『白い坂道』





八月の友だち
大石規子

八月 あなたは幸せですか
わたしの八月は死合わせです
思い出してしまうからです
あの八月に 生きていたことを

五十八年 五十九年と
だんだん遠くなるのに
だんだん近くなるのです
あの八月が

子どもだったのです
なにも知らなかったのです
知っていれば 抗えたのでしょうか

加害者でもあったのを知ったのは
ずっと あとのことです
一人の力の空しさと切なさを
今でも いつでも 感じます

八月は明るい夏です
みんなが幸せでなければいけません

八月になると わたしは
消えてしまった友だちを呼んでみます

八月の友だちは ポンプ井戸や 板塀のかげ
路地裏や瓢箪池の端から 出て来ます

石けり 縄とび 鬼ごっこ
毬つき 羽根つき かくれんぼ

遊べない子も 遠巻きにしています
その子たちには手がありません
足のない子もいます
目のない 耳のない 焦げた子もいます
みんな かくれんぼだけが得意です

ひとしきり経つと 八月の友だちは
どこへともなく消えてゆき
わたしだけが取り残されます

いつか わたしも
夕焼けの欠片となり 闇に溶け
八月も 来なくなるでしょう
その時 戦争に悲しみは終わるのでしょうか









帰って来た英霊
疋田澄

第二次大戦に南方に送られた母の末の弟は
英霊として帰ってきた
一枚の紙きれが遺骨代りである
どこで亡くなったか
どんな風だったか
時代が沈黙を強いたから
家族は謹んでその死を受け入れた

母の末の弟は
先祖の墓の傍らに
名を記されて立つ一本の柱になった

戦いに敗れたある日
英霊は生きて帰ってきた
――足はあるだか
――本当にTしゃんか
母の末の弟は
自分の墓標を自身で引抜き
すすめられた話に応じて
養子に行った
(分けるべき田畑はすでに分けた後だった)

――蜥蜴を喰らい木の根を齧った・・・・・・
○○方面○○部隊○○小隊 行方不明=戦死
途切れた言葉の先には
どんな暗がりがあるのだろう

母の末の弟は
沈黙の重石を抱えて生きた
    *

叔父さん お願い
晴れやかに笑ってください
もう戦争はしませんから
※1935年生。『冬の枇杷』『呼ばれなかった名前』












それがテロとは知らなかった
鈴木豊志夫

    T
このごろ ミスターKの目は真っ赤だ
杉花粉症のせいではない
パレスチナでも
イラクでも
若者たちが夕日となって
一瞬輝いては散っていく
鹿児島出張以来
ミスターKは目薬が手放せない
お気に入りは鳥居マーク社のサンパイ目薬
感激した!
●●のために死ぬなんて!

    U
一九四五年 ぼくの父にも赤紙がきた
部隊は学徒志願兵たち
くる日もくる日も
匍匐前進の訓練
足はとうに退化したが
目だけはキラキラ輝いている
ホフクゼンシン!
両肘を血だらけにして
学徒志願兵たちと
父は砂の入った爆弾を抱え
九十九里浜のヒルガオの咲く砂浜で
幻の上陛用舟艇めがけて
いまでも腹這いの姿勢で突撃をつづけている

※1943年生。 詩集『噂の耳』『半島そして島』










崩壊しない木
原圭治

庭に二本並んだナンキンハゼとムクノキが
赤や黄と淡黄の葉を 球形状に包み込んで
秋の陽光を みずのように含ませ
いまにも輪郭の外側にあふれそうで
ここでは緩やかに時間が過ぎてゆく日常があり

だがあそこで 信じられない一瞬の映像が
非日常のように
不意の 二機のハイジャック機が激突して
ツイン四百二十メートルの世界貿易センタービルは
鳥籠のような形を 噴き上げる粉塵の中へ
二千八百人*の生命を奪いながら
瞬時に沈み込むように崩れていくシーンが
その時からアメリカ中に星条旗が翻り
ブッショは テロを口実に報復戦争を始め
まるで 落ち葉をまくように
荒れて乾いたアフガンの民の地に
黄色いクラスター爆弾を大量にばらまいて
貧困の民と子どもを容赦なく殺戮している

崩壊したのは
アメリカの自由や民主主義でなく
星条旗の覇権と 富の象徴だから
パーパラ・リーは ただ独りであっても
報復戦争に反対する勇気の一票を投じたので
呼応する世界の理性の人 平和を願う人びとたちは
直ちにアフガンへの軍事攻撃を中止せよと
厳冬の風に抗して連帯のメッセージを
鮮烈な赤黄の葉を散らすように伝えながら
樹木の春を信じているから
暖かな陽光を みずのように浴びては
次第に 萌黄の若葉が芽吹き膨らむから
理性の木は 決して崩壊などしない

*朝日新聞記事(二〇〇二年十二月十五日付)
「ニューヨーク市当局は昨年九月の同時多発テロで崩壊した
世界貿易センタ ービルでの死者・行方不明者が三人減って
二千七百九十二人になったと発表 した。」

※一九三二年生。『火送り水送り』『地の蛍』

鳥はうたった
崔龍源

一本のやせた稲の穂のために
縛られ 束ねられた手のために
飢えて やせさらばえた子のために
頭上を翔ける鳥はうたった
もろもろの生きもののなかで
変わりやすい仮面をつけた人間の心のなかで
鳥がつばさを失わないために
水がその美しい鼓動を途絶えさせることのないために
ぼくは生きたい と

跛行(はこう)の犬の垂れた尾の下で すでに
没落している都会を翔ける鳥はうたった
すべてを奪われる側に立つひとのために
そのかき消されてゆく声のために
ぼくは うたいたい と
空は どこまでもひろがり続けるだろう
永劫の種族であるけものたちの心のなかで
確かに育っているただひとつの生
あらゆる存在をつらぬく生を
たたえるために そのたたえられた無垢のために
ぼくは 生きたい と

実る前に刈りとられた小麦のために
涸れきった泉のために
骨と皮だらけの魂のために
うすばかげろうの声がみちる野や川で
太陽の額に ぼくはぼくの存在理由をしるしたい と
風媒花の種子を啄(ついば)みながら
ユーラシアを翔ける鳥はうたった

死の灰で空を汚さないで
海をからっぽにしないで
銃火に子供の顔を向けないで
母の乳房を 帆のように張らせて
みじめな死を 無数のぼろぎれのような血で
草や石や壁ににじませないで
ああ明晰な道を
吹き過ぎる風でありたい と
すべての大地を翔ける鳥はうたった
傷ついた樹々や花々のために

鳴きしげる昆虫や魚たちのかき乱された棲家のために
無数の生あるもののなかで
ひとがつばさを失わないために
水が その美しい鼓動を途絶えさせることのないために
ぼくは 生きたい と










探しに出かけなくては
福原恒雄

屍体になったそのとき、 一瞬、まわりは森閑とした。

角の花屋で聞いた空襲のサイレンさえ賑やかな商店通り
の賑わいだったのに。

空を裂いて向かってきた音響は風を真っ白にした。炸裂
の閃光と熱線を吸い込んで耳が破れた。声がちぎれた。
だれもいない。長ったらしい腕も足もない。

なにも見えないのに、弱肉強食類の虚言の演説が撒き散
らした正義だの自由だのが、とても臭い。五十八年まえ
の真夏の空襲からまだ屍体のままの、あいつになすりつ
けられた硝煙よりも。焼けた体脂よりも。

狂気の装備を載せた機上のスピードでは見えなかろう。
命じられた絵を片付ける閃光の、 一瞬でせかいは瓦礫、
その隙間に閉じた声。探しても見つからない眼。

灯があって食があって空がある部屋で、かつての、暗闇
に浮くB29の尻から花の散るように吐き出された油脂
焼夷弾を、夕立の音響で叩きつけられたはなしをする父
祖の声、そのまなざしを覚えているか。あの戦争にも尊
大な正義は出しゃばったか。

屍体になっても、にんげんでない声は沁みてくる。
早朝からゲーム機にかじりつく者のように。破壊を!破
壊を!指先に汗をかく動物類は、とび散った犠牲の血肉
で今晩の夢は華やぎ、あすはその牙に利得を隠すファウ
ンデーションをさらに塗りつけて興じるだろうが。

小さな裸足でやってくるのは子どもの夢。もう、ひとり。
真上に、そして通り過ぎてゆく。探しているような迷っ
ているような、爆裂の破片の刺さった土埃の顔から血の
色のなみだが垂れようと、裸のふところに離さずに。

おとなしい屍体ではおれない。きっと生きている病臥の
母のために、角の花屋で買って握りしめていた花束を、
記憶を仮装してでも探しに出かけなくては。

※1935年生。『少年のなんでもない日』『生きもの叙説』










正直フランクスさんよ
池谷あきお

”戦争というものは
 非戦闘員も死ぬものだ”
米軍中央司令官フランクスさん
あなたは正直おじさんだね
それを証明するために
巡航ミサイル・トマホーク五百発以上
クライスター爆弾でも劣化ウラン弾でも
あるったけ使えばいい
非核最大十トン爆弾MOBも
準備OK!
正直フランクスさんよ
ついでに派遣してくれますか
あなたの奥さんや子供さんを
あなたの部下の奥さんや子供さんを
バラスの病院か
バクダッドの学校に
イラクの病人や負傷者
子供やお年寄りが歓迎しますよ

※1928年生。『狂った季節』『青刈りの唄』












讃歌
北岡淳子  

聞こえないけど 音の粒が輝いている
ほら そこに ゆるやかな腕の動きにつられ
て 視線が宙に誘われる 音楽はそのように
して宿される 命の営みの悲喜こもごもを貧
しい私の内にためらいもなく預けて ピアニ
ストは鍵盤の上の舞蝶のような指先から音を
くりだす 忘れてしまった遠い野の月光のノ
クターン 音の粒がひとつひとつ 風にゆれ
季節の馨に染み 戦いつかれた瞼の乾いた夢
の内に在ることのかがやきを語りかける 投
げ出された手のひらの睡蓮いちりん 世界に
浮かべ 光のしずく音のしずく心のしずく花
に注いで 放心の頬の涙のあと 立ち上がる
ひとの影が世界の芯に刺さり 拳の間からこ
ぼれる砂が積む円錐のかたち 今はかなしみ
のように 深々と微笑むいのちを包んで














イン・ザ・フューチャー
小泉伸明


遠い空にぽっかり空いた青空。澄みきった明るい青色。
その下ではみんな笑って楽しそう。これは夢ではないよ。
これは権利!そして幾重の城壁で囲んででも守らなけ
ればならないものだ。

しかし、それはまたも破られた。詭弁と暴力、銃声と爆
音、憎むべき戦争によって。
いとも簡単に!

正義と真実はまた死んでしまった。
虐殺が起こった。それをいくら美しい文言で包んだとし
ても、悪魔の仕業であることに変わりはない。世界平和
に多少の犠牲は仕方ないと考える者は、すでに加害者だ。
現実的という鎖につながれたままでは、あまりにかわい
そうだ。

戦争をどんな形でも肯定してはいけない。肯定するなら
今すぐに死になさい。明日の被害者はあなただ。世界平
和は理想ではない。これから成し遂げるべき責務だ。

遠い青空を黒煙で汚すな!いくらでも汚染されていく
だろう。

戦車の前に立つ勇気は要らない。隣の人と手をつなごう。
一人を二人に!一人ももれなく関わることが必要なん
だ。わかるかい?世界は一人の英雄を必要としてはいな
いんだよ。

※24歳












ベレ
三方 克

おれは毛が立った
腹が立つと毛が立った
かんじんな所は立たないのに
年中 毛が立つ
つまりそれだけ
腹の立つことが多いのだが
禿げず 白髪にならぬのは
嘘と妥協ばかりの国で
なるべく嘘をつかず
妥協しないで生きているからだろう

そのかわり 病気になる
心筋梗塞 脳梗塞 時代梗塞
病気に負けず さっそうと歩くには
髪がUFOの記号におっぺされた
哀れな麦のようにならないことだ
ああ だがあのテカテカ頭は
現代音楽にそぐわない
そこで
ベレをかぶった
すると
上林猷夫と壺井繁治は
ベレをかぶるのを止めた
それが詩人の良心というものなのだろうか
だがおれは断じて
他人のまねをしたのではない
おれは糖尿病患者の常として
散歩する
神社や寺があると手をあわせ
縁起書があればいただいて
部族のルーツをさぐる
キム・ダルスのまねではない
介護人の恋人
福地秀子に教わったのだ
ある寺に丸い大きな石があった
江戸時代
東京下町のこのあたり一帯の農村で
若者たちは力自慢に
この石を持ち上げた
ひょろひょろな半病人のおれに
石はビクともしない
おれは男か なさけない
江戸期の男は男だったのに

ところがバスクでは
老人も力石を持ち上げる
だからヒトラーはしゃくにさわって
ゲルニカを爆撃したのだろう
自分以上に男らしい男が
我慢ならなかったのだ
だが総統よ
あなたにあの石が持ち上がるかね
ゲルニカをかいたピカソに
手もふれられなかったあなた

おれもひょろひょろだが
総統よ
あなたもひょろひょろだ
だがおれは
飛行機を使って
他国の農村を爆撃したりはしない
子どもや牛を殺さない
弱い者をいじめるのは
弱い男のすることだ
だから江戸期
飛び道具を使うのは
卑怯者のすることだった
さあ 世の中の
男を自慢するやつらよ
この力石を持ち上げてみろ

おれは持ち上げられない
だからせめてバスクにあやかろうと
ベレをかぶり
一篇の詩をかいた












携帯電話
林 嗣 夫

用を足していて携帯電話を便器の中に落としてしまった
――という人もいるのではないか
私のかけた電話がたまたま
むこうの汚物の中で鳴りだしたとしたら

たすけて、という悲鳴のようなコール
あわて あせり 便器周辺の緊急事態を
しばらくして
私の親指の先が鎮めることになるのだろうか

切り餅をのみ込むように携帯電話をのみ込んで
私のかけた電話が
相手のおなかの中で鳴りだしたとしたら
声の予感のあやしい震えが どんなに体を満たすだろう

もし何かの拍子につながって もしもしと話しかけたら
生きてるよ、というように
心臓はど―ん ど―ん
血流が早瀬の音をひびかせてくれるだろうか

もし 私のかけた電話が
相手の女性の膣の中で鳴りだしたとしたら……
 (もう
  こんなへんなことばかり想像するんだから)

どこかの軍隊に ハイテク操作のミサイル攻撃を受け
体が裂けてしまった人のそばで携帯電話が鳴りはじめたら
もし
そんな現場に私の声が届けられることになったなら
愛してるよ、と
静かに はっきり 言えるだろうか

※1936年生。『ガソリンスタンドで』『春の庭で』














戦争と平和の初級文法
香川 紘子

戦後間もない
新制中学の英語のリーダー
『JACK & BETTY・step by step』
を教わったときから
語学の勉強といえば
簡単な肯定文と否定文から始まると
相場が決まっていた
つまり
戦争を知っている子供
戦争を知らない子供
戦争しか知らない子供
と いったふうに・・・

だが 語順を少し入れ替えたり
副詞を付け加えたりしただけの
この三世代の子供の間には
飛び越えることのできない
底知れぬクレパスが横たわっていて
その地雷源に落ち込んで
手足や命を失った子供たちの悲鴫が
元・戦争を知っている子供だった私の心臓を
冷凍してしまうのだ

※一九三五年生。『 DNAのパスポート』『犬の劇場』






オバサンたちが長電話で
こたきこなみ

ネエこたきさん また男の人ビョーキが出たのね 神話
の時代から今に続いて戦争のバイキンは伝染するのね
DNA骨がらみの遺伝病かも・戦争って必ず前の戦争の
影響でそうなって次々と未来に禍根を残していくのね・
戦争が起こるたび女は思うのよ ああ男の人には適わ
な い こんな怖いこと女はできない こんな勿体ないこと
女はとてもできない
せっかく大勢の人が苦労して建てた建物を壊す橋を落と
す もう復元できない遺跡を潰す・
どの国でも女が一人一人痛い思いをして血を流して産ん
で おっぱいだオムツだ熱が出たってやっと大きくなっ
た人間を一瞬で死なせる・魚じゃあるまいし無数の命が
ひとりでに発生したのと違うのに・国ってものが世話を
やいて大きくしたわけじゃないのに・平気で子を取り上
げてきたのね
勿体ないってばピンポイント爆弾だって一発一億円以上
で全部で何十兆円だってテレビで言ってたわ ネエお金
って 美しいとか美味しいとか便利で快適とかそういう
幸せなことのためにあるんじゃないの・世界中女が仕切
れば みんな幸せに暮らせるわね・そのかわリパカ高い
美容につぎこむでしょうね・としても人死にはないわ
男だって勿体ながるのよ 劣化ウランなんてね 核廃棄
物の再生利用だってよ イラクだって大量破壊兵器さっ
さと差し出せばこんなことにならないのに勿体ながるか
らよ・アメリカだって他国のこと言えないでしょうが
国内の少量殺傷武器でさえ永遠に廃絶できそうもなくて
みんな日常的な危険にさらされているよ・勿体なくて捨
てられないのよ・それと戦争は別問題でしょ・女から見
れば根っこは同じよ・日本の罪もない若者が罪の意識も
ない市民に殺されたじゃないの
そこいらじゅう燃やすは壊すは大気汚染するは後片付け
どうするつもり・子どものとき母ちゃんがやってくれた
みたいに誰かがやってくれるってわけね
勝つとわかって戦争しかけるの狡いわ・男の意地よ 女
が意地悪するみたいね・負けそうな国はさっさとコーサ
ンすれば犠牲がすくないのに・男の虚勢よ 女が虚栄を
張るみたいにね 昔の日本が諦めが悪くて原爆にやられ
たのにね
男の人が電気洗濯機とか電子レンジとか作ってくれてど
んなにか女はありがたかったけど その一方でちゃんと
いろんな新種の兵器も発明してたのね・女は浮気にばか
り用心してるけどそんな可愛いげなことじゃないのよ・
どちらも早く終わってほしい そしてこのビョーキの後
遺症がないように祈るばかりよ

※一九三六年生。『キッチン・スキャンダル』『星の灰』






さわる
須田芳枝

何処かで赤ん坊が泣いている
ツーと両の胸に痛みが走り乳房が張ってくる
薄い花びらの唇に
お乳を含ませ吸わせなければ
胸騒ぎであたりを見まわすと
3月の終わりの風に芽吹きはじめた桜の小枝
それは命の指先で赤らみ
おんなの胸に触れるか触れないか
思い惑う軽さで揺れていた

こんな日もどこかで男は作戦を練り
拡げたままの地図に
死んだ兵上の数を書きこんで行く

何事もなく季節がめぐれば
桜は咲くのが正しい
若い精神と肉体は
手折られることなく
陽射しや木陰の下で
夢や憧れに目を細めるのが正しい

神や国 平和のため
それでは死を覚悟させることは正しいか
安全なこの場所にいて
最敬礼で見送る姿勢は正しいか

男達が作ってきた歴史の裾で
おんなが密かに子供を産まない計画を企てることは
正しいか
そんなさわりかたで歴史を変えようとすることは
正しいか

春近い川辺の空に
またひとつ墜ちて行く機影が見える

※昭和27年生。『ひと夏のサンダル』














馬は視ている
―井伏鱒二著『黒い雨』より
木津川昭夫


黒い風が道のあちこちにくすぶり
なつの堤に 崩れた後脚を折り曲げて
馬は倒れまいと懸命に耐えている
馬の側には すでに主人の将校が
腸をはみ出して横むきに転がっている
馬の熱い眼は視つづけている
乳呑み児を掲げ 老人を曳きずり
夕ぐれの河原へと はって
水をもとめ 集まってくる裸の人のむれを
かれらが水をのみ 祈り みまかるのを
馬はくすぶる炎の中でみつめている
プラチナ色の閃光を浴びたときから
馬は下半身を奪われてしまい
肉でもなく 花でもなく 青銅でもなく
力学のポエムの形になったのだ
二本の前脚が燃えつきると死が完結する
いま 懸命に耐えている馬の末期の眼に
白い川が沈黙して 地の涯までもすそを拡げ
ぼくらの膚が受け取った ゴルゴダの
全風景がめらめらと燃えつづけている

※73歳。『セントエルモの火』など










マルドゲールの歌
斉藤明典

僕は今 孔子に逆らって  怪・力・乱・神を語ろう

怪物マルドロールが暴れている
無垢の子どもを虐殺

悪魔に魂を売ったファウスト博士が命じる
「いまいましい… あの爺・婆を立ち退かせたい
 あの菩提樹のなかに屋敷がほしい
 わずかの立ち木が手に入らぬために
 世界はわがものと言えぬのだ」と
悪魔の親分 メフィストが勇気づける
「力あるものに 正義ありだ」

二十一世紀の現代 落日の帝国の戦争中毒者
彼らはフランスの詩人から悪い教訓を引き出し
ドイツの文豪ゲーテからも都合よく学んだようだ

チグリスとユーフラテスの文明の地に
断末魔のミサイルや爆弾を投下して
つつましく生きる人々を殺戮し
貧しい人々の大切なものを破壊しつくす
自由・民主主義・正義と神の名において

コロンビアのノーベル賞作家マルケスが
戦争頭領に書簡を送った
「血と挨におおわれて歩く
 無実の人々の目をどう感じますか?」
ブラジルの作家コエーリョもメッセージを発した
「無力感といかに闘うかを教えてくれてありがとう」

戦争兵器では無力なわれわれ市民にも
平和のための手段がある
―ペンのカ
―電子メールを発信する力
―街頭に出て意志表示をする力
―そして このような努力を結集する力

※一九四〇年生。 『逆巻き時計』












倉岡俊子

手を頭の上に組んで
イラクの投降兵たちが
行列をつくって歩いてくる

テレビの映像に
写し出される彼等を
イラクの参謀隊長は言った
 「あれはイラク兵士ではない
  侵略者アメリカが
  どこからか連れて来た
  嘘の投降者である」

若者よ眼をそらすな
昏迷にだまされてはいけない
嘘と嘘とが飛び交うとき
戦争の火蓋は切られ激しい現実となる

いまわしい過去の傷が
私の体のなかでまた大きく口を開き
無残というべき
多くの命を捨てるなと叫ぶ

かつて
闇の向こうに見える8月の庭は
焼けただれた廃墟の化身と
白い墓と透明な風と
そこにさよならの言葉もない

テレビの箱の中から
空襲サイレンが鳴り響き
瞼から
分別できない咄嗟の涙が
トラウマとなって溢れてくる

※1921年生。『合わせ鏡』












三つのエレジイ
藤森里美

2001他国の大窃盗団が土足で踏み込み商品根こそぎ
豪邸が建つ程の大被害を受けた
寝るのを惜しんで学び 働き続けた全てを
誰に誇るわけでもなく つましく貯えた全てを
まさか下見とも知らずに お茶をもてなし続けて
取っ捕まえて八つ裂きにするか
絶対死刑に・・・・・真底おもった

警察の正式な事情聴収もされず
事件の報道もされなかった
保険会社の約束もびっくりするほど
どんなに正しいことでも けっして通用しない

2003.3.22祈りもむなしく米軍の攻撃が続く
イラクに向けて
バグダッドの空は 煙の中に真っ赤に燃え盛る
心臓が 張り裂けそうに高鳴る
やめて 戦争はやめて
どんなに戦っても イラク民の心はかえられない

15歳の時から ことあるごとに読んできた
『きけわだつみのこえ』日本戦没学生の手記
陸軍上等兵 木村 久夫 28歳
 1942.4 京都大学 経済学部入学
   10 入営  1946.4.22死刑宣告後田辺元著『哲学通論』(岩波全書)を
      3回目の読書に取りかかる。
  難解をもって著名な本書をさしたる困難もなく読み
  得る。日本は負けたのである。私はなんら死に値す
  る悪をしたことはない。高等の教育を受けた日本人
  の1人として何ら恥ずるところのない行動をとって
  きたはずです。  (処刑前夜作)半時間前擱筆す
  おののきも悲しみもなく絞首台母の笑顔を抱きてゆ
  かん 風も凪ぎ雨もやみたりさわやかに朝日をあび
  て明日は出でなん          (木村久夫)
 1946.5.22シンガポールチャンギー刑務所にて戦犯刑死

頭脳明晰な彼の尊い犠牲を忘れずに生きて来た
アメリカよ 全世界の首脳よイラクはテロリストの国だ
価値観がまったく違っている 指導者の選択も国情も
打ちのめしにかかったら 支援などするな

※1941年生。『窃盗戦争』『湖國抄』








だれが言ったか
コミネ ユキオ

だれが戦争をやれと言ったか
だれが他国を攻撃しろと言ったか
だれがテロへの戦いだと言ったか
だれが経済の失政を戦争で糊塗しろと
だれが身勝手に兵力を浪費しろと
だれが国際協調は要らぬと
だれが積年の鬱憤を晴らせと
だれが御用マスコミを作れと
だれが正義だとか悪だとか決めろと
だれが戦況を誇示して報告しろと
だれが民家に巡航ミサイルを打てと
だれがピンポイント攻撃だハイテクだと
だれが特殊貫通爆弾を使えと
だれが厚顔な司令官に記者会見させろと
だれが強い国の子分になれと
だれが戦争を恣意的に報道しろと
だれが同盟国の正義は絶対に正しいと強弁しろと
だれが同盟国の好戦者にへつらえと
だれが政治家をやめて戦争屋になれと
だれが自らの大量破壊兵器査察はしないでいいと
だれが国民は戦争の邪魔をするなと言ったか

だれが恐怖政治をやれと
だれが死の商人になれと
だれが劣化ウラン弾で地球を汚染しろと
だれが残虐行為を繕って話せと言ったか

だれが平和ボケを止めようと
だれが少女の被弾即死を悼むと
だれがNO WAR!の輪を広げようと
だれが両軍の世界と地球への罪は問わぬと言ったか

※1939年生。『ユキオー詩集』 









アメリカンドリーム
島 秀生

誰が
解放してくれと
頼みましたか?
私たちの土地に突然やってきて
爆弾を落とし 戦車で踏みにじって
家族を殺していく人たちのことを
どうして喜んで出迎えるはずがあるでしょう。
誰が解放してくれと頼みましたか?
私たちが解放されるのを待っていて
やってきたあなたたちをもろ手あげて歓迎すると
いったい何を根拠に思い込むことができたのでしょう。
この国にやってきて
戦闘機に乗り 戦車を動かし 武器を発射すれば
たちまちアメリカンヒーローになれるとでも思いましたか?
あなたたちが言う「解放する栄誉」ってなんですか?
「栄誉」は人の命より大事なものですか?
「栄誉」を得るために人を殺すのはよいのですね。
人をひとり殺すと重い罪に間われるけれど
戦争でたくさん殺す分には罪に問われないというあれですね。
それとも死ぬのが他国の人だから痛みを感じないのですか?
どうでもいいと思ってるんだ。
もし戦場が他国でなくアメリカ本土だったら
同じことができますか?
いくらビンポイント攻撃だからといって
アメリカの市街地を空爆できますか?
誤爆で死んだ人のことを
「多少の犠牲」と呼ぺますか?
「多少の犠牲」の中にあなたの家族やあなた自身が含まれていても
「栄誉のためなら仕方ない」と言えますか?
「多少の犠牲」が他国の見知らぬ人だから平気というわけですね。
はたして世の中に人の命より大切なものなんてあるのでしようか?
だのに煽動者の演説を疑いもせず信じ込めるのは何故ですか?
決して自分は戦地に行かないたった一人の煽動者の口から出た
栄誉と勝利のドリームに踊らされて
いったい何千・何万の人の命がなくなるかわかりますか?
その人たちの人生や夢や愛を破壊するのはよいのですね。
煽動者こそが大量破壊兵器そのものだと気づくべきです。
人は自分は死なないと思って銃を撃ち爆弾を落とします。
「多少の犠牲」とは自分のことではないと思っている。
でも死ぬのはあなたです。
私です。
私の大事な子供たちです。

※一九五五年生。「ネットの中の詩人たち2」












春を呼ぶ
横田英子

黄色い砂煙りは
菜の花の悲鳴のように
雪崩れて
花の紅でなく
血の色が 地面を這って

滞る春を待ちかねて
瓦礫の中
春を見つけに
子どもたちは飛び出す

春を狙い
無心の子どもを
的にして
殺戮の街は
闇に沈む

虫の季節が来ても
羽ばたかない蝶よ
飛び交う春を 待っている
子どもたちに
何を伝えればよいのか

何もかも崩壊していく
父や母が死んでいく
兄や姉がいなくなっていく
これが戦場だと
誰が教えるのか

誰もいなくなって
たった一人になっても
子どもは
春を持ち続けるにちがいない

春には 花も鳥も虫も
父さん母さん兄さん姉さんも
戻ってくる

※1939年生。『みずのたび・風の器』










砂のことば
武田 健

千夜一夜の悦楽を
かき集めて砂山を築く
それは砂
砂のことば

眠ることばの上を
ミサイルが飛んでいる
修羅が飛んでいる
砂が揺れている
神も仏もアラーも
あるいは崩れた悦楽にも
いま行動を捧げるだけだ

もしも時間が砂を崩すなら
長い長い人の影は
明日も明後日もそして
必ずや見えない永遠の砂漠に
人の落日を描くだろう

ことばが砂嵐となって
修羅に立ち向かおうとしたとき
あるいは詩のように
あるいは無益な時間のように
血と汗には関係無く
行動は歴史になるだろう

砂よ
砂嵐よ
砂のことばよ
眼を覚まして砂山を築こう

※1932年生。『星を率つ』『超える』














「反戦詩集」編集委員会