戦争に反対する詩のページ5



墓碑銘    
鈴木ユリイカ

台風が通り過ぎてゆくというのに皆何となく
レストランに残って話している
ザバザバァと嵐がきた
仲間のひとりが逝ってしまった
彼が逝ってしまうと皆は自分が
あまりに絶望していたと分かった
眠れないときはがらすれたすを食べればいい
とくに白いところをね
離婚したり再婚したり 定年退職したのに
何をしたらよいのか分からなかったり
外国から帰りひとりぼっちで水泳したり
前歯がボロリと落ちたり
友達を失って放心状態になったり
「その時、馬がふり向いて誰も見ないものを
 見たのは詩人のお母さんが亡くなったから
 ではなかろうか?」
「その時 ライオンの背中に乗った子どもた
 ちが消えたのはどこの国?」

それどころではなく自分の父や母や弟が
急に消えてしまったことを皆は思い出していた
明かりのなかで皆の顔がやさしく笑いかけたり
急にわけのわからない怒にかられたりした
台風はもう通り過ぎてしまっていた
濡れた木の葉がべたべたと舗通に張りついていた
二十数万のにんげんの皮膚がどろどろに溶け
ヒロシマで 一瞬のうちに
家も木も鳥も人びとも蒸発してしまったという
事実をそんなに早く忘れてもいいものか
けれども 彼女たちは一瞬一瞬気が変わりやすく
大きなショーウィンドウの内部の
マネキが着ている美しい服に触ってみたいとも思った。

※一九四一年生 「MOBILE・愛」「ビルディングを運ぶ女たち」









北畑光男

寒い空
先のみえない暗い空だ
そんな空から
白装束の巡礼がやってくる
やってくる やってくる
時に
風の言葉に舞いあがりもするが
すぐに自分をとり戻すかのように
黙っておちていく

どうして白い装束を着るようになったか
巡礼自身にも分らない
けれどもなぜ
自身が白装束でおちていくのか
おちなければならないのかは知っている
世界という世界がまだできあがらない*
旅の途上だということ
死さえも旅の途上だということを知っている

わずかなぜいたくをしたいがために
国家の意志だといって
世界の意志だといって
戦争をひきおこす
宇宙は
とめどもなく膨張しているというが
それは欲望の膨張にすぎない

このことを
空は知っている
知っているから暗くなる
寒くなるのだ

そしてこの世に
空は
白い装束の巡礼をおくるのだ

この世では
白い装束もろともに
巡礼はとけてながれていくのだ
あの世とこの世をつなげることができないまま
とけてながれていくのだ
欲望は映るだろう
世界にうけいれられないまま
とけてしまった巡礼に
*「世界はまだできあがらない黒いこおろぎなのだ」村上昭夫

※1946年生。『救沢まで』『文明ののど』












アメリカン・ドリーム
キム・リジャ

ひとりで語れば詩になり
ふたりで語れば愚痴になり
おおぜいで語れば歴史になる

そんな履歴をかたちにしたら
アメリカン・ドリームになった

時代に目隠しされ
国家に弾き飛ばされた半生を
ひとはどこで
たて直しているのだろう

誰にも語らなかった過去を
いつの日にか勲章にするために
彼は走る
たとえその先に
バトンを渡すひとがいなくても

傷ついた日々を沈めた
負の海から這い上がるには
その海を泳ぎ切ればいいのだが

彼の笑い声が水っぽいのは
まだ負の海を
泳ぎ切っていないからか

負を組み合わせて
アメリカン・ドリームは存在する

※1951年生。『火の匂い』『白いコムシン』













難民
朝倉宏哉

かげろうにゆらめき
あえぎあえぎ
歩きつづけた難民たちは
丘の上で足をとめた

未来が見える
幾重にもうねる丘陵
褐色の山肌
点在する緑地
傾いている茫々の空

少女は小さな赤い花に目をとめた
少年は一筋の川の光に目をやった
母親は一つ先の峠の頂を見つめた
父親は見えない地雷を数えはじめた
老人はしゃがみこんで瞑目した

老人はすべてを見た
十年も百年も千年も
難民であったように思われた
一年前のテロと報復 十年前の戦争と放浪 百年前の妬みと憎悪 二百
年前の密告と脅迫 三百年前の襲撃と復讐 五百年前の放火と虐殺……
来た道と行く道と
どれほどの違いがあるか
老人は目をひらいて立ちあがった

難民たちが丘をくだる
はるかな峠を目指す骨張った足が
地雷におびえる
かげろうが燃える
人の群れがゆがんで見える

それは
きょう午後二時の
アジアの ヨーロッパの アフリカの 南アメリカの
紛争地帯の
まぎれもない光景だった

※1938年生。『満月の馬』『獅子座流星群』









犬の声
中原道夫

またまた
自爆テロがあった

そんな同じ時間に
いま知り合ったばかりの
種族も生まれ故郷も異なる
コリーとシーズーが戯れあっている

生物学者は
ヒトの遺伝子に
人種はないと言うのだが
報復が報復を呼び
その報復がまた報復を呼ぶという
イタチごっこのヒトの世界

わたしは貝になりたいと
言った男がいたが
ぼくは犬になりたい
進化ではなく、より進化するために

――それでは、また
――いずれ、また

行きずりの飼い主たちが
犬になり尾を振りながら去っていく

その日、自爆テロによる死傷者数十名
その報復のために再び軍隊が出動するという
この日常化されたテレビの報道
いつしか殺戮に慣らされていく怖さ

やがて、親や家族を失った少年が
銃口をあなたの胸に向けるかもしれない
その時、あなたはそれをテロだと言うのだろうか

どこからか
犬の鳴き声が聞こえてくる
それは忘れてはいけない
平和という時間の中から

※1931年生。『ぶら下がり』『雪の朝』









サイレン
松田軍造

今年はわが家の立木にも
クマ蝉がきて鳴く
水銀柱は今日もC三〇度を上昇する
サイレンの音が聞こえてきた
空襲に怯えた日のあのサイレンを思いださせ
ほむら立つ空を流れてくる

五〇年の節目 ふしめとマスコミは報道してきた
八月一五日 正午
ながあーいサイレンの音が鳴り響いている
僕は冥目する
雲南 ビルマ ニューギニアの戦々戦野に骨を埋めて  
還らない
義兄を親友をクラスメートを思い
 僕は黙祷をつづける

植民地で暮し享受した日々に
その日々を凝視る人たちの存在に気付かなかった
 迂闊さを
そして銃を取った年月のなかで失った青春を
僕の眼に写らない傷の痕(かさぶた)は
まだとれない

サイレンの吹鳴はつづいている

※1920年生。『空港』『海辺の風景の中で』










小さい頃戦争があった
北川眞智子

戦後私が小学校二年生の頃
天皇の地方巡幸が行われました
小学校の運動場は
人・人・人でいっぱいでした
父を戦争で亡くした私も
手作りの日の丸の小旗を持って
人の列の中にいました
万歳や嗚咽のざわめきの中で
私は一人取り残されたように
ぽつんと立っていたような気がします
まわりの歓喜に満ちた光景が
納得できなかったのです

六十を過ぎた今でも
心奥から拭い去ることのできない
侘しい陰影です

※1939年生。詩選集『HATENA(はてな)』『筑紫野』









妹 よ
熊谷きよ

「ワタシハ タレナノカ
 オシエテクタサイ」
白髪の目立つ 残留孤児の訴え
重なる妹 そして私

別れたとき 赤ん坊だった 妹よ
おまえは 日本人である ということ
靖子 という 名前があること
そして 姉がいることを
知っていますか

王道楽土の夢を追い
中国の東北部「満州」といわれた国へ
渡っていった父と母
そこで生まれた 私たち

戦争が 終わる頃
父母と おまえと 別れて
日本に 帰された 私

父の戦死の公報は 私が高校生の時
「昭和二十一年二月三日
 通化事件にて死亡」
戦争が終わって 半年もたって
お父さん
あなたは本当に 死んだのですか

あなた達を求めて 私の旅が始まった
通化事件(*)とは
父は 母は 妹は

王道楽土の 夢に消えた 父と母
未だ 行方がわからない 妹よ
私の 心のなかに 今も 生きている
妹よ

私の旅は 終わらない

*通化事件=旧満州では、終戦後も国府軍と八路軍の内戦状態 
内紛が 続いていた。八路軍により官吏である父達百三十人余り
が拘束され、 通化市にある旧憲兵隊跡に入れられ洗脳教育を受
けていた。彼らを救出 しようと旧日本軍の急進派と国府軍が手を
結び蜂起した。  しかしこのことは事前発覚しており、蜂起と同時
に憲兵隊跡には手榴 弾が投げ込まれ、全員無残な死を遂げた。
これが通化事件である。

※詩選集『HATENA』







君は耐えられるか
上尾龍介

再び浮上することのない
小潜水艇の闇の中で
幾度も把手を廻し
エンジンに耳を当て
凍ってゆく心
天を仰ぎ
父を呼び 母を呼び
叫び 泣き
壁を叩き
息絶えた
若者の最後の時に
君は耐えられるか

松の芯を燃やす暗い灯り
燃えるペチカ
黒ずむ煤
尿便の匂いこもる
伐採の丸太小屋に
もの言う者もない
兵士たちの餓えた夜
止まることのない下痢
汚物の匂いしみる毛布の中で
再び立つこともなく
うつろに死を待つ
若者の窪んだ眼
酷寒の捕虜収容所の
死に絶えてゆく時間との同居に
君は耐えられるか
敵が迫れば
戦って死ねと
手渡された
手榴弾の重さ
撤退する本隊
倒れながら
銃を引きずり
松葉杖の兵は
後を追ったが
ジャングルは篠つく雨
椰子の葉の小屋に
しずく垂れ
音もなく山蛭の這う竹の病舎

米粒のような
傷口の蛭を取りながら
父と耕した山畑を想う
足のない兵士

包帯の下に
今は眼さえ持たぬ若い男は
手榴弾を胸に抱いて
ふる里の遠い海鳴りを思った
打ち捨てられた野戦病院
風騒ぐ熱帯の闇
生の終焉を凝視する
年わかい病兵たちの
凍ってゆく時間の重さに
君は耐えられるか

そこだけがわずかに明るい
灯火管制の
夕餉の膳に
親たちは冷えた湯を呑み
病床の祖母さえも
湯だけを呑み
卓に置かれた
ひと切れの細い芋
戦いの日々の
絶え間なく襲う餓えの時間に
君は耐えられるか

いま近づく戦いの足おと
国際協力 国際貢献などと
現代の装いをこらした
破滅へのスローガンが
ニュースの画面を走り
音もなく響いてくる
むかし聞いた にがい言葉
東洋平和 一億一心

過ぎたむかし
町にも村にも 学校にさえも
声の大きな
”愛国者”がいて
熱い言葉が溢れ
その渦の中で
遮られていった醒めた言葉

だが君よ
野に咲くとりどりの花のように
木々に囀る鳥たちのように
今日を豊かに生きることのほかに
何の幸せが地上にあろう

いま近づく戦いの足おと
暗い予感立ちこめる
街角に立って
熱風に灼かれて過ぎた日々の痛みを
誰に語ることもなく
手をこまぬいて今を生きることに
君は
それでも耐えられるか

※1926年生。編著『現代西日本詩集』詩選集『HATENA』  











「約束」(プロミス)
伊藤芳博

思えば
子どもと約束をしていない
友だち同士では
 「指切りげんまんウソついたら針千本飲―ます」
なんて今でもやっているのだろうか
僕は
しばらく子どもと約束をした記憶がない

手にした映画のチランには
振り向いて笑う女の子の横に
 「あといくつ″約束″をすればいいのだろう
  世界を変えるためには」
という言葉がひかえめに印刷されていた

世界を変える?
そんなふうに思ったこともあったな
何年生きてきたのだろう 僕も
ここへきて
変わっていくのは自分ばかりだ
自分の現実さえ変えることができないのに
僕はチラシを幾重にも折りたたんでポケツトにねじり込む
ポケツトはいつもそんなもので一杯だ

 「紛争と和平の狭間にいる子どもたちの声を聞いてみたかったのだ
  取材したのはイスラエルとパレスチナ双方の子供七人
  ほんの20分の距離にいながらまるで別世界に住む子供たちだ」
監督B.Z.の言葉が目と耳に入ってくる

映画は
エルサレムのイスラエル人地区に住む双子の兄弟
ヤルコとダニエルの会話から始まる
 「18番バスはテロの標的だ
 だからみんなはこの路線を避ける
 でも22番に乗ったとしても
 絶対テロに遭わないという保証はどこにもない」  
 「テロなんて年に一度くらいだよ」  
 「自分たちに降りかかってくるのはな
  そしたら死ぬんだぞ」
誰だって二度は死ねない
思わず笑いかけて黙り込む

ユダヤ思想を信奉するモイセは熱く語る
 「神はアプラハムにこのカナンの地を与えると約束をしたんだ
 そして天使がヤコプをイスラエルと名付けた」

 「お父さん!
  来週は連れてってよ
  約束だよ!」
突然追いかけてくる声
そうだった
公園に遊びに行く約束をしていたんだっけ
僕から約束をすることはないけれど
子どもからされることはあるんだ
  「ごめん
  今日はダメだから来週な」
  「絶対だよ!」
絶対だなんて……
彼らは約束を信じている

一九一五年
パレスチナの地をアラブ国家として独立させる約束
フサイン・マクマホン協定
「アラビアのロレンス」の舞台だ
一九一六年
この地をフランスと分け合う秘密の約束
サイクス・ピコ協定
「オスマン帝国」なつかしい高校世界史の用語だ
一九一七年
パレスチナにユダヤ人の民族郷土建設を約束した
バルフォア宣言
三枚舌イギリスで活躍した政治家チヤーチルは
のちにノーベル文学賞を受賞している

映画の終わりに
デイヘシャ難民キヤンプに住むパレスチナ人ファラジは言う
「未来はやって来ない」
東エルサレム・パレスチナ人地区に住むマハムードは
過激派組織ハマスを支持している
「僕らから何を奪ったか考えてほしい」

地球は広い
狭くなったなんて嘘だ
どんどんどんどん向こうへ行っている
僕もまた何かを奪われたように遠ざかっていく
子どもとの約束はまだだ

「近くにいるのに
 僕らに交流がなかったのは
  検問所のせいだ」  
 「いつもどこかへ行っちゃうんだから!
  お父さん
  公園だよ」
ほんとに近くにいるのか
暗くなってきた地球の街で
子どもたちの顔を次々と思い浮かべながら
ピール一本飲んで
検問所も通らず
僕という
現実は
帰路についた

※1959年生。『他人の恋人であっただろう少女に』
        『どこまで行ったら嘘は嘘?』











ガーリック・ステーキ
北川朱実

人と向きあっていると
その人の眼が
遠くばかりを見ている時があり

その人をとらえているものが何なのか
おもわずふりかえってしまう

あの
ひえたまなざしに
見つめられていたにちがいない

デパートのレストランで
ガーリック・ステーキを食べ
それから
向いのコーナーで
「アフガン報道写真展」を見た

砲弾が落ちた瞬間なのだろう
はだしの少年や
赤ん坊を抱いた女や老人が
街じゅうを逃げまどう中
ひとりの男が
道のまん中にしゃがんで
すんだ眼をして遠くを見ていた

神の手に
スーッと引き抜かれたように
そこだけ静かだけれど

耳が悪いその男は
砲撃がはじまると
いつも付けている補聴器をはずすのだという

もうどこにも逃げられない人が
どこにも逃げられない場所で
背丈をほどき

いのちがけで遊んでいた

デパートのレストランで
のどを大きくあけて
ガーリック・ステーキを食べた

腹の中で
眼だけになった人が
かすかに匂う

涙があふれた

※1952年生。『神の人事』『死んでなお生きる詩人』














壕の中
黛 元男

地軸をゆるがす爆裂が迫ってくる
三菱航空機名古屋大江工場のポール盤の下
まっ暗い壕の床に
ぼくらは伏せていた
眼と耳を両手でおさえ
口をあけて
そうしないと爆風で眼球が飛びでるといわれていた
頭上に落ちたかと思う衝撃に
ぼくらは吹きとばされた
砂ぼこりが中天に渦を巻き
穴のあいた屋根から
白い空がぼんやりみえている
ぼくらはたまらず工場を飛びだした
路上には人影もなく
てんてんと死体があった

あれは六月の夜だったか
清水海軍航空隊の地下壕はがっしりとできていたが
床上には水が漬いていた
壕の壁にもたれ
ぼくらは不気味な音をずっと聞いていた
爆撃よりも
もっと腹底にひびく重いとどろきを
ぼくらがのんびり退避しているあいだ
清水市が米軍の艦砲射撃をあびていたのだ
港湾の軽金属工場をねらった砲弾が
市民の家を粉砕した
  ちくしょう  ひどいことをしやがって
  こんどはおれらがかたきをとってやる
黒こげの死体をいくつも片付けてきた
上級の練習生が血走った眼で吐きだした
外出の日に
ぼくらが立寄った写真館も焼失していた
すべての写真のネガとともに

テレビの画像に
戦争を知らない悍馬の宰相が
髪をふりたて息巻いている
備えあれば憂いなし
はたして かれの軍隊は民衆のいのちをとことん守れる
 のか
もう結構
ぼくは坑道の奥の奥の
闇の果てヘ
逃亡する

※1929年生。『ぼくらの地方』『沖縄の貝』


雨上がり
宮沢 肇

行方不明のことばを探すペンの
手もとの天が明るんで
雨が上がった
木の葉に溜った滴が
風といっしょに散っていっても
ぼくにはまだ
世界の辺境の
死の光景を十全に想い描く術がみつからない
田舎道の
ながい生垣を巡る
ありふれた家並のしあわせ
傘を閉じた指先の
少しばかり惨んだインクの向こうには
いのちがけの青空が広がり
路上にとび散った水滴が
撃ち込まれた銃弾のようにきらきら光っている
(ああ 今になって)
それらは机の上に置いてきた書き損じの
ことばの消しくず
地の底で呻いている空を
まずしい語脈の梃子で押し広げようとして
目を上げるとき
不意に中空にかかる
虹のようなものだ

はきふるしの雨靴を履いて
一本の思想の道を探しながら歩く
みちみち傘で受けとめた
ほんのいっときの手持の時間を
一生の長さに換算して
まだ出合ったこともないことばの
遠くの波立ちを
引きしぼった虹の弦につがえて放つ
希望が青空のなかへ消えていき
そこから
異邦の地の上を歩く男の
岩石の塊のような
苦悩をかすかにしたたらせて
ひとすじ夕陽が差しはじめる
国境へ殺到する戦争難民の
誰かひとりの胸の奥に
かろうじてとどまっていたかもしれない
あのとき探していた
ある小さなことば
その血のような雨滴の
音となって

※1932年生。『仮定法の鳥』『帽子のなか』












肖像
長島三芳

(死を覚悟した海兵隊員の顔は
  誰もがきりりとして輝いて見えた)
朝鮮戦争からベトナム、湾岸戦争へと
戦場に行ったアメリカ海兵の顔を
長年にわたって書きつづけてきた
店の主人はそう言って紙タバコを吐いた。

真昼のどぶ板通りの肖像画店
店の壁には戦場に行った海兵の顔が
何点か額にして掲げられてあった。
  (一年たっても引き取りがなかったら
 テキサスの女房に送ってくれよ)
と言って、血の吐くような言葉を残し
ドル紙幣と小さなメモに住所を書いて
慌ただしく戦場に行った海兵隊員もいた
遠い古里の山河を
瞼に熱く描きながら。

戦争は酷(むご)く 残酷な血の海
己の魂を一枚の肖像画に書き残して
戦場に行った海兵の中には
いまも引き取り手もなく
笑みをふくんだままの肖像が
埃(ほこり)をかぶったまま
飛べないつめたい蝶となって
日本の暗黒の空をさ迷い壁につるされている。

ヨコスカ夜のどぶ板通リマホリ肖像画店
今日は朝から土砂降りの雨
店は黒いカーテンが引かれて閉ったまま
誰も訪れる人はいない。
   ――米軍ヨコスカ海軍基地にて

※1917年生。『黒い果実』『長島三芳詩集』









夢2
木村迪夫

 そしてままお母さんとお父さんと一生けんめいにはたらきつづけ
ましたが 女としては一番にきものです 何もかってもらわずにた
だ何年もはたらきつづけて ようやく十九さいになりました 十九
さいの年にままお母さんのあねの家によめにくれられました きょ
うだいだからきものもかってくれなくてもよいといってくれたので
す そして一年二年とたち女の子供がうまれました 春にうまれて
冬の一月ころに夫がげんえきでへいたいにとられいよいよ今日は
家から出ていかねばならなくなった そのときわたくしはなんてい
ったかわからない 夫が出ていったあとは あっちへいってなき
こっちへいってはなき ただ心さびしくなくばかりです こんなこ
とだったら一年半はどうしてくらす しかられながらそうしておし
ゅうとさんとはたらきつづけるのです 月日のたつのははやいもの
で そうしているうちようやく一年半もたってかへってきたといっ
てよろこんで 二人ともせっせとはたらくことができました また
秋になるとよび役だのこうび役だのといってまたゆかねばならな
い 子供は三人となり いってくるとまたもしょうしゅうれいじょ
うのゆう あかいかみがきたといって心さびしくなり なくばかり
です

※1935年生。『いろはにほへとちりぬるを』『マギノ村・夢日記』














沖縄 アブチラガマ(糸数壕)の傍で
水崎野里子

2003年3月8日
夕暮れ アブチラガマの傍ら
車の中で皆を待つ

皆はなかなか帰って来ない
ひめゆりの塔の博物館で見た写真
並ぶ17歳か18歳の少女たちの写真
普通の女の子 皆 爆風や爆弾直撃で死んだ
平和祈念公園で見た 大きな一枚の写真
女たちの自爆 どれが手か足か
既にわからない

私はあたりの夕闇をゆっくりと見渡す
私は 今 暗さを増して来る闇の中にいる
決して そこから出ることは出来ない大きな暗開

1945年4月 米軍沖縄本島上陸
嘉数台地をめぐる三方から攻め入った
雨の中での激しい死闘
大地は血と雨でチョコレートのようになった
日本側の兵士の多くは 韓国から徴用された兵士
激しい攻防戦 死闘
射殺された看護婦
射殺された村民 変装した兵士と間違えられた
米軍と日本軍から逃げ 崖から海に飛び込む住民の群
集団自決 子が親を 親が子を 互いに殺した
軍は手榴弾を渡した 死ねと
逃走の果て 日本兵はガマに避難した住民を追い出した
食糧を奪った
日本軍は住民を守らなかった
現在 沖縄の人はそう言っている

今日は 2003年3月20日
テレビが今 米軍によるイラク攻撃の開始を告げている
何度人類は殺戮を繰り返すのか
暗闇のガマの中は 再び
首や手足のない死骸で埋まる
*ガマ:沖縄によく見られる、石灰質の地下洞窟。普段は食糧などの
貯蔵場所に使われていたが、第二次世界大戦中、住民の避難場所
や野戦病院、あるいは、米軍の攻撃から逃走 した日本軍の兵士た
ちの避難場所となった。そこで、手榴弾などで自決した兵士たちもいる。

※1949年生。『日英対訳現代日本詩アンソロジー ドーナッツの穴』、
『現代アメリカアジア  系詩集』(翻訳)










イチローと
―プレーオフのころ空爆開始
麦朝夫

イチローが内野安打を打つと
子供が一人死ぬ
イチローが六割打つと
六割土の家がはじけ飛ぶ

イチローのファウルを掴んでその手を高々とさし上げる
スタンドの無邪気なアメリカンヒーローが好きだ
空の闇で爆弾を離す 手は溶けて見えない
乗客を背中にビルに向かっていった あの手も

イチローにとりつかれてるな カラのぼく
怖いグリーン を覆う深い土
見ているだけの目を削るほのめきのように打ってくれ
この秋の生々しい ワールドシリーズヘ

※1934年生。『数行詩集』『世界中どこでもみんなこんなふうに暮らしてるの?』










一枚の写真から
近野十志夫

誰も彼もが
敵に見えてくる。
友軍を砲撃し。
子どもらの乗る
車を射撃し。
記者の泊まる
ホテルも標的だ。

誤爆ではない。
恐怖の対峙。
戦争という狂気。
が連鎖してゆく。
銃は
ただの殺人道具だ。

※1946年生。『戦争体験なし』『桜隊―人物史詩』ほか。









いちごフェアー
中島悦子

今日、明日にも
戦争は起きそうだったが
ビニールハウスの中には
苺が熟していた

ビニールでは
爆弾はよけられない
にもかかわらず
フェアーは始まっていた

ビニールハウスも
核シェルターも
持っていない者にはどうせ
いる場所はないから
たまたま
空の見えるここで
ほら
一部始終が見えた方がいいんじゃない?

ハウスの中では
インテリの中山さんがまだ白い苺も
甘いんだといって食べ続けているし
危機一髪でイタリア旅行から帰ってきた
えりかさんはなお赤い実を探しながら
「死ぬほど食べても死ねなーい」とうれしそう

私は死ぬ前に食べたいものが苺とかねてより
近親の者にいっているほどなので
この祭の楽しさは頂点を迎えていた

ビニールハウスの利点は
空から降ってくる
血の雨はよけることができること

そうすれば
せっかく野放図にのびつづけている
醜い種だらけの赤い実を
かろうじて区別できる

※1961年 『Orange』








岡崎 純

あの八月に 哭いていた蝉が

今なお 私の耳の中で

哭きしきっている

あのとき 耳の奥深くに

入りこんだ蝉は

そのまま ずっと居据わって

秋には 秋の蝉となり

草むらで哭く虫のように

冬には 冬の蝉となり

しんしんと降り積む雪のように

春には 春の蝉となり

あの時代のおろかさを哭いている

省みよと哭いている

十五歳のあの八月に

口惜しさを哭いた蝉が

今もなお 不眠を強いている

※1930年生。『極楽石』『寂光』













制裁
金堀則夫

空爆が
一つの国に降り注ぐ
破壊が破壊をよぶ
人のいのち
鉄の極みは
爆破する

葦原の
生い茂るところに
徐福伝説が生きている
葦の根に鉄分が含まれ
団塊をつくる
稲作の
鍬が 鋤が
人と争う
葦の鉾となる

狩りは
獲物との戦う石鏃だ
稲と米の
作物は
いつしかやじりを人に
うち始める
弥生人
周溝墓の
死体がいう
鉄は
刃となって
人を征服している

鉄の破壊が
その破壊を破壊し
また
つぎの武力をつくる
人の刃
人間は まだ
鉄鏃を
うちつづけている

※『想空』『ひ・ひの鉢かづき姫』








爆煙
大藪直美

視界ゼロの恐怖は
凍りついた世界に雨を降らす
見えない恐怖に風を巻き起こす
ふりまわす両手にふれる砂塵は
小さな傷を作り
小さな傷を隠し
胸元へと命を追いやる

命を冷やす指先に
一瞬の奇跡を求め
銀色の炎を夢に見る
神と名のつくものならば
何もかもに縋る
従軍の牧師たちは砂色の視界に
それでも天使の姿を見るのか

※1981年生。









マッサージチェア
美濃 千鶴

空気圧が脚を押す
得体の知れない手が肩こりをほぐす
マッサージチェアに腰かけて
私は終日テレビを見ている

ニュースは空襲の成果を伝え
電話の向こうでは寝たきりの祖母が熱を出
 している
風邪気味の鼻をぐずぐずいわせながら
私はマッサージチェアに身を委ねる

映画館では「戦場のピアニスト」
インターネットには反戦の署名運動
マッサージチェアに奉仕されながら
私は箱の中の世界を見ている
空気圧のようなあやふやな確かさで押しつ
 けられる
実感の非現実感

機械に脚を揉ませる私が王様なら
今砂漠の国で死んでいる人たちは誰だ
旗を掲げてデモをしている人たちは誰だ
銃を持つ人、カメラを持つ人は誰なのだ

ニュースは戦況報告を終え
時間通りに天気予報を始める
満開の桜が箱を埋めて
イラクなどもうどこにも見えない

再び電話が鳴った
祖母の熱が三十九度を超えたという知らせ
 を聞いて
(行かなければならない)
私はテレビを消す
暗いプラウン管のなかに刹那
私をみつめる私が浮かぶ

※1970年生。『人柱』『十二号系統』








蒼天のまなざし
夏山 直美

ちょっと連れて行って―――誘拐
無理にひっぱって―――拉致
たくさんの人をつかまえて―――連行

ひとり殺したら殺人
たくさん殺したら名誉

名もない人・有名な人
貧しい人・お金持ちの人
国を捨てて
時に難民・亡命・密入国者
色分けの基準はどこにある

拉致と強制運行
かわいそうと運が悪い
その規模が
小さいほど大きく
大きいほど小さい
罪の意識
みんなでやれば恐くない
みんなでやるから正義になる
あっちにもこっちにも
正義の味方は旗を掲げ
指一本で戦いの狼煙は上げられる

集団という衣を着て
罪という靴を脱ぎ
問われない疑問は
ポケットに入れたまま
蒼天の下
神の名を唱えながら
くり返される正義のベクトル
その方向には溶ける人々

人類の歴史教科書はぶ厚くなり
学習しないホモサピエンスは増殖する
地球というホルダーから
こぼれ落ちるバイブル
※1961年生。『プレパラートの鼓動』










止めてください
森みどり

産まれてくる子がいます
この世が利権の争奪と殺戮に満ちていたら
何を励みに育つのでしょう
死の恐怖に怯える日々に
憎しみを持つなと言えるでしょうか
イラクの子供も
日本の子供も
同じ人間の子供です
未来に憎しみを産まないように
戦争を 止めてください










水の てのひら
村野美優

たくさんたくさんのいのちがあった

大陸の高いビルで人が焼けおち
陸の孤島も火につつまれた
この島にも火の粉が飛んで
焼けだされた人びとは
水のなかで泣いていた

ちいさな痛みをおおきな痛みがうけとめ
おおきな痛みはちいさな痛みをむねにだく

ここから生まれかわりたい

耳はふたつ 口はひとつ
ふたつ聞いたら ひとつ話そう
足はふたつ
一歩つけたら 一歩 離そう

あとからあとから 浮かぶ水の輪

港に来ると
白い帆がたなびいている
たくさんの耳をそばだてている
聞こえてきたら 出港したい
聞こえなくても がっかりしない

水の てのひらは深いから










戦争と平和
伊東美好

毎日のニュースでアメリカとイラクの
戦争の様子が流れるたびに
体中ふるえてくる

自分が幼い頃に日本がおこした戦争を
思い出す 人間と失うものばかり大切な心までも!

やっと平和になって又世界が平和になって
世界の人々も 自由に交流が出来る様になり
日本はとっても平和なのに
なぜ戦争なんかと信じられない
一日も早く停戦になって欲しい
世界中の人々が笑顔であいさつが出来る
ようにと祈る
この世に生をうけた人間の意義なのである
と信じている











ブッシュとフセインに
江原茂雄

何を言っておるのか
何をやっておるのか
わしには分からぬ
二〇〇〇年前に死んだわしだ
人を愛せと言った
人を叩くなと言った
この言に背く人は
キリスト教徒ではない
わしの名か?
この宗教の創始者にされてしまった
イエスじゃよ

何をやっておるのか
わしには分かる
一四〇〇年も前に死んだわしだ
平和を好む
あたりまえのことだ
叩かれたら叩き返す
これもあたりまえのことだ
だが それ以上はいけない
わしの名?
ムハンマド イスラム教の創始者じゃ

※1941年生。『観覧車』











胸の声
螺旋

振り下ろされた手の平が 頬を打ったとて
胸の鼓動は響かない
なぎ払われた長爪が 背中を引き裂いたとて
胸の琴線は震えない

怒濤と憎悪だけで こねくり廻されたグローブに
どうして慈しみの扉が 開け放たれましょう
打てども打てども ただ朱に腫れ上がるだけ

誹謗と中傷だけで 染め上げられたマニキュアに
どうして安らぎの鐘が 鳴り渡らせましょう
裂けども裂けども ただ朱の糸を引くだけ

傍らの犬は ほんとうに賢い
いちどきに千の犬を葬る術を 天に預けてきたのだから
傍らの猫は ほんとうに賢い
いちどきに万の猫を葬る術を 地に預けてきたのだから
ええ ほんとうだったのです
知恵の実を口にして 人が楽園を追われたのは

けれども 思い出してみましょう
刹那で命を奪うだけが 果実の力ではないはず
よくよく 考えてみましょう
かけがえのない人を あなたも私も 失いたくない事を

凡人たちは もう とっくに知っています
銃弾では 胸の声を封じられないことを

※1964年生。『階段のつぶやき』










空は
柳生じゅん子

空は見あげるもの
ゆるやかに解かれるものではないのか

ひとのなかに風を通し
陽と雨を降り注ぐ
花や木々をのびやかにそよがせる
鳥たちが希望や永遠という世界を示す
どんなにかすかなものも その在りかを
それぞれに際立たせてくれる
そのためにあるのではなかったのか

暴れまわる閃光
心臓をたたき潰されそうな
爆音と炸裂音
(謀略と新兵器が
 実験の場を得て生き物となっている)
その下にいる 声も出ない小さな子供たち
(あれは少し前のわたしたち)
(わたしの子供たち)
誇りと精神を破壊されそうな時でさえ
まず ナンを焼き
水を用意しようとする母親たち
(わたしに出来るだろうか)
羊飼いの少年と羊たちの行手に
やわらかな草原は残されているのか
大きな銃口そのものの空間から
逃れるどんな術があるのだろう

わたしもまた祈るしかないのか
不信に満ちた残像の奥に
もう何日間も捕えさせたままで

※1942年生。『藍色の馬』『天の路地』 














蓑虫の遺伝子の歎語     
原子朗

摂理(プロビデンス)でしょうか
ひと仕事終えたところで八月が来ました
(といってもぼくには年がら年中八月ですが)
こよみの上の八月より磁力にみちてシンボリックな
ぼくのほんとうの八月
組みこまれた遺伝子
酷薄の酵素
ぼくの原点です

でも ぼくのからだをからだを覆っているのは樹皮の鎧(よろい)
欠かせるだけ義理を欠いた ぶさたのかさぶた
ぼくは巨きな蓑(みの)虫なのです
かさぶたを剥がすと痛いから
どこに行くにもずっとコートを羽織ってきました
(するとみんなコートの外がわだけしか見てくれません)
はたしてその日が来ても
あの暗褐色の蓑蛾となって
ぼくはかさぶたの中から飛び立てるでしょうか
甲羅にこけの生えたみどりの蓑亀になって
地獄の池に墜ちるのかもしれません
なぜならぼくはずっと生存罪に青ざめていて
顔を拭くとタオルもまっ青だからです

誰がいうのでしょう
生者は年老い 死者は永遠に若い などと
にせの平和の痴呆の駄句のたぐいを
ぼくの中の八月の死者たちは たいてい
死ぬとき百歳以上にも見えました
かなしみの涯の野末にわななく幽鬼
そしてみんなずっとぼくの中に生きているのです
ぼくという生者は彼らより若いのです
ここでは十二人の死者たちの話をします

あの日 八月上旬がおわったころ
よくも二十五キロの道のりを三日もかけて
(途中で脱落した死者も数人いたとか)
足をひきずり ぼくの母の家に助けをもとめて
たどりつき倒れこんだ不意の客たち
幼な子をまじえた親戚
そのまた親戚たち十二人のことです
その夜からぼくの母は食べものの工面にかけまわり
二日後には客たちのべろべろの背中から蛆(うじ)虫がわきはじめ
医業の心得もある母は箸の先で素早く蛆虫をとってやり
くすりをぬるにもくすりはなし
炙(あぶ)ったドクダミの葉をくまなく貼りかえ
四日後に幼な子の母がはじめにこときれ
堰を切ったようにその幼な子をはじめ一人また一人
タイヤのつぶれたリヤカーで運ばれ
夜おそく溢れる火葬場から火消壺の
消し炭のような骨がまたリヤカーでもどり
おとといリヤカーを引いたひとが
きょうは引かれてまたもどり
そのたびにぼくは見ていました
死者のからだに生まれたばかりの蛆虫が動いているのを
母が聖書を手にその一節を唱えると
みんなが声をころして泣きしぼるのを

じぶんのすべてを与えて
疲れきった顔も見せずに死者たちを送り迎えた
ぼくの八月の母よ
九月を待たずに客がひとりもいなくなった朝
はじめて号泣していた母よ

ぼくはぼくで爆心地の近くまでかよい
影も姿も骨もない別の近親の死者たちの
身のまわりを片づけていました
身のまわりも瓦のかけらばかり
ぼくにも見覚えのあるナベやカマだけが
青空から降ったようにころがっていて
はらがへるとその歪んだナベでイモを煮ました
一瞬で成長がとまった土中のモグラの屍体のような
裏の斜面の畑から掘り出した
八月の小さなサツマイモは
遠くからもらってきた水でいくら煮ても
外がわはガリリと固く
食いやぶると芯のあたりだけが食えるのです
死の中の生 蓑虫の内部のように―
ぼくは毎日それを食べていました
死者たちといっしょに

いままで書いたことのない
蓑虫の遺伝子の物語の一端です











ぼくらのための湾岸戦争
長久保 鐘多

ことばが戦車よりも強いということを
ぼくは最後に言いたかったのだが
戦争のほうが実にあっけなく終わってしまったので
なんてことだ
ぼくは最初にそう言わざるを得なくなってしまった
戦争なんてものはそもそも初めからないにこしたことはない
たとえあったにしても早く通り過ぎてくれたほうが良い
確かにそうにちがいないそのはずなのだが
一九九一年一月二月とテレビ・ゲームのように夜通し
石油ストーブでたっぷりと暖をとりながら
突然現れた軍事評論家の解説といつものコマーシャル入りで
戦争を楽しんでしまったぼくらにとっては
空虚な砂漠はこちらにだってあるのだなんて
言い訳がましく少しは思いながらも
三十八日間の大空爆のあとのわずか百時間の地上戦では
ゲームの途中でファミコン・ソフトを取り上げられてしまった
子供のようなそんな気分になってしまったのだ
リヴィング・ルームで戦争を楽しむ
そんな時代のなかでぼくらはどんなことばを持つのだろうか
かつて戦争の悲惨さを物語ってくれた人間の死だって
シュミレーション化されたゲームの数字にしかすぎない
ましてぼくらは化石燃料の起源となった海洋生物のことなんか
考えもしないのだ

原初の夜やわらかい輪郭をゆっくりとかたく閉ざしていったも
のたちよ
ことばも知らずその叫び声も上げずかすかに震えながら沈澱し
ていったものたちよ

あっけなかったゲームの終わりにかれらはその姿を現すのだ
世界中のテレビが映し出しただろう一羽の鳥となって
クウェート・カフジの海岸
全身油にまみれた
あえぐ彫像のような
あの海鵜
あれはどうなったのだあの金色をした鳥は
ゲームのなかに紛れ込み記号化されなかった現実よ
この次はおまえが飛び立つのだミサイルとなって
そこで初めてゲームは終わる

ともかくぼくらは戦争を楽しむことを知ってしまった
ことばの無力さを知ったぼくらはどうすれば良いのだろうか
退屈な砂漠の毎日のなかでそしてありきたりの家具のあいだで
テレビのチャンネルをめちゃくちゃまわすのだ
どこかで戦争はやっていないだろうか

※1943年生。『散文詩集・象形文字』『二十世紀、のような時代』














巫子(えじこ)のいる風景
小坂太郎

長い数珠を首にかけてまさぐりながら
 センリノミチヲ ヒヤクリトイソグ
 ヒヤグリノミチヲ ジユウリトチカヅク
呪文(ほうごと)を唱えているうちに
頭の中に白い霧がさっとかかってきて
次々に言葉が出てくるなだ
節までついで歌うように調子がよぐなって
おら何しゃべっているのか自分でわがらね
仏さん降りて来ておらの口を借りているなだ

―母(あば)あ よぐ呼んでけだなや
 お前(め)も達者(まめ)で何よりだ
 おらいつも歩ぎっぱなしなもんだから
 こやくてこやくて休みだくなったとき
 水こあげでもらって一息ついだもの

―次男(おんじ)よ何から語ったらええが  
 なんぼ語っても語りつぐさね気持ちだ  
 女性(おなご)も知らねで志願して
 娑婆(しやば)と別れてしまったべ  
 何しにこの世さ生まれできたもんだが

―母(あば)あ 心配(あんちごと)すな
 土地継がれね次三男(おじかし)だば
 軍隊さ行ぐより親孝行の道はねがった
 冥途(こっち)だばあど腹もへらねし

 ただどごまでも北さ歩いているだけだ
 先祖の背骨でつながっている白い道を
 吹きだまりへ落ちねように気をくばり
 足裏でさぐりながら星座を仰ぎながら

 母(あば)あ うめえ物いっぱい食って
 医者さもかかって たんと長生ぎしてけれ

―次男(おんじ)ごねんしてけれ
 おらだばドロメ*と同じだもの
 息子(わらし)食って生きでいるんだもの
 遺族年金のお陰で暮しているんだもの
 ごめんしてけれな       
      (*ドロメ=魚の名前)

※1928年生。『北の鬼灯』『北の民話』







偽りの戦い
浜竜

兵士よ、君はなぜ、絶望の暗黒を見つめるの
   君の引き金で死んだ子供達を見たからか

君は なぜ引き金を引いたの
      それは君の恐怖心からではないのか?
君にまつわりつく疑惑の正体を
      知っているんだろう,本当は

君はいつも同じことを繰り返す
      この戦争は自由のためだと
自由のための戦争だと?
      石油のための施設は必死でまもり、
            人々のための施設は爆弾で破壊し尽くしておいて

君は答えるべきだ、本当のことを
     正義のために戦争なんかしないのだと
自由のため正義のためと戦争はするけど、
      目的は金のため、資源のため、
           金のなる木のためだと
石油の枯渇した国にはもう用はない
      用のない国は幾らへつらってもご用済み

兵士よ 君たちも同じさ、
     君の足がなくなつても
           名誉の負傷とおだてられても


用済みのときは
      もう誰も振り返らない

気をつけろ
     いい気になっているあいつらに
誰が言ったのか、
      天罰なんか存在しないのだと
これからさ、正義ずらした得意そうな親父達が苦しむのは













《Oh!Barbara quelle connerie la guerre》
               ――三寒四温五風の日来てもろもろの        
                         死者たちの会う黒いハナビラ
風間晶


    三角 の空からは
  三角の鳥
 三角の思想以外は落ちてこない

巡航ミサイルが丁重に届けられる街の
 火の海
  硝子片    が飛び散らう窓々から
    血だらけの子供たちの目玉が垂れ下がってくる
      みぎひだりの絶望  したうえの希望
        見えるか  見えない


正義  美しい戦争の泉
  窓々 を目張りせよ
    文明  の破片は大地に撒かれ
      どの様な芽を出すのだろう
       地雷  の芽が人々の脚を噴き飛ばす


                     四角の大地には四 
                     角         角
                     の         の
                     闇         人
                     を         が 
                     汲         住
                     み 四角の愛を生む


乾いた砂漠の中を
 血に濡れながら
   西日に煎られながら
     血を拭きなさい 朝を明けなさい
       お祈りを拭きなさい 存在(ヒト)はとおい

どちらの 神の素足も人間の盆の窪にぶつかって
 太陽の火は頭蓋骨を焼き
   月の水は五千年後の心臓に凍みとおる
     さ・よ・な・ら を言おう 地球と
      神さまは涙を流さぬものを

※1930年生。『水戸の詩』『噴水』









わたしのチューリップ
小森香子

春寒(ざ)むの小雪やみぞれに 幾たびとなく
たたかれても たたかれても わたしの植えた
香り高いというチューリップの 六本の芽は
紅紫(べにむらさき)の芯を緑で包んで 日増しに太く伸び上がる

ロンドン二百万 マドリード二百万
バルセロナ百五十万 ローマ三百万
ベルリン五十万 パリ二十五万 アテネ十万
ダブリン十万 ブリュッセル八万 ウィーン三万
アムステルダム七万 オスロ六万 ベルン四万
ストックホルム二万五千 コペンハーゲン一万
ニューヨーク・マンハッタン三十六万

ロサンゼルスの砂浜を 大きなカンパスとして
四角くとりかこみ「今 平和を」その真中に
身をよせあって 数千のアメリカ国民は体(からだ)で
ピカソの鳩の髪をした 女の顔をえがいた
ベトナム反戦の頃 絵ハガキや絵皿に
わたしたちも広め見なれた その絵
世界に共通の 平和を希う 民衆のことば

二〇〇三年二月十四日から十五日 地球をめぐり
アメリカ二百ケ所からヨーロッパ六十ケ国
六百都市 一千万人をこえる人びと そして
日本の凍てつく夜の明治公園から 翌日の
銀座マリオンの三時間リレー・トークまで
青い肩たすきの被爆者も ビラを配り
わたしもまた 一人の詩人としてマイクを握り
戦争するな 核兵器つかうな のその声は
地球の体内から こだましているというのに

それを「利敵行為だ」という政治家が いる。
よくも覚えていたね 今まで そんな言葉
それとも それが本音なのかも あんたの。

よくいわれたさ あの戦争中 まだ女学生で
英語は利敵行為だから 授業禁止
翻訳小説でも読めば「非国民」と殴られ
言論は××の伏字 新聞は大本営発表ばかり
そして東京は焼かれ 広島・長崎は消された

もしも首相が本心から平和を祈ると言うなら
靖国でなく ヒロシマの碑に ひざまずき
有事法制などやめるべきなのだ。
あやまち を 二度と くりかえさぬために
ブッシュの戦争政策をとめるべきなのだ。

みてごらん 大地の生命を吸いあげて
わたしのチューリップは やがて香り高く
炎のような花を開くだろう 六本の花を
愛と希望と友情と 平和 平等 あたりまえ
人がひととして 生きるための 六つの花を

※1930年生。詩集『花梨(かりん)』『土と水と光と』













黄(き)な臭(くさ)い風上(かざかみ)
タマキ・ケンジ

二〇〇三年三月十一日A紙の読者「声」欄に
「被爆者として米に自重望む」という静岡県
六十三歳の会社員S・H氏の投稿が載った
「私は広島で爆心地から3.2キロで被爆し
た一人です」と名乗り、「最近のアメリカの
イラク攻撃の議論を巡り、敗戦国ドイツがフ
ランスと共にいち早く反対を表明した。トル
コ国会は米政府の示した援助を断ってまで新
たな米軍駐留の政府提案を拒否した。それな
のに日本政府の腰抜けの態度はどうでしょう。
なぜもっと毅然(きぜん)たる態度で考えを主張できな
いのでしょうか。」さらに「父は53年、原爆
がもとで47歳で他界しましたが、原爆投下直
後に次のように書き残していた。
『原子爆弾の倫理的価値がありとすればそれ
は日本の抹殺ではなくして、戦争そのものを
抹殺する可能性を示したことだ。日本は戦い
をやめる事によって人類の自殺を救ったので
ある。戦いに強かった日本は、平和にも剛(つよ)く
なければならぬ・・・・・・・』。また『原子爆弾を
発明しこれを最初に使用したアメリカは、こ
の非人道を改めないかぎり人類の敵となり、
アメリカ自らそれによって自殺せねばならぬ
であろう・・・・・・・』と。被爆当時5歳の小児で
あったS・H氏は、同じく被爆して早逝した
父の”遺書”を体(たい)して「日本は多くの被爆者
の平和を願う声を無にしないで世界中に発信
していただきたい」。アメリカに向って「こ
うならないためにも自重を切望する」と投稿
文を結んだのであった。

黄な臭い風上は半世紀前の核兵器の出現に在
る 明治30年代生まれのご父君の”原爆観”
を何度も読んだ その透徹した人間の眼差に
思わず合掌した。









晩餐会
山根研一

生きた教科書を 見ているんだな
 (何という偽善の数々・・・)
テレビや 新聞の報道をとうして
 (彼等が どの立場にいるか)
帝国主義とは何か について
まさに 市民はまのあたりにしているわけだ

どのように ナイフのかわりに砲弾で
ぐるりと分け前を 取り合うか
コップは 石油の混じる血で澱んでいる
乾杯 彼等は叫ぶ
さあ これから晩餐会だ
夜を盗聴する梟(ふくろう)が網をはる
航空母艦から 飛来するトマホークが
建物の首をはねる
雄たけびをあげ
チグリス、ユーフラテス河が悲鳴を洩らす
メソポタミア文明の遺跡 永遠に崩れる
奇怪な卵を抱く戦闘機
砂漠に 悪意の根をまき散らし
超小型爆弾が 芽を吹き
バスも 自動車も 橋も 馬車も ラクダも
そこらの畑で作業する人も 羊たちも
全て砂嵐の中で 瓦礫としてなぎ倒す

これが彼等の 晩餐だ
シルクハットの代りに 軍服姿で
まだ フォークを持ったまま
紳士的に スマイルを浮かべて
 (葉巻きは別室で というわけだ)
武器商人、軍人、石油業者に 宗教者等
勿論、教育者や マスコミも一緒の食卓で
ブッシュの演説を 拝聴する
日本の外務省など 注意深く皿を洗い
テーブルを整えている
一同、ナプキンで口をぬぐい
ナイフと フォークを持って別室へ
この続きを話し合おう、と

青ざめる首都 バグダッド
棺を抱えた寺院から 怨嗟の声
祈りと共に
濃い翳となって シオニストへ
それを支援するアメリカへ
砂嵐となって まとわりつく












走る女
外園静代

呼び止められた
ふり向くと
肩から腕を落とされ切り口の鮮烈な色を見せて
立っているのは桜の木ではなく人であった
ここから出陣した兵士たちがようやくここまで
海を越えて
かつて兵営があったここまで
たどりついて立っている
お堀端のけぶる枝垂柳の萌黄の芽を絲のように揺らして
一人でなくその後ろもまたその後ろにも

桜の蕾が朱をおびて膨らんでいる
都心に近い舞鶴公園ここにあった福岡城跡の兵営から
数えきれないほどの兵士が激震地へ出陣していった
昭和11年4月10日には
「東満国境警備に出陣する二千余人の将校を見送る列が
聯隊前から博多港まで歓呼と万歳がどよもし
城壁の入り口は兵士を見送る人々であふれていた」*
足もとのお濠の水はどのように騒いだのだろう
春の光をただ鋭くはねかえしただけだったか
ここに歩兵24聯隊が創設されて戦いが終わるまで60年
朝鮮 中国 シベリア ガタルカナル 東南アジアへ
出兵は数えきれない
出陣を知って駆けつけた女が赤ん坊を背に
行進していく隊列の横を走っていく写真がある*
着物の裾がゆれておんぶ紐がくっきりと肩に食い込んで
軍靴の響くなか夫を探して

M.19年に兵営ができて百年をはるかに超えた
戦いが終わって57年を過ぎた
いまふたたび海を越えインド洋に出航した自衛艦隊
見送る子供 妻 親
足もとを乱しながら夫を探して走り続ける女
身を削られ人と見まがうばかりの桜
もうすぐ開花の季節
爛漫と匂いたつように花ひらき
さざめきたつお濠の水面に
さらさらと散っていくことができようか

03・3・20イラク攻撃の日に
*赤坂舞鶴公園のあゆみ「原田久氏」による

※1933年生。『八月のことば』










イラクの人たちを守りたい!
新藤月子

どうして地球はこんなにも狭く
息苦しいのか
どうしてアメリカはフセインのイラクに
12年間も経済制裁しておいて
武器を破壊させておいて
さらに今 一方的に
B52と戦車で攻め入るのか

もしどうしてもアメリカが
世界に説明せず
同意も求めず
人類何千年の血が購った平和の砦「国連」を
 積木のように蹴ちらして
世界に湧き起こった かつてない何百萬人の反戦
 デモにも背を向けて
圧倒的武力でイラクをつぶすというのなら
その道の行きつく先には
他のあらゆる国の人々をも
ひとり残らずジェノサイドしていくしかないのだ
と言いたい
自国内の反対勢力を切らなくちゃならなくなるぞ
と言いたい
力まかせになぎ払っていって
あげく 自分ひとりになってしまったらどうするのだ

ふと目覚めたナイーブな真情につき動かされ
今さら消し去った大いなるものの残像を掻き抱いても
遅い
退路のない 狭い一本道で
自らの熱い真情は邪魔になり
刃物を握り直し
我とわが身を刺し貫く他はないだろう
と言いたい

やがて沈んだ船に魚が住むように
ビルというビルの窓から数多(あまた)の動物の顔がせ
 わしなく覗き
紐育(ニューヨーク)のツインタワー跡のメモリアルには
何種もの鳥が住むだろう

天空に今日も日は昇るが
人間のことを思い出すものは
ましてその不在を悲しむものは
ない

 (現実の今日は イラク攻撃3日目!
  あとには戻れないが これから先の日々は
   選べる   
  思っているだけでなく声をあげよう
  即時停戦・撤退をアメリカに求めよう
  最後までイラクの人たちと希望を分かちあい
  何度でもアメリカに言おう
  「メモリアルに鳥を住まわせるな!」









血の砂
宗美津子

少し歪んだワイングラスの形のその国で
    テレビをつければ
    士気高揚の音楽が流れる中
    朝から夜まで快進撃の兵士たちの様と
    好戦況の説明ばかり
    街には異様な興奮が支配した反戦の旗は小さくなって
    イラク市民の姿は決して画面に登場しない
    だから全体のことが理解できていません
ニューヨークから一時帰国した友の言葉だ
    壊れた建物 瓦礫の山
    厚い包帯に包まれて横たわる子供たち
    爆撃で死んだ子供のそばで無き崩れる親
    破壊された病院
    攻撃されたジャーナリストたち
    そして
    ネオコンサーバティブと呼ばれる人々の存在
そんな情報どこにもなくて
日本に帰ってはじめて知ったと驚いた友

侵略した者たちは”善行だ”と言いながら
地を家を潰していった
遠くに栄えたメソポタミアの彼の地に
黒煙の怨念と赤い炎の怒りが空を覆い
血の砂が重なっていった
やがて激しい砂の嵐となって吹き荒れるだろう
ワイングラスの形のその国で
勝利の美酒に酔い痴れる人の
無辜の民の死には関心も寄せない酷薄さよ
目 耳 心 を 塞いだ者たちは
またしてもこうして騙される
砂漠の中の血の砂は決して彼等の頭上にはとどかないのか
幻のバベルの塔で
驕慢な者たちの血を騒々しく焚き付けるのか

※1938年生。『浜辺の馬』『良い子に育ちましたね』   










Kさんへの復信
井奥行彦

御親切なお便り有難う存じました。私のこと、こん
なに祝って下さり、私がKさんの御受賞のとき葉書の
一枚さし上げなかったようで心痛む思いです。

―クロッカス、ヒヤシンス、スイセン、サクラ草、
シュン蘭など、花の艶を競っています。偵察のアブが
一匹やって来ました―
 私の一行になぞらえて下さった詩のようなお便り
です。

 一週間ほど前、こちらにもイヌフグリの中に初め
て今年穂のような超小型の花の紫を見つけました。
外来種のようです。小鳥が腹の中に種ごと入れて運
んで来たのでしょうね。小鳥は風のように国境など
自由に出入りできますから。

 今朝、陰惨な記事を見て痛んでいるときに優しい
お便りを拝受しました。おっしゃるとおり、特に今
度の戦争にはみんな一様に疑念を持っています。

 父母なるチグリス・ユーフラテスに抱かれたメソ ポタ
ミヤ。まだ幼いときに姉や母が読むのを聞いて いました。
果てしない他国の支配を生きて、かなし みと恐怖にも祈
りと夢を失わなかったアラブの人々。 その中で生まれ
たカシムの洞穴。魔法のランプ。私 はもう行くことはな
いでしょうが。子供たちには見 せてやりたい命の知恵と
遺跡の数々。決して破壊し て欲しくない、狂った父親の
ように宮殿の扉を蹴破 ったりするのは、子供達に見せた
くないのです。市 民だけではないですね。豹のような服
と銃で、放た れた牧場の家畜さながら、どちらの兵士も
血に浸ら ねばなりません。

 正義、自由、解放、神・・・・のための戦争でなく、 それ
らのための平和を私たちは選ばねばならない。 今度の
戦争で世界中が気づいています。テロは貧と 憎悪の原因
を除けば意外に早く河清を得ると思って いるのですが。

 お返事が堅くこわばってしまいました。お許し下 さい。
春寒の季、御家族皆様の平安をお祈りして。 又お会いで
きます日を。              
                  三月二五日

※1930年生。『しずかな日々を』『サーカスを観た』











人格症候群(ペルソナ・シンドローム)
    ――topos
内海康也

死都(ネクロポリス)に群がる仮面たちは
<時>の神々の非情に踊らされる
火の玉は 無辜の民の頭上に降りかかる
これは<呪>のおどろおどろしい祭りの位相
何者のスケープゴート 何ゆえの劫罰
正義は問うまい 審判の下る日までは

(ニンゲンガ アイヲナクシテ コロシアイ
 ニンゲンガ ニンゲンデ ナクナルトキ)
次々と伝えられる負(ふ)のレポートは
黒い血で綴られているが
新たな惨劇が
血塗られた過去の日々を忘れさせ
それにも狎れ 風化し 慢性病のように
萎縮し 退行し 空洞化し を くりかえし
世界は 次第に縮かんで行くようなのだ
終焉の時 巨大な怪鳥が 黒い翼と鋭い爪で
襲いかかる と 長老は語った
硝煙の香気(アウラ)を放つ花の精(フローラ)が舞う こ`こ`は
シェエラザードが夜語りする街だ
死屍累々 仮想現実(バーチャルリアリティー)のなかの現実(リアリティー)
(げーむカンカクデ センソウヲ りあるたいむデ)
TVは スポーツ中継でもするように放映し
林立する墓石群と21世紀の廃墟とさまよう亡霊たちと
異神たちの戦場と化した河間の地(メソポタミア)から

地球のダイイング・メッセージが発信され
ニューヨーク バグダッド
現代の二都物語は
死都の幻影と かぶって継起する
独裁者たちよ <呪>の仮面をかぶる者たちよ
世界中で 泣く子どもたちの声が聞こえぬか

※1931年生。詩集『夜のアンモナイト』『青銅時代』











この頃    
相良蒼生夫

この頃 月の光に刺すような痛みを感じる
少年の家は見透かされ
父や母の顔つきまで はっきりと弁別されている
軍事衛星に狙われているこのあたり
息づくもの一つ一つ 狙撃される危険があった

この頃 影が濃くなったのに気づいた
少年が炊事に薪を運んだとき
しっかりと照準の合った銃口を感じた
大きな鳥の影絵 ステルス機は
昼間でも日光を遮り しばしば
少年らは息をころしていなければならなかった

この頃 空気が不味く気になっていた
明らかに視界は黄色に混濁していた
息するたび肺野に溜る砂より細かい
土の粉 少年達は今日をどう生きのびるか
明日を想う虚しさに 歌も出ない
核に似たキノコ雲が立つ 新型爆弾が
落とされて以来のことだ

この頃 耳の聞えが悪くなった
何処か遠くの地方が連日爆撃されている
爆風が少年達の街を通り抜けるたびに
鼓膜は裂けていく 
五感は衰えていく
大人の社会の傷害は 遺伝子に
拭いきれない切創を残す

この頃 夜半にペタペタと跫音がする
あれは父や兄 自警組織の集合に違いない
少年は確り覚醒し 弟妹(きょうだい)を守らねばならない
不安は屋外の大声で倍化し 礫を握り直す
家族を守る武器は 石塊(いしくれ)と身に余る棒のみ
非常のとき 子供は死ぬほか何もない

強大な現代の最新戦争兵器の前で
少年らは無邪気に眠っている。
戦うすべのない 全く無力のとき
抗いは自らを投げつけるばかりか
そこまでして 悲しい抵抗のこころよ

少年は
汚されてゆくパレスチナの空へ
一擲(てき)の石のたましい










イラクの母と子に晴れの日を     
元 恵

四月一日「イラクは正月」とか
テレビの報道を小耳にはさんだ
ラマダン明けのハレの日を迎えるのだろうか
この日も晴れの祝い膳もなく
米英の空爆の雨が降る

日本はさくらの季節
東京・三鷹の大沢にある
中近東文化センターは
国際基督教大学、ルーテル神学校と並んで
大樹が花天井をつくる
さくらの名所

センター内部には
世界最古のハンムラビ法典碑が
高さ二メートル余の偉容を置いて
陳列の器も刀も装飾品、レリーフ、土偶も
紀元前数千年からの
ティグリス、ユーフラテス河畔の遺跡文化

若いアメリカが決して勝てない歴史の厚み
若僧大統領には決して持てない歴史と石油
ブッシュは妬(や)っかみ対抗し
破壊しているのか
文明の愚かな野蛮

九・一一米センタービル・テロの惨事に対し
広島・長崎では原爆投下の一瞬で
東京大空襲では二時間半で
十万人単位の人びとが殺されたことを
日本人の身にしむ体験として語れなかった
わが国の首相も
真近な歴史からさえ
何も学んではいないのだ

イラクの母や子に
晴れの日が はやく訪れるように
わたしも平和のために心のたたかいをする









悲しい朝    
西村ノリ子

せんそうは……
母はおきるなり
テレビにといかける
私と母のあいだの
おはようの朝のあいさつがきえてしまった
83才まで長生きしたら
いいことがいっぱいあるとおもっていたのに
いやだ いやだ 戦争は
目玉焼きをひっくりかえしながら
ガスの火がこわいと小さくいう

目玉焼きのはいったお弁当をもって
国会議事堂 皇城をみながら会社へ向かう
戦争がこの白く輝いている道から発信する
戦争になったら
太った白猫はまっさきに食べられてしまうよ
わが家には大きな白猫が二匹います

※一九四六生 詩集「日々の椅子」「きえていくまち」







足が落ちてくる     
くにさだ きみ

――ぶらーん
――ぶらーん
アフガニスタンの
真青な空から 二本の足が落ちてくる

赤十字が
この国の 足を失くした人々のために
支援の義足を撒くのだという
二本ずつ 二本ずつ
パラシュートの紐に括りつけて――

あるとき
その真青な空からは
アメリカの
「人道援助」も降ってきたのだ
激しい空爆のさ中
黄色いビニールの
袋にいれて撒かれた インスタント食品のい  
ろいろ

――ぶらーん
――ぶらーん
この国の失くしたものいろいろ。
(足とか手とか眼とか耳とか)
パラシュートに括りつけられたまま
人間のかたちをした パーツが
いくつも いくつも 降ってくる

アフガニスタンという多民族国家

空爆のなかで 失くしていたから
(平和)という
空気のようでいて 重いことばも
パラシュートに括られて 撒かれただろう

アフガニスタンが失くしたもの

たとえば
たとえば
空爆が失わせた イノチとか ココロ
(それらも いまに
 義命とかなんとか うまく呼ばせて)

アメリカは
人間のかたちをした 等身大のものを
アフガンの
晴れわたった天空いっぱいに
泳がせるかも知れないのだ
凧みたいに

――ぶらーん
――ぶらーん
青く
どこまでも澄みきった アフガンの虚空(こくう)を
風に揉まれながら
二本ずつ 二本ずつ
足だけが落ちてくる

 どれも股(また)のあたりに
 十字架に似た刻印を捺されて

※一九三二年生 「ミッドウェーのラブホテル」「罪の翻訳」












絵画によせて        
藤田三四郎

秋になると人は詩人になる
見慣れた会館も錦秋に映し出され
私は草紅葉を踏んで
会場へと足を運ぶ

私の目を奪った一つの絵画
白い煙 真っ赤な血
黒い骨

私は
風に舞う落ち葉を踏みしめて
家路につく

ニュースは アメリカでの同時多発テロと
アフガニスタンへの報復攻撃を
繰り返し伝えている 白い粉に怯えながら

血による争そいは
血によって滅びるだろう
秋の日に
突き出された黒い骨が
訴えている

戦争は負けた者
勝った者も不幸にする
真の勝者は戦わない者だ
人間平等に生きる権利を守る
ために 反戦運動を継続










子どもたち    
南邦和

ぼくには 三人の孫がいる
さいたま市プラザに住む 三歳児の朔
みやざき市新地に住む 八歳の耕介 六歳の  大地
そこは 戦場ではないから
ぼくは安心している いつでも
電話でその声を聞くことができるから

子どものころ 本当の戦争に出会った
センソーは勇ましかったが
センソーはひもじかった
センソーは歯をくいしばることだった
男たちは みんなおなじ顔をしていた
ときどき 女たちの涙を見た

子どもたちのいない風景は
軍隊のように刑務所のように 歪なものだが
子どもたちのいる戦争の風景ほど
残酷で痛ましいものはない
ベトナムが 東チモールが アフガニスタン  が
そのことをぼくらに教えてくれた

いま イラクに怯える子どもたちがいる
黒曜石の瞳をもつあどけない幼な児
雀の巣のモジャモジャ頭の女の子
アルジャジーラ衛星放送が伝えた
イラクの子どもたちの受難のニュースに
ぼくは 激しく憤おっている

C級西部劇(注1)の保安官風情の大統領
ブッシュというその男の面子のために
手下と周到に企らまれたイラク進攻
「戦争」という名にも価しない
インディアン相手の私刑まがいの暴挙
尻尾を振る忠犬コイズミの卑屈さ  
 <この子たちをアメリカの爆弾が殺す理由 は何もない>(注2)

さいたまの朔のうえに
みやざきの耕介や大地のうえに
ミサイルが炸裂しない保証はあるのか
きょう見知らぬ子どもと笑顔を交わした
あの子も イラクの子どもたちも
ぼくらの子どもに変わりはない
(注1) 辺見庸著「永遠の不服従のために」から
(注2) 池澤夏樹・文/本橋成一・写真
「イラクの小さな橋を渡って」から







Life(命)      
白井修

君は知っているだろうか
この地球上に
名もなく貧しく
生きている人々の
無声慟哭を

正義という名の戦争は
悪魔の原爆を産み
比類ない
広島・長崎の地獄図を描き
今また、驕るアメリカは
連日イラクを爆撃する

ああ、その度ごとに
平和を祈りに祈った
あまたの死者の痛苦を
君は君自身の命(Life)で
受け止めよ

今、僕達は獅子吼する
おお、僕達の手に
たった一つの命(Life)を返せ
たった一つの地球を返せ

※一九四六年生











ぼくには君のため息が聴こえる  
   ―日本の詩友小熊秀雄に    
     『八年詩選集』所収    
雷石楡・作    
内山加代・訳

(一)
もう何年経っただろう
戦争がぼくたちの音信を途絶えさせてから
ぼくには想像もつかないんだ
君が恐ろしい島国でどんな暮らしをしているか!
平素でも君はあんなにも貧しかったのだから
君は名だたる多産な詩人であるのに
しかしそれでも独創的な手細工により
玩具を作り口を凌いでいた
時には飢えが君の憤懣を触発し
わざと酔っぱらって警察にからむ
そうしてむりやりにしか腹につめこめない粗末な弁当(原注一)を
鉄格子の中で噛みくだくのだ
勿論君は無期懲役を望みはしない
妻子の生命が君の筆にかかっているからね
(二)
再び自由を手に入れるや
君はまた「饒舌」の詩篇を作り出した
ある時「高円寺」のWUEL喫茶店で
君は興奮気味にぼくの肩を叩いてこう言った
「ぼくたちの筆で思いっきりしゃべろう!
毎日最低二篇は書くんだ!」
君はかつて瞠目すべき長篇で詩壇を揺るがした
しかし君の短編もまた鋭く精悍で
君は中国草原の戦士の勇猛さを高らかに謳い
また朝鮮女性の悲哀を静かに訴えた
君は巧みに創作上の新形式を編み出し
ぼくたち二人は力を合わせ「はがき詩集」を作りささや
 かな貢献をした
しかし君は君の祖国を憎み
中国大陸に君の詩情を拓こうと夢見た
君は好奇心に富む子供のように
いたるところで旅費を工面し
ぼくと二人で東海の西辺に流浪しようとした
だが君は素手で帰ってきただけだった
ぼくも迫られて東京を離れなくてはならなかった
(三)
その時以来ぼくたちは遠く距てられた
世界の果てと果てとに距てられた!
君は想像もしなかったかも知れないね
ぼくが祖国の神聖な抗戦に参加して
貴国の軍閥の残酷さと野蛮さを身をもって知らされ
貴国の人民を砲火の盾とする卑劣さを涙ながらに見たこ
 とか!
ぼくは思う 君と異国の友人が
たとえ戦場に送られていないとしても
首吊りよりも凄惨な生を送っているだろうかと
果たしてぼくは目にしたのだ 君の「東京短信」(原注二)が
こんな呻き声を発しているのを
 観音さまに祈ろうには
 手をうごかせば腹がへる
 煙草のない日は
 牢獄のごとし
 飯のない日は
 死のごとし
(四)
ああ ぼくには君のため息が聴こえる
寒々と悲しい島国からぼくの耳元に伝わってくる
小熊秀雄よ
君は観音菩薩に祈る必要はない
空腹の拳で火花を散らせるんだ!
(一九四〇年十一月二十六日)
原注一 薄い木で作った四角な小箱で、中にはご飯とつ
けものを入れ旅行者の携帯食とする。拘置所でもこの
種の食べ物を出したが市場で売っているものよりずっ
と粗末である。
原注二 「中国詩壇」新五期の林煥平の訳〔「東京短簡」〕
を参照のこと。
※ 『もう一度春に生活できることを―抵抗の浪漫主義詩人・雷石楡の半生』
(内山加代・池沢実芳編訳)に収めてある。













炎の記憶       
西岡寿美子  

 その夏雨の記憶はない。くる日もくる日も痴呆のよう
に晴れた日が続いた。無人の街はすべもなくやきあげら
れ、トタンやガラスの乱反射のなかでいっそう烈々とあ
かるかった。

―中略―

 一夜空襲で街は焼かれた。
 炎上する街々を駆けながら、わたしははじめて生きた(・・・)
死の姿をまざまざと見た。吹き付ける異臭と後から後か
ら湧き出す叫喚のなかをある時は地に伏し、ある時は川
水に浸り、空までかかった果てしない炎の旗の間を、ほ
とんど火田民の野性で選びくぐったといってもいい。
 夜が明けたとき、わたしは見知らぬ一団の人達と北の
山系に向かって歩いていた。見返ればわたしらの捨てて
きた街は黒煙が海の上まで張り出し、太陽はゆるい暈を
着ていた。
 気温の上昇につれ皮膚の火傷がひりひりと痛みはじめ、
打撲の鈍い疼きも加わってきた。わたしらは怺え性もな
くうめいた。そのことによって不当に蔑しめられた精神(こころ)
と肉体(からだ)がかすかに甘くあやされすかされるのを噛みしめ
ながら。

 そのとき、異様なざわめきに迎えられてよろぼうてき
た人を、苦悶する群れにさえまぎれぬ人影をわたしは忘
れることができない。彼女が遥かに凄惨な地域を踏んで
きたことは、肩といわず腹といわず焼け爛れた部分を体
液が飴色に濡らしているのでもわかった。もはや覆うべ
くもない死の光背を全身にまといながら、なお必死にか
かえ持ったボロの塊からこわ張った赤ん坊の手がつき出
していて、その褪せた花のような無傷な握り拳は困憊し
た人々の目にもぎりぎりと食い込んだ。停まれば確実に
くる死の予感に、わたしらは病獣のように黙々と彼女の
足取りにあわせて進んだ。
 山地にかかる前のゆるい緑の起伏のなか、胸をさす喘
鳴にゆすり上げられ、火ぶくれの両手で一層たしかに愛
児を乳房に押しつけながらくずおれた若い母親を、炎に
やかれ閉じることもできなかったあの目を、わたしは忘
れることができない。忘れることができない。
 人々は夕ぐれになって山の部落に発熱した身体を横た
えた。

  わたしはあんな歴史を素手で享けたことを恥としたい。

※ 一九二八年生『炎の記憶』『へんろみちで』













山羊を一頭飼っていたばかりに
小川アンナ

山羊を一頭飼っていたばかりに
朝ともなればその家の板の間には牛乳びんの乱立
口を開けて乳を待っている
どの人に頒けどの人を断ったらよいというのだろう
あの子の泣声に耳を欹て
この子の泣声にも耳を欹てて
片口の口からたらったらっと乳を落としてゆく
一面の牛乳びんの底にほんの一勺(しゃく)程の乳がたまったころ
山羊の乳はなくなる
朝毎の期待へ朝毎のすまなさで頭を下げて
山羊を飼っていた家の人達は頭が変になりそう

山羊を一頭飼っていたばかりに
戦争への呪詛はなぜか山羊に象徴されて
乳が足りなくて子を死なせた家の者は
六十年も経った今でもそこの家の角の所で胸が痛くなる

※一九一九年生 詩集『にょしんらいはい』『晩夏光幻視』他

















戦争を考える     
仲嶺眞武  

 1 あの時
エノラ・ゲイ号の搭乗員たちは
テニアンの基地を飛び立つとき、神に祈った
爆撃を終えて帰還したときにも、神に祈った
あの時、ヒロシマの上空に、神はいたのか?
 2 骨壷
母の骨壷には土だけが入っている
土よ、教えてくれ、母の骨は、どこに埋まっ ているのか
戦争よ、返してくれ、ぼくの母の骨を
きみたちはぼくの母の命を奪い、ぼくの母の骨を飛散させた
 3 白い渚で
真夏の白い渚で、真昼の太陽に照らされ潮風
 に吹かれながら
オバアが一人、海水で白骨を洗っていた
五十八年前の、この南の島では
住民を巻き込んだ、惨たらしく激しい戦争があった
 4 梟は見ている
自由平等を標榜しながら世界を制圧しようとする軍事大国よ
戦争に飢えて敵をもとめているかに見える大統領の顔面に
梟は狂気の相を見ているのだ、民主主義の人たちよ
物質文明に浸りきった国には梟はいないのだ ろうか、
心驕れる者たちよ

※一九二〇年生 詩集「風景」「屋根の上のシーサー」・他











ロバと少年     
むらまつたけし

トンキョムが死んだ
トンキョムが死んだ
ロバのトンキョムが殺された
タリバンの馬鹿とアメリカの戦争屋に
おいらのロバが殺された
あんなにおとなしいトンキョムが殺された
どうして殺されなきゃならねえのさ
  マンマが死んでから十年だが
おいらもう七年もいっしょに働いていたんだ
小麦のへシアン袋も運んだ
薪の運搬まで、たのまれたら何でも運んだ
トンキョムはほんとうに良く働いて呉れた
仕事の帰りにおいらを乗せて
嬉しそうな眼をしていたから
おいらも嬉しくなって歌を唄って歩いたもんだ
トンキョムは悪いことなんかできないよ
おいらどうして生きてゆくんだよ
おいらもトンキョムのとこえ行きたいよ
おいら十歳になるけれど
戦争ばかりでうんざりだ
トンキョムだって腹一杯の草を食べたことなんてなかったよ
トンキョムのいないおいらなんて
働くことなんてできないよ
どうして食べてゆけばいいんだよ
おいらはいつも一緒だったから
難民なんかにはなれないよ
 でもトンキョムはもういないんだ
一緒に働いて一緒に遊んで
一緒に寝ることもできないんだ。
 でもなあ、夜になると爆弾の雨が降るから
陽の落ちるまではあの峠を越えなきゃあ…
 トンキョムがいたらおいらを背中に乗せて
急いで呉れた筈なのに…
あーあ…おいら足が痛いよ
おいらのトンキョムはもういない
トンキョムは殺されちまったんだ!
タリバンの馬鹿とアメリカの戦争屋に…
トンキョムは殺された
トンキョムを返せ
トンキョムを返せ
マンマとパパとトンキョムを返せ!
(二〇〇一・一〇・一三)












八月      
大澤榮

八月の日照りがやって来ると
不思議と畑で枝豆を?ぎりたくなる
枝豆を茹でて
迷魂に供えたくなる
祈りが豆に乗り移ってくれるような気がして
とてもじっとしてはいられないのだ
気がつくと
私はいつも吸い込まれるように汗だくで畑に立っている
搾り込まれた雑巾のような思いで
骨肉が引き締められる
蝉時雨が幻聴のように耳元から消失しない

八月は骨が徘徊する季節だ

吸い込まれて 吸い込まれて
おのれの制御を離脱した骨が夢遊し始める
何とも切ない骨なのである
八月の日照りには頭ががらんどうになってしまう
ただ骨だけが南瓜の蔓のように
ひとりでに蔓延って
私を捲し立てて
せかせか急き立てる

八月は吸い込まれる季節だ

吸い込まれて 吸い込まれて
焼け出されるような猛暑の中を
木枯らしが吹き荒んでいる
銭とお世辞の空洞を潜り抜けると
そこには
腐乱して材木のように折り重なった屍の山が
どこまでも どこまでも
空白の乳房を惜し気もなく与えているのだ

嗚呼 迷魂よ
私はあなたのための鎮魂歌を知らない
あなたのための鎮魂歌は一体どこにあるのか

※詩集「報復の杭」









「反戦詩集」編集委員会