戦争に反対する詩のページ4



ハゲタカ
青島洋子

衰弱しているが、
まだ息のある兵士たちを
空から襲うハゲタカの群れ。
息絶えた兵士の積み重なった白骨街道。
引き返せない道を
見ないふりしてくぐり抜けた。
ビルマ・シャロン高原の
カロー野戦病院から
五十年の時のトンネルを経ても
眠れば私の平和はその内片を
鋭いくちばしにさらわれる。

逃げる途中でマラリアにかかり
動けなくなった。
行き過ぎた人が戻ってきて
背負って助け出してくれなかったら
今の私はない。

中隊長につきそって南下していく時に
既にマラリアに侵されて
野戦病院にいたかもしれないという
あなたが探し続けているお兄さん
もし私がそこで会っていたとしたら
事実と伝えることは到底できません。

木の下に、あるいは道ばたに
病人を捨てて逃げてきた私は
日赤の看護婦。
けれど消せないその事実が
私を生きさせる。
隙だらけの時代の空を
いつも舞っているハゲタカの群れ。
私の平和は食いちぎられ
ぼろぼろだが 手放しはしない。
一皮めくれば白骨街道の流れが
満腹のタベに続いてくる。

衰弱しているものを食い潰して
力をつけていくハゲタカが
今夜
あなたの眠りの上にも
舞っている。

※1944年生。『語る樫の木』『不整脈の地球』








火炎忌
門田照子

空襲の炎に追われた昭和二十年六月十九日夜
わたしは国民学校四年生だった
低空飛行のB29の胴体が吐き出す焼夷弾は
連なり 流れ 飛び 落下し 火を噴く
人の住む街に 人の暮らしに 人の命の上に

灯火管制 防火用水 砂袋 鳶口 火叩き
小国民の銃後の守りを嘲る空からの火の手に
防空壕を這い出し 風下へ逃げる 走る
怒鳴り声 叫び声 泣き声 悲鳴
家族にはぐれ 群衆の後を火の粉にまみれ
引き潮の樋井川下流の橋の下になだれこむ

赤爛れた空からの轟音はきりもなく
油脂焼夷弾は川の面をめらめらと這い舐め
悪魔の翼に追われた人群れの修羅のざわめき
  「南無妙法蓮華経」
  「黙らんか非国民!」
  「助けてつかぁさい」
  「蓄生!馬鹿たれ」
年寄りが喚く 赤ん坊が泣く 女が哂う
人の恐怖が橋の下を埋め やがて静もる

いつものように陽は上り晴れた夜明け
町並みのくすぶる臭気の中を家へと走った
けれど わたしの家は無かった
辺りいちめん見通しのよくなった瓦礫の原
天に刺さった風呂屋の煙突一本
黒焦げの丸太になったK子ちやんのお母さん
ぼろ雑巾のように火傷をした隣のお婆ちゃん
爆風にやられて祖父の耳は聴こえない

五十五年間生き延びてきた無傷のわたし
ふりむけぱ後ろに煤けた炎の道
忘れないで 忘れないで と
悲痛に歪んだ人影が走ってくる
あの日から失うものは もう何もない
消えてしまった故郷は戻らず
人は帰らず
わたしの戦後は終わらない
わたしの二十世紀は終わらない










戦火
永井力

白昼に光るビルディング
虚妄の青空に咲く狂った黄色い花々
もう群衆は自分たちの本来の心をどこかへおき忘れ
地上最後の享楽の日々に生きていた
ガン告知をうけた地球の大気をうち慄わせるように
遠い砂漠の国で重々しい銃砲と空爆の音が炸裂した
あたかも宇宙戦さながらに
戦争はテレビの画面を通じて行われた
我国では反対の意見すらも主張されず
平和への願いが手をこまねいていた
インテリも群衆も同じように不安な顔つきで
街をさまよっていた
見よ
湾岸にはミサイル爆撃をうけて焼け崩れた石油タンク
破壊された橋
油で汚れた海鳥たちの姿
夥しい死者たち
そのときから歳月は流れた
二〇〇三年三月
地球は混乱と分裂 行き詰まった破壊的な光と闇
血で血を洗う不幸なくりかえしの二十一世紀の幕を開けた
平和な澄んだ青空の広がりに今も立ち昇る戦火

※一九四七年生。『稲穂がそよぐ』『青い地球のフリチュード』










戦争
鎗田清太郎

とげとげが血に開く真昼
赤ん坊の頭の焼ける夕べ
香ばしく大地にパンは死ぬ

銃弾の傘にしぶく葦
白く漂着するさかなの眼球
落下する一滴の小鳥のなみだ
人は
リヤカーのように去らねばならぬ

   *

なぜ 鉄のゆりかごに眠ってはならぬ
なぜ 仏像のように微笑してはならぬ
なぜ 氷河期のブリテンの花のように
美しく氷っていてはならぬ

   *

目は見る
ある朝の火の鳥の雲
耳は聴く
ある夜の赤い海鳴り

燃える森村
水田に浮かぶ耳たぶ
稲をつかんで眠る手首は
やさしい母の方へ

<沼で母は髪を洗う>

   *


眠る学生のために
とげとげが血を開いてはならぬ
眠る黒人のために
赤ん坊の頭が焼けてはならぬ

<パンよ香ばしく大地に生れよ>
<桃いろのくちばしに光よみがえれよ>

そして
眠るすべてのふたりのために
無言の銃口は
星に発射される

※1924年生。『象と蛍』『思い川の馬』








サンフランシスコからのメール   
佐川亜紀

操作ミスか
ウイルスのせいか
メールボックスの大半が一瞬のうちに消えて
あわてふためいている夜
パソコンにコーヒーを飲ませて
壊したこともある

サンフランシスコに住んでいる日本人から
時々メールが届く
 「ここに住んで
 改めてアジアを考えます
 9・11以降のアメリカが心配です
 在米コリアンの人たちと
  いろいろありますが
  理解したくて韓国の詩を読んでいます」
このメールを復元したいのだが・・・

8月下旬のサンフランシスコに行ったことがある
長袖がいるほど涼しかった
灰色がかった青い空がどこまでも広がり
海岸では
数匹の大型犬が
飼い主が投げる骨のおもちゃを
海の中にざぶざぶ入って
何度も拾ってきていた

戦後日本の言葉も
一瞬のミスで消えてしまうだろうか
太平洋に投げられ
漂っている言葉たち
さまよっている死者の骨
犬ほど有能ではないが
何度でも拾って
噛みしめることができるだろうか

※1954年生。『死者を再び孕む夢』『魂のダイバー』








黙示
服部 剛

小学生の頃 道徳の授業で
トマホークというミサイルの映像を見せられた

昼休みの図書室で
「はだしのゲン」を読んだ

全身を包帯で覆われた母親が
生と死の境目で
息子の名を とぎれとぎれに呼んでいた
その傍らを
自らの目玉を手のひらに乗せた男が
水を求め猫背で歩いていた

  僕は こわかった

大晦日 両親に連れられて
深夜の初詣に行くたびに
「世界が平和でありますように」
と小さい両手をあわせた

祈りは香の煙に溶けて
お経と木魚の音とともに吸い込まれていった

境内の屋台で
お父さんとお母さんにはさまれて食べたおでんの味は
大人になった今でも僕の心にしみているんだ

拝啓:大統領殿

あなたは教会で祈ったことがありますか?
今 この時にも
世界のどこかから聞こえる産声を
イメージできますか?
彼らに遺す21世紀は20世紀と同じ廃墟ですか?
あるいはそれよりも悲惨な世の終末ですか?

僕は昨日夢を見ました

真夜中の教会で
十字架にかけられた人の背後が
一面 ほのかに光るスクリーンとなり
映し出された光景は・・・

貧しい国の家無き親子が
テントの中 一本のろうそくを頼りに
三人で一つのパンを裂き
幸せそうに心を充たしている
彼等の上から異様な音をたてて
悪夢の塊(かたまり)が落ちてくる・・・・・・・・

そんな夢です

それを 見る時 あなたは
十字架にかけられた人の 頬を震わす哀しみに
一体 何という 言葉で
祈るのですか?



崩壊から
森徳治

過ぎたばかりの二十世紀に 何があったか
この問いの答えに精神史の崩落をあげなければ
二十世紀について何も見ないことになるだろう
革命、大戦、原爆、労働強制収用所、文化大革命
たくさんの死者のあとで
享楽主義と車、電化製品
崩れる 人間の品性、そして思想

2001・9・11 ニューヨークで起きた
テロリズムによる世東貿易ビル崩壊と
つづけて起きたアフガニスタン戦争で
崩れたのは貿易ビルやアフガンの街だけではなかった
世界の精神と思想、統合の予感が崩れ
話しあいによる平和到達の夢か崩れた
あの日ビル残骸のそばで
日本人記者がアメリカ人に尋ねていた
今何か欲しいものがありますか
希望が欲しい、と 一人か答えた
おお 今、全世界がそれを求めている
アメリカは希望を再構築するより
蹂躙する方向へ走りだし
多くの人の血が流されつづけた今
今こそ希望と平和は同義語になった
その時 私たちは一つの問いの前に立たされる
このままでいいのか
こんなことをつづけていていいのか
力の政策は
無慈悲に犠牲者の山を築く繰り返しになるだけだ

二十一世紀が始まった年から
人類は大きな試練に直面した
私たちが滅びるか生き残るかは
この試練の乗り越え方にかかっている 、













手と手をつないで
小野恵美子

署名にわが猫の名前を加えた
おまえは小動物の代表なのだよ
同じ星に期を一にして生まれたはらからよ
断じて ヒステリツクな妄想の 犠牲にはなるな

首相は「犠牲は最小限に」と括った
尊大な言葉だ 犯罪者のつぶやきのようにも聞こえた
わたしたちが二〇世紀にはらった負の遺産 戦争
第二次世界大戦では 犠牲者の四八パーセントが民間人
であった その後、ペトナム戦争、湾岸戦争へと兵器を
持たない死者は増えるばかり
大量破壊兵器を探すために それ以上の大量破壊兵器を
用いる 戦争という暴力に理性はないのだ
市街戦になれば
年はもいかない子どもたちの命や 若者の夢がひとつひ
とつ消えていく この世に生まれたことは 決して必然
なんかではない 偶然だ ひたすら喜ばしいはずなのに
それを甘受することを認めない いったい誰が?

イラクだけではない
世界中の命という命が
おびえ泣き叫んでいるではないか
なお 命を冒涜する者は誰だ?
かつて わたしたちは アジアの国々の のろわしい加
害者であった
一方で 広島・長崎の体験者であり 東京大空襲の体験
者でもある
平和の大切さを身をもって知った国民だから 手と手を
つないで この戦いを阻止しよう
忘れていやしないか 二〇世紀の財産が 国連であるこ
とを














戦争の神
―別の名は死の神
矢口以文

姿を見せたり隠したりしていた戦争の神が
テロを仕掛けた後で 表に現れ
壇に立ち  小躍りしながらタクトを振った。
巧みに付けた平和の仮面の下で  喜びが渡  
  打った。

指揮に合わせて
アメリカの軍隊が囲いから出て行った。
ハイテク機が羽を伸ばし  群れなして
アフガン中に襲いかかって 生肉をついばん だ。

―湾岸戦争時に蒔かれた種が
見事な実りを結んだのだ。
この神はアラプ側ではアラーの仮面をつけて
熱心にモスクで拝まれ

欧米ではキリストの仮面をつけて厳かに
礼拝され そのどちらの耳にも 「聖戦」
「聖戦」とささやき続けてきた。
今一層派手になって

力いっばいタクトを振り 「殺せ!」
「殺せ―」と交互に息を吹きかけたから
その気になった両陣営はそれに合わせて
「殺せ!」「殺せ!」と炎の舌を揺さぶった。

指揮が続く間は憎悪が増殖し
しばらくは闘鶏のように戦った。
この神の王国はかつて死体のごろごろ転がる
戦場だけだったが 今は地球全体だ。

華やかな指軍を終え 姿を少し隠す時にも
いつかまた必ず生え出る種を撤き散らす。
この神なのだ「入って来い! 戦争に
入って来い!戦死したら

昔のように 俺の靖国神社に
奉ってやるから!」としきりに僕らに誘いを
  かけるのは―
この国の首相なのだ 熱に浮かされたように
うっとりそれに従おうとしているのは―

※1932年生。『周辺の人々』











ミサイル発射手に
加賀谷春雄

いいか発射手
びしっと決めろ
正しく照準合わせ
決めたら思い切れ
ミサイルの飛んでった先のこと
爆発したあとのこと
おまえのしたその結果の情景なんて
これっぽっちも想像するな
そんな向こうのことは
捨て置け
おまえが人間でいたいのなら
思い切る気概と無関心とに
生きること
以上上官として期待する

※1934年生。『象のインディラ』『11才の空想の空』










両掌をメガホンにして
伊藤眞理子

いますぐ 言ってください
まちがっていた と
まちがいだった と
あなたの神は許してくださる
きっと

隣人を愛せよ と
敵を愛せよ と
説き給うた十字架のひと
小鳥にさえ語りかけた
アッシジのフランチェスコ
いま 血の色の涙を流しておいででしょう

神の名で 他国を踏みにじり
老人や子どもを殺している

まだ許してくださるでしょう
まちがっていた と
まちがいだった と
戦さを止めるならば
あなたの神は 許してくださるでしょう
戦勝の歓声に湧きたつ前に
いま 戦さを止めるならば

※1938年生。『伊藤眞理子詩集』『あしたきらきら』











愚かなる人間
村田耕作

フセインによって
大量殺戮されたクルド族は
クルド自治区に
アメリカ軍が進攻さえすれば
武力蜂起するはずであった
だが そのシナリオは狂った 
クルド人は戦争の残酷さを知っていた
アメリカ兵と共に戦い
独立の気運が高まれば
トルコ軍が
進攻してくることが目に見えているからだ
クルド人は避難した
クルド人は
難民となり生きるより方法がなかった

人類は戦争の歴史である
歴史は巨大な遺恨である
覇権主義者は
餓死者を顧みず核兵器を手にする
独裁者に限って
人民 民主主義 共和国の名を弄ぶ
パレスチナで
チェチェンで
カシミールで 戦乱は続いている
世界は今文明と文明が衝突している

愚かな人間が
必死になりバグダッドの攻防戦を展開している


















いもうと考
 ―空襲で死んだ妹よ
たかとう匡子

たぐりよせているのに
手ごたえがない
細い紐の先を
なおも引っぱっていると
いもうとは冬のひかりの内側をなだれ
ひろがりながら溶けている
ここは
絵のなか
わたし
逃げたことあるよ
という声
さっきよりもっときつくたぐりよせる
すると木の枝の交差するあたりが
とがって火になった
火はみるみるうちに
絵のなかを焼け野原にする
絵は音ではないので
修羅場は聞こえない
夕焼け空よりもっと赤い
絵のなかのいもうとは
うつむき加減で熱心に非常食を食ぺている
わたし
割り箸のまえにいるよ
まだ食べのこしがあるよ
ここは
絵のなか
これがその焼けて爛れた痕跡あるいは輪郭
しっかりおぼえていてね
と指さして
いもうとは冬のひかりの内側をなだれ
ひろがっていく
溶けていく
炎のなかを飛び眺ねて死んだいもうとの
その日づけ
その刻限
机上の染み

※1939年生。『ヨシコが燃えた』『水嵐』









沖長ルミ子

わたしの名前はリン・ハシム 一四歳
将来の希望は歯科医になることです
パパとママ 妹とバグダッドに住んでいます
パパとママは湾岸戦争をよく覚えています
劣化ウラン弾で人が溶けているのをみたと話しています

学校で習ったという英語でゆっくり語りかける
イラクの少女の画像に覆い被さるように
砂塵を巻き上げアメリカの戦車部隊の侵攻
空を裂くミサイル
バグダッドの夜を焦がす戦火

たった今見た日本の桜便りに続くテレビ画面から
立ちつくす私の胸を射抜く声
わたしの名前はリン・ハシム 一四歳
わたしたちを見てよく考えてください
わたしたちを殺さないで
わたしたちの家を壊さないで
わたしたちの国土を荒らさないで

街を蹂躙する戦車
炸裂する砲弾のなかで
少女リン・ハシム パパとママそれに妹
みんなの姿が砂塵のなかに溶けてしまう
殺さないで
壊さないで
撃たないで
NO WAR

※一九三五年生。『ざら紙の帳面1946〜1949』『木を挽く人』









幸福の分量
田中国男

人は幸福の分量で諍いをし
人は幸福の分量で他人を悲しませる
人は幸福の分量で他人の出生をあばき
人は幸福の分量で他人の故郷を塗りかえる

国家は平和の分量で武器をもち
国家は平和の分量で他国を威嚇する
国家は平和の分量で戦争をし
国家は平和の分量で他国を侵略する

人はどれだけの幸福を味わえば
気がすむのだろう
味わってすむというのだろう
どこまでくりかえすのだろう
言い逃れのきかない
幸福や平和のもちこたえかたには
必ず正義と自由という分量をつけて
ひとまず終わりがおとずれる
しかしその終わりはそのまま
罪深い幸福の死の始まりであることを
罪深い幸福の死が重なっていくときは
さらに罪深い幸福の死を生むということを
それでも懲りずに罪深い幸福の死を生むのなら
やがて一握りの幸福の分量さえ
銃にかえてしまうだろう

文明人よ


どこまでもおぼえておけ
あなたの幸福の分量のもちこたえかたが
一番あやしいのだ
あなたがたの平和の分量のもちこたえかたが
最も危険なのだ

※一九四三年生。詩集「野辺送り」「お母ん」










被弾
沢田敏子

安息日の住宅地で。
買い物どきの市場で。

水も電気も絶やされた町で。
あの小さな橋の向こうで。

衆人環視の世界で。
識別された場所で。

あそこでは一週間前にも 祈りが捧げられていて
    (神が侵略者から家族を守ってくださるように)
あそこでは一昨日も 売り買いの人波が賑わつていた。

そこでは前の日にも 傷ついた大勢の人が
病院に運び込まれていて。
そこではその日も 家財道具や
子どもを載せたトランクが通っていた。

ここではさっきも 貧しい柩が集められたばかり
むくろに掛けられた砂色の布の端が手に届きそうに。
ここではいままた 女の人が悲しみのきわみに
自らの頬を両手で打ち続けている
 <そのとき>。

世界の背後にもうひとつ溶け出した世界がある。
よろよろと歩き出していく。

※一九四七年生まれ。詩集『市井の包み』『漲る日』など。








「ママの箱舟」
藤川元昭

「みんなと同じでないと安心できない窮屈さ  
どこかおかしい日本に気付いた」

ハワイで産んで
「二重国籍」に夢をつなぐ
アメリカ人になるか日本人になるか
22歳になるまでに「国籍の選択」をするといい

アイデンティティーのよりどころが複数ある
アメリカと日本のパスポートを持ち
「違い」を受けいれる国際人が生れる

三泊四日の正常分娩で約150万円
家賃や生活費約三ヵ月分100万円
(嬰児の鼓膜が安定して飛行機に乗れるころまで)
それだけの価値はある
ピザ手続き抜きで
アメリカで教育を受けられるし仕事もできる

帰国した「ママの箱舟」はホームページを立ちあげた
青いリポン!
キム・ヘギョンに夢をつなぐ

「日本文化には誇りを持つ でも
今の日本は壊滅寸前だ」

※1929年生。「ひとり乗務」









GIVE & TAKE
中村真生子

自分に足りないものは、与えることで手に入る。
ないものを与えることができるのは、
人間だけの業。

与える。
それは認め、讃え、味方すること。
ほしくてたまらない、そのオ能に。

奪えない。
いかなる人の、いかなるものも。

でも。
人は与えることで、
すべてのものを手に入れることができる。
詩集『五縁玉』より

※1958年『ROUNDABOUT』『GRADUATION』










責任者出てこい
佐藤武

ひとりで勝手に起こした戦争は
ひとりで責任をとれ
砂塵と泥沼の中で戦車は
やがて進めなくなるだろう
世界が立ち止まって平和を
話し合っている時に
プッシュはイラクに開戦した
世界の人々の強い反対を
おしきって行われるこんな
無法な戦争は史上初めてだ
テロは戦争で解決できる問題ではない
テロも戦争も新たな怒りと憎しみを
増幅拡大するだけ
気に入らない国は先制攻撃でつぶす
プッシュドクトリン
米国が進む先にあるのは
テロと戦争の恐怖におびえる世界
人類の平和への希望をうち砕く
戦車よ 巡航ミサイルよ 政治家達よ
その砲火をおさめよ
子どもを殺さないで
美しい地球の平和を壊さないで

※1932年生。














戦争の音
北村愛子

わが家の上空を
航空機が飛んでいく
所沢の航空基地から
飛び立ったのであろう
その飛行機音を聞いて
わたしは身震いする
 B29爆撃機の編隊の音
 青い空がまっくろに変わった音
 58年前の戦争の音

テレビの映像はアメリカがイラクに
トマホークミサイルを発射したと親じた
パグダッド北部に爆発音とともに
激しい炎があがった
これでまた罪のない人々が死ぬ

※1936年生。『証言―横浜大空襲―』『ペンギンさん頑張ろうね』














伝言
富田正一

「志願してまで軍隊に行く馬鹿がいる」
この馬鹿な少年志願兵も
四十五年夏 敗戦とともに
九州の特攻基地から
追われるように帰って来た
暑い熱い 八月だった

だまされていた
気づいたのも
あの日だ
平和には武器はいらない
問い始めたのも あの日だ
人間の生き方を解明しつづけた
先輩も 戦友も
悔いを残したまま逝ってしまった

戦後五十八年 国のおえら方は
国会にだされた問題山積の答策用紙に
カンニングなどせずに
庶民の真実を書けよ
そのままでは白紙どころか
染みがにじんでまた汚染されるぞ

暑い熱い八月の あの日を
生涯の課題として 解き続けなければ
天皇の名を利用した輩に
半世紀前に消された
人々の魂に会わす顔がない

お〜い
もう― だまされないぞ
子よ 孫よ だまされるなよ

※一九二七年生。「天塩川」「秋日」





地球の憂い
富田庸子

とりのから揚げをごぞんじですね
まァあれの大がかりなものと思って下さい
地に堕ちた太陽三つ分の上にかかった大鍋
それがホラ あのヒロシマ
ウラニウムとやらいう 目に見えない異様な原子がは
 たらいて
そこでいっときに幾万人もの
ニンゲンのから揚げ
まん中あたりはそのままジュッと蒸発し
ころあいのぶんはてらてらと 血と体液と脂肪につつ
まれ
少し揚げ過ぎたのは骨まであらわに
どうかすると 巨大な黒豆の如くにもなりました
ニンゲンが骨つきのから揚げや
黒い粒々のいり豆になって
それらが群れて
ひどいじんましんのように群れて
一体誰の食べ物になったのでしょう
「地球はあれ以来ふとりましたか?」

「イイエ
アンマリタクサンナノデ
消化不良ノ上ユ毒ガマワッテ
タチマチ大下痢
トウトウ黒イ便ヲシテシマイマシタ
大気圏ノトイレニ行キツカヌ間ニ
申シ訳ナヤト思イツツ
ヒロシマノ空デモラシマシタ
(ココロアル人ハ黒イ雨ナドト言ッテクレマスガ―)
今デハ人間が少々荷厄介
アンマリ不遜不キンシンナラバ
白人有色人コキマゼテ
ブルブルット胴ブルイシタ揚句
地球カラポイシヨウカト
ソンナコトマデ思ッテイマス」

※1929年生。「手」










未知なるものの裁き
嶋岡晨

小鳥たちは飛ばず
樹木たちは身じろぎもせず
ひろがる灰色の空の下で
動物たちは舌を垂れ
人々は失った双手をふりあげて
それを見ていた
死の灰の不安のコンフェッチ

ビキニは選ばれた
ヒロシマが選ばれたように
そしてヒロシマが不幸を選ばされたように
ビキニはたくさんの不幸を産んだ
大地をゆるがして巨大な薔薇が砕け
いくつかのおろかな魂と
たくさんのやさしい魂とはとりかえられた
砕けたこなごなの花びらは
人々の唇にていねいに
死の接吻をくちづけていく
とどまることを知らぬ人間の
ものみなを従えようとする力のもとで
従えようとする者自らも
はかりしれぬその力のために滅びるであろう
それがすべてを知りつくそうとした者への
未知なるものの裁きである

ああ 世界をまたたくまに
卵を割る手つきで割る者よ
おまえを支えている世界を呑みこむとき
それはおまえも死ぬことであることを忘れるな
おお 愛することを見忘れた女たちよ
今日もどこかにその灰はふりつづき
魚も人も涙すらなく また灰となり
罪ともよべぬ罪のために 消え去ってゆく。

※1932年生。『弔砲』『乾杯』他。  
















おじいさんの勲章
桜井哲夫

おふくろに手をひかれおばあさんのお墓参りに行ったの  
 は、小学校に入る前の夏だった
夜はおじいさんと一緒に寝た
「おじいちゃんは日清日露の戦争で金鵄勲章をもらった
 英雄でしょう
おじいさん、利造に金鵄勲章見せてよ」
「利造、戦争で勲章なんかもらったって、おじいさんは
 ちっとも偉くないんだよ」
と言って勲章は見せなかった
夜中におじいさんに起こされた
おじいさんの布団の寝ゴザはびしょ濡れ
笑いながらおじいさんは
「やあ、これは利造の勲章だ」
と言った

テレビもラジオも朝からイラク攻撃のニュースばかり
テレビやラジオを聞きながら、遠い日の夏の夜のおじい
 さんの話を反芻している
戦争で勲章なんかもらっても、偉くもなければ英雄でも
 ないと言ったおじいさん
国立療養所に人園して六十年
おふくろからもらった手の指も足の指も目の光も失った
 けれど
おふくろさん、私は書いています、今日も私の詩を
そして今日もラジオの前で聞いています
イラク戦争のラジオのニュースを
おふくろさん、おじいちゃんは私に金鵄勲章は見せなか
 ったけれど
戦争でもらった勲章は見せなかったけれど
おふくろさん、私のおじいさんはやっぱり英雄だったね

※ 大正十三年七月十日「津軽の子守唄」「鵲の家」





空爆の思想に
高橋 馨

命令するだけで 手を汚さないもの
汚した手を さし示す権力のせいにするもの
人間のくせに すっぽりと 権力になりきれるもの
どす黒いサディストの正体を顕わすやつもいる
深くて暗い大穴がおれの胸に空いている
穴はテロや空爆によってだけ空けられるのではない
日々、せっせと俺たちは自分をさいなんでいる
簒奪された日常の歴史は死体が凍土の枕木のように続いている
貧しい思想にふさわしい 安っぽい手段と大げさな口実
(俺たちが潔白であるとはとても言えない)
それがハイジャックであろうと 無差別絨毯爆撃であろうと
自然災害を装った愚劣が大地を吹き飛ばす
テレビが巻きもどす 巨大なモニュメント
 撃つ(鬱)  撃つ(欝)
ぱらぱらと飛び降りる人
 怪 怪
  怪 怪
溺れる巨人の壮絶な倒壊
舞い上がる粉塵の霧から
オサマ・ビンラディンの映像
 討つ(鬱) 討つ(欝)
日本ザルに似たブッシュの軽薄な狂気
 怪 怪
  躁 躁
遠くバグダッドに
時空を越えて赤く焦げた東京大空襲 死者十万
(俺たちが潔白であるとはけっして言えない)
地を揺るがす爆音 子供たちのおびえ
ライナー・マリア・リルケは書いた
「われわれの向き合っているのは
いつも世界だ」(ドゥイノの悲歌)と。
俺たちの空虚を埋めるのは口実ではない
空爆の思想を撃ち破り
まず人が おのれが生きるという原則

※1938年生。『カオレリア』『はなにら』
















黒い犬を散歩させている女性
郡山 直

日本の都市の郊外の公園で
黒い犬を散歩させている女性が
頭上に咲き誇っている桜を見上げ
賞賛しながら犬に言う
「ね見て、桜の花きれいじゃない?」
二〇〇三年四月三日
の夕方のことだ

地球の反対側では
アメリカの攻撃機が
容赦なくバグダッドに猛攻を加えている
アメリカのもっとも賢い頭脳が考案した
強力な新型の誘導ミサイルで
都市全体が
揺り動かされている
「衝撃と恐怖」作戦は
バグダッドだけでなく
この悩み多い惑星の各地の
人間たちを震え上がらせている
イラク国民を解放するという名目で
プッシュの軍隊は多くの罪のないイラク市民を苦悩に陥れ
人家や市場を「誤爆」し
家庭を破壊し電気を切断し
水の補給も止めている
なつめ椰子に止まっているウグイスたちも
チグリス川の鯉たちも
この無常な、無意味な、無法な戦争で
震え上がつている
日本の公園の無邪気な黒犬は
七千年むかし
人類の文明が発祥した
ユーフラテス川とチグリス川の流域で
プッシュの軍隊が傲慢に演じている恐ろしい光景は
なにもしらない





コスモスの花
和田英子

墓地からの風を運んで
ふくらむ花の蕾み
遺骨遺品還らぬ
元上等兵の遺族の手に持つコスモスは
褪紅色と紅のにじんだ白
黄味がかった桜色をして
若い娘の晴れ着の色模様を思い起こさせる
昭和十七年入隊 昭和二十年比島に渡った
彼の
拒否し受容した死の前で
故郷のコスモスは乱れ咲き
魂は雲を追い風に乗って山頂まで辿り得たか  

 十九年七月十七日 姉宛手紙
  バスノ車掌ガ、気ガツクト、カタスミニ、巻脚袢ヲ
  マイタ、兵隊ノ足ガ、風ノ中二忘レテアッタ。
  夏ニナルト、 コンナバカゲタ話モ、ウマレルデアラ
  ウト、考ヘマス。*

学生服の集団がそれぞれのグラウンドに満ちていた
無表情な顔 やせた背中が黙然と並ぶ
文科系学生の出陣式である
風の中 巻脚袢(ゲートル)を巻いた足並は
出口から兵舎に進んで行った
主役の去ったグラウンドは
おさえた興奮がとりのこされ
奪われた生活を
彼らの行方を
海の向こうの戦場を
わたしたちは小声で語り合った

コスモス三輪
ふくらんだ蕾み一輪
比島バギオ北方一〇五高地に咲いている
* 桑島玄二編竹内浩三「筑波日記」より

※1926年生。『立ちどまる日日』『よく見える屋根』









独楽のとなりで
一瀬なほみ

朗大(あきひろ)がまわす独楽(こま)のとなりで
テレビが
ミサイルが発射されるかもしれないと言っている  
 それには細菌が積まれるかもしれないと・・・・・。そして
それは、まわっている独楽を標的にするかもしれないと
いうのだ。

 康之の算数の宿題のなかでは、27/6イコール9/2で、
それは4と1/2にしなければいけない。
けれども、
 27個のカンパンを6人で分けるのと(なかには病気の
人も、子どももいるかも知れないし、・・・・・・)9個のカンパ
ンを兄弟で分けあうのとでは、どこがちがうだろう。
それが4と1/2とはいえないと思う。
4と1/2とは、いったい何だろうか。

 小さな疑問はいつだって、“とにかく!”のひと言によ
って取りのこされてしまう。そして人間(ひと)は、振りかえっ
てみることができないまま、地雷や、ミサイルや、原子
爆弾までつくってしまった。

 地球の裏側の人とは交信するのに、隣人とは話したこ
ともないという。
 早すぎる計算が何かひとつ作るごとに、人間(ひと)のなにか
がこわれていくような気がする。

朗大の独楽は
まだまわっている

※1953年生。『階段が消える』













たくさんの私
篁久美子

それは私です。
砲火の中 子を包む形で
黒く焦げてうずくまっていた母は。

それは私です。
涸れた乳をくわえたまま
干からびていく子を抱いて
瓦礫の街をさまよう母は。

それは私です。
便りの途絶えた息子を
前線まで探しに来た母は。
横たわる夥しい屍の 覆いを一枚ずつはらって
息子でないことを確かめている母は。

それは私です。
蝿のたかり始めた母の傍らで
その名を呼ぶこともなく
ただ目を見開いて 寄り添っている子は。

それは皆 私です。
それは皆 私の子です。

それはあなた
あなたの子ではありませんか。

※1953年生。『四月の魚』『イーサルミの石』













空の地図
久保田 穣

白い地図が広げられている
空のどこか

そこに幼い女の子の顔が
ぼんやり浮かびあがり
またたく間に消えた
壊れた壁の向こうに隠れたのか
瓦礫の下に埋もれたのか
その小さな顔だけが
幻影のように映っていた

青白い光が地図の上を
斜めに通過していったとき
壁の向こうの金網の陰から
赤い薔薇のプローチを手にした
女の子が手招いていた
〈生きていることは 美しい〉と

白い地図は いつまでも消えず
空に吊るされたまま

※1934年生。『風樹』『蝉の記憶』













平和のために―その2
萩ルイ子

春の夜 その帳が降りる頃
巻かれた白紙の詩行を 胸から繙(ひもと)こうとしている
わたしは 心の底から 戦争を憎み
戦争に反対しているけれど 今や
もっと多くの人々が目覚めなければならない
北東アジアの平和が 脅かされようとしている
アメリカ政府と日本政府によって
大家(たいけ)に巣くう気力の萎(な)えた二十日鼠みたいに
お腹だけ白ければ良いというものではないよ
皆が 平和のために真剣に行動しなければ
北東アジアでも いつ戦争が起こっても
不思議ではない 命にかかわる時代

ゴキブリを駆除するように
殺傷された アフガニスタンの民衆 多くの
二〇〇一年 九月十一日事件の 真の
真相を知らずに 火災に焼き殺されたニューヨークの
会社員たち
有毒ガスに 咽(むせ)びながら 消防士たちは
瓦礫(がれき)の資本主義に 圧殺されたのだ
タリバン政権は ケシの栽培を禁じて
ヨーロッパを 当てにしていたのだろうか?

二〇〇三年 三月二十日 夜明け前
イラクの首都 バグダッドで 石油まみれの
砲声が 轟(とどろ)いた アメリカのブッシュ政権は
七千年メソポタミア文明破壊の暴挙に打って出た
虫けらのように殺され続けるイラクの人々
撃ち落された 米兵 英兵
彼らが上流階級だったら 志願しなかっただろう

現代人は 愛することを忘れたのかしら
大ざっぱな概念しか愛することができない女
彼女の亡父は 元来は朝鮮人だった
辛珍秀(シンチンス)だって 旧満州で 祖国解放のために
闘っていたのか 逃げ回っていたのか
分からない共産主義運動 父(とう)さん!

想い続けることの可能性と不可能性
性愛の彼方(かなた) 欲望をまたいだ岸辺に
父を愛し抜いた 日本人の母が居る 雪路(ゆきじ)様
概念は 虚しいかぎりだ
けれど 叫ぼう
愛する 朝鮮半島よ 日本よ
憎悪を超えて 抱き合おう 生存を賭けて!

※1950年生。『わたしの道(ナエギル)』『白磁』






愚かなこと
高橋英司

朝の平和な食卓に
不意にミサイルが飛び込んできたら
誰だって肝をつぶすだろう
そんなことは起こり得るはずがないと
高をくくっているのが普通の生活だ
ところが今や
自らの全く与り知らぬ所から
爆弾が投下される
それが想像を絶することではなくなった
海の向こうで戦争が始まる
私はそれをテレビ中継で見ている
ブラウン管の中の戦争と茶の間の平和が共存する
そんなばかなことが現実になった
コーヒーを飲みながら
カップを持った腕が飛び
首が転がり
肉片と化した自分の姿を思う
一秒前までは笑顔で語り合っていた家族が
一瞬にして瓦礫の中に消滅してしまう
信じられないことだが
これが世界の現実である
なぜ? どうして? と問う前に
許せないものは許せないのだ
駄目なものは駄目なのだ
と心の中で叫ぶ
暴力が暴力しか生み出さないことを
長い歴史の教訓が教えたはずなのに
何と愚かな二十一世紀の人間よ
愚かな行為は誰がどう考えたって
愚かなことなのだ

※1951年生。『出発』『一日の終わり』




意思表示
――悪と正義の戦いに
嶋崎治子

かつて
どこまでも広く 蒼かった
メソポタミアの空に 黒煙が昇り
再び オイルとダラーにまみれた国の亡者が
傾きかけた正義と神の名をかざし
べレー帽奪還の「戦争ごっこ」に
やきもきと手ぐすねを引く。
「人間の歴史は戦いの歴史」と言うけれど
その表舞台は 多くの悲しみと傷を乗り越え
築いてきた 遥かなる歴史。
「時」とともに動く 生活者の肌色の手によって
創られ 営まれてきた 幸福への道。
開戦前夜のテレビ取材で
銃撃訓練の最終調整を終えたアメリカ兵は言う。
「帰りたいよ。向かいたいのは故郷への道さ。」
行方を決める者 従わざるを得ない者
戦いを望む者 傷も負わず 富みを得る者
そして死ぬ者――。
解決への手段を選びもしない 一人の無法者の暴挙は
9・11の報復の名のもとに じわり
肯定されていく 密造ウランの危うさ。
怯える国々と デモ隊と 海を挟んで
沙漠のモスクと慎ましい教会の灯火が 同時にともる頃
「歴史」は 舞台が闇の中でも
イスラムの瓦礫の山と 痩せ細った犠牲者の葬列を
各国のメディアとともに 照射している。
大量破壊の後に ぞっと舞う 黒い霧――。
緑と水の惑星と呼ばれる星で 何のために――。
もしも今 民主主義を目指すのならば
気にくわないものへの 爆破と再生の
つまらない反復ではなく
冷静な 危機回避への一歩を
その手で 勝ち取る自由を選びたい。
『武器よ、さらば。』*

*米国の作家アーネスト・ヘミングウェイの小説
※1967年生。編著『火星探険』                           






一枚の写真
島田陽子

一枚の写真がある
砲撃で殺された幼い子を
両腕にかかえて出てきた消防士
母親はどうしたの
兄弟はどうしたの
崩れた建物の下 誰が倒れているの  
 撃つ者には顔が見えない
 血を噴いて死んでいくひとの
 撃つ者には考えられない
 この次は自分の家族がやられると

一枚の写真がある
立ち上がる力もない幼い子は
ハゲワシがうしろにいるのを知らない
母親はどうしたの
兄弟はどうしたの
恐ろしいハゲワシを誰が追い払うの
 カメラマンはじっと待っていた
 ハゲワシワンが羽をひろげるのを
 カメラマンはきっと信じていた
 シャッターを押してからでも間に合うと

たくさんの写真がある
世界中で殺された幼い子の
物いわぬ小さな冷たいからだ
母親はどうしたの
兄弟はどうしたの
逃げるしかない戦争を誰がやめさせるの
 男たちはまきちらすばかり
 憎しみの黒い花咲く種を
 男たちは抜きとろうとしない
 土深くひろがる戦争の根を
 そうなの?
 本当にそうなの?

※1929年生。『新編島田陽子詩集』『大阪ことばあそびうた』











祈り二編
なんば・みちこ

  1   

  青年は一本の杭に縛られ うなだれていた

  行進の列の中 それを殺(や)る順番は   

  自分ではなかったが いつかはその時が来る   
  自分は 兵士になれそうもない   
  眼を閉じて足を速めた と
父の戦中日記にある
その日から二ヶ月ほど後のページには   
  自分の番はまだだが 人が人を殺るのを 
  見届けて歩けた と

人を殺るのにも眼と心が慣れるということか
麻痺するということか
洗脳されるということか

二次大戦の記録はない
北朝鮮で捕虜になった父は
凍土のシベリア  ラーゲリに送られ
やがて戦病死した
行年 四二歳

  2

こどもは白い紙だから
赤い絵の具で画いたなら
赤いお花になるでしょう

こどもは白い紙だから
黒い絵の具で画いたなら
黒いお花になるでしょう

かあさん緑を筆に取り
こどもの胸に画きました
「みんなの地球」と画きました

かあさんブルーを筆に取り
こどもの背中に画きました
「みんなの空」と画きました

遠くの国の戦争が
激しく続く夜でした
どんより曇った夜でした
※一九三四年生 詩集 『伏流水』『域』













温かいシチュー
近藤めいり

世界中の母親よ
鍋をかきまわせ
戦場へ行こうとする息子をひきとめ
おなか一杯食べさせて
あなたの見守る中で
寝かせておやり
今夜も明日もその次の日も

世界中の妻たちよ
鍋をかきまわせ
新しい武器を使いたがっている夫に
温かいシチューを食べさせて
家族そろって囲む夕食より
大事なものなんてないのだと言っておやり

世界中の女たちよ
鍋をかきまわせ
ハリーラ
サムゲタン
豚汁
ポトフー
ポルシチ

国によって名前はちがっても
大きな鍋でとろとろ煮込む
わたしたちのシチューのなんと似ていること
だってわたしたち女はみんな似ているのだから
みんな同じような想いで煮込むのだから

隣の息子にも
やむなく敵と呼ぶ国の子供にも
世界中の女たちがシチューをふるまったなら
明日も戦争ははじまらないだろう

女の愛でしか
温かい食べ物でしか
いきりたった男達は
おさまらない

だから世界中の女よ
いつもいつもシチューをかきまわせ
※1954年生。『ひきだしが一杯』






ふいご
今辻和典

戦死したミノルさんが
微かにふいごの風を送ってくる
南の深海の鉄錆びを匂わせて

近くの鍛治屋の
兄のトオルさんは陽気で楽しく
弟のミノルさんは無口で優しかった
炭塵に黒ずむふたりの顔に
いつも白い歯か引き立っていた

灼熱の鉄の帯を叩き延ばし
荷馬車の轍に巻きつける
水槽に噴き上がる一瞬の水蒸気
緊張と力に溢れるふたりの半裸は
火の粉や水煙を弾き返していた

ふいごは不思議な道具だった
隠れた通風路から躍り出て
紅蓮の世界を一点に凝縮させる
風と火と鉄の極限の白熱か
退屈な少年の目をいつも輝かせた

鎮守の社の太鼓を真似て
兄がふいごの引き手でリズムを取る
弟が金槌で合いの手を鳴らす
鉄材の小屋はいつも明るかった

戦争は屈強の兄弟を吸い上げた
金床とふいごだけが小屋に残った
トカチン トカチン トカチン
少年の耳に幻聴を残したままで

戦死したミノルさんは
今も十九歳の水兵のままだ
海底からふいごの微かな風を送る
深く青い藻の言葉を乗せて
トカチン トカチン トカチン
便りはいつもその余韻で終わる

※一九二九年生 詩集「非」「西夏文字」など)









見えない首綱
瀬谷耕作

マゴカァバ イッコケェ*
と おふくろは遅く持った孫が
突っ返し口とんがらせてそっぽむいたとき
ほろりとこぼしたっけが
たとえ あれがいとしさ嬉しさの裏声であれ
言葉の綾であれ
孫よりましなはずのその犬っこが
首に綱つけられてあるのを忘れてか
もともと知らないのか
つながれた杭ん棒をぐるりぐるり
どこかの一点へ真っ直ぐあるいてるらしく
しだいしだいにのどもと締めつける何ものかを
一声きゃんと怒って
跳ねあがり……

ヒトは わが首に巻きつくものがあれば
ふりほどくすべを知っている
とおもっている
そして他者を締めつけるそれを
義によって切断し
そのためにおのが血を流すことを
潔いとする
ああ それ自体が人の世の
終を早めることになろうとは……

見えていないらしい いいとししておれも
自分の首にはもちろん
たくらっぽくらっと歩きはじめた隣の孫の
ほそい首にもからみついているにちがいない
透明な蛇が
※ 孫を養うなら犬っ子を飼え










父のにおい
古賀博文

 上空すれすれに友軍のトマホークが飛んでいく
 着弾点と自爆のプログラムを腹にかかえこんで
 上空を敵軍のカノン砲がかすめていく
 さらに敵の機銃掃射が横なぐりにくる

腹部に被弾したひとりの兵士が
砂丘にほられたせまい塹壕のなかで
両手で傷口をおさえてうずくまっている

 ジュクジュク、ジュク、ジュク
 どうしてもとまらない血
 傷口をおさえる手もアンダーシャツも軍服も
 あしもとの砂も真紅にそまっていく

あしもとには自動小銃とヘルメット
かたわらにはポケットからとりだした一枚の写真
それには愛する彼の家族がうつっている
マークは四歳、スティーヴは二歳
ヘレン! ヘレン!
こんなところでやられちゃったよ、僕は

 激戦のさなか救護班は
 彼にちかづくこともできない
 憎悪の嵐はもう半日以上つづいている

背中から脳天へつきあげるような
激痛が走る間隔がしだいに遠のいていく
反対に家族とのたのしかった 昨年の
ハロウィンの光景などが脳裏によみがえる

 陸から海へ風向きがかわる
 大破したヘリコプターの
 油煙のたなびきがこちらへむかってくる

ダディーのにおいだね、これは
炭鉱技師だった父の面影がふいによみがえる
帰宅するとよごれた作業服のまま
まだ幼かった僕を抱きあげてくれた
ダディー
父の面影につつまれながらゆっくりと
兵士は異国の砂の上によこたわり眼をつぶる

※1957年生。『ポセイドンの夜』『人魚のくる町』








防空壕で死んだ少年の独白
杉山滿夫

B29の投下した焼夷弾でぼくは死んだ
空襲警報で逃げ込んだ防空壕で
母と妹と弟といっしょに

父はぼくたちを捜して歩いた
何処かへ逃げて生きているだろうと

道路には負傷者が死者が倒れていた
焼け落ちた防空壕には
死体が焦げて燻っていた

ぼくは埋まっていた
焼夷弾の直撃を受けた防空壕で
母と妹と弟といっしょに
母は三歳の弟を抱いたままだった

何日が経ったのだろう
ぼくの防空壕を父が掘り始めた
父の同僚とともに
ぼくたちは少し腐敗して埋まっていた
八月の土の下で

父は母とぼくたちを抱いてくれた
大地の窪んだ穴から引き出し
涙を溢れさせて泣いていた

ぼくたちは再び焼かれて骨になったが
八月二日がきたら思い出してほしい
ぼくたちのことを

不意に殺された三百七十名を越える市民と
まだ行方不明の死者のことを
艦砲射撃や機銃掃射や
B29の投下した焼夷弾で死んだ
ぼくたちのことを

※ 一九四五年八月二日未明、水戸市は富山市・
八王子市・長岡市とともにB29による無差別 爆撃
を受けた。死んだ少年は十三歳だった。
*一九三二年生。詩集「夜の流域」・「蝙蝠が 飛ぶ」







泣いている子
なべくらますみ

額から血を流し
腕には血のにじんだ包帯を巻かれて
幼子が泣く
友だちとじゃれふざけ
転んで額を打ったのではない
友だちを追いかけ
つまずき転んだのでもない
遊びの最中 “爆風爆音″ とともに吹き飛ばされた
そして今は 硬いベッドの上
忘れられ腹も空いた

幼子は力なく泣き声を漏らす
血にまみれた鼻汁と 涙とよだれを顔中に塗りたくって
泣いても誰も振り向いてはくれない
涙を拭いてくれたふた親は 瓦礫の下に
傷つけば
その傷口をさすり
癒してくれた人も瓦礫に埋もれた

正当な戦争などありえない
市民が犠牲にならない戦争などありえない
被害を最小限度に などといって
激しさをどこでくい止めることができるのか

幼子よ泣きなさい
泣き疲れ死ぬまで
幼子よ泣きなさい
戦争は止めて と
叫び疲れ 死んでしまうまで

無力な私は
幼子のためになすすべもなく
ただTV画面を見ながら涙を流すしかないのか
抱きしめてあげることもできずに

※ 1939年 訳詩集『花たちは星を仰ぎながら生きる』(韓国=呉世榮)
詩集 『色わけ』 詩学社












夏の道
馬場晴世

半世紀前の夏
この国では戦争が終わった
長い悲惨な戦いだった

真夏の昼下がり
照りつける道には人がいない
この道の両側は空襲ですっかり焼きつくされた
歩いていくと
空の深い青みから
「死にたくなかったんだ」と
声が聞こえてくる

がらんとした人の通らない道は
どこまでも続いて
「死にたくなかった」と言う声が
あとから降ってくる
幼かった私も
焼夷弾をよけて防空壕で息を殺した
青く晴れあがった空を見ると広島を思い出す
あの時 横浜は曇っていたのだ
原子爆弾は快晴でないと爆発しないので
広島へ向かったと後で聞いた

今も「死にたくないひと」を
殺し続けているところがある
そして今は曇っていても
大量にひとを殺せる兵器がある

※1936年生。『雨の動物園』『ひまわり畑にわけ入って』







りぼん
池澤秀和

先づ できることから と
昨日もらった 黄色いリボンを 腕につけて
夕刻までに店先で 対応したのは十数名

Aさんから そのリボンなんですか と 尋ねられ
ささやかな 意思表示なんです と言えば
その横文字が知りたいと
ひとこと ひとことノートに書き込む
NO WAR
戦時中は 敵性語で教わらず
戦後は 生きることに明け暮れていたから
英語に弱くて と
空爆の あの黒い雲の下は写らないが悲惨なんだろうね
戦争は嫌ですね殺し合いだから・・と 言い残していく

Bさん S社の営業マン
商談の合間に
なんですか それ と リボンを指す
ささやかな意思表示と言えば
いくさには 安全な場所などなくて
誰のための戦いなのか と
文明のきしみを しきりに話しこんでいく

Cさんからも 同じような質問に
同じように答えたら
赤蛙や蝗や野草を食べて生命をつないだ話の後
なんで戦争なんか やるんだろうね と 帰っていく

問い掛けられなかった 人達も
畳み掛けて来る いくさのニユースに
血の匂いを飲み込みながら
破れた平和の傷口と その行方を
どこかで だれかと
話し合っているだろう きっと


腕のリボンも あるがままに
行き交う 風に
NO WARと ゆれている

※1932年生。『秒針』








土饅頭
高橋次夫

炎天下の荒野に
波うつように連なる小さな
煉瓦ひとつだけの
土饅頭(どまんじゅう)
砂礫(つぶ)を転がして
見向きもせずに 風は
吹き去ってゆくばかりだ

人に向って構えた銃砲の
照準の先に拡がってゆく殺意
意志を抹殺された意志が
引鉄(ひきがね)をひきつづける 眼を剥いたまま
炸裂する銃弾は
あらゆる三半器官を破壊しつくして
世界は
沈黙の坩堝の中である

死者は
流れ出す血の中にことばを詰める
血の色をしたことばは
声にはならず
砂地に滲みこんで 消えてしまうのだ
その血の行方を見とどけるひかりもなく
その死で購ったものの
影さえも見えてこない
そこに在るものは
屍体そのままの丸太ん棒である

とり残された兵士には
二人の腕で 丸太ん棒をぶらさげ
荒野の窪地に運ぶ 終わりの無い
仕置きが待っている
死者を埋め 痩せた砂土(すなつち)を盛った土饅頭を
どこまで並べたら
この仕置きから解き放されるのか

人に向って構えた銃口は いつでも
人から向けられる銃口になる
銃口の交錯する瓦礫の荒野に
憎悪も その密度を増して渦巻く
とり残された兵士も 死ぬ兵士なのだ

土饅頭の下の 丸太ん棒になった今も
仕置きは
止むことがない

※1935年生。『鴉の生理』『孤島にて』







枯らす
進藤いつ子

枯れ葉剤を庭に撒いた
   葉にかけると薬が徐々にしみて一週間で根まで
   枯れるよ 草むしりするより楽だよ
園芸店ですすめられ
炎天の下 わたしは薬をまいた

二日目 雑草の葉は太陽に光っていた
三日目 葉の付け根の緑の色が少し褪せた
七日目 雑草は枯れた
      虫も枯れた
      ありの巣も枯れた

土の上に土色に枯れたものが
横たわって積もり
八月のなかに冬色の庭があった

誰にすすめられたのか
南の国で
空から枯れ葉剤が撒かれた
それは畠を枯らし
森を枯らし
村を枯らし
二十年以上たった今も
人間を枯らしつづけている

※1930年生。『冬の花』『市松人形』






果てしない
柿添元

果てしない時といえば
人は直線を頭に画くだろう
果てしない道というときも
同じく人は直線を想像するだろう

だが 大正の半ばに生まれた
私の時は突き当たっては曲がり
突き当たっては曲がりしてきた
あるいは残酷にのろく
あるいは目にも止まらぬ速さで
そして 私の道も同じだった
時には平坦に時には危険極まりなく

最も楽しかった学生時代の同人雑誌仲間も
その殆どが時代に翻弄されて亡くなったのに
私が今尚よぼよぼながら生きているのは
唯単に「運」の一字に尽きるとしか思いようがない

弱肉強食は千変万化の変容を続け
世界の歴史は血まみれになって泣き叫んでいる
果てしなく争いがこの世に続くのは
地球が丸いからか それとも
余りにちっぽけだからか

馬鹿な
どうでもいいのだ
そんなことは
肩怒らせて地上に跋扈している
人類と称する自称最高級最下等動物の
果てしない「心」さえ丸く出来れば

ついでながら
果てしない戦争の起爆者たちに
戦争防止の素敵な方法を教えておきましょう
――どうしても戦争がしたくなったら
  のっけに自分を殺してみることです

※大正7年生。『床の中から』昭和期全詩集『年輪』









小さな池のはなし
中原澄子

流れに沿って藪(やぶ)の小径を登ると
農業用水の堤に出る

二万分の一の地図にない小さな池に
果てしない空
晴れた夜には水底(みなそこ)の星が
それぞれの遙けさでひかるのだろう
  一九四五年五月二八日午前零時二〇分 米軍の大
   きな機影が悠揚と水面を通過した。

  アメリカ合衆国九百万分の一の地図の上、ガレージ
  のある小さな白い家と、手を振る弟たちを、
  ひかる池の面(おもて)に俯瞰しながら――

  機体は切り通しのある峠の上空で高射砲弾を受
  け*黒甲山に墜ちた。山もろとも、四時間あま
  り燃えつづけたのだ。

  大いなる合衆国の兵士の死も、戦争のすべての
  死と同じく、不慮の死にちがいなかった。

ま昼の雲が ゆっくり動いていく用水池の
岸辺の櫨(はぜ)の若木の下に
コーラ飲料の瓶がねむっている
土と水をたっぷり飲みこんで
*北九州市門司区矢筈山山系の東部

※『海へつづく石段』『母の岸』  








兵士たちよ
坂田トヨ子

愛する家族や恋人から離れ
命まで懸けて
砂漠の砂を噛みながら
行軍する兵士たちよ

あなたの敵はずっと後ろに居る
自己は安全地帯に居て
「平和と自由のため我々は戦う」などと叫び
あなたを戦場に送り出した人たち

砂漠の砂を噛みながら
行軍する兵士たちよ
「我々」とは いったい 誰なのか
どんな「平和と自由」なのか
戦争に駆り出されるときだけ
あなたは彼らの仲間とされるのだ

いつもは遠くの高みに居る人たちが
急にあなたを同志に仕立て
あなたの平和も自由も
理性も知性も没収する

砂漠の砂を噛みながら
行軍する兵士たちよ

※一九四八年生。『生きにくい時代』『少年たち・花』





愛する君へ
中村安孝

私の為に人を殴ったり傷つけたりしないで下さい。
私はそれではしあわせにはなれません。

あなたが人を傷つけることで私は救われません。
あなたも救われません。
あなたが人を殺す事で私は幸せにはなれません。
あなたも幸せにはなれません。

私の為に死んだりしないで下さい。

私の為にそばにいて下さい。
私の為に一緒に生きてください。
そばにいてください。それが一番大切で勇気ある行動です。

あの時私とつないでくれたその暖かい手で武器を持つのですか?
人を殺すのですか?

その手で武器を持たないで下さい。
人を殺さないで下さい。

私はあなたに私の為に死んでほしくない。
私を愛しているならば。

あなたがすべき事は敵を殺す事ではありません。

あなたが敵を殺すことは私を殺す事です。
あなたを殺す事です。















「反戦詩集」編集委員会