戦争に反対する詩のページ3





小針の行方
泉 渓子

雨が降る
裸木のかくしごと 日々 現れて
ものの芽はふくらんで
まつりのさくらが咲いたという

こどもらの屈託が解かれて
課題の無い空がうすあおく澄んで
戦争を知らない子は
跳んで大地を踏む
語って表通りを行く

戦争の痛さ教えるの忘れていなかったろうか
私は 花衣縫う掌から飛んだ小針一本を探し  あぐねて 空が曇る

とおく
ユーフラテス川の流れる空の下で
行くあてのない乾いたひとすじの道に
こどもがひとり ふるえて ふるえて

※一九二三年生 詩集「成否不明」「光子の花」など







爪痕
金水善

プシュー
一瞬 ガス?
背筋が凍りつく
夕方の地下鉄の中は込み合っている
音のする方を睨む
東京のサリン事件が蘇る
体格の良い若者がサイダーを開けている

地下鉄は地上に出た
目を窓の外にやると
満開の桜
校庭で子供たちが遊んでいる

ふと
戦争の国の子供達のことを想う
隕石が地球に降って来た時のように
ドスーンと爆音が来る
すべてが下敷きになり
逃れた子は親にしがみつく

戦争が終わっても
耳の奥で
ドスーン
ドスーンと
子供は親から離れようとしない

※1939年生。詩集『済州島の女』






戦争
犬塚昭夫

戦争で しあわせになるものは
どこにもいない
ゴロッホ ホーホー
ゴロッホ ホーホー
戦争は歴史の遺物になって
無くなるだろう
にんげんはまだ
そのことを知らないでいる
ふくろうが二羽
森の木で
はなしをしていた







オレたちゃ無関心
高橋和行

オレたちゃ無関心
オレたちゃ無関心

戦争なんてどうでもいい
経済なんてどうでもいい
ただ 今日が楽しければいい
ただ 傷つかなければいい

温暖化なんてどうでもいい
リサイクルなんてするわけない
ただ 自分のまわりが清潔ならいい
ただ いらなきゃ捨てればいい

オレたちゃ無関心
オレたちゃ無関心

アメリカなんてどうでもいい
イラクなんてどうでもいい
ただ 自分だけが良ければいい
ただ 日本だけが良ければいい

イラク人は死んでもいい
日本人が死ななきゃいい
ただ 自分の生活がしたいだけ
ただ 戦争に関わりたくないだけ

オレたちゃ無関心
オレたちゃ無関心

政治なんてどうでもいい
選挙なんて行くわけない
ただ 仲間はずれにされなきゃいい
ただ お金があればいい

他人なんてどうでもいい
友達以外はどうでもいい
ただ メールが来てればいい
ただ 一人ぼっちじゃなければいい

オレたちゃ無関心
オレたちゃ無関心

未来なんてどうでもいい
過去のことなんてどうでもいい
ただ 死ぬのを待つだけ
ただ 生きているだけ

オレたちゃ無関心
オレたちゃ無関心

※1978年生。







定理
水上洋

「民」は独裁者が嫌いだ

――それと同時に
侵略者も嫌いだ。

(――それと同時に)の代わりに
――それ以上に
も、あり得る。

今度の――イラクの場合は
正にその通り。

※『一枚詩集』『枯れ木も山の賑わい』発行









イルカ作戦
出海渓也

イルカよ
自由の海で
生け捕られ
アメリカに身請けされ
囲われ・・・
おまえら
ハワイ海軍イルカ作戦センターで
父祖代々四十五年もかけて
特殊訓練をうけ継いできた

電子機器を埋め込まれ
体当たり特攻
機雷探知
索敵

なまじ哺乳類のため
海の高等動物ゆえ
調教を施された
イルカよ

  *

さあ出番だと輸送機に積み込まれ
着いたところがペルシャ湾
湾岸ウンムカスル沖で
イラクが敷設した機雷群に
突撃だ―
胸ひれに埋め込まれたセンサーは
海底に潜むかすかな機雷音までキャッチする

アシカよ おお
おまえも一緒か
十二年まえも共に湾岸に潜った仲
(そういやあヒトラーも
気紛れなアシカ作戦*を
立案したことがあった)

どうせおいらはアメリカさま
ブッシュさまには逆らえぬ
急遽 イルカ・アシカ混成軍を組んで
爆薬背負って「自爆」でもやるか

敵艦皆無で
突っ込む相手は
すべて米艦だった
*アンゼルム・キーファーの絵画「あしか作戦」による













ほんのわずかばかりの
若松丈太郎

まだ咲いていない木の花の色についてそうするように

梢でつかのまの眠りを眠っている小鳥の鳴き声について
 そうするように

国境をまえに毛布一枚で寒さをしのいでいる老いた難民
 の息づかいにも

流弾で即死した母親の胸にしがみついて泣き疲れたあか
 んぼうの涙にも

地雷で脚を失った少年の行きどころないこころの痛みに も
ほんのわずかばかりの想像力を

劣化ウラン弾で白血症になった少女の宙をさまよう視線
 の先にも
ほんのわずかばかりの想像力を

ほんのわずかばかりの想像力が変えることのできるもの
 が
あるのではないかと

※1935年生。『海のほうへ 海のほうから』『いくつもの川があって』など。



星野元一

膳は並ぺられていた
ラジオはニュースを流していた
家族は揃ったが いつも
空席が一つ
みんなの隣にあった

腹がへっていないか と
腹がへっては力が出なかろう と
いない膳に
飯も汁も菜っ葉も並んでいた

父たちは戦争だった
兄たちも
小さな四角の陰膳(かげぜん)となって
家族の中にいた
みんな変わりないか といい
元気でいるから といって
帰ってこなかった者までもが
母の手の届く所に坐っていた

家族はもくもくと芋飯を食った
ニュースに耳をこすりつけて
子どもたちは横目で
唾を呑みこんだりした
*陰膳は、出征した男たちに供える食膳。

※1937年生。『ゴンベとカラス氏』『モノたちの青春』







ど う せ す る な ら
小 関 守

何の ためですか
報復して 青い鳥が飛んできますか

今 あなたの友人も
その妻も子供も 数しれず死にました
あなたの 報復は何のためだったのですか

きっと今 鉱石は云っているでしょう
私を 弾丸にしないで下さい
どうせするなら 台所の鍋にして
平和な家庭を 作って下さい

土は もぐらと云っているでしょう
私をレンガに しないで下さい
どうしても するなら私は
学校の囲いになりたい
私のレンガに 抱かれて
文字を書いて 平安の歴史を覚えた
子供たちの わらべ唄を聞いていたい

中秋のかぜのかたらい
同類を殺し合う ニンゲンには
木犀の 薫りはとどかない

山路の樹々云っているでしょう
私を 武器にしないで下さい
棍棒にして 人々をやたらと
殴ったり しないで下さい
どうしてもなら
片足なくした人の
松葉杖に して下さい

宙に佇つ年輪の
根元のもぐらは
土の古郷に帰っていった

そっと辺りの匂いに








兵隊ノ死ヌルヤ哀レ
石黒忠

お釈迦様の誕生日だという

お釈迦になった国があって

野ざらしになった犬死の兵隊をよそに

大統領宮殿はもぬけ殻で

シュルターに身を潜めて徹底抗戦を呼号

攻撃をしかけた21世紀の新十字軍の頭目も

自分は戦争好きの癖に死ぬのが恐く軍隊を忌避

ハイテクのきれいな戦争とやらも

自分が死なずに相手だけを殺す卑劣







潜水艦
庭野冨吉

原子力潜水艦グリーンピル
あれはどう見ても
はちきれんばかりに勃起したペニスだ
超大国アメリカの欲望で膨れ上がった塊だ

潜水艦の緊急浮上
それは秘密の
秘められた行為のはずだ
それさえ 誇示し 見せ付ける

美しい地球
紺碧の海原を突き破る
巨大な黒い亀頭
何ともおぞましく
グロテスクだ

海中から襲いかかる激越な行為は
破壊だ
命を育むどんな母体も
受け入れられない

宇和島水産高校の生徒を乗せた
実習船  えひめ丸
船底を陰部の如く削ぎ取られ
沈没

あこがれの常夏の島ハワイ
ハワイの海は
今日も
巨大な黒い一物を浮かべている

※1941年生。『黒い背中』『憂噴』


チェリストの願い
―「鳥の歌」*を演奏するT・T
うめだ けんさく

静けさのあとに拍手が
拍手のあとに
ふたたび静けさが
小ホールに
未知の宇宙が拓けていく
チェロを抱いて出て来た
男の顔に
平和を願う人々の
心が伝わったかのように
表情が 一瞬ゆるみ
静けさを迎え容れる

彼の目が閉じられ
徐々に緊張の弦が強く張りつめられる
そして 長い屈辱の歴史が
超越した時間の中に
立ち上がってくる
太い眉がピクリと動いた
深く刻まれた眉間の皺が
深く
より深く
受難に耐えるかのように
深くなっていく
その余りにも暴力的なファシズムに
震えだす手
抵抗する指先が小刻みに律動する

あなたは死んだ
だけど生きている
多くの人々の心と同じに
あなたの抵抗が
引き継がれ
彼の全身全霊によって
伝えられる
鳥の歌よ
*パプロ・カザルスの曲

※1935年生。詩集「幼女と蟹」 「毀れた椅子」など。




この静けさはなんだ
川端進

わが家のうえを
ひっきりなしに飛んでいた
耳をつんざくあの轟音が
ここのところ聞こえてこない
北には横田基地があって
南には厚木基地が
あったりする
だが
この静けさはなんだろう
この地でくらしはじめて初めてのことだ
いつもなら窓など開けられないところなのたが
きょうは窓を開け陽の光を顔面に受け
心地よく朝寝だ
この静けさ
この平穏さ
いつまで続くのか
いつまでも続いてほしいものよと
わが家のうえの空を思い浮かべては願いたいのだが
この静けさのかわりに失われている命を思うと
胸の内は複雑に揺れ動き合わせる手もなく
おいそれとは願えないのだ
この静けさ
この平穏さ
続けば続くほど 失われる命の数も増えるというものか
揺れる胸の内を抑えては頼づえをついたりしては
テレビに釘付けになったりするのだが
この僅かばかりの安息の日々
手放しでは喜べないのだ
イラクが終われば
わが家のうえは
再び占領下だ
※1940年生。詩集『 釣人知らず』











どうか修復の手を入れないで
福田万里子

憎悪がすりぬけていく
戦争が追いかける
憎悪と戦争が並び
憎悪を追いこして
破壊と荒廃が残される
人が人を助けるのに
なぜ水ではなかったのだろう
人が人を助けるのに
なぜ種子ではなかったのだろう
人が人を助けるのに
なぜ静かに話しあえないのだろう
そしてなぜ人は
仲よくやって行けないのだろう
こんな単純なことが考えても考えてもわからない
ことあるごとに
二度と繰り返さないようにと論説は書き立てる
二度と繰り返さないよう
二度と繰り返さないよう
と 何度でもいえるコトバ
キボウだけが生きる力だっただろうか
かすかにキボウをだき
キボウをだいたまま地雷を踏み
キボウをだいたまま誤爆で死に
キボウをだいたまま餓死するしかなかった
どのような祈りを捧げればいい?   
   仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタン
   の虐げられた人びとに対し世界がここまで無関心である
    ことを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと
    知って砕けたのだ。(モフセン・マフバルバフ)
砕け落ちてしまったバーミヤンの仏像
そのあとの巨大な空虚に
修復の手を入れないでください
絶望のあとの巨大な空虚の穴は
道行く人が問いに問いをかさねる場所
問いに問いをかさねて答えをもち帰る場所
あの巨大な空虚に
どうか修復の手を入れないでください

※1933年生 日本現代詩文庫「福田万里子詩集」 「柿若葉のころ」  






木は森にかくす
片山 礼

昔読んだミステリ小説
謎をめぐって探偵が友人とやりとりする場面

 かしこい人間は気をどこへかくす?
 森の中さ

 御名答 でも
 近くに森がなかったら?

 なかったら
 その時は

 そう その時は
 森をつくっちまえばいいというわけさ
 あやまって部下を殺してしまった将軍は
 わざとむちゃくちゃな攻撃命令を下し
 死体の山を築いて己れの犯罪をかくしたんだ

現代の世を生きる僕
さしてかしこくない人間の一人
じつは
誰にも知られたくない悲しみを持っていて
できればどこかに
かくしてしまいたいのだけど

絶好のかくし場所が
あったとすれば

それはどこの将軍が
どんな命令を下したんだ?

※1953年生まれ 詩集「ENDから始まる」「セレブレイション」








ナツメヤシ
川本洋子

季節がはめこまれている
一枚の扉
からつづいていく白いうねった道
扉には地図やアラビア文字が書きこまれていて
鍵穴から闇は大きくなって 私の背丈ほど育っていて
つくづくとみまわすころには
闇の住人が鉄砲をみがいていたり
鉄アレイをもちあげたり
そうかと思ったらマッサージを受けている人もいて
聞き耳をたてる
音のない砂地にたつナツメヤシの木が
身動きして葉を散らしている音
が 聞こえてくる
私はすっかりナツメヤシの木のそばにたって
いる心地がして
ふかく息を吸い込んだ
記憶はそれからとだえたが
なぜか倒れたナツメヤシのそばにたっていて
幹に耳をあてていて
樹のなかを流れる川の音を聞いていた

※1948年生まれ 「遅い朝食」








ドーラの耳(兄の五十回忌に)
水野るり子

蝉しぐれの波をこえて あけがたの昏い耳のそこへ降り
ていくと 灰色の砂丘がつづいている 空の一角で星が
流れ 耳もとで死んだ兄がささやいた  「ほら あそこ
を見てごらん」  見上げると星は消え かわりに小さな
病室の窓に灯がともっている   「君 ドーラのことをお
ぼえている?」と兄の声がいった  「あの象の声はまだ
きこえるかい・・・」        
         *
 《あのころドーラは島の夕陽を背にしてあらわれた  そ
 の影は私たちに向かって 朽ちかけた喬木のように細
 長く伸びてきた (あるときはドーラの方が一本の木の
 影に見えた・・・)その声はもう一つの星から吹いてくる
 風のようだった 子どもたちはドーラの緑色の足跡を
 追ってひとけない記憶の風上へまぎれこんでいった
 あるものはノウゼンカズラの朱色に足を奪われ 星の
 高さの崖から滑りおちた あるものはサボテンの形を
 した象の骨につまづいてころんだ (ふふ・・・とドーラが
 どこかで笑った) 生きることは夢のなかでも絶えずか
 すり傷を負うことだった》
       *
ある日子ども部屋の深い暗がりから すべてのガラクタ
や絵本といっしょに ドーラの頁が破り去られた  あと
には血の染みた灰色の片耳だけが残り 世界はいくさに
巻き込まれていった
       *  
「ドーラは 牙をもがれ皮をとられ肉となって ぼくら
の砂丘の時間から蒸発していった 滅びるものは(人も
けものも 植物も虫も)だれもが一つの星のさいごの種
属なのだ だれもが一つしかない星のことばをもって去っ
ていく・・・」 兄の声がだんだん遠ざかっていった
       *
砂丘の空は一面の星だった 砂丘の底にも星々がこわばっ
たひとでのように光っていた ある光はすでに消えた星
のものだった ある星は何万光年も向こうからやってき
ていた そして今それぞれの時をこえてつぶやくように
光っていた
       *
はたちの夏 戦に敗れて荒れた国の病院で兄は死んだ
私は焼き場へ送るお棺に辛うじて一束の桔梗を入れた
兄の属した星はどこにいったのか 失われたその星のこ
とばは今どこで瞬いているのか・・・(目を閉じると桔梗色
の雲のかたすみでドーラの灰色の耳がちいさく光った)

詩集「はしばみ色の目のいもうと」より
※1932年生まれ 詩集「ヘンゼルとグレーテルの島」「ラプンツェルの馬」その他








非常口
神田さよ

旧大統領官邸に
革命通りから
さわやかな風が吹きぬける
壁面に赤く塗りつぶされた地図のある会議室
殺戮の指示が聞こえる通信室
大統領室の回転椅子は空席のままゆれている
階段を上ると
廊下の柱に並んで
どす黒い赤い壁が
隠れるようにある
「非常口」
ガイドはドアを平手で叩いた
サイゴン陥落直前に
南ベトナム大統領は
この扉を開けて
国外に逃亡した
戦場の非常口
血がしみこんだ乾いた大地をあとに
これから安全に消えた者
するりと抜けた者

赤い非常口
ノブを握る者はいつも潜んでいる
統一会堂の暑い部屋のカーテンが
風に揺れた

※1948年生まれ 「夏の秘密」「ハーフコートをはおって」







春の祈り      
森原 直子

山歩きの途中で
シャガの花をひと元持ち帰った
翌年も次の年も
その次の年も
花は咲かなかった

突然 狭い庭の
椿の木の下に移植され
無言の抗議を続けるように
しなやかな剣のような葉を
茂らせるだけだった

五年目の春
米英軍のイラク侵攻が始まった

チグリス川の蛇行する地域
首都バクダッドでの地上戦が伝えられ
黒煙をあげて炎上する戦車
逃げ惑うイラク市民
どれほどの人の心が踏み躙られ
どれほどの人の命が奪われるのか

花冷えの朝
長い沈黙を破って
初めての花が咲いた
祈りのかたちして

※1950年生まれ 詩集「風待草」「花入れの条件」






バクダッド
森田進

桜が今年も神田川に繚乱と咲いている
チグリス河に砂嵐が襲ってくる

繚乱と咲いている
ジハス少年の額に巻かれた包帯から血が滲んでいる

満開の桜がはらはらと散りはじめ
鶺鴒が首を傾げて見つめている
神田川の流れにたくさんのイラクの幼子たち
の黒い瞳が浮上してくる
恐怖にひきつったまま

チグリス河に戦車が近づいてくる
大統領宮殿には人影がない
大統領はどこへ行ったのだろう

この国を空から訪れる神は留守らしい
空から爆弾が襲ってくる

神田川には緋鯉が悠々と泳いでいる
桜が降っている

六十年前の春の空を私は覚えていない
あの中を
祖母に手を引かれて逃げ惑った

あの頃も咲いていたのか

銃口が覗いている
あのブッシュはとっとと消えてなくなれ

ブッシュは燃えよ

今日
桜は怒りのあまり真っ赤に咲き乱れる

※詩集『海辺の地方から』、『野兎半島』










ひかりの輪を
荒川 みや子

朝の音を
爆撃で消してはいけない
野の花に吹かれ
街のざわめきがいつものように始まる
しあわせ

 (遠くで みどりの丘がねむっている)

子供たちの瞳が
涙であふれてはいけない
書きかけの宿題が
ミサイルの炎で燃えつきる
恐怖

 (草の中で 羊たちが眼をさます)

今日をつづけさせて、おはようと言う挨拶
取り上げないで、あたたかいパンとわたしの家族

 (丘はしずかに雲をうつして言いたげだ)

Peace、
誰かが声をあげる
Peace、
おしよせるひかりの輪

刈り取った麦の束のように
世界中へ
この言葉を手渡そう
この朝のはじまりから

※1948年生まれ 詩集「森の領分」「つる性の植物あるいは空へ」









罌粟
坂東寿子

蕾は
水を奪い 光を取り合って
爆発し 花をひらく

太陽は地球を丸ごと照らせず
半分を月に明け渡し
きわどい合言葉が宇宙に浮いている

花びらが風塵に乗って
地表に散らばりマジノ線を越えて行く日

境界を固守するそれは冬枯れを迎え
マッチを擦れば芯までも燃えるだろう
灰は一色(ひといろ) 香りはなく

どこかで硝煙のにおいがする

※1931年生まれ 詩集「桜夢」「花の音」






今日もどこかで
小西 誠

脱水症で死んだ
難民キャンプの一歳の子供
首から下は天使の羽根にも似た
埋葬用の白い布で覆われ
その白い布に幾本もの腕がのびている
褐色の肌に盛り上がった血管が浮き出た腕は父親なのか
ほっそりと控え目に布に触れているのが母なのか
子供を覆う布をひろげる手が四方から伸び
子供はふっと宙に浮くのであろうか
つぶらな瞳だったであろう
閉ざされた瞼 ながい睫
夢見る表情

ここにパキスタン難民キャンプで撮影された
一枚の報道写真がある
撮影されたのは2001年6月
3ヵ月後の9月11日米国同時多発テロが起きた

持てる者と持たざる者の
対峙した世界で
飢え 渇き
今日もどこかで
野たれ死ぬ子供たち

私はかつて味わった
悲しみと怒りを風化させてはならない

※1934年生まれ 『小さな歯車』










題名
徳弘康代

ふるさとに帰る日
どこかで戦争が始まった
帰りついて私は
三年前に読んだ小説を
読みかえした
読みかえしても最後まで
何も思い出せなかった 流感みたいに
終わると忘れてしまう小説だったんだ 多分
ただ題名だけが頭に残っている 
こんなふうに 
忘れていくんだ 些細なことも 
大事なことも
一つ覚えるたびに 
一つかんじるたびに
一つ忘れていって いつかみんな
空白になっていくんだろう
その時でも題名のように
頭の空白の中にうかぶものも
いくつかはあるかもしれない  

三年前の夏 中国のある村で三千の骨を見た
半世紀前その村に 日本の軍隊が来て
村人を崖の下に集めて銃殺し
火をつけて燃やし
崖を崩して埋めた
掘りおこして骨だけになっているのを
私は見にいった
あまり突然のことだったから
その骨たちは今も
その瞬間のままだった
半世紀前の骨が 叫んでいたり
眠っていたりしている
その中に
愛しあっている骨があった
一体の骨がもう一体の骨を背中から
抱えこむようにして横たわっている
同じ銃弾に貫かれたのだが
年月が弾痕も肉体も消してしまって
骨とそのまわりの愛情だけが残っていた
この骨のことを
私は時折思い出す
羨望の思いで
私が殺されるときも
あのようでありたい
いつか
人がこの世に誰もいなくなったときも
骨だけになってもう一つの骨を
抱きかかえていようと思う
なくなるまでずっと
冷笑し あとまわしにしてきたものが
今でもここにあると
最後まで残った題名みたいに
そこにいて愛しあっていようと思う
あの二つの骨のように

街が崩れている

※一九六〇年。、詩集『音をたてる粒子』『横浜←→上海』)






草の思想
橋浦洋志

(人を手段として使って恥を知らない
 どこか暗くてかたい顔だ
 耕されることなく野ざらしにされた
 荒涼とした起伏
 言葉は粗野で苛立ちに満ち
 鉄砲玉のように発射される)

やわらかな命について
よく耕された言葉でゆっくり語れ
赤子の誕生を祝福する民族の言葉で
粗暴な死を命じてはいけない
人はだれでも草
かよわくしかしすっくりと頭をもたげている
正義といういじけた情熱によって
踏みにじってはいけない
人はみんな草
風に靡き誇らかに陽を受けている

想像せよ
乳飲み子のおびえた瞳とうちひしがれた母の胸を
想像せよ
流浪する家族の眠りと目覚めを
理不尽にも強いられる死を
日本国憲法第九条「永入にこれを放棄する」
想像せよ
棄てることで
かつて倒れた命を永遠のものとする
草の深い知恵を

小さな者の偉大さと
偉大な者の小ささを知っている
草の思想が
風と鳥と人によって運ばれ
所かまわずはびこることを
大地が浅緑の寛容なささやきに満ちることを
すべては草のために

※一九四九年生 静集『水俣』『もくもくむし』







銃剣
小松弘愛

「クラスを一小隊と見立て
僕は一番上の佐官
山本明徳は尉官
長崎孝雄が下士官
女子は看護婦で」

これは 小学校同窓会記念誌の
佐官安岡敏雄君の思い出
わたしは小隊の中で
二等兵だったか 一等兵だったか

その 兵士小松弘愛は
川沿いに細長くのびた村の
日あたりのよい段々畑に
丹精こめて作られた西瓜を
銃剣に擬した樫の棒で滅多打ちにして
叩き割ったことがある

あれは 上官の命令であったか
兵士小松の暴走であったか
西瓜は 鉄兜をかぶって草むらを匍匐(ほふく)する
敵兵の頭だったろうか
あるいは 無辜(むこ)の民の・・・・・・

頭を叩き割り
赤い破片の散乱する中で
いや もう戦争のことはどうでもよく
照りつける日差しのもと
日なたくさい汁のたれる西瓜を手に
渇いた喉をうるおす
たわいもない日本の少年になっていた

八月十五日のあと
あの小隊はどのように武装解除をしたのか
東京裁判は少年たちの遊びのモデルとならず
尉官山本明徳君は
後年の趣味「海漁」の事故により
とうにこの世の人ではなく
看護婦の氏名も不詳

わたしの銃剣は
野菜畑で そのまま
茄子の支えになったかもしれない

※1934年生。詩集『狂泉物語』『どこか偽者めいた』








雪・一九九一年
せんば ふみよ

今年はじめての雪が降る
空いっぱいの
凍えた綿毛の浮遊
空から降るものの中に立ち尽くし

遠い砂漠の嵐に千々に
引き裂かれ
飛び散り 舞いあがった
すべてのいつくしむべきものの
ゆくえを思う

空から降るものの中に立ち尽くし

※1948年生。「天上のしぶき」




昔もいまも
菊地貞三

砂の嵐のなか
蠍のように這いつくばり
目の見えないぼくが 引金をひく
誰かが死ぬ 
きみの子どもかもしれぬ

砂の嵐のなか
蠍のように這いつくばり
目の見えないぼくの 肩が吹っとぶ
ぼくが死ぬ
みんな死ぬ
 
砂の嵐のなか
鉛いろの空を亀裂が走り
転がる死 潰れる死
これが戦争だ これが
昔もいまも!

※1925年生。『モロッコのロバ』






世界反戦連帯詩
佐相憲一



700万年の友たちへ。



※1968年生。『愛、ゴマフアザラ詩』など。






思い出そう
福井久子

戦争をするにはたくさんの理由があったのだろう
この丸い地球の上で
何回も地図の色が塗り変えられてきた
そのどれをとってみても
権力者の恣意的な思惑で
そのたびに人々は右往左往を余儀無くされた
そして今
青空の下には
言葉とは裏腹に
へんぽんと翻る自由の旗はなく
乾いた砂漠で色を失しなっている
勝者も敗者も血の色だけは失しなわず
その長い影を引きずり
権力とは無縁の人々を包みこんでいく
爆音に怯え
爆音を思い出とする子供たちを生み出している
だから
思い出そうではないか
地球の丸さを
丸い手の繋がりの輪もあることを

※1929年生。『異界からの客人』『形象の海』







地球という星
羽生槇子

宇宙に 熱いひとつの星が生まれてから長いとき
その星はやがて表面が冷え 海と大地になった
海に 最初の生き物が生まれた喜び
やがて人という生き物が生き そこを地球と名づけて
人々は喜びと悲しみをうたってきた

人が人同士殺し合いをする生き物だなんて 悲しいこと
2003年 対イラク
大量破壊兵器を イラクが
保持していないかどうかを査察する側の国の人々は
自分の国が大量破壊兵器を保持していないかどうか
胸に手を当てて考えるといい
攻撃するというのは 人を殺すこと
攻撃されるというのは
自分の愛する人を殺されることだと
自分の身におきかえて考えてみるといい

地球の中心は 今はまだ熱い
けれど やがて 地球は芯まで冷たくなる
地球という星は衰え
人も虫も魚も 生き物はすべて死に絶え
そのとき 人はもう悲しみも喜びも うたわない

そう知っていて 攻撃という名によって人が人を殺す
大量破壊兵器を最も多く持つ強い国がそうする
けれど どこまでも残虐になる攻撃兵器に
人はもう耐えられない やがて人々は
「国」という機構ではないもので生きることを選ぶだろう
人は人同士愛し合う生き物だと確かめるため
ほら 国を超え 旗押し立てて はるかに
世界の人々が 反戦の歌をうたっている

※1930年生。『花・野菜詩集』『祖父母の家』など。








即時停戦、撤退が人の道
野口正路

「イラクの子どもたちはどうなるの?」
アメリカの女子中学生が訴えた

「アメリカに留学してみたい・・・」
「これが私の最後の笑顔になるかも・・・・」
開戦直前のテレビでイラクの女子学生が言った

世界中の戦争反対の叫びを無視して
今イラクで殺りく戦が行われている

空爆で死んだ少女その足のない
遺体を抱き上げる老人
頭部が吹き飛んだ少年の遺体

このむごたらしい現実を
正視できるのか
戦争を指揮する者たちよ

※1932年生。『戦時少年』『悲歌 ニッポニア・ニッポン』  







ショート・ポエム
伊原五郎

中東の 復興合戦 冬深し

残虐史 語り伝える 蝉しぐれ

初茜 獲物求めて 爆撃機

アフガンの 春なお遠し 老い寒し






命と平和と愛
橋本福惠

人間が一人 生まれるとき
周りは 輝いていた 息吹く産声 高く
世界は そのたびに 目覚めるのだ
新しい平和に 新しい命に
誰にもひとつしかない命の為に
生きなければならない
愛さなければならない
戦争は すべてを否定することなのか
生きることを 命の誇りを
奪うことなのか
奪うことに正しさはない
平和とは 一人一人が共に生きることだ
生まれて最初の産声は平和の鐘だった
核兵器を持つ国の思想は貧しい。
心は飢えている
世界に神があるというのなら
平和と愛を呼び起こして
争いの思想を和解の思想へと
導くことはできないものか









戦争
星 雅彦

勝敗をきめるために 敵味方があり
勝者は正義で 敗者は戦犯になる
この悪循環は 今も昔も変わらない

日本が八紘一宇の標語をかかげ
窮地の一策だったとしても
侵略戦争は 紛れもなく侵略だ
他人の縄張りに入るのは侵略だ
と暴力団の組長も言っているが
どっちもどっちで
悪い抗争だ

任侠には大義名分が生きる手立てとなり
国家には国民を縛りつける国策がある
いずれも一皮むけば 手前味噌の危険物だ

いかなる原因の戦争であっても
そこに真実の正義は介入できない
しかし正義を掲げない戦争はない

国家の最悪の選択が戦争なら
敢えて凄惨な悲劇を 選択したことになる
その愚かさから強靭な思想が生まれる

天災は忘れた頃にやってくるというが
戦争は外交の画策から起きる
絶えずその内実を暴かねばならない

沖縄戦で日本兵が泣く幼児を
扼殺したり 死を強要したことは事実だ
兵士はまさかのとき
鬼畜に変貌する

戦争でのあらゆる残虐行為は
多くの証言者が立証しているものの
ある思惑から 隠蔽・改ざんは続けられる

被害者は常に被害者とは限らない
被害者が加害者である場合もある
このアンビバレンスな関係
そのなかにこそ実体がある
※1932年生。『砂漠の水』『誘発の時代』





拳のゆくえ
天野行雄

僕らは拳のその熱さを
いまいちど胸に質すべきだ
振り下ろす前に
いまいちど胸に戻そうよ

僕らの靴はどれほどに汚れ
お花畑をにじろうとし
源流を汚そうとしているのか
知らないということは罪なのだ

僕らのたち入ってはならない尊厳
すべての食卓のスープ皿
塩辛く冷ましたり
その皿の数を減らすことを望まない
それぞれのナショナリズムも認め
祈りの安寧のときをよろこび
世界の始まりとする川の流れに委ねよう

戦争が科学を発達させた
なんてうそぶくことは冒涜だろう
無数の命とひきかえた事実はどうなるの
戦争が文明を生んだことはあったか
チグリス・ユーフラテスは
侵してならない人類のふるさとだ

僕らは振り上げた拳の義や
振り下ろすための名目に拘りすぎる
正義はどちらの側からも一方通行だから
その拳の勇気を愛と知に変えて
僕らは叫べばいい
Stop The War 

※1948年生。『連ねる』






ブッシュの、ブッシュによる、ブッシュのための
花田英三


巨人ゴーレムの末路はどうだったか、忘れた。
キングコングの最後はどうだったか、忘れた。
一人だけ巨(おお)きくなってしまった男の物語は昔から悲しい。
かつて助けた者からも恐れられ、
愛している女をも握り潰し踏み潰してしまう。


※1929年生。『皇帝のいない国』『島』






あの日が近づくと
西岡光秋

ひまわりよ
陽気な顔をして
なぜか
気落ちしているようだ

蝉よ
にぎやかな混声合唱なのに
どこか
沈んだトーンだ

燃える季節のアルバムに
八月六日が近づくと
ツルの少女を
心の片すみで思いだし
だれもかれも
どれもこれも
悲しい顔になる

そんなとき
かならず
少女の折った無数のツルが
鳴きながら空へ舞い上がる

笑顔をみせてください
禎子のために
笑ってください
平和のために―――

※1934年生。『菊のわかれ』『西岡光秋詩集』








関野宏子

むかし
戦いに赴く夫を
壁に立たせ ろうそくの灯に
映る影の輪郭を
妻はナイフで彫りこんだ

不在の続く
ある日 妻は張りつめた線彫りを指でなぞり
ある夜には その輪郭に燃えるわが身を重ねた

長い年月が経ち
石の壁だけが残っている
※1933年生。『翡翠』『夢に来ませ』





苦く塩辛い海となって
井野口慧子

地球を包む青く薄い膜がふるえている
地球の生命の乳腺がボロボロ痛んでいる
それらは私の涸れかかった血流にもつながって
今日もずきずきと疼く

真昼の闇に堂々と打ち上げられていく
人間の罪過の花火

生まれてきたばかりの赤ん坊が
吹く飛ばされ地面に叩きつけられる
三十八億年の時の記憶が運んでくる子供
光と祈りの眼差しの中からやってきたはずの
愛する子供たち―――
美しい創造の痕跡さえもたちまち
葬られてしまう

もの言えぬ生きとし生きるものの
大地にあふれ にじむ涙
巡ってやまない小川になり河になり
苦く塩辛い海となって
ただ耐えている―――
※1944年生。『蝉の島』『浄らかな朝』





虫ピンでとめられた蝶のように
原子 修

とつぜんの空襲でデッキからとびおり
線路ばたの草むらにつっぷした
汽車通学生のわたしよ

息をつめ
死んだふりするかれの背に
地面すれすれに飛来した戦闘機のパイロットの
一刹那の視線が
ナイフのようにつきささり

かれを
草むらにピンどめしてしまった

行ってみるがいい

半世紀たっいまも
おなじ線路ばたで
汽車通学生のわたしが
虫ピンでとめられた蝶のように
ふるふると羽根をふるわせ
死んだふりをしているだろう






破壊
瀬野とし

産婦人科病院を爆撃して
母と子を傷つける
それが「正義」なのですか

農家にクラスター爆弾を撒き散らし
家族と牛と羊を殺す
それが「解放」なのですか

気に入らない報道をするテレビ局を
ミサイルで襲い 写真家を殺す
それが「民主主義」なのですか

守ってきた生命
築き上げてきた街は いま破壊され
血みどろだ

育ててきた言葉は いま破壊され
血みどろだ

※1943年生。『なみだみち』『線』







すべての人々に愛と平和を
新井あらた

あなた達の宝物はなんですか
私の宝物は家族 愛 命 平和・・・・

あなた達には見えますか
私には見えます
キラキラ輝くひとみ
かわいい笑顔の子ども達

あなた達には聞こえますか
私には聞こえます
泣き叫ぶ声
平和を求める人々の声が

あなた達は何も感じませんか
私は胸がはりさけそうです
人が人を殺すことの重大さを怖さを
世界中の人々が平和を求めていることを
※S,23年生。







NO WAR
やまもと ひでこ

やめて やめて
  殺さないで
  殺させないで

 人は生きている
 都会も
 砂漠も
 森も 生きてる

やめて
やめて
あした 生まれようとする
いのちまで
  殺さないで
  殺させないで

 空も
 海も
 星も 生きている

いのちはみんな
愛するために
生まれてくるのだから

※1948年生。







くうせん(空戦)
神尾達夫

けいたいでんわ が でじたるに ひろがる
でんじは の くうかん
でんじはの はちょうを ぬって
五十八ねんまえ の もーるすふごう が
うしろ から
ふい に
のっく する
 ワレ トツニュウ スル
 トツ ニュウ スル
わたし は あのときの すがたに もどり
じごく と くうかん を ゆっくりたぐりよせる と
ひろしまめいんどおり を ぬけだし
てんくう たかく のぼりつめる
ひろい くうかん
かくのまわりを くりかえしまわる りゅうしのように
せんとうき 二き
しりょく を つくし たたかいの こ を えがいて
とおく えんじんおんが きえたり きこえたり
くりかえし まわる
くうきの ふれあう すぐ そのした
おもい そくど で おきなわに むかって いる
はるか くうかんの むこう
ほしの ような ほのお が 「ぽっ」と かがやき
みる みる ながい こくえんの
お をひいて
さいれんと えいぞうの ふかみ へ おちていく
かぎりなく おちて いく
そらで ひとつ いのち が もえつきる
ぶきみ に はなひらく だんまく の はて
し の くういき が おともなく ひらい て
ひかげ へ からから と まう
かれはの ふきだまり が あるように
たましいだまり が あると いうのか
かけがえのない いのち が
つぎ つぎと あつまる ふきだまり へ
ほのお の てん が
ひとつ きえ

ひろしま めいんどおり へ
せいかつおん の
にぎわい が
ひろがり はじめる   










背中の声
井上 庚

こそっこそっと
骨箱は音たてました
石ころ一つ入った白木の箱
抱きしめて母親は泣いていました
誰もいない部屋でひとり
「こんな石一つにしてしもて  
ごめんな かんにんしてな」

十二月八日
今年も
師走の風が吹き抜ける街角で
老母は杖にすがりながら
『赤紙』をくばります
「こんな紙一枚で死んだんやで  
あの子は」

女の罪
男の罪
人間の罪が
べっとり背中にはりついている時代でした

ころころ声をたてて
赤ちゃんとお母さん
身体中で笑っています
やわらかな背中に陽がさしています
タカイ タカーイ
高くのびあがった赤ちゃんの瞳に
まっ青な空が広がっています

生んでよかった
生まれてきてよかった
ほんで いっぱい生きんとなあ

※一九三〇年生 詩画集三部作「学校ぎらい」「わたし 人間や」「生きまっせ」




碧天       
榎本 初  

罅割れた空にラッパの音が軋んでいた。真っ赤な鶏冠
はキャンバスの旭日を破っていくだけで、空を描くこと
を知らない。
 ひとりひとりの胸の奥深くから、祈りの都が光を放っ
ている。鶯が歌い、光よりも永い祈りを岬に届ける。雨
垂れが巌を穿っていた。碧天。祈りが舞う、昇り舞う、
唇が燃えて。太陽の律動が言の葉を重ねて旋律を紡いで
いき、大空を織っていく。指先が、躊躇いなく機を繰り
ながら、ひとりふたりと繋いでいき絡めていき、頬笑み
を奏でていく。シャコンヌが聞こえる。
 ひとつの青い空がまわりはじめる。

※一九六九年生




砂嵐よ
江部 俊夫

砂嵐よ
戦争の真実の姿を世界に見せてくれ
人間は真のことを知らせてくれない
戦争を美しくし
子どもの痛々しい姿を隠し
劣化爆弾で自血病に苦しむ子どもを隠し
戦場で恐怖におののく兵上の顔を隠し
戦争の残忍さと醜悪を隠す

砂嵐よ
人を殺して自由と解放を叫ぶその欺まんと
人殺しを支持するという それは
人間をどのような姿にしているのか
どんなに汚いものか
伝えてくれ 見せてくれ
砂嵐よ
お前は戦争というものの姿を
つぶさに見ているだろう

砂嵐よ
落とされる爆弾の下に
引き金を引く鉄砲の前には
小さな幸せを求めて生きる人らしい人のいることを
知っているだろう
死の商人は小さな幸せを奪っては
笑みを浮かペ
人を殺しても痛まない貧しい心を持つ人間が
国を動かす哀しさ 腹だたちさ

砂嵐よ
子どもたち女の人たちの
うめき声 悲しい声を聞いているだろう
人間はだれもそれを
伝えてくれない 伝えてくれ

砂嵐よ
命の重さに国境をつくる人間に
強く強く吹いてくれ
その 目や耳 鼻 口を潰してくれ
哀しいがわたしは
お前に祈るしかない




赤土にキスをして
新井豊吉

君が倒れた
憂鬱な日常に
かすかな生気を与えてくれた
君が朽ちてゆく

市場へ出かけ
野菜を布袋に入れ
天国に近い老人から
良い娘になったと
からかわれ
いつもの道を帰る君の
声が聞こえない

誰も触れたことのない肌に
破片が
ふんわりしたケーキを裂く
フォークのように
ナイフのように
深く食い込んだのだ

悪くない悪くないと
報せながら
決定した者の
愛する人は常に守られる
それが
戦争だ

※一九五五年生 詩集「ふゆの少年」「大邱へ」


密約  
あるいは擬似フリーメーソンの政治学       
尾花仙朔

《君の言葉がわからない》
すると覆面をした彼(仲介者)は
超人種的・超階級的・超国家的・相愛的・平和人道主義
と銘打った テーブルの上の
白図に一本の線を引き
境界に相対して置いたのだ
―ミサイルを発射する羅針盤
―血の滴る善意を内臓した地球儀
幻想の祭壇に供える
それは
《人類の知恵を
 生ける屍と化す行為ではないのか?》
その証左に
世界地図がめらめらと燃えている
衛星通信の画像にあふれ
逃げ惑う難民の背に
受難の悲しみが貼りついている
旱魃の大地に傘はなく
この世の虹が微塵に砕け散っている
そう 世界は今
燃える糧秣に囲まれた罠の中にあるのだ
その悪の符牒に署名し
十字軍の戦争を騙(かた)る
総領の指令で ホトトギスが
国から国へ
密約を托卵する 世界の
奸計の季節
善意の天秤で鶯が鳴く
同床異夢に耽ける国家と国家の
和解と盟約は
そうしていつも
権力者の損益勘定を記載した
言の葉の裏返しに
語られてくるのだ

※一九二七年生 詩集名『黄泉草紙形見祭文(よみそうしかたみさいもん)』『縮図』




野いばら
おだ・じろう

ふと 湧いてくる悲しみは
赤紫の膨らみそこねた
野いばらの芽

今年はなぜか
春に見放された三月の氷雨に凍え
新しい枝先にはまだ蕾みもなく
わたくしの指先を血で染める棘もない

五月になれば
操を守る繊(ほそ)い針をつけた小枝に咲く
しろい小さな五弁の花
だれに凝視(みつめ)られることもなく
裏庭の垣根をひっそりと飾るはずだが

十ニ年前の戦争で使われた
「劣化ウラン」の蓄積による白血病に
春をもぎ取られたイラクの
おさない少女*の黒い瞳のように
無垢な
明るい悲しみを耐えている

今なお吹き荒れる
新たな殺戮のあらしの中で      
*= 森住 卓「イラク写真展」から

※ 1934年生。詩集「愚者の踊り」「夜の散歩道」




葛西洌

目で見る前にすでに
ぼくらはその音を聞いた。
この世で最初に音楽を聞き分けた耳に
古びた黄昏を流し込むのは
親しみの顔を失った者にちがいない。
その手の指すところ
夜露のたまった耳には
すでに聞きとれぬ叫びをあげている
あれは他国の追放者の群というのか。

凱旋の砦を築く工夫管理人は
木造の視察台から引きずりおろせ。
大小の史書がぎっしりと敷かれた広場
ちいさな痛みが あちこちにより集まって
それらが深い眠りに落ちいったあとを
音もなく 足ばやにすりぬけていくぼくら。
知っているか
勝利者のあとに敗者
そのあとにつづく列の一番あとの者を。

人は夜を待ち
夜はもっと大きな空を待っていた
空はくぐりぬけると長い下り坂となる
巨大な門を待っていた。
ぼくらが逃れ出る一瞬
敵からかすめとってきた貝殻の休暇と
霧深い森を通るための旅券とを
取りかえてはくれまいか。
ぼくらは 生まれ出る時すでに
根を切り取られていたのだ。




雛アラレ
絹川早苗

桜の季節に先がけて 薄いガラス細工の華やぎをまとい
ながら 桃の節句は訪れる。

灯火管制のわずかな灯を消し 畳の上にほんの少しアラ
レをまいて 祖母と幼女は布団の中で 小さなものが現
われるのを待った。警戒警報が鳴りひびき 防空壕ヘと
追いたてる声が村を巡ってくる。こんな田舎に来てまで
じめじめした穴蔵などに入りたくないと 祖母はたびた
び駄々をこねた。

縁側の薄闇に隣組長の黒い影が立つ。祖母が唇に指を当
てた。困窮しても鼻柱だけは強い祖母は 住時と打って
変わった親戚たちの仕打ちにいつも腹を立てていた。あ
る日 土間に迷い込んできた一羽の白色レグホンを 祖
母は隅に追い詰めると掴まえ 首をひねった。

卵でさえめったに口に入らない日々にはこの上ない賛沢
な馳走であるその肉を しかし口にすることはなかった。
川向こうに捨てて来たと祖母はさりげなく言い レグホ
ンが一羽いなくなったと 母屋のカナエさんがしきりに
探しまわっていた。

声をかけていた隣組長は 諦めて立ち去っていく。これ
で防空壕までの夜道をたどらなくてもよい。地の底の獣
のようなうなり声をたててB29が近づいて来る。思わず
手で耳と目を塞いだのは焼夷弾爆撃を受けた町での慣い
性。そのとき祖母の手が脇腹をつついた。薄明りの中に
姿を現したネズミがアラレを一つ引き寄せ ついと押し
入れの中へ消え去った。二人は顔を見合わせて笑った。

爆音が遠ざかり 外に出ると 村には人影はなく 十五
夜に近い月が中天に、はるか西空は夕焼けとも朝焼けと
もつかぬ不吉な色で染まっていた。

わたしは桃の節句を祝ってもらったことも 祝ったこと
もない。けれども綿菓子のように桃の花が咲き デパー
トや店先に雛人形が並ぶと わずかなアラレをネズミと
分けあった日のことが 雪洞(ぼんぼり)の灯のように
浮かび上がってくる。



無用歳末譜
斎田朋雄

もうオレの前を走って見せてくれる
「師」なんかいない
隠居の身で 債鬼だって押し掛けて来てはくれないし
東京の嫁から 宅配便で オセチ料理セット
だからスーパーマーケツトでのお買い物も無用
「おそうじ」だってホームヘルバーさんがやってくれるし
な―んにも やる用がないんだ

それでも新しいカレンダーを張り替える
干支は 十二年で一回転 それを七回八回繰り返すと
羊だって 蛇 猪 虎 龍だって
みんな顔馴染みで 新鮮味なんか無い
長生きして 世の中の表裏視過ぎてしまったし
世界も 日本も 辻褄のあわないまんま
今年も 暮れる

平均寿命過ぎてしまうと 働きたくっても
何処でも 誰も 仕事なんかさせてくれない
徒食 無用の徒という訳だ
天下の自由人 気取って
詩なんか書いてみても 読んでくれるのは
一握りの 仲間たちだけだし
「裟婆っぷさげ」なんて 僻んだりする

ドンパチ アメリカの戦争屋ども
弱肉強食 アフガンだけでは足らないで
今度はイラク 超暴力科学兵器で襲いかかる
心臓つぶれる思いの 毎日のテレビ画像
老いの勘気 蛮声張り上げて
「NO WAR!」
「戦争反対!」
「ノー!ブッシュ コイズミ」
叫ぶしか 能が無い






暗い理由を問うこと
三浦志郎

反対の表明は
いわば
たやすい
だからといって
デモの歩みに参加するのは
難かしい

扱いなれた日常を
少し深くするのだ
眉を斜めによせ
考えを掘るのだ
世界の意味を

平和は戦争を越えてゆく__
人があまねく認識している
原初の思想
遠い国の
あれら元首ですら
心に深く蔵していたはず

それでもなお
踏みにじり
もたらした業火は何か?
砂まみれの大地は晦冥する
人が手にした白い鳩の
流れる赤い血

その暗い
洞窟のような理由を
私たちは探しに降りるのだ
国を 人種を 階層を
個々の脳髄を問わず

戦いのグロテスクを
暴くたいまつと
指し示す指を
持たない限り
私たちは
この青い星に住む権利は
やがて
失われてしまう

※1955年生。


爆弾を落としているのは私だ
三田洋

朝のダイニングルームに
陽がさしこんでいる
新聞をひろげる
間髪を入れずサイレンが鳴りひびく

テレビジョンをつける
爆発音がはじけ墳煙がまいあがる

洗面所で手を洗おうとする
かがみこむ水中から
血に染まったこどもの顔がのぞく

そんなはずはない
ここは砂漢からこんなにも遠い

布団を頭から被って寝ようとする
なかなか眠れない
そっと目を開ける
いきなり天井から鉄の塊がふってくる

ああ どうしても逃げられない
レントゲンのように両手を闇にかざすと
血まみれの掌がうきあがつてくる

爆弾を落としているのはこの私だ

※一九三四年生まれ『回漕船』エッセー文庫『抒情の世紀』



春が来て
安水稔和

 <かかとのついた靴をはくと、かかとが鳴る
  のよ。それを履いてお店へ行ったり、草原  
 へ行ったりするのよ。階段も上るの。

少女には聞こえる
かかとが鳴るのが。
かかとが鳴って階段にひびくのが,  

 <病気が治ったら、おうちに帰る。お母さん  
  とお姉さんとお父さんに抱いてもらうの。

少女には見える
走って帰る自分の姿が。
階段を駆け上る自分の姿が。

 〈庭にウサギがいたの。白と灰色のウサギで、  
  灰色のが走ったら、弾が爆発して、煙とな  
  んか黒いものが見えたの。

少女は気がつかない
左足がなくなっていることに気がつかない。
ほんとにおうちに帰れるのかしら。
お母さんはお姉さんはお父さんは。
おうちは。

鈍く沈む空。
崩れた壁。
焼け焦げた裸の木。
揺れてこぼれる花の記憶。
わたしたちの記憶。

春が来て
少女に出合う。
また春が来て
少女に出合う。

道ばたにしゃがんでいる。
夢の窓から手を振っている。
※1931年生。『生きているということ』*『ことばの日々』  (「春が来て」は*収録)



数字
森野満之

戦争が始まった
はじめのうち
死者は棺桶に入れられ多くの人に担がれた
やかて 嘆きか途絶える間もなく
棺桶は死体収容所にずらりと横並びにされた
その数が増してくると
いちど使われた棺桶が繰り返し使用された
さらに その数が増すと
棺橘が間に合わず
死体は地面にじかに転がされた
さらにさらに その数が増すと
大きな穴に死体がずしんずしんと放り込まれた
燃料がなければ仕方がない
積み上げられた死体にそのまま土が被せられた

戦争が終わると
未来をはぎ取られたこれらの死者たちは
非情な概数になった

いかなるときも
いかがわしい正義と浅知恵によって
人間を数字にすることを
拒否する
数字になることを
拒否する
それだけでは力不足だというのなら
生きている者に残された強手は
ふかぶかとみずからを省みること
待つこと
続けるとこと
想像してみること
始まってしまったあとでも
けっして希望を失わないこと

※1945年生。『真ん中』『男の生活』




死ねない兵士      
みもとけいこ

一九四五年七月一五日知覧から特攻兵として飛び立った
ハルおじさんは 敵艦ミッドウエーの側面に見事激突し
て死んだ

一九四五年終戦の一ヵ月前敵機を偵察中だったハルおじ
さんは そのまま知覧には帰って来なかった

ハハの話は聞くたび違う ハハの記憶は急速に歪んでゆ
き 捩じれた空をあてどなく飛びつづけるハルおじさん
戦争が終ったという知らせが ハルおじさんに届いて
いなかったのだろう

 <ジャングルにまだ戦争を続けている兵士がいて>

二〇〇一年九月一一日 朝 突然ハルおじさんが操縦す
る旅客機がニューヨーク上空に現れたのだ

大きく飛行コースを離れた旅客機 その時すぐに私には
わかった あれはハルおじさんだと  ハルおじさんが何
をしようとしているのかも

 <おじさん そこは海じゃない それはミッドウエー
 じゃない>

いや やはりあれは船艦ミッドウエーだったのだ あの
時崩れ落ちた《世界貿易センタービル》という名前の船

 <あの船を沈めよ あの船が私たちをさらに貧しくさ
 せる>

生きる場所は地上にはない 恐怖心は痺れてしまい《任
務》だけが心を 地上にはない明日へと導く

二〇〇一年九月一一日の死者のリストに ハルおじさん
の名前はなかった それでも死ねなかったおじさん お
じさんまた ハハの記憶の歪んだ空を旧式の戦闘機に乗
ったまま彷徨い続ける

おじさんは今も敵を偵察中だ 《任務》を察知するやい
なや 自らを<弾>にして飛び込む

最後の兵士が帰還するまで

※一九五三年生 詩集『フロッタージュ』 『リカちゃん遊び』




うしなわれたもの・えひめ丸     
芝憲子

宇和海で育った
真珠のような子どもたち
母貝の傷の中で守られ
年ごとにうすい膜をはって成長し
ようやく
その輝きを
海洋民族の一連として
発揮しようとしていたのに
ハワイ沖にこぼれてしまった

宇和海で育った
真珠のような子どもたち
家族をつなぎ
友達をつないでいたのに
一個欠ければ
バラバラになる輪
紐を原子力のハサミで切られ
家族の名をよぶ間もなく
瞬時に沈んでいった

冷たいだろう
さびしいだろう
海も空も地も軍隊のやりたい放題
軍事費確保のデモンストレーションの
犠牲になった無念
わたしたちの喉にうまれた
かたく丸いかたまり

海のくらさにねむろうとしている乳白色
宇和海で育った
真珠のような子どもたち

※ 一九四六年生 詩集『砂あらし』『のんきな店のちいさなもの』他




良心を下さい
―スミソニアン博物館の「原爆展」中止に    
大貫喜也

広島市と長崎市
その両都市の上空をおおった巨大なきのこ雲は
女 子供 老人 病人
戦争反対者 自国民の捕虜たち
そのことごとくをからめ捕る
狂気の 火の投網

立ちこめるほこりと煙の中
真っ赤な炎がどっーと上がり
すべては一瞬の風圧に千切られ
吹き上げられ そして地面にたたきつけられた

固形物は曲がりくねり 建物は骨をあらわにし
焦熱地獄にのたうち 逃げ場を捜し回る裸体の群れ
焼け跡には黒焦げの死体が累々と重なり
その上をとび交う 青い人だま

廃墟 そして巨大な墓地の上に再建された両都市では
半世紀を経た今もなお
原爆症に苦しみ
死んでいく人たちの霊魂が
その不本意さに哭く

上空三万フィートからの
殺意の 閃光(ひかり)のやいばを
正義とおっしゃるのですか
罪も科(とが)もない市民の大量虐殺から
目をそらしたいのですか

「罪をおかしていない」「汚(けが)れのない」という意味の
ピューリタニズムよ
わたしの中のアメリカよ!

※ 一九二六年生 『小銃と花』『黄砂蘇生』





ぼくは君の手を握っている
金井雄二

離したくない君の手
ずっと握りしめている
離すときは
君の肩を抱きしめるときだ
あたたかく
鼓動が触れて
君が生きているのが
わかる
ぼくが生きているのも
わかるかい?
永遠に
人と人との争いがないところで
血の流されないところで
爆撃のないところで
いつまでも
いつまでも
ぼくは君の手を握っていたい

※ 一九五九年生 詩集『今、ぼくが死んだら』




 
相生橋にもたれて
鈴木比佐雄

世界が戦争に向かう時
四年ぶりに 戻ってきたな
私は相生橋にもたれて いつまでも
原爆ドームを眺めていよう

太田川が二つに分かれ
元安川と本川は広島湾へ流れていく
五七年前にT字型の橋の頭上で
いったいどんなことがおこったか

四年前にこの世でこんなに美しい廃墟を
初めてみて 私はとりこになってしまった
目を背けられない悲しい美の力を感じた
人間が二度と起こしてはならない経験と記憶が
この場所にあった

今日二〇〇一年十月八日の未明
アメリカのアフガン爆撃が開始された
世界一豊かな国と最貧国の戦争が始まる
原爆以外の巨大な爆弾が投下実験され
きっと多くの命が消えていくだろう

四年前に 講演で「ヒロシマの哲学」を語った詩人がいた
世界が戦争に向かう前夜の十月七日
その詩人浜田知章の全詩集出版記念会を
広島の詩人たちが開いたのだ
詩人は四七年前に詩「太陽を射たもの」でこう予言した
 「お前たちは太陽を射た。
  射た矢は返ってくるだろう
  やがて白日の下に自滅していくのだ
  その日が必ずくる。」と

二〇〇一年九月十一日
ニューヨーク貿易センタービルに
二機の旅客機が突っ込んでいった
世界の貧者の暗闇の中から発した矢が
世界の富者の光の場へ突き刺さり
六〇〇〇名もの民間人はどこへ消えていったか
アメリカに「射た矢は返って」きたのだろうか
世界が報復の戦争に向かう時
浜田知章はふたたび熱っぽく「ヒロシマの哲学」を語る
 ほんとうの正義はいったいどこにあるかと
相生橋のたもとに揺れる白い夾竹桃
その後ろで静かにたたずむ原爆ドームに
秋の陽がそそがれ、世界中から人々が訪れる
その中の一人である私は 相生橋にもたれて
いつまでも原爆ドームを眺めていよう

※ 一九五四年生 『木いちご地図』 詩論集『詩の原故郷へ』




盲目の写真家    
麻生暁美

ウミネコの群れが歌う
重いまぶたを開く
カーラジオが淡々と告げる
「開戦」の第一報

白くにじむ暁の空
曖昧に揺れる波が溶けてゆく
写真家はシャッターを切る
岩を撫でる波
遊ぶ飛沫
昇る朝日は
悲劇を告げない

写真家はシャッターを切った

ファインダーに切り取られた空は白く
ファインダーに切り取られた海は青かった

写真家は頭(かぶり)を振り
迷いのない足どりで断崖へと踏み込む

再び水平線に向かい、構えたとき
ふらり
一羽のウミネコが舞った
風が起きる
柔らかく
写真家の脇をすり抜けるように

透明な風に
力がこもったとき
ウミネコたちはいっせいに舞いはじめた

綿花のようなウミネコの乱舞
踊り出した写真家の手足
風の味を舌に含み
断崖を越えたとき
四角いファインダーが捉えたのは
真っ赤な空と
黒々と広がる海

盲目の写真家はシャッターを切った

カーラジオからは
陽気なワルツがこぼれていた

※ 一九七七年生




幻覚      
河上鴨

ベッドの上にオブジェのように横たわった自分の裸身を見
る。がらんどうの手術室に入って手術台に横たわった時、
全身が羞恥で震える。患部に注がれた外科医の視線が殺人者
のそれに似て一瞬、背筋を戦慄が走る。痺れていく意識の底
に切断された下半身が階段を降りていく幻覚が残る。あれは
太平洋戦争の頃の幼児体験だったのか。ロシア人の夜襲を恐
れながら、屋上への非常階段を上った北京の夜の記憶が疼く。
下腹部に突き刺さる鉗子をかすかに知覚しながら、濃霧の中
を手さぐりで鉄梯子を降りていく下半身が縺れる。霧の彼方
でカチカチと鋏や鉗子の触れ合う音。肌に刺さる不快な照明。
手術前の女性が控室のベッドに横たわって泣いている。手術
を終えた老婦人がベッドの隅に嘔吐した。白い敷布に黄色い
小さなしみ。虫けらのように肩先を震わせている。

※ 一九四〇年生 『老僧』『河上鴨全詩集』






佐藤恵子

上陸して来た日本兵の
従軍慰安婦狩りに追いかけられ
森の小径を逃げ惑う
ワンピースのわたしは十四・五歳
南の国の島の娘
前うしろに追手迫まり
大木にしがみついて絶叫するわたし
その声で目が醒めた
少女の頃のカン高い声だった

夢の中では わたしは捕まらなかつた
羽交い締めにされ トラックに放り込まれもしなかった
夢の中では
身も心もボロボロに苛まれ くる日もくる日も
苛まれ
抵抗すれば銃剣
あの方たちの現実は起こらなかった

けれども知っていた
捕まればその先の苦難の日々を
十四・五歳の頃のわたしには想像もつかない生き地獄を
夢の中の少女のわたしは知っていた
純白の衣装のあの方たちの告発

あの方たちの見る夢は老いてなお
地獄の再体験 生あるうちは夜な夜な襲う
目醒めればまた涙にくれる 怒りに慄える
あの方たちと共に老いて見るわたしの夢は
恐怖のたかだか入口 醒めれば胸をなでおろす
そしてこれ一回きりかもしれない
でも思う
男性は決して見ない夢 

と では一体 どんな夢が
この国の彼らの夜には?

※1935年生。『川の非行』『目薬しみて』






草の季節        
田村さと子

わたしは辻にたたずんだ
馴じんだ風景に
人影はなかった
子供たちの声もきこえない
ふり返る
日差しばかりが明るくて
町工場の煙突は煙ひとつゆらせず
焦げた屍体の指のように立っていた
動くものの気配はない

わが家へと わたしはいつもの通りを急いだが
わが家があるべき場所には見知らぬアパートが建っている   
―みながわたしのことを思い出さなくなったので わたしの生に
結びついていた絆が解けて わたしの眼からみなの姿が消えてしま
ったのだろうか―  

引き返そうとしたが
元の道がみつからない
かすかに見覚えのある建物の階段を登って
ドアをあけると
遠い日に父と泊まった旅先のホテルの一室だった
そこは過去のつまった墓穴であり
そこには埃っぽく皺だらけで貧弱な
けれども 唯一の生きた緑が
亡骸にまといつく髪のように生えていた

その傍のいくつかの穴には多くの知人たちが
住みついていた
そこは残された最後の住処であった

現実が わたしの幻影に追いついてしまったのだ
戦慄と慟哭の思いが深部から突き上げ
わたしの全身を覆ったとき
私はうなだれたまま
死者たちの群にくわわった





一桁の違いで         
大貫裕司

牛は十桁の番号をつけ
飼育舎を出ると競りにかけられ
屠殺場の階段を上がったあとは
バーコードをつけて店頭に並ぶ

十一桁の番号をつけた人間は
国の台帳に記載され
牛と一桁の差だけで
いつでも捕まえることができる
住民票を取る便利さを強調し
個人の情報は漏れない 漏らさない
御上を信用しなさいと言うだけの曖昧さ
この制度の意図は何なのか
このあとには有事法制が控えている

じわじわと
何かが動いて
ひそかに仕組まれる不気味さ
それは
若者を拾い上げる徴兵の復活なのかと

敗戦から半世紀以上過ぎたが
熱い夏の遠景には いまもなお
焦土をさまよう兵士達が
ゆっくりと立上ってくるのだ

※ 一九二一年生 詩集『カーキ色の遠景』他     




叔母への手紙
原田勇男

あなたが育った北国でも
雪解け水の岸辺で草木が芽吹いています
北緯四〇度線上の小さな庭が見えますか
岩手町旧川口村の「働く婦人の家」
あなたの可憐なブロンズ像にも
岩手山から早春の風が降りてきます

広島を襲った一閃の光と爆風
人類史上最悪の殺人兵器が
民衆のいのちを焼き尽くしました
映画の中でしか会うことのない
わたしの親愛なる叔母さんも
原爆で被災した死者たちの一人でした

あなたの芸名は園井恵子
映画『無法松の一生』で
日本人の心の妻を演じた新進女優
広島で被爆し全員が散った
移動劇団「櫻隊」の一員
わたしの母の腹違いの妹でした

また忌まわしい戦争が始まりました
広島、長崎に原爆を投下したあのアメリカが
イラクを理由もなく侵略しています
死傷する子どもたちの破壊された未来
またも繰り返される民衆の犠牲
原爆で女優生命を絶たれた叔母さん
天上から愚かな人類を叱ってください

一人ひとりのいのちを
奪う権利はだれにもないのです
ひととひとが殺し合うことに
どんな意味も理由も存在しない
広島 長崎 アウシュビッツ
この血塗られた地名の悲劇と悪夢を
これ以上繰り返してはならない
同じ過ちを犯してはならない

今わたしたちは選びます
戦争反対の意志を世界に示すことを
死者たちのかけがえのない犠牲に
怒りと鎮魂の祈りをこめて
この比類ない水惑星で生きる
すべてのいのちのために

※ 一九三七年生 詩集『炎の樹』




眼      
宮本勝夫

眼が歩いて行く
街々の路地に 林立するビルの中に
そこには沢山の人たちがいて
家族をもっている
人それぞれのくらしの真中には
子供がいる
日々のくらしの積み重ねの
人生をみつめる
その眼が歩いて行く。

その眼差しは 未来に向かって
光に向かって。

だが いまそこには
その眼を塞ぎ その眼差しを断ち切る
「イラン」フセインの眼が写し出され
「アメリカ」ブッシュの眼が写し出され
ているだけだ。

不正・偽りを見極める眼は
どこにあるというのか。  

 人を殺す武器に囲まれ
 涙の枯れたひとりの少女の眼が  
 浮かぶ。

街も家も破壊され
友の姉妹の血が眼の前で流され
道端にベットリとついた血の流れに
脅え 悲しみに全身を震わせて
耐えている
その少女の眼こそ
真実の眼だ。

『戦争』の一瞬を切り取った切口
その断面にくっきりと刻まれている
黒い縁どりのはっきりとした
一枚の絵のように。

※一九四三年生 詩集『損札』『手についての考察』『光る雨』



おなかがすいた       
仁田昭子

日だまりでりんごをかじっている時
戦争が始まった

光るものが空を飛び 
腹に響く音がしていたが
私は酸味のきいた果実をかじり続けた
食べられる時に食べておかなくては
背骨の奥でささやく声があったのだ

(おなかがすいた)
ぐずる私を母は尖った他人の眼で見た
そんな母を よそのおばさんではないかと思った
二人とも少し壊れていた
私の中で戦争は(おなかがすいた)で始まり
それが今も続いている気がする

りんごを食べ終え テレビを消してからも
私は追いかけられている
黒い大きな瞳の子供の声に
水の入った傷だらけのやかんを下げた少女の声に

(おなかがすいた)
(おなかがすいた)

※ 一九四二年生 詩集『空地』『ミダス王の耳』




揺りかごは揺れて         
荒野きり

早春の陽光が振り注ぐ窓辺、
揺りかごは揺れて、
弟はククッと笑い声をあげた
ピンクのやわらかい頬
よく動くもみじの手には桜貝のような爪が………
部屋の隅でテレビが『開戦』を告げている。

成人したての弟、
結婚三か月、私の手を堅く握って去って行った夫
男たちはみな、いくさに行ってしまった
その手で多くのひとの血を流し
自らも異国の土壌を紅に染めて果てていった男たち
戦火をまぬがれた飴色の揺りかごは空しく揺れつづけて
私の体から赤い血は一月ひとつき虚しく流れ去った

部屋の隅でテレビが映し出す、
暗い上空で稲妻のように光る、あれは何?
閃光の下、瓦礫の下には映し出されること
知らされることのない屍が………
誕生を夢みる胎児、生まれたての赤子
恐怖、飢え、渇き
ささやかに生を願う人々のうめきをのせて
朽ちかけた揺りかごはきしむ
無残に死んでいった人びとの重みに揺りかごは傾ぐ

ツッピイ、ツッピィと小鳥が鳴き、
花の甘い香りが漂う窓辺、
テレビが流す指導者たちの「正義」の叫び声が
虚しく部屋を満たしていく。
知っていたのだ本当は、
かつて「正義」の名のもとに、
男を送り出した女も、
送り出された男も、戦争の不条理を。
いま私は知っている、
揺りかごの中で「平和」という赤子が微笑むには
不断の努力と少なからぬ勇気、いや、
時には生命をかけることさえ必要だと。
「戦争反対」と叫び、そう言える自由をまもろう。
世界中に人と人との絆を育もう、
愛は愛を生み、憎悪は憎悪を呼ぶから。
あまりにも辛い今、微笑んで、揺りかごの赤ちゃん!
(03年米英のイラク武力攻撃に抗議して)

※1946年生。



それでもわたしは        
山本聖子

映像も数字も ますます真実を遠くする
そこで殺しあったひとびとは そのとき
ほんとうに出会えたと言えるのだろうか  
 ひとびとは しかし  
 わたしたちに問いつづける
無名性において 無残さにおいて
いまを照らすひとつの記憶として

だから忘れない あなたが"ノー"とも言えず
武器も取らずに殺されていったことを
だから反芻する あなたが"イエス"と言わず
ただ撃たれなければならなかったことを  

 慣れていく 少しずつ慣れてしまう
それでもわたしは繰り返し語る あなたが
あしたを想って倒れていったことを
それでもわたしは伝えていく あなたが
平和を願いながら死んでいったことを  

 ひとも 少しずつしか変われない
武器を持ったあなたの苦しみには
かならず後悔がつきまとうから
その重さについて 話してほしい
武器を捨てたあなたの痛みには
きっと孤独がのしかかるから
だれかの名前を 呼んでみてほしい

声をかけよう ひとりの悲しみが
ひとつの恨みにかわってしまわないように
見守ろう 幼い少年に怒りが手渡され
不毛の砂漠に身をひそめることがないように
祈りたい 娘たちが理不尽な死に触れ
あたらしい憎しみを孕まないように

そうしてわたしは信じることを誇りにして
しずかにそのときを待つ
そうしてわたしは 決して戦うことなく
いままさに失われつつあるたくさんの
無名の死者のとなりに ひとつの言葉をたずさえて



笑顔の少年
佐藤一志

朝ごはんを食べているとき
イラクの少年が
テレビに映しだされてきた

シャベルで
庭の土を掘って
防空壕を作っているところ
背たけほどの穴の上は
鉄板で覆うのだという

茶碗と箸を持ったまま
瞬きを一回したときに
その画像は消えてしまったけれど
少年は笑っていた

胸に何を秘めていたのか
うれしそうに土を掘りながら
はるかな海を越えて
ぼくが住むこちらにも
少年は笑顔を向けていた

バグダッドに
ミサイルが落とされ
炸裂する前
ぼくは笑顔の少年を見ていた

※1937年生。『桜の木抄』



この世は夢か
高橋喜久晴

この世は夢か幻か
世捨て人らの春泥の日の戯言(たわごと)は
きょうも鬱々 一日をすごすわが身にもふさわしい
されど酔夢さめ
あらためて幻えがくときには
南無あみだぶつ
砲火やみ戦いおわった日
逃げまどい倒れていったおんな子どもに
慈悲のおん手さしのべる
みほとけのなみだ滂沱の曼陀羅をこそ




亡命勧告
戸台耕ニ

優秀なセールスマンは
北極に行っても冷蔵庫を売り込むという
それならば
平和な世界に
必要のない武器を売るのもまた
セールスマンの腕の見せどころなのかもしれない
確かに
作られた商品は売れなくてはならない
商売は需要があって初めて成り立つものだ
あまりにも古いモデルは
売り急がないと価値がますます下がる
火をつけるには
ほんの一滴
油をたらせば済むことだ
需要がなければつくればいい

取るに足りないことから重大なことまで
さまざまな理由が
いまだかつてない事態を招いたと
後世
いろいろと語られるだろうが
石油利権もさることながら
忘れてならないのが
旧式製品の在庫一掃だ
それにもっともらしい理由がつく
いわく
民主主義国家とはいえない
独裁者のもとで民衆が苦しんでいる
少数民族を抑圧している
大量破壊兵器を隠し持っている
だが待ってくれ
この際
はっきりさせよう
票数をまともに数えられない選挙
二大政党以外から選ばれる可能性のまずない大統領
先住民族へのあからさまな差別
人類を殺し尽くしてもなお余りある核兵器の保有
亡命を勧告するのは
ジョージ・W・ブッシュ大統領に対してだということを

※1946年生。詩集『火国民』『烈烈列伝』






光の中の闇
森内 伝

聖戦の祈りが
夜ごとの空爆で意識を迷わし
震えおののく声が
闇の中で憎しみとなり
らんらんとする光が
服従せよとする弾圧が
罪のない影に向って
断ちがたい
人とひとの結びつきを
非道にも引き裂く

ミサイルに破壊された
砂塵の舞いは
振動のリズムを狂わせ
尊ぶべき人間の盾を襲う
誰のためのいくさなのか
武力で命令する者よ
あなたは
物怖じしない気力で
夜の最前線に立って
見えない声の祈りを聞くことができるか

※1937年生。『ひとり旅』





とぎれた歌
野田寿子

テレビをつけた途端
ざわめくフィリッピンのジャングルに向って
二人の女がたたずんでいる
戦い終って四十三年目にやっと氏名がわかったという
元兵士の骨を抱く
初老の妻とその娘である
ここはその夫が 父が 死んだ場所なのだ
やがて二人は歌いだす
<海ゆかば水漬く屍(みづくかばね) 山行かば草むす屍>
歌はそこでプツリととぎれ もう歌わなかった
<大君の辺にこそ死なめ>とは
どうしても歌えなかったのだ

同じジャングルをさまよい
生きて還った大岡昇平は
天皇の名による賞を辞退した
かつて死を強(し)いた人に
今度はもちあげられることを拒否したのだ
だれにも犯されない自分の尊厳を示し
死んだ戦友へのせめてもの鎮魂としたのだが

しかし それも
今 夫が“草むした”ジャングルの中で
妻と娘が歌えなかったという拒否には
遠く及ばない
“自分”など一かけらもなく
強いられた死を死んだ者たちの
はげしい拒否に
届くものはない

※昭和2年生。『そこに何の木を植えるか』『母の耳』





紅葉おろし
暮尾 淳

でかい唐辛子が目の前にぶら下がっている。
ルナールの赤毛の少年みたいに無邪気な顔をして
おいでおいでをする
あかんべをする。
モミジオロシにするぞ
と怒鳴る場面で目は覚めたが
大根と赤唐辛子をすりくずした
紅葉おろしを初めて口にしたのは
Rのない五月。
若葉に囲まれた人工湖のボートを降り
客のまばらな青いペンキのレストランで
牡蠣でワインを飲みながら
おそるおそる彼女の膝に触った時だ。
もちろんしなやかなその細い手は
おれの腕首をきつくつかんだけれど
瓜実顔には紅葉が散り
東にその夜の白鳥座が現れるころ
あれはもみじおろしというものよと教えてくれた。
芥子(からし)すみそ木の芽和えタルタルソースにドミグラス。
それから彼女はぼくの先生。
食事なんてガソリンの代わりさと嘘(うそぶ)いていた人生に
文化の小さな花が咲き
馬のようにはもう走れない。
人はパンのみにて生くるものにあらず。
だが正義づらした
戦争だけはごめんだぜ。
怨みを残した魂魄に気兼ねせず
おれは昼酒しずかに飲んでいたいから。

※1939年生。『ほねくだきうた』



メソポタミア
小笠原茂介

メソポタミア
チグリスとユーフラテス
ふたつの重い美しい流れのあいだ
黒煙が這い
酷(むご)い屍 醜い屍が折り重なり
浮き沈み流れる
岸辺に燃え残った枯れ葦のわずかな緑に
休らぎを求め 
黄の蝶が重い羽を閉じる
黒煙が消え
白雲が遙かな空を
ゆったりと流れていくのはいつの日か




未来
羽田敬二

風 そうではない
死者と鉄粉でいっぱいな
干からびた帝国ではない

風 そうではない
われわれが食べているときに
前科のある冷たい夜が来るというのは

変革者たちがきりとった残像の
ながれゆく涙の配分について
人間が対決するのは
木々の梢の死者どもではない

うしろむきの恋人たちが
小さな旅に立とうというとき
あらゆるバラードで叫ぶのだ

“死者はきみらの身代わりではない”

※大正15年生。『天の秤』『夢書』




人を殺すな
丸山裕子

シュプレヒコールがひびく
NO War!
On Iraq!
最前列でスローガンの紙を両手に持ち
私の横でタンバリンを鳴らし
デモに加わって
いっしょうけんめい歩きつづけている娘
知能指数31の持ち主
知的障害者ともよばれてもいる
その娘が
お母さん なんていっているの? と聞く  
 イラクの人を殺すな  
 戦争反対
どうして戦争反対なの?  
 人を殺し合うからよ  
 あいちゃん 殺されても良いの?
イヤダー!
声をひとつはり上げる
せんそうやめろ!
たばこをやめろ!    









詩と俳句のコラボレーション
黒い瞳の人形に贈る花もなく
吉村侑久代

私のたった一人の友達、黒い瞳の人形さん、
私に代わって答えてよ

母さんはどこ?
父さんはどこ?
お兄さんはどこ?
妹はどこ?
お祖母さんはどこ?
お祖父さんはどこ?
私の友達はどこ?
親切な隣のおばさんはどこ?

どうして知らない人が私に聞くの?
母さんを見失った時のことを
父さんがどのようにして殺されたかを
兄さんと妹がいなくなった場所を
どのように爆弾の降る夜を過ごしたのかを
私が見たすべての光景を

そしてどうして私一人ここにいるのかを
どうして知らない人が私に聞くの?

私のたった一人の友達、黒い瞳の人形さん、
今は贈る花が無いけれど
私に代わって答えてよ
                     人形も瓦礫に混じり黄砂浴び
















「反戦詩集」編集委員会