戦争に反対する詩のページ2





<た>

へんじがない
高明浅太

ひかりと
あなただけが
のこっている
すなのやまと
がれきのやまだけが
のこっている
えんえんと
ひとのけはいがない
みちをつくっている
のうふがいない
くさをひいている
せいねんがいない
いぬをつれている
しょうねんがいない
ねこをだいている
しょうじょがいない
はしりまわる
こえがない
ひかりと
あなが
ふかまっていくばかりで
すなやまと
がれきのやまが
いちめんで

よんでも
へんじがない
※1950年生。




戦争
高階杞一

黒板に
私は愛と書く
先生が教えてくださったとおりに

黒板に
私は夢と書く
先生が教えてくださったとおりに

黒板に
私は友達と書く
先生が教えてくださったとおりに

黒板消しはいらない

爆弾が落ちてきて
それらを一瞬のうちに
消す

※1951年生。『キリンの洗濯』『星に唄おう』



残響
高塚かず子

校庭の隅で雫のように小ぶりの朝顔がひらく
となりの席に座っている
涼しい目の同級生の少年
彼が眉間に力をこめると
水平線が正しく引きなおされる

わたしがうまれるすこし前の夏
この街はたちまち燃えた
八月九日 きのこ雲 十一時二分
親たちは閃光をむしろ語りたがらなかった
治癒できないものをそれぞれにかかえて
生きていくしかなかったから

少年もわたしも瓦礫の残る街で熱心に遊んだ
陽焼けした手足で かくれんぼした
少年は海の色のビー玉を透かして空を見た
どの塀も壊れていて 風が自由に吹き過ぎる
魚のようにすいすい出入りした 私たち
大人たちは路地にうずくまり
七輪で炊事している
生き残ったものは 食べねばならない

夏休みが終わっても 少年は登校しなかった
机の上の牛乳壜に紫苑が挿され 黙祷した
すずしい瞳は 今も私をまっすぐみつめる
水平線が引きなおされると
私のなかの海は 死者たちの囁きでどよもす
戦争はまだ終わっていない
アスファルトの亀裂から無数の手が伸びる
髪の熱い 水を求めるひとたちの
※1946年生。『生きる水』『天の水』



喜屋武岬
高良 勉

(琉球語)
島尻ま―ぢぬ
荒地あきてい
はるさーぬ
鍬跡ぬ  ちゅらさよ
車はらち
喜屋武岬

足元ぬ  海えー
お―る  とーるー
ナウマン象ぬ骨ん
しじどうん でいさ
波えー
ぶり石  あらい
うちけえ―し げえ―し

石ぬ うわ―ぴなかい
黄色ぬ  た―ちんぽ―
まつさ―ら 燈台んかい
ていりけえーする
初太陽ぬ
あけもどろぬ まぶさよ

戦世にながりたる
血潮ぬ 跡なかい
おぅつてん ひるがたる 芝草
ていだがいぬなか
現代彫刻ぬ<平和の塔>

ふいふがちやる 塔ぬまんなか
居して―る  球 てい―ち
うぬ あがた
はて―ね―らん ひるがたる
お―ど―ぬ海 天の南
た―ちんぽ―ぬ 花とう
葉― てぃ―ちなー
うさぎてい
わったーや  うがむん
ううーとお―とう
美童 み日 すういんねー

うらみん・あわりん・ちむむげーいん
てい―ちな―ていちな―  割てい砕ち
胸内ぬ底なかい  しじみ―んどおー
ちやんざちよー

海ぬぐとう
波ぬけえーりぬぐとう
海鳴ぬ  根底んじ
鉄砲がに ひちちみて
うがでい うう―とお―とう
喜屋武岬

(日本語)
赤茶けた
貧士に
農民の
鍬の跡が美しい
車は走る
喜屋武岬

足元の海は
青く透きとおり
ナウマン象の骨
あたため
波は
洗い晒しの岩を
さらに侵している

岩の上に
黄色いつわ蕗の花
白い燈台に
反射する
初日の出の
光が眼に痛い

おびただしく流された
血の跡に
拡がる緑の芝草
ひかりの中
現代彫刻の<平和の塔>

くりぬかれた塔の中心に
一つの 球
その彼方に
果てしなく開かれた
青い海原と空の南

つわ蕗の花と
葉を一本ずつ
ささげて
私たちは祈る
恋人とのくちづけのように

怨み・悲しみ・怒りを
一つ一つ打ち砕き
心の奥深く沈める
喜屋武岬よ

海のように
波のように
海鳴りの根の底で
引き金をいっばいに引き
私たちは祈る
喜屋武岬

※1949年生。『サンパギータ』『絶対零度の近く』


殺された人は何もいわないけれど
滝いく子

 どうして眠ってなんぞいられましょうか
愛する人をいくさに捧げ
懸命にけなげに悲しみに耐え
銃後を守ったその末に
一瞬の閃光に焼き殺されたわたくしの
生命と希望と幸福は
むくわれぬままに今も
宙をさまよっているというのに

どうして安らかになど眠られましょうか
焼けただれ 肉はやぶれ
すべてを失ったことを知るいとまもなく
母を 子を 呼びあう力もつき果てて
瓦礫のなかに黒くとけ
苦しみと うらみは 癒されぬままに
今も地にしみてうめいているというのに
わたくしが どうして 安らかに?

眠ってなんぞいられましょうか
語りきれない苦しみと悲しみは
重なる歳月の底に忘れられ
平和の願いは踏みにじられ黙殺され
核兵器は徐々に配備をひろげながら
ふたたび人間を狙うというとき
死者だとて わたくしが
どうして眠ってなんぞいられましょうか

世界唯一の被爆国の人間が
人類の果てしない痛みを伝え
殺しあいの果ての世界の滅亡をくいとめる
力の核になるために
死者たちも血にまみれてよみがえり
生者たちも傷をさらし長い歳月の苦悩を語り
若者たちが力強く未来と希望を語るとき
この国の人びとが
どうして目覚めないでいられましょうか
どうしてこの国の政府が
聞こえないふりをして
眠ってなんぞいられましょうか

※1934年『今日という日は』『あの夏の日に』


死んだ子ども
・・・ヒロシマにむけて・・・
滝百合子

コウモリの羽ばたく音
ママ
あれは ぼくのたたく音なの

お空にポッカリあいている穴
ママ
あれは ぼくのからだが
散った時の雲の火傷だよ

天皇陛下の祈る声
あれは
ぼくの目覚まし時計
絶対に眠ってはいけないという
掛け声だ

ママ
妹たちがぼくの頭の上で
遊んでいるね
ぼくの目の中から
一本の草が
もうすぐ生えてくるよ

ぼくの目は
とっくにカラカラにかわいてしまったから
ママ
ぼく もう
泣いていないよ
※『My Revolution Square』




家を出て街頭へ
竹内元

その時僕はアメリカ領事館の前にいた
イラクの戦争に反対する詩を書いていた僕は
開戦を止めようと領事館に抗議していた
開戦の第一報を聞いたのはその時だった
不思議と敗北感はなかった
僕らは始まることを止められなかったが
僕らがベトナム戦争を終わらせたように
戦争の世の中を終わらせることはできるはずだ
止めるまでイラクの人々は殺されつづける
だから僕は彼らと共感しようと思う

最愛の夫を妻を失った人々の流す涙
子どもをなくした人々の涙
父を母をなくした子どもたちの流す涙
爆撃と銃撃の下で暮らす貧しい人々
その戦争に加担している国の僕が
彼ら彼女らと共感しうるのか
彼ら彼女らを殺している爆弾や銃弾を
放っているのは僕たちなのだ
でも、だからこそ僕は共感しようと思う

殺されていく人々が無意味に死ぬのでないとしたら
それは僕らの共感だ
殺されていく民衆と共に
戦争の世の中を終わらせるため
だから僕はまた家を出て
アメリカ領事館の前に立ち
街頭デモのなかに立とう

※高見元博<兵庫県精神障害者連絡会>
http://homepage1/nifty.com/takamitousou/



鋼鉄と石                   
田中周健

標的をさだめると
少年は瓦礫の陰で身をかがめ
ばねをつけて思いきり石をなげる
石は二千年を閉じこめ
嘆きの街をかっ切る
なげた者の重量を乗せ
なげられない者の重量も乗せ
カーキ色のメルカバMK3に向かって

はじまったばかりの人生の
前途も退路も断たれ
褐色の少年は絶望をなげつける
はね返されることをしってなげつける
神を信じて
父がしたように
兄がしたように

鋼鉄の中の兵士がうごくものをみとめた
天使オファニムが異教徒へひそやかな微笑を送る
メルカバの古代ヘブライ語 オファニム
その異名は「神の車輪」
栄光の名をいただく最新鋭戦車はゆっくり向きを変える
 と
ふたたび投石した少年の
バレエダンサーのように伸びきった肢体を
メルカバの照準器十字フォーカスがとらえる  
※1951年生。


アメリカ3
趙南哲

ハイテク技術で たまたま
ジヤイアントになったベイビ―が
ハイハイするたびに
人間や自動車は圧しつぶされ
高層ビルや橋梁や電線は破壊され
生半可な兵器では太刀打ちさえできないのだ

ところが
ママが同じジャイアントになって
オッパイをやると 初めて
ベイビーは安心して眠りについた

母の愛と偉大さを高らかに謳った
映画をつくったハリウッドの国よ
君のママはどこ?
オッパイをくれるママはどこ?

鍛えあげられた筋肉
獰猛に鋭く光る眼
無慈悲にトリガーを引く骨太い指で
「テロリスト」の村にミサイルをぶちこむことも
「敵」を木に吊るし
サバイバルナイフで首を斬り
眼をえぐりとることなど屁とも思わない
毛むくじゃらの大男だって
ママにはからっきし弱いのだ
だって  イタズラすると
真っ赤に腫れあがるほどお尻を叩かれるのだから

ところで
世界最強の
君のママはどこ?
君にオッパイをくれるママはどこ?
※趙南哲(チョ・ナムチョル)1955年生。詩集『樹の部落』『あたたかい水』




だれが裁く
津坂治男

どれだけあるでしょう 人が人を裁く権利が
ブッシユさん 他国を裁く理由が
言論でなくミサイルで 血で(自国の武力で)・・・・・・
相手は絶対こちらに反撃出来ない
そんな地球の反対側に何十万で押しかけて
自由を与えるため?散々壊した上で
1〇〇%の支持ってこの世にあり得るでしょうか
小泉さん ブッシュの言い分を 生まれも育ちも違う
  理解するが支持しない 理解はしないが支持する
  理解も支持もしない  ノーコメント・・・・・
そんな選択肢がいっばいあるなかで
あえて 理解し支持する の全面協力
(さっきまで国際協調と言っていたのは単なるポーズ)
日本人いろいろ ぼくだって十四歳正義の国アメリカに
周囲に爆弾ふり撒かれて となりの家は遺体も四散して
四日後の焼夷弾は 海に逃れた人の上にも浴びせて殺し
でも国が悪かったのだと民主主義に宗旨替えしたけど
その本元ではまだ人種差別がまかり通っていた
そんな無念さは生涯消えない ぼくだけではないはず

一司令官に見えてきます 小泉さん 直立不動で
攻撃されているイラクの非ばかり協調している
かつての現場の陸軍大将――違うのは
異国の大統領に忠誠を誓っている・・・・
(主人の日本国民を無視して いや号令発して)
あなたも実は傀儡? ブッシュさん ネオコンとかいう
一国中心の 石油と兵器と投機その他の複合体の
史上最大の許欺者エンロンとのご縁はどうなりましたか
考え込まずにしゃべるあなたも実は動かされている!
被害者はその雄弁を信じて殺戮を正義と信じる一般市民
もう一つ 命令のまま無表情に兵火を浴びせ
倒れるかどこかに異常を来す 拒否許されぬ兵士たち
(これはイラクもアメリカも 便乗イギリスも同じで)
そして 「不戦の誓い」を繰り返したはずの首相の
「断回とした」決意に引きずられかねない日本人
(いつかメディアにも激越な口調が増え――)

だれが裁くのでしょう 反対派を根こそぎにして
富を一極集中する この恐怖の企みを
(まだ残る日本の経済力も狙われている?!
できるのは あなた 願いを黙殺された庶民
駆り出された兵士 そしてぼく
ブッシュさん・小泉さん  ブッシュ・小泉
すぐ止めたまえ

※1931年生まれ。 詩集『石の歌』 『パラダイス』



危機の弾丸
都月次郎

9・11を忘れたのとあなたは言った。
忘れてはいないがあれはイラクじやない。
テロリストを支援しているのがイラクなのよ。
そんな証拠は何もない。
殴られてもいないのに
あいつは殴るかも知れない
それが危機だから
先に殴ってしまうのを 誰も正当防衛とか
自衛とは呼びはしない。

いちばんはじめに
イラクに大量の武器
細菌兵器を売ったのは誰?
アルカイダに武器を与え
ビンラディンに戦闘を教えたのは誰?
あなたの自由の国ではなかったか。

自分だけが唯一の正義だと
思っている男の命令で
あなたの息子が走りだす。
彼の銃はイラク人を殺すだろう
イラク兵もまた
あなたの息子の額に
照準を合わせている。

冷たくなった二人の兵士のからだから
兄弟のような弾丸がきっと見つかるはずだ。

※一九四八年生まれ。 詩集『タバコ屋のかどで』 『次郎ぶし」』







「わたしはキリストの流した血の一滴」
トオジョオミホ

わたしはキリストの流した血の一滴(いってき)
地上に流された女の涙すべてです
塩からい水は 
どこへ?
それはみな
、、、海へ 
よせて返し 
よせて返す
波のうねり
血の味の水よ
それはどこへ
それはみな
、、、どこへ?  

わたしの血管にも
それは注がれ
鼓動とともに
めぐり
めぐって
この愛は
海塩より辛い

海が空を映すように
この血も空を映す
あおい
あおい
かがやきを 照らす



そのまま
田中郁子

ねんねこの中から見た雨
ねんねこの中から指さした雨
柿の葉のすき間から見た空
小鳥がたわむれに
チクッとくわえて飛んだ空

ゴオーッと音がして
いきなり消える空
超低空を猛スピードで
ジュラルミンの不気味な鳥影が
中国山間の稜線を旋回する
小鳥が飛べなくなった空に
キカラスウリのほそい蔓がとどこうとする
背に茂らせた葉をふるわせ
キカラスウリはキカラスウリの
まるい実を実らせたいのだ

つかの間 小鳥がたわむれる空に
からみついてしまうと
あおい実は黄に熟れる
落ちるでも腐るでもない
いつか そのまま

いつまでもそのまま
ねんねこの中に雨が降る

※1937年生。『桑の実の記憶』『晩秋の食卓』



<な>

木洩れ陽
中正敏

失わなかったものが

あるだろうか

ささやかな日々

ささやかな木洩れ陽

いのちの

影絵の

時の揺り椅子

※1915年生。詩集『秒針』





Oの墓の傍(そば)で
那珂太郎

今生の 空は紺青

この丘の上から見おろせば
はるかに遠く玄海の海は
うつすらうるむ他生のやう
手前に高層のガラスの波波がきらめき
点点とパセリほどの森のみどり
(瀬戸の鳩のすがたは見えず)
向こうに浮ぶのは能古(のこ)―どの世の残(のこ)の島?
半世紀―いや七十年の<時間>は
いまここから一望のもとに見渡される

Oよ この墓石の下に
あなたの魂ははたして在るのか
あのいくさの虜囚のボルネオから帰還したあなたは
北は福島から南は鹿児島まで
(隠遁した後も和歌山から愛媛まで)
半世紀にわたって二十数箇所を転転としたが
十一年前にここに埋められ 以後動くことがない
一九九一年七月 あなたは自分の<死亡通知>を書いた
<九十一年某月某日、享年七十二.九〇年十二月スイ臓ガ
 ン手術、九十一年二月肺ガン手術、以後衰弱。自己ギマ
 ンナキ認識者タラントココロザシテ隠遁セシモ(二十年間)
 中途半端ニ終ル。葬儀ハ行ハズ、墓モナシ。>
二箇月後の九月十八日 予告通りあなたは絶命した
あなたは拒否したがあなたの縁者は ここに墓を立てた
(あなたのためでなくあとに残された者のために?)
ボルネオで罹ったマラリアは完治したけれど
いくさで蒙った目に見えぬ傷は癒ゆることなく
その傷口を舐めるだけのために
持ちこたへたあなたの半世紀 その
長い長い<時間>はいま一望のもとに見渡される

Oよ あなたの魂はほんとうに<無>に帰したのか
今生と他生の境目は
空と海との境目のやうに曖昧に靄つているが
<全身黄変し骨と皮だけに痩せ細り
 眼鏡をはづしたままじつと宙をにらんで
 痛みをこらへている>
あなたの姿がまざまざと見える

※1922年生。『空我山房日乗其他』『鎮魂歌』




知られていない木と土の関係
永井ますみ

離れられないと誰にも思われながら
実は
離れたがっていた木と根と土

木は太陽を仰ぎ枝を伸ばし
木は枝葉の立派さを讃えられ
木はうなずき  応えながら
下に向いて暗闇に伸びる根を恥じた

木の根は誰にも見られないまま暗闇に伸びた
ゴツゴツとした岩場や
水浸しの沼にさえ
毛根を伸ばさなければならない場面もあった
土から水と養分を分け与えられたが
それらをやすやすと枝薬のために吸い上げられた

ある日 竜巻に巻き上げられて
森がごっそりむしられた
土が太陽に歓喜したのは束の間
木の根の抜けた土はぼろぼろと崩れ
流れに流され陽に干された

旬日
空中を回遊した木が降ってくる
ずずああぁん  どおおぉん
ずずああぁん  どおおぉん
ゆっくりゆっくり降ってくる

枝葉はどこかへ吹き飛ばされ
根っこもあらかた無くし
太い幹だけが
かろうじて木の面影を残している

ずずああぁん  どおおぉん
ずずああぁん  どおおぉん
乾いた大地になってしまった土の上に
ゆっくりゆっくり
降ってくる
疲れたからだを横たえる安堵の人のように

土はほこりを舞いあげながら
ただ抱きしめる  しかない

※1948年生。『ヨシダさんの夜』『おとぎ創詩、はなさか』



誰ですか
成井透

地雷で指を失った少女
地雷を踏んで片足を失った少年
地雷で片腕を飛ばされた老人
地雷でばらばらにされて死んだ老婆

地雷をつくった人は誰ですか
地雷を埋めた人は誰ですか
地雷で子どもや老人を殺した人は誰ですか
何のために地雷を埋めたのですか
答えてください
わたしです, と答えてください

埋めた地雷を掘り出す人
何千,何万もの地雷を掘り出すために
何千,何万の人がいる
世界中に埋められた地雷を掘り出すのに
何年も,何千年もかかるのに

どうして人間はこれほどまでも愚かなのですか
人を殺して何になるというのだろうか
人を不幸にしてどこが楽しいのですか
地雷をつくった人は誰ですか
地雷を埋めた人は誰ですか
答えてください,何のために

松葉杖で歩いている少年があなたには見えますか

※評論集『日本を考える』『天使の歌声がきこえる』


<は>


Is it good or not? 
芳賀梨花子

私が小さな頃、ママが作ってくれたキャベツいっぱいの
チキンヌードゥルスウプ。それは簡単なインスタントス
ウプでパッケージには英語でテイストグットって書いて
あった。 もう、 ママもそのインスタントスウプも見当た
らないけど、  ママのことを思い出そうすると、どうして
もそれが飲みたくなるの。だから、時々、缶に入ったチ
キンヌードゥルスウプを買ってくる。成分表示が英語で
書かれているやつ。私もママみたいにキャベツを刻んで、
なのに、 その缶を開けると、 悲しくなる。太くてだらし
ないヌードゥルが、黄色い脂肪がまじりあった白いゲル
に包まれていて、まるで、私を抱いた醜い白人男のあの
ペニスみたいで、だぶついたお腹を揺すって探し出した
あのペニスみたいで、私は目を伏せて何も見ないように、
探っている毛深い腕に何も感じないように、 ただ、時が
過ぎていくことを数えていたの。 野蛮なおこないってこ
ういうことなのよね。 本当なら指の動きや心の動きを、
きちんと理解して享受しなくてはいけない。 そういうの
が愛の行為のはずなのに、ねぇ、何もかも諦めてしまう
私は、こういう事態を受け入れている?受け入れていな
い?でも、確実に野蛮なおこないの犠牲になっている人
がいる。ねぇ、間違えは何時から始まったのかな。教え
て、昨日食べたポテトチップス。その成分表示は何ヶ国
語で書かれていると思う?私は知っているわ。世界中に
何人も神様がいることも、 たくさんの言語があることも、
でも、あの人達は知らない。 きっと、ご実家がオイルビ
ジネスだと気苦労が多いのね。かわいそう。ひとつの枠
組みに生きる人達。砂嵐の中で兵士達はスウプを飲んで
いるのかな? 無神経なペニスは、 ただ、しょっぱくって
臭くって、 ママの味を思い出せなくなっちゃうよ。 そん
な世界があっていいと思う?NO!私はママが作ってくれ
たチキンヌードゥルスウプが大好き。大事なのは毎晩の
温かいスウプが飲めるテーブル。美味しいスウプを作る
ためにスーパーマーケットにいく幸せ。 それなのにTVで
ニュウスを見ていたら、あの人達の市場には爆弾だって、
映像は悲惨で放送できないってキャスターは言う、 これ
ではスウプさえ作れませんって、 そういう一言を加える
べきだと私は思うわ。一杯のスウプ、それはもう簡単な
ことなんかじゃない。 あの子達はスウプを飲むことがで
きるの? どんなふうに世界を変えていこうとしている
の? ねぇ、そろそろ、好き嫌いばっかり言ってないで、
ママの味を思い出すべきなのよ。毎晩温かいスウプが飲
める、ありきたりのテーブルを守ることにこそ意義があ
るのよ。そうは思わない?

※ 1960年代に生まれる
[hej+TrueLove] http://rikako.vivian.jp/hej+truelove/

Love&Peace*No War
.PoetryJapan   http://www.poetry.ne.jp/
蘭の会 Web女流詩人の交流と向上を目指すページ
http://www.os.rim.or.jp/~orchid/
芳賀梨花子は戦争に反対しています
http://www.peace2001.org/http://ripplering.oops.jp/nw.htm




かつて存在した“地球”という星の寓話
堀場清子

そこでは人間どもが蔓延っていた
この種族の愚かさときたら
戦争クレージーの一語に尽きた
ガキのうちから
号令一下 隊伍をくみ
木の枝かついで 征った
トテチテタッタ
威風堂々 意気揚々
木銃かついで 征った
国家の栄光 郷党の誉れ
三八銃かついで 征った
マシンガンかついで 征った
バズーカ砲かかえ よたよた 征った
ミサイル率いて 征った 
原水爆も 競争で炸裂させた
空飛ぶ鳥にも 深海を往く魚にも ことごとく
核爆頭を装填した
大地には 星の数ほど原発を散りばめた
地球の外皮に キノコ雲林立し
マッシュルームの鞠となって自転した
そしてある日
全核物質の相乗反応はじまり 戦時に融点を越え
地殻がメルトダウンした
マグマ地表を流れ 火山すべて噴火し
(みやびを極めた恋歌も
 悪妻の余徳あずかって発達した哲学も
 つまりは 雄の率いた文明のいっさいがっさいが)
あらゆる生命・地殻もろともに
溶け 流れ 気化し やがてそれさえ消え失せて
それでようやく 人間の愚かさも
メルトダウンしましたとさ

※1930年生。『じじい百態』『首里』



無理もない
福中都生子

わたしが生まれた日
なつめそうせきも生まれていたなんて
知ったのは もう三十年ほど前のこと
漱石が一八六七年生まれで
一九一六年に亡くなっていたなんて
彼が 慶応三年生まれだったなんて
その そうせきが
明治二十七、八年の日清戦争を知っていたなんて
明治三十七、八年の日露戦争を知っていたなんて
明治三十九年に 堺利彦等が社会党結成の旗上げしたなんて
明治四十二年に 伊藤博文がハルピンで暗殺されたなんて
その翌年に 韓国併合があったなんて
死ぬ前年に 第一次世界大戦が勃発していたなんて
なんにも知らないで生きてきた
なんにも知らないと言うよりも
よく調べもしないで生きてきた
そうせきは 四十九歳で昇天した
織田信長と同いどしだったとは
わたしの夫は五十九歳だった
昭和三年生まれのわたしは
昭和六年 満州事変
昭和十二年支那事変(今は日華事変とか)
昭和十六年大東亜戦争(第二次世界大戦)
終戦とは絶妙な嘘 敗戦の激動期まで私は
ピッカピカに十五年教育された軍国少女だった
今 若い世代は
日清 日露の戦争が 遠い歴史上の記録として
1900年年代のこととして忘れているように
私の戦争の記憶も七十年前にさかのぼる
明治初年は一八六八年のことだから
今 二十代の若者たちが
百年の間に六回も戦争があったことなど
知るゆとりはないだろう
人類史上はじめての原子爆弾が
この民族の頭上に炸裂したことも
あれもひとつの新兵器実験だったってことも
それから あれもひとつの
仕組まれたテロ行動だったのか?
ということも――

※『南大阪』『恋は三十二文字』


幻の夏
平林敏彦

生まれてつかのまに命果てた子の弔いの帰り
たそがれの水にひろがる夕映えの空に
危うくゆらめきながらヘリが旋回している
いまも覚めぎわの夢にあらわれるあの夏の真昼
はかなく焼け落ちた時代の幻影と抱きあって
線路沿いの斜面に立ち枯れていた黒いヒマワリの群落
今年も郊外の住宅地では女たちが薄着になって
それぞれの小さな庭でハープの薫りを楽しんでいるが
テロの血がかわく間もない国の闇はいつ明けるのか
人間が人間であるための光はいつよみがえるのか

※1924年生。『環の光景』『磔刑の夏』



ばっちゃのダダダコ  
武力也

ダダダコダって聞こえてくれば
いても立ってもいられねえ
ダダダコダを胸で聞いて生きてきた
生きるとは働くことよ
働くこの手が踊りも踊る
ダダダコダッって叩いてくれれば
からだ洗って浴衣にかえて 
椿油で髪こしらえて
コスモスの花口さくわえて 
シッタカサッサー ダダダコダ
背中から指ののさきまで空にのばして
どこまでもどこまでも 踊って踊って踊っていけば 
あの人はそこにいる
盆の十五日一年一度 お前が踊れ わしゃ叩く
お前が好きだよ踊れば花だ
無事でくるから待ってろよーー
待っていろよが帰ってこない
ダダダコダ ダダダコダ ダダダコ ダダダコ ダダダコダ
どごまでもどごまでも 踊って踊って踊っていけば
ばっちゃもいつか星になる
ばっちゃもいつか星になる
ダダダコダ ダダダコダ ダダダコ ダダダコ ダダダコダ

※1943年 詩集  『釘を打つ』  『長いはしごを上っていけば 』



<ま>

人間の動物性社会
  真神博

真理のような 夜の闇に
ニュースがはじける

人間の可哀想な現実では
風で木の葉が揺れるのと
地上が爆撃されるのは 同じことだ

すなわち
自然の風を
一般論にもって行って
爆撃する

人間の生というものは
「これが現実である」ことに
気が付いていることだから
心の変なところが破れて
人間的時間から 誰かが
叫びながら脱出して行った
とても尊かった
※一九二〇年生。「ひかるか」、「焼きつくすささげもの」







たましい
牧陽子

妹のおさじが竹林で
つながれた竹の周りをぐるぐる廻り
引き綱に首をしめられて死んでいったとき
わたしは そのたましいが飛ぶのを見た
それがいのちの正体とは知らずに

とらこ母さんが重病のとき
薬が強すぎて
ばたばた狂ったようになったときも
たましいが出ていくのを見た

姉のおこわが大けがをしたとき
まだ痛がっている彼女から
たましいがはやばやと飛び出すのを見た
ああ だめなんだなあ
だれよりも先に 死を感じた

わたしは おたまと呼ばれている
なんにも能力のない臆病者の猫だが
たましいだけはよく見える
わたしが重い病気で
手術を受けたときも
自分のたましいが
体から出ていきそうになったことを
知っている

獣医さんの手術は成功し
わたしは いま元気でいるけれど
たましいを見てしまった
あの恐ろしい寂しさは
心から離れない
たましいをさらわれないように
おびえながら
わたしは いつも密かに
空を見張っている

※この詩は「ねこの詩(うた)・銀の鈴社発行」より使用しました。
 ジュニア・ポエムシリーズ159番。
1926年生。「ねこのうた一集より五集まで」揺籃社発行
      「ねこの詩(うた)」銀の鈴社発行六冊     


ダイナモと香水
松尾 茂夫

サラリーマンになったばかりの
ぼくの初仕事はアフガニスタンヘ
ダイナモと香水を輸出する手続きだった
ダイナモはメーカー品だったが
香水は(東京の夜〉という無印良品(プライベートブランド)で
お好み次第で〈ニューヨークの朝)にもできた

インポイスやパッキングリストや
原産地証明書やアンチ・イスラエル証明書を
うすい航空便用箋にカーボン紙を何枚もかさねて
アンダーウッド製タイプライターのキーをつよく弾いた
だからオリジナルの用紙はところどころ
aやoのかたちに破けていた

あのとき届いたダイナモを使って作業した男たち
着飾った衣装に〈東京の夜)をふりかけた女たち
四十年あまり経ったいま
どれくらい生き残っているだろう
映像のなかの
裸足で走っている子どもたち
片足で眺ねている子どもたち
彼らの ぼくの孫たちだ

〈建築しプチ壊し建築し
煤煙の下で埃いっぱいの口で
白い歯をむき出して笑っている)アメリカ
今度は地雷を敷きつめた荒野や廃墟に
過剰在庫の爆弾を空から撒き散らし
おまけに食料まで投げ落とす傲慢

かつて瓦礫の町で
ぼくはヤンキーと叫んで礫を投げ
おなじ手でガムやチョコレートをもらった
あの屈辱の甘さは忘れない
いま空缶でパラボラアンテナをつくっている
アフガンの子どもたち
屈辱も腹の足しにして
ぼくの齢まで生きるだろうか
*サンドバーグ「シカゴ」の一節








ぼくは死んでいく
松尾静明

ぼくには ぼくを見たこともない
君が見える
ぼくには ぼくのことを考えたこともない
君が見える
そして その君といったら
ぼくが 最も欲しかった
なんでもない暮らしを
つまらなそうに生きる

君が見たこともない土地で
君が考えたこともない土地で
ぼくには 君が見える
つまらなそうに 着て 食べて
つまらなそうに おもしろい詩を読む
ぼくには 君が見える
ぼくには 君の国が見える

※1940年生。『丘』『都会の畑』



父の瞳に
眞野 洋子

夕食の途中で
あるいは
終わりに
時々思い出したように
父がつぶやく
「死ぬまでに一度は兄さんの亡くなった地を  
踏みしめてみたいものだ」 と。

父の弟が跡を取っているから
わたしの家には
伯父の遺影も位はいもない
ただ
戦争のドキュメンタリーとなると
目にかど入れて食い入るようにみつめる父を
いぶかしがるわたしに
母が
もうひとりの伯父の存在を
話してくれただけだ

そう言えば
父が伯父のことを悪く言うのを聞いたことがない
そればかりか穏やかなとてもいい顔になる
孫を見る時のメロメロの笑顔でもない

亡き兄(伯父)との少年・青年時代の
思い出のひとつひとつが
頭をよぎるのか

日々からだを削るような農作業に追われ
終始苛々したような父の表情を
一瞬にして変えてしまうことのできる
そのひとは
どんなひとだったのだろう
どんな顔立ちの
いつもどんなことを考えていたひとなのだろう
将来を誓い合った女性はいたのだろうか
そんな取りとめのないことを考えながら
ふと箸をとめ
はすかいに
父の顔をみつめてしまうことがある

どこか遠くをみるような父の瞳を

※1956年生まれ。詩集「わたしを救ってくれた町」。詩集「マイナス志向」       





美 異 亜   

夢をみました
多くのものが暗い岩の中で暮らし
そこには昔の栄光をかたる
携帯テレビが人々と過去と今をつなぎ
鋭かった映像も
今では懐かしい日々の玩具

夢をみました
岩間から周りをみわたせるほどの
小さな光が入りこみ
私は一本の縄によじ登っているのです
下には理性や知恵、恥ということばの
残存はなく 神話のごとく
うっすらと心に残る
やわらかい時代

夢をみました
晴れた陽射しのなか
今日あの首都に何台もの戦車がはいり
銃を片手に勝利を服従させる人たち
そこには崩れはてた建物、もとに戻れない壊れた大地
なくなった人々への思いが山となってあり
心を失った人々の下げた頭が
戦争の終をつげていた

どれだけ泣けば気が済むのですか
どれだけ声をあげれば聞こえるのですか
どれだけ絶望を感じたらやめてくれますか
どれだけ私の無力感を刻めば分ってくれますか
どれだけ私が死ねばあなたがたは満足なのですか

夢をみました
それはきっと、こわい夢の中の夢

夢をみました






黄砂
水尾佳樹

約束を守って、
今年も、桜が咲いた。
公園の遊歩道から見あげると、
空が靄にかすんだ浅葱色に見える。
黄砂の季節も来ているのだ。

「中国やモンゴルからではなく」と、
今朝のラジオ、
「中東の激しい砂嵐で舞った可能性も……」
アナウンサーは抑揚なく読み上げていた。

花吹ふぶき舞う公園から
砂塵の吹き荒れる夕暮れが見えてくる。
桜の大樹の根もとから、
髪を風になびかせて
ひとり、またひとりと、
こどもが 起きあがる。
それ以上はない微笑みを
互いに交わしながら。

わたしへと
振り向かないで、
イスラームのつぶらな瞳たちよ
日本の娘、息子たちよ。
まだ、この世界の大人たちは、
あなたたちと並んで、
美しい花の枝を指さし、
その彼方 
羽ばたいていく群青の空を
語れないでいるのだ。

※ 『POCOM 水尾佳樹』 http://www5d.biglobe.ne.jp/~pocom/



平和への希求
2003 3 17
望月和


本当に全ての人が
同じ価値を持った人間として
扱われているとしたら
争いなんて起こらないはず

私達は教えられた
争ってはいけないと
なのに 何故

あの地で暮らす人々が何をした
犠牲という言葉で
片付けてはならない

大切な人を失う悲しみは
皆 等しくある

止めることが勇気
争わないことが勇気
平和への希求は
何よりも大きな力になるだろう

※ eiji.m@d9.dion.ne.jp



百日草の揺れる庭
望月苑巳

少女の背の高さで
庭の隅に百日草が咲いていた。
一人でままごと遊びをしていた少女は
白、紫、紅の乱れた姿に気がついて
その前に佇み、ただ見つめている
さらにその少女の後ろでは
かつて勇敢な兵士でもあつた父親が
目を細めてそんな抒情景をいとおしんでいる
少女の渾名はりトルピースだ。

こあどけない微笑を、ネガのように反転させるものは
雲の翳りだけだろうか
しかし、百日草も雲も
この庭にあるすべてのいのち
小さきミミズから、
真夏になれば人を石に焼き付けるほどの熱暑から
守ってくれる楠の大樹までが
のびのびと空を見上げられるのは
昼は陽光の産卵でいっばい
夜は星屑の舞踏会でいっばい
空から降ってくる狂気など
あるはずが無いと信じているからにほかならならない。

かつてあった異国での戦の傷跡を
隠すように父親が植えた花だとは誰も知らない
いまあるいのちの時間
かつてその青年は戦地で何を見たか
戦地にも百日草は咲いていたか
それとも「空に咲く、一輪の花の幻」*を見て
戦慄のさまを世界中に伝えたか
それとも口を閉じ、目を閉じて貝となったか
いや、父親は
人は神には決してなれないのだ、という間違いに気付き
青年の鎧を、勇気をもって脱ぎ捨てたのた。

少女が背伸びすると
父親もつられて同じ仕草をして笑った
寿命が長いことからその名がついたという
百日草は少女の可憐な手の中で
いままた平和を無邪気に揺らしている。

*原 民喜の詩から「原爆」を指す
※ 1947年生まれ。 詩集「増殖する、定家」「紙バック入り雪月花」など。




語り継ぐもの
森 京介

東京の空が真っ赤に焼けた
その年離れた妙義山の集団疎開地で
僕の心も真っ赤に焼けた
西の昼間を切り裂いた二つのキノコ雲が
無数の瞳を蒸発させ
一つの大きな戦争が終わりを告げた
そして今僕等は古稀を迎える

戦後というものが
どんなにぴかぴかに輝いて見えた事だろう
解放、自由、平和、平等、豊かさ
過去の愚かさはすべて大人達の物
僕らはこれから創ることの嬉しさに
打ち震えていたものだ
しかし今僕等にその誇りがあるだろうか
軋み音を立てて廻される歴史の廻り舞台の上で
ただうろうろしたり沈黙したり
狡猾な生活者の仮面に隠れたりする
僕等は人間の悪の周期の谷間を
一息入れて平和を消費して来ただけだったのか
僕の国に生まれた「平和憲法」なるものが
インフレ紙幣のように軽くなり
鬼子のように邪魔にされ始め
そして世界でもまた愚かしい犯罪が始まった
抑圧と反抗とが空洞の正義を木霊させる
言葉が意味を失いミサイルの唸りとなって
育ちつつあるすべてのものに決別を強いる

世界の番長が中東の番長に殴り込みをかけ
意気揚揚と引き上げてくるのを待ち受けて
葬儀屋の役割を狙う僕の国の顔
まだ息のあるうちに机の下では香典の計算か
僕は僕の国を恥じている
幼い頃大きな戦争を乗り越えて
古稀を迎える今
平和を育てて来たつもりの自分が恥ずかしい
青ざめた時間を振りかえって
僕等は何も変えては来なかったのだ
60年近く虚しいジグザグを繰り返し
幻影の山を登り詰めて来たというのか
後に続く子供等に何をどう語り継ごうというのだ
今日もまた何もなし得ず命が奪われて行く

※1933年生まれ。ネット詩集「Another World」「消えたタイムカプセル」。
HP「PROTEST&PROTECT」他。




<や>



朝、めざめた時に
夢野 華

もし、この世界のどこかで
戦争があれば
愛する人を失って
泣いている人がいるだろう

争うことで生まれるものは
悲しみと怒りと憎しみだけで
そんな感情を抱いたままで
人は幸せにはなれない

どうして傷つけあう道を選ぶのか
この世界は不思議だ
同じ過ちを
何度も繰り返している

朝、めざめた時に
手にした新聞に
戦争の二文字は見たくない
幸せな一日を始めたい
※夢野 華http://homepage3.nifty.com/yumenohana/index.html ★☆



<ら>



この素晴らしき世界
李 美 子

喫茶店にすわる
ルイ・アームストロングが歌っている
  「緑の木々 赤いバラ/僕と君のために咲く
    この素晴らしき世界/青い空 白い雲
   陽はよろこびに輝き 夜は闇でやさしく包む」
じっと男が新聞を読んでいる
なんて苦いコーヒーだろう
アフガニスタンの少年が脳裏に浮かぶ
少年の左眼と両腕を地雷が吹き飛ばした

父に連れられて少年ははるばる日本を訪れた
国会議員たちの前で話すために
少年はうつむき 父は何度も励ます
――しっかり話しなさい 助けてくださいと
   少しでも多くお金が入るのだからね
それから「最後の地雷を爆破する式典」に招かれ
首相だという笑顔の紳士のとなりに並んだ
スイツチが押され
炸裂するあのおそろしい爆音がした 思わず片目をつむり 耳をおさえようとして
失った両腕に激痛が走った
最後の夜 東京タワーから
美しいイルミネーションの街を見た
空襲警報におびえないですむ街
そして故郷の妹と友だちに
早く会いたいと思った

   「こんにちわ握手する/それは愛してると告げること
   赤ん坊は泣いて日毎に育ち/彼らはいつの日か
   僕たちよりもはるかに賢くなるだろう」

曲はおわり 生温いコーヒー
少年のあの漆黒の右眼
おとなたちよりもはるかに賢い

※1943年生。『遥かな土手』
<わ>



あぶらかだぶら
和氣康之

海を飛び立った
黒い鳥が
無月の砂漠をこえ
男がふたり
拳をふりあげ
神の加護を祈る

鳥が落ちると
火柱が立ち
チグリスの神々が
炎上する

リアルタイムの
ライブショウ
くりかえし
くりかえし
映しだされる
「効率」という
テクノロジー

狼たちの
青白い眼が
闇を走り
とびちる悲鳴は
見えない

あぶらかだぶら
あぶらかだぶら
ランプの精よ
どこへいった

※1942年生。詩集『夢夢』



スコット・ワトソン

空襲警報るいるいとして柿あかし

皆でていく山は青さのいよいよ青く

月のあかるさはどこを爆撃していることか






「反戦詩集」編集委員会