=特集=

ー60数年前の鋸岳刃渡りー

(この鋸刃渡り写真は記録として掲載しております、当時も現在も転落者があり死亡事故も起きています。絶対にマネをしないようにしてください。)

愛鷹山鋸岳は昭和初期には娯楽として大変人気があったとの事です。                 写真によるとたくさんの人が鋸のピークに立ち景色を楽しんでいるのがわかります。

 

新幹線工事中の香貫山からの愛鷹山と富士(新幹線工事中当時)

↓60年前の大岳、その背後に富士山が写っています。

以下に現在の写真を加えます、比較してみましょう!

↓この写真とほぼ同じ場所から撮った現在の写真と合成してみます。

●香貫山からの写真は昭和37年、東海道新幹線の高架工事中との事です。新幹線より上側の土地は畑地がほとんどで家並みを見ることはできません。

●大岳、富士山とも稜線がピタリと一致して60年程度では大きな自然の変化はありません

しかし、植林がされておらず山は原生林で埋められています、第一展望台も現在では植林されたヒノキで鋸岳方面が隠れていますが、この写真によると鋸岳もよく見えています。休憩している人達も現在では見通せない方向を眺めているので大変眺望がよかったことが想像できます。

この第一展望台という名前はこの事から当時付けられたようです。植林政策が進められる前の愛鷹山は自然林が多くあまり背が高くなる木が群生していなかったので見通しがきいた場所が多かったようです。

黒岳登山道にある「富士見峠」も現在では植林群により富士山を見ることはできません。

当時の人が愛鷹山を楽しんでいた様子が浮かばれる貴重な写真です。

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