わたしと古典との出会いはおそらく百人一首だと思います。「けふ」を「きょう」と読むと知った時の衝撃たるやすさまじいものがありました。和歌の意味など一つもわからず,それでいて和歌の持つ独特のリズムに不思議と心地よさを感じていました。遠い昔の人々の作品を原文で読んで理解できるのは,日本人の特権だと思います。古典作品に触れるとき,日本人でよかったとつくづく感じます。
取り上げている作品が少なくてごめんなさい。徐々に増やす予定です。
現存する日本最古の和歌集。「葉」は世,代の意味があるという。古今の多くの時代の歌を集め,また万代までも伝われとの祝意をもこめたのではないかと山田孝雄氏は解釈している。全20巻からなるが,成立年代は巻によって異なる。撰者も巻によって異なっていると考えられる。『国歌大観』の番号では4516首となっている。
歌体は長歌約260首,短歌約4170首,旋頭歌(せどうか)約60首,他の形式のものが若干見られる。未詳のものをのぞき,あらゆる階層の約460人の作品が集められている。
率直な表現が多く,賀茂真淵はその作風を「ますらをぶり」と評した。五七調で,短歌は二句切れ,四句切れが多い。歌謡の名残があり,同音・同語の反復による音楽的効果が見られる。枕詞や序詞,長歌では対句表現が多く使われている。
今のところ,このコーナーでとりあげている和歌集はこれだけです。百人一首で古典を知ったのなら,『新古今和歌集』や『古今和歌集』の方が親しみを持ちやすいのかもしれないのですが,どうも技巧に走っていて,きれいすぎてあまり好きにはなれませんでした。『古今集』の季節ごとの配列の美しさは芸術的だと感心するのですが(たとえば「春」のなかでも立春,早春,開花,落花と季節の流れにあわせて歌が順序よく並べられている),素朴でストレートな表現をしている『萬葉集』のほうがわかりやすく,親近感を持てました。「春過ぎて夏来にけらし…」という百人一首にある持統天皇の歌も,『萬葉集』の「春過ぎて夏来るらし…」のほうが好きです。1300年以上前の人々の想いも現代人とあまりかわらないのだとホッとさせられます。大津皇子,大伯皇女を好きになったのも,『萬葉集』がきっかけです。言葉が力を持つという考え(言霊信仰)のせいか,特に長歌には言祝ぎが多く,古人の言葉に対する感性を垣間見られるところも気に入っています。(98/08/15) |
現存する日本最古の古典。本居宣長は「ふることふみ」と訓んでいる。天武天皇が稗田阿礼という舎人に帝紀と旧辞を覚えさせた。元明天皇の勅命で,それを太安万侶が筆録したのが『古事記』である。和銅5年(712年)の成立。上・中・下巻からなる。上巻では天地創造から神々がどのように誕生し,この国に降臨したかを物語る神話が中心となっている。中巻では神武天皇の東征談や小碓命(倭建命)の東征と白鳥伝説など,神と人が混在した物語が描かれている。下巻は仁徳天皇から推古天皇までの話から成り,人の世の物語となっている。同時期に完成した『日本書紀』は日本最初の勅撰の歴史書で,内容も重複しているが,『古事記』はより物語性が強くなっている。
倭建命(ヤマトタケル)の名を知ったのは手塚治虫さんの『火の鳥』でだったと思います。倭建命の話が『古事記』に載っていることに気づいたのは小学生の時。最初の方の神話を夢中になって読みました。伊耶那岐(イザナギ)・伊耶那美(イザナミ)の話がギリシャ神話のオルフェウスの物語と似ていて不思議に思ったのを覚えています。人の世の話がおもしろく読めるようになったのは,中学の終わり頃でした。伊耶那美は『延喜式』の「祝詞」にも描かれているのですが,『古事記』とだいぶ雰囲気が違っていて驚きました。倭建命も『常陸國風土記』に描かれており,こちらもだいぶイメージが違います。『日本書紀』の記述とあわせて読むとさらにおもしろいです。(98/08/15) |
日本の古典で最長の物語。全54巻からなる。ただし,「雲隠」は巻名のみである。「源氏物語」という呼び名は作者が命名したものではない。『紫式部日記』『更級日記』にある「源氏の物語」が本来の呼び名だったと言われている。作者は紫式部だが,これも本名ではない(藤原為時の娘なので,藤式部?)「あはれ」の文学と言われる。
作品は大きく3部に分けられる。1,2部は帝の皇子として生まれたが臣下にくだった光源氏が主人公,3部ではその息子(実の父は源氏ではない)薫大将が主人公となっている。3部は宇治を舞台としているので,「宇治十帖」とも呼ばれる。
「源氏」の名を初めて知ったのは小学生の時。大和和紀さんの『ラブパック』というマンガに光源氏が出てきました。単純なわたしは『ラブパック』=『源氏物語』と解釈してしまい,後に『あさきゆめみし』を読んでショックを受けました。 この物語では貴い身分の人が都から離れ,試練を克服して高い地位を得るという「貴種流離譚」があちこちに見られます。光源氏,明石の姫君,玉鬘などがそれにあたるかと思います。また,この物語にはたくさんの女性が登場します。光源氏がたくさんの女性とつきあうのは,幼少の頃に母を失っており,常に母の面影を追い続けていたからではないかと思っています。その中でわたしが一番好きな女性は雲居の雁です。光源氏のライバル,頭中将の娘で,光源氏との関わりは光源氏の息子の夕霧の妻ということくらいです。光源氏の恋人達は,憧れの対象であっても別世界の人のようで親しみは持ちにくいのですが,雲居の雁は違います。夕霧との恋物語もすてきですが,大人になってからのやきもちやきなところが身近に感じられて好きです。(98/08/15) |
『源氏物語』とあまりかわらない時期に書かれた随筆。作者は清原元輔の娘,清少納言だが本名ではない。美的世界を書きつづっている類聚(るいじゅう)的段,自然について書いている随想的段,体験・見聞したことを書き表した日記・自伝的段の3つに分類される。全体を通して流れているのは『源氏』の「あはれ」に対し,「をかし」の精神と言われる。
『枕草子』で真っ先に思い出すのが「春はあけぼの…」という冒頭部分。中学生の時,第1段を丸暗記させられました…。「春は曙がよい」という言葉に,早起きをして夜が明けるのを待ったこともあります。 秋の夕暮れがよいという考えに,「納言ちゃんの言うこと,わかるわかる。」と賛同していました(本名がわからないので,勝手に納言ちゃんなどと呼んでいました。清原家の少納言だとすると「清少」を取り払ってしまうのはおかしいのですが。)高校では第7段「うへに候ふ御猫は」を読みました。その後学校に迷い込んできた犬を見るとみんなで「おきなまろ」と名前を付けていました。影響されやすい女子高生達でした…。 紫式部は清少納言のことを「偉そうなことを言っているが,未熟な書きぶりだ」と痛烈に批判しています。でも,「好きなものシリーズ」でHPを作っているわたしは,自分の好きなものを書き連ねている清少納言に親近感を持っています。(98/08/15) |
平安末期から鎌倉初期にかけての成立と考えられている。書名の由来は未詳。「花桜折る少将」「このついで」「虫めづる姫君」「よしなしごと」「はいずみ」「逢坂こえぬ権中納言」など,10編からなる短編物語。「逢坂こえぬ権中納言」は天喜3年(1055年)の物語合で小式部という女房が『堤中納言物語』に出てくるのと同じ和歌を詠じていることから,小式部の創作と考えられている。
この物語に出会ったのは中学生の時。「虫めづる姫君」が宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』のイメージにつながっていると知ったからでした。この姫君は,「何事も形を取り繕い,身なりに気を遣ったり,化粧をして真実の姿をごまかすのはよくない」と言って,当時の女性ならだれでもする眉毛を抜いてまゆずみで眉を描いたり,お歯黒をしたりといったことを一切受け付けません。さらに,「変化の様子を見届けたい」と毛虫をかわいがるのです。この世のありとあらゆるものを観察し,その本質を見極め存在価値を見出そうとする姫君。周囲に振り回されることなく自分を確立している彼女はとても魅力的で,憧れます。(98/08/15) |
作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。成立は康平3年(1060年)ごろと考えられている。作者自身の13歳から52歳までを振り返る形で書きつづられている。「さらしな」の名の由来は諸説ある。巻末で「月もいでてやみにくれたる姨捨(をばすて)に何とてこよひ尋ね来つらむ」と詠んでいるのは『古今集』の「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」をふまえていると言われる。夫である橘俊通の任地が信濃(更級)であり,その夫に死なれた自分を「姨捨」としたことからその名を付けたと考えられている。
少女時代に上総(千葉県)で過ごした作者は,京ではやっているという物語を読みたくて仕方がなく,京へのぼる日を夢見ていました。そして,とうとう夢が叶い,京で『源氏物語』に出会います。物語の世界に憧れ,浸り,夢見る。1000年前に自分とよく似た少女がいたことを知った時の感激は言葉では言い表せません。作者の名前がはっきりわからないので,自分で勝手に「『更級日記』の作者だから…さらちゃんって呼ぼう!」などと呼び名をつけていました。(98/08/15) |
作者は未詳。在原氏に近い関係の人であったと考えられている。成立は延喜5年(905年)ごろまでに約50段が作られ,その後100年ほどの間に残りの段が作られたと言われる。書名の由来は狩使本(かりのつかいぼん)で伊勢斎宮の話が冒頭にあったためという説が有力である。平安時代には男が元服して春日の里に狩に行く話ではじまる「初冠本」と,男が伊勢への狩の使いに行き斎宮と会う話ではじまる「狩使本」とがあったようだが,今日は初冠本だけが伝わっている。主人公の「男」の一代記風にまとめられている。歌物語の最初の作品である。
主人公の「男」は在原業平であると考えられています。でも,創作部分もかなりあるようなので,すべてが業平の行動とは言えないようです。業平は父が平城天皇の子・阿保親王,母が桓武天皇の娘・伊都内親王。容姿端麗で風流をたしなむ「みやび男」だったようです。 『伊勢物語』を読むきっかけになったのは,2つの和歌でした。「かきつばた」の五文字を句の上に置いて,旅の心を詠んで見ろ(折り句のこと)と言われ,「から衣着つつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞ思ふ」という歌を作った話や,「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌で,わたしは在原業平の名を知ったのですが,どちらも『伊勢物語』に載っていると言われ,読み始めたのです。業平は確かに風流な人だと思います。「心あまりてことばたらず」と評されるのもうなずけます。(98/09/22) |