「いには」について

1.はじめに
 印旛村に「いには野」という新しい街ができた。「いには野」という名は,街の案内誌や北総開発鉄道の冊子によると,かつて印旛郡が「印波郡(いにはのこおり)」といわれたことから名付けたようだ。読み方は文字の通りではなく「イニワ」となる。
 では,印旛はかつてどのように表記されていたのだろうか。「印波郡」は『萬葉集』に見られるが,これは奈良時代のものである。当時の日本には平仮名が存在せず,表記は万葉仮名という漢字を仮名にあてはめる方法によった。同じ言葉でも複数の表記法があることから,「いには」も他の表記があったのではないかと思われる。また,「いには」が「いんば」となるまでにどのような変遷があったのだろうか。「イニワ」と発音しているが,当時そのような読み方をしていたのだろうか。この点について考察していくことにする。

2.「印旛郡」の表記の変遷
(1)「郡」とは
 「印波郡(いにはのこおり)」の「郡」は,現在「ぐん」と読むが,『萬葉集』が編纂された頃は「こおり」と読んでいた。この表記は大宝律令以降見られるようになり,それ以前は「評(こおり)」とされていた。当時「郡」は国郡里制という地方行政制度の行政区画の一つであった。

(2)古代に見られる印旛郡
 「印波郡」の表記が見られるのは,『萬葉集』巻20・4389番の詞書である。この歌は「天平勝寳七歳乙未の二月に相替りて筑紫に遣はさるる諸国の防人等の歌」で「二月十六日に下総國の防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人の進る歌」と説明されている。「天平勝寳七歳」は西暦755年である。『萬葉集』には以下のように記載されている。

4389 志保不尼乃 幣古祖志良奈美 尓波志久母 於不世他麻保加 於母波幣奈久尓
     右一首印波郡丈部直大麻呂

   潮舟の 舳越そ白波 俄しくも 負ふせたまほか 思はへなくに
     右の一首,印波郡 の丈部直大麻呂


 また,『駿河国正税帳』には天平10年(738年)に「印波郡」として,『常陸風土記』に「下総國印波」として表記されている。
 『和名類聚抄』は承平年間(931〜938年)に成立した百科辞書で『和名抄』とも呼ばれている。この中で印旛は「印幡」と表記され,「イムハ」と読まれている。また,「イナバ」と読んだのではないかとする説もある。

(3)近世に見られる印旛郡
 『天保郷帳』(天保年間は1830〜1840年)によると,「印幡」と表記され「インバ」と読まれている。佐倉藩領であった。

(4)近代に見られる印旛郡
 内務省地理局編『地方行政区画便覧』(1887年)には,現在と同じ「印旛」と表記され,「インバ」と読まれている。

3.発音について
(1)上代語の特徴
 古代には複数の表記が見られるが,その発音はどのようなものであったのだろうか。
 奈良時代に使われていた言語は上代語と呼ばれている。「印波」という表記は上代語を使用している時代に見られているので,その発音も上代語で考える必要があろう。
 上代語は平安時代以降の言語と大きな違いがある。文法上はほとんど変化がないのだが,音韻の変化が顕著である。奈良時代までは上代特殊仮名遣いが存在していた。現在の日本語より多くの音韻があり,『日本書紀』及び『萬葉集』で計87,『古事記』で計88に区別されていた。「キ・ヒ・ミ・ケ・ヘ・メ・コ・ソ・ト・ノ・ヨ・ロ」は2種類の音があり,便宜上,甲類・乙類で分けている。これらは,イ音・エ音・オ音にしか見られないことから,かつて日本語の母音は8種類あったことがわかる。
 また,ハ行の音は平安時代初期には[F]であったことが確実になっている。上代でも[Fa][Fi][Fu][Fe][Fo]であったと考えられているが,[p]であったという説もある。
 平安時代の平仮名・片仮名では「バ」と「ハ」のように濁音と清音をかき分けるということがほとんどなされなかったが,上代語では万葉仮名で厳密にかき分けられていることも特徴となっている。
 語頭以外のハ行音がワ行音に変化することを「ハ行転呼」という。この現象は平安時代初期に「ウルハシ」が「ウルワシ」になった例が多く見られるようなり,11世紀初頭に他のハ行音にも及んだと考えられている。しかし,奈良時代の文献でハ行転呼が起こっている例はほとんど見られない。「ワ」と発音するものは「和」「倭」「輪」など,「ハ」と発音するものは「波」「播」「羽」などと,万葉仮名で明確に区別されている。

(2)「印波」の発音
  まず「印」であるが,その用例は『古事記』『萬葉集』『常陸風土記』『播磨風土記』『続日本紀』に見られる。「イ」「イナ」と読むことが多い。上代では「ン」という音韻は存在していない。『古事記』に出てくる用例では「イニ」と読んでいる。『萬葉集』『日本書紀』では「因」を「イナ」と発音する場合が多い。
 次に「波」であるが,上代の資料のほとんどで使用されており,「ハ」と発音している。「波」を「バ」や「ワ」と発音することはないようである。
 これらのことから,「印波」は奈良時代には「イニハ」([iniFa])もしくは「イナハ」([inaFa])と読まれていたのではないかと考えられる。平安時代に書かれた『和名抄』で「印幡」が「イムハ」となっているが,この頃は「印」を[in]と発音していたので,実際の発音は「インハ」([inFa])だったのではないかと思われる。そうすると,「イナハ」から「インハ」に転じたとは考えにくい。「イニハ」ならば,[iniFa]→[inFa]→[inba]と転じやすい。したがって,「印波」は「イニハ」([iniFa])と当時発音していたのではないかと思われる。
 「いには」を「イニワ」と読むことについてだが,以上のことからその表記が見られる奈良時代ではそれはありえないであろう。その後,平安時代に入ってからも「イムハ」を「インバ」([inba])と濁音で発音するようになっていたかもしれないが,ハ行転呼により「インワ」と発音することはなかったのではないだろうか。[m][n][t]の音の次にアヤワ行の音が来た場合,それらの音がマナタ行の音に変化する現象が平安末期から室町時代末期までさかんに行われたが,「インワ」となっていた場合この現象が起きている可能性が高く,「インワ」([inwa])が「インナ」([inna])となっているはずである。こうしたことから,「いには」の「は」が「わ」と読まれることはなかったとのではないかと考えられる。

4.終わりに
 この地域を表し,普段から身近に感じている「印旛」という地名だが,変遷を重ねつつも,古く万葉の時代から存在しているということに歴史のおもしろさを感じさせられた。調べる過程で『和名抄』『常陸風土記』等,資料に直接当たれなかったので,論拠としては弱いレポートになってしまった点が悔やまれる。特に『和名抄』には地名の語源等も載っていた可能性があるので,後ほど本文を読んでおきたい。また,地名には興味深い名称がたくさんあるので,その由来についても調べていけたらと思う。

参考文献
『萬葉集 本文篇』佐竹昭広 木下正俊 小島憲之共著 塙書房
『萬葉集 訳文篇』佐竹昭広 木下正俊 小島憲之共著 塙書房
『新版 角川日本史辞典』朝尾直弘 宇野俊一 田中琢編 角川書店
『古語大辞典』中田祝夫 和田利政 北原保雄編 小学館
『時代別国語大辞典 上代編』上代語辞典編修委員会(代表 澤瀉久孝) 三省堂
『日本歴史地名事典』吉田茂樹 新人物往来社
『市町村名語源辞典』溝手理太郎 東京堂出版

(00/08/27)


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