3/12 〜こぼれた涙は戻らない〜

 

……気づいていた。だから、言えなかった……

 

「トラップー! 猪鹿亭行くよー!!」
 わたしは部屋のドアを叩きながら呼んだ。……返事が、ない。
「トラップ? 入るよー」
 ひょっとしたら寝てるのかも。そう思いながら、わたしは一応断っておいてドアを開けた。

 わたしの予想は外れていた。トラップは部屋にある机に向かって、何かを書いているところだった。でも、トラップがそんなことしてるなんて珍しー。
「なーにやってるの?」
「うわっ!」
 わたしがのぞきこむと、トラップは驚いたように大げさに振り向いた。そんなにびっくりすることないでしょうに。

「な、いきなり入ってくるんじゃねーよ」
 トラップが文句を言ってくる。わたしは軽く頬を膨らませた。
「何言ってるのよ。わたしは何度も呼んだじゃない。今入ってくるときだって、ちゃんと断りましたからねー」
「……聞こえなかった」
 トラップは憮然とした表情でそれだけ言った。聞こえなかったなんて……よっぽど何かに熱中してたのかな。

「ねえねえ、何やってたの?」
 わたしは机の上をのぞきこんだ。
「あっばか!」
 トラップはあわてて隠そうとする。でも遅かったもんねー。わたしはしっかりと見てしまった。
「マリーナ宛の手紙? なになに、どうしたの?」
 机の上にあったのは、マリーナに宛てられた手紙だった。さすがに内容までは読めなかったけど、トラップがマリーナに手紙を書いた、ってだけで断然興味がわいてくる。
 でも、トラップはますます憮然としたようだった。

「何でもねーよ。たださ、バレンタインデー、マリーナんとこで迎えただろ。あんときあいつにチョコレートもらったからさ、そのお返し送るとこなだけだって。ホワイトデーとかいうのがあるんだろ? ま、義理だって分かってるけどさ」
「ホワイトデー、知ってたんだ」
 ということよりも、トラップがきちんとお返しする、ってことが意外で、わたしはまじまじとトラップを見つめた。……やっぱり、マリーナのことが好きなのかな。

 だって。トラップは全く、何にも言わなかったけれど。
 わたしだってトラップにチョコレートあげたんだよ? それも、義理なんかじゃなかった。ラッピングにも凝った、手作りのチョコレート。しっかりカードも添えた。自分の気持ち、ちゃんと綴った。
 でも、トラップの反応、ぜんっぜんなし! あの日からずーっと、変わらないままだ。
 まあ、確かにあからさまに態度が変わられても嫌だけれど、これだとこっちもどんなふうに接したらいいのか分からなくなってしまう。

 わたしはちょっとだけ悩んだけれど、もうどうにでもなれとできるだけ軽い口調で話し掛けた。
「ねえ、じゃあわたしにもホワイトデーにお返しくれるの?」

 一瞬の沈黙。まずい、失敗したかな? けれどトラップは心底不思議そうな顔をした。
「なんでおめーにお返ししなくちゃなんないわけ? 俺、お前からチョコレートなんてもらってないじゃねーか」

 え……?

 わたしは、頭の中が真っ白になってしまった。どういう……こと!?

「うそ! だって、わたしマリーナと一緒に渡したじゃない」
「ああ? 知らねーよ。もらってねーものはもらってねーんだから」
「だって!」
 口を開いたのだけれど。言葉より先に感情が涙になってあふれてしまった。

「おい、パステル!」
 声を振りきるように、わたしは部屋を飛び出した。自分の部屋に入ってバタンとドアを勢い良く閉める。そしてそのまま、ずるずると座り込んだ。
 どういうことなんだろう? ちゃんと渡したはずなのに。マリーナからもらったことは覚えてて、わたしからはもらってない、って言うなんて。

 マリーナにもらったことがうれしくて、それでその後すぐに渡したわたしのチョコレートのことは忘れちゃったのかな。
 こんなことなら、ちゃんと一人で渡しに行けば良かった。不安だからってマリーナと一緒に行ったから、だから本気だとも思われないで忘れられちゃったのかもしれない。

 ただ、確かなことは……わたしの気持ち、トラップに伝わってなかったんだ……。

 コンコン。
「パステル? どうしたんだ?」
 ドアがノックされた。この声は、クレイだ。
 わたしが少し体をずらすと、ドアが開けられてクレイが入ってきた。床の上に座り込んで泣いているわたしを見て、驚いてクレイも腰をかがめた。
「どうしたんだよ、一体……。大丈夫か?」

 心配そうにわたしを見つめる瞳を見て、わたしはますます泣きたくなってしまって。クレイの胸にすがって泣き出してしまった。
「ちょ、パステル……」 
 クレイはちょっと困ったようにしていたけれど、結局そのまま胸をかしてくれた。髪を撫でてくれる手があたたかくて、わたしの涙はなかなか止まってくれなかった。

 

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