たったひとつの今日に<前編>

 

「パステル、明日の夜、あけとけよ」
「え? 何を?」

 みんな揃っての夕御飯が終わり、それぞれの部屋に戻ろうとしたときだった。いきなり、トラップがわたしの腕をつかんでこう言ったのである。
 わたしはとっさのことでわけが分からず、間抜けな答えを返してしまった。トラップはハァ? と首を傾げ、人差し指をわたしに突きつける。

「あのな、このくそ寒い季節に誰が窓開けろなんて頼むと思う? あけとけって言ったら、おめぇの予定のことに決まってんだろ」
 ああ、そっか。当たり前だよね。トラップにそんなこと言われるなんて思ってなかったから、ついつい的外れなことを言っちゃった。

 ……でも、なんでだろ?明日は別に、特別なことがあるわけじゃないし。

「ねえねえ、何かあるの?」
 わたしは、言うだけ言って部屋に戻ろうとしていたトラップの袖を引っ張り、首を傾げて訊ねた。
 でも、トラップはニッと笑うだけ。それでも懲りずに体を揺らして訊き続けると仕方ない、という顔で短く答えた。

「いいとこに連れてってやるからさ」
「いいところって?」
「ヒミツ」
 わたしの手から袖を抜いて、軽い足取りで行ってしまう。

 わたしは大きく息をついて、軽く頬を膨らませた。
 勝手にそれだけ言って行っちゃうなんて。強引だよなあ。まあ、別に用があるわけじゃないしいいんだけど。

 それより、どこなんだろう? いいところって。
 夜、って言ってたよね。それで、トラップと二人きり!?

 やだ、今更ドキドキしてきた。なんでだろ。何かあるはずなんてないのに……。

 わたしはぶんぶんと首を振った。どうせトラップのことだ。「いいところ」っていってもカジノか何かに決まってる……
 なんとか顔の火照りだけは冷まそうと、冷たい手のひらをあててみた。でも、逆に手のひらが熱を帯びてしまうだけで顔は熱いままだ。
 それを振り切るように、わたしは急いで部屋に戻った。早くしないと、ルーミィの寝相の悪さにベッドが占領されてしまう。そんなことを考えながら、思考をなんとかそらそうとしてみた。

 それでも、部屋に入ってからしばらくしても。

 一度熱くなった顔の火照りと、体中を駆け巡る血が運ぶ興奮は、なかなかさめてくれなかった。

 

<中編>へ / 「迷子」へ / TOPページへ