風の吹く場所 3 -言えなかった言葉-

 

「マリーナ、寝てるのか?」
 クレイの問いに、部屋の入り口に立っていたトラップが無言で中を顎で指し示した。
 抱えていた荷物を置きながらのぞきこむと、ベッドの上に眠るマリーナの姿。当たり前ではある。太陽はまだ昇ったばかり、という早朝なのだから。

 ずっと開けっぱなしになっていたのだろうか、部屋の窓から涼しい風が入り込んで来た。夏とはいえ、この時間の風はわずかに湿り気を帯びており心地よい。
 二人はそっと部屋に入った。何も知らずに眠るマリーナの顔に、ちょっと苦笑する。

「気持ち良さそーに寝てやがる」
「起こすのもかわいそうだな。やっぱり昨日のうちに言っといた方が良かったか」
 クレイは呟いてトラップを見た。トラップは軽く肩をすくめる。
「ま、『行ってきます』くらいは言っときたいけどな」

 ずっと一緒だった、三人。その当たり前が崩れてしまう日が今日だった。二人は今日、エベリンへ向かって出発する。冒険者になるために。
 急な決定で、マリーナには知らせていなかった。いや、知らせていなかったというより、知らせることをためらっていた。その言葉に傷つきながら、それを隠して微笑むマリーナを見るのを少しでも先に延ばしたかったから。
 そしてとうとう、言えずじまいだった。

「最後に一言、言っておくべきだったな」
 寂しげに言ったクレイの頭を、トラップがバシリとはたいた。
「ってー、なにするんだよ」
 クレイの非難に、トラップは呆れた口調で言った。

「『最後に』なんてしんみりした言い方するんじゃねーよ。これじゃ死にに行くようなセリフじゃねーか。俺達はまたこの街に帰ってくるんだぜ。辛気臭せーのはなし! ここに帰ってくりゃ、また会えるんだからよ」
 クレイは軽く瞬きして、それからひとつ頷いた。
「そうだな」

 いつものように、また三人で。これは終わりではないから。お互いに進む道は違うけれど、ここに来ればまた会える。

 薄手のふとんをかけなおしてやりながら、クレイは小さく微笑んだ。と、マリーナがゆっくりを目を開けた。二人の姿がその瞳に映る。が、そのうつろな光は彼らを見止めてはいなかった。まだ完全に目が覚めてはいないようだ。二人は顔を見合わせ、それからのぞきこむようにしてマリーナを見つめた。
 そして言葉をつむぎ出す。

「行ってきます」

 部屋のドアが開く。二人は風に背中を押されるようにそこを後にした。
 マリーナの瞳に風が映った。それを閉じ込めるかのように、彼女は再び目を閉じる。

 

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