「ねぇ〜、マリーナ? 何するつもりなの?」
「いいから、いいから」
わたしが困った顔をして、マリーナに言うと、彼女は笑いながら言った。まるで、わたしのことはお構いなしといった様子だ。
んもー。何考えているんだぁ? マリーナってば。 今、わたしがどういう状況にあるかというと、マリーナに手を引かれながら歩いているのだ。そして、たまに石に躓く。けれど、わたしがそんなことになっても、マリーナは止まってはくれない。
マリーナは他のことに夢中になっているのか、わたしのことをまったく気にしてはくれない。その歩みは、さすが盗賊団で育っただけのことはある。とにかく早いのだ。一見歩いているように見えるけど、歩かされているわたしからすれば、走っているに近い。
しっかし、何に夢中になってんだろう? あのマリーナがわたしのことを気にしていられないほどのこと、よっぽどのことなのだろう……とは思うけど、ね。
「ねぇ、マリーナってば!」
――よっぽどのことなのだろうと思うけど、さすがに疲れてきたので、少し大きな声で言った。
「なっ、なぁに、パステル? どうしたのよ、大きな声出して。何かあったの?」
…………それはこっちのセリフ。
何となく、動揺しているようなマリーナの声を不思議に思いながらも、わたしは自分の意見を言うことにした。だって、このままじゃ、訳も解らないまま、手を引かれて歩く……走るだけなんだもん。
「マリーナ、なんでそんなに急いでいるの?」
「そ、それは……」
「なにか……誰かいるの? 追いかけなきゃいけない人が」
「あぁ……うん。ちょっとね」
「だったら、わたしを放っておけばいいのに」
「だってそんなことしたら、パステル、迷子になっちゃうでしょ?」
「うっ」
マリーナに言われて言葉が詰まった。確かにね。迷わないとは言い切れない。前例はいっぱいあるし……最近もあったしなぁ、迷ったこと。
はぁ……。反論できない自分が悲しい。
「パステル? そういうわけで、見失っちゃうから行くわよ」
「あ、うん」
わたしがひとり考え込んでいると、マリーナが言った。その目はわたしを見ていない。そう、追っている人物を見ているのだ……たぶん。
マリーナは前方を見据えながら、おもむろにわたしの手を取って走り出した。わたしと会話をしていたせいで、間が開いてしまったのだろう。
あまり先程とは変わらない状況のまま、わたしたちは走った。……ううん。さっきより悪くなっているのかも知れない。
太陽が素知らぬ顔で南の空に上がろうとしていた。さすがに、エベリンは暑い。今はまだ、春に入ったばかりだというのに、わたしの故郷ガイナの夏とほぼ同じ気温がある。走っていたおかげで汗をたくさんかいてしまい、気持ち悪いなんてもんじゃない。
――と、突然、マリーナが止まった。
くるりとこちらを向くと、自分の口に、立てた指をひとつあてながら、わたしの手を引っ張って物陰に隠れた。
どうやら、追いついたようだ。
あたりを見渡すと、そこは裏路地のようで、人影は少ない。シーンとしている。そのせいかどうか、分からないけど、マリーナが追っていただろう人物の声が聞こえた。どうやらふたりいるらしい。
「……………………だろ?」
「ああ……………だな」
ドキンッ……。
ドキドキドキッ……。
その声は聞き覚えのある声だった。忘れもしない――トラップの声だ!……とうことは、もうひとりの声は……クレイ?
なんだぁ? なんでマリーナはふたりを追っていたんだぁ?
考えているうちにふと昨日のことを思い出した。――そうだ、わたしは昨日トラップとケンカしたんだっけ。
そうだった……。わたしは昨日、些細なことで、トラップとケンカになった。
――故郷ガイナから、友達が冒険者になりにやって来た。彼女の名前はメア・アレックス・エクスベン。男勝りの彼女は、女の子名のファーストネームより、勇ましかった祖父からもらったというセカンドネームで呼ばれることの方が多い。
まあ、そんな彼女は、女性ファイターになる試験を受けるから、わたしに試験のときのこととか、その後のこととかを教えて欲しいと言ったのだ。わたしもわたしで、彼女と故郷の話をしたかったから、すぐにOKした。そこで彼女の泊まっている宿に泊まり込み、夜明けまで話そうと言うことになった。
ところが、それをみんなに話すと、トラップだけが反対した。
なぜだか分からないんだけどね。ただひとつだけみんなと違うのは、トラップだけアレックスにあったことがないということ。みんなはアレックスに引き会わせたから、彼女のことは知っている。
それが何かあるのかぁ?
結局、夜遅くまで彼女の宿にいて、帰るとトラップが起きていて、わたしを恐い顔で睨んだ。それからは一方的に口を利いてくれない。
まったく、なんだっていうんだろう。わたしが友達に会いに行ったって構わないだろうに。トラップだって、来たら会うんだろうに、ね。
「パステル、行くわよ」
急にマリーナがわたしの手を引いた。
「へ? 行くってどこに?」
わたしは少々間の抜けた声を出した。マリーナは黙って、トラップとクレイを見た。そして、わたしは気がついた。彼女はふたりの前に出ようというのだ。
わたしはあまり気乗りはしなかったけど、マリーナの後について行った。
「あれ〜。なにしてるの? トラップ、クレイ。なんか秘密の相談事?」
物陰から出ると、マリーナが何処かとぼけたような口調でいった。
ちょ、ちょっと、マリーナッ?! 二人を挑発するような言い方しないでよぉっ! マリーナはいいかもしれないけど、わたしは困るんだってば。……クレイはともかく、わたし今、トラップとケンカしてんだからねっ。
「マ、マリーナ? なんで、ここに居るんだ?」
クレイはすこし驚いた顔をした。
んん? なんか、クレイおかしくない……か?
クレイがおかしい……何故、そう思ったかというと、マリーナが声をかけると、トラップは硬直しているのに、クレイはいつもより冷静なのだ。
「だってねぇ。クレイってば険しい顔して、トラップ引っ張って行くもんだから、何かあるのかなって思っちゃったんじゃない。
――ねぇ、パステル?」
急に話を振られた。
わたしに話を振らないでよぉ〜。大体、マリーナが追いかけていた人物がクレイ達だって、今知ったばっかりなんだってば。
「そうなのか、パステル?」
ううっ。マリーナは合わせてね、って顔でこっちを見るし。クレイはクレイでどうなんだ? って眼差しを向けるし……。
ううっ。どうしろっていうのよぉ。
マリーナを睨み付けるように見つめると、マリーナがウインクをしたので、わたしは覚悟を決めた。
「…………うん」
こうなったら、マリーナに付き合ってやる、嘘を突き通してやるってね。
「そうかぁ……オレ、そんなに険しい顔してたのか」
クレイは自分を納得させるように呟いた。クレイが本当に険しい顔をしていたかどうか、わたしには分からない。だって、クレイがトラップを連れていく所なんて見てないもん。
マリーナが見ていたというなら、そうなんだろうけどね。
「――おい、クレイ。オレは帰るぜ。おめぇらの猿芝居、付き合う義理はねーんでな」
唐突に、マリーナとクレイのやりとりを見ていたトラップが、身を翻し、こちらを向かずに言い捨てた。
わたしはトラップに見入ってしまった。
ケンカしていたからトラップのこと、無視してやろうと思ったんだけどね、見たくないものほど良く目に付いてしまうものなんだよね……?
しっかし。猿芝居って……もしかしてわたしのコトォッ? そりゃあね、トラップがわたしとマリーナが隠れていたことに、気づいてないなんて思えない。だからって、猿芝居っていうのもひどいと思わない?
「ま、待ちなさいよ、トラップっ!」
マリーナが慌ててトラップを追った。
「……あんだ、マリーナ。お節介焼くなっていっているだろーがっ! 分かったら、もうやめろよな」
……ゾクッ……。
振り返ったトラップの表情は、見たことのない――ううん、いちどだけなら見たことがあったかもしれない――恐い貌だった。
しばらくわたしはトラップの姿が見えなくなるまで、動けないで呆然と突っ立っていた。
「あいつ、どうしたんだろうな」
どこかのんきなクレイの声が聞こえ、わたしはようやく、硬直が溶けたのだった。けれどもトラップを追いかけることも出来ず、その場に崩れて泣き出してしまった。
別にトラップはわたしに対して怒った訳じゃないはずなのに……。
「パステル……」
マリーナがわたしの肩に手を置いた。
わたしはマリーナにしがみつき、盛大に泣き続けた。わたしの泣き声は百メートル先まで聞こえるすごいものだったと、マリーナから聞かされるのは、それから数日後だった。
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