JR8VSEのAH2R参加記

ANT今年のWorld Wide DX CONTEST(phone)は、JI3ERV安芸氏よりお誘いをいただき、何とか都合もつき、AH2R(Guam Contest Club)から、QRVできましたので、報告致します。

今回の参加者
Name /call(ja)/call(us)
Aki  /JI3ERV  /NH2C  (リーダー)
Kaz  /JG3RPL  /N1BJ
Seo  /JR3RVO  /WX8M
Toshi/JR7OMD  /WI3O
Kazu /JK3GAD  /AL7NC
Kou  /JH7QXJ
Yuki /JH1NBN  /K3ZB
Koln /JP1JFG  /N2IU
Sam  /JR8VSE

参加カテゴリーは、Multi Operator/Multi TXと言う事で、各参加者がそれぞれ荷物を分担し現地へ持ち込みました。私の割り当て荷物は、TX(IC775DXII),AMP(TL922),PC(FMV_NOTE)+細かい物です。アンプの運搬方法を考えましたが、結局キャリングカートに乗せて、現地まで運ぶ事にしました。tubeは、割れる恐れがあるため、はずしリュックに入れて運ぶ事にしました。後の無線機などは、スーツケースに入れて運ぶ事にしました。ホテルは例年通りサンルートです。

航空チケット

今年の秋から、国内航空会社の正規割り引き運賃が大幅に値下げされ、一般に利用されるディスカウントチケットとあまり差がなく、また、乗り継ぎ等のスケジュールも考慮に入れて、ANA(関西−グアム)のとび丸航空券を使う事にしました。「とび丸21」です。

出発当日(10/22)

夕方、車で千歳に向かい、苫小牧側にある安い駐車場に預けました。
荷物は、スーツケース(35kg)、TL922(32kg)、Tube入りのリュックです。アンテナ等長い荷物がないので、まだ楽です。スーツケースを預け、後の荷物を持って機内に入ると、922を丁寧にプチプチで巻いてくるんだせいで、通路を通ろうとした際、両サイドの椅子に引っかかって通る事ができません。「う・・やられた」と思い、自分の席まで持ち上げて運びました。

関西空港に到着し出国手続きを済ませ、一度もお会いした事のないJK3GAD,JH1NBNと何とか合流ができました。
機内に入ると、全席エコノミーですが、ビジネスシートにアサインされていたので、広々として非常に快適でした。隣の席も空いていたので、922も隣の足下に置く事ができました。離陸後当然ながら、すぐにビールを頼み、極楽状態でした。

現地到着(10/23)

JP1JFGグアム空港に到着し、入国審査では、特に引っかからず何事も無く通過できました。ホテルに到着すると、夜中(4時頃)であり、一日早く到着している人は、寝ていました。私もすぐに寝て、少し経つとすぐ朝になり、みなさん起きてきて準備がはじまりました。先発隊による前日の工事により、INVL(160m),CV48x2(80m),AFA40(40m),214C(20m),A415(15m),3eleHB9CV(10m)の工事は完了しており、残ったCD78(80m)他の設営と、パソコンのセットアップ及び無線機、リニアのセッティングで夜まで掛かりました。全体のミーティングを行い、その後各バンドの担当者に別れミーティングとなりました。

私はRPLと15m担当であり、運用スケジュール等を相談しました。今回は、私は初参加で存分に運用しまくる為、おおよそ3:1の時間の割合で交代する事としました。また、日本から持ってきたCTのマニュアルなどもだし、読んでいました。
写真はJP1JFG今野氏です。アンテナ設営中屋内のチームと連絡をとっているところです。

スタート(10/24)

グアムは、GMTと10時間の時間差が有るので、スタートは午前10時です。30分くらい前からバンドのワッチを始め、スタートを迎える準備をしていました。だんだんバンドが賑やかになってきて数分前となり、試験電波のコールを始めました。JFGのカウントダウンによりスタートを迎えました。「CQ CONTEST AH2R」をコールし、スタンバイした直後、サイドのカブリとコールして来る局のパイルで何がなんだか、分からなくなってしまい、全然QSOが進まない状態となってしまいました。

少しQSYしながらも全然進まず、おまけにERVが駆る10mは、狂ったようなペースで進んでおり、あたふたしていました。その後、TALKにより、「Trouble on 15m?」と打たれましたが、「Trouble is VSE」って感じです。少し経つと、だんだん慣れて来て、やっとまともにQSOが進み始めました。スタート時はどうしようかと思いました。スタート後から日中にかけて、日本、アメリカや周りの国が入感しており、そこそこのペースで続ける事ができました。

夕方のヨーロッパ

JG3RPLパイル参加時の評判の悪いヨーロッパですが、夕方だんだん開けてきて、さてさてと思い捌いていましたが、あまり強くなく、みんなS5以下でだんごになっており、また、ピックアップした局以外のかけらも関係ない局がおかまいなしでコールして来て、全く持って収集つかない状態となり、私もだんだん頭に来て、がんがん喚いて捌こうとしていました。それでも、全く変わらなかったので、怒鳴りながら、ピックアップしていました。おかけで、QSOレートがあまりあがらず、悪戦苦闘しました。ヨーロッパのパスの時間が終わり、RPLに交代しました。(RPLの英語の発音は、すばらしいです。横で聞いていても、日本人かなって思うくらいです。)

その後、ERVから「熱くなっては、あきまへーん。あーいう時は、王様になったつもりで、さばかないといけません!」と言われ、なんか急に熱いものが消え、納得してしまいました。
写真は15m運用中のJG3RPL川瀬氏です。

2日目(10/25)

日付が代わり、コンディションもCLOSEし、オペを交代し布団に入り気を失いました。朝気づくとコンディションが開け始めており、意識が正常に戻った状態で交代しランニングを開始した。期待の午前中のアメリカは、思ったよりできませんでした。あまり、ぱっとしないコンディションと感じ、前日同様日本も、そこそこ稼ぎ、夕方のヨーロッパとなりました。たまたま、ERVが運用し捌き始めました。私が聞いた感じでは、かなり熱くなってはいるものの、きちんと捌ききっているところがすばらしい。

3日目(10/26)

コンディションCLOSEから気を失い、朝気がつくとRPLがランニングしており、JFGがsubのヘッドホンをし、椅子に座ったまま気を失っていました。すぐに交代し私がランニングを始めました。

最後のスパートでランニングとマルチ獲得の為、subオペのRPLからの指示により適当な時期にマルチゲットへのパイル参加をしていました。聞いていた人もいたと思いますが、まるで、狂ったようにコールしていました。「outside JA」と言われると、ラッキーと思い、更に喚いていました。時間も10時になり、finishとなりました。

飯&撤収

終了後、食事をとり少し話しをしていたところ、地元のアマチュア無線家のKH2JUが来て雑談となり、正午頃から撤収となりました。屋外の撤収が完了したのが、日没ぎりぎりであり、個人の荷物を荷造り、ホテルオークラに中華料理を食べに行き、帰って来て、クラブの荷物をバケツに入れて終了したのが、日付が変わる少し前でした。
写真はコンテスト終了後、AFA40を撤去中のJR7OMD三河氏です。

4日目(10/27)帰国

少し、睡眠をとり、4時の飛行機で帰国するグループ(RPL,GAD,VSE)は、2時半にホテルを後にし、空港に向かいました。手荷物検査では、「なに、これ?」ってアンプを指さし聞かれた程度で特に問題は無かったのですが、近くの椅子に座っていたお兄さんに黄色の紙を渡され、歩いていると「アンケートです」って言われて捕まり回答していたら、なんと、A4で9枚もあり、うんざりでした。飛行機に乗ると、帰りも、ビジネスシートでしたので、非常に快適でした。さーーーて、離陸したら、たっぷりビールでもと、思っていましたが、離陸する瞬間まで見届けたのですが、直後2時間程度気を失っていました。残念!・・7時に関空に着き特に問題もく入国でき、RPL→そのまま職場に直行,GAD→11時の飛行機でロンドンへ,VSE→9時の飛行機で北海道へと、それぞれ別れました。

☆感想

☆「さすが」と思った事

RPLがアンテナ工事中、屋上にでていた釘を踏み、ツッカケを貫通して足に刺さった後、RVOがおもむろに「ばい菌入るとやっかいやから、この抗生物質飲みな・・・一回一錠、一日三回やで・・・」って言っていた時は、職業がらさすが・・と感じました。

マルチオペレートをすると、自分の足りない部分や、他の人の参考となる所などが見えて大変勉強になります。また、都合がつけば参加したいと思います。

今回の写真集はこちらです

DE JR8VSE


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QRZ RADIO CLUB Last Updated 1998/11/7
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