「遙天は翠」

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   四十八章


 数也はどんな手を使ったのか、立入禁止となった柊家跡を買い戻した。警察と消防が爆発の原因を調べ終える前である。近隣の住宅も被害を被っていたが、文句が来ない。夜半、鉄枠にシートを被せただけの急拵えの目隠しの中に、数也と遥、ベベロがいた。
 ベベロは顔に手を当てて、がっくりと座っている。幾分ふくよかな顔が痩せたようだ。
 遥は先程からずっと震えている。寒いからではない。敏也が側にいないからだ。
 ゴウが起こした爆発前に、既に遥のエネルギーは膨らんでいた。力は被害を最小限に抑える為に使われはしたが、今にも攻撃せんばかりに蓄えられたエネルギーはまだ十分に残っている。遥の力は人間界では強過ぎる。敏也はそれを中和してくれていた。
「……敏さん、向こうにいるんかな。裕太も……裕美も……克己も……」
 遥の呟きを数也が受ける。
「それだが、向こうの空気で呼吸さえクリアすれば、あとは何とかなるはずだ。何、心配いらん、妖魔界で元気に動く山崎くんが見えた。山崎くんが無事なら全員無事だろう」
 遥は震えたまま唇を噛む。
「……遥さん。あんたは行きなさい。どのみちこのままここで待つという訳にはいかんだろう、その様子じゃ」
 遥は脂汗をかいている。限界が近い。
「出来ることなら、ベベロさんも帰った方がいいだろう。俺が匿ってやってもいいが、あんた自身、帰りたかろう」
「……はい」
 ベベロは頷く。
「俺は残って仕事もあるし一緒には行けんが、今から穴を開ける手伝いはしてやる。遥さん、あんたのエネルギーが要る。俺の合図までは我慢してくれ。……そうだ、もし巧くいって向こうに着いたら、一つ確かめてくれ。妖魔界から人間界に、妖魔を売っている奴がいる。多分あんたの子供達を襲った妖魔を送り込んだのと同じ奴だ。俺の仕事の話をしたな。あるエライお方に仕事上のライバルを何とかしてくれと言われたやつだ。その何とかして欲しいと言われているお方も、同じように俺に仕事を頼んだお方を何とかしたいと思っていてな。これが、どうやら妖魔界の売人から妖魔を買っているらしい。下手打つとえらいことになると思うんだが……まあ、それでこの仕事で峻くんが見えたことも……ん?」
 遥は、数也の言葉を聞いておらぬ。身の内のエネルギーにがくがくと震え、体をきつく抱いてブツブツと言っている。
 数也はこりゃいかん、と呟いて、機械の操作を急いだ。避雷針のように、遥のエネルギーを穴が開くであろう一点に誘導してやるのだ。周囲への影響も、最小限に止めねばならぬ。
「……きしょう……って……ぶんなぐってやる……」
 遥はぼろぼろと泣いている。体温が上昇している。流れる側から涙は蒸発していく。
「……きしょ……のやろ……かの……んなと……」
 がくがくと震える。考えるまいとしていた事柄が他の全てを押し退けて、エネルギーが暴れる遥の頭に浮かんでいる。悔しくて苦しくて、自分の体を裂きそうになった。
 克己の部屋で見た映像。
 峻が美人と口付けていた。
「……っ―――……峻のっ」
 数也の準備は間に合ったのか。
 一瞬現れた昼間。爆弾でも落ちたかのような閃光が、鉄枠を覆うシートを突き抜けて辺りに満ちた。



   四十九章


 胸元が明るく光った。
「!」
 ベルは克己を放し、紐を手繰り寄せ、ドレスの下からペンダントを出す。
「何だ?」
 克己が振り向く。ベルの手に、薄い丸いケース。中身はガラスのかけら、いや鏡の破片だ。光は徐々に収まっていく。ベルは難しい顔をした。
「……今のは何なんだ?」
 克己の問いを聞きながら再び小さな谷間にペンダントを仕舞う。
「これは覗きの鏡のかけらだ。昔、黙が前の城を逃げる時に城毎壊して、使えるかけらはこれしかないとメカナが言っていた。面白そうだからねだってもらったんだが……光っただけで何も見えなかったな」
「覗きの鏡?」
「克己、俺を抱えて走れ」
「え?」
「穴まで遠い。俺は走りたくない」
「穴……って」
「多分どこかから何かが来た。見に行くぞ」
「……」
「なんだその顔は。か弱い美人の妹を二百サドンも走らせる気か? 酷い兄だな」
 克己は黙ってベルを抱き上げた。
「うん。それでいい。代金は先払いしておく」
 克己はすっかり乗り物扱いである。克己の頬に口付けて、さあ行け、とベルは命じる。
「……今度やったら振り落とすからな」
「なんだ。マザコンの上にサドか。救えぬな」
 克己はぎっと歯を噛んで、ベルの指す方へ走り出した。



   五十章


 老の屋敷跡の建物からは、何の念波も漏れて来ない。老を連れ出すだけが目的なら山崎と裕太は置いて行くのだが、山崎を人間界へ返す目的もある。峻は山崎と裕太を伴って円筒形の建物に入った。
「んなあ、さっきの見張り、死んだのか?」
 山崎がおそるおそる峻に尋ねる。
「いや。今頃は目を覚ましているはずだ」
「え……まずいんじゃ」
「心配ない。自分が気を失っていたことも気付いてない。俺達のこともな」
「……へえ?」
 峻は入口に立つ見張り兵三人に近寄り、正掌で直接頭に気を撃った。硬直した兵の体を壁に凭れかけ、一見何事もなかったようにして中に入り付近の兵にも同様にする。これだけのことを瞬時に行ったのだ。峻に撃たれた兵は撃たれた瞬間から目が覚めるまでの記憶が抜ける。滞りなく己の任務を遂行していると思い込む。気を失っている極短い間に誰かが発見しない限り、何の問題も起きない。
 彼らはこれを繰り返し、建物を内部へと進んでいた。
 中に入っても、妖魔達の念波を殆ど感じない。建物自体か、妖魔個人個人、あるいは双方に手が施されている。非常に進みにくい。
 峻はちらりと山崎を見た。
「君が一番興奮している。無理もないが、なるべく気を落ち着けろ。この建物の中は多分かなり厄介だ」
「は……はいっ」
 それがいけない固くなるな、と峻は付け足す。
 山崎にしてみれば、ただでさえ非日常、しかも峻の見事な行動を間近に見て、興奮するなという方が無理なのだが。
 裕太は不機嫌な顔をしながらも、為すべきことはわかっていて、峻の邪魔をすることはない。さりげなく山崎を守りながら、峻の後をついて行く。
 その裕太の足が、止まった。
 理由は峻にもわかった。今歩いている廊下は広い廊下に通じている。その廊下をやって来る幾人かの足音。だが理由はそれではない。
「……!」
 足音に向かって峻の横を過ぎ飛び出そうとした裕太を、峻は振り向きざま山崎諸共抱え込む。壁にぴたりと押さえ付け、裕太の口を手で塞ぐ。
「! ! !」
 念波を発したようだが、峻は勿論裕太の念波も封じている。
 山崎の震えが伝わる。峻は山崎の腕をぐっと握った。
 足音と共に、台車の車輪音が近付いて来る。医者のような格好をした妖魔達に囲まれて運ばれて行くのは、呼吸器を取りつけられた、敏也だ。
 峻は静かにやり過ごそうとした。敏也を助けるにしても、今この場ではまずい。せめて敏也を囲む人数が半分に減らねば、ただの一人にも見られずに気を撃ち込むことは難しい。
 敏也を乗せた台車は、峻達の伏せる廊下を僅かに行き過ぎた所で止まった。医者達が止まると、混じって聞こえた別の足音がはっきりとする。峻の知った声が話した。
「ほう、これがチョウラの子の夫か?」
 メカナだ!
 医者達が何やら恭しく奏上する。メカナ程の気が、存在に気付いて初めて感じられる。注意深く探ると、メカナの連れは、二人。
「ヤサ殿、娘より先に夫をお目にかけることになった」
 老もいる。娘、ということは、裕美か。裕美もこの建物内にいる。
 今一人。子供の、硬質な声がした。
「これがか? つまらなそうだな」
(――――)
 峻は声を聞く先に気を感じ取っていた。これは。
 ――自分の子だ。
「……っうあああああっ!」
 裕太が叫んだ。峻の気が一瞬揺らいだ隙に、抑え込まれていた気を爆発させた。
 破裂音と共に空気が潰れ、建物がびりびりと振動する。裕太の放出した気の量に比べて被害が小さいのは、やはりこの建物の特質だろう。それでも悲鳴を上げた妖魔達は、半数以上が頭部から血を流し失神した。彼らの脳自身か取り付けた機械かが、過負荷にやられたらしい。
「なっ、何だ!」
 医者達が叫ぶ中に裕太が飛び出して行く。峻は腕に庇った山崎に動くなと言い置いて、台車に飛び付く裕太の前に出た。裕太に撃たれた気が、峻のシールドで無効化する。
「……黙」
 老が口を開いて瞬く。メカナは峻を見るなり笑い出した。
「ク……フフ、ハハハハハハ、ようこそ、来ると思った通り。紹介しよう、黙。ベル。お前の娘だ」
 メカナの隣で、黒い髪の少女が、じっと峻を見つめている。似ている。違うのは、瞳に見えるその内面ぐらいか。
「……俺の父か?」
 そうだ、とメカナは答える。ベルはニイッ、と楽しそうに笑った。
「面白そうだ。いいな、メカナ」
 いいだろう、だがやらぬぞ、とメカナは笑う。峻の後ろで歯噛みしている裕太を見た。
「それもチョウラの子の息子か。兄か? 妹と似ているな。黙とは似ていない。こっちの人間の子だろう」
「父と妹を返せ!」
 メカナは裕太の言葉を聞いていない。ふと台車の上の敏也を見、手を伸ばし歩み寄る。
「これがチョウラの子がお前を捨てて選んだ男か? いかにも弱そうだ」
「その人に触るな」
 峻の言葉に、メカナは口と目を開いて振り返った。クク、と可笑しそうに喉を鳴らす。
「……これはお笑いだ。黙。お前、妻と夫、両方に惚れているのか」
 ハハハハ、と声を上げる。
「黙、黙。お前はそれで納得したつもりだったのだろう。お笑いだ。お笑いだ!」
 峻は黙って見るだけだ。
「止めんか、メカナ」
 老が窘めるがメカナは笑うのを止めぬ。天を向いて体を揺すり続ける。裕太の気がまた膨らみ始める。今度は峻は止めなかった。
「……どのように生まれようとも子供には罪はない」
 メカナの笑いが止んだ。ゆっくりと、静かに話す峻の顔に視線を戻す。
「だが育つ以上は罪だ。生まれ落ちた瞬間から罪の数は増える」
 メカナは無表情に峻を見つめる。
「お前がいいようにしていい罪人などどこにもいないのと同じ程に確かなことだ」
 峻は静かにメカナを睨む。
「克己はどこだ」
 ニイ、とメカナの顔に笑みが浮かぶ。つい、と峻に寄り、喉を反らす。
「この服はどうだ? お前の為に選んだ」
「克己はどこだ」
 峻は繰り返す。
「お前から口付けろ。すれば教えてやらぬでもない」
「言ったはずだ」
 峻は睨む。
「お前がいいようにしていい罪人などどこにもいないと」
「……今日はよく喋るな」
 メカナは揶揄するように笑う。
「まさか、怒っているのか?」
 峻の顔に手を伸ばし、峻にぴたりと身を寄せ、頬と髪を撫でる。峻はその手に触れ、ぐっと握った。メカナの肩がぴくりと揺れた。
「ああ。怒っている」
 峻の言葉は静かに。低く。
「この人とヨウの家族の暮らしの邪魔をした」
 メカナは離れようとした。だが峻は放さぬ。瞬時に破壊的なエネルギーがメカナに流れ込んだ。
「う……あッ!」
 身を反らし倒れ込んだメカナに医者達が駆け寄った。
「メカナ様!」
 老と山崎を抱えて峻は駆け出す。裕太が力を爆発させ敏也を取り戻す。
 爆風に煽られたベルは暫く床できょろきょろしていたが、メカナを離れ峻を追って走り出した。
 峻の脇で、老が惚(とぼ)けたことを言う。
「久し振りじゃな黙。あんな状態で挨拶も碌に出来んかったが」
「ああ」
「そっちの子は、人間じゃな。ヨウの夫は呼吸に支障を来しとったようじゃが、その子は無事なのかの」
「今のところはな」
 知らぬ言葉で交わされる会話に、山崎は入って行けぬ。それでなくとも、峻に抱えられて移動するスピードに耐えるのに必死だ。
「だが急ぐ。この子を人間界に返したい。穴は建物の中心だな」
「ああ、そうじゃ。それがいいじゃろ」
 峻は疾走する。最早気を抑えることもない。一刻も早く目的地に辿り着くまでだ。かち合う妖魔達を気で吹き飛ばし、峻は足を緩めぬ。
「さっきの子も、ヨウの子か。ヨウの娘がここにおるとメカナは言っておったが」
「父親共々彼が助けるだろう」
「……お前も辛いの」
 峻は暫く黙ったが、次に違うことを言った。
「老に頼みたいことがある。ここを出たら」
「おう、わかっとるわい。国々を纏めるのはわしに任せい。責任持って国主共と話を付ける」
 わしの、責任じゃからな、と老は呟く。ヤサとしての仕事が終わっていなかったのが、老としては血が沸くのか、悔やみなのか。
「メカナめ、最近ちーと好き放題しすぎじゃからのう、あのお転婆め」
「……俺のせいだな」
「何を言うか。ありゃ性格じゃ」
「あ、あのう……」
 会話に置いて行かれるのが気になったのか、山崎が震える声で口を挟んだ。
「克己は……」
 峻が尋ね、老はふむ、と答える。
「チョウラの子の子供については、メカナは娘のことしか言っとらんかったの。まあ、夫のことも後から聞いたし、お前と来た息子も出て来るまでわからんかったのじゃが」
 峻は不意に走るのを止めた。
「どうした?」
 老と山崎を下ろす。峻は振り向き、じっと待った。小さな足音が駆けて来る。やがて見えた姿は、小さな少女。
「……ベル」
 老は呆れたように呼んだ。
「お前、一人で」
 ベルは峻の前で立ち止まり、思い切り見上げてニッと笑った。
「黙。この花は似合うか?」
 黒い髪に、大輪の白華。走って乱れた髪が、ハジャナジの花びらに一筋、二筋。
 峻はベルをじっと見た。屈んで、花に掛かる髪を直してやる。
「……ああ、似合う」
 ベルは得意気に胸を張る。その答を聞く為に、追って来たのか。
 生まれて来ること自体には、何の罪もないのだ。
「……お前の思うように生きろ」
 峻の言葉は唐突で、ベルは目をぱちくりとさせた。
「……知っていたら教えてくれ。俺に似た克己という子供のことだ」
 ベルは一寸考えて、悪戯そうに笑う。
「抱いてくれたら教える」
 峻は眉を寄せ、応えなかった。反応がないことにベルは首を傾げ、「こうだ」と自分から峻に抱き付く。峻の顔は苦く笑う。
「……ベル。俺は子供を抱く権利はないんだ」
「何故だ?」
 一旦顔を上げ、ベルはまた峻の首に顔を埋める。
「気持ちいいのにな」
「ベル、そのへんにせんか。黙は困っとるんじゃ」
「何故困る」
 老に窘められ、ベルは頬を膨らませる。
「何故困る」
 今度は峻に尋く。峻は答えず、ベルの手を首から外した。ベルは不服そうにしていたが、まあいい、と呟いた。
「黙はメカナのだから仕方ない。メカナは俺に克己をくれると言った。ただし俺が克己を捕まえたらだがな。ザラサは挟間に落ちたと言っていた。狭間とはどこだ?」
 峻の血が引く。老が青ざめた。
「狭間じゃと……? それが誠なら」
「……なんだ?」
 ベルと山崎が、啻(ただ)ならぬ気配に惑う。峻は立ち上がった。
「か……克己が、どうかしたんですか?」
「黙? なんだ、怖い顔をして」
 峻はベルに答えぬ。
「……老。とにかく穴へ行く。まず彼を人間界へ返す」
「黙……まさかお前、飛び込む気か」
 止せ、無茶じゃ、と老は言う間に峻に抱えられていた。山崎をも抱え行こうとする峻にベルが叫ぶ。
「待て! 俺も行く! 克己を捕まえる!」
 無視する峻の服を捉え、ぐっと引く。
「思うように生きろと言った、思うようにさせぬ気か?!」
 峻は黙って振り向いた。老が呆れる。
「ほ、メカナの子じゃわい。口が達者じゃ」
「……死んでも助けんぞ」
 それでいい、とベルは頷く。嘘吐きめ、とベルにだか峻にだか、老は呟いた。


 裕太は思い切り念波を壁にぶつける。だが思いの他、この建物は頑丈なのだ。中が覗ける程には壊れるが、素手で叩き壊す方が早いかもしれぬ。意識の戻らぬ敏也を背負って、裕太は裕美を探していた。
(ここにもいない)
 幾つ目かの穴を壁に穿った時、廊下の向こうから新手がやって来た。裕太は舌打ちをして目標に掌をかざす。いきなり背後から腕を掴まれ、裕太はぎょっとした。
『こちらへ』
 敏也を庇いつつ腕を振る。腕を避けて、裕太を掴んだ男は言い募った。
『裕美のお兄さんですね? 裕美がこちらに』
 裕美という名を聞き分けた。裕太は攻撃を止め、相手をじっと見た。彼は自分のこめかみを指し、そこに貼り付いているものと同じものを裕太に指し出す。貼れ、ということなのだろう。
「この研究所の中では、空間移動が使えないので」
 言葉がわかる。
「走ります。来て下さい」
 裕太に背を向け走り出す。裕太は一瞬の躊躇の後、彼の後を追った。


「メカナ様! メカナ様!」
「いい。大事ない」
 爆破現場に後から駆け付けた者達によって、傷付いた研究者達が運ばれて行く。メカナは助け起こそうとする手を拒み、自らの足で立った。少し、ふらつく。
「……久々に痺れたな」
「は?」
「何でもない」
 まるで、男が求愛に答えてくれたかのような笑みを漏らす。心配気に寄っていた救護者は、どこか怯えて身を引いた。
 ぱんぱんと服の埃を払う。黙め、と思う。髪の飾りも傷んでしまった。あの無粋な男は、このドレスも気に入らぬらしい。
「メカナ様!」
 駆けて来るのはザラサだ。
「御無事で!」
 ザラサの方が手痛い傷を負った兵士のようだ。メカナの姿を認め、辛そうな顔をほんの少し緩めた。
「メカナ様が直接お会いになるまで、誰も侵入者に気付かなかったとは……」
 ザラサが睨んだのは、自分か、ここの警備責任者か。
「申し訳ございませぬ」
「いい。
お蔭で面白くなった」
「しかし」
「一つ命じる」
「は!」
「チンを殺せ」
 ザラサが黙り込む。
「お前の息子のチンだ。あれは俺を裏切った。チョウラの子の娘を連れて逃げたのだ。……出来ぬとは言わぬな」
 黙ったまま俯くザラサに、メカナは背を向けた。
「仕事が済むまで俺の前に出ることは許さぬ。良いな」
 ザラサは拳を握り込み、ぎゅっと両の目を瞑る。
「……は……」
 絞り出すような応(いら)えが、ザラサの口から出た。


 見張り兵五人を吹き飛ばし、峻はドアを開けた。中は広い円筒形の空間。この部屋が、人間界に繋がる穴となるのだ。
 峻は山崎を連れて中に入ると、ドアを閉めた。
「……こりゃ黙!」
 老の声は遮られた。山崎は閉じたドアにぱちくりとし、不安げに峻を見た。
「これから君を人間界に帰す」
「え?!」
「操作法など知らんが刺激を与えれば開くだろう。待っていろ、すぐ済む」
「ちょ、一寸待って下さいよ!」
 峻が穴の中心に山崎を引いて行く。山崎は抵抗してその場に踏ん張る。
「俺は克己に会うまでは」
「その前に君が死ぬ可能性がある」
「死……」
 山崎はぞっとしたように黙ったが、すぐに語を強くした。
「じゃあ克己は?! あいつが死なないって言えるんですか?! 俺は克己とこれっきりだなんて、絶対嫌だ!」
 峻は山崎の顔を見た。真剣に、睨み付ける目。
「……克己が大事か?」
 山崎は瞬き、「ああ」と答える。
 気持ちは、何処から湧くのだろう。克己が想われていることが嬉しいのは、奢りだろうか。
「……わかった」
 峻は山崎の手を放した。今閉じたドアを指差す。
「ドアを開ける。出ていろ。もし調子が悪くなったら先生に言え。きっと治してくれる」
「え……」
「克己を待っていてやってくれ。必ず生きて帰す」


 老とベルは閉め出されたのだ。呼んでも叩いても、ドアは開かぬ。峻は答えぬ。
 中の様子は一切知れぬ。老は歯噛みしてドアを眺めた。ベルの様子にぎょっとして隣を見る。気を溜めている。ドアを破壊する気だ。
「止せ、ベル、穴が開いた時に振動を加えれば、何が起こるかわからん、堪(こら)えるんじゃ!」
「いやだ! 俺も行く!」
「えい、聞き分けのない」
 老はベルを抱え込んだ。もしもの時は己の体毎シールドとして、ベルの力を抑え込む。
「えい、放せ、放せじじい!」
「……こりゃまた口の悪い」
 突然、ドアが開いた。
「……何じゃ?」
 老はベルを抱えたまま、暴れ止めたベルと一緒にドアを見守る。ドアは、山崎を吐き出してまたすぐに閉じた。
「……どうしたんじゃ。黙は?」
 山崎は妖魔の言葉がわからぬ。説明をしたようだが、人間の言葉でごにょごにょと言うだけだ。
「お前を人間界へは帰さんかったのか。克己を迎えに行ったのか?」
 克己と聞いて、山崎は語調を強くした。山崎の念波は弱くて、読み取るのも難しい。
 ぱっと光が目を射た。光っているのはベルの胸だ。皆驚いて光る辺りをじっと見る。あっとベルが叫んだ。
「覗きの鏡だ!」
「何じゃと」
 老の手を解いて慌ててベルは胸元からペンダントを出したが、既に鏡は光るのを止めていた。ただ闇色を映すだけである。
「……じじいのせいだ、見られなかった」
「……せめて老と言え」
 ぷうと膨れるベルに弱々しく抗議するが、ベルに聞き入れた様子はない。今度は邪魔するなじじい、と言って、再び気を溜め始める。
「あっこれ、また」
 しかし、今度は老が止める間もなくベルは中断した。ドアが、再び開いたのだ。
「!」
 中には、一人。黒服の男が、部屋の真ん中に立っている。
「お……」
 老は思わず声を漏らした。黙ではない。額に手を当て首を振っていた彼は、それで開いたドアに気付いた。その顔は。
「何と……よく、」
 似て。間違いない。彼が、黙の息子だ。克己。
 山崎はまるで手品でも見るようにあんぐりと口を開いた。
 克己は暫くぼんやりとして、やがて己のいる場所を認識したようだ。
「あ……母さん……」
 克己は呟き、悔しそうな顔をした。
「――克己!!」
 山崎は叫び、部屋の中へと駆け込んだ。
「え……」
 山崎は克己に飛び付き、ぎゅっと抱き締め泣き顔で笑う。
「あはははは!」
「……勝太? え?」
 克己は不思議そうに山崎を見、そしてドアの外の老とベルに気付く。視線を老からベルに移し、目を丸くした。
「……ベル?!」
 呼ばれてベルもぱちくりとする。
「何故名を知っている?」
 ベルが克己に会うのは、これが初めてのはずなのに。
「……そうか。ベルにはこれが最初なんだ。前に会ったって、順番が違うって……そうか、こういう……」
「……克己?」
 克己はわからぬことを言う。山崎、老とベルが困惑しているというのに、一人得心して「は!」と笑った。
 笑うと、良い顔になる。こうして心(しん)から笑えば、きっと黙も良い顔をするに違いないのだ、と老は思う。心からの笑顔を見ぬまま、別れ別れになってしまったのだ。
「克己……じゃな?」
 話しかける。これも、老の孫のようなものだ。
「お前、どうしてここまで来たか、話してくれぬかの」
 老は克己にどう映ったろう。こくりと、真摯な顔で頷いた。
「黙は?」
 ベルが尋ねる。
「お前黙に会わなかったのか?」
 克己は目を見開いた。眉をひそめる。
「父さん?……」



(続く)


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