・四十六章~四十七章・
四十六章
次に目覚めた時には、痛みは引いていた。知らない天井。見知らぬ部屋。自分が寝ている床の手触りは畳だ。
(……そうだ)
記憶に整合性が戻って来る。
ゴウに、やられたのだ。咄嗟にシールドを張ったが、直に体に打ち込まれた。克己のシールドに突っ込んだゴウの腕は、多分ずたずたになったはずである。それで――
ここはどこだ。他の皆は。
夢現に、母さんを呼んだ。誰かがいた。
あれは、誰だったのだ。
自分かと思ったが、自分はここにいる。
はっとする。ドアが開いた。
『――何だ。気が付いたのか』
思わず身を起こした。ドアを入って来たのは、自分。ただし、少し小振りの……
『もう痛まないようだな』
細身で、克己より二十センチ程背は低いだろうか。長い黒髪を首の後ろできつく縛り、肩の前に垂らしている。笑顔の印象が多少華やかだ。ぴったりとした黒いドレスの胸が僅かに膨らんでいる。少女だ。
身を起こして気が付いた。畳の床だと思ったのは、自分が寝ている場所だけで、部屋の床からベッドのように高くなっているところに、黄色い草を編んだものを敷いてあるのだ。上掛けは気付かない程薄い布だった。そして自分も、黒い服を着せられている。
少女はニッと笑い、克己のベッドに腰かけた。
『お前の国の敷物を真似させた。こんな感じだろう?』
笑顔で克己を向いたが、克己が答えないからか、少女の顔からふっと笑みが消えた。
無表情になると、恐ろしく似る。克己に。いや、<彼>に。
この、少女は。
『――そうか。言葉がわからないか』
少女は腰のポケットに手を突っ込んで、バッジのようなものを出した。それを克己の頭に付けようとする。
『大丈夫、痛くない』
身を引いた克己の肩を掴み、少女はバッジを克己のこめかみに貼り付けた。ほんのりと温いのは、少女のぬくもりか。
「――わかるか?」
克己は瞬いた。少女の言葉が意味を為して聞こえる。
「翻訳機というよりは念波の受信機だ。俺の名はベル。俺の名は何だ? 言ってみろ」
「――ベル」
自分のこめかみにも同様にバッジをつけて、少女はそうだ、と笑った。
「以前にも会った。覚えているか?」
念波の受信機だというだけあって、克己の疑念は、すぐにベルに伝わったようだ。
「なんだ。覚えてないのだな。順番が違うの か?……まあいい。ああ――そう一遍に尋くな。順番に答える」
ベルは克己のもっと近くに座り直し、肩を寄せた。
「どうだ? こうしていると双子のようだろう? お前の髪は黒くてきれいだ。俺と同じだ」
「……似ていない」
「嘘をつけ。俺もお前も父似だ」
克己は布の下でぎゅっと拳を握り締める。ベルは面白そうに目を細める。
「フフ、俺はメカナに似たんだそうだ。姿じゃなく、性格がな。お前は多分、全部黙にそっくりだ。姿も、そうして眉をひそめて耐えるところも」
バチッと克己とベルの間の空気が爆(は)ぜた。
「限界が来るといきなり破裂するところも!おい、止めろ、俺はお前の妹だぞ!」
楽しそうにベルは叫び、シールドを張る。克己の放ったエネルギーは部屋を砕き、地響きを伴って屋敷を半壊した。
「あははは! 可哀想な克己、『父は俺の母一筋だ』と口で叫べないばっかりに!」
神経を逆撫でされる。克己は声にならない叫びを上げて、再び力を放出した。
「いいぞ、いいぞ、どんどん壊せ! 向こうでは抑えるしか能がなかったんだろう。いいぞ克己、好きなだけやれ!」
瞬間、忘我の状態にあった。一切の枷を外した瞬間があった。すぐに我に返ったが、気が付くと、己の周りは荒れた地表があるばかり。ベルが傍らで喉を鳴らして笑っているだけである。
「……―――」
青ざめた。見渡す限りの荒野。
「何を驚いている」
ベルが笑いながら身を寄せる。
「すっきりしただろう?」
少なくとも家の中だった。他にも誰かいたのじゃないのか。
「気にするな。ここは俺の遊び場だ。克己が残れば後はいらぬ」
「な……」
「後は雑魚だ」
克己の頭を抱え込んで、ベルは克己に口付けた。
(―――!)
「……っ、兄弟なんじゃないのかっ?!」
振り払われても悪びれる様子はない。ベルはけろっと言ってのける。
「安心しろ。俺はまだ子供だ。孕みたくても孕めぬ。だから今のうち」
「そういう問題じゃないだろ!」
「俺が狭間で死にかけているお前を助けたのだぞ、言うことをきけ!」
「んむ……っ」
再び強引に口付けられる。口の中を舌が這う。背中がぞわりとした。
(……構わぬ。お前の母だと思え)
ベルの念波で正気に戻った。掌に気を込めてベルを打つ。
「あっ!」
頬を押さえ、ベルはぱちくりと克己を見た。克己は震えてベルを睨む。
「……二度目は、殺す!」
睨まれて、ベルは身を捩った。
「……何だ。親切で言ってやったのに」
そんなに良いのか、チョウラの子とやらは。口に出さぬ念波が、微かに届いた。
ベルは溜め息を吐く。
「……あーあ。すっかり元気になってしまったな。治るまでは俺のものという約束だったのに、そうだ、克己、お前また死にかけろ。手なら貸す。メカナに返すのは惜しい」
「……」
背を向けて拒絶を示す。
「あっこら」
歩き出す背中にベルは叫んだ。
「あてもないくせにどこへ行く! 俺といた方が賢明だぞ、お前を欲しがる者は他にもうんといる! 克己! このマザコン! 母に二度と会いたくないのか!」
克己は立ち止まり、拳を振るわせる。ベルはニヤニヤと克己の背に身を寄せ、耳元に囁く。
「な? いつか母に会わせてやる。だから俺といろ」
肩を撫で、後ろから首に抱き付いた。
「それまでは俺のものだ」
俺の克己、と頭に聞こえる。まるで気に入りのおもちゃだ。
帰らねば、と考えた。俺が飽くまでは駄目だ、とベルの声が聞こえた気がした。
四十七章
「メカナはいいな」
メカナが自室の椅子に深く身を預けていると、床にぺたりと座ったベルが、長く垂れたメカナの髪を弄んでこう言った。
「髪がきれいだ。俺の髪は詰まらぬ。ただの闇色だ」
真っ黒なおかっぱの髪を、不服そうにふるふると振る。
「……リラはどうした?」
「腐ったから捨てた」
「……黙の髪は艶々と美しかった。お前の髪は黙と同じだ。とても美しい」
「……そうか?」
「そうだ」
余り喋らぬ赤子だった。さては見た目通り黙似か、と思っていたが、最近よく話すようになった。すると実は中身がメカナにそっくりだとわかった。我が儘な黙を見るようで、それはそれで面白い。
「でもやっぱりメカナはいい。メカナはずっと楽しめるおもちゃを持っている」
黙のことだ。
「今も黙のことを考えていた。メカナはきれいだ。黙で遊んでいるメカナはうんと楽しそうだ。俺も黙が欲しい」
「……ククク」
つい笑いが込み上げる。正直な娘。間違いなく自分の子だ。
ずるい、メカナだけ楽しんでいる、とベルは膨れる。
「ああ、すまぬ。子とは結構愛しいものだな。……なあベル。黙はやれぬが、黙によく似た息子がいる。もしお前が捕まえれば、お前にやらぬでもないぞ」
「……面白いか?」
「おそらく、な。よく似た息子だ」
ベルはぱっと明るい顔をして、意気込み尋ねる。
「どこにいる?!」
「さあなあ」
フフ、とメカナは笑う。ベルはぷうと膨れた。
ドアがノックされる。
「メカナ様、御許可を」
「入れ」
ザラサだ。花だ。両手一杯もある花を、背の低い鉢に生けてある。その鉢を抱えて、ザラサは頭を垂れている。
「ショの国で見付けました。メカナ様が見たいと仰せのハジャナジです」
「……ああ、そんなことを言ったな」
ナジの花にはそれぞれ季節がある。ハジャナジの季節はとうに過ぎている。しかも咲かぬ年もある程の気紛れな大輪の白華である。メカナは、そういえば最近ハジャナジは見ぬな、咲かぬのか、と以前ザラサに尋ねた。それを見たいと解釈したのはザラサである。
「……大儀であった。そこに置け」
「は」
仕事で飛び回る合間に、ザラサは花探しなどしていたのだ。メカナの指した窓辺は、メカナの座る椅子のすぐ側だ。ザラサは窓辺に鉢を置き、姿勢を低くしたまま部屋の出口まで後退る。メカナに礼をし、「いまひとつ」と口をきく。
「なんだ」
「例の穴から、鋼族のゴウがチョウラの子の娘を連れて戻りました」
「娘……?」
「は。その娘が、空間移動の能力者らしいとのこと、研究所にて取り調べ中です」
「……能力者か」
ニ、とメカナが笑う。
「引く手数多だ。人間にも売れる」
「女の能力者だというので、交配を試したいと申す者もおります」
「交配か。娘自体が使えなくなっては困る。よく調べてからにしろ。……息子はどうした」
「不明です。ゴウが申すには、狭間に落ちた、と」
「……」
ザラサは息苦しい程に体を小さくする。メカナが睨んだのだ。
「……ザラサ。この花は失態の言い訳か?」
「とんでもございませぬ!」
頭を上げて真っ直に見る。ザラサの目に偽りはない。だがメカナの不機嫌は治らぬ。
「……もう良い。花も持って行け」
「メカナ様……」
メカナはもうザラサを見てやらぬ。ザラサは俯き、窓辺の鉢に向かって歩き出した。
「俺が一つもらう」
メカナの椅子の下に座っていたベルが立ち上がり、ザラサが持った鉢から花を一つ抜き取った。
「闇色(くろ)い髪にはパオ色(しろ)が映える」
そう言って、ハジャナジの花を耳の上に挿した。
「どうだ?」
顔と同じ程の花を横に並べて、ベルはザラサを向く。
「……お似合いでございます」
「うん」
ザラサは一礼をして、部屋を出た。
「親切だな、ベル」
「花が欲しかっただけだ」
きれいだろう、メカナに負けぬ、とベルはメカナに胸を張る。ちらりと見てメカナは、花は惜しかったかな、と呟いた。
「いっっ……たいわね、放しなさいよっ!」
腕を掴む兵を払おうとするが、裕美の腕力では叶わない。念の力を封じられては、裕美は非力な少女でしかない。
額にペタペタと貼られた機械のせいで、裕美は引き摺られながらもついて行くしかない。ゴウとも離されて、裕美は未知の場所にたった一人だ。
「……もう、痛いってば!」
喚いていなければ、不安で押し潰されそうになる。うちに、帰りたい。
一室に連れて行かれた。ドアの中は、手術室を連想させる。薄緑色の白衣らしきものを着た者達が、冷たい目で裕美を見た。
「ちょ……な、何するつもり……? きゃ」
ひょい、と体を持ち上げられ、台の上に寝かされた。
「い、いや、ちょ、ちょっとお!」
叫ぶ間に体が固定されていく。
「やだ、やだって言ってるでしょ?! 聞きなさいよおーっ!」
刃物が光った。まず切り刻まれたのは裕美の服だ。
「……っ」
涙が溢れた。
「いやー! ママーっ! パパーっ!」
半ば錯乱して叫び続けた。そのせいで、凶行が中断していたことも、誰かに呼びかけられていたことにも、裕美は暫く気付かなかった。
『……り、しっかり、大丈夫、しっかり』
叫ぶのを止めた。涙の溢れる目で声の主を見た。言葉はわからなかったが、裕美を慰めようとしている念波を感じた。
『……ああ、聞こえたね』
生真面目そうな若者が、ほっとしたように裕美を見ていた。服を剥された裕美の体には、どうやらその青年の上着が掛けられている。
青年は白衣の者達を振り向いて、何事かを告げた。すると彼らは部屋を出て行く。青年はまた裕美を見て、裕美の額のバッジを一つ剥した。
「……言葉、わかるかい?」
裕美はこくりと頷いた。青年はにこりと笑う。
「何せ君は人間と妖魔の合いの子だから、彼らが十分警戒するのもわかるんだが、でも怯えさせてしまったね。すまなかった」
青年はぺこりと頭を下げる。
「……ええと」
青年は思い出したように顔を赤らめて、下げた頭を上げずに言った。
「君の服は使えなくなったろうから、その、掛けてある上着を着てくれ。後で服は届けさせる。今、ベルトを外すから」
機械の一つに手を伸ばし、スイッチを切った。裕美の体の戒めが解ける。裕美は台の上に身を起こした。
「……あの」
「あ、ごめん、見ないから、君を一人にする訳にはいかないんだ」
「……違うの。有難う」
「……え」
青年はつい顔を上げて、慌てて横を向く。
裕美はくすりと笑った。
「あたし、さっきすごく怖くて……ほんとに、死んじゃうかと思ったの。助けてくれて、有難う」
「……助けた、訳じゃあ……」
青年は横を見たまま、ばつが悪そうに俯く。
「……君をここから出す訳にはいかない。人間界から来た能力者の少女を見に来て、あんまり怯えているから『待て』を掛けただけなんだ。君はいずれまた同じ目に合う。だから余り感謝しないでくれ」
「……『待て』を出せる程偉い人?」
「僕が? いや」
彼は笑う。
「偉いのは僕が使えている御主人だ。サンの国の国主だからね。……その」
彼は顔を赤らめて背ける。
「国主のお言葉には逆らえないが、さっき言ったことと矛盾するかな、少しは立場を利用出来る。実は、僕も能力者なんだ。空間移動を出来る者は珍しいから、重宝されている。その、それで、君を見に来た訳なんだけど、……あれ。僕は、言っていることが目茶苦茶だね」
「そんなことないわ」
間髪入れぬ裕美の言葉に励まされてか、彼は一人頷いて続けた。
「それで、君を見に来た訳というのは、……その、ここの研究者に協力する訳じゃないんだが、能力者は珍しくて、中でも女性の能力者は稀なんだ。それで、その……能力者同士で交配すれば、能力者が生まれる確率が高いんじゃないかと……僕は白羽の矢を立てられた訳で……で、でも君が嫌なら、振りだけで交配はしないという手もある。君が僕を断れば、他の能力者を宛てがわれるかもしれない。それは、ええと、困るんだ。その……」
彼はもう真っ赤で、俯く顔に手を当てている。
「だから……その……困ったな。どうやら、君を好きになってしまったらしい」
そう言われて、裕美もかあっと赤くなる。二人暫く俯いてもじもじとしていたが、彼の上着を胸に当てて、裕美は顔を上げ尋ねた。
「……あの、お名前は?」
チン、ザラサの息子のチンと言います、と彼は俯いたまま答えた。
メカナが再び、娘のベルを伴って老の元を訪れた。ベルは既に赤子ではない。自分の足で歩いている。人間の五歳児程度であろうか。
「ほう。ハジャナジか。珍しいの」
老はベルが髪に挿している花を評す。自分自身について言ってもらえなかった為か、ベルは一歩老に近付いて、黙によく似たきれいな顔をくいと上げた。
「似合うだろう」
「おうおう、似合うわい」
孫を前にしているような気になってしまう。しかしこの孫は、おそらく父親の方の同意がない子供なのだ。
「メカナに負けてないだろう」
「……ほう」
老は笑ってメカナを向いた。
「お前の娘はすっかり女じゃな、メカナ。で? 今日は何しに来た。まためかし込みおって。……ま、聞かずともわかるがの」
ニイ、とメカナは笑う。ベルは闇色の髪に大輪のハジャナジの花、髪と同じ色のドレスに光るプチラの実をあしらったものを着ていたが、メカナもまた、飛びリラ色の豊かな髪にゴコの花の飾りを付け、所々に星が光り出した夕暮れ色のドレス、といった姿をしている。
「わかるなら尋くな。ここで待てば会えるはずなのだ。どうしたってここへ来る理由があるのだからな」
「居座るのか」
「美人が二人だ。構わぬだろう」
「……まあのう」
ベルはきょろきょろと見回して、狭いな、と文句を言っている。美人二人の気がほんの少し興奮気味なのは、黙に会えるのを楽しみにしているからだろう。
「そうだ。今ここにチョウラの子の娘がいるぞ。鋼族が連れて来た」
「……何じゃと?」
「会ってみるか?」
メカナの笑みは、ただ楽しそうだ。企みの有無は知れぬ。
峻は老の元へと向かっていた。老の屋敷跡に開いた穴に用がある。山崎を人間界へ返さねばならない。「克己に会えるまでは」と山崎は言うがそうもいかぬ。妖魔界の環境は苛烈だ。今支障が出ていなくとも、普通の人間の体で何時迄耐えられるか。ただこうして敵の手の内に歩み寄るだけでも危険な行為だというのに。
穴の開いた辺りの念波が読めぬのは、その様に手を施されているからだろう。迂闊には近寄れぬが、行かぬ訳にもいくまい。老の念波が感じられぬ以上、老がそこにいる可能性も高い。
山崎の体を思い遣って、無茶な行軍は出来ぬが、時間も掛けられぬ。やむを得ず、峻は敵に察知されぬ程度に山崎を抱えて走る。裕太は仏頂面のままついて来る。
(続く)