・四十一章~四十二章・
四十一章
数也が空間に開いた穴を調べる機械を修理して柊家に戻る途中、鞄の中の携帯電話が鳴った。数也は携帯電話を幾つか持っているが、この携帯の番号を知る者は、数也の認識のうちでは、禄な者ではない。
コホン、と数也は咳払いして、慇懃無礼に電話に出た。案の定、相手は某県の県会議員だ。
用件を聞くうち、数也は次第に眉を寄せた。『色好い返事を待つ』という相手の言葉に、はいそれはもう、と答えておいて通話を切る。暫くじっと考えて、数也は携帯の短縮ボタンを押した。
「……あ、敏さんの伯父さん? 今日来んの? ……え? いやあ? あれから誰も来ないよ。うん。<うちの>じゃねーな。ん、なんかわかったら。んじゃ」
受話器を置いて、そーいや、裕美がはぐれ妖魔に会ったって言えば良かったかな、と思う遥だ。ま、いっか、とぺたぺたと歩いて、テレビの続きを見に向かう。
裕太も敏也も克己もまだ帰っていない。家の中には遥と裕美、ミョウとゴウにベベロ。 ベベロは毎日階段の前に立つ。わたくし痩せなくちゃ、から、わたくし少しは痩せましたかしらね、に口癖が変わった。
「んー。何グラムか痩せたんじゃねえ?」
と遥が言うと、嬉しそうににこっと笑う。
居間に入りがてら、遥は階段前に立つベベロに声を掛けた。
「ちっとは痩せたか?」
「はい。どうでしょう」
「ただいま」と敏也が帰って来た。
「あ、お帰り敏さん。さっき伯父さんがさあ……」
「何ですか?」
そこへ電話が鳴る。遥は踵を返して引き返し、「伯父さんかな」と受話器を取って、「はい」と出た。
「裕太? んだお前、仕事中じゃねーの? え? ……あ、それ裕美も会った」
二階から、裕美が下りて来る。
「え? 何ですか?」
敏也が遥と裕美を見た。
「……克己? まだ帰って来てない」
遥がさっと青ざめる。
「待って、あたしが!」
裕美が宙を見つめ、克己の気を探る。やがて、ほ、と息を吐いて、
「ダイジョブ、克己は、無事よ。山崎くんといるみたい」
遥も緊張を解いて安堵する。
「じゃ、気い付けて帰れって言ってくれよ」
暫時黙って、裕美は告げた。
「……もう会ったって」
「……」
遥は口をへの字にして、電話を切ってから憤りを口にした。
「……なんだそりゃ。うちの子に選んでちょっかい出してるバカヤロウがいるってのか?」
気配に、裕美はぎくりとする。
「……いーい度胸じゃねーか。ケンカなら買うぞ」
「よ、遥さん」
敏也が駆け寄り、捕まえるように遥に抱き付く。遥から弾けそうな気配が消える。
「敏さん?」
「え、その、パリッてきたもので……」
敏也の顔に、遥はぷ、と吹く。
「ダイジョブだよ。別に暴走しかけた訳じゃねーから」
「そ、そうですか」
きまり悪げに笑う敏也に、遥は頭を擦り付けた。
「ま、いいや。気持ちいいから」
敏也は顔を赤くして、私も気持ちいいです、と遥を抱き締めた。
裕美は困ったようにベベロに笑う。
「ベベロさんごめんね。うちの両親こんなで」
「いいえ」
一転和やかな光景に、ベベロは微笑んだ。
人間じゃない、という以前のセリフを、特異な力を持つ、と山崎は解釈したようだ。
「母さん、実は妖怪なんだ」
という言葉を、山崎は信じたろうか。
いずれにせよ山崎の人の良さは発揮されて、克己の異端振りも、友情の壊滅には繋がらなかったようだ。
「どうです、痛みますか」
居間では敏也によるゴウの治療が行われている。克己も居間でそれを見ていた。二階の克己の部屋は、数也が何やら怪しい機械を広げているので使えないのだ。帰宅した克己を追って二階に上ったミョウの側にいたさに、見えぬ目でゴウは一人階段を上った。その後数也に部屋を追い出されたのだが、ミョウに手を引かれて階段を下り居間に入るまでの間、ゴウはとても幸せそうに見えた。
裕太と克己の頬の傷は、敏也が治すまでもなく消えている。山崎と話している間に、貼ってもらった絆創膏を剥して見せたら、山崎の反応も変わっていたろうかと思う。
ゴウは敏也の言葉に首を振る。ベベロの通訳を挟むので多少時間差があるが、意志の疎通は出来ていた。もっともベベロは居間の余り奥までは入れないので、入り口近くに立ったままではあったのだが。
「体の傷は、もう大分良いと思いますよ。あとは、目ですね」
ゴウはきっと、目が見えないままでも良いのだ、と克己は思う。ミョウに手を引かれている間ゴウは幸せに震え、椅子に座ってミョウの手が離れる時には、とても悲しそうな顔をした。克己には、ミョウに対するゴウの気持ちが手に取るようにわかる。
「さ、目を開けて下さい。開くはずですよ」
ゴウは逡巡している。目が開いてしまったら。見えてしまったら。
ミョウは今のように、触れてくれるだろうか。
皆の見守る中、ゴウは、うっすらと目を開けた。開く。目が開く。果たして、視力は。
「……見えますか?」
ゴウは敏也の声を追うように目を動かす。じっと凝らし、ゆっくりと見回す。
克己と目が合った。そう、目が合った。
ゴウは、見えている。
ゴウの口が動く。言葉がわからずとも、何と言ったかはわかる。「似ている」、だ。
『……見えるの、ゴウ?』
『……ミョウ』
やはりそれでも、愛しい者の姿が見えるのは幸福なのだ。ゴウはじっとミョウを見つめ、震える唇で『ああ』と答え、こくりと頷いた。
『――あは!』
ミョウが笑う。その笑顔を、ゴウがどれ程幸せに受け止めているか!
「カツミ、カツミ、ゴウが見える!」
「見えるのか?! やったじゃん、やったね、敏さん!」
直感的に、克己は何かとてもいけない気がした。
「カツミ!」
ミョウがはしゃいで克己に抱き付く。
克己はゴウを見た。ゴウはミョウを見ている。克己に抱き付くミョウを。その後ろに、笑い掛ける遥。
ゴウの表情が変わっていく。視界に入る光景がゴウに与えているのは、苦痛だ。
『うっ』
ゴウが呻いた。ミョウが笑って抱き付くのは<彼>に似た男で、ミョウに似た妖怪が、<彼>が真実ミョウを愛しているのではないと教える。ミョウも<彼>に愛されず、自分もミョウに愛されない。この光景は、許されない!
『ぐ……』
「……ゴウ?」
ゴウは頭を抱え、蹲った。苦痛。苦痛だ。ゴウにとっては、これ以上ない程の。
ゴウの側頭で、カキン、と小さな金属破壊音がした。はっと裕美が息を飲む。
「―――克己逃げて!!」
裕美の叫びとゴウが克己を睨むのは同時だった。
「な―――……」
圧倒的なスピード、迫撃。瞬時。ゴウの手は克己の顔に押し付けられた。
「克己!」
ドン、という破裂音は白濁した光を伴い、キンとした金属臭が立ち籠める。
「きゃあっ!」
(――殺すか、連れて来るかするのだ)
あの男の息子を。ゴウは承知し、彼らが自分の側頭に機械を埋め込むに任せた。
「うわっ」
振動に数也は転倒し、機械は再び破損した。
「な……」
数也の見間違いでなければ、通じた穴は、信じられぬ程のエネルギーを飲み込み、その一瞬で閉じた。
「克己―――ッッ!!」
克己の姿はなく、気も感じない。
ゴウに埋め込まれた機械が壊れ、裕美は理解した。ゴウは、克己を連れに来たのだ。ミョウに今一度会う、その代償に。
念波が読めなかったのは、埋め込まれた機械のせいだ。機械は多分、過負荷にやられて砕けたのだろう。爆発寸前のゴウの念が、それ程までに強かった。
居間は、無残に爛れていた。敏也とベベロは、裕太と遥のシールドに守られて無事だった。
ミョウは、ゴウの腕の中にいる。
『……カツミ? カツミは?』
『ミョウ……』
きょろきょろとするミョウをゴウが呼ぶ。『カツミ……』
ゴウの片腕は酷く傷んでいた。指先から肘にかけて、回転する刃に突っ込んだように刻まれている。青黒い血が、滴る。
ささくれだった自分の腕でミョウを傷付けぬよう、金属臭い血でミョウを汚さぬよう。ゴウは、無事な方の腕だけで、そっとミョウを抱える。大事に、大事に。
『あんな奴はいらない。いらない』
『……いや――っ! バカ、バカ! ゴウのバカ――ッ!』
『ミョウ……』
『ヤダヤダヤダ、ヤダ――ッ! ヤ――!』
『ミョウ、ミョウ……やめろ、お前の手が、手が壊れる、ミョウ……』
『嫌い、ゴウ、嫌いい――!!』
ミョウは悲しんでいる。ゴウもまた。
ミョウはゴウの腕の中で暴れ、ゴウの胸を幾度も叩く。ゴウはそれを止めさせようとするが、怖れて強く掴めない。
遥が、ゴウに近付いた。
「……で? 克己をどこにやったんだ?」
びくりとしたのは、裕美だけではない。念波を読めずとも、気を読めずとも、今の遥は。
『……殺されたくなかったら、答えろ、カナモノ』
化け物でさえ、恐れて身を引く。
「……遥さん」
敏也が呼ぶが、遥は振り返らない。遥の身から、陽炎のように気が立ち昇る。
『……答えろ!』
バイトは、定刻より早く終わりになった。壊れた店の修理の為である。着替えた山崎は、自然、足が克己の家へと向いた。
気になって仕様がない。
(母さん、実は妖怪なんだ)
克己は笑ってそう言った。へえ、そうか、と作り笑いで山崎は答えた。店の爆破と緑色の液体を残した人の破裂と、それが克己のしたことかと考えると、動揺して十分に話を聞けなかった。克己は、それ以上言わない。
時間が経つにつれ、悔いが募る。二日もすれば学校で会える。だがじっとしていられなかった。
電車に乗り、克己の町の駅で降りた。改札を出ると、スポーツバッグを担いだ男が券売機で切符を買っていた。ふと、その男が山崎を見た。ある種の迫力はサングラスのせいか。山崎は圧されてつい立ち止まった。男はじっと山崎を見ている。
(何だ、このオッサン)
気持ち遠巻きに、山崎は出口に向かった。
「ほお……」
男は尚も山崎を見つめて、こう言ったのだ。
「これは意外だ。そうか、そうか」
山崎は顔を顰め、問い質そうかと逡巡する。その間に男は笑い出す。
「ああ、すまんすまん。いや、あんまり意外だったもんでな」
「何がっすか?!」
「見たとこ、君は普通のようだが」
普通。その言葉が、山崎に克己を思い出させる。
「うん。頑張ってくれ」
男は切符を掴んで山崎の横を通っていく。山崎は男のバッグを引いた。このままでは気持ちが悪い。男は山崎を振り返り、ニ、と歯を見せてこう言った。
「俺は少し目が悪い。代わりに余計なもんが見える。それだけだ」
尚更訳がわからなくなった。男は山崎に背を向けて、改札を通って行った。
克己の家に辿り着いても既に克己はおらず、柊家の惨状を目の当たりにすることになるとは、山崎はこの時まだ知らない。
四十二章
囚われの老のところに、メカナが訪れた。
「これはヤサ殿。機嫌が悪そうだ」
憎らしいことにメカナは楽しそうに笑う。
むす、として、老は「当たり前じゃ」と答える。
「部屋の狭いのはどうでもいいがの。周りの音が何も聞こえん。音も、声も、なーんもな」
クク、と嬉しそうに喉を鳴らし。
「食事は良いものを出しているはずだ」
「老人は食い物より話し相手じゃよ」
「ハハハハ。だからこうして来てやった」
老の部屋を囲む壁は、念波の全てを吸収する。現在の情勢を知ることの叶わぬ、目隠しをされた状態だった。
これはどうにも精神に悪い。
ベッドに腰かけ、老はむう、とメカナを睨む。メカナはニヤニヤと老を見下ろす。
「で? 何を話してくれるのじゃ?」
「お望みはあるのかな」
「なんじゃ。選べる程豊富かの」
「先に一つ教えて欲しい。黙は来たか?」
「……なんじゃ。寂しい老人の話し相手はダシか。来ぬよ。来たとて、ここではわからんじゃろう」
「なんだ。来ぬのか。詰まらぬ」
メカナの顔が、ほんの一瞬駄々っ子のようになる。老はそれを見逃さぬ。
「やれやれ。目当てはそれか。黙の動向など、わしの方こそ教えてもらいたいわい。お前、黙を怒らせたんじゃろう」
メカナは一寸目を見開く。
「何故わかる」
「わかるわい。大人しくしとろうと頑張っとった黙がここへ来たかと尋くからには、動きたくなるようなことをしたんじゃろう。全く、黙まで遊び道具にしおって。この跳ねっ返りが」
「跳ねっ返りとは何だ。これでも色香のメカナで通っているのだぞ」
「ふん。わしから見れば、まだまだひよこじゃ」
「余程機嫌が悪いようだな」
老とメカナが同時に息を吐く。
「……まあいい。黙に見せられればと思っていたが、老だけでも構わぬ。寂しい老人に可愛らしい慰問者だ」
「……何?」
部屋のドアが開く。素早く中に入り込んで、ザラサは軽く一礼をした。腕に、子供を抱いている。まだ赤ん坊と言って構わぬ頼りなさだ。ザラサの腕の中でじっと天井を見ていたが、ふ、と目を老に向けた。
「親思いの子でな。ほんの十日で生まれた」
メカナの子なのか。しかし。似ていない。メカナには。黒い髪。黒い瞳。これは。
「……まさか」
ニイ、とメカナが笑う。
「黙の子だ」
愛らしいであろう? と赤子の髪をつと摘む。ザラサはそれとわからぬ程に、何かに耐える表情で、じっと目を伏せている。メカナは幾度か赤子の髪を弄んで、もう一度老を見た。
「似ておろう?」
「なんと……メカナ、お前」
「ベルという」
女だ、とメカナは楽しそうに笑った。
(続く)