「遙天は翠」

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   三十七章


 突然の客の来訪に、敏也は頓狂な声を上げた。
「伯父さん?!」
「おお、敏也! 元気そうじゃないか」
 敏也の伯父(正しくは敏也の父の従兄)、柊数也(ひいらぎ かずや)だ。もう何年も会っていなかった唯一の親戚が、ひょっこりと現れた。
「連絡をくれれば駅まで迎えに行ったのに」
「なに、普通じゃないモンをビンビン感じた。迷うこたなかったさ」
 右手にスポーツバッグを提げ、ずかずかと玄関を入り、台所で自分を見つめる目に出会う。
「ああ、あんたが遥さんだな。敏也め、べっぴんさんを掴えたもんだ。ああ、裕美ちゃんだな。良かったなあお母さんに似て。そっちは裕太か。うーむ、俺よりか男前か。俺はあんた達の大伯父さんだ。はっはっはっ」
 背は敏也よりは低い。だが体付きはがっちりしていて、武道家のような風情だ。髪に白いものが混じっているが、見たところ四、五十代だ。色の薄いサングラスを、家の中に入っても取らない。
 見知らぬ気と豪快な笑い声に引かれて、二階から克己とミョウが下りて来た。それを見付けて数也は尋ねる。
「克己と……なんだ敏也、四人目はいつ作った?」
「えっ、いいえその子は」
「何がだ。遥さんそっくりじゃないか」
 そして風呂から出て来たベベロを見付ける。
「……四人目に乳母でも雇ったか?」
「違いますよ!」
 誤解は解けたが、数也はミョウを気に入ったようだ。台所で輪になって話している間、数也はずっとあぐらの上にミョウを座らせて喜んでいた。
「俺はとうとう自分の子は持たんかったからなあ。おいミョウ、伯父さんの子にならんか?」
 ミョウは面白そうに数也の髭を見ていたが、じゃりじゃりと頬擦りされて、いやあ、と克己に助けを求めたが放してもらえなかった。それで髭の攻撃は止んだが、数也は今度は額をミョウの後頭部にぐりぐりと当てる。数也は誰も尋かないのに勝手に続きを話す。
「いやまあ、確かにまだ役には立つが、六十七のじーさんとこに来る嫁さんがおらんよ。仕事も仕事だしな」
「お仕事は何ですか」
 裕太が尋ねる。六十七にしては随分と若く見えるということに関しては、この場には誰も驚く者はいなかったようだ。
「俺達がここで暮らすに当たって、随分お世話になったと父から聞いてますが」
 数也はにっと笑って裕太を褒める。
「おお、しっかりしとるな、三歳児。法律事務所は面白いか?」
「はあ、まあ」
 裕太は苦笑する。
「……実はな。今日来たのは、俺の仕事のこともあってな。勿論、あんた達の顔も見たかったんだぞ。しかしこいつはスペシャルプレゼントだったな」
 そう言って膝のミョウを揺する。揺すられるのが楽しくなったか、ミョウはきゃっと声を上げた。
「仕事ですか?」
「うん」
 敏也に返事して、数也は天井を見上げた。
「……この、二階だな」
 数也が何のことを言っているのか、すぐに知れた。ミョウを連れて来た、穴のことだ。
「……伯父さん」
「ああ。まあ、こんだけ強い気が集まっとるところに穴が開くのは、他に開くよりは自然だがな。ただ、どーもいやーな気がする」
 ちらりと、敏也を見た。そのまま目だけを遥に遣り、また敏也に戻す。裕美が口を開いた。
「大丈夫よ伯父さん。あの人の話は別にタブーじゃないわ」
「……そうか。裕美ちゃんは考えとることがわかるんだったな」
 こりゃ伯父さん一本取られた、と頭を掻いて数也は話す。
「うんまあ、そいつの話だ。敏也は俺の力を知っとるが、うーん、予知夢、とも一寸違うな。まあとにかく、これから起こることが多少わかる。わかり易く言うと、競馬でどの馬が勝つか見えたとする。負けると見えた馬をどうしても勝たせたいお方の依頼を受けて、勝つはずの馬にちょいと怪我をさせて依頼の馬を勝たせてやる、とかだな」
「……」
 敏也は俯き、裕太と克己は呆れて口を開いた。ベベロは、まあ便利ですねえ、などと言っている。
「まあいろいろと俺に恩のあるお方はこの世に多くてな。その中の一人が、先日こう言って来た。『どうにも邪魔なライバルがいる、何とかしたい』。俺は、まあ仕事だからな。そのことで何が見えるかやってみた。……したら、見えたのが、東峻だ」
「……」
「ん? どうした、ミョウ」
 数也の膝の上でミョウが身を固くした。克己が手を伸ばしたが、ミョウは克己に背を向けて、数也の腹に身をくっつけた。
「ん?」
「伯父さん、いいから続けて」
 裕美が促す。ミョウの気持ちは今どうにか出来るものではない。一番揺れているはずの遥が知らん顔をしているのだ。可哀想だが、構う訳にはいかない。
「……うん」
 数也はミョウの背中をポンポンと撫でて、続きを話す。
「俺は峻くんに直接会ったことはないが、昔敏也に頼まれて、彼を調べたことはある。桁外れの力を持った少年だった。これはこのままでかくなったらヤバいぞと思ってたんで、彼の気は可能な限りトレースしてたんだ。それが何年か前に、ぱったり追えなくなった。一時は死んだかとも思ったよ。まあそれならそれで、エラいお方達に利用されることもない。まあ彼は生きてたんだが」
 ベベロが頷いたのを数也は見咎めた。
「なんだね、あんた峻くんを知っとるのかね」
「はい。妖魔界(あちら)で主人が懇意にしております」
「ほー。御主人が」
 ベベロは顔を赤くして訂正する。
「いえ、主人と言うのはわたくしの仕える旦那さまで……わたくしは使用人で」
「なら、ミョウも知っとるのか」
「ミョウは彼を好きなんだ」
 ぽつりと克己が告げる。部屋の気温が下がったようだ。それを感じて数也は唸る。
「うーん。そうか。何やらややこしいな……」
 ぎゅっと数也の服を掴むミョウの手を軽く叩く。
「子供だと思ったが実は年頃か? 妖怪の年はわからんな……」
 伯父さんもね、と裕太が先程の敵を討つ。数也は咳払いして、話を戻した。
「峻くんが妖魔界にいるというのは聞いていた。それでこの世のことを見た時に彼が出たんで驚いたんだ。しかも様子が尋常じゃない。彼は血まみれだった」
 パリン、と遥の前のコップが割れた。
「ママ、」
 裕美が立って遥に寄り添う。遥の内側が酷く動揺しているのが裕美には見える。背中から肩を抱く裕美に、遥は笑う。
「へーき。平気……」
 数也は震えるミョウを腕に抱きながら、遥に優しく話しかけた。
「……遥さん。安心してくれ。俺が見るのは決まった未来じゃない。何とでも出来る、まあ青写真みたいなもんだ」
「ん。わかる」
 に、と遥は数也を向く。
「あいつは強いんだ。そんなことになる訳ない」
『……うえっ……うえっ』
「ありゃ、ミョウ?」
 今度はミョウが泣き出した。克己が立ち上がり、側に屈む。
「……おいで、ミョウ」
 呼ぶと、ミョウは涙を流して数也の膝から克己の胸に移る。
『モク……モク……』
「うん。大丈夫。大丈夫」
 しがみ付くミョウを、克己は優しく撫でてやる。
「モク?……」
「峻くんの、あちらでの呼び名ですよ」
 敏也が答える。淋しくなった腹を摩り、そうか、と数也は頷いた。ミョウを慰める克己の顔を見て、ややこしいなあ、と呟いた。

 数也は居間で泊まることになった。敏也は布団を、と言ったのだが、ソファに毛布でいいと言ったのは数也だ。お休みと言ってからまだ横にもならずに、電気の付いた部屋でソファに腰かけている。
 数也の見たヴィジョンを話した時の彼らの反応が、鮮明に焼きついている。皆が、痛そうな反応をした。しかしそれは二通り。
 自分自身が痛みを感じた。痛みを感じたであろう人を思い遣って痛くした。
 遥とミョウが前者だ。敏也と裕美と裕太、ベベロが後者。克己は。
 峻の息子。よく似ている。克己はそれを嫌という程自覚している。
 克己の表情は、どう解釈すれば良いのか。悲しみを押し殺す表情が、幾度か覗き見た峻にそっくりだった。
 克己が震える体を抱いて慰めたかったのは、遥の方ではなかったのか。どうもそんな気がして、あの後敏也をまともに見られなかった。
 その敏也が、居間を訪れた。
「なんだ、布団はいらんぞ」
「はい、ああいえ」
 敏也は苦笑して、数也の横に腰かける。
「少し、お話を」
「遥さんは寝たのか」
 敏也は笑ったまま俯く。
「……今はわたしが側にいない方がいいんです」
 その方が、彼の名を呼んで泣けます。何故、と数也が問う前に、敏也は付け足す。
「お前もまあ、……難儀だな」
 いいえ、と敏也は笑う。この従弟の子は、昔から人ならぬものに縁が深いのだ。それで命を落としかけたことも何度となくあるというのに、一向考え改める様子はない。お人好し、と思う。今はそれが極まりて、命の恩人の捨て置いた恋人、しかも妖怪、を妻になどしている。
 酔狂、だけでもお人好し、だけでも、この状況を負う代償には安過ぎる。
 愛しているのだろう。あの妖かしを。
 またあの妖かしも、応えたい、とは思っているのだ。
「……わたしは、遥さんを行かせてあげるべきでしょうか」
 俯いたまま、敏也は尋ねる。
「峻くんが、本当に人間界(この世)と妖魔界(あの世)の間で、大変なことになるのなら……側に、行かせてあげた方が……」
「しっかりせんか、高校教師」
 いきなり肩書きで呼ばれて、敏也はぱちくりと数也を見た。
「相手は子供か? 遥さんは、為すべきことがわからんようなもの知らずか?」
「……」
 敏也は吹き出す。さあ。大分人間界(こちら)のことは覚えてくれましたが。そう言って笑う。
 とん、と敏也の肩を叩いて、数也はにっと歯を見せた。
「お前の辛気くさい顔はほんとにどうにもならん。遥さんはお前を『気持ちいい』と言ってくれたんだろう?」
「……はい」
「なら気持ちよく待ってやれ。そのうち遥さんは自分で答を出すさ」
「……」
 はい、と敏也は俯く。その答が、どんなものか、敏也は知っているのかもしれない。
 ドアの外に足音がした。階段を上って行く。
「……遥さん?」
 今階下にいるのは数也と敏也、裕太と遥にベベロだ。ベベロは階段を上れない。裕太の部屋は居間の隣だが、ドアが開いた様子はない。
「眠れないんでしょうか」
 敏也は数也に、見てきます、と言って、ソファを立った。

 克己の部屋の電気はもう消えていて、ミョウの寝息が聞こえている。ノックをせずにドアを開けた。
「……母さん?」
 克己は起きていた。
「……どうしたの」
「ん……」
 布団に肘を付いて頭を持ち上げる。ミョウは克己の腹に顔を付けて眠っている。それで克己は掛け布団を腰から下にしか掛けていなかった。
 遥はドアから中に入って行かない。克己は身を起こして布団の上に座った。
「母さん?」
「……俺……」
 遥は俯き、横を向いた。
「……ひどいこと……わかってんだけど。けど……」
 克己は、立ち上がった。一歩、遥に近付く。
「わかってんだ……克己、俺……」
「いいよ母さん。どうして欲しい?」
 遥は、ぶるっと震えた。震えは、声にも。
「……ぎゅ、って、……」
 消え入りそうな声に、克己は応える。立ち尽くす遥に身を寄せ、腕で背をかき抱く。
「……っ」
 峻、と呼ぶのを、遥は耐えている。震える手で、克己の背を掴んだ。克己は遥の髪を撫で、頬擦りをした。低く小さく、ヨウ、と呼んだ。
「や―――っ!!」
「ミョウ?!」
 ぎょっとして振り返る。克己の背中に、ミョウがしがみ付いている。泣きながら、必死に叫んでいる。
「ダメ、ダメ、ダメ! カツミはダメっ! モクはヨウのでも、カツミはダメ――ッ!!」
 腕の力が、緩んだ。ミョウが克己を遥から引き離す。克己の腹にしがみ付き、わんわんと泣く。
「ミョウ……」
 克己は困って、ミョウの肩を抱くに抱けないでいる。遥を見た。遥は、ぼんやりと二人を見ている。
「……遥さん」
 階段を、敏也が上がって来た。眉を寄せ、遥の側までやって来て、ぱん、と軽く遥の頬を叩いた。
「父さん……!」
 遥はびっくりして敏也を見る。
「……会いたいなら、会いに行きなさい!」
 そう言って、敏也は背を向け、階段を下りて行く。遥はぼんやりと見送って、だって、と呟いた。
「……行けない。行けないよ、敏さん……」
 力なくその場に腰を落とす遥に克己は腕を伸ばしたが、ミョウがいやいやをして許さない。頬に手を当て、顔を覆う。声を殺して、遥は泣いた。
 敏也が再び階段を上って来る。先程の十倍も辛そうな顔をして。遥の前にしゃがみ込み、顔を覗き込んだ。
「……遥さん」
 遥の顔に、遥の手の上から手を当てる。
「……すみません。痛かったですか? 遥さん。すみません……」
 遥の手を退かし、頬に触れる。流れる涙を痛そうに見て、敏也は遥を抱き締めた。
「すみません……」
 敏さん、ごめん、と遥の唇が動く。敏也の肩に掴まる遥を、克己が、静かに眺めていた。


   三十八章


「侵入者だー!」
「追え! 追えーっ!」
 老はぎくりとしたが、どうやら自分のことではない。壁にぴたりと身を寄せて気配を伺う。追っているのはサンの国の兵士。監視を一寸ばかり手荒に眠らせて屋敷跡にやって来た。穴の開いた辺りを囲むように、研究所のようなものが出来ていた。そこへ忍び込むのにもお休み願った兵が幾人かいるので、身に覚えは十分あるのだ。だが追われている者の気は、知っている。ゴウだ。
(……やれやれ、無茶なことじゃ)
 自分の行動は当然棚に上げる。それでなくともゴウは怪我人だ。目も見えぬ。
(助けにゃならんの)
 移動する。老いたとは言え、足音をさせずに動くことなど造作もない。しかしすぐ側まで近寄った時には、ゴウは捕まっていた。人数が集まっている。下手には動けぬ。
「報告を」
 兵の一人が、胸のバッジと見えたものを剥し、こめかみに貼り付けた。
(ぬ……?)
 どうやら念波を送っているらしいが、傍受できぬ。あのバッジのせいらしい。
(便利な機械じゃの……)
 やがて兵はバッジを剥し、元のように胸に着けた。
「こいつは鋼族のゴウだ。国主は、ちょうど良い、と仰せだ」
 ゴウは首に枷をはめられ、ぐったりとしている。力の出ぬ仕掛けが何かあるのだろう。
(ちょうど良い?)
「立て」
 ぐい、と枷が引かれる。ゴウはふらふらと立ち上がり、いずこかへ連れて行かれる。老は後を付けようとして、カチャ、という背後の音で立ち止まった。
「老は、こちらへ」
 振り向くと、銃を構えた兵が一人。まるで気を感じなかった。両のこめかみに、先程の兵とは違うバッジが着いている。
(……全く、便利じゃの)
「やれやれ、見つかったわい」
 老はがくりと肩を落として、ぽりぽりと顎を掻いた。

 峻が宛てがわれた部屋で身を横たえていると、不意に部屋の隅にチンが現れた。目を開け、チンを見やる。
「国主がお呼びです」
 峻が身を起こし立ち上がると、チンは峻に寄り、手を触れた。一瞬後には、部屋の様子は変わっている。
「お連れしました」
 チンの声がしたということは、峻を置いて、チンはすぐにまた消えたのだろう。部屋の中には、峻とメカナだけだった。
「眠っていたのか?」
 メカナは面白そうに峻の顔を見る。
「ぼうっとしているとは珍しいな。寝足りぬか?」
 クク、と笑って手を伸ばす。峻の髪から頬、顎へと指を滑らせて、メカナは峻の肩に頭を乗せた。
 ここはメカナの自室だ。然程広くない空間を、心地よく整えてある。部屋の主が実は派手好みでないのがわかる。一角には、覗きの鏡。
 メカナはそうして暫く峻にくっついていた。峻は何も言わず、ただ立っている。
 やがてメカナはぱっと顔を上げ、眇めた目で峻を睨んだ。
「似てなどいないぞ。チョウラともヨウともな」
「……ああ。あんたは似てない」
 峻の答が気に召したらしい。メカナは、珍しくも可愛らしく笑った。
「そうとも。お前が俺を見てチョウラの子を思い出しているかもしれぬなどと、疑うこと自体が馬鹿らしい。お前がぼうっとしているから、あやつの夢でも見続けているかと疑った。睨んですまなかった。お前は気にしたりしないな」
 そしてニッと妖艶に笑う。
「普段は気を付けているのだ、これでもな。俺に睨まれて、それだけで死んでしまう者もいる。……なあ黙」
 メカナのすらりとした腕が、峻の首を抱え込む。鼻先が触れる程に近付いて、吐息を掛けながらメカナは話す。
「お前は生真面目だ。チョウラの子に操を立てているのだろう。だがお前が想う程向こうはお前を想っているのか? 人間の男と宜しくしているのだろう?」
「……関係ない」
 メカナはほんの少し不機嫌になる。
「……関係ないならば構うまい。お前はお前で俺と宜しくすれば良い」
 メカナは意地悪く笑う。
「子を儲けたということは、ヨウと唇は合わせたのだろう。俺達には不要なことだが、人間のセックスはしたのか? お前とはしていなくとも、今の夫とはどうだろうな?」
 無表情に自分を見つめ返す峻の顔に、メカナは、はあ、と溜め息を吐いた。
「……つまらぬ。ちゃんと挑発に乗らぬか」
「関係ないと言った」
 メカナは、どこか不安定な表情で峻を見、その身をぐっと峻の胸に押し付けた。
「黙。……黙。どうすれば俺に惚れる。……身を重ねてしまえば心(しん)も重なるというのは、人間にも言えることなのか?」
 峻の頭を抱き、髪を撫でる。
「……一族間では必要ないが、俺も他族と契り交わした経験がある。俺なら、お前の身を慰められる……」
 頬を、唇を、峻の首に滑らせる。
「誰かとこうしたいと思っているのではないのか?」
 やめろ、と開こうとした口を、メカナの指が抑える。
「……野暮なことは言うな。俺がしたいのだ」
 メカナが首を持ち上げる様は、優雅な蛇に似ていた。片腕に峻の頭を抱え、一方で頬と口を指で押さえる。己の指の上から、メカナは峻に口付けた。峻は、ぐっと拳を握り締めた。メカナの指が唇と唇の間からそろそろと這い出す。峻の喉を撫でるようにして、手は峻の首に回り、メカナは身を捻って唇を重ね直し、深く舌を求める。
 が、それは全うされなかった。
「……っ」
 メカナはびくりと身を震わせた。峻の発した雷のような気に撃たれ、思わず峻から身を離したのだ。
 静かにメカナを見据える峻が、目を見開き部屋の一角を振り向く。気付いたと見たメカナは、その様子にくっと笑いを漏らした。峻の見る先は、覗きの鏡。
「ちょうど良いシーンだったと思うがな」
 鏡は最早黒く濁って何も映さぬ。
「ほんの一瞬に、よくぞ居合わせたもの。健気に、その一瞬を待ち構えていたようではないか? 物凄い顔で睨んでいたぞ……チョウラの子が」
 鏡を見つめ、握る拳が震える峻を、メカナは面白そうに眺める。クク、と喉で笑い、指を顎に当て、無言で己を振り返る峻に、妖艶なる流し目をくれた。
「……何だ、その顔は。関係ない、と言ったではないか」
 腕で己の腰を抱き、コツ、と一歩峻に近付く。張り詰める峻に恐れ気もなく身を寄せ、くい、と顎を上げる。見下ろす峻に、楽しげに問う。
「……選べ。俺のものになるか、あるいは息子を救いに行くか」
「……何?」
「……ああ、お前には言ってなかったか。お前が国主を殺した三国には俺が不平のないよう取り計らっておいた。お前はサンの国が国主の手にあるのだから、いかなる理由であれ黙という人間を手に入れんとするは、サンを仇とすることだと。その他の国にもな。皆俺が怖いのだ。俺の下にいる限り、誰もお前に手を出さぬ。感謝して良いぞ。いい機会だと、サンの属国になるようにも薦めた。すれば良い人材も技術も回してやれる。だが俺も鬼でも質の悪い独裁者でもない。他国との良好なる関係を崩す気などないのだ」
 メカナはうっとりと、と言って良い顔で峻を見上げる。
「……お前の息子は高く売れるぞ。強い者は引く手数多だ。俺の下に置いても良いが、それではいくらなんでも俺が悪者のようだ。どこにやろうか考えているのだが……」
「連れて来たのか」
「いや? だが既に迎えはやった」
 メカナは嬉しそうだ。峻が、見事に反応しているせいだろう。気は張り詰め、目は鋭くメカナを睨む。メカナは今また峻にしなだれかかりそうな程に艶やかだ。手を、ゆっくりと挙げる。両手を持ち上げ、メカナは峻の顔を挟む。
 峻の皮膚の下の気が、ふつふつと動き出す。メカナの意図通りになるのだろう。だが最早それも構わぬ。
「……わかるぞ。黙。お前は本来そういう男だ。力のまま、思いのままに暴れたくて仕様のない男だ。俺といれば良い。俺にはお前がわかる。大人しくしろなどと無上に酷なことなど言うものか。俺と共にいれば良い。黙。俺のものになれ……ならずば――」
「――ならずば」
 峻の声が低い。間近で見据える目を受けて、メカナは恍惚とする。
「……お前が決めろ」
 呟き、メカナは峻に口付けた。身を寄せ、峻の顔を引き、唇を深く貪る。峻はメカナの両手を掴み、顔から離す。唇が離れ、峻の鋭い視線に出合い、メカナは眩しそうに眉を寄せた。
「……黙」
「これも、お前の用意した答だ」
「……」
 メカナの口唇が、ニイ、と上がる。
「フフフ……ハハハハハハ!」
 バッと峻の手を振り払い、メカナは身を引きざま両掌を胸の前に開いた。一瞬後、音と熱と光を伴って、サンの国の城は消し飛んだ。

 ザラサはチンより一瞬早く現れた。城の上空、数万キロメートル。
「メカナ様!」
「国主!」
 現れてすぐ、落下が始まる。メカナは両脇の二人を見て、シールドを解いた。飛びリラ色の髪が、空に向かって流れる。ザラサとチンは左右からメカナに触れ、三人は空から、山の監視台に移動した。
「メカナ様……メカナ様、お怪我は」
「いい。大事ない」
 取りすがらんばかりのザラサを退け、メカナは己の姿を見下ろした。
「……やれやれ、気に入りの夜服であったのに」
 瞬間的に黙の発した力は、メカナのシールドを軽く突き抜け、衣服をずたずたにし、城の<くず>毎メカナを宙高くに放り上げた。
「メカナ様、これを」
 ザラサが自分の上着を脱いで差し出す。
「いらぬ」
 ザラサは恐縮して引っ込める。チンは父親を見、「国主」と己の上着を差し出した。
「では、こちらを」
「……そんなに見苦しいか?」
 メカナはチンに背を向け、上着を羽織らせた。父の恋心を知っている息子としては、ある意味扇情的なメカナの姿を、一刻も早く隠したやりたかったのだが、メカナは知っていて構う風ではない。
「……あの人間の、仕業ですか」
 眼下を見下ろし、ザラサが呟く。城であったものは砂礫と化し、家屋や畑もかなりの範囲で、元が何だったのかわからなくなっている。
「一瞬で……」
 チンが唾を飲んだ。
「夢中で、国主をお探しするだけで精一杯でした。これでは、城の中の他の者は……」
「フフ……」
「国主?」
 メカナは、嬉しそうに見下ろしている。破壊された己の国を、ニイ、と口の端を釣り上げて。
「これが、あやつの本性だ。クク、楽しみだな……」
 チンは青ざめ、ザラサは眩しそうにメカナを見た。
「メカナ様、あの人間を、再び捕らえて参りましょう」
「良い」
「は、しかし」
「良いのだ。土産ももらったしな」
 メカナの笑みに、柔らかなものが混じる。
 ザラサは、気付いたろうか。それで、目を伏せたのか。
 下界を見たまま、メカナが尋ねる。
「ザラサ」
「は」
「<人間からの頼み事>は済んだのか?」
「は。ココの国で話が着きました」
「そうか。……フフ。俺がこんなに骨を折ったのだ。面白くしてくれるのだろうな? 黙」
 昇る風が、呟くメカナの髪を吹き上げる。


(続く)


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