・二十~二十二章・
二十章
ヤサが若い頃の夢を見たのは久し振りだ。五、六十年ぶりだろう。夢の中に、誰かの念波が飛び込んで来た気がした。それが、ヤサに夢を見させたのだ。
これはあの人間だと、察しを付けた。夜が明けるのを待って、ヤサ……いや、老妖魔は、人間の住む洞窟へと出掛けて行った。
人間はいた。あぐらの膝にミョウを寝そべらせて、自らも目を閉じていた。老が洞窟の入口へ現れる頃には、頭を持ち上げ、訪問者の方を見つめていたのだが。
「……少し、いいかの」
ミョウが、耳をぴくりとさせて身を起こす。
「あ、おじいちゃんだ」
訪ねて来たのが自分が生まれて以来よく世話をしてくれる好々爺だと知って、嬉しそうな声を出す。
「ほほ、ミョウ。暫くわしのとこへはこんなあ」
人間のところに入り浸りなのだと、承知している。
「黙、……と呼ばせてもらうが、いいかの」
「……好きに」
老は、初めて彼の声を聞いた。低い、落ち着いた声だ。感じるエネルギーは相変わらずだが、彼に敵意がないのはこれでも明らかだ。
老は、ミョウをちらと見て言った。
「少し、わしと替わってくれんかの」
「……おじいちゃんもモク、食べるの?」
「……いやいや」
言い方がまずかった、と反省する。
「黙と話があるんじゃ。ちと、席を外してくれんか」
ミョウの耳が、不服そうに寝る。
「……おじいさんの言うことを聞きなさい。また後でおいで」
静かに黙が口を開く。ミョウは耳をぴこぴこさせて、
「……うん。モクがいうなら」
と立ち上がった。そして覆いかぶさるように黙に抱き付く。
「また来るね。おじいちゃん、ばいばい」
足音も軽く去っていくミョウに、ばいばい、と手を振り返して、老は横目で黙を見た。
黙は、駆けて行くミョウを目で追っていた。切れ長の目には、無感動と慈愛と、悲哀が同居して見えた。ミョウに、誰を見たのだろう。
「……すまんの、くつろいどるところを」
「……」
黙は無言で容認する。老は体中にびんびん感じるエネルギーに押されながら、足を前へと踏み出した。
「……やれやれ、老体には近寄るのも難儀じゃ。人間は、もっと弱いものじゃと思っておったよ」
「……弱いさ」
答が返って来るとは思わなかった。老は思わず立ち止まり、黙の顔を凝視する。そうして改めて近付きながら、用心深く尋ねた。
「黙、や。お前は何しにここへ来た?」
黙はじっと老を見つめ、老が自分の数歩手前で立ち止まるのを待ったように、目を閉じ、軽く頭を下げた。
「……安眠の邪魔をして済まなかった」
尋いた問いの答ではない。だが黙は、老が何をしに今日自分のところへ来たのか、わかっているようだった。
「……やはり、お前さんじゃったか」
老は頷き、その場にあぐらをかいた。黙と向かい合って座り込み、ひゅう、と細く息を吐いた。
「お蔭でわしは随分懐かしい夢を見た。まだわしが若く強く、この世を恣(ほしいまま)にしておった時代じゃ」
黙は自分と老の間の地面を見ている。
「……恐ろしく美人の、きっつい性格の、それでもって強いというしょーがない奴がおっての」
黙が、ちらりと視線を上げた。老はぽりぽりと頭を掻いて、やれやれと首を振る。
「若い頃のわしが振られた唯一の相手じゃ。まー、これがほんとにのう。……それと、似ておったのじゃ。お前さんが夢で呼んだ、ヨウ、という妖怪との」
「……」
「……おそらく、チョウラの子じゃ。死んだと思っておったんじゃが……わからんはずじゃわい。お前さんが、人間界に連れて行ったんじゃな?」
黙は、再び目を伏せる。老はぽつりと呟いた。
「もしかしたらチョウラも、惚れた相手は人間だったかもしれんのう」
老は黙の目をじっと見て、わずかに身を前に倒した。
「黙。何を恐れておる。お前程の力量をもってすれば、チョウラの子だろうが、チョウラだろうが……いやそれはちとわしがやきもちを焼くが、手に入らん訳はあるまい。真実チョウラの子ならば、強い者には魅かれるはずじゃ。何をもって、ヨウを人間界に置き、自分は妖魔界に隠居する訳になる。……節介は承知の上じゃぞ。お前はミョウに親切にする。それは有難いと思っとる。あの子がこの妖魔界で行き抜くのは、わしゃ正直無理じゃと思っとったんじゃ。そのミョウが、お前なしでは何も食えん程、懐いておる。……自分でわかっておるはずじゃな。チョウラとミョウは然程似とらん。だからわしは気付かんかった。だが昨日のお前の念波を聞いて、夢を見て、ようくわかったんじゃ。中に、ヨウが入るんじゃ。チョウラよりは幾分、ヨウは優しい顔をしておる。その分、ミョウに近い。……お前は、側に、ヨウを置きたいのじゃろう。あの、強くて美しい、チョウラの子じゃ。お前が惚れても無理はない。いや、きっと誰もが惚れる。欲しいと思う。……それを何故、わざわざ遠ざける? 一度は一緒におったはずじゃ。ヨウもお前に惚れたのではないのか。わしにはわからん。何を……」
「……俺といるとみな壊れる」
先程のように低い、しかしどこか危うい声が、黙の口から出た。老は一瞬誰が喋ったのかわからず、目の前の黙を見ながら、疑うように視線を浮かせた。
「……俺が最初に壊したのは、母親だ。……これ以上喋らせるな」
黙は口を塞ぎ、じっと気を内側に閉じ込めた。老は暫く、口をきくことも、動くことも出来なかった。黙はまるで、己が石にでもなろうとしているようで、俯いたままぴくりともしない。
老は、のろのろと立ち上がった。
「……邪魔をしたの」
ゆっくりと黙に背を向け、洞窟を出る。体がひどくぐったりとしていた。
あの人間は、その気になれば、老を洞窟毎、いやもしかしたら妖魔界毎、消し去ることができたのだ。ほんの一瞬、気配を感じた。敵意ではない。だが、黙が気を内側に閉じ込めるコンマ数秒前。何もかもを放り出して、捨て鉢に気を解放してやろうかという気配。
あれは、爆弾だ。ひどく臆病な、身の程知らずにも周りの全てを愛してしまっている、桁外れの火薬庫だ。大人しい草食竜どころではない。自分の体の大きさを知らずに愛しい者に擦り寄り、ぷちんと相手を潰してしまうだけならまだ可愛らしいというものだ。
峻烈にして峻酷。
(……何という難儀な)
老は洞窟からかなり離れて、ようやくふうと溜め息を吐けた。悪夢から醒めようとするように幾度も首を振る。
強さを求めると言っても、あそこまで強くなっては仕方がないと思うのは、老がこの通り老いたからだろうか。
いや果たして彼は、求めて強くなったものか。
死ぬ、ではない。壊れると言った。
最初に壊したのは、母親だと。
まともな死に方ではないのだと、察しは付く。無論、死なせようと思ってのことではあるまい。何故あんな者が、人間界に生まれたのだ。人間は妖怪より、余程脆く出来ている。彼はその壊れ物の中で、どのように身動きして来たというのだろう。
人間界を離れ、妖魔界にやって来たのは、それで理由が付く。ここは、余程彼にとって、居心地がいいはずだ。だが。
「……おー、いてててて……」
老は首を左右に深く曲げ、凝りを解した。ついでに腰に手を当て、うん、と上体を反らす。景色が逆さまになり、遠くに小さく黙の洞窟。
「……うーむ。なんとかしてやれんものかのう……」
チョウラの子に惚れている男を、終ぞ持つことのなかった自分の息子のように感じているのだと、老は自覚している。
視界の隅で、ミョウが跳ねるように、洞窟に向かっていくのが見えた。
ミョウは洞窟に入って、珍しいものを見た。モクが、膝を抱えて、顔を膝に埋めているのだ。
「……モク? どうしたの」
不安に体がぶるりと震えた。モクは答えない。じっとそうして丸くなっている。
「……モク?」
ミョウが一歩を踏み出した時、モクはそのままの姿勢で、口を開いた。
「……来るな」
びくりとミョウが立ち止まる。
「……わかっている。お前のせいじゃない。お前は悪くない。が……すまない。今は、顔を見たくない」
何故モクがそんなことを言うのかわからなかった。わからないが、ひどくショックだ。立ち止まったままぶるぶると震えていると、モクはまたこう言った。
「向こうへ行ってくれ」
ミョウは泣き叫ぶのをぐっと我慢した。途端に涙がぶわっと溢れる。それでも声だけは上げずに、ミョウは洞窟を走り出た。
二十一章
珍しく、遥が掃除などをしたものだから。
柊家の中では、遥が一番散らかすのだ。敏也も裕太も裕美も克己も、自分で使ったものは片付ける、ぐらいのことはする。使いっぱなし、放りっぱなしなのは、遥だけである。なものだから、遥の通った後だけが、家の中では散らかるのだ。敏也は強く言わないが、「遥さん、元に戻して下さい」くらいは言う。敏也と裕太は仕事に出掛けて、裕美と克己は学校に行っている、家の中に自分だけになる昼間に、ふと遥は思い立ってしまったのだ。
なるほど。俺一人で家は散らかっている。と。
掃除を始めて、十分ぐらいは楽しかった。滅多にしない行動なだけに、新しい遊びをしているような気分だった。だが、段々単調になって来る。遥は掃除本来の目的は早々(はやばや)と捨てて、家の中を一通り眺めることで、満足しようとした。
まずは自分と敏也の寝室を覗く。ベッドがきちんとしているのは、敏也がいつも出掛ける前に直していくからだ。床に遥が脱ぎ捨てたパジャマが落ちている。
「……」
遥はパジャマを拾ってベッドの上に乗せた。
よし、と遥は満足そうに頷いて、寝室はこれで終わりとばかり、次は子供達の部屋へと向かった。
一階にあるのは裕太の部屋だ。ドアを開けて、きょろきょろとする。さほど乱雑な様子はない。どちらかといえば片付いている。椅子に上着が掛けてあった。見ると、机の上に手紙がある。表に『柊裕太様』とだけあるのは、手渡しされたのだろう。手に取ってひっくり返すと、差出人は女性だった。遥はにやりと封筒を置く。何を片付けた訳でもないが、遥はそれで満足して部屋を出た。
階段を上り、裕美の部屋に入った。まず机の上を見たのは、裕太の部屋のように、手紙を期待してのことだ。だがそういった類の物はなにもなかった。ちょっとがっかりしながら、部屋の中を見回す。裕太の部屋よりは華やいだ感じがする。クローゼットが目に付いた。男からもらったプレゼントでも隠してないかと、わくわくとして扉を開ける。だが可愛らしいワンピースやスカートが釣り下がっている以外は、どうということもなかった。みんな、見覚えのある服ばかりだ。
特に発見もないまま、遥は裕美の部屋を後にした。残るは克己の部屋だけである。つまらない顔でドアを開けた。見回すと、そこはどの部屋とも違っていた。克己がいる時には気付かなかったが、この部屋は、何だか寒い。遥はその原因のわからぬまま、中に入り、ドアを閉めた。部屋はきれいに片付いている。男子高校生の部屋とは思えない程だ。(実年齢が二歳に満たないのは置くとしても)
遥は机を見、クローゼットを開けた。黄や緑の明るい色が目を打つ。下を見たのは、やはり何か女から贈り物が、と考えたからだが、そういった物はなかった。だが、遥は見付けてしまったのだ。
紙袋の中に入った、きちんと畳まれた、黒の上下。
遥は、自分の体温がどうかしてしまったと思った。寒いのか熱いのか、まるでわからないのだから。無意識に、これを着た克己を想像した。眩暈がした。遥は服を掴んだまま座り込んだ。自分がどこにいるのかもわからなくなった。気を失いそうになりながら、遥はブツブツと呟いた。それが、自分の声だという認識もなく。
「……峻……峻……」
本当に、気を失っていたのかもしれない。正気に戻ったのは、自分を呼ぶ克己の声を聞いてだった。
「……良かった、母さん。俺がわかる?」
手には、黒い服は持っていない。紙袋も。克己が、片付けたのだろうか?
「……克己」
「うん」
心底ほっとした顔で、克己は頷く。克己は学生服の上着を脱いだ格好で、遥の横に屈み込んでいた。
「帰って来たら母さんが俺の部屋で倒れてるんだもん。驚いたよ。大丈夫?」
自分は、何をしていたのだったか? 誰と、どこにいたのだろう。
「……母さん?」
きょろきょろとする遥に、克己が不審の声を出す。
「……峻は?」
「……」
克己は息を飲み、黙り込んだ。やがて自分の問いの無意味さに気付いたように、遥の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「……そっか。俺、夢見てたんだ。そっか……」
克己は痛そうに顔を歪め、遥から顔を背けた。だが遥の方が、克己にもたれかかった。額を克己の肩に乗せ、流れるままの涙を拭きもせず。今気付いたことを口にする。
「……そっか。さっき、この部屋、克己がいなかったから寒かったんだ」
克己は肩にもたれる遥の頭を見た。克己の右手の拳は、握ったり開いたりを繰り返している。吹っ切るように呼びかけた。
「……かあさ」
言葉を飲んだのは、遥の腕が自分の腰を抱いたからだ。
「……峻」
克己はひどく悲しそうな顔をして、眼鏡を外した。ゆっくりと、音がしない程にゆっくりと、外した眼鏡を床に置く。
克己は待っている。遥の、次の言葉を待っている。それがどんな言葉でも、克己は応えるつもりなのだ。
遥は、顔を上げた。意外な程、遥は驚かなかった。眼鏡を外した克己の、それも悲しげな顔は、峻に、よく似ているというのに。……いや、だから、驚かなかった。遥はきっと、そこにいるのは峻だと思いたいのだ。だから、見える克己の姿に驚かない。思う姿と見える姿が、似通っているのだから。
克己は黙って遥を見ている。遥が次に自分をどう呼ぼうと、遥の思うように返事しようと。
遥は、克己から身を離した。
「……ごめん、克己」
克己は目を見開いた。遥は手で目を擦り、てへ、と笑った。
「寝惚けたみたいだな、俺。わりいわりい」
ニッと笑う顔は、いつもの遥だ。克己は気が抜けたのか、屈めていた腰をぺたんと落とした。すっくと立ち上がった遥は、きまり悪げに克己を振り向き、こう言った。
「……黒い服、着たければ別に、着ていいんだぜ」
今度は克己がきまり悪げな顔をした。遥は笑って手を振って、俯く克己を置いて部屋を出た。
中間試験が終わって、明日からまた普通授業に戻る。山崎がぼやいているのは、試験は嫌いだけれど、試験中は早く放課になるのが良かった、という、我が儘なものだ。克己は友達の気持ちも半分わかるので、ははは、と気持ちよく笑って返事にした。
「うー、なあ克己、どっか行こう、そうだお前んち行こう」
山崎は余程、学校が早く引けた時間を使いたくてしょうがないのだ。
「うち? いいよ」
裕美ちゃあ~ん●、と目的ばればれの山崎を従えて、克己が教室を出た時、「あの」と廊下で声をかける者がいた。
「はい」
振り向くと、二つ向こうのクラスの女子生徒が、手を後ろに組んで、困った顔で立っている。
「あの、柊くんに……その、これ、……っ頼まれたんだけどっ……」
彼女は顔を真っ赤にして、後ろ手に持っていた物をバッと差し出した。
「え?」
克己が呆けた顔で受け取ると、彼女は脱兎の勢いで駆け出した。
「あっ……あの、あれ?」
誰から頼まれたかと尋こうとした時には、既に廊下の彼方である。山崎は興味津々で克己の手元を覗き込んだ。
「克己、それもしかして、じゃねーの?」
克己は手紙の裏を見る。差出人は書いてない。仕方なく封を切ると、それは山崎の予想通り、ラブレターだった。
「……今の子、佐伯みどりじゃなかったっけ」
手紙を見ながら、克己は確認する。
「え? おう、六組の」
文面の最後にあった手紙の差出人は、これを渡した彼女と同一だった。
「……」
「え? 頼まれたって、違うのか? あの子か、克己」
「……うん」
「へえ、いいじゃん、結構かわいーんじゃねーの」
「……」
「……なに、克己。好みじゃねー?」
「……いや、そんなんじゃなくて」
『もし、柊くんに好きな人がいないんだったら、あたしと、おつき合いして下さい』
克己は手紙を封筒に戻した。言うなり駆け出す。
「断って来る」
「え……て、今か? おい!」
山崎は目を丸くして、克己を止める仕草をした。もったいない、とでも思ったか。だが追って来ないのは、そこまで干渉することでもないということと、克己なら他にも機会はあるだろう、と思ったのかもしれない。
克己は階段の途中で彼女に追いついた。自分は多分、ひどく冷たい顔をしていたのだろう。呼び止められ、振り向いた彼女の顔は半ば期待に輝いていた。だが克己が言葉を紡ぐにつれ、それは段々と失せ、暗く、沈み、濡れていくのだ。
「……ごめん」
最後に一言そう言って、克己は彼女に背を向けた。離れたところで聞いていた女子生徒は、彼女の友達だろうか。すぐにでも駆け寄って、慰めてやりたそうな顔をしていた。
何故だろう。心が少しも痛まないのは。
半泣きの顔で「好きな人、いるの?」と問われた。「うん」と克己は答えた。
うん。
いる。
……部屋で倒れている遥を見付けた時は、ひどく心臓が痛かった。無事目を覚ました時は心底嬉しくて……峻、と呼ばれて抱き付かれた時は。
克己は、窓に映った、頼りない映像を見た。この顔が。姿が。
遥を、少しでも暖かくするのなら。
「……克己?」
山崎が寄って来た。
「……ああ、うち、行こうか」
薄く笑った克己の顔を、山崎は心配したような、知らぬ人間を見るような顔で、じっと見た。
二十二章
またぞろミョウが食べぬというので、今度はゴウは、ミョウを連れてやって来た。老の屋敷に草で編んだ大きな籠を担ぎ込むので何かと思えば、中にはミョウが泣きながら横たわっているのだ。
「わしに言われてものう……」
正直に困って見せると、ゴウはまるで老を人でなし(いや妖魔でなしか)のように言うのだ。
「あの人間は会ってくれん、会いたくないなんぞと吐かす。ミョウが、こんなに悲しんでいるのに!」
ひょっとして、わしのせいかしらん、と老は思ったが、ゴウの前では口が裂けても言えなかった。裂けるのが、口どころでは済まなくなる。年は取っても命は惜しい。
「……まあ、落ち着け、ゴウ。お前がそうぎゃあぎゃあ騒いでは、ミョウの神経に障る」
これは見事に効果を発揮して、ゴウはぴたりと叫ぶのを止めた。止めると段々に俯いて、うっうっと泣き始める。
「……俺は何にも出来ん。ミョウに、何をしてやればいい。悔しい。俺は悔しい……」
「……騒ぐなとは言ったが泣けとはのう」
老は閉口して顎を掻く。ちらりと籠の中のミョウに目を遣った。以前に食わなくなった時は本当に危険な状態で、どうゴウに諦めさせようかと思案したものだが、まだ食わなくなって日が浅いか、元々細いのであるが然程痩せ細ってはいない。
「これミョウや。お前は何をそんなに悲しい」
ミョウはひくひくしゃくり上げながら答える。
「……顔、見たくないって。ボクのこと、嫌いになったんだ。ボクのこと、嫌いになったんだ……」
しゃくり上げ泣くというのは結構体力がいる。こういう泣き方をしているうちは、まだ安心だろう。
「嫌いにのう……そんなことはないじゃろう?」
「……だって……だって」
老は籠の横に屈んで、ミョウの顔を上から覗き込んだ。
「だって、なんじゃ? モクがそう言ったか。言うとらんと思うがのう」
「……だって、あんなモク、ボク知らない。体で言ってた。ボクを嫌いだって言ってた」
わずかに顔を上げ、涙をぱたぱたと零す。そしてまた、わっと籠の中に沈むのだ。
うーむ、と老は考え込んだ。このままでは埓が明かない。あちらもこちらも巧く行く手はないものか。取り合えずミョウを食わさんことには、この場は収まらぬ。ミョウに食わせる為には、ミョウの気を取り直させねばならぬ。今のところ、こうまでなってしまっては、それはモクに頼る他ない。だがそのモクはミョウに会いたくないと言う。おそらくチョウラの子を思い出したくないからであろう。チョウラの子は人間界にいる。理由(わけ)は知らぬが、置いて行かれたままその子は妖魔界に戻って来ない。連れ戻してモクと添わせるのが一番良いのか。わからぬが、それなら本物が側にいるのだからして、モクはミョウを嫌いはすまい。それでミョウは食うようになるのか?……しまった、ゴウのことが考え外だ。しかしあれは元からミョウの為だけを考えているのだから、これ以上どう不幸になりようもないだろう。うむむむむ。
「老、老」
ふと見ると、ゴウはくしゃくしゃの顔をして、すがるように老の顔に食い入っている。
「……うむ」
確か、この月はサジの林が危ないんじゃったのー、と頭の中の暦を捲って、老は一つこくんとゴウに頷いた。
(続く)