・第9回・
有難うございました、と言って、高昌と竜男は車を降りた。車は自分の目的地へと、再び走り出す。
「もう少し交通量のあるところで降ろしてもらえばよかったですかね」
寂しい道路をきょろきょろと見て、竜男は言う。紅緒が連絡を寄越した地点まで、せめてもう一台、ヒッチハイクしたいところだ。
「あっ」
竜男が明るい声を上げる。折良く、一台の車がやって来る。
「ヘーイ!」
勢いよく挙げた竜男の手を無視して、車は通り過ぎる。
その一瞬に、高昌は見た。
助手席で携帯電話をかける男の、目の横の傷。
高昌は聞いた。
携帯電話に話す、男の声。「……やり過ぎんなよ、もったいねえからな……」
竜男は、ちぇっ、けち、と行き過ぎる車の後ろに文句を垂れる。高昌はもう、門灯も消え、寝静まったらしい家の門内に駐めてある赤い軽自動車に目を付けていた。
「……おい」
「え?」
「さっき言ったな。オール馬鹿とかいうグループのリーダー……」
「フル・フールですよ。ここんとこに傷があって、ここんとこにピアスしてるってことに纏わる話ですか」
竜男は左目の横と、口の右端を指差した。
「やっぱりか。おい馬、さっきの車追い掛けるぞ。お前運転出来るか」
「えっ……まさか、その車で……」
高昌は余所の家の門に堂々と入り、車の中を覗き込んでいる。
「ま、まずいでしょ! 泥棒ですよ、それに、さっきのFFのリーダー乗ってたんですかあ?! よしましょうよう、追っかけるなんて! あ、あ、ちょっと」
高昌は車の窓ガラスを肘で叩き割る。
「ほら、鍵だぜ」
シートクッションの下からちらりと見えていた鍵を取って、高昌は示す。竜男はあんぐりと口を開いて、あーあ、と頭を抱えて俯いた。
「これでも僕は優等生で……うわあん、もうこうなったら、家の人が出て来る前に」
肚を決めると竜男の行動は素早かった。高昌の手から鍵を引ったくり、運転席のドアを開け、乗り込んで助手席の鍵を開ける。高昌が乗り込む頃には、エンジンもかかり、「知りませんよ!」と一声叫んで、車は門を猛スピードで擦り抜けた。
「やるじゃねえか!」
「無免許ですよ! 運転なんて、ゲームでしかやってないのに、ああ、これで前科者だあ!」
「そうかい、大したもんだ」
高昌は、前科者、という部分は無視して、やったことがない、というところに感心してみせた。
実際竜男の運転は殆どブレーキを踏まず、危ないことこの上ないのだが、結果、スピードが乗って、じきに追う車を捉えた。
「そのまんま追っかけろ」
竜男に言うと、高昌は窓から身を乗り出し、するりと屋根の上に乗る。
長い赤髪が忙しなく空(くう)を叩く。悟空さん、と竜男の悲鳴がしたが、車のスピードは落ちない。前方の車も、追い掛けて来る車にさすがに気付いた。運転者以外の連中が後ろを振り向く。
高昌が跳んだ!
走る車の屋根から屋根へ、十メートル以上の大ジャンプだ!
「うわっ?!」
ガガン! と高昌が乗り移る音に、続いて屋根を拳がベガン! と突き破る音に、連中は驚き、急ブレーキを踏んで、車は停止した。
竜男の赤い軽四は、停まった黒い車を追い越し、二百メートルも行ったところで、スピンしながら漸く停まった。
高昌は黒い屋根の上に立ち上がる。
「んだテメエ、コラア!」
怒鳴りながら、男達が降りて来る。
高昌は尋ねる。
「全員馬鹿、か?」
「ああ?!」
だからフル・フールです、と竜男は離れた車の中でハンドルにしがみ付いたまま呟く。
「俺達を誰か、わかってケンカ売ってんのか。あ?」
目の横に傷のある男が尋く。
だから、全員馬鹿だろ、と高昌は答える。
「ナメてんのか!」
男四人が手の得物を振りかぶり、屋根の上の高昌に殴りかかる。
「ち、気の短え連中だな」
悟空さんが言います? と竜男はやはりこっそりと突っ込む。
棒や鎖は、ガシャアン! と車の屋根を叩いた。
高昌はふわりと宙に浮く。
「ガッ!」
屋根から下りるついでに、一人の喉に鋭く蹴りをくれてやる。男が倒れる音とジャランと鎖が落ちる金属音で、高昌が降り立つ音は聞こえなかった。着地するなり高昌は尋く。
「お前ら、男と女の二人連れを……」
「チクショウ!」
聞かず、男達は高昌に殴り掛かる。
高昌は舌打ちをし、身を沈めて棒をかわし、伸ばす足で棒使いの足を払う。転ぶ拍子に男が放した棒を地に落ちる以前にパン、と拾い、そのまま棒の先で隣の男の手を叩きナイフを落とす。屈んだまま棒を後ろに突き出せば、もう一人のナイフ使いの鳩尾(みぞおち)に棒は深々と突き刺さり、男を数メートルも後方に吹っ飛ばした。
竜男は車中で拍手する。久々に見る彼の棒術。無駄な動きは一つもない。まるで京劇の立ち回り、銅鑼(どら)の音(ね)の一つも欲しいところである。
吹き飛ぶ男がザアッと路面を滑る音を聞いて、高昌は立ち上がる。
残るは目の横に傷のある男一人。
「二人連れなら……」
立ち上がり、真っ直に睨む高昌に、男は徐に口を利いた。
「知ってるぜ」
高昌の眉がぴくりと動く。
「コケにしてくれたもんでよ……今から狩りに行くところだ」
高昌は棒を、ビッと腰の高さに構える。
「……させねえ」
「……ま、奴等の仲間でなかろうと、ここまでしてくれたんじゃあ、相手しねえとなあ」
男は両手をポケットに突っ込んでいる。チャリ、と音がして、右手に掴まれた鎖がずるりとついて出た。
竜男は、高昌が負ける訳がないと思いながらもハラハラと見ている。鎖に巻き付かれては、棒は不利だ。
男はぶんぶんと鎖を振り回すと、棒目掛けて投げ付けた!
高昌は冷静に、棒の先端を飛んで来る鎖の頭に当てる。勢いを殺した後、一足飛びに男の懐に飛び込んだ!
――と、
「いっ……?!」
高昌は棒をガランと取り落とし、その場にいきなりバタンと倒れた!
「いでええっッ!」
男は瞬いて高昌を見る。高昌は男の足下で腕を抱えてごろごろと転がる。竜男は唖然と口を開いた。
「えっ……まさかあれ、緊箍児……?!」
高昌は痛みに顔を歪め、汗を浮かべて、まさか、と考える。
――三蔵に、何か?!
右腕の輪がぎりぎりと締まる。痛みはそのまま、三蔵の呼ぶ声だ!
……三蔵、三蔵ッ!
「―――」
肩と背に熱を感じたのは、タイヤがパンクするような音が響いて、暫く後だった。
次に刺すような痛み。
自分の流す血の赤と、男の左手の黒い銃。
左肩を撃たれたのだと、その時漸く認識する。
「――悟空さんっ……?!」
蒼白になって竜男は叫ぶ。
高昌は倒れたまま、血塗(ちまみ)れの左腕で右腕を抱えて、銃を持つ男を睨み付ける。
「オンナのアソコに突っ込んでやろうと思って持ってきたんだがな」
ヤロウに使っちまった、もったいねえ、と面白くもなさそうに男は笑う。
「悟空さんっ!」
竜男は車を飛び出し、駆け寄った。
「……そりゃそうだ。運転手がいるな」
「……よせッ!」
男は竜男に銃を向ける。
「ひいっ!」
「ちい!」
銃創よりも、頭痛経が高昌の動きの邪魔をする。何とか足を振り上げて、男を蹴飛ばし、尻餅を付かせる。
「……死にてえか」
男は座ったまま、高昌に銃を向ける。
沿道の民家から怒声がした。
「――やかましい! 今何時だと思ってるんだ!」
ぱっと門灯が点き、人が出て来る気配がした。
「……ちっ」
男は舌打ちし、立ち上がると、倒れる仲間を捨てて、車に乗り込んだ。
「……悟空さん、僕らも、逃げないと」
ガラリと民家の玄関が開き、姿を見せた寝巻きの男は、道に倒れる高昌や男達を見るなり、け、警察、と叫んで引っ込んだ。
大丈夫ですか、と屈む竜男に、平気だ、弾は抜けてる、と答える。竜男は痛そうに顔を歪めた。
「糞ッ……しくじったッ!」
高昌は苦しげに吐き捨てる。高昌を立たせてやりながら、
「だから言ったんですよ、ヤバイ奴等だって!」
竜男は泣きそうになっている。
高昌はふっと眉間を緩めて、竜男の手を押し退けた。
「もういい。……頭痛経が途切れた」
「えっ……」
高昌はぎり、と歯を噛み縛る。
「でも……撃たれてるんですよ?」
竜男の心配は無視して、急ぐぞ、と高昌は車に乗る。また運転するんですか、と竜男は諦めの悪い声を出す。
自分は、どこにいるのだろう。――
感覚がおかしい。朦朧とする。
横たわっているような気もするし、吊り下げられてもいるようだ。
腰の辺りが重い気がする。何だ。何がいる。
誰か。誰かいないか。
悟空。八戒。悟浄。
……ああ、もしや、自分は又妖怪に囚われて……
そうに違いない。何と腑甲斐無い。動けぬ。目が開かぬ。己が今どんな目に遭っているのかもわからぬ。
弟子達は、私を捜してくれているだろうか。
……ああ、悟空は……
私が、破門したのだった。
お前の助けが必要だなどと、口が裂けても言えまい。
何と虫のいいことだろう。私は今あれを頼みに思っている。呼べば必ず飛んで来てくれるものと信じている。
私が今、窮地にあるとも、どこにいるのかすら、知るはずもないものを。
朦朧とする。意識が掴むことを拒否する。まるでこの身が形を成さぬ。
その身の上に、何かがいる。
ああ、苦しい。身が無くなってしまうようで、苦しい。
悲しい。お前が私と同じように後悔しているのがわかって、悲しい。
……私を、許しておくれ。
どこにいようとも、必ずや私とお前を繋いでくれる苦痛でお前を呼ぶことを。
悟空、どうか。
「……なんだこいつ。なんかブツブツ言ってねえか」
「よがってる寝言には聞こえねえなあ……」
「黙れ短小」
「クックッ――」
ケータイを耳に当てる男は、眉を寄せて口走った。
「赤い長髪の男?……」
戦いの真っ最中の秋生と正臣は、耳聡くそれを聞き付けた。「悟空の兄貴や!」秋生は小さく叫ぶ。
「ふうん。こっちも、ちょっとてこずってっけど、ま、オンナは確保……え? 撃ったの? ヤバクない?」
「――!」
電話の会話に気を取られた秋生が、後ろから棒で殴られる。
「いだあッ!」
なにすんねん、と秋生は張り手を返し、秋生を殴った男は横転した。
正臣は相手の男を蹴り倒し、トラックの荷台に積み込まれた紅緒の元へ走る。
「へえ? あっソオ……スキだねアイツも」
ケータイに喋りながら、男はナイフを取り出した。パチン、と刃を出し、正臣に向ける。その時、
「ヤダもう、サイテー!」
トラックの荷台から、憤る叫びが響いた。続いて、ドカッ、バキッという音と、がはっ、ぐえっ、という、男の悲鳴。
「ひっどーい! 玉のお肌をこんなにして! 無傷で悟空にあげるはずだったんだから!」
荷台にすっくと立つのは、気を取り戻し、見張りの男をぶちのめしてなお怒りの治まらない紅緒だ。
正臣、秋生だけでなく、男達全員が呆気に取られて荷台を見上げた。
「紅孩児、無事か?!」
「無事な訳ないでしょー?! 見てよこれ! 血が出てんのよっ!」
無事だな、と正臣は呆れながら安堵する。
「ひでえジャジャ馬だな」
ケータイを持つ男は、ナイフを仕舞うと、矢庭に車に乗り込んだ。急発進して、「きゃっ!」と紅緒は荷台で倒れる。
「待てっ!」
叫ぶのは正臣ばかりではない。置いて行かれた仲間の男も、待ってくれ、と追い掛ける。
「ワリィ、オンナ連れてかねえと、ほら、殺されっちまうし」
紅緒は、荷台から飛び下りようとした。だが、あっソオソオ、と言う男の言葉を聞いて踏み止まった。
「男の方は、もうお楽しみだとよ」
紅緒を引き下ろそうとしていた正臣にも、それは聞こえた。
正臣は思い切り路面を蹴ると、そのままトラックの荷台に転がり込んだ。
あらア、乗っちゃった、と笑う男の声と、すんまへえん、頼んまっさあー、と手を振る秋生の声が、遠くでした。
*
――あんたを待っていたんだ。
金色の瞳をした獣は、人の言葉でそう言った。言葉が通じないかもしれぬとは、そういえば露程も疑ってはいなかった。
岩に埋もれ、首と手だけが外に見えている。その面相は人ではない。だが明らかに人外の物怪とわかるのに、不思議と恐れる気持ちは沸かなかった。物怪が動けぬと思うからではない。ここまでの道中に自分を襲った妖怪共とは違う。理由はわからぬ。
「……私を? 何故です?」
獣はもどかしそうに首を振る。
――いいから、この上の、札を剥がしてくれ。
急かされ、言われるまま山に登り、札に手を伸ばした。札は、触れる前に自然に剥がれた。
麓に降りて、札が剥がれたことを告げると、獣は下がれ、離れろと言う。随分離れた頃に、岩山は破裂した。正しく仰天して砕け飛ぶ岩塊を見つめる目の前に、赤い髪を空に逆立て、赤裸の獣が降り立った。
――やった! 出られた! 出られたッ!
小躍りする獣の、何と嬉しそうなことか!
――ありがとよッ!
そう言って、多分獣は、去ろうとしたのだ。
「お待ちなさい、私を待っていたと……」
札を剥がす者なら、おそらく誰でも良かったのだ。そう思いながらも、何故かこの獣を引き止めたく、そう尋ねた。
獣は振り向いた。金色の瞳には、確かに未練が読み取れた。
自由への未練だったのか、このまま立ち去ることへの未練だったか。それは今でもわからぬが。
獣は瞬いて、不機嫌そうに、横を向いた。
――ち、思い出しちまった。
吐き捨てて、徐に馬の手綱を取った。
獣は、こちらの事情を知っていた。
「共に行ってくれるのか? それは心強い」
微笑むと、獣は面倒臭そうに、照れ臭そうに、さっさと行こうぜ! と手綱を引いた。
「私は玄奘三蔵といいます。お前の名は? なければ仏弟子に相応しい名を授けるが」
いらねえ、と獣は振り向く。笑って、名乗る。
「俺様の名は、孫悟空。斉天大聖、孫悟空だッ!」
目の前に虎が飛び出した。馬上で震える自分に、ちょうどいい、俺の服にしてくれる、そこで待ってろッ、と言い置いて、何処から出したものか、両端に金の箍が嵌まった棒を振りかぶり、牙剥く虎に躍り掛かった。虎は一撃で仕留められ、血をぶちまけて伸びている。その虎の皮を、見る間に剥いで腰に巻き、どうだッ? と孫悟空は笑った。
馬上で震える体の心臓の鼓動は、既に虎への恐怖ではなかった。この強暴でしなやかで鮮やかな妖猿に、おそらく魅せられた瞬間なのだ。
*
はあはあと、荒い呼吸が嫌に近くに聞こえた。犬かと思った。だが、途中合間に喘ぐような声が聞こえる。
(……誰)
目を開けるのが酷く大儀だ。それで貴史は、体の自由が利かないのだと気が付いた。
(……そうだ、俺は薬を嗅がされて……)
記憶が戻って来る。途端に、ここは何処だ、自分は何をされているのだという不安が、どっと押し寄せて来た。
「……はあ、三蔵殿……っ」
ギクリとした。憶えがある。この声。
無理矢理に目を開ける。見えたのは、自分の上で蠢く裸体の彦一郎、やはり裸体で足を開き、思うさまに挿入されている自分!
「―――……」
叫んだはずだった。声が出ない。彦一郎は貴史が目を覚ましたことに気付かず、ピストン運動を続けている。がくがくと貴史を揺らし、恍惚の表情で、組み敷く裸体を嘗め、時折、三蔵殿、と彼が信じる名を呼ぶ。
体に力が入らない。涙が溢れ、呼吸が乱れた。それで彦一郎は気が付いた。
「……ああ、三蔵殿……」
愛おしそうに微笑み掛けられ、濃厚に口を吸われた。
「泣いているのですか? もう大丈夫ですよ、私がお救い致しましたから……」
言いながらも、彦一郎は運動を止めない。貴史は哀れな表情で、彦一郎を見るしかない。
「何というお顔をなさるのです……ああ、恐ろしかったのですね。もうご安心下さい、暴漢めは私が追い払いました故」
暴漢は彦一郎ではないか! 動けぬ貴史を、好きなだけ荒らし続ける者が、何という理屈だ!
彦一郎は、うう、と呻いて、一層強く突き上げた。内側に射精される感覚があった。彦一郎はふうーと大きく息を吐いて、ぐいと腕で額の汗を拭った。
貴史の視線をどう思ったか、「ああ、これは」と腕の包帯の説明をする。
「暴漢からお救いした為ではありません。これも、これも」
肩や腹の包帯を示す。忌々しそうに、
「あの猿めにやられたものです。今日の暴漢からは、極平和的に、三蔵殿を、その、譲り受けまして」
彦一郎が言い淀んだ。恐らく、金で買ったのだ。
「ご心配は要りません」
彦一郎はにこりと笑う。
「ここは私の別荘です。……ああ、漸く三蔵殿と……」
想いを遂げられた、と彦一郎は涙ぐむ。
「……お許し下さい。薬物を嗅がせたのは暴漢共です。三蔵殿が人事不省に陥っておられる間に、私ばかりが幸福を享受してしまいました。我慢がならなかったのです、暴漢共に荒らされたままのお体で三蔵殿をお待たせすることが。じき、薬効も切れましょう。すれば、今一度、今度こそ、私と三蔵殿と、二人共に……」
この世の極楽へ、彦一郎は囁いて、貴史の耳を嘗め回す。
貴史の回復を待つようなことを言いながら、彦一郎は貴史の体を弄る。このまま薬が抜けるまで、前戯を続けるつもりか。
「ああ……三蔵殿……」
それとも、幾度も幾度も貫くうちに、貴史が感じ始めればいいと考えているのか。
(正臣……)
名を胸に呼んで、貴史は打ち消す。
正臣を呼べはしない。こんな、他の男に犯され続ける現場などへ。彦一郎の言葉からするなら、貴史は薬を嗅がせた暴漢共……複数なのだ……にも、すでに犯されている。
そうでなくとも、正臣は。
今、貴史を弄ぶ男と同様……
「いかがです、三蔵殿……ここは……いかがです……」
――欲しているのは、自分ではないのだ。
……では自分は、今まで何者と体を重ねてきたのだ。
恋人だと信じていた。
正臣に運命を感じた。求められるままに、唇を許し、体を開いた。
正臣が求めたのは、三蔵法師だ。
一瞬たりとも、自分の恋人ではなかったのだ。
「……さあ、三蔵殿、ここは……」
「う……」
声が出た。涙と一緒に、嗚咽が漏れた。
彦一郎は張り切って貴史の体をまさぐる。嫌悪に混じって、こそばゆい感覚が頭をもたげ始める。
「あっ……」
彦一郎は、貴史のものを口に含む。執拗に嘗め回す舌に呼応するように、ぴくり、ぴくりとひとりでに動く。
「ん……あ……っ」
囚われていく。泣きながら貴史は予感する。
薬の呪縛から自由になって、代わりに彦一郎の愛撫に囚われていく。
……誰か。
誰か、ここから……
助けて、と考えた。
赤いイメージが閃いた。
……あれは。
高昌だ。
思った途端、熱い涙が溢れた。
体の芯から、じんと熱くなった。
「あっ……ああ……」
状況は何も変わらない。
なのに、この安心感はどうだろう。
高昌のことを思い出した。それだけだ。助けに来てくれる確約などない。なのに。
高昌とて、自分を三蔵と呼ぶではないか。
それがどうした!
高昌は真っ向から貴史を三蔵と呼ぶ。<お前が三蔵だ>と主張する。
……だから、それでいいのだ。高昌にとっては、貴史であっても、三蔵であっても、<お前はお前で>……
貴史は震えた。本当に、それだけのことだったのだ。
高昌が自分を、三蔵と呼ぶのは、過去を共有したか否かなど、きっと付け足しでしかない。
唯一の存在が、<お前>なのだと――
「……ごくうさん……」
彦一郎は聞き咎めた。
「……何故、あの猿めをお呼びになるのです? 三蔵殿……」
微笑みが歪む。
「漸く、私とこうしているというのに……」
貴史の足をぐい、と掴む。感じ始めた貴史の奥に、予告なしに熱い肉棒がずぶりと刺さった。
(続く)