・第8回・
紅緒は、薄紫色のミニドレス姿で、一人夜の道を歩いている。
「あったま来る!」
時折憤りを口にして、ハイヒールを路面に打ち鳴らす。紅緒は薄く化粧などをして、いつもより一層愛らしく美しい。髪もきれいに結い上げて、にっこりと微笑んでいれば、非の打ち所のない深窓の令嬢であるのに。口を尖らせ、ヒールも折れよとばかりにつかつかと歩く。
高昌に叩きのめされて以来伏せってしまった彦一郎の代わりに、親類のパーティーに出席した帰りである。余りに腹が立った為に、途中で抜け出してしまった。だから予定の車もまだ来ておらず、こうして紅緒は歩いている。
親戚の馬鹿息子共のにやけた顔がなかなか消えない。その親共のいやらしい顔もまだちらつく。紅緒は親戚連中にはおしとやかで通っている。おまけにこの不況の中でも羽振りのいい武井建設の一人娘である。いつも娘にべったりとくっついている彦一郎がいないのをいいことに、紅緒を手懐けようという、色欲、物欲の阿呆共の相手を、紅緒は微笑んでしてきたのだ。
なぁにが、ボクと付き合えば、毎日気持ちイイことしてあげるよ、だ。
紅緒のきれいな足を嘗める様に見つめ、スカートの中身で頭を一杯にした様な下品な目付きをした色惚け馬鹿の口から出た下劣な口説き文句を、腹に吐き捨てる。
悟空程のいい男がいないのは承知しているが、せめて月並みになれないものか。
「もう……あームカツク!」
その場でだんだんと足を踏み鳴らした。
周囲の通行人が、不興な美少女をぎょっとして見つめる。
「……あれ?」
その中に、紅緒は貴史を見付けた。
「三蔵じゃん!」
手を振る紅緒に、貴史はひきつった様に微笑み返し、周りの目を一寸気にしてから、「やあ」と挨拶をした。
「……何だか、今日は凄くきれいだね」
駆け寄る紅緒に、貴史は真っ当な評価をくれる。
「そお? 何だかあんたが物凄く紳士に見えるわ」
「え?」
「ううんいいの、こっちのこと。こんな時間に、一人?」
「……君こそ。そんな格好で」
紅緒は、いいの、と一寸膨れて見せてから、天を仰いで嘆いた。
「あーあ。こんなとこでこんなイイコが二人も一人でいるのに、あいつら今頃何やってんのかしら」
貴史の表情が陰ったが、空を向いていた紅緒は気付かなかった。ぱっと顔を戻して貴史に提案する。
「ね! ヒマならゲーセンでも行かない?」
貴史は瞬き、そうだね、と笑顔の紅緒に微笑んだ。決まり! と貴史の腕を取る紅緒に引き摺られる様に、貴史はついて行く。
道行く者が、パーティールックの紅緒と普段着の貴史の二人連れを、興味深そうに目で追った。
「……ねえ、何かさあ、あたし達、目立ってる?」
「……っていうか、」
君が、と貴史は遠慮気味に告げる。紅緒は一寸貴史をじっと見て、ま、いいわ、と気にしないことにした。
「お互い意中の人は別にいるのにね」
と愚痴りながら腕を組んで歩いた。
「こうやって腕組んでるのが悟空だったらなあ」
目だけで空を見る紅緒に、
「……もっと目立ってたと思うよ」
貴史は苦笑する。やっぱり?! と紅緒は叫ぶ。
「あたしと悟空って、お似合いよね!」
そうだね、と貴史は同意する。
「えっへへ。やっぱさ、何だかんだ言って、可愛い女の子がいいと思ったの! だって、それで惚れてくれるかもしれない訳じゃない? そりゃもう、いざ死ぬって時に、必死こいて祈ったよ。悟空が惚れるような女に生まれ変わりますように、ってさ」
「……ほんとに、好きなんだね」
ああん、わかるうー?! と紅緒は貴史の肩に身を擦り寄せる。うわっ、と叫んで、貴史は転びそうになったのを踏み止まった。
「あんたもさ、腕組んでんのが悟浄だったら、って思うでしょ」
貴史は瞬き、うん、と小さく返事した。
「なによ、大人しいわね、もっと悟空に、悟浄といちゃいちゃしてるとこ見せればいいのよ。そしたら悟空も諦めつくんだから」
「え」
「いないとこでは、いちゃいちゃしてんでしょ? チューしたりナニしたり」
カアと貴史は赤くなった。いいなあー、あたしも悟空としたあーい、と紅緒は再び空を向く。
ねね、二人っ切りの時、悟浄ってどんななの、と尋ねたが、貴史は黙って俯くばかりだ。
目指すゲーセンの前まで来た時に、紅緒のバッグの中でケータイが鳴った。
「悟空かな!」
どうせ、パーティーを途中で抜けたことがバレて、今どこにいる、って家からに決まってるわ。
そう思いながらケータイを掴み出したので、
『紅(コウ)かッ!』
聞こえてきたのが本当に高昌の声だったので、紅緒は仰天して目を見開いた。
「ウソオッ!」
『あ? まだ何も言ってねえぞ』
「ああん、悟空、今どこどこ、会いたいようっ!」
貴史は、僅かに眉を寄せた。
『寺だ。それより、お前の親父はどうしてる?』
「え? 多分家で寝てると思うよ」
『……お前、外か!』
「うん。……なに、どうかした?」
高昌の様子に、紅緒の声も神妙になる。
ザッ、と、数人の近付く足音がして、
「……兄ちゃん、ちょっと、外せや」
見ると、紅緒と貴史は、品行方正という表現からは、かなり外れる種類の連中に囲まれていた。
中の一人が、貴史に向かって、居丈高に命令している。
狙っているのは、紅緒のようだ。
『実は、三蔵を捜してるんだが』
耳元で高昌の声は言う。
「……三蔵なら、ここにいるけど」
『何ッ?!』
「……ちょっと、ピンチかも」
二人を離すように、愚連隊は近付いて来る。
「……何のご用ですか」
貴史は引かず、相手にそんなことを尋ねている。
「……馬鹿ねっ、まともな用のある相手の訳ないでしょっ!」
『どうした紅孩児!』
「あんたが来なきゃ、三蔵、ボコられちゃうかもね!」
びいん、と高昌の声が響いた。
『――紅ッ!』
紅緒は、銃声に固まる鳥のようになった。
『三蔵を守れ! 頼むッ!』
男の一人が、じゃ、説明すっからこっち来いや、と貴史の胸倉を掴む。紅緒は恨めしそうにケータイを横目で睨む。
「……って、あのねえ、今のあたしはか弱い」
『ここからじゃ急いでも一、二時間はかかる! 大体、そこどこだ!』
「ここは……あっ!」
別の一人が、紅緒のケータイを叩き落として踏み付けた。
「っ何すんのよっ!」
「つれねえことしてんじゃねえよ。口説いてやってんのに、ダチと電話かよ」
「へー、口説いてるつもりだったんだ。信じらんないヘッタクソ。それに今の電話、ダチじゃないわよ、あたしのカレシ! 御生憎様!」
予定、だけど、と紅緒はこっそり胸で付け足す。
「……なんだ、じゃこいつ、カンケーないんじゃん」
貴史は喉元をぐいと掴み上げられて、息が苦しいのだろう、顔を歪めている。
「あんたのカレシには黙っててもらうってことでさ」
「なんなら俺らに乗り換えてもオッケーよーん」
へらへらと笑いながら、紅緒の顎に手を掛ける。
「止めろ、その人に……」
貴史は苦しい息で止めに入り、うっせえよダチその一、と掴む男に放り投げられた。倒れた貴史に愚連隊の一人が駆け寄る。屈み込み、貴史の顔をまじまじと見て、投げた男にこう言った。
「……あ、兄貴、俺、こいつの方がいい」
うへえ、と投げた男は口を歪める。息を鋭く吸ったのは貴史だ。
「出たな、てめえのイヤーな癖」
一同がへへへと下卑た笑いをした。
「ったく、オトコのケツがオイシイってんだからよ……俺は断然、こっちのがイイけどなあ」
紅緒にずいと顔を近付けて、指で頬をなぞろうとした。
止めろ、と身を起こして貴史は叫ぶ。お前はこっち、と腕を引かれて、あっ、と再び倒れた。
「汚い手で……」
紅緒は言うと同時に、その足を振り上げた!
「触んじゃないよっ!」
「――ガッ!」
金的一蹴。蹴られた男は仰向けに倒れ、無言でごろごろと転げ回った。
「あっ、兄貴!」
「てめえ何しやがる!」
「何って……」
紅緒はすいと視線を上げる。
「親切じゃないか。ろくでもないモンは、使えなくしちまったほうがいいに決まってるだろう?」
貴史は、いや男達全員がぱちくりとした。
さっきまでの美少女ではない。どこか凜々しい、まるで、美少年。
ちろ、と紅緒に見られ、貴史を掴んでいる男が、ひっ、と声を上げた。上げてから、何を少女に怯えているんだとばかり、首を振る。
紅緒はふう、と息を吐いて、腰に手を当て、ぽりぽりと頭を掻いた。
「……悟空に頼まれたんじゃあ、しょうがない」
言った傍から、紅緒の身が沈む。真っ直に貴史を掴む男の腹に、膝蹴りを叩き込む。男は仰向けにひっくり返り、勢い余って一回転した。
「べ、紅緒さん……」
「俺がついててあんたに何かあったら、二度と口利いてもらえないからな。好い仲になるなんて夢の又夢だ」
「えっ……」
悟空に決まってるだろ、と貴史に答えて、紅緒は手近な男の足を払う。
唖然とする貴史の目の前で、紅緒はミニドレスをひらめかせて立ち回った。裾から覗く足に下着に、貴史は目の遣り場に困っている。困りながら、自分の腕を掴んできた男を一人、目を瞑って殴り倒した。
「あはは、やるじゃん! 立てる?」
紅緒の伸ばした手を、貴史は掴む。ぐいと引き上げておいて、紅緒はバッグの中から、香水瓶を取り出した。
「持ってて」
香水瓶を貴史に渡し、寄り来る男を蹴り上げて、今度はバッグからライターを出す。
よく見ると、香水瓶の口から、ちょろりと布が垂れている。サンキュ、と貴史の手から瓶を取り戻すと、紅緒は矢庭に瓶の口の布に火を付けて、男達の前に投げ付けた。
「うわ……っ」
ガシャン! と瓶が砕けたかと思うと、ボッと炎が立ち上る。
「か……火炎瓶?!」
「ぼうっとつっ立ってないで、ほら、逃げるの!」
貴史の腕を掴んで、紅緒はその場をすたこらと離れる。突然の炎に何人かの通行人が泡を食っていたが、二人が絡まれるのを遠巻きに見ていただけの野次馬は、当然見捨てるに値する。
町の名前が変わる程に走って、紅緒は漸く走り止めた。二人ぜいぜいと息をし、徐に紅緒は吹き出した。
「……あっはははは! あー面白かった!」
荒い呼吸で笑う紅緒を、通行人が怪訝に見て行く。
「……紅緒さん、笑い事じゃ……」
「いい気持ち。あたし、昔っから火が好きなんだ!」
貴史は声を落として、紅緒に尋ねる。
「火炎瓶なんて……あんなもの、いつも持ち歩いてるの? 自分で作るの?」
「作り方なんて、辞書に載ってるわよ」
「辞書?」
新・解明邦語辞典、っていうの、知らない? 紅緒は笑う。
「……そんなことじゃなくて」
貴史は首を振った。紅緒は縦に首を振る。
「平気。パパが揉み消してくれるわ」
「……よくないよ」
貴史はがっくりとうなだれる。もう、真面目なんだから三蔵は、と紅緒は息を吐いた。いいのよ、正当防衛よ! と言い切る紅緒の背に、「こいつ!」と声が掛けられた。
「げっ!」
振り向けば、先程の愚連隊が三人! 路上駐車のスクーターが三台、あれで追い掛けて来たのだ!
今度は手に得物を持っている。振り向いた時には、もうそれは振り上げられていた。
「!」
咄嗟に頭の上で腕を交差して、今生の腕は、か弱い乙女のものであったと、思い出した。
(……やば……)
折れるかも、と思った時、
ぐい、と後ろに引かれた。貴史が、無言で紅緒の前に出る。
(――バカ……!)
目の前で腕を広げる貴史の背に、紅緒は腕を伸ばす。
――間に合わない!
「ふんぬりゃあ!」
気合い一閃。
貴史の向こうで、男達は自分達のスクーターを食らって吹っ飛んだ。
車道から三台纏めて放り投げたのは、
「――八戒!」
ふひー、と大息を吐いている、秋生である。
「……秋生ちゃん」
「あー、走った走った。あっつう……」
流れる汗をぐいと拭いて、秋生はよっこいしょ、とガードレールを跨ぐ。
「もー、貴史はん、無茶せんといてや。間に合わんか思て、肝冷えたがな」
「ごめん……え、でも、なんで?」
秋生はスクーターの下敷きになっている男達をつんつんと突(つつ)き、起きないのを確認してから、場所変えまひょ、と先導した。
「高昌はんから、電話もろて」
歩きながら、秋生は話す。
「ようわからんけど、とにかく貴史はんとこ行け! 言われてん」
捜したでえ、と秋生はにこにこ笑う。
「……よくわかったね?」
「まあ、大体の場所は何とのう……えへへ」
照れる秋生に、
「お前が役に立つとこ、初めて見たよ」
その昔散々虚仮にした憶えのある相手を紅緒は褒めた。
「えへへ、そんな……て、褒めてないがな」
「でも、本当に助かったよ、有難う秋生ちゃん」
天然のノリツッコミを見せたかと思うと、今度は貴史に礼を言われて、だらしなく照れ笑いに身をくねらせる秋生である。
貴史も漸く緊張が解けたように、柔らかい微笑みを漏らした。
「けど……」
紅緒は面白くなさそうに口を尖らせる。
「やっぱ、三蔵かあ」
「……え?」
悟空だよ、悟空、とぶうたれて、紅緒ははっと秋生を向いた。
「八戒! まさか悟空の奴、女に興味ない、なんていうんじゃあ」
「そやなあ、」
うーん、と空を見る秋生に、ウソオ! と紅緒はショックを隠せない。
「ああん、そんなあ! 何の為に女に生まれ直したんだよおッ!」
嘆く紅緒に、いや、そうやなくて、と秋生は続ける。
「女に興味ない、いうより、女も男も、悟空兄貴が興味持ってんの、多分、おっしょさんだけとちゃうかなあ」
「――……秋生ちゃん?」
不安そうに、貴史は呼ぶ。あは、と秋生はばつが悪そうに、この場合おっしょさんは貴史はんのことで、と頭を掻く。
「そら、おいら達のことも、兄貴はよう面倒見てくれたし、身内の猿とか、義兄弟の牛魔王とか、戦った……特に強かった二郎真君とか、気に掛けてるモンはそらあぎょうさんあるんやろけど……」
そんでも、と秋生は小さく頷く。
「多分、好きや、思てはるんは、……貴史はん、だけやろな」
「―――」
でも、それは、と貴史は尋く。
「……俺が、三蔵法師なら、てことだろう?」
だからあんた、三蔵なんだって、と紅緒は決め付ける。
「悔しいけどね。……少なくともあたしが会った頃にはもう、あいつ、あんたしか見ていなかった」
あ、それはおいらが混じった頃にも、もう、と秋生は申告する。紅緒はどこか少年ぽい目付きになって、地面を睨んだ。
「……俺もいい加減しつこいと思うけどさ。あいつも、いい加減長いよな。……惚れたのは、千……三、四百年も前かな」
秋生も貴史も、黙りこくって俯いた。過(よぎ)る思いは、別々であっただろうが。
「……貴史ッ!」
息を切らして走って来るのは、正臣だ。
汗が、物凄い。いやもしかしたら、雨も、混じっているのかもしれない。一体何処から、走り詰めなのだろう。
貴史の目の前でびたりと足を止め、さっと貴史に目を走らせて、正臣は一つ、大きく安堵した。
「……無事か」
「正臣はん、高昌はんの寺んとこにいてたんと違うん?」
これ程汗だくの正臣を、秋生も見るのは初めてなのだろう。目を丸くして、呆れた声で質した。
「……ああ。気になって……」
秋生に答えて、正臣は口を噤んで貴史を見た。貴史は、僅かに眉を寄せて正臣を見ている。本当ならば、彼らは今頃、貴史の部屋でいつも通り勉強をした後、睦まじくキスの一つも交わしている頃だ。
正臣が貴史に何か言う前に、貴史は静かな顔をして、正臣に呼び掛けた。
「悟浄」
正臣は目を見開いた。秋生も紅緒も、目を丸くする。秋生は気が付いたように、はっと手を伸ばしたのだ。だが正臣は畏れるように、尋ねてしまった。
「……思い出したのか?」
あいたあ、とばかり、秋生は目を瞑り、伸ばした手を額に当てた。
貴史の唇は、ぶるりと震えた。
「……やっぱり、そうなんだ。三蔵じゃない俺には、用はないんだろ?!」
叫ぶなり、車道の方へ駆け出す。正臣ははっとしたが、遅かった。
「――貴史ッ!」
貴史は道を向こう側へ渡り、細い路地の中へと消えていく。
「あかん、追わな!」
秋生が言う前に、正臣は走り出している。一泊遅れて、秋生、紅緒も追い掛ける。ガードレールを越えたところで、紅緒は思い付いて電話ボックスを捜した。五十メートル程の向こうにそれを見付けて、皆と別れて走り出す。
「悟空?」
出た相手に言った途端に、『馬鹿野郎!』と怒鳴られた。
『何やってやがった、早く連絡入れねえかッ! こっちはずっと待ってんだぞッ! 掛けても掛けても通じねえし!』
受話器を思わず耳から遠ざけて、紅緒はぶー! と膨れて返事する。
「しようがないだろッ! ケータイ壊され――」
『三蔵は無事なんだろうなッ?!』
……ああ、全くもう。紅緒は腹に毒突く。わかってるから、こうして連絡入れてやってるんじゃあないか。――
「……知りたかったら今度ヤって」
『――ふざけんなッ!!』
真剣(マジ)なのに、と思いつつ、はあい、と紅緒は謝って、ケータイが壊されてからの顛末を語った。
「ヤバイですよ」
高昌と紅緒の会話を電話の横で聞いていた竜男は宣った。
「……ああ。畜生、悟浄の奴、てめえが三蔵を不安にさせてりゃあ世話ねえじゃねえか」
いえ、そっちじゃなくて、と竜男は訂正する。
「あ?」
「多分、紅孩児と三蔵さんを襲ったのって、『F・F(フル・フール)』の連中じゃないかな」
「全部馬鹿あ(フル・フールう)?」
この辺で割りと幅利かせてる悪童のグループですよ、と竜男は話す。
「奴等をコケにして、無事に済むとは思えないなあ」
「なんだ、もう済んだんじゃねえのか?」
「だからあ、しつっこいんですよ奴等、タチ悪いし、良くない噂に事欠かない連中なんですって」
ふうん、知らねえなあ、と高昌は言ったが、目の厳しさは消えていなかった。
貴史は再び、何処かへ行ってしまったのだ。今度は高昌も出掛ける用意であった。
「あ、悟空さん、これ貸しましょうか?」
竜男が差し出したのは、携帯電話だ。
「僕、ピッチと両方持ってますから。あ、番号はですねえ……」
受け取りながら、二つも何に使うんだ、と高昌は呆れたが、やだなあいろいろ違うんですよ、現代人の常識です、と竜男は鼻息を吹いた。
貴史は胸が苦しくなって、走るのを止めた。外灯も疎らな路地を歩きながら、流れるに任せていた涙を漸く拭う。
正臣の、あの顔は。
(……思い出したのか?)
貴史を、三蔵法師だと信じている。
三蔵が戻ったことを喜びながら、自分の罪を恐れるような……
罪、だったのだ。
正臣と貴史の関係は。
正臣が沙悟浄なら、貴史が三蔵法師なら、記憶のない師匠を抱いてしまうのは、確かに弟子にとって後ろめたいことであるのだろう。
だから、正臣はあんなに優しかったのか。
あんなにも、畏れるように……
貴史は首を振る。
激しく、抱いてくれた。愛しくて堪らぬのだと、あれ程激しく……ただ、一度。
激しかったのは、誰だ。
熱い口付けを、この唇に施したのは、
一体、
貴史は、眩暈を感じて座り込んだ。
雨後の湿気った空気が、まるで水中にいるように、貴史の身に纏い付く。……ああ、溺れそうだ。水に……いや、あの、口付けに。
……<どの>、口付けだと?
車が一台、蹲る貴史に横付けされた。はっと貴史は顔を上げたが、ドアを開けて降りてきた数人の男達に囲まれるのは、貴史が立ち上がるより早かった。誰かが、こいつだ、と言った。
「誰――」
問い質そうとした貴史の背後から腕が伸びる。胴を抱えられ、鼻と口に布を宛てがわれ、刺激臭を感じたところで、貴史の意識は途切れた。
あちこちを見回し、荒い息を吐いて、おかしい、と正臣は呟いた。
「変やで。いい加減、追い付いてもよさそうなもんや」
ふひー、ふひー、と秋生が、正臣と同じ感想を口にする。
「ちょ、待って、休憩、電話する」
今生の身の体力のなさを恨みながら、紅緒は見付けた電話ボックスの扉を開けた。貴史を捜して走りながら公衆電話も探しているのに、なかなか目に留まらないのは、皮肉なことに、携帯電話の普及の為に数が減らされているからである。
「……なあ正臣はん、考えたないことやけど……」
秋生の言わんとすることに、正臣は唇を噛んだ。
三人共が思っていることだ。
貴史の身に、何かが起きた。
「ちょっと! 悟空、こっちに向かってるんだって! 馬から借りたケータイ持ってるってよ」
うひゃあ、と秋生は肩を竦めた。『お前らがついてて何やってやがんだッ!』と怒鳴る高昌の声でも聞こえたか。
ついでに家にも、と紅緒は再び受話器を上げる。
秋生は頭を抱えて、どーしよ、兄貴に殺されるう、とその場でぐるぐると回転する。やがて秋生は、ぴた、と回るのを止めた。
「……車や」
秋生の言う通り、道の向こうから派手なエンジン音と共に車影が近付いて来る。そうや、貴史はん見かけんかったか尋こ、と秋生はやって来る車に手を振った。
近付くにつれ、車の様子が見えてくる。白い軽トラックだ。横に細く何やら突き出して見えるのは、積み荷が崩れてでもいるのだろうか。
「おうい、おおい……」
秋生の声が聞こえたか、荷台に乗っている男が立ち上がった。同時に、突き出ていた棒も、ぐらりと揺れる。男が、握って立ったのだ。男は明らかに秋生に気が付いている。だが車が減速する気配はない。
「……なんや、にやにや笑(わろ)て」
停まってくれてもええやん、と秋生は愚痴る。正臣は車を見た。そして、荷台で笑う男の視線の先が、紅緒のいる電話ボックスだと気が付いた。
「――紅孩児ッ!」
正臣の叫びで紅緒は顔を上げた。だがその時にはもう、間近に迫ったトラックの荷台から伸びた棒が、電話ボックスに叩き付けられる寸前だった。
「キャアアア?!」
グワッシャアアン! とガラスが派手に四散する。
「イヤッホオオウ!」
荷台の男は嬌声を上げて、掴むケータイに「見付けたぜ!」と叫んでいる。
秋生は仰天して電話ボックスに駆け寄る。
「紅緒はん?! 紅緒はん、しっかりい!」
トラックは電話ボックスを暫く過ぎたところで、横腹を見せて停止した。正臣はトラックを睨み付ける。降りて来るのは、どいつもこいつも柄の悪い、二十歳前後の男だ。
「連れいんじゃん。……ま、いっか? 一緒にやっちゃえば」
「そーそ、それがシンセツ」
へらへら笑う男達の手には、棒や鎖、ナイフなどが握られている。
「紅緒はん! ……あかん、気ぃ失うてる」
あちこちをガラスで切ったものだろう。紅緒は電話ボックスの残骸の中に、血を流して倒れている。棒の直撃の有無はわからない。
男の一人は、相変わらず携帯電話に話している。
「早く来ねえとヤっちゃうぜえ」
(続く)