・第7回・
貴史は石段を登っている。
翌日学校で秋生が言うには、夕べ貴史を送って行ったまま、高昌は戻って来ないのだそうだ。
「仲直りした、思てたのに」
戻らないのは貴史のせいだ、と言わんばかり。だが実際そうなのだろう。自分の迷いを、八つ当たり気味に高昌にぶつけた。わかっているから、貴史は秋生に尋ねて、石段を登っている。
まだ日は高い。貴史が学校をさぼるのは初めてだ。
少しでも早く高昌に謝りたかったのと、今日は家庭教師の日で、放課後は正臣と過ごす為。
齟齬がないように見える二つの理由が、自分の中では矛盾を孕んでいると、貴史は自覚している。
正臣を誰より愛しく想いながら、高昌に魅かれている自分を認識している。
高昌は、多分自分を好きなのだ。謝って、それからどうする。
嫌いではないのだと伝えて、自分は高昌と、その後どうなりたいのだろう。
石段を登りながら、答の出ない自問を繰り返す。
最後の石段を踏んで、貴史はふうと息を吐いた。
「……おや」
声に顔を上げると、紺の作務衣を来た僧侶が、草履をつっ掛けて、境内を貴史の方へ歩いて来るところだ。
「もしや高昌(こうしょう)のお友達ですかな」
住職だろうか。高昌が気に入らない方の呼び名で、貴史に問い掛ける。貴史は軽く会釈して、
「……高昌(たかまさ)さんは」
和尚はにこっと微笑んだ。
「あれは今、買い出しに出ておっての。友達が来るならそう言い置いて行けば良いものを。まあ、お上がりなさい」
「あ……いえ、約束があって来た訳ではないので」
和尚は貴史をじっと見た。そして徐に貴史に向かって手を合わせる。
「……え?」
「ああ、これは失礼。……ほう。ほうほう」
「……?」
合掌を解いて、和尚は更に貴史をまじまじと見る。
「……成る程のう。してみればこれは」
貴史は怪訝に尋ねる。
「……何ですか?」
「高昌の捜し物は、どうやらお前様のようじゃ」
「えっ」
「金ゼン子、というお名前に憶えは」
「……いいえ……誰ですか?」
さあ、と和尚は首を捻る。
「は?」
「誰かは存ぜぬが、何やら有難い気分になったもので少しばかり見させて頂いたのじゃ。したら見えたのがそのお名前。何やら神々しいお方の極近くにおらっしゃったようじゃなあ」
半信半疑に、貴史は尋いてみる。
「ひょっとして、三蔵法師、とか」
さあ、と和尚は再び。にこ、と相好を崩して、非礼を詫びた。
「いきなり訳のわからんことを言う坊主で申し訳ないの。わしのひいじいさんはもっとちゃんと見えたそうじゃから、訳のわかるように言えたんじゃろうが」
目を細めて、見透かすようにした。
「高昌はのう……よう見えなんだのじゃ。あれにも何か感じて、見ようとしたのじゃが」
どうも、普通の生き物と違うようで、と呟いて、
「いやいや、あれと友達なら、どうかそのまま付き合いを続けてやって欲しいのじゃ。悪い奴ではない、むしろ、偉く真っ直な奴でな……」
貴史が小さく微笑んだので、こりゃ釈迦に説法かの、と和尚は笑った。
そこへ、石段を登る音と一緒に、声がした。
「何和んでやがる……ってめえ、何しに来やがったッ!」
スーパーのビニール袋を大量に抱えた高昌が、貴史の後ろで目を剥いていた。
「嫌いな奴の顔見に来た訳じゃねえだろう! 何の用だ!」
「こりゃ高昌」
和尚が窘める。
「わざわざ学校を休んで来てくれた友達に、何という言い種じゃ」
のうご友人、と振り返られ、さぼったことを見抜かれていたことに、貴史は赤面した。
「……さぼったあ?」
お前が? と高昌は呆れている。
「……早く、謝りたくて、」
ごめんなさい、と貴史は頭を下げた。
高昌はぽかんとして、ビニール袋を地面に着けた。
「……おい何頭下げてんだ……よせ、よせって」
「高昌さんのこと、嫌いじゃないんだ。なのに、あんなこと言って」
貴史は、背後の和尚を気にしながら言い訳をする。
「……嫌いじゃない?」
高昌は、ばっと猿の様にしゃがみ込んで、貴史の顔を見上げた。
「ほんとか? 嫌いじゃねえのか?」
俯けた貴史の顔を下から迎える様に、高昌の顔が覗き込んでいる。「じゃあ好きか」、などと尋きそうにない、まるで二心のない顔で。
高昌の顔を上から見つめる格好で、「……うん」と貴史は答えた。高昌はくすぐったそうな顔をした。
「わざわざ学校さぼって言いに来たのか?」
そうして上下で見つめ合っていることが何だか照れ臭くなって、貴史は頬を赤くした。すると高昌も赤くなって、目を逸らして立ち上がった。
「……すぐには帰らねえんだろ? 茶でも飲んでけ、おい糞坊主!」
高昌が本堂に向かって叫ぶと、いつの間にかいなくなっていた和尚が、茶が入ったぞ、とお堂の扉から顔を出した。
高昌はがぶりと茶を飲んで、薄い、と文句を言った。
お前の煎れる茶が濃過ぎるんじゃ、と和尚は、畳の上に正座する貴史に年代物らしい歪な茶碗を勧めた。
「これじゃ薬にもならねえぜ」
「茶は嗜好品じゃ。コーヒイと同じよ。生憎切らしておってな。お若い方はコーヒイの方が宜しかろうが、これもわしも茶ばかり飲むもので買い置きがない」
「いえ、おいしいです」
「薄けりゃ言っていいんだぜ」
「そんなこと」
「気の毒で言えねえってよ」
「言ってないだろ、もう」
かっか、と笑う高昌をちらと見て、和尚は貴史を向いて微笑んだ。
「……で、お前様、何と言って口説かれたのじゃ?」
口に含んだ二杯目の茶を、高昌はぶーっと吹いた。
貴史も高昌も、カアと赤くなる。
「この坊主、一体何言い出しやがるッ?!」
「口説いたのじゃろ、それで振られた、ほれ図星じゃ」
「……薄くて飲めたもんじゃねえッ、煎れ直して来る!」
急須を引っ掴み、障子を乱暴に開け放って、高昌は廊下をドスンドスンと行く。
「やれやれ、渋くて飲めたものではないぞ、茶を薬湯と勘違いしとるでな」
と高昌を見送って、和尚は改めて貴史を見た。
「ここは、高昌の部屋なのじゃ」
「……え」
「殺風景じゃろう?」
四畳半の部屋に、あるものと言えば、元から置いてあったのだろう小さな文机。高昌が使っている形跡はない。押入れがあるが、入っているのはおそらく布団ばかりであろう。
「一月程前に、ふらりとやって来てな。捜し物をしたいから、ねぐらを暫く貸してくれと言うのじゃ。尋くと、まだずっと幼い時からそうしてあちこちの寺を渡っていると言う。……こんな風に、何にも持たずにの」
貴史は、そっと唇を噛んだ。捜し物。それは、貴史のことなのか。
「……俺には、捜される憶えなんか……」
和尚は飲み干した自分の茶碗を、畳の上に置いた。
「……それで振りなすったか。まあのう」
貴史は膝の上で、拳を握る。
「……和尚さんの言う様に俺が金ゼン子なら、三蔵法師じゃないんでしょうか」
さあ、と和尚は首を捻る。
「お前様は、どうなのじゃ」
「え?」
「三蔵法師で、ありたいのかの?」
「……」
わかりません、と貴史は答えた。
ドタドタと、高昌が茶を煎れて戻って来た。
「絶対こっちのが旨いぜ!」
高昌の煎れて来たお茶は本当に苦くて、薬の様だった。
お暇します、と言った貴史を、送ってく、と高昌は立ち上がった。
「……でも」
「奴と勉強するんだろ? 家の前までだ、邪魔はしねえよ」
「……わざわざ、いいのに」
「……邪魔はしねえ」
結局高昌に送られて、長い階段を下っている。
「八戒はこの階段、登るのひいひい言うんだぜ。平気だったか?」
「うん。一寸、疲れたけど」
中程まで来た時に、尋いてみた。
「……もし三蔵じゃなかったら」
「あ?」
「俺を捜そうなんて、思わないよね」
高昌はぱちくりとして、はあ? と言う。それから溜め息を吐いて、いいよ、信じてねえんだろ、とぼやく。
「そうじゃなくて」
「何がだ」
貴史は自分で、何を尋きたいのだろうと思っている。例えお前が三蔵でなくても、そんな答を、聞きたいのか。
「……何でもない」
はっきりしねえな、と高昌は片眉を上げる。
「凄え嫌だけどな! 今のお前は悟浄のもんだ、納得したよ、だから手は出さねえ! 安心して送られろよ、いいだろそれで!」
(……悟浄)
貴史ははっとして、立ち止まった。高昌が先に段を下りてしまって、振り返る。貴史の顔に気付いた。
「……おい、どうした?」
「……そんなこと、」
貴史は愕然と呟く。
「どうしたんだ、おい」
高昌に腕を掴まれ、貴史は高昌を訴える様に見た。
「……ないよね。俺が三蔵だから、正臣が捜したなんて……」
高昌は、何を今更、といった顔をする!
「決まってるじゃねえか。俺達はあんたと約束して――危ねえッ!」
貴史はぐらりと傾いて、危うく階段を転げ落ちるところだった。高昌の腕に抱えられて、座り込む。
「馬鹿野郎ッ、確りしろよ、何やってんだッ!」
「―――そ」
「ああ?」
「うそ……」
「嘘?」
貴史は、ぐい、と高昌を押し退ける。
「そんな嘘……どうして、嘘ばっかり、」
「……何言ってやがんだ? あんたが三蔵だって話か? 嘘じゃねえけど、信じてねえんだろ」
立てるか、と高昌は貴史を掴んで引き上げる。
そのまま貴史は高昌に支えられて階段を下りた。黙りこくる貴史に、電車の中で一度、「俺と居るのは嫌じゃねえよな?」と高昌は尋いたが、それに黙って頷いただけで、貴史は家に辿り着くまで、一言も口をきかなかった。
夕方から雨が降り出した。
貴史のより近くに居る為に、本格的に秋生の部屋に移ろうと思い、一旦寺に戻ったら掃除をさせられ買い物を頼まれ、和尚に話す間もなく訪れた貴史を送って戻れば土砂降りである。この古い寺は雨漏りなんぞもするのだ。高昌は寺にもう一泊を余儀なくされた。
総動員された寺の茶碗が、あちこちで規則的に鳴る。その音を聞きながら、世話になった部屋をきれいにしていくのもいいか、と思い、畳に雑巾などを掛けている。さっぱりした小さな部屋は、掃除も楽だ。
「……ん?」
外の気配に気が付いた。障子を開けて、廊下を本堂の方へ行く。
境内に、正臣が立っていた。雨に、濡れるだけ濡れて。出て来た高昌に気付いた様だ。
「雨の中の河童か。いいねえ」
正臣は高昌を睨む。
「勉強中じゃねえのか。三蔵はどうした? いくら河童でも、ちったあ雨を避けたらどうだ」
「……何を言った」
高昌はぴくりと片眉を上げる。
正臣の怒気を感じた。
「……何、たあ何だ」
「――貴様貴史に、何を言った!」
びりびりと雨滴が歪む。高昌は庇の下で腕を組む。
「だから、何たあ何だ。三蔵がどうした?!」
「……三蔵でなければ捜さないと、そう言ったか」
「言った。何だそんなことか? 本当のことだろう」
雨の中に、正臣が溶けたかと見えた。ひゅん、と流れる風と、軌道を変えられて歪み落ちる雨が、近付く正臣の先触れだった。
「……!」
高昌は避けた。正臣の拳は高昌の赤い髪を掠って、水滴を鋭く飛ばす。
「っ何しやがるッ!」
「貴様が!」
正臣は攻撃を止めない。高昌は腕で往(い)なしながら下がる。退路はすぐに尽き、仕方なく、尽き出される正臣の腕を自分の腕にぐるりと回して、高昌は正臣をその場に寝かせた。
「適うと思ってんのか、馬鹿河童!」
「く!」
「でっ!」
足を払われ、高昌も倒れる。バシャッ! と派手に飛沫が上がった。
「貴様が余計なことを言ったんだ!!」
正臣の怒号は悲痛だ。高昌は転がったまま、尚掴みかかる正臣を見た。
「……三蔵が、どうした?」
正臣の顔を流れるのは、雨か、涙か。
「……あいたくないと」
声は弱い。
そりゃねえだろう、と高昌は言った。
「俺は、てめえと三蔵がほんとに想い合ってると思ったから、……」
今生は諦めようと、やっとの思いで。
「……三蔵は家か」
高昌は身を起こす。
「……どうする気だ」
「我が儘言ってんじゃねえって、ぶん殴る」
「な……」
「でっ!」
正臣に押さえ付けられ、後頭部を強か打った。
「痛えな!」
「三蔵は悪くない、悪いのは貴様だろうが!」
「何で俺だよ!」
「貴史は自分が三蔵だと憶えていないんだぞ! それなのに貴様の言い方を聞けば、貴史自身は愛されていないと考えるだろうが! 何故そんなことがわからん、この猿め!」
「……待てよ」
胸倉を掴む正臣の手を掴んで、高昌は被さる正臣の顔をまじ、と見た。
「……それじゃあ、自分は三蔵だって、信じたことにならねえか?」
「―――」
「てめえが三蔵じゃねえなら、三蔵を捜した奴が来るはずがねえ。俺が何言ったって、猿の戯言(たわごと)じゃねえのかよ?」
正臣は瞬いた。
「……それは、確かに」
「だろ? 実はあいつ気が付いたんじゃねえか? きっとそうだぜ!」
「……貴史さんが三蔵かどうかに関わらず、自分を悟浄だと思い込んでいる人が、貴史さんを三蔵だと信じて近付いた、というのはアリですよね」
高昌、正臣、二人ばっと振り向いた。
境内にはひょろりとした一人の男。長めの髪が雨にぺたりと濡れて、こちらの方が河童の様だ。骨張った手を頭にやって、に、と笑った。
「ども。お久し振りです」
高昌は目を見開く。正臣は水滴の流れる眼鏡の奥で、目を眇めた。
「……お前、龍王の息子か?」
「ちぇ、印象薄いなあ」
高昌の言い種を不服そうに、痩せた男は身を反らし頭を掻く。
「これでも八戒さんや悟浄さんよりは先に三蔵さんにお仕えしてたのに。確かに西海龍王の三太子ですよ。観音様も三蔵さんも特に名前をくれなかったし。あ、でも今の名前は」
「お弟子でもねえ馬に名前をくれるかよ!」
白木竜男(しろきたつお)というんです、と名乗る声は、高昌の笑い飛ばす声に掻き消された。
高昌から手を放して正臣が尋ねる。
「三蔵が乗っていた白馬か」
「ああ、龍馬だ」
揃った!
これで、その昔、艱難辛苦の道のりを西方天竺まで向かった一行が全て今ここに寄り集まった。
……何が、起こると言うのだろう。
雨音に混じって、がたりと、乾いた木戸の音がした。
「……ほうほう、元気なことじゃ」
見ると、寝所の雨戸を開けた和尚が、呆れ顔で呑気な声を出している。
「びしょ濡れじゃのう、ほれ、風呂にでも入れ」
沸かすのは俺だな、と高昌は目を眇め、口の端を思い切り下げた。
「そう嬉しそうな顔をするでない。さあそちらの二人も」
そして最後に風呂から上がった高昌が四畳半の自室に戻る。
狭い高昌の部屋に、湯上がりの三人があぐらをかいている。
「如来だと?」
「ああ」
高昌の話に、正臣は眉を寄せた。竜男を指して高昌は言い切る。
「馬まで揃った日にゃあ、偶然なんかである訳がねえ。絶対何かありやがるぜ」
指された竜男は湯上がりの血色の良い顔をして、いいなあ檜のお風呂、とまだ湯舟についての感動を述べている。幾度も繰り返されて、高昌はさすがに何か返さねばいけない気になった。
「……古いだけだろ」
竜男は羨ましそうに、次の言葉へ続けた。
「えー、でもここのお風呂広いし、やっぱり湯舟は檜ですよ。いいなあ悟空さん、いっつも檜風呂」
「俺が穴を塞いだんだ。俺が来るまで、湯の漏れる風呂に浸かってやがったんだぜ、あの物臭坊主」
「へえー」
「へえーじゃねえよ。風呂の話してんじゃねえんだ、おい馬、お前は何でここに来た。やっぱり三蔵捜してか」
っていうか、竜男はぺたりとした髪を撫でる。
「僕の場合はですね。はっと気が付いたのが、ついこの間なんですよ。ありゃりゃ、僕はひょっとして、昔三蔵法師を背中に乗せていなかったっけ、って。で、まず悟空さんの気配を感じましたね。一番強いですから」
そりゃあ違いねえ、と高昌は頷く。
「それで、悟空さんを捜していたら、雨が降ってきて」
急に降るんだもんなあー、と竜男は首を振る。そして、ああ檜風呂……と天井を向いた。
要するに、竜男は、三蔵と八戒……悟浄も、境内で会うまで、居るとは思わなかったらしかった。
「ふうん……」
高昌は腕を組む。
「十七年経って思い出したのか」
ええ、ひょっこり、と竜男は頷く。
「思い出した瞬間は一寸したパニックでしたけど、悟空さんを感じてからは、こりゃもう会いに行かなきゃって。……これでも優等生で通ってたんですけど、仮病で二日程、学校休んじゃいましたよ」
高昌はあんぐりと口を開いた。
「……二日?」
はい、と竜男は頭を掻く。高昌は、自分が三蔵を捜すのに要した時間を思って、呆れたのだ。多分、正臣も同じ思いだろう。苦々しそうに竜男を見て、溜め息を吐いた。それから高昌を向いて、尋く。
「……神将がお前のところに来たのがそれぐらいじゃないか」
「……」
その通りだ。二郎真君とナタが高昌の元を訪れたのが一昨日、正に二日前だ。では竜男の記憶が呼び覚まされたことに、あの二人が何かしないまでも、影響を及ぼしたことは大いに有り得る。高昌は歯を噛んだ。
「……畜生、気の利きかねえ奴等だッ」
正臣は聞き咎めて目を眇める。何故三蔵の方を思い出させなかったのだと、高昌の言わぬ訴えを読み取っただろう。
「で、八戒さんと三蔵さんは、それぞれ自分の家にいるんですね?」
ああ、と高昌は頷く。自分がここに来た理由を思い出してか、正臣は暗い顔をした。そんなことは知らず、竜男はにこにこと天井を見る。
「皆居るんなら、また旅をしてみたいですねえ」
高昌はぶるると首を振る。
「冗談じゃねえ、如来に使われるのぁ、ごめんだぜ!」
何も天竺までお経を取りに、なんて言ってませんよ、と竜男は呆れる。正臣は、くいと顎を引いて思案した。
「……如来か。三蔵が思い出したら、何かが動くんだろうか」
「……」
どちらでもいいと、高昌は思う。
如来に使われるのはごめんだと先程言った。それは本音だったが、確かに今現在も、どうやら如来の思惑から、完全には自由になれていない様だ。それが腹立たしいとは思う。だが、三蔵が自分を思い出してくれることの方が、高昌には重大だ。その結果、如来に使われることになろうが、この世界が消えてしまおうが、そんなことは本当に、どちらでもいいのだ。
一人楽しそうな顔の竜男は、今度、同窓会をしましょうよ、と、呑気な声で言った。
貴史は受話器を置いた。呼び出し(コール)音を二十回聞いた。正臣はまだ帰っていないのか、それとも出たくなくての居留守か。
正臣に確かめた訳でもないのに、気が高ぶっていた。
正臣の口から聞きたい。
貴史は階段を下りて、台所で片付けをする母親に、一寸出て来る、と言って家を出た。
先程ぱらついた雨は上がった様だ。玄関を開けると、外の空気は湿っていた。
歩きながら、気持ちを整理するつもりだ。正臣の部屋まで、徒歩で三十分。――
とにかく、と高昌は立ち上がる。
「……三蔵に電話して来る。謝るよ」
障子を開ける高昌を、正臣は目で追った。貴史が今頃、高昌の言った言葉でうなだれているであろうことは、想像に難くない。
高昌は長い廊下をぺたぺたと歩いて、寺に一台切りの電話に向かった。そして一分後に、ばたばたと部屋に戻って来ることになる。
「あの野郎、また留守だッ……すまねえ悟浄ッ」
正臣はバッと立ち上がる。
「……きっと俺の部屋へ」
呟くなり正臣は高昌の横を駆け出る。高昌は文机の引き出しからプリクラが貼られた可愛らしいメモ用紙を掴み出すと、再び廊下を駆けて行く。
(続く)