「クレイソード・サガ」

・第八回

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 ――それは、ガルダという名の王が、代々国を治めていた頃の昔。
 何代目のガルダ王の治世だったか。国は一匹の魔物によって、滅ぼされようとしていた。
 魔物は色々な物に姿を変え、人心を惑わす。戦は途絶えず、国は荒れた。国王の軍隊も、在野の猛者も、悉く魔物に敗れた。王は国中に触れを出した。魔物を倒す武器を献上せよ。万の武器が集まった。剣、弓、槍。しかし、いっかな魔物を倒す武器は現れなかった。資材も人材も消えていく。国はもうお仕舞いかと誰もが思った。
 国の端の州のそのまた端にある村に、兄神の血脈と信じる一族がある、と王に仕える臣下が言った。兄神は武器と慈愛を司る神、言い伝えの是非はともかく、彼(か)の一族の造る武器ならば恐らくは、と進言した。
 広い国の端っこの村に、国王の遣いがやって来た。勅命である。魔物を倒す武器を造れ。村は造剣が盛んだった。その中でも一番の鍛冶の腕を持つのが、カナークという名の男だった。魔物を倒す剣を造れるとしたなら、その男しかいないだろう、何故なら兄神の力を受け継ぐ最後の男が彼だからだ、と村の者全員が言った。
 遣いはカナークの家を訪ねて、剣造りを命じた。もとより断れるものではない。カナークは不吉な顔をして、造剣を承諾した。国王の触れが出された時に剣を献上しなかったからには、おそらくカナークには、魔物の強さも、己の運命も、国の行く末も知れていたのに違いない。カナークには息子が一人いた。勅命で剣を造る傍ら、五歳の息子に禊の行を行わせた。やがて剣が鍛え上がると、カナークは息子を連れて王宮に参じた。――この剣を扱える者は、我ら親子をおいてございませぬ。そう聞いた国王は、鍛冶屋が官位を望んだのだと思い怒りを露にしたが、それは間違いだったと直に理解した。献上の剣を渡せとカナークに迫った側近を、カナークは剣を抜くなり斬り払った。側近は正体を現わした。魔物が化けていたのだ。
 戦いは半日を過ぎても終わる気配を見せなかった。王宮詰めの魔法使いや戦士達が助太刀したが、カナークの一太刀程には役に立たなかった。魔物は人心を操り、人々は味方同士で討ち合った。死人は増え、王宮は崩れた。魔物は疲れ知らずに見えた。傷を負ったカナークは、魔物に契約を持ち出した。
――二十年後に、俺の息子の魂をやろう。
 魔物はカナークの息子を気に入った。代わりにカナークの望みを叶えた。この場は一旦人の世の国から手を引く。
 やがて魔物は自ら息絶えた。カナークは手袋を嵌めた腕を魔物の腹に埋め、そこから細く長い、長い剣を引き摺り出した。そうして息子を側へ呼んだ。五歳の息子は、自分の体の何倍もある剣を体に埋められた。
 国王はカナークの為に最高官位を用意したが、カナークは断った。ぐったりと倒れてしまった息子を抱いて、村へ帰って行った。
 その後の二十年は、スガルダ国は、カナーク親子以外にとっては、実に平和な国となった。王は度々カナーク親子の様子を遣いをやって調べさせた。医者も幾度か送ったが、カナークの息子は癒される事はなかった。
 カナークは息子が内から体と精神を蝕まれて行くのを、二十年間見守らねばならなかった。二十年という年月を設定したのは、息子の中で魔物を弱らせる為だった。自分の息子が稀なる聖性を備えていることを、カナークはわかっていた。だが息子は日に日に弱っていく。眩いばかりの聖性が、魔物によって歪められて行く。カナークは幾度か、王の遣いに二十年の約束を縮めたいと申し出た。しかし魔物との約束を違えて今の世を揺らがす事は、遣いも、王も、良しとしなかった。
 やがて約束の二十年がやって来た。王はカナーク親子を王宮に召した。カナークの息子は長じて二十五の青年となっていたが、痩せ細り、その相は死に神のようだったという。復活する魔物は弱っているはずだった。二十年の間に用意された魔物退治の兵共がカナークと息子を取り囲んだ。カナークは息子に仮死の魔法を掛けるよう要求し、それ以上の手出しを拒否した。そして手袋をした手を息子の腹に突き立てた。掴み出された剣は、封じられた二十年前よりは幾分細くなっているようだった。カナークは叫んだ。
――魔物よ、俺で代わりとせよ!
 カナークは魔物の剣で自身の首を掻き切った。仮死魔法を掛けられたはずの息子は大声で叫び、カナークの手から剣を奪った。そして自分も自刃しようとしたが、剣は魔物の姿へと変化し、契約は成った、と言い残して去った。
 その日以来、国のあちこちで魔物の姿が現れ、スガルダ国は一月(ひとつき)を待たずして滅びた。
 兄神の血脈と言われた一族も、国と共に滅んだものである。




「おい、チキ、行くぞ」
 あ、うん、と答えて、チキは書棚に本を戻そうと席を立った。ヴァーンが寺院で用事を済ませる間、寺院付属の魔法学校の図書館で待っていたチキである。重い本ばかりを五、六冊も抱えて高い踏み台に乗ると、隣の机で本を読んでいた男子学生が急いでチキの隣に別の踏み台を持って来て、手伝ってくれた。
「ありがとう」
 最後の本を棚に戻してチキが礼を言うと、男子学生は俯いて、さっさと自分の踏み台を片付けて行ってしまった。見ていたヴァーンはにやにやと寄って来て、チキが踏み台から降りるのに手を貸した。
「よっと。大分ふっくらしてきたな」
 腰を掴むヴァーンに、チキは尋く。
「……そんなに重くなった?」
「いい事だ」
 今まで痩せ過ぎだったんだからな、とヴァーンは笑う。
「これなら男の子に間違えやしねえな。今の学生も、お前に照れたんだぜ」
「……ええ? それはないよ」
 二月(ふたつき)経って、チキの体には大分柔らかい肉が付いていた。ぱさぱさだった髪も幾分伸びて、艶やかとはいかないが、くすみが抜けて明るい金色になってきている。胸にも少女らしい小さな膨らみが現れて、チキの姿は本来の愛らしい少女に戻りつつあった。
 ダットンを過ぎ、ヘンダルの都を掠めて南へ向かう途中だった。ヴァーンに魔法を教わりながらの旅は、やはりチキには新鮮で面白い。何より、体が健康になっていくものだから、何をしていても愉しいのだ。
「読書は捗ったか?」
「うん」
 ヴァーンが寺院や魔法学校に寄る度に、チキは付属の図書館で本を読んだ。一般の閲覧は出来ないのだが、ヴァーンの名前はとても有名らしくて、皆チキをヴァーンの親類だと思っているようなのだ。騙してるようで気が引ける、と言ったチキに、思わせとけ、尋かれたら弟子だと言え、とヴァーンは軽く片付けた。
 ともかくチキはこんなに沢山の本を見るのも読むのも初めてなので、ヴァーンが寺院に寄るのは歓迎だった。ダットンの魔法学校で初めて図書館に入った時は、「図書館が本のある所だって事は知ってたけど、こんなに本だらけだなんて思わなかった。だって壁も仕切りも全部本なんだよ」と言ってヴァーンを笑わせた。
「ねえ、ヴァーン」
 図書館を出て並んで歩くヴァーンを見上げて、チキは本を読んで思った事を尋ねた。
「思ったんだけど、魔法使いって、神様に帰依してないとなれないの?」
「うーん……少なくとも、この国の仕組みじゃあそうだな。天地神に頼んで力を借りるって形式を取ってる」
「じゃあ、神様に祈らなくても魔法は使える?」
「邪法、って分類されちまうけどな」
「あ、魔物の力を取り込もうって方法のだよね」
「他にも、神様の下位に存在する精霊を使役する、とか、まあいろいろあるが、やっぱり基本は世界に満ちる生命から力を得る訳だから、生命を全部いい様に出来る神様に祈るのが、筋だろうな」
 ふうん、とチキは考える。
「やっぱり呪文は必要なんだ」
「必要だな。……例えば、魔法使いは常に神様とパイプが繋がってる訳じゃない。呪文を唱える事で力が通るパイプを作るんだ。だから」
 ヴァーンはチキの前に両手を挙げて、両方の人差し指を立てて見せた。
「二つ以上の魔法を同時に使う事は、実はかなり難しい。呪文の数だけパイプを作る。それを維持して魔法の発動まで暴発させることなく抑え、ここぞと言う時に使う。魔法が三つ四つと増えれば、勿論それだけ難度は上がる」
 ヴァーンは指を三本、四本と立てていく。
「ほれ、お前に仮死と蘇生の魔法を掛けた時があったろ? あれも、仮死の魔法を右に、蘇生の魔法を左に溜めて、『発』って合図で時間差をなるべく作らない様に連発させる方法だ。クレイの奴はそんな知識はなかったようだが、同時に死なせて生き返らせろ、なんて注文をしてくれたんだ。俺なら何でも出来ると思いやがって」
「……それだけど」
 うん? とヴァーンは眉を上げる。
「クレイが……おいら、あんなだったから、見間違ってるかもしれないんだけど、呪文無しで、魔法を使わなかった?」
「……ああ」
 あれか、とヴァーンは口を曲げる。ちょっと考えて、あれなあ、と頭を掻いた。
「……どう考えても、魔法じゃないな。俺達が定義する魔法、って意味だが」
「魔法じゃないの?」
 だから呪文がない、とヴァーンは言う。
「さっきも言った通り、魔法は呪文で神様とのパイプを作って、神様の力を貸してもらう作業がいるんだ。奴が言ったのは『令』、『隷』。俺の『発』と似てるようだが、根本的に違う。万一魔法だとしても、天地神に随するものじゃない……まあ、奴の神様は兄神らしいが」
 信じてないって言ってたけどな、とヴァーンは四角い顎を摩る。
「『令(命ずる)』で『隷(従え)』だもんな。ありゃ神様の言葉だぜ」
 ナークレイってのは、太っ腹な神様なのかもな。茶化したのか本気なのか。ヴァーンは天地神への祈りを捧げた後に、兄神への祈りのポーズを取って見せた。
 チキは、クレイがしてくれた祈りを思い出して、そっと自分の胸に手を触れた。
「もう失われちまってるが、昔は兄神に随する魔法使いも、いたかもしれないな」
「……じゃあ、クレイも魔法使いかも」
 チキは本で呼んだ知識を組み立ててみる。
「北方の国には父神に随する魔法使いがまだ多いって書いてあったし、神降ろしをする魔法使いも多いって。もしかしたら兄神も」
 いや、とヴァーンは腕を組む。
「それにしたって、神を降ろす道がいる。自分の意識をすっ飛ばすくらいの、通常の魔法よりもかなり太いパイプがな。第一、魔法は知識無しには使えない。クレイは魔法の知識は殆どゼロだ」
 成る程神降ろしか、とヴァーンは腕を組んだまま、チキの顔をまじまじと見た。
「お前、神降ろしに向いてるかもな。そのうち修業してみるか」
「え?」
 チキはぽかんとして、それから慌てて瞬いた。
「か、神様を降ろすの? おいらに?」
「そのうちだ、そのうち」
 ヴァーンは軽く請け合って歩いて行く。チキはそれを追い掛けて、二人並んで寺院の敷地を出た。
「ヴァーンの用事はどうだった?」
「ああ。魔物情報は変化無しだ。行き先はこのまま、国境のメミザに行くぞ」
 南の隣国スイレーンとの国境に魔物が出るという噂がある。クレイもその話を聞いたなら、向かっているはずだ。
 ここに来るまでも、チキとヴァーンは魔物の噂を辿って来た。黒髪の剣売りを見たという話は、少なからず聞けたのだ。
 尤も、それが最近の事でなく、何十年も前の話だったりするのもあったのだが。
「ハンナは、何て?」
 チキはにこにこと尋ねる。ヴァーンは口をひん曲げたが、それは照れ隠しだ。ヴァーンがクレイを追い掛けるのは、どうやら寺院の要請もあるようで、それでこうして行く先々で寺院と連絡を取っているのだけれど、それを知ったハンナが、ヴァーンとの伝言板代わりにディーン叔父を通して使っているのだ。困ったもんだ、などと言っているが、ヴァーンも嬉しいに違いないのだ。
「……あーチキも元気か、って」
「それはいつもだろ」
 チキは笑う。「兄様大好き、もいつもだし」
「……弟子が師匠をからかうと、こうだ!」
 ヴァーンは怒鳴り、チキに歩を合わせるのを止めて、ざかざかと先に歩いて行った。チキは走って追いながら、「返事はなんて出したのー?」と尋ねた。




 国境の町メミザは、広い河の大きな大きな中州の上に出来た水の豊かな町である。隣国スイレーンとの国境でもある河幅はとても広いので、メミザはスイレーンとの国交の拠点にもなっている。
 メミザへ渡る船を待ちながら、チキは心地良く湿った風を肺一杯に吸い込んだ。
「おいらのいた村より随分あったかい。季節もあるんだろうけど」
「大分南に来たからな。国の最南じゃねえが、メミザの先はスイレーンだ」
 ヴァーンは今朝から上着を脱いでいる。チキも服の長袖を捲っている。メミザに着いたら服を買ってやるよ、とヴァーンは言ってくれたが、そこまでは甘えられないと、チキは断わった。村を出る時に爺さん達が持たせてくれた旅費はとうに底をついた。宿代や食費はヴァーンが持ってくれているのである。気にするこたあねえのにとヴァーンは言うが、幾らヴァーンの家が裕福でも、魔法も無償で教えてもらっているのに、これ以上はさすがに気が引ける。
 まあ、チキが着ている服は、村の兄さんからお下がりでもらった、丈夫で動き易いのが取り柄の男物なのだから、体に丸みも出て来た事だし、ここらで女物を着ろよ、とヴァーンは言っているのかもしれなかった。それはチキも、女物の服を着てみたくない訳ではなかったのだけれど。
 桟橋で順番を待つ乗客の列を眺めて、チキは呟く。
「南かあ……」
「ん?」
「クレイの生まれた国に近付いてるのかな、って。……もう、滅んでるんだろうけど」
 ああ、とヴァーンは自分の荷物の上に腰かける。
「スガルダ国か。正確な場所を記した物は残ってないみたいだからな。……どうやら唯一の生き証人の記憶もあやふやだしな」
 惚けが始まってるぞ、あの爺いは、とヴァーンは口の悪い事を言う。ひどいなあ、と文句を言うと、そうじゃねえか、とヴァーンは言い募った。
「自分の年も憶えてねえから、国が滅んだ年もわからねえ。それがわかれば、文献に一行書き足す事が出来るってのによ。お前の村にいた爺さんは、自分の年を忘れていたか?」
「そりゃ……そうだけど」
 じゃあやっぱりあの本にあった五歳の息子が。
 チキは南の方を見やる。ゆったりと流れる河の水が、きらきらと光っている。
 こんなにのんびりと気持ちのいい南の国で、昔、恐ろしい出来事があったのだ。
「……ほんとに魔物が出るのかな?」
 チキは口に出して、寺院の魔物情報を疑ってみる。出るのだろう。寺院の真ん中にも魔物は出るのだ。
「……? 様子がおかしいな」
 ヴァーンは呟いて、荷物から腰を上げた。順番待ちの桟橋の客達が、騒々とし始める。ヴァーンは桟橋の方へ、並んでいる人々を追い抜いて駆けていく。チキはヴァーンが尻に敷いていた荷物を抱えて、追い掛けた。
 桟橋の突端で、船は出るばかりになっていたが、船頭は乗ろうとする客を制している。
「先の便で河に落ちた客が上がって来ない。少し待っててくれ」
 成る程、人命救助に船を出そうというのだ。目を凝らすと、向こう岸からも客を乗せない船が一艘、こちらにやって来る所だ。
 その向こうから来た船が、ぐらりと横に大きく揺れた。ざわっと待たされた客達がどよめく。
 危ない、とチキが息を飲んだ時、ヴァーンは目を眇めて呟いた。
「いたぞ、惚け爺いが」
 船が揺れたのは、人が船縁を掴んだからだ。揺れる船を船頭が抑える間に、その人は水の中から船上へと姿を現した。遠目にもわかる黒い髪。彼は手に長い物を二本持っている。きっとあれは剣。そのうちの一本には柄がない。
 桟橋の客達が喜びの声を上げる。船便は再開され、ずぶ濡れの客を一人乗せた船は、向こう岸へと戻って行った。
 ヴァーンはブツブツと呟いて、小さく人差し指を振った。
「……何したの?」
「伝言を送ったのさ。待ってろ、ってな」
 ヴァーンとチキは乗船待ちの列に並び直したが、この間にまた少し列は伸びていて、向こう岸に渡れたのは、その後こちら岸で船が三回出航の合図を鳴らしてからだった。
 船を下りて船着き場を一巡する間に、船が揺れて子供が落ちそうになったのだと話を聞いた。子供を庇って剣売りは落ちたのだと。船を揺らしたのは、おそらく魔物だ。誰もそれに気付いてないのだろう。だから船便は何事もなかったように再開されている。
 人の流れから外れた隅に、クレイはいた。
 子供連れの男が頻りにクレイに頭を下げながら、タオルを押し付けようとしている。クレイはずぶ濡れのまま男に断わり続けて、こちらに気付いた。
「……連れだ」
 一言呟き、それ切り引き止める男もありがとうと叫ぶ子供も無視して、ヴァーンとチキの前にやって来た。
「……待っていろと言うから逃げられなかった」
 そして最初にヴァーンに文句を言った。
「水も滴るいい男だな。タオルぐらい受け取りゃあいいだろ」
「タオルの中に金が入っている」
「はーん」
 はい、とチキは船の中から準備していたタオルをクレイに差し出した。クレイは、ああ、と受け取って顔を拭く。
「で? 仕入れた剣は?」
「迷惑料代わりに船頭に渡した」
「……そーすか」
 相変わらず商売っ気のねえ奴だ、とヴァーンは呆れる。魔物から子供を守ってもらった男からの礼も受け取らず、仕入れた剣もただで手放して、自分は荷ごと濡れ鼠になっている。
「まずは宿屋か服屋だな」
 ヴァーンは仕切って、さっさと先頭を歩き出した。クレイは黙ってそれに続く。チキは濡れた姿のクレイを暫く見詰めて、やはり黙ってついて行った。
 ふと、クレイが立ち止まった。チキを振り返り、口を開く。
「……済まなかった」
 チキは目を見開く。何かが急に込み上げて来て、堪えながら首を横に振った。
「……ううん、ううん」
 チキは笑って、腕を広げた。
「どうかな、おいら随分健康になっただろ、その……ありがとうクレイ。クレイに会わなかったら、おいらきっと死んでた」
「……俺に会わなかったら魔物を封じられる事もなかったんだぞ」
「そしたらおいら、村の皆と赤ん坊の時に魔物に殺されてた、だから、」
 ありがと、と言った。クレイは瞬いて、静かに応えた。
「……そうか」
 チキが泣きそうになったのを、ヴァーンもクレイも気付いたろうか。
 振り向いて見ていたヴァーンが、促した。
「ほれ、いくらあったかいからって、ぐずぐずしてちゃ風邪引くぜ」
 船着き場から町へ出る人の流れに乗る。前を行くクレイの濡れた袋には、別れた時より剣の数が増えていた。
 魔物を、追い掛けているのだ。もう、何年も、何年も。
 メミザは暖かかった。布の厚い服ではうっすらと汗をかくくらい。それでチキは、クレイが風邪を引くかもという心配をしなくて済んだのだが、さすがに濡れた姿で町を歩いている人間は他になかったので、いつも以上に人目を引いた。こちらを向いて囁き合っている人達は笑顔で「ほら、きっと子供を助けた剣売りだよ」と、こちらの袖も引きかねない勢いだ。なのでチキ達は、是も非もなく、一番最初に見付けた服屋の扉を潜った。
 ヴァーンはチキとクレイの肩を押して、この二人に合う物を出してやってくれ、と注文した。いらっしゃませ、とこちらを向いた女店員達は目を輝かせて、チキとクレイを取り囲んだ。
「まあ、可愛らしいお嬢さん、こんな男物なんか着てちゃいけませんわ」
「ずぶ濡れですのね、タオルを、ああ、何をお出ししましょう、何でも似合いそう」
 クレイとチキの服を今にも剥ぎ取りそうな勢いで、二人別々に連れて行かれる。
 ヴァーンは面白そうに眺めていて、助けてくれない。チキは店員三人に押され引かれて小部屋に連れ込まれ、とうとう着ている物を剥がれてしまった。
「薄手の物にしましょうね。色は何がいいかしら」
「アクセサリも付けましょうね」
「ええ? おいら、そんな……」
 あら、と店員三人が声を揃える。
「きっとお似合いですよ、そんなにお可愛らしいのに」
 嘘だ、と言われた事のない言葉に戸惑っているうちに、綺麗な色の服が幾枚も持ち込まれ、あれやこれやと着せ替えられて、髪や耳やも飾られた。
 ハンナが身に着けたら、さぞかし似合うだろう、と思う柔らかい黄色のドレス。それより少し濃いオレンジの耳飾りと、同じ色の髪飾りは高い位置で髪を束ねるリボン。足元はドレスと同じ色の華奢な靴。
 チキは胸がどきどきして、何か叫び出してしまいそうだった。
「さ、とてもお似合いですよ」
 満足そうに笑う店員が、チキを小部屋から出そうとする。しかしチキにはそこを出る勇気がなかった。
「……あの、やっぱり、もっと、その、」
「……お気に召しませんか?」
 そんなことないけど、とチキは俯く。
「お連れの方に見て頂きましょう」
 店員はチキの手を引いて、小部屋を出た。何だか、上手く歩けない。こんな小さな靴は履いた事がない。こんなに裾がひらひらする服も初めて身に着けた。何だか頼りなくて、似合わないと思うのに、見てもらいたくて、恥ずかしくていつもの服に着替えたいのに、とても興奮している。
 ヴァーンが、まずチキを見付けて「おお」と声を上げた。
 隣にはクレイが、濡れた髪も乾かされて、薄い水色のシャツと若草色のズボンを着けて立っている。いつもの服が乾くまでのつもりなのだろう。シャツのボタンが洒落ているのが、店員の努力の跡かもしれない。
 ヴァーンは腰に手を当てて、うんうんと頷いた。
「いいじゃねえか。似合うぜ、チキ!」
 クレイはチキを見ても何も言わない。チキはそれ以上そうしていられなくなって、「やっぱりやめます」と傍らの店員に告げて、小部屋へ引き返した。




 ヴァーンはクレイをじろりと睨む。
「……ったく爺いは枯れてやがるな。何か言ってやれよ」
「……ああ、そうか」
「そうかじゃねえだろ」
 ヴァーンは額に手を当てる。全くですわ、と傍らにやって来た店員が同意した。「幾ら美男子でも大減点です」と手にした袋をクレイに差し出した。
「……何だ、お前そんなに買ったのか」
 濡れた物の袋は別にある。ヴァーンは、もしや、と思いクレイの手から引ったくった袋を覗き込んだ。だがそれは男物で、チキへの贈り物でないのは明らかだ。
「……なんだこりゃ」
 怪訝にヴァーンは問う。俺のだ、とクレイは答えるだけだ。
 そうするうちに、チキが橙色のワンピースを着て現れた。
「……すっきりしちまったな」
 ヴァーンの感想に、うん、とチキは頷く。
「やっぱりおいら、あんまり、ああいうのは似合わないから。……でも、スカートなんて初めてなんだよ、照れちゃうね」
 チキは指で頬を掻く。ヴァーンはこっそり、クレイの横腹を肘で突く。
 クレイはじっとチキを眺めて、「さっきの」と口を開いた。
「リボンを着ければいい。その服に合う」
 チキは瞬く。頬を染める。
「……そう、かな」
 ああ、とクレイは頷いた。ヴァーンは笑って、頼むわ店員さん、とリボンを注文した。




(続く)


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