「クレイソード・サガ」

・第七回

「ここだけ劇場」へ戻る


 話を済ませて戻って来たクレイは、自分の剣の袋を引っ掴んだ。ヴァーンは居間で待っていた父親に、支度があるから手伝ってくれと頼んで、クレイと共に姉のいる奥の部屋へ同行してもらった。暫くして出て来たヴァーンは父親と一緒に姉を連れており、お前も来い、とシデを誘った。
「一寸出て来る。もしかしたら後でお前にも手伝ってもらうかもしれないからな」
 とチキに言い置き、ああそうだ、と振り返る。
「奥の部屋は覗くなよ。強い結界が張ってあるからな」
 と言い足した。
 チキは居間で一人待った。奥の部屋からはクレイも母親も出て来ない。日が傾く頃にヴァーンは戻って来たが、父親もシデもデラも伴っていなかった。
「泊めてくれる余所の家に預けて来たんだ。おばちゃんも後で行くが、お前は残れよ。俺も一緒だ、怖くないだろ?」
 うん、とチキは頷く。怖くないというのは嘘だが、足手纏いになるのでなければ、二人の側にいたい。チャルダでのように、自分の知らぬ間に、傷だらけになっていると思うのは嫌だった。
 やがて母親が奥の部屋から出て来た。布に包んだ荷物を抱えて、宜しくお願いします、とヴァーンに頭を下げて、本当に連れて行かなくて良いんですか、とチキを見た。
「ああ。くれぐれも、娘の縄は解くなよ。ま、解けないだろうが」
 はい、ともう一度頭を下げて、母親はチキを振り返り振り返り、家族の所へと出て行った。
「……さて」
 ヴァーンは何やらブツブツと呟いて、その場にごろんと転がった。
「寝るか。寝とけよチキ。夜中に起こされるかもしれないぞ」
「……うん。ねえ、」
「ん? 腹減ったか?」
「クレイは?」
「奥で寝てるさ。……開けるなよ」
 ほれ、とヴァーンは部屋の隅に畳んであった洗濯済の衣類をチキに放ると、多分父親の着物を自分も布団代わりに腹に掛けて、あっと言う間に寝息を立てた。
 チキは開けるなと言われた戸の前まで這って行くと、そうっと耳を戸に当ててみた。すると微かに、ほんの微かに寝息が聞こえるようだったので、チキは戸を離れて、自分もヴァーンのように床に転がり、こちらは多分母親の着物を掛け布団にした。




 今吸っている娘は旨い。
 最初に襲った時の恐怖も操を奪った時の絶望も美味だったが、一度快楽を許してしまった後の精神の崩壊ぶりがまた旨い。
 後一吸い二吸いしか出来ないのが惜しい。だが、生命尽きる寸前の邪ばかりに満ちた肉を齧るのもそれは楽しみなのだ。
 今の娘を食ってしまったら、次はどの生き物を餌食にしようか。もうこの村には、今の娘ほど吸い甲斐のある餌はなかったように思う。後は、もう食い散らかして御仕舞いにしても良いかもしれない。小物どもも随分我慢している。もう譲ってやっても良いかもしれん。
 偶には旨い汁を吸わせてやるのも、縄張りの主の役目だ。――
 魔物は、変だ、と思った。家の前に降り立つ頃には、娘はいつも自分の臭いを嗅ぎ付けて、外に出て待っているのに。
 くん、と臭いを嗅いで、理由を知った。なるほど。娘の為に、魔法使いを雇ったのだ。娘の寝ている部屋の回りに、きつい魔法の臭いがする。結界でも張ってあるのだろう。だから娘は出られないのだ。
 愚かな事だ、と魔物は嗤った。この自分をそこら辺の小物と同じだと思ったらしい。結界の中の娘を見失うか、魔法を恐れて引き返すとでも考えたのか。ニタリと口を吊り上げて、魔物は自分の体を縮めた。少し大きな人程だ。身の丈を変えるのは上等な魔物にしか出来ない。大きさを誇示するだけの馬鹿者とは違う。真に力を有する者は、身のでかさなどに頓着しない。
 魔物は堂々と家の中に入った。この村は自分の物なのだから、当然と言えば当然だ。部屋には娘の家族が寝ている。大人と子供だ。もう一人、母親がいたはずだ。いつも通り、娘に寄り添って寝ているのだろう。魔法使いの結界程度で安心しているのが、愚かしくて笑えた。後で纏めてお仕置きしてやる。まずは娘だ。
 戸に触れると、僅かに反発を感じた。だが魔物は構わず戸を開ける。自分にこんなものは効かないのだと、悪戯(ふざ)けた気分で紳士的に壊さず開けた。
 中は、
 ――いい匂いが立ち込めていた。
 さて、あの娘は美味だったが、これ程良い匂いがしたろうか。
 娘は黒い着物を体に掛けて、静かに寝入っている。傍らに母親の姿はない。
 変だ。これ程側にいて、自分の臭いで目覚めぬとは。近付いた。花嫁は、着物の上に左腕を乗せている。着物と揃いの黒い手袋を嵌めていて、その左腕を細い縄で戒められていた。なるほど。これで目覚めぬのだ。縄に魔法が掛けてある。そして気付いた。
 別人だ。
 魔物は愉しみが増えた事を知り、またニタリと笑った。家族は自分の娘を守る為に、余所の娘を縛り付けてまで差し出したのだ。部屋に張られた結界は、罪悪感の現れだ。
 魔物にこの娘を断る理由はない。これを食ってから、この家の娘も食えば良い。勿論、謀ろうとした家族にも思い知らせてやるのだ。替え玉の娘と、自分らの娘と、どちらも餌食になったのだと知った、絶望に冷え切った肝を十分に味わった後でだ。
 ……それにしても上玉だ。
 魔物は垂涎をぺろりと嘗めた。これが自分に怯えるところを早く見たい。眠ったまま吸うのは、余りに面白くないではないか。
 怯えた肝をまず一吸いして、それから肉を汚す。力で操を奪われた女の絶望は、どんな醜女でも酔う程美味だ。いや、人間の女の美醜などよくわからぬが、それでもこの黒衣の花嫁は美しいと、魔物は思った。
 本当に、花嫁にしても良いかもしれぬ。
 自分の中に取り込んで、永劫に生かすのだ。されば、花嫁の恐怖も絶望も崩壊した精神も、その後にやって来る淫らに爛れた邪な満足も、主である魔物を喜ばせ続ける。
 まずは、縄を解いて起こさねばなるまい。
 魔物は娘の黒手袋に巻かれた縄に手を伸ばした――触れた途端。
「天のガラシア地のアルシナ」
 恐ろしく早口な声が聞こえ、魔物は開いた戸を見やった。
 魔物を向いて呪文を唱えるのは寝ていた男だ。だが娘の家族ではない。寝ていたと思った娘の家族はどこにも見えない。
 魔物は悟った。結界がきつく臭っていたのは、他の魔法をごまかす為だったのだ。
 縄が娘の腕から飛んで離れ、魔物の体をぎゅっと戒める。
 魔法使いに、騙された。
 ざんっと鋭い空気が魔物の肩に当たった。痛みより先に、魔物は跳ね飛ぶ自分の腕を見た。
『――グエエッ?!』
 寝ていた娘は、着ていた黒衣ごと剣を振り抜いた。舞い上がる着物も、宙に回る腕も、噴き出す魔物の血も、起き上がる娘の髪も、黒い。
 いや、娘ではない。
 <魔法使いに、騙された>。
 暗闇に剣は閃き、魔物の頭を二つに割った。




 頭を割られた魔物は雄叫んで、片手で呪縄を引き千切った。
「ち、やっぱ駄目か」
 ヴァーンは舌打ちし、続けて魔物に足止めの魔法を掛ける。奥の部屋に予め仕込んでおいた魔法を発動させた。これでクレイが止めを刺しやすくなる。腕と頭を半分無くしたとは言え、油断を許さぬ気配をヴァーンは魔物から感じている。ちら、と横目でチキを見た。きちんと着物を布団にして眠っている。出来れば起こさぬまま済ませたい。
「決めろよ、クレイ!」
 ヴァーンの声より早く、クレイの斬撃は魔物の残る腕を落とす。剣を魔物の胴体に貫き通し、横に斬り裂いた。
『オノレ……オノレ』
 魔物は唸る。血を繁吹(しぶ)き、ぐらぐらと身を捩る。足止めは効いている。
『……このわしがあ……花嫁にしてやろうとまで思ったものをお……』
 ヴァーンはあんぐりと口を開いた。
「……おいクレイ。『結界目立って頂戴ね作戦』は、お前が魔物に求婚される程に成功したらしいぞ」
 相変わらずもてもてだな爺さん。クレイは返事もしない。魔物の胴を斬り離す一撃を、無言で打ち込んだ。
『――ゲアーッガッガッガアッ!』
 魔物は嗤った。哄笑を上げた。離れた胴が落ちる、その一瞬に、魔物の体が、斬られた腕が、頭が、繁吹(しぶ)いた血が、ブワアッと膨れ上がった!
「……ッ」
 奥の部屋一杯に魔物の体が満ちたと思った瞬間には、壁が、屋根が吹き飛ぶ。
「ぐっ……」
 ヴァーンは飛びすさりざまチキを見た。チキには破片は当たっていない。結界が効いている。爆煙の向こうに目を凝らしたが、クレイの姿はすぐには見えない。
 欠けた腕や頭やを血の霧共々回収して、魔物は屋根の上に肩が出る大きな黒犬の姿になった。まともなのは手足の数だけで、目は四、尾は三、尖った歯は節操がない程生えている。だらんと垂れた舌は一つだが、長い。数は合っている手足も、先は四本とも人の手をしていた。
『わしがせっかく紳士に振る舞ってやったものをお……許さんぞ剣使い、魔法使いい』
 砕けた壁の向こうから、瓦礫を駆け登ってクレイが姿を現した。宙にたんっと蹴上がり、手にした剣で魔物の手を斬り落とす。繁吹(しぶ)いた血は落ちた手を取り込んで、魔物の傷はすぐに修復した。乱杭歯をぎらりと見せて、ガッガッと魔物は嗤う。
『斬撃は効かぬわあ。わしの血を浴びたなあ剣使いい』
 ガッと開いた魔物の口にクレイの体は引っ張られる。クレイに付いた魔物の血が、クレイ共々魔物の中に取り込まれようとする。クレイは横一文字に剣を構えた。何か言った。魔物の口に構えた剣を咬ませ、また何か言った。剣は砕けて、魔物に傷は付かなかった。剣の破片は悉く消えたが、クレイの手を離れた握りには、柄が付いてないようだった。
『ガッガッガアア! 何かしたか剣使いいい!』
 形は人そっくりの大きな手で、クレイの体を鷲掴む。ひくひくと黒い鼻を鳴らして、長い舌をうねらせた。
『……そうか、匂いは騙してなかったかあ』
 四つの目がすっと細まり、歯茎を見せて笑う口が嫌な臭いを吐く。
『娘でないのは残念だが、確かにお前は旨そうだあ』
「――フンッ!」
 ヴァーンはチキの隣で大剣を振り下ろす。剣圧が、クレイを嘗めようとしてうねった長い舌を千切り飛ばした。すかさず指を一本立てる。
「天のガラシア地のアルシナ神柄使徒に」
『魔法使いいい』
「思う者を取り戻させ給えッ!」
 睨む魔物の手から、クレイの姿が消え失せる。ヴァーンの後ろで、どさっと人が転がる音がした。
「っと悪い、着地失敗か?」
 軽く振り返ると、クレイは受け身を取った後のような姿勢で床に肘を付いている。
「……ヴァーン」
「悪いって」
「頼む」
「―――」
 ち、とヴァーンは舌打ちする。斬撃が効かない以上、魔物を倒すには魔法しかない。だがこの魔物を倒せる魔法となると、村の被害も尋常では済まない。
『村毎破砕してくれるッ!』
 魔物は目をぎらつかせ、両腕を振り上げる。千切れた舌はとうに戻っている。
「ヴァーン!」
「わかったよっ!」
 クレイは左手の手袋をぎゅっと引き絞る。
 ヴァーンは眠るチキを向いて、左右の人差し指をばっと立てた!
「天のガラシア地のアルシナ!」




 目が覚めると、ヴァーンがこちらを向いて何か呪文を唱えていた。魔物の臭いがする。戦いの最中だ。クレイの姿も側にある。また黒い血を浴びている。これは魔物の血だ。クレイは、大丈夫、ヴァーンも怪我はしていない。こんな状況でも眠っていたのは、きっとヴァーンが眠る前に何か唱えていた魔法のせいだろう。
 チキは体を起こして魔物を見た。大きい。黒犬の化け物だ。化け物はチキにもわかる程の怒りをばら蒔いて、振り上げた腕に力を込めている。あれが振り下ろされたら、きっとここら一体は潰れてしまう。逃げないと。二人の邪魔をしてしまう。チキは立ち上がろうとして、足が萎えていることに気が付いた。それで、うんと体に気持ちを入れて、躄(いざ)ってでも下がろうとしたところ、クレイが右手でチキの肩を掴んだ。
「え……」
 何、と尋こうとした言葉を飲んだ。クレイは左手の手刀をす、と引く。
 ヴァーンは長い呪文を唱え終わって、右手の指を振る。「発(はつ)!」
 激痛に、心臓を掴まれたと思った。いや、誰もチキの心臓には触れていない。ただ、
 鼓動が止まった。
 クレイの左手がチキの胸に突き立つ。何が起きたかわからぬままに、チキは目に映る光景を見ている。
 心臓が止まったのに、意識はあるのだ。胸に飲み込んだクレイの手が握られるさまも、ありありと感じる。
 クレイがチキの中で拳を握った途端、チキは体の中に冷たい塊を感じた。拳は塊を掴んでいる。いや拳の中に固まりは生まれた。まるで体の中の夜が凝って形を成すように、体中からその一点に血が引かれていく。体の隅々に混ざっている何かを引き剥がされる。ぐっとクレイは拳を引き抜く。ずるりとチキの体から禍々しいものが現れる――黒光りする太い剣。
 チキの体よりも大きな緩く湾曲した剣を、クレイは一瞬に抜き切った。
 ヴァーンが発、と左手の指を振る。チキの体は床に倒れる。
 ……ああ、自分は死んだのだ。クレイは死んだ魔物から、剣を取るのだから。
 それでもまだ意識はあって、ぼんやりと感覚が薄れる体の中で、心臓の痛みはわかる。目はクレイの姿を追っている。……最期に見るのはクレイの姿がいい。きっとそんな事を考えた。
 魔物は腕を振り下ろす。クレイはチキの体から取った剣を左手に握り、右手を刃に添え目の前で横に掲げる。
「令(れい)」
 一言呟き、剣を引く。襲い来る魔物の手のひらを迎えるように、下から真っ直に突き上げる!
「隷(れい)!」
 凜と響く声に呼応して、剣はするりと魔物の手に入り、融けるように消え失せた。魔物の動きが、ぴたりと止まる。風圧で瓦礫や埃が舞い上がった。
『何を……』
 歯茎を見せて、魔物は睨む。
『――したあ?』
 クレイは静かな顔で魔物を見ていた。剣を飲み込んだ魔物の腕に、ぽこ、と気泡が生じた。
『誰だ……お前は』
 気泡は魔物の腹や足や肩や……そこら中に発生する。ぽこ、ぽこり。止まらない。
『誰……だれだ、だれ、ダレダレダ……』
 ぶわっと膨れ上がった魔物だか気泡だかわからないものは、破裂と同時に黒い霧となって失せた。クレイに付いた黒い血も、吹く風に霧散する。
 クレイが、こちらを振り向いた気がした。
 ヴァーンの手に起こされたと思ったが、チキはもう、目を開けていられなかった。




――困ったのう。
 隣の爺さんが、泣く赤ん坊をあやしている。
――この子の親も、魔物にやられてしもうた……
――この村は、もうおしまいかのう。
――戦に追われて、流れ着いて一から始めた村じゃ。捨てるくらいなら、いっそ……
 長老の家で、村の者達ががっくりと座り込んでいる。
――噂を聞いた。魔物を退治してくれる剣士がいるそうじゃ。
 呼ばれてやって来たのは、美しい剣売りだった。村に入るなり剣売りは、犠牲にする子供を一人決めろと言った。穢れの少ない子供を一人残して村を離れろと。しかし剣売りの言葉に得心した村の者はいなかった。夜中、やがて魔物はやって来た。運悪くその日の餌と決められた者と魔物との間に立ち、剣売りは恐ろしい魔物に話し掛けた。――おい。
――俺を食いたいと思わんか。
 魔法のように、魔物の興味は剣売り以外から消え失せた。村の者は逃げおおせた。剣売りを残して、子供も皆村外れの林に逃げた。魔物が呪う恐ろしい声は、夜中中響いた。一夜が明け、村の者が林から出て見ると、村は半壊していた。魔物は崩れた家の上に倒れ、断末魔の呪詛を吐いていた。
 剣売りは赤黒い血を体中に貼り付けて、魔物の腹から、大きな黒い曲がった剣を取り出した。魔物の姿は霧散した。
 剣売りは手の剣を掲げた。
――この魔は強い。放って置けばこれがまた魔物になる。封じるか、また襲われるのを待つか。
 村の者は、大いに迷った。
 爺さんが名乗り出た。だが駄目だと言われた。長く生きて邪を溜め込んだ人間は餌になり易い。封じた途端に食われて魔物が甦ることもある。穢れが少なければ少ない程、長く生き延びられると剣売りは言った。つまり、魔物を封じられた子供は、真っ当な寿命を生きる事は出来ないのだ。
 村の者の視線は、爺さんの抱く、親を亡くした赤ん坊の上に集まった。
――許しておくれ、チキ。
 魔物を封じる子供は、選ばれた。




――困ったのう。
 村の長老が、隣の爺さんを前にして首を振っている。
――どうやら、あの剣売りの言った通りになりそうじゃ。
――それにしても、あんな良い子を……
 不憫じゃ、と爺さんは泣く。
――穢れがあれば、却って体を食われて痩せ細る事もなかったろうに。
――しかし、邪心を食わせて魔物を太らせ、仕舞いには宿主を食らい尽くして復活するよりは。
――……チキがもたずに死ぬのは変わらんわい。
 爺さんは泣き続ける。長老は困ったのう、と首を振る。
――本当に、チキを昼間に死なさねばならんのだろうか。
 もう長くはなかろ、と長老は問う。
――まだ、十四じゃ。
 爺さんは泣く。復活するなら復活せい、と自棄(やけ)に喚く。昼に死のうが夜に死のうが、それっくらいはチキの自由じゃ……
 長老は首を振る。
――それでは十四年前にチキを犠牲にした意味がない。
――わしらはチキを犠牲にしたんじゃ。チキが夜に死んで、それで魔物が復活するなら、わしらは食われてやればええことじゃ……
 首を振り振り長老は悩む。それを爺さんは睨む。
――まさか、昼にチキを手に掛ける気かっ。
――そこまでの不憫をなんで出来る。……そうじゃ、ならいっその事……




「――よう、起きたか」
 目を覚ましたチキは、自分が泣いている事に気が付いた。布団の中のチキを覗き込んでいるのは、ヴァーンの微笑だ。
「夢を見たか? まあ、ちょいと魔法でな……」
 クレイに聞いた話だ、とヴァーンは言う。
「どんな風に夢に見たかは知らないが……まあ、そういうこった」
 チキは目を擦って身を起こす。知らない部屋だった。ヴァーンに尋くと、シデの家族が厄介になっている家の隣の家だと言う。シデの家は、魔物が壊したのだ。
 部屋の戸は開いていて、外からの明るい光が床に長く伸びている。どこからかトントントン、と木を槌で打つ音が聞こえる。
「気分はどうだ?」
「……うん」
 夢の余韻は胸に切なく残っているけれど、体は随分と、生まれ変わったように軽かった。チキの中に封じられていた魔物は、クレイが抜き取ってしまったのだ。
「……そっか。おいら、赤ん坊の時にクレイと逢ってたんだ」
 だからクレイは「知ってる」と言ったのだ。自分が魔物を封じた赤ん坊が女の子だと知っていた。
 布団の傍らであぐらをかくヴァーンはチキを眺めて、良さそうだな、と頷いた。
「剣を引き抜く為に、仮死と蘇生の魔法を一遍にかけたからな。お前の体がもたないんじゃないかって冷や冷やだったんだぜ? まあ体力を食う魔物ももういなくなったし、三日間寝て、かなり回復したな」
 え、とチキは目を見開く。
「三日?!」
 おう、その間俺はシデの姉ちゃんの治療を頼まれたり家の修繕を手伝ったり、忙しい忙しい……ヴァーンは肩の凝りを解す真似をして、チキの視線に気付かない振りをした。
「……クレイは?」
「……」
 ヴァーンは息を吐く。頭をぽりぽりと掻いて、去(い)ったよ、と答えた。
「魔物に飽和限界……強い魔物の剣の力を注いで魔物に自滅させる技だが……起こして消滅させたから、剣の仕入れは出来なかったしな。クレイはもうここに用はない。お前に薬をやる必要もなくなった……今だから言うが、ありゃ、魔物の生きた欠けらだ。魔を持たない者には毒になる。体内に封じた魔が食う餌になって、多少宿主が食われるのを防ぐが、却って魔の臭いは増す……外の魔物にも狙われ易くなるって物だ」
 だからクレイはチキを側に置いた。
 チキを守る為? 魔物を呼ぶ為?
 チキは俯く。ヴァーンが見せてくれた夢を思う。
「……おいら、爺さん達に殺されてたかもしれないんだね」
 ヴァーンは瞬き、だからそりゃあ、と解釈を試みる。
「殺したくなかったから、一縷の望みをかけて旅に出したんだろ。当時クレイが村の人間に出した条件と今お前が村を出てるってことを考え合わせりゃあ」
 うん、とチキは頷く。あぐらの片膝を立てて、ヴァーンは「だろ? だから」と続ける。
「村を出たのは良かったのさ。お前はクレイと再会(あ)った」
「……うん」
 街道で、どうした、と声を掛けられた。その時既に、クレイはチキがかつての赤ん坊だと見分けたかもしれない。
 夢の中のクレイは、今の姿と変わりなかった。チキが今のクレイしか憶えがないせいなのか、それとも本当にクレイの姿は変わりないのか。
「……クレイ、変わってなかった」
 ヴァーンは夢で、チキに何を見せたかったのだろう。ヴァーンに話したクレイは、チキに何を伝えたかったのだろう。
 チキを蝕んでいた魔物は失せた。十四年前にチキを容物とした責任をクレイは果たしたのかもしれない。なら、確かにもう、クレイはチキと旅する理由は無くなったのだ。
 もうついて来るなと、
 そういう事なのだろうか。
 体は回復している。なのに、何でこんなに心臓が痛い。
 俯いたまま、チキは膝の上で布団を掴み、唇を噛む。
「……どこに行ったの?」
 声が震えた。
 ヴァーンは立てた足を倒して、あぐらの膝に手を乗せる。魔物のところさ、と断じた。
「あいつは魔物に用がある」
 知っている。魔物を倒して剣を取るのだ。クレイは剣売りなのだから。
「……あいつはな」
 クレイは、とヴァーンは言った。
「チキと同じなのさ。五歳の時に、馬鹿強い魔物を封じられた。魔が抜けたのは二十五の時だそうだ」
 チキは目を見開く。「……え」顔を上げた。
「クレイの親父さんが鍛冶屋だって話はしたな」
 とヴァーン。チキは頷く。
「クレイに魔物を封じたのは、親父さんだそうだ。封じた魔物は宿主の邪心を餌にする。親父さんはクレイに邪心を持たせないように育てはしたんだろうが、五歳ならある程度は事情もわかる。クレイは魔が憎かった。
お蔭でってのも何だが、ひょろひょろと育ったが死ぬ程体力を食われはしなかった。魔が抜けてからは、体も回復したそうだ」
 だからチキも、これから女らしく太るぞ、とヴァーンは笑う。
「……魔を抜いたのは、クレイのお父さん?」
「……」
 ああ、そう聞いてる、ヴァーンは頭をがしがしと掻く。
「クレイはその時から年を取らなくなったそうだ。いや、チキはどうだかわからねえぞ?……なにせクレイから抜かれた魔物は、クレイの親父さんを殺して、逃げたんだ。生きてるんだよ、まだ、どこかで」
 クレイは魔物に用がある。……ああ、そういう事なんだ。チキは心臓が痛い。さっきとは違う風に、胸が痛い。
「クレイは魔物に、人の心の部分を食われたと思っている。だから自分はあんまり人に興味を持てねえし、上手く笑えないんだと考えてる。食われた人の部分を捜して奴は旅をしてるんだ。人としての寿命は尽きちまってるだろうから、取り戻した時にどうなるかはわからんが……とにかく、あいつは魔物に用がある」
 どうする? とチキに尋く。
「もうグラードに行く必要はなくなっただろ。クレイの薬も要らねえ」
 外から、シデの声がヴァーンを呼んだ。おう、と答えてヴァーンは立ち上がる。
「でかい剣は手に入れたが、ま、俺はクレイを追っかける。けど、お前が帰るならパルシャ村まで送ってやってもいい」
 開いた戸からシデが顔を覗かせる。
「夕ご飯にしようって。あっ、起きてる!」
「飯の前に、デラの治療を済ますか」
 チキを見てぱっと笑ったシデは、ヴァーンの言葉にうんと頷いて、もう一度チキに良かった、と笑いかけて、ご飯増やしてもらっとく、と忙しく駆け出て行った。
「どこに行ったかわかってるの?」
「あ? だから、簡単な事だ」
 ヴァーンはにかっと笑う。
「魔物が出るって話を追っかければいいんだよ。俺は過去三回、そうしてクレイを捉えたんだからな」
 指を三本立てて、自慢気に胸を張る。
「……三回置いてかれたの?」
 ヴァーンは口をへの字に曲げる。
「あのな。俺はクレイとばっかり連んでる訳じゃねえの。それじゃまるで俺が捨てられた女みたいじゃねえか」
 チキは吹き出す。目覚めて最初のチキの笑顔に、ヴァーンも微笑む。チキの答を、承知したのだろう。
 役に立たなくてもいい。足手纏いにならないように頑張るから、クレイを追い掛ける。
 そうだな、とふと思い付いたように、ヴァーンは四角い顎を摩った。
「お前、魔法を勉強してみるか。魔物が抜けてみてよっくわかったが、向いてるぞ。体力を食い尽くされるところだったし、かなり穢れが薄い」
 思わぬ見立てに、チキは目をしばたかせる。半信半疑に尋ねる。
「……おいら、役に立つ?」
 ヴァーンはチキの頭をぽふぽふと叩いた。
「ま、その前に飯を食え。今のお前には栄養が必要だ」
 出発は明日の朝だ、うんと食って、うんと寝とけ。ニッと笑い、ヴァーンは言い渡した。




(続く)


「ここだけ劇場」へ戻る