『守り育みたいと願う手が、裸子に集う。―――』
*
(誰も、僕のものをとったりはしなかった)
訓練場に剣戟の音が響く。
「もちょっと踏み込め。んで、声出せ。声を出した方が気合が入るし、威力も増すぞ」
アドバイスにヒルダは肯く。肯くが、その通りに出来るかと言えば、限りではない。
踏み込み自体は、随分良くなった。だが、仮想敵として相手が立つと、途端に動きが縮む。元より、声は出ていない。
「遠慮すんなって。ほら、ケネスのちょんまげ、ぶった切ってやれ」
後で覚えてろ、とケネスはタルに吐く。その同じ口でヒルダには、
「そうだぞ、遠慮するな。素振りや人形相手みたいにやってみろ」
と優しく励ますのだ。
「声出せ、声」
タルに何度同じことを言わせたか。それを思うのか。タルが励ますたび、一層剣は鈍くなる。
タル、とケネスが呼んだ時、ちょうどヒルダを呼ぶ別の声がした。
スノウだ。
ヒルダは、さっとケネスとタルに目で挨拶をして、訓練用の剣を鞘にしまいつつ、スノウが立つ訓練場の入り口の方へと駆け去った。
「……お前の意図はわかるがな」
ヒルダを目で追いながら、ケネスは言葉の続きを繋げた。
「その辺で止めてやれ。ヒルダは俺たちの名前を呼ぶだけでいっぱいいっぱいだったんだぞ」
「声出した方が、すっきりすんだろうによ」
「だから。皆がお前みたいに、力押しでプレッシャーに勝てる訳じゃないんだよ」
不満げに呟いたタルに、ケネスは首を振る。
「自分から声を出す機会なんか、お前の何十分の……いや、何百分の一だったか知れないさ。スノウだって、坊ちゃん呼ばわりだったんだ。今まで、名前を呼ぶ相手もいなかったんだろう」
「……ああ……」
自分たちの名を嬉しそうに連呼したヒルダ。
そうか、なるほど、とタルの顔は読める。わかりやすい顔だ、とケネスは思う。
「それで不慣れで、あんなに嬉しそうだったんだな。……ってことはだ、ヒルダは、俺たちを呼ぶのは嬉しいんだよな。じゃあ、声出すこと自体もよ、それほど嫌って訳じゃねえんじゃねえか?」
ケネスは僅かに目を見張る。
「こっちがちょっと恥ずかしいかもしれねえけどよ、まず名前で呼ばせてよ、それから、たあー! とか、うりゃあー! とか気合入る掛け声に変えてやればよ。何とかなんじゃねえか?」
ポーラみたいにいちいち返事してやりゃあ、間が抜けるかもしれねえけど、ヒルダはもっと嬉しいかもな。タルは、どこまで本気か、笑う。
こいつ、とケネスは思う。確かにそれは少し恥ずかしいが、と一見馬鹿馬鹿しい案を、けして口には出さないが、己の頭の中でだけ、真面目に検討する。
「……まあ、そうかもしれないが、一度には無理だとわかってやれってことだ」
ふーん、とタルは手で顎を擦った。
「……ヒルダのことよくわかるんだな」
その顔がどこか羨ましそうだったので。
「フッ」
「……何自慢げなんだよ」
「お前よりはわかると思うぞ?」
ちょんちょん、と自分の頭をつつく。この弄り甲斐のある同級生をからかう場面を、ケネスは見逃さない。案の定、タルは鼻に皺を寄せる。
「うわー……出たよどたま自慢……」
「まあ、お前はわからなくてもいいさ。わかる必要もない」
「なんでだよ」
ケネスはフンと鼻を鳴らす。そうして再び頭をちょんちょんとつつく。
「どっちにしろわからんだろ。無理するな」
「く……!言い返せねえ……!」
ケネスに言い負けた格好で、タルはケネスから離れた。負け逃げだ、とケネスはほくそ笑む。向こうへ行ったタルは、もう剣技訓練の他の相手を見つけて、今のことは忘れたように、笑い合い、どつき合っている。
「自分で気付いてますね?」
柔らかな微笑と共に寄って来たのは、ポーラだ。
「そういう悪態をつくのは、タルにだけだって」
にこ、と微笑みは、ケネスの隣に在りながら、ケネスと同じく、新たに剣技訓練を始めたタルを向いている。
きっとポーラには、自分も弄り甲斐のある相手なのだ。わかっているから、ここは下手に突っ張らず、素直に感想を述べておく。
「……まあ、な。俺も孤児だからな。いろいろ気を使うことが多かったんだ」
「タルには、不要ですか?」
「バカ相手に、気を使う方がバカだろう」
ポーラはにこりと笑んでいる。見透かされているようで、色々とでかいヤツだしな、とだけ口にした。そうですね、とポーラは同意する。
あの大らかさとでかい声に、否応なしに、既存の殻は剥かれていく。
「……ま、あいつなら、ヒルダもそのうち、甘えられるだろ」
「ケネスがいい例ですね」
にっこ、とポーラは笑った。ケネスは咳き込んだ。
「……いや、ごほ、考えなくても、わからなくても、やっていけるヤツが羨ましいだけだ」
「タルなりに、考えてはいますよ、きっと。それに、本当にわからないと思いますか?」
視線の先では、うりゃあー、たあー、とタルがでかい声を上げている。
「……そういう君は。ポーラは気を抜く相手が見つかったのか?」
ケネスは観念して、ポーラの意見を丸ごと認める台詞を吐いた。
隣に並んで、初めてポーラはケネスを向いた。つられてケネスもポーラを見る。
「私は、騎士団の仲間といるのが、とても楽しいです。私の居場所はここです」
「……そうか。ならいいが」
「はい」
柔らかい、笑顔だ。
お手合わせ願おうか、とケネスが申し込む。ポーラは、はい、といつもの返事をした。
タルが相手の剣を弾き飛ばした時、
「タル」
後ろから声をかけてきたのは、スノウだ。
「手合わせ願えないかな」
「おう……ヒルダは?」
答えながら目が泳いだ。探した相手の姿はない。
「カタリナ副団長に呼ばれている」
「そか」
参った、またな、とタルの相手をしてくれていた同級生が、剣を拾って手を振った。おう、さんきゅ、と返事して、タルも感謝の笑顔を向けた。
「珍しいじゃねえか、お前から誘ってくるとはよ」
今度は歓迎の笑顔で以って、タルはスノウを振り返る。スノウは眉を寄せて、任意の相手との剣技訓練だ、問題ないだろう? と問いかけた。タルの笑顔の意味が、通じなかったか。タルは頭をぽりぽりと掻く。
「……おう。構わねえ」
剣を真っ直ぐ正面に構え、仕合前の挨拶をする。腰を落とし、剣を後ろに引いた。盾のように片腕を前に伸べる。基本の構えだ。
スノウは徐に口を開いた。
「今なら誰も聞いてない」
「……? 何だ? 話か? 話なら別に……」
「言っておくけど、ヒルダは僕のだ」
ケネスは剣を持たぬ方の手を挙げて、ポーラの動きを止めた。
ポーラはすぐに、ケネスが気にする方向へと首を巡らせる。
「……タルとスノウが仕合ってますね」
ケネスは眉を寄せた。
「……何かヘンだ」
一声で持って行くくせに、と、自分でない誰かが、どこか遠いところで考えているような、おかしな感覚を味わった。
不愉快が、やや声に現れた。
「……あいつはモノじゃねえぞ?」
はっ! と気合を込めて、スノウは剣を振り下ろす。ガキン! とタルの剣が、受け止めた。
ジャイイン、と刃が擦れて、再び元の間合いに戻る。
「……君がいると、ヒルダが僕を追い越していく。こんなこと、なかったのに!」
フッ! と呼気と共に繰り出された二撃は、タルの脇腹を掠めた。やり過ごす間にタルは踏み込む。
「結構じゃねえか。お前とあいつは別の人間なんだ。行き先が同じでなきゃならねえ訳はねえよ」
突き。スノウは肩を引いてこれを避ける。反応は結構良いようだ。
タルのそんな感想など、スノウには意味がないらしい。体勢を整えて後、鋭い三撃を放つ。
「同じであるべきなんだ! 僕とヒルダは!」
タルの刃に打撃の勢いを流されても、言い募る勢いは変わらない。
「いつも僕の後をついて来た! いつも一緒だった!」
変わらないどころか、弥増す勢いだ。タルはスノウの剣先をかわし、刃を流し、受ける一方である。それに助長するように、スノウは言葉と剣の勢いを増していく。
「僕はヒルダを置いて行かないように気をつけて、ヒルダの前を歩いてきた! なのに、君がいると、ヒルダは僕をおいて先へ行く!」
「あのなあ……」
「ヒルダは君のものじゃない!」
「だから、」
ダン、と踏み込んだスノウが、渾身の一撃を繰り出す!
「ヒルダは僕がパパからもらった! 君に何の権利がある!」
「――――」
ちりっ、と癇に障った。憤りが動きに出た。
「うわっ」
気が付くと、スノウは尻餅をついていた。
踏み込むスノウに迎え合わせるように、タルの一歩は深く入り、スノウの握る手の真下から、剣の刃を叩き付けた。訓練用に潰れた刃でなければ、スノウの指は全て飛んでいただろう。
痛烈な一撃。
右手を抱え蹲るスノウの真横に、弾かれ放り出されたスノウの剣が、ズダン! と降って来て突き立った。
「あ……」
我に返った。
「……わりい、大丈夫か?」
尻餅を付くスノウに手を差し出したが、スノウは、ぱん、とタルの手をはたき、自分で立った。突き立つ剣を引き抜いて、形ばかりは儀礼に則り、仕合後の挨拶をした。そのまま、タルの顔も見ずに行こうとする。
「――スノウ」
タルは呼び止めた。背中に、思う言葉を投げかける。
「お前なりに、ヒルダを大事にしてるんだろうよ。けどな……」
ぎ、と、睨んだ。
「あいつを、モノ扱いするな」
「……」
スノウは振り向かず、タルの言葉を聞いたかどうかもわからぬ様子で、さっさっと立ち去った。
入れ違いに、顔に懸念を貼り付けて、ケネスとポーラが駆けて来た。
「……どうしたんだ?」
ケネスの声は、正直に不安を伝えてくる。
「……いんや? 別に」
タルは空惚けて見せたが、ふーとため息をつくケネスの顔には、タルにさえ読めるようなわかりやすい大きな字で、
(お前がスノウを睨んだ顔が、別に、て顔じゃなかったんだって……)
と書いてあるようだった。
*
『――冷たい水から、熱い陽から、』
*
ヒルダが部屋に戻ると、部屋の前でトンテンカンテン、金槌で音を立てているのは、タルだ。ヒルダに気付いて、目線をくれた。
「おう、もうちょっと待てな」
ドアの前で腰を落とし、トンテンカンテン続けている。
「……なに、してるの?」
「んー? 鍵、つけてんだよ。ないと不便だろ? ほら、俺が急に開けるし」
にか、と笑って寄越す。
「……でも」
「気にすんな。叱られるとしたら俺だ」
「……だめだよ、そんな」
「っしゃ、出来た!」
タルは立ち上がり、ガチャガチャと開閉を試した。
「簡単な鍵だけどな。ないよりいいだろ」
出来に、タルは満足したらしい。うし、と口の中で呟いて、肩から提げた皮袋の中に、金槌を放り込んだ。道具は、タルの私物だろうか。随分使い込んである。他に言葉が見つからなくて、搾り出すようにヒルダは言った。
「…………ありがと」
「おう、そんで、鎧の下のシャツな、もう一着くれるってよ。今は予備がねえから、入荷したらってさ」
「……………タル、が頼んでくれたの?」
散らかる螺子釘をざらりと手のひらで集めて袋に入れると、タルはニッと笑って尋ねた。
「メシ、食いに行かねえ?」
「……」
ヒルダは、黙ってこくりと肯く。途端、タルは小さくガッツポーズした。
「おし!」
「?」
「何だ、わかってねえのか。お前、俺とメシ食うの、初めてだぞ?」
「……」
そう、だったろうか。
「へへっ」
タルが嬉しそうに笑うので、たとえ2度目でも3度目でも、タルに合わせる事にした。
ヒルダが食べにいけるようになるまで、ここで待つという。準備などないので、そのまま二人並んで食堂に入った。フンギに本日の騎士団ランチを注文し、盆に皿を乗せて席に着く。向かい合って座って、「おう、冷めないうちに食おうぜ」ヒルダを促し。
ヒルダがパンを一口千切って頬張ると。
「……ははは!!」
ドキリとする位、随分大きな声で、タルは笑った。食堂中がぎょっとしてこちらを見た気がしたが、不思議と余り気にならなかった。
ん、んめっ、なんか今日は一段とうめえな! そうご機嫌で料理を平らげるタルの食べっぷりに、確かにタルの食べるところを見るのは初めてだ、と、ヒルダは、込み上げる笑いに食事を邪魔されながら考えた。こんなに笑いながら食事をするのは、ヒルダも、確かに初めてだったのだ。
「また一緒に食おうぜ。メシがうまい」
「うん……だって、タルの……ふっ……くふっ」
「……わはは!」
「……あはは!」
食事が終わっても、ヒルダとタルは笑い続けて、何かおかしなキノコでも入っていたのではないかと、あらぬ疑いが食堂側にかかった程だ。後でフンギにうんと絞られたが、その間もタルだけでなく、滅多に笑わぬヒルダがくっくっと笑い続けていたので、なかなかキノコ疑惑は晴れなかったということだった。
「―――これをもって、開会の言葉とする!」
訓練場に、グレン団長の声に続き、ザジャアッと、敬礼に伴う靴と土、鎧と剣の擦れる音が鳴り響いた。
数日間に渡る、騎士団全体による訓練大会の始まりである。全体による、と言っても、騎士団が行っている通常の任務は滞りなく行われているのである。開会式に訓練場に立ち並んだのは実際、一部の騎士と訓練生であったし、皆、己の任務が空いている時に、訓練大会に参加する、といった体裁であった。
それでも、ガイエン本国から客人は招かれていたし、スポンサーであるフィンガーフート伯も開会式と閉会式には顔を出すので、大きな大会に付き物の緊張感は、騎士団の全員が持っていた。尤も、自分の出番の前に、緊張するなあ、と言いながら、大あくびをかましたタルのような人種も、いるにはいたのだが。隣に並んだケネスに後ろ頭をはたかれて、舌をかんだのはほんのオマケの出来事である。
開会の一連の式の中に、各立場からの挨拶が含まれる。本年度入団したばかりの新入生挨拶は、5つ並んだ挨拶の一番最後だった。
スノウとヒルダが連れ立って壇上に上がる。スノウが話し始めた時には、ヒルダはスノウの隣に並んでいた。ヒルダは、おそらく、意識せずとも、ちらちらと色々な大人たちの顔色を見てしまったのだろう。
立つばかりで何も話さぬヒルダに、年嵩の騎士やガイエンの客人は不審を抱いたろう。
フィンガーフート伯は、息子の晴れ姿に満足げに微笑みながら、自家の小間使いの立ち位置に、不満を隠さなかった。
タルの小さなため息を、ケネスは聞いた。
じりじりとヒルダは、スノウの斜め後方へと下がっていた。
グレン団長は、苦い顔で見ている。
気付いたが、ヒルダはもう、今更元の位置へ出られなかった。
全ての挨拶が終了し、副団長が訓練生達による特別展示仕合を執り行うと案内した。
各期訓練生ペアによる仕合で勝ち残った組が、正騎士ペアと仕合う権利を勝ち取るのだ。
壇上から降りたスノウがヒルダを振り返った時、ヒルダの背中を誰かがバシン! と叩いた。タルだ。
「終わったことはくよくよすんな! 俺たちの仕合、応援してくれよな! な!」
一番手に仕合を組まれているタルとケネスが早速移動して来ていたのだが、ケネスは、声がでかい、とタルの腕を引いた。カタリナ副団長が、まだ話している途中だった。
スノウは物凄い顔でタルを睨む。ヒルダはおろおろと目線を彷徨わせた。
カタリナは壇袖の訓練生の一団を叱ろうとしたのだが、隣のグレン団長が、珍しくもふっと吹き出す音が聞こえ、見ると本当に笑っていたものだから、叱責するタイミングを逸してしまった。
「……構わん。後で喝を入れておくさ。続けてくれ、副団長」
はい、と答えて、カタリナは仕切り直す。
「――第一仕合! オレン、ガルヴェ・ペア、タル、ケネス・ペア、前へ!」
ぽんぽん、とヒルダの頭を叩いたタルが、楽しそうに、ニイッと笑うのを、彼らは見た。
審判の構え、の掛け声に、相手ペアとタルはぐっと腰を落とす。基本姿勢は同じだが、ケネスはさほど腰は落とさず、どこか風に揺れる柳のように、自在な印象でするりと立った。
体力がもたねえのか、と以前訊いたタルに拳骨をくれながら、俺はこの方が次の動作に移り易いんだ、とケネスは答えたことがある。その言葉に違わず。
「――始め!」
真っ先に行動を起こしたのはケネスだった。拳をぐっと握り、詠唱を始める。
「ちょっと長い、耐えろよ」
「承知だ!」
相手がすぐには打って来ないと見た上級生ペアは、ワン・ツーのリズムでタルへと斬りかかった。タルはそれを上手く流す。ツー、の方には、カウンター気味の籠手打ちが入った。流石に剣は取り落とさなかったが、次の動作へのステップが遅れた。だがもう1人がケネスに向けて剣を振り被る。タルはすかさず前へ出て、打ち掛かる剣の相手をする。
「――よし、どいてろ!」
ケネスが怒鳴るや否や。タルは跳ねるように下がる。雷が降る!
眩さに皆が目を眇めた時、たった今タルに剣を受けられた上級生は、激しい落雷によって人事不省に陥った。どさりと倒れる音に相棒の姿を探そうとしたもう1人の上級生は、傘代わりに翳した己の腕の隙間から、自分の足元に低い姿勢で蹲り、にやっと笑うタルの姿を見つけるのだ。
「――っ」
声を発する間もなく。
ガキイン! と構え損ねた剣が折れ飛ぶ。
「――それまで!」
振り切った剣を鞘に収め、タルは立ち上がる。審判の声を受け、ケネスはタルに歩み寄り。
「よっしゃ!」
パァン! と良い音を立てて、二人は高い位置で、互いの右手を打ち鳴らした。
スノウはその音ではっと我に返り、思わず見惚れていた自分を、誰にともなく誤魔化した。
勝者の名が告げられ、ワッと拍手が沸く。
見ると、隣ではまだ仕合の勝者にうっとりと見蕩れているヒルダが、ぼんやりと立っていた。やがてゆっくりと拍手を始める。合わせるようにスノウが拍手すると、ヒルダはとても良い笑顔をスノウに向けた。スノウはそれに回復しかけた思考を奪われて、笑顔で肯き返すしか出来なかった。
大会期間中、特別展示仕合は一日一戦。後は、身の空いている者が訓練場で、自由に相手を見つけて対戦する。勝った者が負けた者の名の入ったバッジを所有する権利を得る。自分の名入りのバッジを取られたらそこで彼の大会は終了する。最終日までに誰にも負けずに、大勢のバッジを集め得た者が、表彰されるのだ。
タルは何をぼんやりしていたか、個人戦は初日にバッジを取られて終了してしまった。
同期の訓練生ではケネスとスノウがバッジを集めて頑張っていたが、双方、最終日に自分のバッジを取られてしまい、表彰されるには至らなかった。
騎士団全体による訓練大会は、無事、滞りなく終了した。
「諸君の日々の訓練の賜物と、熱意の程を、この数日の間にじっくりと見させてもらった。ガイエン海上騎士団の未来は、諸君らが切り開いていくものである。ひいては、ガイエン、ラズリル、周辺民の平穏も諸君らにかかるものである。己と剣を磨き損なう事のないよう、決して怠らぬよう!」
任務に当たらない者は団長の言葉に耳を傾け、真摯に、思いを新たにしていた。
特別展示仕合の優勝は正騎士ペアだったが、訓練生の中では、新人に関わらず、タルとケネスがトップ成績を誇った。壇上で小さな記念メダルを授与されたが、壇を下りる時にタルが足を滑らせて見事にひっくり返った。未だ壇上の団長が、これに気を抜かず、来る初の船上戦闘訓練にもベストの力で励むように、と半ば名指しで訓示をくれたものだから、厳かな閉会式中であったに関わらず、訓練場は失笑から始まる和やかな笑いに包まれた。
(続く)