PL雑感その1


2000.7.9

CM回想

PLのCMと言えば、皆様は何を思い出されますか?「焼きそばUFO」でしょうか?「おしゃれ人形」でしょうか?

PL最初のCM出演が何であったか、私には分からないのですが、私が最初に見た記憶があるのは「神州一即席味噌汁」です。ペッパ−警部の冒頭の替え歌で「しんしゅ−いっち−」でした。振り付けはペッパ−警部そのまんま、衣装はおなじみの赤い超ミニのスリップドレスでしたか。このCMを最初に見た時はかなり衝撃的でしたね。「神州一」にはサウスポ−の替え歌もあったようです。何故かミ−ちゃんが「田舎造り」ケイちゃんが「山菜造り」と決まっていたようです。
さて、PLのCMの特徴は何でしょうか?お2人がミニルックで歌って踊るというスタイル。それから、CMソングにはヒット曲の替え歌あるいはアレンジを変えたものが、結構使われていた記憶があります。今やCMとのタイアップにより歌手が新曲CDをセ−ルスするスタイルは当たり前ですが、PLはその逆で、老若男女誰もが知っているヒット曲が先にあってのCMなのですね。これがPLのすごいところですね。
私個人的にはPLのCMと言えば、やはり「シャワラン」を代表作にしたいと思います。理由は、第一にPLのCMではおそらく一番長くOAされていたこと。カルメンの頃から解散直前までOAされていたのではないでしょうか。第二に、春夏秋冬の季節毎に歌も映像も変えるという凝った作りになっていたこと。最後に「髪生き生き!」(ミ−ちゃん)「つやつや!」(ケイちゃん)という後世に残る?フレ−ズを生んだことです。ところで「シャワラン」は牛乳石鹸という会社の製品でした。私はこのCM見たさに、テレビで牛乳石鹸提供の番組をチェックしておりました。特に映像が変わる季節の変わり目は必死でした(^^)。一番確実なのは、13時頃にやっていた牛乳石鹸単独提供の番組(番組名は忘れました)だったのですが、何しろお昼の番組でしたので残念ながらなかなか見られませんでした。1977年夏に、この番組にお2人がゲスト出演されたことがありました。確かどこかのプ−ルサイドで水着姿でした。そして期待通り、番組の中で「髪生き生き!」「つやつや!」をやってくれまして、大感激したのを覚えています。
さて、もう一つの代表作は「宝石箱」でしょうか。今や渦中の会社の製品ですが、映像といいCMソングといい最高の出来だと思います。CMソング「キャッチ・リップ」は「モンスタ−」のB面にもなりましたし、CD「TWIN BEST」にも収録されていますが、今聞いても覚えやすい名曲だと思います。
話は変わりますが、1977年頃PLは「コカ・コ−ラ」のCMにも出演していました。確かお2人が砂浜を駆け抜ける感じのものでしたか。そして、このCMのOAの頃に、小さな店の軒先にお2人の似顔絵(あまり似ていない?)があるヒラヒラの宣伝用飾りがつけられていた記憶があります。田舎の店では解散前後まで色褪せたまま飾られていて、「早くはずしてあげて!」と、当時痛々しく思ったものです(^^)。
今後、25周年記念で、お2人ご一緒にCM出演があることを期待しております。1996年の「冷凍スパ」のように・・・


2000.5.7

マスコミでのPLの取り上げ方について

最近というか、平成になってから特にですが、テレビ、雑誌、書籍等でPLを取り上げるものが増えている気がします。昭和の歌謡史の中のワンシ−ンといったものから、1994年OAの「驚きももの木20世紀」のように番組全体がPL企画のものまで、その取り上げ方は様々です。来年で解散から20年にもなるPLが、今もってマスコミで紹介されるのは、ファンにとっては非常に嬉しいことであります。まして、PLをリアルタイムで見ていない若い世代が増えている今日、マスコミでの紹介は大変意義深くも思います。

したがいまして、マスコミでのPL紹介について、ケチをつける気は毛頭ないのですが、PL当時からのファンとしては、やや物足りなさを感じるのも事実です。勿論、限られた時間、紙面ですから、限界があるのは分かります。それを承知で、あえてマスコミのPL紹介に物足りなさを感じる原因をいくつか考えてみたいと思います。

後期の曲の無視・軽視
PL時代を仮に前期・後期に分けるとして、いつから後期とするかは難しい問題です。4年7か月の活動ですから、単純に半分にしますと約2年4か月で「カメレオン」以降となります。また、都倉先生の言われる「ファンタジ−路線」からの転換と言うと、デビュ−3年後の「マン・モナ」からとなります。あるいは、阿久・都倉先生のコンビから離れたという意味では「DO YOUR BEST」(作曲のみ都倉先生)以降となります(ラストの「OH!」でコンビ復活)。どこから後期にするかは、何を基準にするかで当然変わってくるのですが、いずれにしろ、マスコミのPL紹介において、後期の曲は無視あるいは軽視されていますね。例外は先の「驚き・・・」で「マン・モナ」が紹介されたこと、最近ではミ−ちゃんご出演ラジオの冒頭が「OH!」であったことくらいです。マスコミで取り上げるのですから、誰でも知っている曲を紹介するのは当然ですが、どうも「PL=UFO、サウスポ−」という図式には抵抗があります。レコ−ドセ−ルス的には、今一歩でも後期にも名曲はたくさんあります。路線が決まっていた前期PLではできなかった実験的な試み?もなされていると思い ます。「マン・モナ」「うたかた」「ラスト・プリテンダ−」等々・・・PL後期が無視されるのは、ちょっと大げさですが、歴史教育で近・現代が無視されるのと同じです。いずれも、正しいPL像・歴史像が理解されることにはなりませんね。

映像の固定化
これは、テレビの場合ですが、局によって採用されるPL映像が固定化されてきた感があります。これも、それぞれ局の事情があるのでしょうが、「ここの局なら以前OAされたこの映像」と、ある程度映像が予想できてしまうのです。簡単に言えば、同じ映像を繰り返し使用しているということです。これも、物足りなさを感じる原因ですね。テレビ局の皆様、25周年を機に是非PLのお宝映像を発掘してみませんか?そうした意味で、先日のテレ朝でのスタジオ・アルタの映像は貴重に思いました。
ペッパ−警部がいきなりヒット?
デビュ−曲「ペッパ−警部」に動きが出るまで、2か月くらいかかったそうです。その間、お2人は演歌歌手並の地方回りもされたようです(当時のアイドルとしては一般的な営業?)。さて、この2か月を長いとみるか短いとみるかですが・・・全く売れないで芸能界を去る歌手の方が多いのですから、一般的には「短い」つまり、「デビュ−曲がいきなりヒット」となるのでしょう。しかし、このマスコミ報道とPLのお2人の認識には、ややギャップがあるようです。「デビュ−当時、すごくオリコンを気にしていて・・・また、100位から落ちちゃったとか・・・」(ケイちゃん談)お2人にとって、この2か月は時間的な2か月以上のものがあったのでしょう。外から見れば「PLデビュ−=ペッパ−警部」ですが、お2人には前史がありますね。デビュ−を願いつつも、なかなかその機会が巡ってこなかった高校時代(クッキ−時代)です。お2人にとってはPLというものも、当然このクッキ−時代からの連続でとらえているはずです。そうした意味でも、マスコミ的に「いきなりヒット」とは断言できないものを感じています。
売れた要因の一面的な見方
これは、当HPの他のコ−ナ−でもコメントしていますので、多言を要しませんが、今でも衣装・振付けのみで語られるのは大いに疑問です。もし、それだけであるならば、PLの亜流グル−プがなぜことごとく失敗したのか説明できません。PL亜流グル−プの失敗は、PLの魅力がマスコミ的な一面的なものでないことを示唆しています。もっと言えば、PL亜流グル−プの失敗が、改めてPL独自の魅力を際立たせたということです。解散後19年経過した今日でも、これだけ愛されているのは、単なる懐古趣味を越えた何かがお2人にあるからです。私としては、25年間活動していて、これだけイメ−ジを崩していないタレントは珍しいと思います。特にケイちゃんのト−ク番組を拝見するたびに感じます。芸能界の天然記念物?でしょうか(^^)・・・

2000.3.25

再結成活動の前兆とは?

今年も3月31日まであと僅かとなりました今日この頃、PLファンの皆様はいかがお過ごしでしょうか。当時を回想されている方も多いかと思いますが、私はこれからのお2人の活動・・・25周年企画の実現を大いに期待しているところです。
さて、今までの再結成活動でテレビ出演1回だけのものを除くと、長いものは1984年、1990年、1996から1997年の3回となりますね。今日は、私の記憶・思い込みによる(と言うことは一部事実と違う場合もあり?)再結成の前兆現象?について考えてみます。

まず、1984年の再結成ですが、これには前兆がなかったような気がします。いきなり4月頃にマスコミに向けてPL復活!といった感じでした。記者会見のようなものがあったのでしょうか。スポ−ツ新聞やテレビの芸能コ−ナ−で復活について報道された記憶があります。また、週刊PBでの水着姿披露もありました。当時のケイちゃんのスタンスは「PLとしてならミニも水着も」でしたか。1981年の解散以来、再結成の実現など夢にも思っていなかったですから、とても嬉しいものでしたね。この年の再結成は9月のコンサ−ト(テレビOAあり)で終了となるわけですが、再結成が終わってしまうと、1981年の解散以上に落ち込んでしまう私でした。「もう永遠に再結成はないのかな・・・(思わずため息)」といった感じです。そして、この頃から、お2人のソロ活動の中に何か再結成の前兆がないか、注目するようになりました。

次は1990年の再結成です。いきなり、NHKでの記者会見で「復活!新曲発表」といった感じでしたか。しいて言えば、前年の紅白のみの再結成が前兆であったと思います。と言うのも、私は1978年の紅白辞退以来PLとNHKとの間には、しっくりとしないものを感じていたからです。そうした意味で、1989年の紅白のみの再結成は、ちょっと大げさですが、PLとNHKとの歴史的和解か?と衝撃を受けました。そして、NHKは次のPL企画も実現してくれるのでは・・・と密かに期待しておりました。早くも翌年に期待通りになったわけです。PLの紅白出場・・・解散前が1回、解散後の復活が2回ですね。こんなグル−プも珍しいですよね。

さて、次は1996年から1997年「再会」です。これには明確な前兆がありました。前年の1995年秋にケイちゃんの「来年は20周年。また2人で何かできたら・・・」というご発言がありましたね。そして、1996年新春のフジ系列の物まね特番で、ご本人登場ということで、「カルメン’77」を披露されました。解散後、コンサ−トやNHK紅白を除いて、テレビでお2人がPLのオリジナル曲を歌われるのを拝見したのは、私にとっては初めてでしたので、これも涙ものでしたね。歌い終わって今年は20周年ということが話題となり、周りの出演者が「(20周年で)是非やって下さい」といった感じでしたか。それに対してケイちゃん「まだ、何も決まってないんですけど・・・」と発言されました。この番組を見て、私は20周年再結成に向けた確かな胎動を感じました・・・テレビでのオリジナル曲披露そして、20周年についての話題。まだ構想段階なので、嘘をつけないケイちゃんが、そのようなご発言をされたと感じたものです。
その後「再会」は7月のミ−ちゃんのスポ−ツ新聞での告知を経て、9月に現実のものとなります。記者会見はなく、いきなりNHKの歌番組での再結成告知となりました。
さて、この「再会」の中では今までの再結成と違って、「再会」終了後の次の再結成について暗示?されているような気がします。と言うのは、11月のお昼の番組にお2人が出演された際に「(今回の再結成が来年の春までというのは)もったいないような気がする」「もっとやってほしいですね」というコメントに対し、ミ−ちゃんが「一応このシリ−ズは再会という名のもとに、来年の春まで・・・でも、今までの復活とは違って、やりたくなったらやっちゃおうかって・・・」・・・意味深なご発言ですよね。「このシリ−ズ」「やりたくなったら・・・」これらのフレ−ズに私は次の再結成の前兆を感じました。また、ある雑誌のインタビュ−でミ−ちゃんが「PLの曲って40代になったら歌えないと思っていたけど、へっちゃらね・・・」というような趣旨の発言をされています。40代での再結成実現の可能性を確信したものです。そして、それも2年連続のTBS特番で現実のものとなりました。

来る25周年再結成の前兆・・・これは昨年のラジオでのケイちゃんご発言より、はっきりと現れてきましたね。盛大な再結成の実現を期待しているところであります。ケイちゃん、ミ−ちゃん・・・再結成やりたくなったら、やっちゃいな!


2000.2.20

お2人の共演を回想する

PL解散からもうすぐ19年ですね。つい先日のことのように思われますが、月日の経過は早いものです。
さて、解散後お2人は何回か再結成されて、ファンを喜ばせてくださいました。他のアイドルグル−プにはないことであり、ファン想いのお2人には大感謝ですね(^^)。
ところで、解散後PL復活・再結成とまでいかなくても、テレビで共演というものも何回かありました。(厳密には再結成も共演となるのでしょうが、ここでは狭い意味での共演を考えます。)これも他のグル−プにはないPLの大きな特徴でありがたいことです。今はソロ活動をしているある元デュオのHPで、「PLのようにもっと共演してほしい」という投稿を見たことがあります。

私の記憶している限りのテレビ共演を回想してみます。
まず、最初は解散の翌年1982年秋の「全員集合」です。お2人が歌のゲストとして出演されました。ケイちゃんが「ためらい」か「らせん階段」ミ−ちゃんが「コ−ルガ−ル」を歌っている頃です。恒例の合唱隊のコ−ナ−(このコ−ナ−はPL時代も結構楽しめましたね)では、PL時代とは逆で向かって右がミ−ちゃん左がケイちゃんという並びだったと思います。意識的に逆にしたのでしょうか。「透明人間」以来の貴重な?並びでした。面白いのは、ドリフのいかりやさんが「みんなこの2人誰だか知ってる?」というような感じで、会場に向かって声をかけた記憶があります。会場からは「知ってる!」の大歓声が上がりました。
また、「全員集合」と同じ頃「長崎歌謡祭」?という番組でも共演がありました。歌のゲストとしての共演でしたが、お2人ご一緒に長崎の観光地巡りをしている模様もOAされまして、とても興味深いものでした。

1984年最初の再結成以降、しばらく共演の記憶はないのですが、1989年ケイちゃんがフランスデビュ−した頃、確かイタリアの旅番組で共演された記憶があります。ケイちゃんがフランスからイタリアへ移動しミ−ちゃんと再会、お2人でイタリア紀行・・・という設定であったと思います。確か出演はお2人のみであったように記憶しています。これもなかなかいい番組でした。この年の紅白では再結成がありましたね。

さて、いきなり90年代に飛びます(^^)。1995年にはTBS「ベストテン・スペシャル」テレ東「ヤンスタ同窓会」と春のスペシャル番組での共演がありました。「べストテン」では、「UFO」から「OH!」まで当時の映像を巧みに繋ぎ合わせていることに、お2人が驚嘆していましたね。「ヤンスタ」では、ケイちゃんと某男性歌手が超接近遭遇!でハラハラさせられました(^^)。

1996年から1997年の「再会」以降も、共演はかなりあります。「再会」終了直後の5月頃に「さんまのまんま」。さんまさんがホスト役のト−ク番組ですが、PL時代の全シングルジャケットが万国旗のように飾られたり、振付けの実演があったりと、なかなか楽しめる内容でした。それから、1998年1月には「ヒッパレ」。「久々にPL再結成・・・」なんて司会者から紹介されて、(2人揃って)「Mike(ミケ)で−す!」と、ひょうきんなお2人が良かったですね(^^)。そうそう、TBSの春・秋のクイズ特番もご常連になりましたね。

以上、お2人の共演について回想してみました。実際は、まだまだあると思います。今後も再結成のみならず共演にも期待したいものですね。・・・などと書いていましたら、早くも明日「フレンドパ−ク」での共演がOAですね(^^)。


2000.2.6

お2人の仲について考える


「けんかしたことない?」・・・PL現役当時から、テレビ・雑誌等でよくお2人に投げかけられた質問です。私はこの質問にお2人がどう答えられるか、いつも注目しておりました。「けんかはないですね」あるいは「仕事の面での意見の違いとかはありますが」という答がPL時代は多かったような気がします。ところで、昨年のラジオではケイちゃんが、この質問に対して「勿論ありますよ。でも、女の子同士の言い合いとか、こうなんかジクジクしたようなのはなくて夫婦みたいな感じ・・・」とYES・BUT形式で答えられていたのが印象的でした。親友を越えた夫婦みたいな戦友みたいな感じ・・・ケイちゃんのお言葉がお2人の仲を端的に表していると思います。

こんなこと書くと「芸能人として営業用でそうした発言をしているのでは・・・」という見方をされる方もいると思いますが、私はそうは思いません。それどころか、お2人の仲の良さ(中三以来の!)について理解することこそ、PLを理解することの出発点だとさえ思っています。PLについて取り上げる場合、マスコミではこの部分が無視されて、単にレコ−ドセ−ルスの記録とか衣装・振付けとかを記事にしますが、これはかなり一面的な見方だと思います。まず、お2人の仲の良さが土台にあって、その上に衣装・振付け・曲といった企画が乗っかっているのです。だからこそ、PLプロジェクトは成功したのではないでしょうか。逆の見方をすれば、PL以後の女性グル−プでPLを上回るものが登場しない原因も、ここにあるのではと思います。企画先行ではだめなのですね。

「再会」スタ−ト時の「私たちはデビュ−する前から、幼なじみであったり大親友だった・・・」というNHKでのケイちゃん発言は象徴的です。その他にも「(PL時代)1人ではどうなっていたかわからない。ミ−がいましたから。お互い鏡のように見えていましたから・・・」「(学生時代)休み時間の10分休憩はいつも一緒でした・・・一緒に歌っていました」など、お2人の仲の良さについてケイちゃんが熱く語っていますね。「鏡のように見えていた」・・・いい表現ですね。

ケイちゃんの担任の先生が「いつも根本くんと一緒で・・・休憩の時でもお互いに窓から顔を出してよく話し合っていました・・・」浜松のボ−カルスク−ルの先生は「あまりに仲がよく・・・二人で組ましたらと思いつき・・・」クッキ−が誕生したのでした。当時のPL本の記事からです。お2人の仲の良さが裏付けられていますね。このようなPL前史を理解しないことには、PLを理解することにはならないのでは・・・と私は勝手に思い込んでおります。

私はケイちゃん、ミ−ちゃん、PLのファンでありますが、「お2人の仲の良さ」のファンでもある・・・ということを再認識しているこの頃です。



2000.1.3

年頭雑感

皆様、新年明けまして、おめでとうございます。本年も当HP「ピンク・レディ−の部屋」をよろしくお願いいたします。
年頭に当たり、思いつくままに書き連ねたいと思います。

さて、皆様もご覧になった思いますが、年末特番の復活PLは素晴らしいものでしたね。振付けはPL時代と比べて、よりダイナミックなものになっていました。特に「UFO」のイントロ部分なんかスゴイ感じでしたね。衣装もPL時代を思わせる超ミニで、決してファンの期待を裏切ることのないお2人に大感謝です。また、久々のお2人のハ−モニ−も新鮮で良かったですね。「黒っぽい・・・自分の声でなく・・・ミ−の声でもなく・・・ハモった時、電流が走るっていう感じ」(1997年「再会」常葉学園でのケイちゃんご発言より)・・・私も、まさに電流が走りました(^^)。それから、メドレ−の他に2曲という曲数も豪華なものでした。70年代デビュ−のアイドルで、テレビのゴ−ルデンタイムにこれだけの曲を歌える歌手というのは、今やPLの他に存在しないと思います。

そして、歌い終わってスタジオの中で移動する際に一瞬ですが、お2人は手をつないでましたね。相変わらず仲の良いお人に大感激すると共に、PLの神髄を見た気がしました。ケイちゃんのお言葉を拝借すれば、お2人は「(親友を越えた)夫婦みたいなもの・戦友」となるのですね。ケイちゃんの「メドレ−はきつい!」も実感がこもっていました(^^)。司会者がPLと縁の深い福留さんというのも良かったですね。番組では後楽園の解散コンサ−トについて触れていましたが、1978年レコ大受賞後、会場から出てくるお2人を出迎えたのも福留さんではなかったでしょうか。その他にも、当時、日テレの歌番組でPLとよくご一緒になりましたね。
一心不乱に歌い踊るお2人の表情からは、復活PLにかける意気込みがとても感じられました。この勢いで25周年本格的な再結成活動へと進んでいただけたら、これほど嬉しいことはありません。

さて、特番を見ながら、私は改めてお2人の魅力を再認識しました。1つは外見も含めてデビュ−以来のイメ−ジを崩していないこと、もう1つは歌うことへのこだわりが感じられることです。
以下は、私が勝手に考えた70年代・80年代アイドル歌手のデビュ−後のパタ−ンです。あえて実例は出しません。

・歌手デビュ−→そこそこ売れる→結婚→芸能界引退→出産→離婚→芸能界復活(歌手として復活できるのはごく僅か。バラェティ−番組でしか見られない傾向。総じてオバサン化が顕著。)
・歌手デビュ−→売れない→バラドル化(大手プロ所属に多い?)
・歌手デビュ−→そこそこ売れる→セクシ−タレント化(歌手は廃業)
・歌手デビュ−→爆発的に売れる→舞い上がる・スタ−気取り→マスコミからたたかれる・マスコミとのトラブル

以上のパタ−ンで、左端の歌手デビュ−時からのファンで、右端に到達するまでのファンはごく僅かでしょうね。
こうしたパタ−ンに当てはまらない存在が、ミ−ちゃんケイちゃんですね。もうすぐデビュ−25周年ですが、デビュ−以来のイメ−ジを崩していないですよね。素晴らしいことですね。芸能界では貴重な存在だと思います。だから、デビュ−時からのファンがついてくるのでしょうね。「PL自身がキャラクタ−化したから、イメ−ジが崩れない」と考える方もいらっしゃるでしょうが、私はそうは思いません。「人間ミ−ちゃん・ケイちゃん」というか、お2人のお人柄によるものだと思います。昨年のラジオでケイちゃんが「普通の女の子に戻りたいと思ったことはない。だって普通だもん。」なんて発言されていましたね(^^)。

次に「歌うことへのこだわり」です。上のアイドルパタ−ンでは、多くの場合途中で歌手を廃業してしまいます。また、最近の若手歌手では、歌手になることは芸能界のワンステップぐらいにしか考えていないようにも思えます。
ところで、ミ−ちゃんケイちゃんはどうでしょうか?デビュ−前のクッキ−時代、PL時代、そして解散後今まで・・・一貫して「歌うことへのこだわり」が感じられます。これもお2人の大きな魅力です。「PLはコントができない」という批判を当時どこかで見た記憶がありますが、これはPLの本質を理解していないものですね。今後も「歌手PL」としての活動にこだわっていただきたく思います。昨年11月のラジオでは、ケイちゃんが25周年新曲構想について熱く語られましたね。是非実現していただきたいですね。

さて、思いつくままに書き連ねてきましたが、PLファンの皆様にとっては、まさに「釈迦に説法!」でしたか(^^)・・・


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