PL雑感その18


初陣式2011.4.3

3月31日に「解散やめ」後PLの本格的再始動となる初陣式が開催されました。先週、下の記事で「私は行けないんで指をくわえているしかない」と書いたばかりでしたが、その数日後に何とUstreamで生配信というニュースが。またしても嬉しい誤算でした。

さて、初陣式、当日何とかUstreamで見ることができました。昨年9月の「解散やめ」で初陣式の発表がありましたが、この時点で日程的にもう行けないのは確定的でしたので、気分はどんよりでしたが、まさかインターネット動画で生で見られるとは。時代を感じるとともに関係者の皆さんに大感謝です。
告知のとおりチャリティーライブという形式でしたね。お二人が歌った曲数は10曲、「モンスター」は演奏のみで全11曲。衣装はPLらしいシンプルなミニワンピで良かったですね。デザイン的には1999年TBS特番の衣装を思わせるものでした。勿論、お二人のパフォーマンス、歌と振りはいつもながら最高でしたよ。「マンモナ」の振りはメモリアルコンサートから変わっていましたか。

チャリティーライブということで、オープニング「ペッパー警部」「UFO」の後にオークションでした。品物は昨年12月のアルバム発売時のサイン入りTシャツ(ビクターさんから)とメモリアルコンサートvol3アンコール時の衣装(ファイナルのオープニングも同じ衣装、アイエスさんから)、この衣装も懐かしいですね。落札した方がステージ上に上がったのですが、なんかケイちゃんのライブでお見かけするご常連の方も多かったのでは。アメリカのカリフォルニアから来た男性ファンの姿も。女性ファンNさんも懐かしかったです。
1996年の再結成「再会」の時にPLがオークション番組「ハンマープライス」に出演したのですね。その番組で「UFOマシーン」(お二人の手型が飛び出して「UFO」の決めポーズをするマシーン)と復刻衣装を落札したのがNさん。復刻衣装でPLと一緒に歌い踊るという企画もありました。落札者の方を見ていると男女ほどよい比率で、PLのファン層を反映していると思いました。
メモリアルコンサートの衣装を落札した方は、ミイちゃん衣装が女性、ケイちゃん衣装が男性でしたか。ケイちゃんのトークが受けてましたね。ケイちゃん衣装を落札した男性に「結婚してますか?」と。ケイちゃんが言う通りあの衣装を持ち帰って奥さんに見られたら…でしょうが、幸い独身の方のようでした。

今回の初陣式、私が勝手に思うに3つの目的があったのでは。一つ目はチャリティー、二つ目はファンに対してPL本格再始動をアピールすること、3つ目はマスコミを通して広く一般層に対してPL本格再始動をアピールすること。結果的には全部達成できましたが、震災後ということでマスコミの芸能枠が減っていましたので、翌日のマスコミ報道が気になっていました。が、テレビでは情報番組で紹介されましたし、スポーツ新聞にも掲載されました。私が見たのは翌朝フジテレビの情報番組でしたが、芸能コーナーのトップで映像付で流れていました。歌っているシーン、チャリティーでは例のカリフォルニアからの男性との会話シーン、ロビーでの募金受付シーンと結構丁寧に紹介されていました。照明が地味だったのは節電仕様のためということも報道で知りました。結論としてマスコミ報道は予想以上でした。

思えば震災発生から初陣式までわずか20日という短期間。その短期間に開催するか中止するかの意思決定、チャリティーの企画と曲目の変更削減、チャリティー物品の調達交渉・準備(ビクターさんとアイエスさんから)、そしてチャリティーライブの開催告知という一連の流れがあったと思われるわけで、ミイちゃんケイちゃん、主催者の皆さんは大変な日々だったと思います。これをリハーサルもしながらこなすのは、まさに時間との戦いだったのではないでしょうか。
初陣式、開催か中止か、「早く決めてほしい」というのもファン心理として充分理解できますが。特に遠方から参加するファンにとっては切実な問題です。ただ、上記のとおり日程的に考えるとミイちゃんケイちゃん、主催者、関係者の皆さんには、Ustream生配信を含めて頭が下がる思いです。
僭越ながら言わせてもらうと、曲間のオークション、歌い終わった直後のお二人に全部進行を任せるのはちょっと大変ではと思いましたので、もっとスタッフがフォローしてあげても…と思いましたが。ケイちゃん(手をあげている観客を数えるのに)「野鳥の会はいますか」なんて…
では。


いろいろと想うこと2011.3.27

大震災被災地の皆様に、当HP管理人として心からお見舞い申し上げます。私が過去に訪れたことのある地域も被災しており、ショックでしばらく更新もできませんでした。

さて、ご承知のとおり3月1日に「解散やめ」後、初のPLコンサートツアーの日程が公開されました。皆さんはこれをご覧になって、いかが思われたでしょうか。私はケイちゃんのHPで最初見た時に、目が点になったというかパソコンを見ながら体が固まってしまいました。勿論、感動のあまりです(笑)
まあ、昨年9月の記者会見以来、お二人から暗示されてきましたから、あるとは予想していましたが、予想以上の規模だったので驚いたわけです。大都市数か所くらいかなと思ってました。また、いい意味で期待を裏切ってくれました。日程的にも前回のメモリアルコンサートに比べて土・日が多いことから、平日働く勤め人にとっては嬉しいものです。今回は各会場1回公演のようでPLのお二人にとっても優しい?ものになっていますか。まとめると、「勤め人に優しくPLのお二人に優しい」公演日程だと思います。関係者の皆さんに感謝です。震災の影響で電力事情が懸念されるところですが、期間限定の再結成ではないのですから、そのへんは臨機応変?に対応していただければと。PLの魅力を堪能するには公演が一番ですからね。


お二人のオフィシャルサイトによると3月末の「初陣式」開催のようですね。震災の影響でファンの間にもいろんな意見があったようですが。
どっちみち私は行けないんで指をくわえているしかないのですが(笑)5月以降のコンサートツアーでいくつ行けるかを考えています。
震災により歌手など芸能人の公演をやるべきか、中止すべきか。会場が被災している、停電でできないなど物理的に不可能な場合は別として、これは個々人の価値観によって結論が変わるでしょう。様々な意見に異議を唱える気持ちはありませんが。以下、私の個人的な考え(PLに限らず一般論として)です。

結論から言うと過度の自粛は必要ないと思います。勿論、被災者の方々に不快感を与えるような活動は慎むべきでしょうが、電力事情が許す範囲で開催すればよいと思います。被災者の方々が必要としているのは、正確な情報、必要な物資、今後の生活の見通しだと思うのです。義援金や物資の支援を別として、今後の復興(財政支援)を考えると、今、元気に働ける人は本業に励んで、きちんと納税することが最大の支援だと思います。震災前の時点で既に法人税収の落ち込みが問題視されていましたね。
…って偉そうにすいません(笑)国税庁の回し者じゃないですよ。
ケイちゃんのオフィシャルサイトでは「使命に感じて」がキーワードだと思いました。なかなか言える言葉ではありません。並の元アイドルが発言したらぶっとばされるでしょうが、PLだからこそ生きる言葉だと思います。


話は変わりまして、23日に日テレ系「1位をとったあの歌コンサート」で「解散やめ」後、初めてのテレビ歌番組出演となりました。これも嬉しいものでした。
と言うのも「初陣式」前には、PLとしての歌番組出演はないのかなと思っていましたので。これも嬉しい誤算でした。当初の公開収録が中止との告知を見たときは、とてもがっかりしていたのですが、スタジオ収録でOAしてくれるとは。新聞のテレビ欄にも「いきなり登場」と大きく掲載されまして文字通り番組冒頭のご登場でした。曲は予想通りの「UFO」でしたが、フルコーラス?でしたか。見ごたえ十分で感動しました。
衣装は向かって右側が長くて左側が短いシルバーでした。昨年12月の「衣装を着て脚を出すことになったとしても」のケイちゃん発言どおり、PL定番おみ脚をばっちり見せた衣装。メモリアルコンサートvol1の「カルメン」衣装や1989年紅白の衣装を思い出しました。脚が現役当時より上がっているという比較映像も良かったです。ケイちゃんの「腰がつる」発言も(笑)
衣装に関して言えば、長いところがまとわりついて、ちょっと踊りにくそうにも見えたので、機能的にはシンプルなミニ衣装の方ががいいのかなとも思いました。余計なお世話ですが。それから、ケイちゃん派としては、そろそろ現役時代に近いケイちゃんヘアも見せていただきたいなと思いましたね。断捨離の番組みたいにね。以上、好き勝手なことを書かせていただきましたが、今後も歌番組には積極的に出演していただきたいなと思います。

PLの活動としては、公演、歌番組が実現(予定)ですので、あとはDVDや新曲の発売が待たれるところです。

今日はこのへんで。


朝日新聞「be on Saturday」2011.2.20

1か月前の1月15日に朝日新聞の土曜版別刷り「be on Saturday」の「うたの旅人」に「がけっぷちのデビュー ピンク・レディー『ペッパー警部』」のタイトルで記事が掲載されました。1か月遅れですが今日はこの記事の感想など。

ケイちゃんのオフィシャルHPで告知があった時から楽しみにしていたのですか、PLのシングル曲では特定の地名が出てくる記憶が無いので、どの曲が選ばれるのか、どの場所が選ばれるのか気になっていたのです。結果は「ペッパー警部」とビクターのスタジオがある「東京・神宮前」でした。記事をご覧になった方も多いと思うのですが、ちょっとご紹介しますね。朝日新聞別刷りの1面から2面にわたって写真と文章が掲載されています。1面の写真はカラーで静岡の安倍川と町並み、奥に富士山が見えます。「高校時代のミイとケイが歌の練習をしていた安倍川。真夜中に警官に職務質問されたこともあった」と紹介されています。
2面のカラー写真は大小4つ。そのうち大きいがもの2つです。1つは昨年12月1日、山野楽器でのイベント(屋内)でのお二人の全身写真。「解散を撤回して復活したピンク・レディー」とあります。もう一つはビクタースタジオ前の外苑西通り。

正直のところ、PL現役時代後半、朝日新聞はPLについてあまりいい記事を書いてくれませんでした。「なんでこんな記事書くの?」と今でも記憶に残っているくらいです。恨み骨髄というか執念深いというか、我ながらあきれますが(笑)具体的にいうと、1979年5月頃確か?「ちょっとお休み?ピンク・レディー」というタイトルの記事がありました。中身はよく覚えていませんがネガティブな内容だったと思います。現役で活動している歌手に対して、天下の大新聞がこんなタイトルをつけることじたい、悪意に満ちているというか、今ではちょっと考えられませんね。同年12月には記事のタイトルは忘れたのですが、当時楽屋でお二人が他の歌手とあまり話をしないようなことが書かれていた記事もありました。写真は「Do Your Best」の衣装のお二人を後ろから撮影したものでした。
まあ、2004年のメモリアルコンサートvol2「モンスターパニック」については、朝日新聞がわりと好意的な紹介記事を書いてましたけど。

そんな過去の経緯もあり、今回朝日新聞でPLの記事が掲載ということで楽しみではありましたしたが、中身について見るまではあまり期待していなかったのですね。でも、いい意味で期待を裏切ってくれました。上記のとおり写真も良かったのですが、何といってもこの記事、文章表現が素晴らしく思わず引き込まれました。まあ、書いてある事実関係については、コアなファンなら知ってることも多かったのですが。それを補ってあまりある文章表現でした。プロの文章です。「文・保科龍朗」とありますが、この保科氏、フリーではなく朝日新聞の方のようです。
記事の内容は、高校卒業を目前にして進路が決まっていないお二人がスタ誕の下見会で必死にアピールしたこと、ビクターからは全く期待されていなかったこと、芸名の由来、紅白辞退、アメリカ進出、相馬さんの熱意、そして昨年の解散やめ・・・といった感じです。ちょっと紹介しますと冒頭は「目もくらむばかりの光線が絶えまなく降りそそぐ世界へ導かれる道は刻々と狭まり、いまにも閉じかけていた」で始まります。これは就職先がどこにも決まっていなかった高校3年のお二人が、最後のチャンスとして必死の想いで出場したスタ誕決戦大会について書いたものです。また、最後は「とぎれてしまった彼女たち自身の見果てぬ夢を取り戻すために、新生ピンク・レディーに解散はない」どうです。名文ですね。「新生ピンク・レディーに解散はない」気に入りました。

冒頭、終わりも素晴らしいのですが、勿論、中身も名文のオンパレードです。なかでも過去にこのシーンを紹介した記事はいくつかありましたが、これほど的確に表現したものがないと思える部分があります。「無実の罪の告白を執念深く迫られる不合理な取り調べのような様相になった」これ何のことかわかりますか?1978年紅白辞退の記者会見の様子を表現したものです。ほんと的確ですね。当時の映像をチェックされたのでしょうか。この部分を読んで最近のケイちゃんのインタビュー記事を思い出しました。「PL時代の記者会見はあまりいい思い出がないけど、解散やめの会見は良かった」と。確かにPL時代、いい雰囲気の記者会見は「ラスベガス公演」くらいまででしたか。その後はこの「紅白辞退」「恋愛発覚」「アメリカ帰国後」「解散発表」いずれも重苦しい雰囲気がありますね。詰問調というか。

記事でインタビューとして登場するのは、お二人の他、作曲の都倉先生、ビクターのディレクターであった飯田氏など。興味深かったのは、ケイちゃんと都倉先生のインタビューで故・相馬氏について語る部分があるのですね。ケイちゃんの自叙伝「あこがれ」にも出てきますが、スタ誕決戦大会の後に各プロダクションがアピールする場面。相馬さんは「いすから腰が浮きっぱなしで、前のめりになったまま…」お二人にアピールしていたとのこと。情景が目に浮かぶようですね。この場面を記憶しているケイちゃんもすごいですが、相馬さんの熱意がよく伝わってきますね。都倉先生も「相馬さんはプロジェクト・チームの陰の立役者だった…(相馬さんの)意に反してピンク・レディーの寿命を縮めてしまった」と語っています。「意に反して」が気になる言葉ですが。これは都倉先生の見方ですが、実際のところ相馬さんはPLをどれくらい続けたいと思っていたのでしょうか。4年7か月はあまりにも短かったのでしょうか。今となっては、その答えを相馬さんに聞くことはできませんが。
もし相馬さんがご健在なら「解散やめ!」のPLをプロデュースなんてこともあり得たのかな…なんてことも、この記事を読みながら思いました。では。



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