本年も大晦日をむかえました。2007年振り返りますと、ミーちゃんケイちゃんソロ活動中心の年で、PLとしてはパチンコPR以外、活動・商品販売が無かった年でした。そんな中、阿久先生、土居先生とPLと縁の深い方々の相次ぐ訃報に接した年でもありました。ご訪問のファンの皆様にとっては、どのような年だったでしょうか。
さて、今日の本題です。そもそも「PLの本質的魅力」とは何でしょうか。こんなこと書くと「PLの魅力に本質的も非本質的も無いだろう!」なんて言われそうですが(笑)まあ、そういう区別自身が無意味かどうか、ちょっと付き合っていただければ幸いです。
先にも書きましたが、今年、阿久先生、土居先生の訃報に際し、テレビでも情報番組や特別番組などで両先生の偉大な実績・経歴が詳細に紹介されました。これを見て、この偉大な先生方に作品を提供されたPLはなんと幸運であったか、改めて実感したところですね。この両先生を超える実績を残す方は、この日本にもう現れないのでは、とも思えます。PLの企画面の3大要素「曲・振付・衣装」これを偉大な先生方が支えていたわけですね。
話は変わります。皆様はネット販売のAmazonはご存じだと思います。これには商品ごとに「カスタマーレビュー」の欄があり、私も興味深くPL商品について定期的にチェックしているのですが。特に「メモリアルコンサートのDVD」「フリツケ完全マスター」のカスタマーレビューは量も多く中身も興味深いものが多いです。最近注目したのは「メモリアルコンサートのDVD」のカスタマーレビュー。19くらい投稿があるのですが、全体として評価が高いです。特に比較的最近投稿された方々のレビューは、「PLの本質的魅力」に気づいている方々だな、と直感できるのですね。
ある方の「感動的」というタイトルの投稿。これは私も全く同感だと思ったのですが、「仮に若手を次世代のPLに仕立てても、これだけのコンサートはできないだろう」という趣旨のことを書かれていて、ミーちゃんケイちゃん自身の才能を高く評価されていたのですね。注目すべきは、この方、当時ご幼少で現役PLをリアルであまり記憶が無い方、しかもメモリアルコンサートを生で見ていない方なのです。そんな方が、ここまで評価されるんですから、それはスゴイことです。
また、別な方は当時チャレンジコンサートを見て(ライブ盤で聴いて?)、お2人の才能を確信されたようです。
論より証拠。是非AmazonでPLを検索して見てください。
そんな、Amazonのレビューを見ていると、「PLの本質的魅力」これを再考せずにはいられません。PLの企画面の3大要素「曲・振付・衣装」これを偉大な先生方が支えていた…この事実は否定のしようがありません。では、その企画に乗っかっていけば、ミーちゃんケイちゃん以外でも、PLとしてブレイクしたのでしょうか。これは、メモリアルコンサートVOL.3の最中、日テレ番組でも問いかけられたテーマでした。「PLの本質的魅力」に気づいている方々なら、答は当然「否」。「ミーちゃんケイちゃん以外でPLブレイクは有り得なかった」となるでしょう。その何よりの証明が、Amazonのレビューに出ていると思うのです。短いテレビの歌番組では、分かりにくいことかも知れませんが、長時間のコンサートを通して見ると、ミーちゃんケイちゃん独特の魅力が浮かび上がってくるのだと思います。
それを言葉で表現することは、ちょっと難しいのですが、表現者としての歌や振り・スタイルの良さは勿論、MCのちょっとした会話や、会場の盛り上げ方、ラストの丁寧なご挨拶?など、今の新人歌手の方々にも見習ってほしいくらいです。
「PLの本質的魅力」の証明としてもう一つ。PL現役当時の亜流グループで人気を得るものは無かったこと。そして、平成に入って「平成のPL」「21世紀のPL」的に売り出された複数のグループがあるようですが、いずれもブレイクしていないことがあげられます。いずれのグループもPLの企画面のみ模倣・強調するものですから、例えば超ミニ衣装でいやらしく見えてしまったり・・・・ミーちゃんケイちゃんがあの衣装で、いやらしく見えなかったこと、これは「PLの本質的魅力」を語るのに忘れてはならない要素です。なぜ、いやらしく見えなかったか?お2人のスタイル・品格(最近のハヤリ言葉?)が良かったこと、これにつきると思うのですが。だから、今でも女性ファンがいっぱいいるんでしょう。
一方、亜流的グループは、今のハヤリ言葉?で言えば「オタ」ばかり・・・
「PLの本質的魅力」を確信している私としては、来年そろって50歳になるお2人の、新たな展開を是非見たいと思うのですね。
それでは、皆様良いお年をお迎えください!
つい先日当HPのアクセス数が20万件の大台を突破しました。ご訪問の皆様に深く感謝いたします。今後もどうぞよろしく。さて、今日は20万件突破記念?としてちょっと重いタイトルです。と申しましても中身はいたって軽いですから、お気軽にどうぞ(^^
PLファンの皆様に冒頭から質問です。PLの活動期間について、仮に次の2者択一だとしたらどちらがいいですか?
1.現役時代は4年7か月を超え10年間、解散後再結成は皆無
2.現役時代は4年7か月、解散後たびたび再結成あり
勿論、1のパターンは架空のもので、2のパターンは実際にお2人がたどったパターンです。愚問でしょうか、それとも究極の選択でしょうか(^^
私としては後者2のパターンがよろしいのかと思いますが。本音のところでは「現役時代をもっと長くやってほしかった」そして「仮に解散しても再結成はどんどんお願いしたい」という欲張りなもので、これでは二者択一になりませんね(笑
メモリアルコンサートDVDのMCでミーちゃんが「あの時解散してよかったのよ…いっぱいのお客様」というシーンがありますが、今お二人はどのように総括しているのでしょうか。
「現役時代をもっと長く、例えば10年とかできなかったのか?」というのが今回のテーマです。「今さらそんなこと考えても、どうしようもないだろ!」と皆様の声が聞こえそうですが。でも私は今でもふとそんなことを思うのですね。まあメモリアルコンサートを含め何回かの再結成が実現してきたPLですから、実質的には活動期間が延長されたと考えることもできますが。ネット上の画像や動画で、解散間近23歳くらいのPLを見ることができます。デビュー当時と比べるとダンスも歌も洗練されているし、スタイルも格段に良くなっています。(勿論今のお二人はさらに・・・ですが。)そんなPLが活動期間4年7か月で突然解散してしまったのですから、これは誠に「もったいない」ことでした。もっと長く活動することはできなかったのでしょうか。
ここでは、仮にケイちゃんの自叙伝に書いてあるようなプライベートな問題などは除外して、曲づくりやファン層を中心に考えていきましょう。ファンサイトである当HPで、当時の人気や曲の売上の低下を書くことは気が引けますが、周知の事実ですからある程度触れることにしましょう。
PLに関してよくある俗説で「紅白歌合戦の辞退やアメリカ進出で人気が低下した」というのがあります。でもこれよく考えると、因果関係が全くあべこべです。人気の定義というのは難しいですが、PLは歌手活動がメインでしたから、人気=レコード売上とすると、デビュー1年4か月後の1977年12月に発売された「UFO」がピークというか山でした。そこから「モンスター」までミリオンは続くものの、売上は少しずつ落ちてきたわけです。紅白歌合戦辞退は1978年の12月、アメリカへの本格進出は1979年ですから、既にレコード売上が低下している事実を事務所としても認識したうえでということになります。ですから先ほどの俗説は因果関係があべこべなんです。レコード売上の低下を認識した事務所が、次なる展開として紅白辞退やアメリカ進出を打ち出したというのが、より真実に近いのではと思うのですね。
アメリカ進出や紅白辞退についてはとりあえず置いといて・・・曲づくりとファン層について考えましょう。「PLとしてもっと長く活動することはできなかったか」と考えるときに、まず触れなければならないのは例の低年齢化路線です。これは以前「PLの曲」のコーナーでも触れたので、ここでは繰り返しません。1978年の「モンスター」「透明人間」の頃をピークとするこの路線が、PL現役時代を長くさせる障害になったのではと思うのですね。一部のPLファンも指摘するところですが、この低年齢化路線によって、デビュー当時からレコードを買って支えてきた大人(中高生以上)のファン層の一部が逃げてしまったと思うのです。一度逃げたファンはなかなか戻りません。代わりに新たなターゲットとした小学生以下のファン層は獲得しましたが、それでも総体としては、レコード売上は低下していきました。当時もっと購買力のある大人のファン層を大事にすべきではなかったのかと、思うのですね。
現役時代PLの長期戦略として「もっと早くから大人のファン層を拡大することはできなかったのか」という思いがあります。「UFO」でピークとなった売上は、「サウスポー」「モンスター」と低下してきたわけでから、遅くとも「透明人間」あたりでは、イメチェンを行い大人のファン層拡大を意識した曲づくりをしていたら・・・と思うのですね。
つまり「マンモナ」みたいな曲をもっと早く出していたら・・・そうすることで、PL現役時代を4年7か月よりも長くすることが、ひょっとしたら可能だったのでは、と今でも考えるのです。
こう書くとファンの皆様にも異論のある方もあるでしょう。当時の事務所関係者や作家陣を個人攻撃する気は毛頭ありませんが。
低年齢化路線を悪く書きましたが、当時小学生以下のファン獲得が無ければ、解散後の再結成、とりわけメモリアルコンサートの実現も無かったと思うので、そこのところはちょっと複雑なのですが。当時の小学生も今や立派な大人、そういったファン層をターゲットに、今後新たな再結成PLの展開(新曲)も期待したいところです。
とにかく現役時代にしろ再結成にしろ、PLとして長く活動していただきたい、というのが本意なんですね。
ビジュアル面からPLを見ると、衣装や振り付けを語ることが定番となりますが、案外見逃せないのが「スタンドマイク」という小道具?です。このスタンドマイクこそ、PLの歌うスタイルを特徴付けていた大きな要素だと思うのですね。
まず、注目すべきはPL曲のなかでスタンドマイクで歌う曲の多さです。下の表を見てください。
PL曲スタンド・ハンドマイクの別
(PL現役時代のテレビ基準、したがって「ラスプリ」除く、「部屋を出てください」はデビュー前)
曲名 | マイク | 曲名 | マイク |
ペッパー警部 | ハンド | ピンク・タイフーン | スタンド |
S・O・S | スタンド | 波乗りパイレーツ | スタンド |
カルメン’77 | スタンド | KISS IN THE DARK | ハンド |
渚のシンドバッド | スタンド | マンデー・モナリザ・クラブ | ハンド |
ウォンテッド | ハンド | DO YOUR BEST | スタンド |
UFO | ハンド | 愛・GIRI・GIRI | ハンド |
サウスポー | ハンド | 世界英雄史 | ハンド |
モンスター | ハンド | うたかた | ハンド |
透明人間 | スタンド | リメンバー | スタンド |
カメレオン・アーミー | ハンド | OH! | ハンド |
ジパング | ハンド | 部屋を出てください(スタ誕決戦) | スタンド |
当時はテレビの歌番組全盛期ですが、ハンドマイクで歌うスタイルが主流だったと思います。特に女性歌手は「ハンドマイクで小さな手振りで歌う」というスタイルが、ほとんどでした。スタンドマイクで歌う姿は、キャンディーズの「やさしい悪魔」を例外としてあまり思い出せません。(もっとも、これも数か月先行発売のPL「S・O・S」の影響を受けたと思います。スタンドマイクにしても衣装にしても)一方、男性歌手もハンドマイクが主流で、PL並の激しい振り付けで歌う若干の歌手や一部の演歌歌手にスタンドマイクが見られる程度でした。よって、当時PLのスタンドマイク多用はとても斬新であったと言えます。
上の表からスタンドマイクの比率を計算してみましょう。デビュー後のPL現役時代の曲、ラスプリを除いて全21曲、そのうちスタンドマイクが8曲。ということは38%、約4割です。ほとんどの女性歌手がハンドマイクのなか、この数字はとてつもなく大きいといえます。
PLがスタンドマイクを多用した大きな理由は、おそらく手の位置を気にせず激しい振り付けを見せるためだったのでしょう。「カルメン」にしても「ピンク・タイフーン」(これは全身体操?)にしても、ハンドマイクで歌うことは到底不可能ですよね。その例外?が「DO YOUR BEST」と「部屋を出てください」のスタンドマイク。こちらは、おとなしい振り付けなのにスタンドマイクとなったものです。「部屋・・・」の場合は、当初ハンドマイクで激しい振り付けであったもの(君スタで披露?)を、スタ誕用におとなしい振り付けにしたという経緯があります。それから、誤解の無いように言っておきますが、上の表はあくまで当時のテレビ基準で、メモリアルコンサートとは違います。「DO・・・」や「リメンバー」、メモリアルコンサートDVDでは、振りを変えてハンドマイクの映像となっています
さて、スタンドマイクを使用することの効果とは何でしょう。先に書いたように「激しい振り付けを見せることが可能となる」という実用的なものの他に、小道具として演出として使用することもできるのです。よくあるのが、スタンドマイクを斜めにしたり、水平にしたり・・・男性歌手では結構多いスタイルですか。女性歌手では先ほどあげたキャンディーズの「やさしい悪魔」のエンディングが確か斜め。PLは無かったかなと思いきや「波乗り」で「斜め傾け」が一瞬ありました(笑)その他にも、「ピンク・タイフーン」では曲の途中で、スタンドマイクからマイクをはずして、つまりハンドマイクとしてミーちゃんケイちゃんが前方へ出てくる・・・という「見せ場」もありますね。こうしたことができるのも、スタンドマイクの良さなんでしょう。もっとも「ピンク・タイフーン」の場合、再びスタンドマイクに戻す時にタイミングが若干遅れると大変ですが・・・マイクをつかんだままお二人が顔を見合わせることに・・・コンサートDVDでそういったシーン無かったでしょうか・・・
スタンドマイクを使用するということは、コンサートの曲順にも影響します。ハンドマイクの曲とスタンドマイクの曲を交互にとはいかない(マイクの移動が大変)ので、スタンドマイクの曲になると何曲か(スタンドマイクの曲が)続くという傾向がありますね。コンサートDVDでは「カルメン」「S・O・S」「透明人間」や「渚・・・」「波乗り」「タイフーン」の流れがこれにあたります。
それから、スタンドマイクというと特有のハプニング?も結構あります。メモリアルコンサートでは、ケイちゃんがカン違い?して、本当はハンドマイク使用なのに後ろからスタンドマイクを持ってきてしまったり・・・ミーちゃんがスタンドマイクに当たって倒してしまったりと(これを書くと会場がわかりますね)・・・でもお二人ともさすがプロです。その後のフォローはあえて書きませんが素晴らしいものでした。これも30年近いキャリアがなせる匠の技?なんでしょうね。
また、スタンドマイクはハンドマイクと違い、マイク位置の調節が必要になります。当時の歌番組では、ハンドマイク主流ですから、PLの出番になって初めてスタンドマイク登場ということが結構ありました。短い合間にスタンドマイクを出すものですから、マイク位置がお二人の高さに調節されていないこともしばしばありました。ひどい時はマイクが一番下まで下がったままで、スタンドマイクが出されてお二人が歌い始める場面もありました。そんな時もミーちゃんケイちゃん少しもあわてず、ほんの一瞬でスルッとマイク位置を上げるんですよね。この早わざにはいつも感心していました(笑)
そうそう、マイク位置というとケイちゃんが気にして、歌の途中でマイクの向きを直すというのも、ファンには有名なところかも。時には何回直しても気に入らず・・・イジケ気味に・・・
このへんにて失礼。