PL雑感その5


2002.9.16

PLの路線を決めたもの

デビュー26周年の今日でも、PLがパチンコのキャラクターになるなど、PLの影響力は未だ衰えずといった感があります。
ところで、デビュー時に「あのPL路線」を決めた大きな要因は何だったのだろう・・・と考えることがあります。私が今思う2大要因としては、「キャンディーズの存在」と「周囲の期待度はCランク」があげられます。

まず、キャンディーズの存在。これは、近年作詞家阿久先生がよく回想されていることなのですが。PLの路線としては、3つあったというのです。第一がフォーク路線。第二がポップスでキャンディーズ路線。そして第三が現実となったPL路線。
第一のフォーク路線は、阿久−都倉ラインの指向と違うということで却下。ただ、ビクターは最初この路線を考えていて「白い風船」という芸名で、お二人がサインの練習までしていた、というのですから驚きです。
第二のキャンディーズ路線。これは、いってみれば亜流路線ですね。ビクターはこの路線で、「乾杯お嬢さん」でのデビューを考えていたようです。何しろ当時はキャンディーズ全盛期。どこのレコード会社も、「わが社から第二のキャンディーズを」と考えていたようです。ここが運命の分かれ道なのですが、阿久先生が頑張ってというか抵抗して、この路線も却下。第三の路線「ペッパー警部」でデビューとなったわけです。亜流路線に我慢できなかったというか、その路線の限界を見通していたということでしょう。「乾杯お嬢さん」なかなかの名曲ですし、コンサートのB面メドレーの定番でもあり、PLらしいダイナミックなアクションが私は好きなのですが、やはりデビュー曲としてのインパクトは弱かったのかも知れません。「この曲でデビューしていたら、PLの大ブレイクはなかったかも」と思えるのです。
第三のPL路線。「大胆な振付・ミニルック・夢のある歌」というのが三大原則です。結局この路線に落ち着いた大きな要因は、やはり「キャンディーズ」の存在を抜きにしては考えられないのですね。「キャンディーズの亜流と見られないよう、いかにインパクトを与えられるか」ここにPLP(PLプロジェクト)は文字通り賭けた。「もしかしてゼロで終わって大恥をかくかも知れない」(阿久先生)というリスクを承知で飛び込んだわけです。安全策を希望するレコード会社の意向に抵抗して。さて、先の三大原則のうち「大胆な振付・夢のある歌はPL独自にしても、キャンディーズだってミニの衣装は多かったのでは?」という疑問もあるかと思います。これについては、PLPはキャンディーズ以上のギリギリの超ミニ(ただし、B級アイドル的いやらしさを与えない範囲)で対抗したということになりますか。
当時キャンディーズは、何かとPLと比較されることについて「(PLは)私達とはジャンルが違う。」と言ったそうです。これは、まさにその通りというか、PLがキャンディーズの存在を前提にして、違う路線を意図的に作り出したことからも当然なのですね。

そして「周囲の期待度はCランク」。これは数年前テレビ「驚きももの木・・・」で言われたことなのですが。デビュー当時、PLへの周囲の期待度がいかに低かったかを表したものです。「だからこそ(作家陣は)自由にできた。」という意味です。そして、それがPL成功の大きな要因なのですね。レコード会社からも、出身母体の「スタ誕」からも、あまり期待されていなかった。「作家陣がそこまで言うなら、勝手にやったら」と言った感じでしょうか。その点、「驚きももの木・・・」のあるゲストが「私は・・・プロの一押しタレントだった。それが良くなかったんだな。」と回想してたのは苦笑しながらも印象的です。
実際、デビュー当初のPLは、期待度も低かったということでしょうか、今思えば(失礼ながら)B級アイドルに近い売り出し方もされていましたね。デビューの写真撮影が、いきなり「水着姿でスキーをする」というのも象徴的に思われるのです。そして、そのままB級アイドルにならなかったのが、やはりPLのすごさなのですね。


2002.3.31

3・31に思うこと

PL解散から21周年の今日、皆様はいかがお過ごしでしたか。かく言う私も、当時のことをいろいろと思い出しながら、やや複雑な想いで1日が過ぎてしまいました。

PL解散と言うと、前年の山口百恵さんの引退、3年前のキャンディーズさんの解散を重ね合わせて、思い出される方も多いかと思います。
スタ誕の先輩・山口百恵さん引退では、「夜ヒット」でのPL(解散発表後)との共演が記憶に残っています。百恵さんの後ろに出演者が横一線に並んでいたような・・・ケイちゃんは涙でしたか。
キャンディーズさんと言うと、「普通の女の子に戻りたい」発言が有名ですが、これは何か言葉が一人歩きしてしまった感もありますね。当時SF77の合間のラジオ出演で、ケイちゃんが「(歌手に)なりたくてなったものだし、やっとなれたものだから、普通の女の子に戻りたいと思ったことはないですね。」と発言されていたのが印象的です。事実、PLは解散後も普通の女の子(芸能界を引退するという意味で)に戻ることはなく、今日までソロ活動を続けてきたわけです。解散間近にPLが欽ちゃんの番組に出演されて、レギュラー?の元キャンディーズのスーちゃん田中好子さんに「解散したら普通の女の子に戻るのですか?」と聞かれたそうですね。これもすごい話です。スーちゃんと言えば、PLデビュー当時、キャンディーズさんのレギュラー番組で「やい!ピンク・レディー!そこのところよくメモしておけよ!」でしたか?(演技か本心か不明ですが)PLへの対抗心むき出しだったようですね(^^)2年前にケイちゃんとスーちゃん共演のドラマもありましたが、ケイちゃんがちょっと意地悪気味にスーちゃんに絡むシーンがあったりして、結構ドキドキしたものです(^^)

話が脱線しました。キャンディーズさんの解散宣言は1977年夏のことでした。PLにとっては、間もなくデビュー1周年を迎える頃、PL旋風がまさに日本列島を覆い始めた頃です。当時キャンディーズさんの解散宣言を聞き、「PLにもいつかそういう日がくるのか?」と漠然とした不安を抱いた記憶があります。勿論グループである以上、ある意味解散は不可避なことですが、当時PLにも解散という日が来ることについて、現実として受け止めることはできませんでした。1978年4月のキャンディーズさんのラストコンサートをテレビで見ながら(PLのお2人も地方公演の合間に見ていたそうです)、「PLは何年後?10年以上先であって欲しい。」と思ったものです。
そして、その日はキャンディーズさんの解散から、わすが3年後にやって来ました。予想より早かったというのが実感です。お2人がよく「4年7か月の活動が10年くらいに思えた。」と言われます。「当時のアイドルとして出来ることは全てやり遂げた。」という意味において、つまり、「誰にも真似できない密度の濃い活動をした。」という意味において「実態として10年活動」は誇張でもなんでもなく、まさにその通りだと思うのです。

最近、ある女性グループ(Xとします)の活動期間が5年を越えそう(越えた?)ことをもって、PL・キャンディーズさんを越えたとする論調を活字媒体で時々見かけます。
「Xの活動期間が5年を越えた。あの伝説グループPL・キャンディーズでさえ、活動期間は約5年である。したがって、XはPL・キャンディーズより偉大である。」という主張を匂わせたこの論調、皆様はどう思われますか?
活動期間のみを尺度として評価するというのは無理がありますし、いちいち取り上げるのも馬鹿らしいのですが、PL・キャンディーズさんをリアルタイムで知らない世代なら、活字媒体ということで信じてしまいそうなのが恐いのです。当たり前のことですが、要は活動の中身です。PLもキャンディーズさんも、方向性は違っていたかも知れませんが、それぞれの方向性の中で女性グループ歌手としてはパイオニア(先駆者)だったと思うのです。したがって、後発グループとは、そもそも比較にはならないのでは?


話が長くなりました。ケイちゃんミーちゃんの今後のご活躍を願いつつ・・・これにて失礼します。



2002.3.3

「ピンク・レディー」というブランド

皆様は「ブランド」というと何を思い出されますか?まずはファッション関係でしょうか。あるいは、食品関係という方もいらっしゃるかも知れません。この分野では、不幸なことに昨今「ブランド・イメージの崩壊」という現象も起きているようです。
さて、「ピンク・レディー」も生身の人間であるミーちゃんケイちゃんのグループ名でありながら、一種の「ブランド」ではないかと最近思うのです。そして、このブランドは、昨今ブランド・イメージ崩壊が流行するなか、益々輝きを増している貴重なブランドなのです。「ブランド」は直訳すると、「商標・品質・銘柄」という意味があるようですが、「ピンク・レディー」には「品質」という訳こそ相応しいのではないでしょうか。

ご存じの通り「ピンク・レディー」の名付け親は、PL曲の作曲家として有名な都倉先生です。デビュー当時のエピソードとして、お二人がグループ名を周囲(親類・知人等?)に紹介するのが「ちょっと恥ずかしかった。」ということもあったようです。確かに当時のアイドルとしては過激なイメージですよね。1990年代に流行した売りが露出オンリーの「セクシー・アイドル・グループ」のはしりみたいな響きもします。ビクターの宣伝幹部は「安キャバレーみたいだ。」と批判的でした。当初のフォーク・デュオの線では「白い風船」であったわけですから、「ピンク・レディー」との落差は誠に大きいものがあります。
お二人が最初は「恥ずかしく」も思えた「ピンク・レディー」ですが、その後の大ヒット連発によって、マイナス・イメージは払拭されました。逆に「スーパー・アイドル」の代名詞となるわけです。「ブランド・イメージの確立」とも言えるでしょう。

さて、解散によって「ピンク・レディー」というブランドはどうなったのでしょうか。解散後しばらく、お二人にとって「ピンク・レディー」について聞かれるのは、苦手であったようです。これは「ブランドの自己否定」でしょうか?しかし、時の経過とともに、苦手な意識から「ピンク・レディーとして活躍したことが誇り」という意識になってきたようです。また、2000年紅白での再結成PLの反響は、大きいものがありました。総括すると「ブランドの再評価」と言えるのかも知れません。
以上、長々と振り返ってみましたが、「ピンク・レディー」というブランドには、当初のマイナス・イメージ、ブランド・イメージの確立、ブランドの自己否定?、ブランドの再評価という変遷があるようです。話がうますぎますか?(^^)


それでは、「ピンク・レディー」というブランドの本質は何なのでしょうか。
ブランドには信頼感というものがあります。「ファンの期待を絶対に裏切らない、あるいは、期待以上のものを常に見せてくれる。」こういう信頼感こそ「ピンク・レディー・ブランド」の本質でしょう。そして、それはお二人の「強いプロ意識」「グループの成り立ち=中学以来の大親友」に裏打ちされたものでしょう。具体的にいちいち例示する必要はないでしょうが、特に解散後、再結成のたびに「賞賛の声」があがるのを見れば、うなずけるところです。2000年再結成紅白での、関西地区視聴率一位という実績。スタイルを維持していること・踊り・歌への反響は大きいものがありました。ブランドとしての価値を維持していることが、再評価されたわけです。
ブランド・イメージをこわすのは、それが物であろうと、タレントという生身の人間であろうと、簡単なことです。崩壊は一瞬にして起こり得ます。ところが、逆にブランド・イメージを維持することは、並大抵のことではできません。お二人の見えないところでの努力、これは大変なものでしょう。「ミーちゃんとケイちゃんのPLだからこそ」の話です。

ブランドというと、「偽ブランド」あるいは「類似品」が出回るものです。PLの場合は、いわゆる亜流グループがこれに当たります。
見た目はそっくりでも、PLの奥深いところ(プロ意識・グループの成り立ち等)を全く理解していない大人たちがつくるPL亜流グループ。それが、いかに底の浅いものであり、ことごとく失敗していくのは、皆様ご承知のとおりです。「偽ブラント」「類似品」の横行が、逆に「ピンク・レディー・ブランド」の良さ=信頼感というものを際立たせているのです。
「ローマは1日にして成らず」ですが「ピンク・レディー・ブランドも1日にして成らず」です。デビュー前からのお二人の関係があってこそだと思うのです。今後も「ピンク・レディー・ブランド」に大いに期待したいと思います。


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