今のところPL活動が中断しているので、当HPとしても将来のPL活動について書くか、過去を振り返るしかないわけですが(笑)。早く一昨年のように現在進行形のコンサート・レポでも書ける日がくることを願いつつ、今日は再結成活動の間隔について振り返ってみたいと思います。
前回、下の記事(2012年4月)で再結成の「頻度」について書きました。今回は再結成の「間隔」についてです。
下の記事の頻度表をご覧いただきながら振り返ってみましょう。PL再結成の間隔を振り返ると、興味深い法則が2つあります。題して「6年の法則」と「0年の法則」です。
まず「6年の法則」。これは「公演があるPL再結成は6年間隔で実現された」というものです。ただし、最初だけ3年で例外です。
具体的に見てみましょう。下の頻度表の「公演」の○印の間隔を見てください。1981年の解散後、公演が実現したのは1984年、1990年、1996年から97年、2003年から05年、そして表にはありませんが2011年となります。どうですか、最初の3年を例外として、すべて見事に6年間隔となっているのですね。まあ偶然でしょうけど、面白い現象ですね。2011年の初陣式前のレッスン風景がテレビで流れたとき、ケイちゃんがミイちゃんに「6年ぶり?ミイ」と言われてましたが、これは2005年のメモリアルコンサート終了から6年ということでした。
もう一つ「0年の法則」とは「西暦で一の位が0の年にはPL再結成または再始動がある」ということです。1980年の9月に解散宣言した後、1990年、2000年と再結成が実現して2010年で「解散やめ」宣言で再始動となりました。
以上2つの法則「6年の法則」と「0年の法則」、振り返ってみると興味深い現象ですね。まあ「だから、どうした?」と言われると困りますが(笑)
さて、もう少し詳しく、再結成の間隔を「年月単位」で見てみましょう。この際、1989年以降の「年をまたぐ連続再結成」は「一固まりの再結成」とみなします。
1981年3月解散から1984年の再結成「アゲイン」までが、ちょうど3年。
1984年9月(「アゲイン」終了)から1989年紅白までが、約5年3か月。
1990年紅白から1996年9月「再会」までが、約5年9か月。
2000年紅白から2003年4月メモリアルコンサート記者会見までが、約2年3か月。コンサートの開始は同年6月ですが、その前にテレビ出演もありましたので、記者会見を基準とします。
2005年5月のメモリアルコンサート終了から2010年9月の「解散やめ」宣言までが、約5年3か月。
再結成の間隔を詳しく見ると、短いもので2年3か月、長いもので5年数か月となります。まあ、これをどう見るかはファンそれぞれでしょう。最初の再結成が1984年で、解散からわずか3年と短い間隔で実現していることも特筆すべきことですね。簡単に言うと「PL再結成の間隔は6年を超えることは無かった」となります。このへんの状況については、ファンも気付いていたのでしょう。ケイちゃんのソロ・ライブにおいて、2009年にファンから「(PLを)また復活して」の声があがりましたし、2010年「解散やめ」直前には、ライブ後の交流会で「クッキーの再結成は?」の質問もありました。
「長くても5年数か月待てばPLがまた見られる」という状況が続いていたわけですが、ここでちょっと飛躍した話をします(笑)例えば今のあなたが、1980年解散宣言後、あるいは1981年の後楽園後、失意のドン底にいる当時のあなたに、タイムマシーンに乗って語りかけます。「PLは解散したけど3年後に最初の再結成があるよ。その後6年間隔で公演もあるし、解散やめもあるよ」と言ったら、当時のあなたは信じるでしょうか。おそらく、ほとんどの方は信じられないでしょう。ファンのみならず、ミイちゃんケイちゃんや事務所関係者でさえ、こういった展開は想定外だったと思います。私はと言えば、解散当時、再結成はあるとは思っていましたが、これほど多くしかも「解散やめ」までとは全く想像すらできなかったと思います。
PL再結成について、ファン以外やマスコミからの冷たい見方。これは1996年「再会」の頃までは結構ありましたが、2000年紅白以降は若干減ったようにも思えます。これだけ再結成が多く実現してきたということは、それだけ「PLのパフォーマンスを見たい聞きたい」というファンが多く存在し続けているということで、「称賛すべきことで、批判することではない」という認識がされてきたのかも知れません。
とは言え、今だにファン以外の方の「PLは再結成しなければ伝説になれたのに」などのコメントを見ることもあります。この場合の「伝説」とは「再結成活動を一切しないで伝説となる」という意味です。まあ、再結成をどう見るかは人それぞれですが、私に言わせれば「冗談じゃない。伝説とならずに、ずっと現役でPL活動を続けていることこそPL最大の魅力でしょ」と言いたいですね。では。
「解散やめ!」宣言から1年8か月。PLに関してのニュースは、昨年末発売のDVD以来ありませんが、そんな中でも、当HPは何とか話題を提供していきたいと思います。
今やPLは完全復活の状況にありますが、以前の「期間限定再結成」について、その頻度はどれくらいであったのか、振り返ってみようと思ったのですね。まあ、「だから、どうした?」と言われそうですけど、暇ネタということで(笑)。こうして、過去の再結成を総括してみるのも有意義かなと。
まずは皆さん、下の表をご覧ください。解散翌年1982年から「解散やめ!」宣言の前年2009年まで28年を、前半と後半に分けて集計したものです。
期間限定再結成の暦年ベース頻度表1982年〜2009年
年(西暦) | 再結成 | 公演 | 備考 | 年(西暦) | 再結成 | 公演 | 備考 | |
1 | 1982 | × | × | 1996 | ○ | ○ | 再会 | |
2 | 1983 | × | × | 1997 | ○ | ○ | ||
3 | 1984 | ○ | ○ | ピンク・レディ−・アゲイン | 1998 | ○ | × | TBS「レコ大40周年」 |
4 | 1985 | × | × | 1999 | ○ | × | TBS特番 | |
5 | 1986 | × | × | 2000 | ○ | × | NHK「紅白歌合戦」 | |
6 | 1987 | × | × | 2001 | × | × | ||
7 | 1988 | × | × | 2002 | × | × | ケイちゃんの示唆A | |
8 | 1989 | ○ | × | NHK「紅白歌合戦」 | 2003 | ○ | ○ | メモリアルコンサート |
9 | 1990 | ○ | ○ | NHK「歌謡パレ−ド」「紅白歌合戦」 | 2004 | ○ | ○ | |
10 | 1991 | × | × | 2005 | ○ | ○ | ||
11 | 1992 | × | × | 2006 | × | × | ||
12 | 1993 | × | × | ポッカコ−ンス−プCM(映像無し) | 2007 | × | × | 「解散やめ」検討開始? |
13 | 1994 | × | × | 2008 | × | × | ||
14 | 1995 | × | × | ケイちゃんの示唆@ | 2009 | × | × | ケイちゃんの示唆B |
前半計 | 3 | 2 | 後半計 | 8 | 5 | |||
再結成頻度 | 21% | 3÷14×100=21.4% | 再結成頻度 | 57% | 8÷14×100=57.1% | |||
合計 | 11 | 7 | ||||||
再結成頻度 | 39% | 11÷28×100=39.2% |
(注1)再結成・公演欄の○:有り、×:無し
(注2)再結成の基準(原則):お二人が一緒に公演またはテレビでPLの曲を歌唱する(1993年映像無しのCM曲等は除外)
(注3)再結成頻度:暦年ベースで「再結成○=1」としてカウントした「再結成数」を「期間年数」(前半・後半は14年、合計は28年)で除して算出
要は「暦年ベースのPL再結成頻度表」でありまして、どのくらいの頻度でPL再結成が行われてきたかを示したものです。
再結成の基準としては、一応「お二人が一緒に公演またはテレビでPLの曲を歌唱する」としています。「1回のテレビ出演のみ」でもカウントしていますが、例の「ポッカコ−ンス−プCM」や「パチンコ記者会見」、「同じ番組でソロ曲を別に歌唱する」「ミュージカルでちょっと披露?」などは含まれていません。
表をご覧になって、PLファンの皆様のご感想はいかがでしょうか。
再結成頻度を見ると、全体で39%約4割。前半21%約2割、後半57%約6割と、後半になると頻度が格段に高くなります。1996年「再会」以降5年連続、3年にわたる「メモリアルコンサート」で後半の再結成カウント8です。
全体で4割というのもなかなかの数字ですが、特に1996年20周年「再会」以降、完全復活に向けて大きく舵をとったようにも見えます。まあ、実際に「解散やめ!」が検討段階に入ったのは、2007年以降のようですが、20周年「再会」と「メモリアルコンサート」がその布石になったのでしょう。
では、なぜ、後半に再結成の頻度が高くなったのでしょうか?勿論、「偶然そうなった」のかも知れませんが、お二人の意向、業界の事情、ファンの想い等々いろいろな要素が反映された結果とも考えられます。
ケイちゃん派の私としては、「ケイちゃんのPLに対する想い」というのも重要な要素だと考えています。ケイちゃんの自叙伝「あこがれ」の180ページ「この時を境に私の中で何かが大きく変わった」とあります。この時とは、1989年紅白出場のことです。ケイちゃんにとって、それまでの「自分から手を引いたPL」が「PLのケイであったことに言い知れない誇り」に変化する時ですね。このケイちゃんの心境の変化も、後半でのPL再結成頻度上昇の伏線になっていると思われます。
上の表を見て、興味深いのは、大がかりな再結成開始や「解散やめ」の前年には、必ず「ケイちゃんの示唆」があったこと。以下のとおりです。
(ケイちゃんの示唆@)1995年ソロのショーで「来年は20周年、また二人で何かできたら」
(ケイちゃんの示唆A)2002年8月ラジオ番組で「50歳まではいけるかなっていう気はしますね。皆さんはミニスカート姿見たくないと言うかもしれませんが」
(ケイちゃんの示唆B)2009年6月イクスピアリのライブで「ピンク・レディーをやるには、まず衣装から入っていかなくてはならないという強迫観念みたいなものがありまして…」
なかなか意味シンなご発言ですよね。「衣装の話が出ると再結成決まり」みたいですか。
ちなみに私が思うに、上記示唆@とAの段階で翌年の再結成は内定していた思います。Bは内定まで行かないけれど、かなり話は進んでいたと思われます。ケイちゃんライブでのご発言によると、「解散やめ!」が決まったのは2010年初め頃のようです。同年5月、ケイちゃんライブ後の交流会で、「クッキーの再結成は?」の質問がありましたね。その時点では、決まっていたけれど公表前だったので、ケイちゃんのお返事は「ドキッ、ドキッ」だったような?記憶がありますが(苦笑)
昨年のコンサートツアーで、ミイちゃんの印象深いお言葉として「私達の勝手な想いで…」というのがありました。これは「解散やめ」のことを言っているのですが、とても謙遜した表現ですよね。私も含めた多くのファンは、何回か繰り返された「期間限定再結成」を見るにつけ、「完全復活はできないものか」と感じていたのではないでしょうか。そうした意味で「解散やめ」は、「私達の勝手な想い」どころか「多くのファンの想い」でもあったわけです。
過去の「期間限定再結成」を振り返りつつ、今後のPL活動の早期開始に期待したいと思います。では。