ケイちゃんファンの皆様、先日10日OAケイちゃんご出演の「うふふのぷ」は、いかがでしたでしょうか。ケイちゃんが、ご自身の庭?である青山周辺の枕屋さん?下着店?タイ料理レストランを紹介するという番組でしたね。
この手の番組では、わりと普段のケイちゃんが見られるので、いつも楽しみにしているのですね。番組を見る前に、外見的(衣装、表情、髪型、振る舞い?)にはこういったケイちゃん、内面的というか語りではこういったケイちゃんが見られるのでは(結局、ケイちゃんの全てを見たいという感じ)・・・といつも期待を膨らませつつ(笑)見るんですけど、今回のケイちゃんも良かったですね。
まず外見。衣装はケイちゃんらしく、とても清楚。「この手の衣装がケイちゃんの趣味なのかな」「だったら私の趣味に合ってるな」「いつものスタイリストさんが選んだのかな」と、いろいろ想像が膨らみます(苦笑)
髪型は往年のケイちゃんヘアに近い?こちらも期待どおり。
そして、振る舞いというか仕草というか。「これぞケイちゃん」が出れば、それだけで内心ニヤリなんですが(笑)レストランに入って、階段からお店のマスターさんが降りてきたとき、ケイちゃん手を振っていましたが・・・「さよなら」のお手振りでなくて、出会いのお手振り「こんにちは」「お久しぶり」・・・これもケイちゃんお得意のポーズなのではないでしょうか。私がまっ先に浮かんだのは、メモリアルコンサートvol.3の頃、リハ風景を含めたコンサートの模様が日テレでOAされましたが。その中で、vol.3最初のリハ顔合わせのとき、「主演の増田恵子さん」と紹介されて、ケイちゃん両手でお手振り・・・このシーンは印象深かったですね。そうそう「さよなら」のお手振りもありましたね。メモリアルコンサートのラスト幕が降りてくるシーン、これは大きなお手振りでしたね。
もう一つ、ケイちゃん特有の振る舞いというか仕草というと、レストランでの食事シーン。左手でフォーク、この持ち方、これもケイちゃん独特かな?
内面的というか語りでは、PL後期の住まいであった例のマンションの話が、繰り返し出てきましたが。
詳細は自叙伝「あこがれ」にも書いてありますので、皆さんご存じだと思いますが。今でも青山というと、そのことが思い出されるようです。ケイちゃんにとっては苦い?思い出なのでしょうか。ケイちゃんにとってそういう思い出ということは、居心地がいいマンションだったんでしょうね。それ以前は、何かと制約の多かった呪いの館?ホテル住まいでしたからね。
私が思うに、当時お二人とも既に20歳を過ぎた立派な大人でしたから、事務所側も正確な情報をお二人に伝えても良かったのでは・・・とも思いますが。ケイちゃんファンの皆さんは、いかが思いますでしょうか。
今回のタイトルは、数年前にケイちゃんが「ご主人の言葉」として、ラジオかテレビで紹介したものです。当時この言葉になぜかハッ!とした想いをいだいたのでした(笑)
先日テレビを見ていたら、ご主人のカメラによるケイちゃんの料理シーンが放映されていました。ご主人によるケイちゃん採点が1000点?とか・・・これも微笑ましく、テレビで見ていた私まで熱くなってしまいましたが(笑)
さて、ケイちゃんご結婚は今からもう4年前です。当時私は心から「おめでとう」という気持ちでしたが、また別に不謹慎?というか馬鹿なことを思ったのですね。「ご主人はPLの(隠れ)ファンだったのだろうか?もしファンだったのなら、当然ケイちゃん派?あるいは(隠れ)ミーちゃん派?」
今思うと何とも愚かな疑問ですが、当時は結構まじめに考えてました(笑)この件についてケイちゃんの口からご発言は無いようですが、以下私の勝手な想像・・・ということをご了解ください。
そこで、冒頭のタイトルです。これを聞いたのは、メモリアルコンサート開始前か開始後か、はっきり覚えてないのですが、おそらく結婚後数か月か1年前後でしょう。とても意味深い言葉だと思うのですね。裏を返せば、結婚するまで、それほど「PLのケイちゃんだったこと」を意識してなかったということになるわけです。
ご主人はケイちゃんより歳上ですから、当然現役時代のPLの活躍を知っているはずです。けれども、コンサートに行ったり、レコードを買ったりという意味では、おそらくPLのファンでは無かったのだろう・・・と想像するのですね。ひょっとしたら、アイドル歌手そのものに興味は無かったのかも知れません。ケイちゃんとご主人の出会いから結婚までは、自叙伝「あこがれ」にも書かれていますので省略しますが、「PLのケイちゃんである前に、一人の女性として接することができた」からこそ、ケイちゃんの心をつかむことができたんでしょう。当たり前ですよね。
逆に、ちょっとでもファンとしての気持ちがあったら「一人の女性である前に、PLのケイちゃんとして見てしまう」でしょうから、おそらく冒頭のご発言も無かったでしょうし、そもそもケイちゃんの結婚対象にはならないのでは・・・などと馬鹿なことを自問自答しているわけです(笑)
さて、何をきっかけに「PLのケイちゃん」を実感されたのか?これは言及されていませんので、あれこれ想像するわけです。
メモリアルコンサートを見たから?それより前なら、メモリアルコンサートの計画を知ったから?あるいは、ファンからの贈り物を見たから?はたまた、芸能人として違う表情のケイちゃんを見たから?
私の自問自答は続きます(笑)
昨日、9月2日は言わずと知れたケイちゃんのお誕生日でした。ケイちゃんおめでとう!その記念すべき日にケイちゃんご出演の「シャルウィダンス?」がOAされました。ケイちゃんのダンスがじっくり見られるということで、とても楽しみにしていた番組です。
さて、番組はリハーサルと本番の2つのシーンに、メモリアルコンサーの映像がちょっと・・・という構成でした。こういった番組、ファンによって、あるいはケイちゃん度?の濃淡によって見方は違うと思いますが。まあ、ケイちゃんマニアを自認する私にとっては、デビュー以来変わらぬ「ケイちゃんらしさ」を追求?するんですね(笑)それが少しでも見ることができれば、それで大満足!番組の本筋から離れてしまうこともしばしばです(笑)
番組の本筋と言えば、ケイちゃんのダンス技術と審査結果ということでしょうか。ダンス技術、あれだけ速いステップ、PLの振り付けとは異質なダンスを短期間でマスターしたんですから、それはスゴイこと。これは言うまでもありませんし、審査員の言葉も絶賛!でした。点数も良好!
そんな本筋そっちのけで(笑)「ケイちゃんらしさ三拍子」があったから、私はさらに楽しめたのでした。それは「負けず嫌い」「涙もろい」「かわいい」の「三つのケイちゃんらしさ」ですね。
まず、「負けず嫌い」なケイちゃん。リハーサルシーンでプロダンサーとレッスンなんですが、思うようにいかなくて、ケイちゃん一言「悔しい!」と。「負けず嫌い」なケイちゃん、PL成功の原動力でもありますが、その歴史はもっとさかのぼることができるようです(笑)
例えば、自叙伝「あこがれ」や当時の高校の先生の証言にもあるとおり、高校時代の成績が上位だったということ。これも「負けず嫌い」なケイちゃんならでは。夜遅くまでお勉強。その様子はミーちゃんのお母さんも知っていたほど・・・1976年4月に二人のお母さん同伴で上京、相馬さん宅へ。お母さん方が静岡に戻るとき、ミーちゃんのお母さんが、ケイちゃんに発した言葉・・・(思い出せない方は「あこがれ」の103ページを読んでみて!)PL時代では「ザ・ベストテンの順位か下の方だと悔しくて」なんて話もどっかで見たような記憶があります。これぞケイちゃんです。
次に「涙もろい」ケイちゃん。本番終了後、審査員の方々からコメントがあるのですが、絶賛!だったものですから、ケイちゃん思わず涙でした。私がふと思い出したのは、あのスタ誕の決戦大会。相馬さんのプラカードが上がった瞬間、涙のケイちゃんでした。どちらも努力が報われた瞬間なんでしょう。そうそう何年か前にある番組にケイちゃん出演の際、都倉先生がコメントを寄せて「泣き虫だったケイも・・・」なんてこともありましたね。それを聞いてまた涙のケイちゃんでした。
最後が「かわいい」ケイちゃんです。昨日、四十何歳になられた女性に対してこれは・・・と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、私の主観ですから(笑)今回の番組では、メイクくっきりの本番が「きれいなケイちゃん」であるとすれぱ、リハーサルの素に近いケイちゃんが「かわいい」ケイちゃんでした。なんといってもあの「お下げ髪」がいいですね。若々しくて。
ここ数年のメモリアルコンサートのリハ風景でも、この「お下げ」はケイちゃんの定番になったような感があります。車でリハ会場に入るときは伝統的なケイちゃんヘア(これもまた良し)が多いようですが、リハに入ると「お下げ」なんですね。昨年OAされた番組ではvol.3の初日リハで、お下げにするのをミーちゃんが手伝っていましたね。リハーサルと言えば、2000年紅白のリハーサルも確かこのお下げでした。
ある辞書で「お下げ」を引くと「少女の髪の結い方。・・・」とあります。ということは、ケイちゃん永遠の少女?そんなケイちゃんが大好きです(笑)
おしまい。