メモリアルコンサート終了から早くも1か月が経過。本来ならこの時期、未来志向でケイちゃんの今後の活動について語りたいところですが、今回はあえて、それにさからって(笑)、無謀にも今さら語っても仕方のない過去のことを振り返ってみます。
昨年、ケイちゃんの自叙伝「あこがれ」が世に出ました。また、コンサート期間中テレビ出演も多く、PL時代のお話もケイちゃんの口から、今まで語られなかった部分も含めていろいろ聞くことができました。ケイちゃんファンにとっては、驚きもありましたが、より深くケイちゃんを理解することができて嬉しい思いでしたね。
そんなケイちゃんの語りを読んだり聞いたりするなかで、「当時の事務所が、もっとケイちゃんを大事にして、その叫びというか声を聞いてあげたら・・・」と、今さらながら、つくづく感じたのですね。
その一つがレッスン時間の問題です。PL時代2度目のコンサートツアー、ご存じ77年夏「サマー・・・(略してSF77)」ですが、その開催に当たって、ケイちゃんが「もっとレッスン時間を」と事務所に要請したのに、簡単に却下されたという事実があります。最初のチャレンジコンサートですら、レッスン時間はほんの少しというか、ほとんど取れなかったようです。「コンサート直前の夜中に覚えた曲すらあった」と当時ラジオて聞いた覚えがあります。その教訓を踏まえて2度目のツアーは「もっとレッスン時間を」とケイちゃん切実な願いだったのですが・・・
PL時代初期のコンサートは、今回2年間のメモリアルコンサートとはかなり違ったものでしたね。時間が1時間ちょっと。MCは少なめで、ほとんど歌って踊りっぱなし。特にまだシングル曲の少ない頃でしたから(SF77の時期ですらシングル4曲目)コンサートの多くの時間は、普段披露していない洋楽のカバーでした。その洋楽カバー全てに、シングル曲以上に激しい踊りがついていたのですから、今振り返ってもハードなコンサートでしたね。それをほとんどレッスン時間無しでこなしていたわけですから、これは大変なことです。ぶっつけ本番に強いPLという見方もあるようです。「ザ・ベストテン」スタッフの方の著書に当時のPLのことが書いてありまして「器用な人達でほとんどリハ無しで(ベストテン本番を)こなしていた」と。私としては、そのPLの器用さ、本番の強さが、逆に事務所に利用されたような感じがして、なんとも複雑です。コンサートに当たって「いいものを見せたい」というケイちゃんの真面目な願望を何で打ち砕いてしまったのでしょうか。勿論、過密なスケジュールではあります。でも、所属歌手が「いいものを見せたい」という健全な要望を実現させるのが、事務所の役割じゃないでしょうか。
そもそも、なぜ当時の事務所があの過酷なスケジュールにPLを追い込んだのか、という根本的な疑問もあります。需要があるから、と言ってしまえばそれまでですが、度を越えてましたね。忙しい頃テレビ出演では、リハ無し楽屋入り無しでスタジオ直行。テレビに映らないスタジオの片隅や移動中の車では、ぐったりしてつかの間の睡眠。例の呪いの館に帰っても「ベッドまで行けずコタツで仮眠することもあった」と事務所後輩の天馬ルミ子さんが最近雑誌で語っているのを見ました。そんな過酷な毎日だったのですね。当時の事務所は何を考えていたのか?「所詮人気商売、稼げる時に稼ぐ」と割り切っていたのか?もっとケイちゃんの声を聞いてあげていたら・・・と今さらながら思うのです。もっともメモリアルコンサートでは、その苦い経験?も踏まえて、ケイちゃんも納得のいくリハーサルができたのではと、思うのですが・・・
そしてもう一つが、PL時代ケイちゃんのプライベート問題(恋愛問題)。これに対する事務所の姿勢。結婚か仕事か二者択一。今さら語っても仕方ないことですが、もっと大人の解決方法もあったのでは・・・とも思うのです。だって、ケイちゃんは、事務所に内緒にしていたわけでもなく、ましてや仕事の手を抜いたわけでも無いのですから。このことが遠因になって、国民的アイドルが解散への道に踏み出したとしたら、本当にもったいないことだと思いますね。
以上、今さら・・・のことばかりですが、ケイちゃんファンの皆さんはどう思われますか?
「出来ると思ったら、やってみてください!本当ですよ。」(HEY!HEY!HEY!のケイちゃんトークより)
コンサートVol3がスタート、ファン皆さん盛り上がっている今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
さて、今日のお題はケイちゃんのプライドについて。冒頭のトークはバレンタインデーにOAされた「HEY!HEY!HEY!」終了直前のケイちゃんトークから。苦笑された皆さんも多かったかと思いますが、ケイちゃんマジでした。(おそらく)
ケイちゃんの魅力の一つに「内に秘めたプライド」というものがあります。まあ、あれだけの社会現象を引き起こしたわけですから、普通だったら、天狗になってしまうんでしょうけど、そういった素振りはめったに見せないのです。けれども、現在の復活PL・ソロ活動において、あのPL時代が「内に秘めたプライド」になっていて芸能活動の支柱になっているのだと思います。そこが、また魅力なんですね。
そんなケイちゃんですが、まれにその「内に秘めたプライド」をオープンにする時があるのですね。冒頭に紹介したトークがそれですね。水戸黄門の印籠というか、伝家の宝刀を抜くというか、そんな感じですね。
では、それは、ケイちゃんにとって、どんな時なのか?
番組をご覧になれなかった方のために、若干付け加えます。お笑い系司会者の方とミーちゃんケイちゃんで、過去の映像を見ながらPL時代を振り返るという趣旨だったのです。その中で、アメリカ進出でNBCにレギュラー番組を持った話となり、「週1回の録画取り・その合間のレッスンがいかに大変であったか」の話になったのですね。ケイちゃんはまじめに、英語の台本を覚えるのがいかに大変であったか、台本がすごい厚さで、しかも、レッスン中にどんどん変更・差し替えになってしまうという、当時の苦労を話していたのです。そこで、司会者が「(NBC番組のコントは)たいして面白くもないのにね。」と発言したのです。これが(大げさに言うと)ケイちゃんの逆鱗(げきりん)にふれて、冒頭のトークとなりました。
このやり取りを見て、一般の方なら「大人気ない。」ケイちゃんファンなら(私も含めて)「ケイちゃんよく言った。」となるのでしょうか。
まあ、番組自体がバラエティー色の濃い歌番組ですから、司会者の方にも全く悪気は無く、笑いを取ろうとしたのでしょうが、ケイちゃんには通じなかったと。「ケイちゃん、場の雰囲気を読めない。」と非難しないでください。トーク番組出演も多いケイちゃんです。そんなことありません。ここが重要です。ケイちゃんのプライドがオープンになった瞬間。譲れない一線があるんです。ここで、もし「ハハハ・・・」とケイちゃんが受け流したら、大方のファンは、どう思ったでしょうか・・・
ケイちゃんファンとして言わせてもらうと・・・ケイちゃんよく言った。アメリカの大手ネットワークで、本人の芸名がついたレギュラー番組を日本人歌手が持つなんてことは、PLが最初で最後でしょう。ですから、誰も当時のPLの苦労を経験することはできません。もし、万が一、兆が一?そんな歌手が現れたと仮定しても、レッスンの段階で音を上げてしまうでしょう。プロ意識の強い、そして本番に強いPLだからこそできたのです。
「出来ると思ったら、やってみてください!」への答は「誰もできません、ごめんなさい。」となりますか(苦笑)
なお、PLのアメリカ進出に興味ある方は、こちらの素晴らしいHPもどうぞご覧ください。
ケイちゃんファンの皆さん、お待たせしました!久々の更新です。今日はケイちゃんの学生時代のことなど、肩のこらないお話を展開したいと思いますので、お気軽にどうぞ!
このページをご覧になるほどのケイちゃんファンであれば、デビューしてからのケイちゃんは勿論、デビュー前のケイちゃんのことも、いろいろと興味があるのではと思います。最近はあまり聞かれませんが、PLデビュー当時は、高校卒業から間もないことから、結構テレビ・ラジオなんかで学生時代のことをインタビューされることも多かったのですね。
おそらく、デビュー翌年くらいのラジオなんですが、こんな質問がありました。「学生時代の得意科目は?」さて、ケイちゃんは、この時何と答えたでしょうか?皆さん考えてみてください。答えは後ほど。
話は変わりまして、先日の「マシューTV」ケイちゃんの炸裂トークと筋肉に圧倒された皆さんも多いかと思いますが、ケイちゃんが腕の筋肉をテレビで強調されたのは、今回が初めてではないんですね。数年前にお昼の番組「ごきげんよう」で小堺君を前に、腕の力こぶを見せていたことがあるんです。でも、その時は今ほどでなくて、小堺君は苦笑していたんですけどね(^^;)その頃から、ケイちゃん考えるところがあたんでしょう。今回の場合、だいぶ腕のテレビ写りを気にしていたようですが・・・さて、今回の「マシューTV」を見た方のケイちゃんに対する印象は、おおむね以下の3パターンに分かれると思います。どのパターンかで、その方のケイちゃん度を測ることが可能です。
パターン1「ケイちゃんてなんか面白い人なんだね。」これは極めて単純素朴な印象。PLをリアルタイムで知らない若い方に多いかと思われます。
パターン2「PLの頃と比べると、ケイちゃん変わったね。」これはPLをリアルタイムでご存じですが「ケイちゃんはおとなしい」という固定観念(イメージ)をお持ちの方に多い印象で、今回のはじけたケイちゃんに驚いた方です。コンサートツアーのケイちゃん炸裂MCにも同様の反応を示されます。
パターン3「相変わらずケイちゃんケイちゃんしてるなあ。」これは、当ページをご覧になるようなケイちゃん度の高い方に多い印象。昔から素顔のケイちゃんは変わってないと思ってる方です。
勿論、私はパターン3ですが、皆さんは?以下、私見ですが、おそらくケイちゃんの実像は昔から変わってないと思うんですね。つまり、「ケイちゃんがおとなしい」というのは、あくまでイメージで、実像とは違うだろうと。PL当時ケイちゃんがよく倒れていたので「ケイちゃんはか弱い、おとなしい」というイメージが広がったのだと思います。でも、実像のケイちゃんは、けっしておとなしくなくて、学生時代からPL時代にかけて、口数が多いのも、感情をストレートに口にするのも、むしろケイちゃんの方だったのでは、と思うのですね。テレビに写る部分では、おとなしいケイちゃんのイメージも振りまいていたのでしょうが、写らない部分も含めると、実像のケイちゃんが見えてくるのでは。PLの出会いで声を掛けたのもケイちゃんの方からみたいですし、「当時、ミーは自分の方から声を掛けるタイプではなかった。」とケイちゃん言ってました。(ただし、最近の再現ドラマでは、ミーちゃんからとなっていますし、自叙伝「あこがれ」では・・・2005.3.5注)
「マシューTV」でもう一つ、興味深かったのがケイちゃんの「かつ」ですね。ミーちゃんの弟さんのことなんですが。こういう呼び方ができるのも、お二人の仲があってこそで、PLならではの現象です。普通テレビでは、ある程度親しい間柄でも「弟さん」て言いますよね。それが「かつ」ですから(^^;)この場面から容易に想像できるのは、学生時代、ケイちゃんが何度も、ミーちゃんの家に行って、弟さんと会っているということです。だからこその「かつ」なんです。
さて、話を冒頭に戻しましょう。ケイちゃんの得意科目。その時ケイちゃんは「歴史と数学」と答えたのでした。(ちなみにミーちゃんは美術系だったと思います。)それに対するアナの反応は「結構、難しいのが得意だったんですね。勉強した方ですか?」これに対しケイちゃん元気よく「はい!」ところが、アナは「本当ですか?」と疑念の声。すかさず、ミーちゃんが「(ケイちゃんは勉強)してましたよ。」とフォロー、という流れだったんですね。それでは、実態はいかに?となりますが、これは、高校時代のケイちゃんの担任が証言してますから、間違いないでしょう。デビュー翌年「SOS」の頃、近代映画の取材で静岡に里帰り。その時、お二人の母校常葉学園を訪ねているのです。記者が高校時代の成績について質問しケイちゃんの担任の答えは「増田くんはよく勉強しましたね。クラスでいつも上位に入る優秀な成績でした。」とのこと。昨年出た「メモリアルブック」にも収録されています。ケイちゃんの場合、お母さんから「成績か下がったら、歌のレッスンをやめさせる。」と言われてたので、必死だったんですね。負けず嫌いの性格もあったんでしょう。もし、成績が下がっていたら、PLの誕生もなかった、と考えるとぞっとしますね。
私が想像する学生(高校)時代のケイちゃんのイメージ・・・
休み時間に廊下に顔を出して、ミーちゃんとおしゃべり。昼休みには、ミーちゃんのクラスへ移動し、ラジカセで歌のレッスン。(ちなみに高校時代コースが違ったので一緒のクラスにはなれませんでした。)授業が終われば、ミーちゃんと一緒に夕食のお買い物(当時ミーちゃんは一家の料理当番)。そして、ちょくちょく、そのまま、ミーちゃんの家へ行って、料理のお手伝い。(早く歌のレッスンがしたい。)お二人の料理の腕前は、この頃上がったと思われる。弟さんとも顔なじみ。そして、二人で歌のレッスン。ミーちゃんのお父さんに「うるさい」と言われそうな時は、安部川のほとりへ移動。そして、自宅へ帰宅後、深夜までお勉強。こなん感じでしょうか。
当時を振り返ってケイちゃん「デビューする前からあんまり寝てないんです。」
PL誕生前、学生時代にも、お二人にはいろんな前史というか、共通体験があるんですね。だからこそのPLです。