ニューハンプシャー州エクセターに生まれる。
アーヴィング6歳のとき、母がフィリップス・エクセター学院の教師コリン・
母フランシスはアーヴィング13歳のとき、小柄な彼に向くスポーツとして
地元の学校を経て、15歳のとき父の勤めるフィリップス・エクセター学院に
19歳でフィリップス・エクセター学院を卒業。単位不足のため留年している。
ニューハンプシャー大学に再入学。
大学をドロップアウト。ハーヴァード大学の夏期ドイツ語集中講座を受講して
旅先のギリシャでシャイラと結婚。秋にはニューハンプシャーに戻り、大学に
同大在学中に、長男コリン誕生。
ニューヨーク、ハロルド・マトスン社のピーター・マトソンとエイジェント(代理人)
ヴォネガットの指示の元に長篇第一作『熊を放つ』を完成。この作品により、
「ボストン・リヴュー」誌春夏号に短篇『疲弊した王国』掲載。(執筆は1965年) |