ベイエリア・リズム・セクション結成〜ジャーニーへの生まれ変わり (1973.2〜1974.2) ハッピー・バースデイ解散後も、ハービー・ハーバードはあきらめたりぜず、新たにメンバーを探したりしながらも、バンド作りに奔走したようである。ニール・ショーンを中心としたバンド作りへの夢は、捨てないでいたようである。 バンドのメンバーとして、引っぱってきたのが下記のような人たちである。 ロス・ヴァロリー(ベース)・・・当時スティーヴ・ミラー・バンドのメンバーとして活躍していた。 このようなメンバーにより、”ベイエリア・リズム・セクション”が誕生する。 (第1期)1973.2〜1973.6
そして、グレッグ・ローリーへ参加を要請し、1973年6月からは5人編成のグループとなる。 (第2期)1973.6〜1974.2 ここから、新しいグループ名”ジャーニー”として生まれ変わる。
また、1974年に入って、新しいグループ名を付けようとする動きがあり、オフィス・マネージャーのジョン・ヴィラヌーヴァの提案により、”ジャーニー”に決定される。(当時、ファンからグループ名の公募もしていたらしい) (注1)プレイリー・プリンスは、1974年に入り、突如グループからの脱退を表明する。元々、パーマネントなメンバーになる気はなかったようで、2月まではセッション・ドラマーを起用することで、急場をしのいだようである。 |
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